異・英雄記   作:うな串

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10 北方に戦塵が舞って―――(後)

 

 

 沽水は漁陽郡に住まう人にとって重要な河である。

 世界で最初に水力渾天儀を作った張衡(ちょうこう)の祖父の張堪(ちょうかん)が後漢の初めに漁陽太守を務めたとき、彼は沽水を農地用水として多くの稲田を作り、その栽培方法を民に教え、彼らを富ませてやった。それ以来、漁陽郡に住む人々の口を賄う重要な農地を支えている。

 その沽水に臨み、公孫賛は対岸を睨むように苦い視線を送った。

 友人の袁紹と戦う。その予感は反董卓連合に参加したときからあった。だから、戦うことに戸惑いや躊躇いはない。

 だが、このタイミングで戦うとは思っていなかった。

 公孫賛は、てっきり袁紹軍は葪を囲んでいると思っていたのだった。

 袁紹軍が沽水の対岸に布陣している、そのことを公孫賛が知ったのは軍議の席でだった。

 軍議が始まり、まず口を開いたのは痩せ気味という以外は特徴の捉えづらい男だった。あと少し目鼻立ちがはっきりしていれば人目を引く様な好青年に見えるだろうが、彼の顔は魅力のない平凡な顔立ちだった。

 男の名は関靖。公孫賛の配下のひとりである。

「各地の噂によると袁紹軍は鮮于輔・蘇僕延の軍を濕余水の周辺で撃破した後、沽水に布陣したようです。これについては斥候が対岸で確認しました」

「規模は?」

 公孫賛が尋ねる。

「五万くらいのようです」

 関靖が答えた。

「五万だと? どうなっているんだ。劉虞は? 葪の城は落ちたのか?」

 次に尋ねたのは妙齢の女性だった。名を厳綱。

 厳綱の声には力があった。経験によってのみ宿るであろう重みだった。

「分かりません。戦死したとも、健在だとも……ともかく情報が錯綜しています。ただ、我々が土垠に着いたとき、魏攸殿が残していった者からの情報だと、囲まれてはいるが健在だったようですから……」

 関靖は語尾を濁しながら答える。

 この場の共通認識として、たとえ劉虞がすでに討たれていたとしても軍を引くという考えは公孫賛陣営にはなかった。

 ここで退くということは袁紹軍に休息を与えることで、兵を休めたら袁紹は必ず再び攻めてくる。なら、遠征と連戦の疲れがある今の内に袁紹を叩いておいた方がいい。そう公孫賛たちは思っていた。そして、その認識は正しかった。

 問題はどうやって袁紹軍を撃破するかである。

 そのことで、まず関靖が口火を切った。

「軍を大きく迂回させるのはどうでしょうか?」

 沽水の遥か上流を迂回して、沽水と濕余水を越えて袁紹軍を側面奇襲する。河を二度越えなければならない地点は袁紹軍の警戒も緩い。それと並行して囮の部隊で陽動攻撃を仕掛け、袁紹軍の目をそちらに向ける。

 それに対して厳綱から反対意見が上がった。

「そんな時間をかけなくても、袁紹軍の兵の薄い所を複数捜して、そこを一気に突破すればいいだろう」

 厳綱の意見は河川防御の問題点を突いたものだった。

 河川防御では渡河点を全て抑えようとすると、どうしても兵力薄い部分が出てくる。そこから渡河を許し、再集結の前に各個撃破される可能性があった。

 関靖と厳綱の意見にはそれぞれの性格が大きく反映されており、またそれぞれが問題を持っていた。

 関靖は慎重な性格である。

 彼はそうであるが故に劉虞がまだ健在と仮定して、その劉虞軍を抑えるための兵力をまだ袁紹軍が持っていると考えていた。つまり、目の前の五万以外にも兵がいると袁紹軍を過大評価したのだ。

 だから、厳綱の案のようにまともに敵の河川防御に付き合うのは危険と考え迂回案を持ちだしたのだった。

 対して、厳綱は公孫賛軍の中でも最も武闘派だった。年を重ねても戦意は衰えるということを知らない。だから、全てを独力で解決しようとしている。

 彼女は劉虞の野戦指揮官としての能力に疑問を持っていた。

 幽州に住まう者として劉虞の人徳や為政者としての能力にケチをつけるつもりはない。公孫賛軍の糧秣の手当てを部下に整えさせたことから戦争について全く無能だとも思っていない。しかし、実戦指揮官としては信頼できるほどの実績がなかった。

 だから、劉虞が健在だろうがそうでなかろうが何の関係もなかった。なので、劉虞の存在を勘案に入れていない。そのため、袁紹軍の別働隊という可能性も頭にない。

 そして、双方が抱える問題とは同じことだった。

 いや、関靖と厳綱だけではない。公孫賛軍全てがある問題に嵌っていた。

 軍は目的を定めて、その達成を目指して行動する。

 だが、中にはその目的を達成することに縛られ、敵の目的を考慮に入れることを忘れてしまうことがある。

 戦争や軍では決して珍しくないことだった。どころか世の中に独善的に振舞うことを何ら恥と思わない人間の少なくないことを思えば、軍に限った話ではない。

 公孫賛軍は目的達成に向かっているようで、その実は自分たちが設定した中でグルグルと回っているだけであった。

 ふたりの作戦は袁紹軍が河川防御に固執することを前提に立てられていた。

 しかし実際のところ、袁紹軍は河川防御に固執していなかった。河川防御とは言うまでもなく手段であり目的ではない。不利になれば袁紹軍はあっさりと軍を引くだろう。

 それが公孫賛軍の陥っている状況だった。

 ただし、これは関靖や厳綱、公孫賛の能力の問題だけではなく、袁紹軍が全軍で沽水に布陣したからこそできた状況であり、公孫賛側のみを責めることはできない。

 公孫賛は厳綱の策を選択した。

 公孫賛……いや、白蓮は知らなかったが、この選択には意味があった。しかし、その意味を知ることは決して彼女にはできなかった。それはそうだ。正史において関靖の策を選んだために公孫賛が袁紹に敗れたなど、後代の歴史学者の一意見に過ぎない。そして何より、その道を選んだ先もまた破滅である。

 自分たちが嵌っている状況に誰も気づかないまま公孫賛たちは戦闘へと流れ込んでいくのだった。

 

 

 その日、厳綱にとって、ひとつの小さな幸運とひとつの大きな不幸があった。

 小さな幸運とは、沽水が増水はもちろん、荒れてさえいなかったことである。水温も冷たくはあったが、渡河の最中に低体温症になるほどでもない。馬もこれくらいなら嫌がったりしないだろう。

 水深は歩兵で言えば腰に届かないくらい、騎兵で言えば腹に水面がつかないくらいである。

 厳綱は部隊に渡河を命じた。部隊の規模は七〇〇〇。

「まずは押せ」

 明快な命令である。後のことはそのときになってから考える。そんな意味が含まれた言葉だった。

 水が跳ねる音、白馬の嘶き、軍鼓の響き、兵たちの声、金属同士がぶつかり合う独特の甲高い音。戦場音楽、その前奏曲ともいえる音と共に厳綱隊は渡河を行う。

 敵が兵を集める前に素早く守備隊の突破を果たすためには、何よりも速さが優先であった。

 その点で言えば、公孫賛隊は精強であった。

 これが練度の足りぬ軍であったならば、物資が流されたのだの、どこに行ったかさっぱりわからない部隊などが出て来て、指揮官はその対応に追われ渡河の段階で、まるで一戦を交えたような疲労感に襲われているだろう。

 しかし、厳綱の部隊は混乱もなく、その半数が対岸へと辿り着いた。

 だが、そのとき、厳綱たちに箭が降り注いだ。

 最前衛の兵が一〇人ばかり倒れる。

「落ち着け!!」

 動揺が広まる前に、戦場に一喝が響く。

 厳綱のものだった。

 各中級将校たちにも突然の攻撃に驚きはない。すぐに厳綱の意図を察し、兵の動揺を抑えにかかる。

 半ば渡らしめて之を撃つ。河では敵を半数渡らせてから、敵全軍の状態が整っていないときに攻撃した方が良い、など兵法の基本中の基本である。この攻撃は予想の範疇であった。

 どころか、厳綱は冷静だった。

 箭の数は一〇〇〇くらい、距離と直線的に飛んできたことを考えると弩か。なら、敵はどう多く見積もっても二〇〇〇。十分、今の戦力で対応できるな。

 飛んできた箭の数と受けた被害の数から敵の規模を推測して、即座に決断を下した。

「突撃隊形を取れ!」

 号令はすぐに、軍鼓によって軍へと伝えられる。

 騎兵は素早さこそを身上としている。弩に次の箭を番える隙に隊列を整えた。といっても、数は多くない三個中隊規模である。

 そんな騎兵たちに厳綱は命令を下す。

「突撃!」

 言葉が発せられると同時に騎兵たちは駆けだしていた。

 公孫賛軍、その最大の特徴は白馬義従と呼ばれる烏丸族の中から、特に騎射の上手い兵士を選び、白馬に乗せた精鋭たちである。

 乗り手が乗り手なら、馬も馬である。

 全ての白馬は馬格が良い。それが疾走する姿は勇壮のただ一言だった。

 だが、対峙する部隊もまた豪胆な指揮官と兵たちだった。

 その疾走する騎兵相手に陣を乱すこともなく、可能な限り引き付けてから、箭を放った。

 一〇騎以上の騎兵が倒れる。

 即死した者。箭の負傷と落馬の痛みで苦しむ者。

 その光景を厳綱は、枝から外れた木の葉が地に落ちるといった自然現象を眺める様な面持ちで見た。もしくは数学の計算結果を見るのに近い感覚で受け取った。

 兵に死ねと命令する立場を得た者からすれば、目の前の光景は戦場では日常である。少なくとも、そうであると信じ込まなければ人としての何かを保つことができなかった。

「おい、あれはどこの部隊だ?」

 厳綱が傍らの幕僚に尋ねる。その調子はまるで世間話でもするようであった。

 それに幕僚のひとりが、たなびく旗の『麹』の字を確認して答えた。

「おそらく、麹義の部隊ではないでしょうか」

「ふーーん、麹義か」

 平坦な声で厳綱が呟いた。別に不機嫌になったわけではない。二〇〇〇に満たない数で七〇〇〇の軍を喰い止めている敵の手腕に感心したのだった。

 

 

 厳綱が散りゆく兵士に乾いた感情を持っていたのと同様に、彼女たちと対峙している麹義もまた同じ感情を抱いていた。

 河の近くであり、農水地に利用されているため、それが決壊せぬようにある程度整備されている。緩やかながらも傾斜が作られ土手になっているのだった。それは馬を疾走させるには、決して良いとはいえない地形である。

 だが、そんな場所で公孫賛軍の兵たちは実に巧みな操馬術を見せ、硬く陣形を組んだ麹義隊に騎射を行った。

 麹義隊の兵の数人に矢が当たる。

 絶命した者はいなかったが、痛みでのた打ち回り、陣形を崩した。

「陣の破れをふさげ。負傷兵は後ろに退げろ」

 麹義は、まるで簡単な雑用でも頼む様な調子で命じた。

 今のところ、こっちが有利だ。麹義は自分の命令が実行される光景を見ながら思った。

 事実だった。

 麹義隊は厳綱の部隊に対して優位を獲得していると言って間違いなかった。

 弩兵は前衛の盾と槍を持った兵に守られ装填することができるし、その前衛の兵も絶命した者はともかく、負傷した者が治療を受けるところを見て、自分も負傷をしたときにそれが受けられると期待することができた。

 これに対して、厳綱の兵は馬上で全身をあまねく晒していた。

 彼らの頼れるものは確率という名の幸運だけだった。

 そして、傷を負った者は泥にまみれながら、のたうち回り泣き叫ぶぐらいしかできなかった。

 精神的な優位があるうちに、敵の先に渡河した隊を叩いておきたい。

 麹義は超然さと傲慢さが混じった表情で仁王立ちして、戦場を眺めながら思った。

 彼と彼の兵に与えられた命令は『別命あるまで可能な限り抗戦を継続すべし』だった。

 周囲に展開している部隊が合流するまでの時間を稼ぎ、合流した後に渡河した敵を囲んで叩くという考えに基づいて下された命令だった。

 それは現場の指揮官にかなりの裁量が委ねられた命令でもある。抗戦の方法や撤退の時期まで指揮官が選択することができた。

 袁紹軍は河川防御を選択したが、決して河川防御に固執しているわけではなかった。

 だから、前線の部隊とその指揮官は固守を命じられていない。不可能と判断した場合、後方に退がることを許されている。

 それを援護するための対策も行われていた。

 司令部の命令を待っていたら手遅れになる場合にいくつかの区画に分けて軍師を配置し、その軍師の指揮下に後代の言葉で言うところの二個大隊規模の部隊を付けている。その部隊で撤退の援護を素早く行う。また、敵に突破された場合は、その穴埋めを行う役目も負っていた。

 ただし、戦闘中の部隊を後退させることの難易度は高い。殆んどが部隊を後退させた途端に、それは後退から敗走へと変わる。

 そのため、指揮官たちがそれぞれ得意な抗戦方法を選択できるような自由度を与えたのだった。

 得意な戦術で戦い、できるだけ敵に損害を与えて、後退できるだけの抵抗力を維持する。

 例えば、これが袁遺軍の張郃であったなら、遊撃戦を選択し運動防御を絡めながら敵を足止めしただろう。

 そして、麹義の選択は陣地防御だった。

 麹義の選択は正しかった。

 彼の部隊は精強であったが、袁遺の臣下たちの部隊ほどの柔軟性はない。なら、このまま地形に拠って抗戦を続けるしかなかった。

 麹義は兵に無情に近い感情を抱いたように自分自身にも、ある種達観の領域に入りつつあるものを抱いた。

 この優位はどれほど保つかな……

 公孫賛軍は少なくない出血をしながらも決して崩れようとしなかった。

 か弱かった中隊規模の騎馬兵は続々と後続が加わり大隊、連隊規模まで膨れ上がる。号令の度に攻撃を加える兵の数は増え、自陣へと放たれる矢の数も増えた。

 損害は今のところまだ公孫賛軍の方が多かったが、いずれは数の差で揉み潰されるだろう。

 時間だ……

 麹義は思う。

 勝敗を分かつのは兵の練度でもなければ、指揮官の能力でもない。ただ、時間のみがそれを決する。援護の部隊が来る早さによって、その戦力増加に対する兵の士気の上がり方も変わる。早ければ早いほどいい。だが、それを加えても、どんなに保って半日そこら……その間に軍が集結できるかだ。幸い、俺の隊の近くには顔良殿と文醜殿の隊がいる。なら、下手に退くことを考えるよりも陣地に依って長く抗戦を続けた方が生き残る可能性が高いだろうな。というより、接敵した場所が悪過ぎた。こんな真正面から接敵すれば、逃げるなんてことは不可能に近い。

 思考を巡らせる麹義の足元に一本の矢が突き刺さる。

 彼はそれに一瞥をくれると、兵たちに聞こえるよう叫んだ。

「下手くそがッ!! そんなもので俺が殺せるか!!」

 麹義の顔には不敵な笑みがあった。まことに楽し気で快活さに溢れている。

 それは兵たちにとって、勇気づけられることだった。

 さらに、兵たちの士気を上げることが起こった。

 後方に砂塵が見えたのだ。

「味方が到着したぞ!」

 兵のひとりが歓喜の声を上げた。

 沸く兵士たちとは対照に麹義の目には、自分にとって最悪のことが写っていた。

 厳綱の部隊の渡河が完了したのである。

 ここから、どれだけ持ち堪えられ、どれだけ敵に損害を与えられるかだな……

 麹義は自分と自分の部隊が死線を彷徨っていることを静かに確信していた。

 

 

 麹義隊と厳綱の部隊がぶつかったことと、また別の箇所でも公孫賛軍が渡河を試みたことも、すぐに袁紹軍の本陣に知らされた。

「どうしますの?」

 その報告を受けて、袁紹は本陣付きの軍師である沮授に尋ねた。

「麹義隊の周辺の部隊はすぐに麹義隊に合流し、敵を撃破。公孫賛の方は事前に決めた通りに、そのまま別命あるまで可能な限り抗戦を継続せよ、と命じてください」

 沮授が答える。

 そして、布陣図を眺める。

 この沽水周辺の地図の上に、配置した部隊に見立てた駒が置かれている。

 沮授の頭の中で戦争の推移、それについての計算が始まっていた。

 麹義隊の近くには袁紹軍の二枚看板である顔良と文醜の部隊がいる。その打撃力から考えると麹義隊が両将軍の部隊が来るまで敵を拘束できたら、一挙に敵を揉み潰す公算が高い。それに、あそこの区間を担当している軍師の辛評も手堅い仕事ができる軍師だ。麹義隊を援護するのも、そつなくこなせるだろう。問題は……

 沮授は目線を公孫賛軍の渡河地点に移す。

 その区画を担当している軍師は郭図だった。

 沮授の脳裏に暗い発想がチラついた。

 固守を命じる。おそらく苦戦を強いられるだろう。そこで戦死してくれればいい。たとえ死なずに部隊を退いても軍令違反で処罰できる。

 暗い、あまりにも暗い考えである。

 だがしかし、沮授の中でその暗い考えの肯定化が続いた。

 間違いなく郭図は今、自分がこの遠征で田豊殿の代わりに筆頭軍師の地位いることを妬み、引きずり降ろそうとしてくる。田豊殿が留守を守るときは自分が筆頭軍師を務める、そんな前例ができてしまったんだ。あの男にはそれが我慢できないだろう。だから、これは予防攻撃だ。今、自分たちが行っているのと同じだ。袁遺との戦いになったとき、後ろから攻められたら困るから劉虞を討つ。それと同じだ。これには奴も賛成した。いや、一番初めに奴が言い出した。だから文句なんてつけさせない。

 不健全な思考を走らせながらも、沮授は踏みとどまった。下手なことをすれば負けるからだ。

 だがしかし、未練があった。その未練と共に暗く粘ついた思考の海を泳いでいた沮授を現実へと引き戻すものがあった。

「劉虞軍については、何か分かっていませんの?」

 袁紹の問いかけである。

 沮授は落ち着いた理知的な表情と声で主の問いかけに答える。

「後方一四里(約七キロ)に偵察部隊を派遣しましたが、劉虞軍の姿がありませんでした」

 先程まで暗いことを考えていたことを思わせるものなど何ひとつない態度だった。

「こちらを今すぐに襲撃しようとすれば、一〇里(約五キロ)……どんなに遠くても一四里以内の距離にいるはずです。ですから、劉虞軍に攻められても致命的な時機で襲われることはないでしょう」

 このとき、劉虞は斥候の情報から袁紹が公孫賛軍を沽水で迎え討とうとしていることを知って、軍を整え沽水へと向かっている最中であった。

 劉虞の行動は遅すぎた。

 しかし、そのことで劉虞を攻めるのは酷だった。公孫賛が到着していない状況で一万六〇〇〇で野戦に打って出るのは野戦指揮官としての能力の不足を自覚している劉虞にとっては、できない決断であった。むしろ、独断で葪の包囲を解き本隊に合流した辛毗の判断を褒めるべきだった。

 公孫賛と厳綱の渡河から時間は経過したが、戦況は徐々に袁紹軍の有利に傾いていた。

 それが最初に目に見える形になったのは厳綱と麹義が対峙している場所でだった。

 

 

「やるな~~」

 厳綱は思わず唸った。

 麹義隊が予想以上に粘り強く抵抗したのだ。

 自分の部隊全ての渡河が完了した後、一旦、陣形を整えるために突撃を中止させたが、麹義隊もその間に増援を自分の部隊に取り込み、陣形を組み直した。

 増援といっても一〇〇〇名くらいである。それほど大きな問題はないと厳綱は考えた。

 だがしかし、麹義は驚嘆に値する粘りを見せ、最初の渡河が完了した一部の部隊の突撃から合わせた都合七度の騎兵突撃に耐え、弾き返した。

 そして、攻撃の度に小さくなっていくとはいえ、未だに陣形を保っているのもまた驚愕を通り越して尊敬さえも厳綱の胸に抱かせた。

 だが、厳綱は勇将と精兵の何たるかを戦場で示し続けている敵の将兵に素直に賛辞を送れる立場にない。

「敵の両翼に援軍が、右翼に『顔』、左翼には『文』の旗。顔良と文醜、袁紹軍の二枚看板です!」

 幕僚のひとりが叫んだ。

 更なる援軍の到着で兵数差が逆転し、一気に不利へと追い込まれた。このままでは包囲され沽水へと叩き落とされてしまう。

 それを悟った厳綱は乾坤一擲の勝負に出た。

「完全に包囲される前に敵の中央を突破する! 楽隊よ! 突撃の太鼓を鳴らせ! 我に続け!!」

 厳綱を先頭に彼女たちはひとつになり、麹義隊へと向かって疾走した。

 彼女たちの誰ひとりとして恐れを抱いていなかった。

 敵中央―――手負いの麹義隊を突破すれば敵の右翼か左翼の後ろを取ることができ、戦況は再び厳綱の有利になる。そのことを分かっていた。

 突撃の際の騎兵は、鞍上が酷く揺れる。そんな状態で彼らは剣や槍、戟で馬や自身を傷付けぬように独特の姿勢をとる。

 尻を軽く浮かせる前傾姿勢で、得物を持った腕は肘を折り、柄を肩に押し付ける。不自然で、お世辞にも格好良くない姿であるが、戦場で騎兵の活躍を見たことがある者にとっては暴力が匂い立つようだった。

 嘶きと地響きを戦場に轟かせ、泥を巻き上げながら騎兵たちは疾走する。

 麹義隊から矢が放たれる。

 援軍が来たことにより弩による直線的な軌道の箭だけではなく、弓による曲射も加わっている。

 厳綱隊の前衛が六騎倒れる。

 厳綱自身には掠めもしなかった。

 彼女はただ麹義隊、その向こうを見据えた。あの向こうには勝利がある。

 常識や戦術を無視して厳綱たちは麹義隊へとぶつかった。

 両軍の陣形が乱れる。

 だが、もう陣形などどうでもいい。前方の敵を揉み潰しさえすれば、そこには勝利があるはずだった。

 八度目の騎兵突撃の前に麹義隊はとうとう崩れた。

 潰走する麹義隊の兵士たち。辛うじて統制を保って後退することができたのは、隊長である麹義の周りの四〇名ほどの兵士のみであった。

「征けーーーーー!!」

 厳綱は叫んだ。穂先で潰走する麹義隊の先を、勝利があるだろう丘の先を示しながら声が枯れんばかりに叫んだ。

 騎兵は敵を蹴散らしながら、疾走する。

 だが、丘の先にあったのは勝利でなく、布陣が完了した袁紹軍の増援だった。

「―――――ッ!!」

 厳綱隊のその光景を見た兵たちが声にならない驚愕の呻きを同時に上げた。

 その袁紹軍の増援から矢が一斉に放たれる。

 先程まで、あれだけ戦意に満ちていた厳綱隊は一瞬にして士気が喪失した。

 新たな敵の攻撃で止まった騎兵と、その敵の存在を知らない後ろから来た騎兵とで渋滞が起こる。

 そこへ矢が降り注ぐ。

 悲鳴と怒号が交差する中で死者が量産される。

 厳綱は部隊を纏めようとして、辺りを見渡し、それを見つけた。

 『麹』の旗を掲げ、小さく纏まった四〇ほどの部隊が自分に向かって弩を構えていたのである。

「あ……」

 小さく声を上げた厳綱に四〇発の箭が放たれる。

 厳綱の体にいくつかの衝撃が走る。ほんの一瞬の浮遊感から、今度は背に大きな衝撃を受けた。視界が一瞬、ブラックアウトする。

 撃たれた、と厳綱は思った。

 ぼやけたままの視界。嗅覚に訴えかける土の香りと血の臭い。痛みと熱を身体のいたるところで感じる。

 身体に力が入らない。彼女には見えなかったが、彼女の身体に刺さった箭の数は四発。そのうち一発は胸に深々と刺さっている。また、愛馬にも二発の箭が刺さっており、そのうち一発は額を撃ち抜いていた。馬は即死だった。

 厳綱の身体からは血液が大量に流れ、大地を真っ赤に染め上げる。もう僅かな命だった。

 徐々に混濁する意識の中で彼女は、どうやって部隊を掌握しようか考えていた。

 しかし、何も分からない。

 ただ意識が闇へと沈んでいく。

 その日、厳綱にとって、ひとつの小さな幸運とひとつの大きな不幸があった。

 大きな不幸とは今日、彼女が戦死することであった。

 そして、彼女の主である公孫賛にも苦難が降りかかるのだが、その生涯をここで終える厳綱には知る由がなかった。

 

 

「厳綱の部隊を撃破しました」

 伝令からの報告を袁紹が聞いたとき、彼女は満面の笑みを浮かべた。袁紹の中で、敗走する鮮于輔・蘇僕延軍を見たときに感じた興奮が蘇ったのだった。

「厳綱が戦死した後、残兵を顔良隊と文醜隊が両翼から包囲殲滅しました。損害が軽微な両部隊は本陣へと合流するために進軍中です」

「良くやりましたわよ!」

 袁紹は明るい声を上げた。

 それから、顔良隊と文醜隊、それに厳綱の攻勢に耐え続けた麹義隊への褒美を確約した。

 その様子を見た沮授は思った。

 この人のこういうところは本当に美点以外の何ものでもないな。

 部下の功に対して大げさに反応してみせ、戦いの最中でも褒美を惜しまないことは士卒の士気を大いに高める。

 袁紹はそれをまったくの無計算で行っていた。

 こういったときの主は本当に人の心を明るくする。世間で冀州牧は無能だと噂する者もいるが、少なくとも、この一点がある限り我が主はまったくの無能ではない。

 それは袁遺にはない袁紹の長所だった。

 特に袁紹が置かれている状況で素直に明るい反応を示せるのは無神経なまでの豪胆さが必要だった。

 袁紹は今、危険な状況の只中にいた。

 公孫賛に対して展開した部隊(規模は二個大隊)は早い段階で後退した。

 だから、損害は軽微であったし、その後に郭図が素早く撤退の援護と周辺の部隊を指揮下に組み込み、公孫賛軍を相手に遅滞防御戦闘を行ったため軍を集結させることができた。

 この郭図の働きは素直に称賛に値した。

 これが並の指揮官だったら遅滞戦闘を行えていなかっただろうし、並以下の場合、援護するはずであった部隊と共に潰走していただろう。郭図はただの性格が悪いだけの男でないことを戦場で証明していた。

 だがしかし、それでも限界がある。

 郭図が公孫賛軍を支え切れなくなる前に軍を集結させ、公孫賛と戦わなければいけない。

 現在の袁紹の公孫賛に割り当てている兵数は約八〇〇〇。これは遅滞戦闘を行っている郭図の手勢も合わせた数である。はっきりいえば、心許ない数字であった。

 そんな状況だから、合流してくる両部隊の士卒の士気を上げるようなことを言うのは当然といえば当然であるが、豪胆さが要求されることだった。

 しかし、公孫賛が絶対的に有利という状況でもない。

 公孫賛の兵数は袁紹と手元の兵とほぼ同数の八〇〇〇弱。兵力で袁紹の正面戦力に勝っているとはいえなかった。

 それに何より公孫賛軍は袁紹軍の意図を未だに勘違いしている。それは判断ミスに繋がることだった。

 事実、公孫賛は判断ミスを犯すことになる。

 

 

 公孫賛は遅滞防御戦闘を行う敵部隊に、顔にまとわりつくハエの様なしつこさとウザったさを感じた。

 渡河の後の彼女は一〇〇〇名規模の部隊とぶつかった。

 その部隊はしばらく抵抗を続けると公孫賛軍の攻撃の切れ目に乗じて後退を始めた。

 公孫賛はそれを追撃する。

 後ろから強力な騎兵突撃を受けた部隊は一気に潰走寸前まで陥る。

 その部隊を救ったのは件のしつこい部隊だった。

 郭図の部隊である。

 郭図隊は公孫賛の部隊の横っ腹に縦隊突撃を仕掛け、追撃の足を止める。

 その隙に潰走寸前であった部隊は公孫賛の攻撃から脱し、また別の部隊の援護が受けられる場所まで移動し、隊列を整えることができた。

 その後は相互支援しながら、公孫賛相手に遅滞戦闘を行っていた。

 敵を潰走に追い込むまで、あともうひと押し足りない状況が続いた公孫賛は自分から見て敵の左側後方に新たな砂塵を発見した。

 袁紹の部隊だった。

 耐えきられたか……

 公孫賛は眼前のしつこい部隊に、とうとう袁紹の本軍が到着するまでの時間を稼がれたことに歯噛みする思いだったが、その砂塵の規模で徐々にわかる敵の規模から、その思いを改めた。

 やってきた袁紹の手勢が想定よりもかなり少なかったからだ。

 公孫賛はそれを自分たちの作戦が上手くいっているから起こった事だと結論付けた。袁紹軍を河川の防御陣から押し出して、その戦力が集まる前に袁紹の本軍を戦場に引きづりだすことができた。そう思ったのだ。

 確かに、目の前の事象は袁紹が戦力が完全に揃う前に公孫賛相手に戦闘を仕掛けねばならない状況であるが、公孫賛の作戦が上手くいったから眼前の光景が作り出されたということは決してない。そうやって、これまで一連のこと全てが公孫賛に誤断を起こさせる要因となっていく。

 だから、公孫賛が見事な用兵を披露しても、それは勝利に結び付けづらい。

 公孫賛は郭図の部隊と袁紹の手勢が完全に合流する前に大きく陣形を乱すことを選択した。

「関靖、騎兵一〇〇〇を率いて、敵の右側面に大きく回り込め!」

 公孫賛は関靖に命を下す。

 公孫賛の狙いは袁紹軍の両部隊に大きな間隙を作ることだった。

 郭図は側面(袁紹たちから見れば左側面)を突かれないように部隊全体を左に移動しなければいけないが、それだと袁紹の本隊との間に大きな間隙ができることになる。そうなると今度は右側面に危機が訪れる。もしくは袁紹の左側面を脅かされる。

 また、部隊が左に移動しなくても左側面を突くことができるので、それはそれで問題はない。

 問題を挙げるとすれば、逆に敵が公孫賛と関靖との間にできた間隙に突っ込んでくることだが、遅滞戦闘の部隊の騎兵の少なさから、それは大した脅威にならない。

 この公孫賛側の動きに郭図は左へと動かなかった。ただ新たな戦列を作って対応した。

 その戦列を関靖が襲った。

 それだけではなく、公孫賛も郭図隊の正面に襲い掛かり、押し込みにかかる。

 郭図隊は押されに押されたが、袁紹の救援が間に合い、何とか潰走せずに済んだ。

 戦場は一時的に膠着状態になるが、公孫賛軍が明らかに優勢であった。

 にも関わらず、袁紹軍は戦況を変える手を何ら打たなかった。

 公孫賛はその意味を考えた。

 予備戦力で崩れかけの郭図隊を支えるなりしてやらないと郭図隊は崩れて袁紹は左翼から一気に崩壊する。なのに袁紹はそれをやらない。何か予備隊を出せない理由がある。

 金属同士がぶつかり合う甲高い独特な響く音。馬の嘶き。軍鼓の音。兵たちの怒号、悲鳴、断末魔。それら戦場音楽が聞こえなくなるくらいに集中して公孫賛は考えた。

 そして、出した結論は『袁紹軍は厳綱隊に対して予備兵力を温存している』だった。

 まったくの誤った結論である。

 この時点で厳綱隊は壊滅していた。

 しかし、公孫賛はその前提からして間違っていたのである。

 だから、どんなに堅実な思考を積み重ねても誤った結論にしか辿り着かない。

 袁紹軍が河川防御が固執するという思い込みから、袁紹軍の遅滞防御を交えた計画的撤退を自分の力で敗走に追い込んでいると勘違いし、厳綱隊が健在であると誤断して敗着となる命令を公孫賛は下した。

「予備隊を投入だ! 敵右翼を崩して、一気に袁紹の本隊を叩くぞ!」

 数分後、公孫賛の手元にあった予備隊が投入された。これで彼女の周りには直接護衛兵力である一〇〇ばかりの兵しか残っていなかった。

 予備兵力の投入は戦場に劇的な変化を生んだ。

 郭図隊がとうとう崩れたのである。

 歓喜に沸く公孫賛軍は袁紹の本隊の後方に大きな砂塵が巻き上がっていることに気付いた。

 公孫賛はそれを厳綱隊が敵を突破してやって来たのだと思った。

 彼女は叫んだ。

「厳綱隊だ! これで本初を挟み撃ちにできるぞ!」

 さらに沸く公孫賛陣営だったが、それはやがて悲鳴へと変わった。

 護衛のひとりが大きな声で叫んだ。

「あ、あれは厳綱隊ではありません! 顔良と文醜、敵です!」

「……」

 公孫賛は言葉が出なかった。

 何故なら、公孫賛は自分が正しい判断を下し続けていたと信じていたからだ。

 しかし、その実はただ自分が勝手に設定した状況の中でしか意味を持たないことに持てる全ての努力を傾けていただけで、現実では事態の好転には何ら寄与しないことであった。

 それを公孫賛は理解できなかったし、また、手元に残された兵では顔良と文醜の隊に対して有効な手を打つことができなかった。

 

 

「行くぞ、斗詩!」

「うん、文ちゃん!」

 文醜と顔良は互いに先頭を切りながら、公孫賛隊の無防備な横っ腹へと鋭く切り込んでいった。

 戦況は瞬く間に逆転する。公孫賛軍は一気に瓦解した。

 沮授はそれを眺めて、一息つきたくなった。

 その理由は勝利の喜びからでも、緊張からの解放からでもない。彼は先程まで主の袁紹から苛立った声を浴びせられていたのだった。

 原因は予備戦力の投入である。

 袁紹は崩れそうな郭図隊に対して予備隊を出して、援護するように命令を何度も下そうとしたのだ。

 しかし、その度に沮授が予備隊は劉虞に備えて手元に温存するようにと押し留めたのだ。

 それを繰り返すうちに自分の言うことを聞かない沮授に袁紹は不機嫌になっていた。

 だが、そんな袁紹も今は上機嫌な顔で状況が好転した戦場を見ている。

 それに沮授の判断が正しかったことが、もうすぐ証明されるのであった。

 公孫賛の部隊は混乱の極致にあった。

 そんな状況でふたつの砂塵が遠くで起こり、部隊が戦場にやってくることを予感させた。

 ひとつは辛毗が約三〇〇〇の手勢を率いて袁紹の本隊に合流を目指していた。

 そして、もうひとつは劉虞の軍であった。

 沮授は冷静な声で言った。

「予備隊を出して劉虞軍の前衛を防いでいる間に辛毗と合流しましょう。公孫賛の方も、もうすぐ片が付きます」

「伯珪さんも劉虞さんもまとめてやっておしまいなさい」

 袁紹が戦場には不釣り合いな明るい声で答えた。

 その後、戦場は沮授の言葉通りに推移した。

 予備隊が劉虞軍の前衛を防いでいる間に辛毗と合流を果たし本隊の厚みが増した。そして、公孫賛軍を敗走に追い込んだ顔良が公孫賛を追撃して、文醜は劉虞軍に襲い掛かった。

 正面からの戦闘に必要な堅牢な思考、確かな判断、迅速な行動、それらが劉虞に欠けていた。

 だから、戦況はどんどん劉虞が不利なものへと傾いていく。戦列は乱れ、組織的な抵抗ができていない。

 劉虞軍が潰乱するには、それほど時間を要さなかった。

 軍が崩壊する中で劉虞は僅かな手勢と共に逃走を開始した。

 彼が目指した先は本拠地の葪ではなく、并州だった。

 葪に帰ったとしても、袁紹軍が冀州に帰るまで持ちこたえるのは不可能で、それなら命が危険だった。だから、并州を通り、洛陽の董卓・袁隗の元に身を寄せる算段だったのである。

 そして、もうひとり本拠地へ帰ることができずに逃げ延びることになる人物がいた。

 公孫賛のことである。

 彼女が戦場から離脱するときにも、また、公孫賛軍の将がひとり、泉下の人となった。

 

 

 顔良隊に後ろから喰い付かれ逃走の足が止まりそうになったとき、公孫賛を救ったのは関靖とその擦り減った手勢であった。

「我々が防いでいる間にお逃げください!」

 関靖は戦塵で薄汚れた格好で叫んだ。

 彼への世間の評価は低かった。関靖は酷吏(法家主義の厳罰的な役人)であり、上には謙るが雄大な計略がない小人というのが世間の評価だった。

 そんな関靖を公孫賛は粗略に扱わなかった。

 世間は公孫賛は小人を寵愛すると噂したが、公孫賛は気にしなかった。彼女は底抜けの善人である。関靖だけではない、袁紹にも劉備にも趙雲にも態度を変えるなんてことは決してしなかった。 関靖はそんな自分の主を尊敬した。恩を感じた。

 そして、その恩に報いるときは、まさに今だった。

 彼は手勢と共に顔良隊へと突っ込んでいった。

 公孫賛は、そんなことはやめろ、と叫んだが、誰も聞かなかった。

 負けはしたが、善人である主を活かすために彼女の手元に残った兵たちが顔良隊へと向かっていく。

 公孫賛はそんな彼らを止めることも、彼らと共に行くこともできなかった。そのどちらも彼がは望んでいないからだ。

「……すまん」

 それだけを絞り出す様に呟くと公孫賛は馬を駆けさせた。

 関靖たちはその命を以って、主が逃げる時間を稼いだ。

 公孫賛はその後、同じように逃げていた劉虞と合流し洛陽を目指すことになる。

 この濕余水・沽水の戦いは、予備隊を出すタイミングを間違えて負けた軍と予備隊を温存して、ここぞという場面で投入して勝利した軍。城に籠って主導権を逸し敗れた軍と野を駆け回って主導権を握り続けた軍の戦いであった。

 袁紹軍はこの戦いの成果を天下に宣伝した。

 袁遺がやったことは特別なことではなく、連合との戦いは他の諸侯が袁紹の足を引っ張ったために袁遺が勝ったように見えているだけで、袁紹軍は弱くはないと。

 その宣伝は効果があった。

 冀州や幽州の名士たちが袁紹に靡いたのだ。

 また、この袁紹の勝利に各勢力の軍師たちは、それぞれが行っていた袁遺の戦術の研究をさらに加速させることになる。

 ただ、この宣伝は知らず知らずに袁紹軍自身の首を絞めていた。

 未来で、内線作戦と外線作戦では内線作戦の方が有利であるという結論を出した軍事研究家がいる。

 それはスイス人の軍人、ジョミニである。

 彼は著書の『戦争概論』でそのことを述べた。

 しかし、現代では内線作戦と外線作戦には有利不利はないとされている。

 これは鉄道や電信の開発を抜きにしてもそうである。

 ジョミニと同じ時代のドイツ(プロイセン)の軍人であり研究家(哲学者とも言えるかもしれない)クラウゼヴィッツも内線作戦と外線作戦に有利不利がないとしている。

 袁紹とその軍師たちの不幸はふたつ。

 ひとつは袁遺の勝因は有利な内線作戦を取ることができ、さらに諸侯が袁紹の足を引っ張ったからだとしたい袁紹陣営は、外線作戦との有利不利がないことを公に口にし研究することができなくなったことだ。

 有利不利がないことが分かれば、結局、袁遺の能力によって勝たれたことになり宣伝の意味がなくなる。

 この幽州での勝利は彼女たちにとって枷ともなったのだ。

 そして、もうひとつはジョミニのこともクラウゼヴィッツのことも内線作戦と外線作戦のことも知っている男が敵にいるということだった。

 だが、幽州を征し勝利に酔っている袁紹もその配下もそのことを知らなかった。

 それに、この戦いで命を散らせた兵たちにとっては、そんなことはどうでもいいことかもしれない。

 

 

 北方に戦塵が舞って、人馬の屍が積み上がる。

 




補足

・張堪が後漢の初めに漁陽太守を務めたとき
 後漢書には張堪と名前がよく似た張湛という人物の列伝もあるから注意して欲しい。自分もこの話を書いてるときに、このふたりを間違えて、なんかおかしいぞ、と資料の再確認でかなりの時間を無駄にした。
 いや、張堪と張湛を調べる人がどのくらいいるかはわからんが……
 あと、この張堪が稲田を作り民を富ませてやる逸話は後漢書だけではなく、水経注にも載っているが、日本語版がないから読みたい人は原文を頑張って訳して。

・ジョミニとクラウゼヴィッツ
 ここで言いたいことは、確かにジョミニの内線作戦の方が有利という説は否定されたが、ジョミニ自身が優秀な軍人で参謀で研究家であることは否定できないし、『戦争概論』は後の軍事学に大きな影響を与えた名著である。
 そして、ジョミニとクラウゼヴィッツ、『戦争概論』と『戦争論』、それらのどちらが優れているとか優劣を付けたいわけではない。
 この二点は誤解しないでいただきたい。
 蛇足ながら、このふたりとその著作について軽く触れておく。
 両者はそれぞれナポレオン戦争に参加した実戦経験も参謀将校としての軍務も豊富で、将軍そして貴族に列せられた人物である。
 このふたりはナポレオン戦争での体験や戦史の知識で軍学書を書くことになるが、両者のスタンスには大きな違いがあった。
 ジョミニは科学的方法論を軍事学に導入し、戦争の普遍性を抽出しようとした。
 対して、クラウゼヴィッツは哲学、特にドイツ哲学の方法論を以って戦争とは何かと語ったのである。
 そのためか、『戦争論』はとにかく読みにくい。
 正直な話、私は『戦争論』を読破していない。二度挑戦して二度とも挫折している。それに読破は諦めて、興味のあるところをつまみ食い的に読んだのと解説本を読んでそれで済ませている。たぶん、似たような経験をした人は決して少なくないと思う。
 本当に軽くだが、これ以上はナポレオン戦争とか普仏戦争とかの話を長々とやりそうなので止めておきます。興味のある人は自分で調べるなりしてください。
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