異・英雄記   作:うな串

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7 天水の美将

 

 

 少女は復仇で生涯を燃やし尽くすには、あまりに理知的過ぎた。しかし、復讐の炎を消す術を持たなかった。

 彼女は豪族の出だった。家は天水の四姓と呼ばれるほど力を持っていたが、父は羌族の叛乱鎮圧に従軍し、そこで戦死した。そして、母親の腕ひとつで育てられた。

 少女の胸には、いつか父の仇を、そんな思いがあった。

 だからだろうか、力を求めた。

 武技を磨いた。兵法書を読み漁った。遊侠の徒と交じり、ときには鮮卑とも交流を持った。

 確かに、力は手に入れたと思う。

 少女ながら、彼女に勝てる者は鮮卑内でも殆んどいない。元が豪族の家の子であるから教養もある。

 しかし、自分が何をすればいいのか分からなくなった。

 仇を討つといっても、父親を殺した相手を捜して殺せばいいのか? それともまさか、羌族を皆殺しにすればいいのか?

 彼女は生まれや育ち、人種も違う色々な人々と関わることで、様々なことが見えてきた。

 自分が関わった鮮卑の中に漢人に家族を殺された者がいた。反対に、鮮卑に夫を殺された漢人の未亡人もいる。おそらく、自分が復讐を果たそうとしている羌族の中にも漢人に肉親を殺された者がいるだろう。

 少女は怨讐と共に生きる虚しさを感じていた。

 少女の聡明さは単純に生きることも、自棄になることもさせてくれなかった。

 だから、大きな夢を見ることもできない。

 私の父親を殺したのは羌族ではなく戦だ。漢も羌も鮮卑も争わなくてもいい世を作るために力を使おうとは思えなかった。あまりに非現実的すぎる。

 彼女は知識と経験から、遊牧騎馬民族の社会形態を理解できた。

 反乱や、それによって起こる略奪行為は遊牧騎馬民族にとって大きな意味を持ち、簡単に切り離せる問題ではない。

 彼女の心は乱れていた。

 復讐など忘れて母親に孝行をして過ごせという自分がいる。復讐を忘れるな、もっと力を、もっと強くなれば何かを果たせるという自分もいる。そして、現実の自分はどちらもできていない。

 そんなとき、以前に一度だけ会ったことがある小柄な男が、ある話を持ってきた。

 小柄な男のことはよく覚えている。あれほど敵意や悪意がない人間とは初めて会った。名を張既といったことも覚えている。

 そんな彼が自分を主に推挙したいと言ってきた。

 少女は張既の主の名を聞いたことがあった。中原で起きた大戦で、四万の軍で二〇万の軍を追い返した指揮官の名前だった。

 会おうと思った。

 ともかく会おう。会って話を聞こう。もしかしたら、強くなれるかもしれない。何かが変わるかもしれない。

 それに、その主君のことを知りたいと思った。

 彼女も豪族の出である。だから、家名の重さや価値を分かっている。その家を破ってでも戦うことを選んだ男。彼が何故、戦うのか知りたかった。

 少女は馬を駆って、長安へと向かった。

 長安は初めてだった。

 一二ある門のうちのひとつ、その門番に自分の姓名を明かし、張既に会いに来たことを伝えた。

 少し待たされた後、長安に入城できた。庁舎の場所を教えてもらい、そこへと向かう。

 道すがら、長安を見て回る。人が多く活気がある。耳に入ってくる言葉は聞きなれた涼州の訛りや西の訛り、それに聞きなれない東の訛りがあった。

 黄巾の乱の折、中原から南や西に逃げた人が多いと聞いていたが、西に逃げてきた大部分がこの長安に定住したんだな。少女は思った。

 それは黄巾の乱以降の県令の手腕を表すことであった。

 喧騒が大きくなった。

 その方向に少女は視線を向ける。人だかりができていた。

 気になったが、小柄な彼女には、人だかりの中心が見えそうにない。どこか登れるものでも探すかと思ったとき、その人だかりが割れ、見たことのある顔の男と三白眼が特徴的な男が現れた。

 見たことある顔は張既であった。目が合う。すると、彼が口を開いた。

「おお、会えて良かった。あなたの到着を知った伯業様が出迎えようと庁舎から出たのはいいが、民に囲まれてしまってな。入れ違いにならなくて良かった」

 そう言った張既の顔には何とも言えぬ愛嬌があった。思わずこちらも良かったと言わせる愛嬌だ。

 だが、少女はそれ以上に、張既が言った伯業様という単語が気になった。

 じゃあ、この張殿と共にいる人が袁伯業様……

 少女は三白眼の男を見上げた。

 その特徴的な瞳の小ささと無資質さが荒涼な大地で砂塵に吹かれている小石を思い出させた。

 男が礼を取り、口を開いた。

「漢の後将軍、洛陽の令、袁伯業です。賢士に会うことを待ちきれずに、こうして参上しました」

 袁遺の丁寧な挨拶は古来より中華にある賢人に対する礼であった。

 少女も返礼する。

「天水冀県の姜維、字は伯約と申します」

 

 

 姜維と名乗った少女を袁遺は仔細に観察した。

 小柄な背丈と幼い顔立ち、張既が言った通り雛里より幼く感じる。

 小顔で切れ長の目、高く通った鼻筋、涼やかな口元。全てが将来、凄まじい美人となることを約束しているようだった。

 声には幼さを侮らせない凛々しさがある。

 街中では落ち着いて話せないということで、一同は庁舎へと向かった。

「本日は足をお運びいただき、ありがとうございます」

 袁遺はそう言って、上座に姜維を座らせようとしたが、彼女はそれを辞した。

 そして、上座や下座ではなく、両方が対等になるよう左右に向かい合って座る形となった。

 彼らはまず、儒教の話になった。

 姜維は、この時代の著名な在野研究家の鄭玄の儒教観に強い関心を持っていた。

 彼女の知識は若い頃、洛陽に遊学した袁遺が舌を巻くほどだった。漢の影響が強くなく、騎馬民族の気風が濃い涼州でのみ勉学したとは思えない博識ぶりだった。

 姜維の熱っぽく語る様子に袁遺は、この熱量が後漢末期から晋にかけて、儒教を変化させたものなんだな、と思った。

 以前にも話したが、この時代、儒教にも変化があった。

 姜維だけでなく、多くの儒者たちも変化へと向かうエネルギーを持っていた。

 それは反儒教的な曹操も同じである。

 彼(この外史では彼女)が与えた影響から、儒教と、老子と荘子、所謂『老荘の思想』を融合させた玄学が生まれる。

 まあ、袁遺自体は、後漢の儒教の大きな特徴である讖緯説が、朱子学成立前夜の北宋の時代に讖書は漢代に捏造されたものでデタラメであり、こんなものを経典の解釈に参照しているのは間違っているとひっくり返されることを知っているから、冷めた目でこの変化を見つめている。現代でも、孔子の思想を語るに讖書を排除することが本流である。

 そして、話は反董卓連合のことになった。

「将軍は、一体どこまで想定なされていたのですか?」

 姜維が尋ねた。

 先程までの熱っぽさは消え、冷静な面持ちだった。

「どこまでとは?」

「始めから今の状況を……連合を解散させて、宣伝工作や反董卓だった諸侯を懐柔して、反袁紹の巨大勢力を誕生させることを考えていたのですか?」

 袁遺は少し考え込んだ。そして、言葉を選ぶように慎重に話し始める。

「確かに、連合を解散させた後は宣伝工作や切り崩し工作によって、董司空や袁太傅が有利なる状況にしようとは考えていました。だが、全てが想定通りに進んだわけではありません。そもそも戦争というのは、ただ敵を倒したり、追い払ったりすれば終わるというものではないでしょう。戦後処理というものがあります」

「それを考えるのは将軍の役目ではないのでは?」

「そうですが、私の選択した作戦で、どのように連合が解散するか、その過程を描けた者が私と部下の男のふたりしかいませんでした。袁太傅には……当時は袁司徒でしたが、ともかく、叔父上には話しましたが、それでも完全に理解しておられなかったので、私の意向が強く反映する結果となったのです」

「確かに、描くことが困難な新しい戦術だったと思います」

「いえ、違います」

「えっ?」

 姜維が驚いた。

 そんな彼女に袁遺が嘯いてみせる。

「私がやったことは徹底的に連合の関係性を崩壊することで、それは孫子でいうところの『交を伐つ』です。袁太傅は袁紹が連合結成の動きを見せたとき、それを戒める書簡を送りました。しかし、袁紹は聞かなかった。これは孫子でいうところの『謀を伐つ』が失敗したということです。ですから、私は次善の策となる敵の同盟関係を破壊することを選択したのです。発想の出発点自体は新しいものではありません」

「ということは、連合の敗因は同盟関係の維持……相互利益に気を配れなかったことだと?」

 袁遺はそれを肯定した。

「それが一番の敗因だと思います」

 だが、それは戦場での行動というより、戦闘が始まる前の袁遺の書簡や豫州や冀州での宣伝工作、洛陽の情報を渡さないための諜報活動が重要になってくる。

 それらの重要性を姜維は分かっているが、彼女の求める何かとは別の問題な気がした。

「しかし、将軍は連合の関係を崩すために、名門と名高かった家名が泥にまみれることになりました。あなたは家名を犠牲にしてまで、どうして戦ったのですか?」

 奇しくも馬騰と同じ質問を姜維がした。

「漢王朝の利益のため」

 袁遺は即答する。その答えもまた馬騰にしたものと同じだった。

 漢王朝のため、ではなく、漢王朝の利益のため。その言い回しは姜維の生まれ持った気質からすれば、好みではなかった。

 しかし、この言葉の先に袁遺の何かがあると予感した。

 彼女は一歩、踏み込む。

「漢王朝の利益のためなら自分の家が破れてもかまわないと?」

 その質問に、袁遺は首を縦に振った。それから続けた。

「正直なところ、私はまだ戦争が終わっていないと思っています」

 戦争が政治という巨大な環の中に含まれるとすれば、あの敖倉から酸棗の間で起こった戦いも董卓と袁紹の政治的対立の一部である。そして、その対立は未だ解消されておらず、宣伝工作や諸侯の切り崩し工作などが行われている。董卓と袁紹の戦いは、終わっていないといえば終わっていない。

 それは姜維にも理解ができる。

「では、その戦いの中で名誉を回復する機会があると、将軍は考えておられるのですか?」

「まさか、無理でしょうね」

 袁遺の顔は無表情だった。

「私が今、生きているのは、それが多くの人にとって利益になるからだ。分配される利益が多くの人に行き渡るとき、悪徳、悪行はときに肯定される。権力の本質だ。しかし、一族の中から逆賊を出た。まあ、私が色々と動いて逆賊にしたのですが、ともかく、逆賊の一族ということが一生、付いて回るでしょう」

「余計に何故、戦うか分からない。無礼を承知ではっきり言ってしまえば、連合に参加し司空を討った方が、あなたにとって得になったはずだ」

「そうでしょうね。しかし、それをすれば、漢王朝は衰退の坂をさらに加速を付けて転がることになる。おそらく連合に参加した諸侯の中には、すでに衰退の坂を転がり切ったように見える者もいたはずだ。だが、今は、あの戦争に参加した全ての者が傷付き、それを癒す時間を必要としている。そして、こちらに付き、その傷を癒すことを選んだ諸侯は、その衰退したと思っている漢王朝を嫌でも敬わなくてはならない」

「傷……この場合、軍や物資、領地の損耗や被害だけではなく、あなたの宣伝工作によって傷付けられた名誉を回復するためですか」

 姜維は言った。袁遺は優等生の回答を聞く教師の様な顔をする。

 連合に参加した諸侯は逆賊・袁紹の企みに乗った者というレッテル(半ば真実)を袁遺の宣伝工作によって貼られたわけだ。そして、そうじゃないことを現在、皇帝と王朝のシステムを握っている袁隗・董卓に保障してもらっている状況だった。となると、皇帝や王朝を蔑ろにすると、その保証の価値はなくなるから、敬わなければならない。

「それなら、確かに王朝の権威は復活したと言ってもいいかもしれませんが……」

 自分を、そして家を犠牲にしてまで王朝に報いる。見上げた忠誠心である。

 しかし、この人にはそれだけでは片付けられない何かがある。姜維は思った。

 そして、その何かは人柄を掴み損ねている袁遺自身から示された。

「おそらく、私とあなたの間で大きな齟齬が生じているようだ」

「齟齬?」

「姜殿、あなたは私が戦う理由を聞きたかったのですね」

 確認する袁遺に、姜維は肯首した。その顔は何を当然のことを、と言っていた。

「それは申し訳ない。私が答えたのは目的なのです」

「目的……」

 姜維は目の前の男が空恐ろしくなった。

 理由と目的では天と地の差がある。

 袁遺は利益のために戦ったのではなく、起こった戦いで利益が出るようにしたのだ。

 姜維は思った。

 おそらく、この人と私とは戦に対する意識の立脚点が違う。この人は戦が正しいことか悪いことか、好きか嫌いか、必要か不要か、その全てを通り越したところにいる。

 事実だった。

 袁遺も戦争は悪いものだと思っている。なくなった方が良いと思っている。

 しかし、根絶しようとは考えていなかった。生きていれば必ず出くわすもので、天災に近い事象として受け取っていた。

 その出くわした戦争で、利益をあげることを考えているのだ。

 謂うならば、戦争の飼い慣らし方、もしくは戦争の最も有効な活用方法を考えているのだった。

 同時に袁遺は平和主義ではない。

 これも戦争を悪しきものと考えるのと同じで、平和は素晴らしいものだと思っている。尊いものだと思っているし、長く持続されるべきものだと思っている。しかし、それが主義になることは決してない。

 戦争が主義で、どうにかなる問題だと考えていない。

 どころか、戦争が政治の一部である以上、主義の対立で争いが起き、最終的に戦争に結びつく可能性があるものだとさえ思っている。

 真に危ういのは、自分はこうだと決めつけることだ。

 姜維は知らないことだが、袁遺がかつて仲達に語ったことがある。

 俺は立場を変えることを批評する気も恥じるつもりもない。立場を変えることは極論すれば、生存の技法、そのひとつに過ぎない。本当に批評され、恥なのは姿勢を変えることだ、と。

 袁遺からすれば、平和主義というものが立場であり、平和を愛することが姿勢だった。

 ただ、この立場と姿勢が混同されて他人に受け取られ、袁遺の忠誠心には他人に忌憚される何か重いものがへばりついているように感じられるのだった。

 姜維は見てはいけないものを見た気分になった。

 彼女は悩んでいた。

 復讐に生きることも、戦争をなくすという大きな夢を見ることもできない。なら、袁遺が示しているものは何かを変えるきっかけだったのではないか。

 姜維にとって、袁遺のそれは希望の光に見えた。

 袁遺のやっていることは難しいことである。

 しかし、姜維の聡明さは、その難しいことこそ怨讐と夢想の間に囚われている自分にとって妥協点になりうることを理解していた。

 だが、その光は目が潰しかねない光量を持っていた。

 なのに、自分は袁遺()に惹かれている。

 危険は常に蠱惑的な魅力を持っている。誘蛾灯に惹かれる羽虫の様に姜維は口を開いた。

「将軍、非才の身でありますが、自分をあなたの下で国事に尽くさせてもらえませんか?」

 その言葉を噛みしめるように頷いてから、袁遺は返した。

「そのお言葉、忝い。どうか、お力を貸していただきたい」

 それを聞いた姜維は礼を取り、言った。

「姜維、字は伯約。真名は若蘭(じゃくらん)。どうか真名でお呼びください、伯業様」

 将来有望な天水の美将が臣下の礼を取る中で、袁遺のまったくの悪癖としか言いようのない部分が、蠢動していた。

 姜維……いや、若蘭の危うい真っ直ぐさは何に起因するものだろうか……若さか、それとも生来のものか。真っ直ぐな故に迷うというのは人として好感の持てる態度だが、指揮官としては暴走の恐れがある。

 戦争に善悪も好悪も必要さも考えない男である袁遺でさえも、戦争に突入するときは、それが勝てる(負けない)戦争という前提を忘れていない。

 だが、あまりに真っ直ぐ過ぎると、それを忘れて暴走する可能性がある。

 袁遺は姜維が部下になった瞬間から、彼女の能力の運用方法を冷徹な思考で考えていた。

 とりあえずは、張郃の下につけて、どれくらいのものか見極めた後だな。

 彼の欠点が鎌首をもたげた。

 もし、彼女が望んだものが俺から得られないとなったとき、果たして、どうなるなのかな……

 袁遺の人より小さな瞳は相も変わらず無機質であった。

 その後、袁遺は若蘭を伴って、洛陽へと帰還した。

 そして、皆に姜維を紹介し、まずは張郃の下で袁遺軍の軍法を学べ、と言った。

 その預かった張郃を始め、高覧、雷薄、陳蘭の四人が袁遺の顔を何か微妙な表情で見ていたが、その意味するところを袁遺は分からなかった。

 

 

8 ふたりでお茶を

 

 

 袁遺が豫州の黄巾の残党討伐や長安に行っている間、洛陽令を代行していたのは、彼の従妹である何夔だった。

 袁遺は洛陽の県令室で、彼女が自分の不在の間にやったことの報告を受けていた。

「指示通り、警邏を兵にやらせています。そして、五日後に長期休暇を取らせ、今は四組目が休暇に入ったところです」

 何夔の報告に袁遺は頷いた。

 反董卓連合とは文句なく激戦だった。

 激戦は将兵を肉体的にも精神的にも大きく疲弊させる。

 だが、いきなり休みを与えても疲弊した心身、特に心の面は回復しない。

 弓矢飛び交い、剣と槍が交差する前線と銃後(銃がない時代におかしな表現ではあるが)のギャップに付いて行けず、心をさらに荒ませることがあるからだ。

 だから、徐々に戦場から遠ざけてやる必要がある。

 訓練や警邏の任務は、謂わば日常へのリハビリだった。

 もちろん、それだけではない。

 何夔が新たに書簡を提示した。

「こちらが人の出入りの状況です。戦闘が終わったことで流民が都に入ってきています」

 袁遺軍と反董卓連合との戦闘が終わり、その後の宣伝工作では董卓・袁隗の方が袁紹より優勢だった。

 袁紹陣営が画策した新帝の擁立は未だ成功していない。それどころか、劉虞が強い拒否を示していて、破談寸前である。

 その結果、あの戦いは袁遺が勝ったように四海の人々に受け取られた。

 そして、税を納めることができず、耕作地を捨てて他へ移ることを選んだ流民たちは、自分たちを守ってくれるだけの強いところに行こうとして、董卓・袁隗の陣営へと向かったのだった。

 人口が増えるのは喜ばしいことだが、それが労働力や経済力になるまでは大変な苦労がある。

 そのひとつに、流民は少しでも空いた場所があれば、そこに勝手に住み着くことがある。

 彼らは空き地があれば、掘立て小屋のようなものを勝手に作る。すると、人が人を呼んでスラム街が形成される。人が集まれば、その上に立とうとする者が出てくる。顔役のようなものが生まれ、新たなに力を持つ者が出てくる。

 それは洛陽令という統治者にとっては、邪魔者以外の何もでもなかった。

 それに新たな権力者が袁紹や他の反董卓・袁隗の者と手を結べば、獅子身中の虫を飼うのと同じである。危険すぎることだった。

 だから、兵を警邏に導入して、新たな権力者誕生の目を早期に摘み取ろうしているのだ。

 袁遺は書簡に目を通しながら尋ねた。

「火事や病気などの問題は出たか」

「いえ、それらはありませんが、喧嘩や窃盗といったものは一日に一回は起こっています」

「そうか」

 それくらいなら日常の問題だし、それを悪化させないようにするのが為政者の仕事だった。

「命じておいた洛陽の市場の調査は?」

「こちらに」

 何夔が新たな書簡を差し出す。

「これは調査の結果をまとめたものですが、食品や日用品、その他の流通状況の詳細はこちらの書簡に」

 そして、かなりの量の書簡を示した。

 袁遺は簡潔にまとめられた報告書に目を通す。

 流民が増えた影響で、市場にも色々な変化が起きる。

 そのひとつとしてフクロウが売られ始めた。

 いきなり増えた人口に対処することができなくなり、今までは食べなかったが、食べられそうなものを捕まえて来て市場で売りさばいているのだ。

 これ自体は問題ではない。

 どの時代にも目敏い者が儲けになりそうなことに手を出してみる、ということがある。これもそうだった。

 例を挙げるなら、女真族(のちの金)に中原から叩き出された宋は紆余曲折の末、杭州(臨安)に腰を落ち着けるが、北からの大量に流れ込んだ人の口を賄うため、その初期は市場に蝙蝠、フクロウ、蛇などが大量に並んだ。それが文化として根付いたのか、現在も南の方では日本人の感覚からすればゲテモノ喰いに思える食材が並んでいる。

「長安のようにやっても、上手くいかないだろうな」

 洛陽は流石に首都だけあって、増えた人口圧を受け止める余力がある。

 しかし、市場の品や活性は、前の任地の長安に比べれば貧弱だった。

 長安には、肥沃な大地があり、交易の拠点となりえる。さらに黄巾党の乱からも離れていたため、そこまで土地や人心が荒れておらず、統治しやすい条件が揃っていた。

 だが、洛陽は違う。交易の拠点となりえるが、それはあくまで国内の話であり、長安の様に西域との交易は見込めない。また、耕作地は広くない。さらに反董卓連合との戦いで、その柔らかな下腹に酷い打撃を受けている。

 それに漢王朝の経済状況自体が良くなかった。

 制度の問題だった。

 現代の言葉で言えば、現在の漢王朝は構造的財政赤字を抱えている。

 赤字には二種類ある。

 ひとつは循環赤字。

 これは景気の好不況によって生じる赤字である。

 循環赤字は景気刺激策によって解消される。

 現代なら減税や国債の発行あたりだろう。戦争という手もあったが、現在ではコストの増加や交際情勢、民衆の感情などの問題で用いるにはリスクが有り過ぎる。

 もうひとつは構造的赤字である。

 これは例えば、国家が一〇〇の税収を生み出すには、一一〇の支出が必要という状況だ。

 そして、この一一〇を九九に抑えることができない。一〇〇を得るには一一〇を払わなければいけない社会構造になっているのだ。こういう場合、予算を削減するのではなく、体勢を削減、つまりは効率化するしかない。

 だが、それは難しい。

 何故なら、今の漢王朝にとって削減されるべき既得権益層とは名士だからだ。

 それをすると名士の協力を苦労して取り付けたのが、水泡に帰す可能性がある。すると反董卓連合前の情勢に逆戻りだ。

 となると次に目が向けられるのは、軍であるが、それも袁紹との対立状態が続いている現在の状況で、軍の縮小をするのは自殺行為である。

 なら、一〇〇を一二〇に増やしてやらねばらないが、一〇〇で頭打ちの状況で、それをやるためには増税しかない。

 しかし、どんな政治体制下の納税者であっても、増税を喜ぶ者はいない。おそらく、景気は冷え込み、税収がさらに落ち込むという本末転倒な状況を招くだろう。

 そして、不況の状況では既得権益層はますますそれにしがみ付く。まったくの悪循環だった。

 だが、今は体制の縮小か増税かの二択しかない。最悪かより最悪かの選択である。そして、この場合、より最悪の方は……

 袁遺は、ため息をつきたくなったがやめた。

 何の解決にもならないし、部下の前である。

 それに、これは県令の領分ではなく、董司空と賈駆のやることだな。まあ、いざというときの準備くらいはしておくか。

「ご苦労、良くまとまっている。ありがとう」

 袁遺は何夔を労った。事実、彼女のまとめた書類の出来は良かった。

「また、私が不在の場合は県令代理を任せることになる。私がいる間は市場の動きをまとめてくれ」

「分かりました。それと増税を行った場合、どれほどの影響が出るかの試算も行います」

 何夔は言った。袁遺の思考を読んだのである。

 彼女も現在の漢王朝の財政の危うさを報告をまとめたときに感じ取った。そして、現状で打てる手は増税しかないという結論に達していた。

 また、袁遺も同じ結論に辿り着き、董司空に増税の提案をする可能性も考えたのだった。

 そのためには説得力のある資料を作らなければならない。

「うん、頼む」

 袁遺は言った。

 正直なところ、思考を読まれたのは不快であったが、今はそれだけの能力を持っていることが頼もしい。

 袁遺は従妹である何夔の顔を見た。

 目付きの鋭さに彼の、そして母の面影を残す。また、仕事に対して真面目すぎるところも共通点だった。

 遺伝かな……まあ、それは置いておいて、将来的にはもっと大きな役目を任せられるな。

 そのためには今の難局を乗り越えるしかない。

 袁遺は洛陽を離れていた間の分を取り戻すように仕事に打ちこんだ。

 しかし、そのことでひとりの少女が心を痛めることになる。

 

 

 洛陽のどちらかといえば、郊外寄りの住宅街に袁遺の家はあった。

 いつまでも袁隗の屋敷に間借りするわけにもいかず、洛陽県令に就任したのをきっかけに国より屋敷が与えられたのだった。

 実は、もっと良い場所の屋敷を与えられる予定だったのだが、袁遺はそれを辞退した。その理由を分かったのは袁隗しかいなかった。

 ともかく、袁遺がそうなのだから、彼の部下たちも主より良いところに住めるはずがなく、袁遺の屋敷の近くに同じく小さいが家が与えられた。

 筆頭軍師の雛里もそうである。

 そんな彼女は今、自分の屋敷の台所で料理にいそしんでいた。

 使用人がいないわけではない。

 しかし、袁遺には自分の作ったものを食べて欲しかった。

 雛里は袁遺をお茶に招いたのである。

 その発端は袁遺の仕事ぶりにあった。

 長安でも、反董卓連合の陣内でも、そうであったように袁遺は良くいえば勤勉、悪くいえばワーカホリックだった。

 それは洛陽の県令になっても変わらない。むしろ、加速度的に酷くなっていた。上で書いたように何夔に任せていた分を取り戻すためである。

 さらに軍の編成もしなければならない。

 もちろん、雛里や仲達もそれに参加しているが、袁遺の頭の中にあるものを形にしようとしているのだ。やはり、彼が中心である。

 この作業で雛里は、ひとつ失敗をした。

 袁遺と雛里は制度上、必要な書類を制作していた。

 夜遅くまで、その作業をやっていたのだが、日付が変わったあたりで雛里は眠ってしまった。

 袁遺ほどではないしろ彼女も多忙であった。疲労も溜まっている。

 雛里が気付いたときには、もう朝で書類は全て完成していた。自分には上着が掛けられている。

 袁遺は雛里が疲れていることを知っていたし、何より安心しきって小さな寝息を立てる彼女の寝顔を見ると起こす気も失せた。

 しかし、雛里は申し訳なさでいっぱいであった。

 彼女は謝るも、袁遺は気にしないように言うだけだった。

 正直なことを言えば、雛里の気持ちには袁遺の行為に対して、嬉しい気持ちもあった。

 それが表に出たのか、彼女は袁遺に聞こえるか聞こえないかのギリギリの声量で、起こしてくれても良かったのに、と甘えた声で怨じてみせた。

 だが、喜んでばかりもいられない。さすがに主を休ませた方が良い。洛陽に不在であったといっても、サボっていたわけではない。だから、同僚の司馬懿に相談したところ、彼もそれに賛成した。

 そして、半日の休みを袁遺に取らせることにしたのだった。

 仲達が袁遺がやるべき軍の編成の仕事を行い、雛里が寝てしまったお詫びに料理を作って袁遺を招くことにした。

 袁遺には雛里にしても華琳にしても、妙な甘さを見せることがある。

 それは意中の女性に愛想を振りまくというより、孫を甘やかす祖父といった風だった。

 今回もそれである。

 雛里に強く休むように言われた袁遺は普段の無表情さはどこへやら、

「分かった、分かった。それじゃあ、ご相伴に与ろうかな」

 と泣いた子供をあやす調子で言った。

 さて、主を迎えることに雛里は気合を入れて、その準備に取り掛かる。

 彼女は袁遺の謹慎中、司馬懿の家にお世話になっていた。

 そのとき、家の主人の司馬懿は高覧と共に別働隊として任務にあたっていたので、司馬懿の妻である張春華にお世話になった。

 彼女は芯の強い人でありながら、穏やかで優しく、人見知りの雛里でもすぐに仲良くなれた。

 その袁遺とも付き合いの長い同僚の妻から、主の嗜好や自分の知らない料理を教えてもらったのだ。

 料理は苦手ではない。荊州にいたころは同塾の諸葛亮たちとお菓子を作り、お茶をした。

 だが、袁遺に食べてもらえると思うと今まで感じたことのない緊張があった。同時に喜びに似た期待も緊張以上にある。

 大方、料理が仕上がった頃、袁遺がやって来た。

「は、伯業様、本日はお越しいただきありがとうございます」

 雛里がそれを出迎えた。彼女の胸は高鳴っている。

「こちらこそお招きありがとう」

 袁遺は常日頃の無表情を忘れさせるような柔らかな表情で返した。

 席に案内され、茶や料理が運ばれて来る。

 茶は袁遺の好みに合わせたものだった。

 果実のものとも、花のものとも例えられる甘い香り。苦みは強いが後味は甘さを感じる芳醇な香りと味の茶だ。

 値は張るが、かつて袁遺から渡された莫大な支度金がまだ残っている。もらい過ぎの思いがあったので、主に返すつもりで奮発した。

 料理は饅頭と(ピン)に何かを挟んだもの。饅頭は中身がそれぞれ違う。

「美味しそうだな、それじゃあいただこうかな」

「ど、どうぞ」

 袁遺はまず饅頭を手に取る。蒸されたばかりだから、まだ温かい。

 饅頭の中は甘い餡だった。

「美味い」

 袁遺は無意識のうちに呟いた。

 それを聞いた雛里は顔をほころばせる。

 袁遺はもう一口齧り、味わう。

 甘味と柑橘類の風味が口腔内に広がるが、何の餡か袁遺には見当がつかなかった。

「橙か何かの香りがするけど、他にも色々入っているな。これは何の餡だ?」

「それは蓮容餡です」

 雛里が答えた。

「ああ、蓮の実(種子)か」

「はい、それに春華さんから頂いた金柑をお酒で煮詰めたものを刻んで、煮汁ごと餡に練り合わせたんです」

 つまり、金柑の甘露煮である。

 金柑の爽やかな香りのせいか、ねっとりと甘い餡だがしつこさを感じさせない。

 袁遺はお茶を飲む。苦みが強いお茶なので甘いものとよく合う。舌に残った甘さが洗い流される。

「じゃあ、次はこっちのを食べようかな」

 次に取った饅頭は口に運んだときに鼻腔をくすぐった香りで何の饅頭かすぐに分かった。

「……桃包(タオバオ)、桃の饅頭だな。桃の良い香りがして、こっちも美味いよ」

 本来なら甘みの強い餡であるが、雛里の作ったものはそれほど強くない。甘みというより桃の風味を楽しむという趣向だった。

「こっちの(ピン)は何かな?」

 饅頭から目先を変えて、薄く焼いた小麦の料理である(ピン)に手を伸ばす。

 袁遺は、これを先の反董卓連合との戦場でも食べたが、そのとき食べたものは生地に何かを練り込んだりも、何かを挟んだりもしない小麦粉に塩を加えて焼いただけのものであり、腹が膨れる以外何もない味気ないものだった。

 だが、雛里が作ったものは戦場で食べたそれとは違い、芳ばしい香りが食欲をそそるものだった。

 そして、食べてみると予想を超える味だった。

 表面はパリッとしていて、中はもっちりしている。また、豚肉のミンチを炒めたものが包まれていて、さしずめ中華風ミートパイだ。

「肉にしっかりとした塩味がついているな。甘いものを食べた後に塩気の強いものが、また嬉しいな」

「それは(かい)(保存のために塩漬けにされた肉)を叩いて炒めたものを包んでみました」

 塩気が甘さとは違った趣で茶と合い、気分が変わり、また甘いものが食べたくなる。饅頭の中身も、それぞれ別のものが包まれているようで、それも楽しみだ。

「雛里、どれもとても美味しいよ。今日はありがとう」

 その袁遺の言葉に雛里は胸がいっぱいになった。

 そして、それが溢れ出したかのように顔が緩み、自然と笑顔になる。

 えへへ、と笑う雛里に、袁遺もまた目を細める。

 人通りが少ない場所にあるため、静かだ。

 静かであるが、ふと雛里は思った。

「そう言えば、何故、伯業様はもっと良い場所の屋敷を断ったのですか?」

「あ、ああ、それは……」

 袁遺は言い淀んだ。

「あ、言いにくいことであれば別に」

「いや、まあ、そのなんだ……与えられる予定だった屋敷の近くに、叔父上が愛人を囲っていてな……もし愛人に会いに行く叔父上に遭遇したら気まずくて……」

 と最後の方は、恥じるように声が小さくなる。

「あわわ」

 雛里が顔を真っ赤にしながら、いつもの口癖を言った。

「今、言うことじゃなかったな。申し訳ない」

 そう言った袁遺の顔には、この男にしては本当に珍しく照れからくる赤みがさしていた。

 雛里は思わず、まじまじと見つめてしまった。夏の日に雪を見た気分だった。

 それに気付いた袁遺は意図的に拗ねた顔を作る。

 雛里が申し訳なさそうに、あわわ、と言った。袁遺は柔和な表情をして、いいよ、と返した。

 今度は、からかわれたことに気付いた雛里が拗ねる番だった。

 袁遺が笑った。それにつられて雛里も笑う。

 問題が山積みの状況であったが、今は穏やかな時間が流れていた。

 そして、この穏やかさが、ほんの一瞬のものであることを袁遺と雛里は理解していた。

 だから、惜しむように大切にこの時間を味わう。

 だが、この時間を破壊する出来事は、すぐにでも起ころうとしていた。

 

 

 北方で、戦塵が舞おうとしている。

 




補足

・略奪行為は遊牧騎馬民族にとって大きな意味を持ち
 結論から言うと略奪行為は、遊牧民の指導者の権威と民たちの結束を強化するための儀式である。
 匈奴や鮮卑を例に詳しく説明する。
 騎馬遊牧民が略奪の対象にしたのは人民、穀物、そして畜獣である。
 人は情報を聞き出したり、農業や製鉄業に従事させていたようだ。匈奴ではロシアのバイカル湖の南にあるイヴォルガ城塞址から、その痕跡が発見されている。
 穀物は家畜の食料および拉致した漢民族の食料として消費され、遊牧民族はあまり食べなかったようである。
 そして、略奪品の中で最も重視されたのが畜獣である。
 まずは遊牧経済における再生産活動の恒常化である。
 家畜との有機的な結合によって生活が支えらている彼らにとって人口の増大や不意の天災による家畜の喪失に常に備えておかなければらない。
 また、馬を売買していた形跡もあり、馬を略奪するということは、その商品価値を高めると同時に中華の軍事力を削るという一石二鳥の効果があった。
 これらの略奪品の分配方法が騎馬遊牧民族にとって大きな意味を持っている。略奪品の分配の差配は君長や王の権利である
 『史記』に曰く、匈奴では、攻戦で斬首や捕虜を得た者は一卮の酒を賜り、取得した鹵獲品がそのまま単于より与えられるとある。
 また、ユーラシアの騎馬遊牧民族のスキタイでも同じであった。ヘロドトスの『歴史』には、戦場で殺戮した敵の首級を持ってくると王より酒が与えられ、略奪品の分配に与ったとあり、洋の東西を問わずに、遊牧民族国家にはそういった性質を持つ。まあ、スキタイの起原はアジア系の遊牧民族という説が現在では有力視されているため、元を辿れば、両者は同じ民族ということになるが、これは余談に過ぎる。
 話を戻して、確かに敵の首級を上げるという個人的な武勇が称賛されたとしても、略奪戦は集団戦である。ひとりで大量の家畜や捕虜を獲得するのは不可能だ。
 そこで重要になってくるのが指揮官の軍事的才能であり、その指揮官とは君長や王である。
 民は指導者に他の部族による略奪の防衛、牧草地の確保、遊牧経済再生産の為の略奪の指揮などを求めたのである。
 指導者はそれができるだけの強さを見せねばならず、それができないと思われれば、その座が追放されるので、略奪をやめることができない。


 あ、今回も前回と同じで、涼州の人と話して、飯食って終わった。もう少し構成を考えないといけないな。まあ、次回はガラリと話が変わるので許して欲しい。


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