11 転がる。
劉虞と公孫賛を蹴散らし、幽州を手に入れた袁紹の次の動きも素早かった。
彼女は南皮に帰ると兵を僅かな期間だけ休ませ、すぐに三万の兵を率いて青州との州境を越え、平原への侵攻を開始した。
侵攻の理由は沽水の戦い以降、姿をくらませている公孫賛と親しい劉備が彼女を匿っていると難癖をつけたのである。事実無根であった。このとき、公孫賛は劉虞と共に洛陽へと向かっている。
その理不尽な侵略に抵抗する術を劉備は持たなかった。
反董卓連合で袁遺と司馬懿に叩かれ、その後も青州黄巾党の略奪を受けた彼女の軍と領地はズタボロであった。劉備の手元には野に出て軍を動かすことも、城に長期間籠りつづけるだけの物資も戦力もなかった。
平原は瞬く間に陥落し、劉備もまた河北から叩き出された。
さらに袁紹は并州の上党郡を抑え、南匈奴を外交で上手く手懐け、晋陽で賊を集めて一大勢力を誇っていた張燕の孤立化を図り、并州への影響力を確保する。
黄河以北を事実上、手中に収め、袁紹はこのとき雄大であった。
そして、このことが事態を動かすことになる。
江陵、かつては荊州城と呼ばれた南郡の郡都は水の都市である。
東西六三〇〇キロ、滔々たる長江は三峡こと
恵まれた東西の水運と中華の北から南を貫く縦貫道。江陵は水陸の十字路だった。
その十字路には中華の内外の物産が集まる。そして、もちろん物産は自分で歩いてくるわけではない。諸方の商人が人足を雇い運び込むのである。物と人が集まる場所は通商交易の拠点として発展し、富と繁栄をもたらす。
そんな江陵の城でふたりの男女が碁を打っていた。
男は大きな体格であった。座っていてもそれが分かる。
彼こそが荊州の主たる劉表である。
その容貌には威厳があった。
顔の作り自体には厳つさはない。むしろ、顎のほっそりとした優し気な品のある顔つきである。
だがしかし、男のぴしりとした姿勢や眼光の鋭さには思わず姿勢を正してしまいそうな何かがあった。
特に今は、僅かに眉間にしわが寄せられた苦い面持ちであることが、それに拍車をかけた。
対して、劉表と向かい合う女性は、衆道趣味あるいは肉欲の対象が下に突き抜けすぎている男以外の目を奪う美貌と肢体の持ち主だった。濡れた様な髪が艶めかしくうねっている。
こちらは劉表と違って涼し気な様子だった。
彼女は蒯越。字は異度。
劉表を荊州牧に押し上げた立役者のひとりであり、劉表の参謀格である。
といっても彼女は、例えば袁遺における雛里の様に作戦の立案や修正、部隊指揮と軍事方面で活躍するようなタイプの参謀ではない。
蒯越は権謀術数に長けた謀臣だった。
彼女は劉表が荊州を掌握するのに邪魔な荊州の名士や劉表の様に事情があって他所から流れてきた人士をその知謀と弁舌を以って懐柔、ときには排除してきた。
彼らの対局は中盤戦に差し掛かっていた。
そこで劉表が手を止めたのだ。
劉表と蒯越は対局を数え切れないほど重ねてきた。だから、お互いの実力や癖は分かっている。
囲碁の中盤は基本的に今ある利益を確定するように打つか将来を見据えて広く打つかの二択である。
その方法として自分の弱い石を守るように打つとか相手の弱い石を攻めたり、相手の大まかに囲っているところを攻めるなど色々あるが、それは置いておく。
劉表は考える。これまでの戦績はほぼ互角、ただ中盤に確定地を重視する打ち方(前者の打ち方)の方が若干、勝率が良い。なら、今回もそうやって打つか……
碁笥に手を入れたまま、石をつまんでは離し、つまんでは離す。その度にカチャカチャと石が音を立てる。劉表の考えているときにやる手癖だった。
その思考は別の人物の登場によって中断させられる。
「……お邪魔でしたか?」
声を掛けたのは蒯越の姉の蒯良だった。
その風貌には妹の面影があった。
「気にせずともいい。報告か?」
蒯良の方に顔を向けて劉表が言った。芯のある良く響く声だった。
「はい、襄陽より早馬が来ました。袁紹が河北を征したようです」
「そうか」
劉表は答えた。そして、視線を再び碁盤に移した。
その報告は劉表にとっても蒯越にとっても想定の範囲内だった。強いていうなら予想よりも少し早い程度である。
そもそも彼らが現在、江陵にいるのもそれに絡んだことだった。
荊州の州都は襄陽であり、普段はそこで政務を行い過ごしている。
正確にいえば、荊州の州都は
「では、数日中に襄陽に戻るか。袁紹からの使者が来そうだ。異度は江陵にしばらく残ってくれ」
「はい」
蒯越が答えた。
「それと袁紹に敗れた劉虞と公孫賛が洛陽へと入りました。ふたりは袁隗・袁遺の
その報告に劉表は間髪入れずに反応した。
「どのように? 何か官職が与えられたのか?」
「まず公孫賛の方ですが、中郎将に任命され、先の連合と袁遺の戦いで捕虜になった者たちを中心とした部隊を率いることを許されたようです」
中郎将は秩禄比二〇〇〇石。平時は宮殿を守り、戦時では戦車や騎兵である中郎を統率する官職である。
反董卓連合に参加して袁遺や董卓と敵対しながらも、袁紹に敗れ領地も地位も失った公孫賛からすれば、まったくの好待遇であった。
「劉虞については三公のひとつである太尉に任命されたようです」
「太尉、か……だが、韓嵩の報告によれば軍事は袁遺が殆んど取り仕切っているのだろう。なら、お飾りの太尉か」
「おそらくそうではないでしょうか。袁紹との戦いで劉虞に活躍があったとは決して言えませんから」
蒯良が答えた。
袁紹の宣伝工作によって、濕余水・沽水の戦いの推移は広く天下に知られている。
「しかし、三公は三公だな」
劉表は碁石を手遊びしながら呟いた。碁石を手の内で転がす。
しばらくして白のそれを碁笥の中に戻し、蒯越に尋ねた。
「このふたりへの厚遇の意味が読めるか、異度?」
「はい」
蒯越は即答した。
「幽州に残る反袁紹の勢力に対しての宣伝でしょう」
その答えに劉表は頷いた。彼も同意見だったのだ。
「劉虞は烏丸や鮮卑に広く慕われております。北狄を使って袁紹の背後を脅かそうとするときに劉虞は大きな意味を持ちます」
蒯越は袁遺・袁隗の意図を正確に読み取っていた。
袁遺が西は馬騰から南は劉表、東は曹操、袁術、張邈と広い範囲で親董卓・袁隗の勢力を作ったのに対して、袁紹は黄河以北を征して勢力をさらに大きなものにした。
それによって、両者の戦略が少し修正されることになる。
ここから先は両者が両者の外縁を侵し合う戦いとなったのだった。
袁遺からすれば、袁紹の外縁である幽州、并州の反袁紹の勢力と結んで背後を脅かし、自分たちの方に投入できる戦力を減らしにかかる。
袁紹も同じように董卓・袁隗の外縁である涼州、荊州、揚州、徐州の反董卓・袁隗もしくは現在の州牧たちに叛意を持っている者と手を結び、袁紹の方へ軍を投入できなくする。
そうやって、お互いがお互いの決戦兵力を削り合う戦いだった。
「となると我々の問題は揚州だ」
劉表が平坦な発音で言った。
「揚州の勢力にとって長江の上流である荊州は防衛上、抑えておきたい土地だ。それが肥沃な大地で多くの人口を抱えているとなるとなおさらな」
船の戦いでは上流と下流なら、上流を取っている方が有利である。
「そして、揚州を治めている袁術が袁紹と手を結び、こちらを攻めてこないという保証はない。揚州の人口から推測して、十分な留守の守りを残して荊州攻めに動員できる兵数は五~六万」
「荊州全土を征服するには足りない数字です」
蒯良が口を挟んだ。
「ああ、そうだ。荊州全土を征服するならまったく足りない。古の故事の通りなら六〇万は用意しなければならないな。だが、町ひとつ城ひとつならどうだ?」
「それなら、十分に陥落する可能性がありますね」
蒯越が答えた。まるで他人事のような口調だった。
「そうだ。私が荊州牧になってから荊州では、まだ一度も戦がない。だから、戦いの最中で何が起こっても不思議ではない」
蒯越も蒯良も、たかが城ひとつくらいとは言わなかった。
ふたりは袁術が五万を率いて攻めて来た場合、どうなるかを頭の中で試算してみた。
現在、荊州の対外用に備えられている兵は六万。この六万は現代風に言うなら
ただし、その三分の二は水軍であった。
荊州では水軍に力を入れ、州内の重要な
そうなっている原因はふたつ。
ひとつは劉表軍の方針が地政学でいうところの海洋国家のそれに近いからだった。
限られた予算および人的資源を水運という巨大な網目状の線を守れる水軍に回し、陸軍はその線の中にある津という点の防衛が行える戦力を維持できるだけに留められていた。シーレーンを重視した戦略である。
もちろん、この六万だけでなく荊州の豊かさをもってすれば、さらに五万の歩兵が徴兵可能だったが、それが行われるのは防衛戦に限られる方針であった。
劉表はその方針こそが荊州の豊かさが最も発展する方法と信じていたし、そのような政治を行うことが侵略戦争よりも自分たちに得になることだとも思っていた。
ここまで読んで中には、複数の州と隣接している荊州は大陸国家に近いだろうと思われる人もいるかもしれないが、荊州の州境は殆んどが河であり、上でも述べた様に荊州内も多数の河がある。そのため兵の移動や物資の輸送には船を使う。それは海洋国家の一面である。だから、この劉表の方針と戦略は間違いではない。
話を本筋に戻す。
しかし、そんなきれいごとのみが理由ではない。ドロドロとした面倒な事情もあった。
それがふたつ目の理由である。
現在、その陸軍より大きい水軍を統括しているのは劉表の妻の兄である蔡瑁だった。
妹の威光で選ばれたわけではない。蔡瑁には水軍指揮官として水準を越えた能力が備わっている。
そして、この蔡一族の軍事力も劉表を荊州牧へと押し上げた要因だった。
だから、劉表は蔡一族に気を遣い陸軍に予算や人的資源を大きく回せなかった。
また、この蔡一族への忖度が町ひとつ城ひとつ奪われてはいけない原因にもなっている。
戦争になった場合、司令官には間違いなく蔡瑁が選ばれる。
その蔡瑁が負けて街を奪われたら、反蔡一族の名士たちが蔡瑁を政治的に攻撃することも間違いなかった。
そうなっては蔡一族の軍事力を拠り所のひとつとしている劉表の立場も危うい。
そのことを分かっている蒯姉妹は口を挟まない。
「そして、揚州から細作が放たれるなら、最も人の出入りが激しいこの江陵だ。異度、当分はここで、その才能を振るってもらうぞ」
劉表たちが江陵にいたのは防諜のためだった。
表向きは市場の視察ということで江陵にやってきて、裏では防諜の工作員を配置していた。
「御意」
蒯越が恭しく礼を取った。
荊州は絶妙なバランスの上で平穏を謳歌していた。
そして、そのバランスは劉表によって保たれている。
確かに、妻の蔡氏や義兄の蔡瑁に気を遣っているが、同時に蔡一族のみに力がいかぬよう劉表は細心の注意を払っていた。
洛陽に使者を派遣し、皇帝から正式に荊州牧の地位に任命されたのもその一環だった。
このバランス感覚こそが蒯越が劉表に従う理由であった。
彼女が目指しているのは荊州の平穏である。
そして、その平穏をもたらすには劉表のバランス感覚が必要だった。
先祖元来、荊州に根を張り続けた名士や党錮の禁、黄巾の乱などで流れてきた名士たちの力の均衡を保てるのは彼だけだった。
「袁術といえば、客将に孫策がいたな……」
そう呟いた劉表の表情にほんの一瞬暗いものが宿った。
彼は袁紹が袁遺の外縁を侵すために孫策と結び、その独立を後押しした場合どうなるかの勘定をすぐに済ませた。
袁術など比較にならないほど危険な隣人が誕生することになる。
劉表は一瞬のうちに、孫策暗殺に行き着く謀略を三つほど思いついたが、胸の中に留めた。
それを実行に移すのは董卓・袁隗陣営の袁紹の工作に対する反応を見てからでも遅くない。
そんな劉表に蒯越が言った。
「孫策には使い道がありますよ」
「ふん、そうか」
劉表は真意の分かりづらい顔で応じた。
「そう言えば、琦はどうしている?」
それから、話題を一緒に江陵へと連れて来た息子の劉琦へと移した。
「御子息は伊籍殿と共に市場の方で税収について、現地の官吏から説明を受けています」
蒯良が答えた。
謂わば、官房学の実地研修みたいなものだった。
そうか、と劉表は頷いた。
劉表は暗殺という手段に何の後ろ暗さも感じていなかった。
戦で攻め滅ぼすのと、どのくらいの違いがある。
劉表は心の中で吐き捨てた。
戦いたい者同士が勝手に戦っていればいいのだ。こちらもこちらの得意な方法でやらせてもらう。ただそれだけだ。恥るつもりも後悔するつもりもない。そして、できれば反省もしたくない。世の中には戦争よりも後悔よりも楽しいことが多くあって、人生には同じ様にやらねばならないことが多くある。そして、人生は短すぎる。
そう、人生は短い。劉表は最近そのことを強く意識するようになってきた。
年のせいか最近はちょっとのことで調子の悪さを覚えるのが、その原因だった。
しかし、それは年のせいだけではなかった。
劉表は若い頃、党錮の禁により霊帝からの追及を受ける身となった昔から親交のあった張倹の逃亡を助け、自らも追われる身となった。
その逃亡生活では様々な苦労があり、かなりの無理もした。その最中で前妻も亡くしている。
そして、その無理が劉表の身体を蝕んでいた。
孫伯符は母である孫堅の死後、袁術の客将という立場であるが、その武勇、器量、覇気、どれをとっても客将で生涯を終えるものではなかった。
そして、本人にも母がそうであったように自分も天下を狙うという野望を、まるで子供が無限に広がる将来に対して希望を抱く様に持っていた。
そのためには、まず袁術から独立を果たさなければならないが、その独立計画は思いもよらぬ方向へと進み始めていた。
そのことを意識し始めたのは袁紹から届いた書簡が原因であった。
「孫殿の江淮一帯での名声、威光は袁術を凌ぎ、また、その袁術は愚鈍であり州牧には相応しくなく。かの者がその地位にあることは上は天から下は民の怒りを買うことであり、孫殿こそが揚州を治めるにふさわしい云々、つまりは我々を袁術から独立させて揚州の安定を崩して董卓・袁隗の背後を乱そうとしている」
周瑜が書簡を片手に言った。
袁術の本拠地にである寿春の孫策に与えられた屋敷、その庭の四阿には孫策、周瑜、黄蓋、陸遜の四人が集まっていた。
酒と肴が整えられ、庭には
客将が昼間から酒など……と言う者もいなかった。寿春全体がそういった浮かれた雰囲気の中にあったのだ。
主の袁術自体がそうであるからだ。
反董卓連合を抜けて、本拠地の寿春に帰ってきた袁術はしばらくの間ご機嫌だった。何の楽しいこともなかった連合から、やっと帰ってこれた開放感からだった。
そうこうしている内に洛陽から使者が来て、左将軍と安豊侯の位が与えられた。
列侯、袁術はその言葉が持つ甘美な響きに酔いしれた。
袁隗も袁紹も袁遺も封じられていない人臣が昇り得る最高の爵位、それに自分が就いた。袁術はまさに天にも昇る気持ちだった。
彼女は家臣たちに安豊侯と呼ばれるために気分が良くなった。揚州内に公布される書類の自分の名前の頭に安豊侯という文字が躍るたびに頬が緩んだ。
袁術を彼女独特の方法でかわいがっている張勲などは、
「よ、さすが美羽様! 安豊侯様! ボコボコにやられたのに、ここぞというところで連合を裏切って列侯にまで出世するんですから。もう、項伯も驚きの節の曲げ方ですね!」
「そうじゃろ、そうじゃろ。ハハハハハ!」
というコントの様な事を主従でやっていた。
だが、孫策からすれば、上が緩んでいることは宴会に託けて部下を集め、独立について話し合うことが容易にできてありがたかった。
「ふーーん、それで袁紹の企みに乗った方が良いと思う?」
孫策は杯を傾けながら、周瑜と陸遜、ふたりの軍師に尋ねた。
「乗らない方がいいな」
周瑜が答えた。
「おそらく揚州中の袁術に不満を持つ豪族たちにも似た様な書簡をばら撒いているだろう。袁紹陣営からすれば董卓・袁隗に揚州や徐州、荊州を警戒させて兵を割かせ、あわよくば袁遺がそれらで起きた問題を解決しに軍を動かしている間に黄河を越えるくらいにしか考えていない」
「つまりは独立に動いたとしても袁紹は特に何もしてくれないってわけね」
そう言うと孫策は酒を呷った。
元々、袁紹の援助なんか期待していないとは言え、ただ利用されるだけでは面白くない。
「いえ~~袁紹さんにも使い道はありますよ」
口を開いたのは緑の髪を持ち、小さな丸眼鏡を掛けた胸の大きな女性、陸遜である。
「どんな?」
孫策が尋ねた。
「袁紹軍がいるから、董卓・袁隗の陣営が兵を動かすのを躊躇する可能性があります」
陸遜の言葉に周瑜が続いた。
「そうだな。もし袁紹がいなかったら、袁紹の防波堤となっている曹操も袁遺と轡を並べて我々を討ちに来るなんてことになるかもしれないな」
「それは厄介ね」
本心だった。孫策も反董卓連合で曹操の兵を見た。よい兵たちだった。
そして、袁遺軍に手痛い一撃を喰らっていても、その精強さを疑っていなかった。孫策たちにしても似たような一撃を喰らっている。
「そういえば、あの奇襲と伏兵を行った指揮官は誰じゃった? 曹操を襲ったときは袁遺は逃走の途中のようじゃったから、袁遺がやったのではないのだろう?」
黄蓋が酒を飲みながら尋ねた。
「あ、確認しました」
陸遜が答えた。
「司馬懿という人物でした。彼は豫州の黄巾の残党を同様の戦術で撃破しています」
「司馬懿、ね」
孫策は杯を口に運びながら思った。こんなはずじゃなかったと。
彼女は反董卓連合で自分の力を見せつけ風評を得て、それを大きな追い風にして一気に独立するつもりでいた。
なのに、反董卓連合では思っていた風評は得られず、逆に手痛い損害を受けた。袁遺の宣伝工作の結果、袁術の評判が落ちたのが不幸中の幸いである。
そして、揚州へ帰ってきても独立計画が袁紹と董卓・袁隗という二大勢力の戦いに巻き込まれている。
こんなはずじゃなかったと再び思う。
「ともかく、独立の時機は袁紹と袁遺の干渉を受けない時期だ。それに袁紹が他の州でも不満を持つ者を焚き付けているのは間違いない。それを袁遺がどう対応するかも見ておく必要がある」
そう言った周瑜に孫策が尋ねる。
「袁遺の対応といえば、袁遺が反董卓連合との戦いで行った戦術の研究は進んでいるの?」
袁遺の戦術の応用の様な事を行って袁紹軍が劉虞・公孫賛を撃破して以来、いくつかの諸侯の間で袁遺の戦術の研究が盛んに行われていた。孫策陣営もそのひとつである。
「ええ、進んでいるわ」
「本当は私も手伝いたいんですけど、冥琳様がやらせてくださらないんですよ」
陸遜が抗議の声を上げた。
「お前に手伝わせたら、大変なことになるだろう」
陸遜は優れた書物から新たな知識を習得していると性的興奮を覚えるという奇癖がある。
そのため周瑜のまとめた書簡に陸遜が発情してしまって大変なことになった。未来の知識を持つ袁遺が立てた作戦を雛里と司馬懿という軍才豊かな者たちがブラッシュアップしたものを稀代の軍師である周瑜が研究しまとめたのだ。ある意味で極上の兵法書となりえるだろう。仕方がないと言えば仕方がない。
杯を干した孫策に黄蓋が瓶を差し出した。
孫策はそれを受けたが、瓶の酒は杯の半分ほどのところでなくなった。
これでかなりの量の酒を乾したことになる。空いた瓶がそこら中に転がっている。
「これだけ飲めば、普段なら冥琳が小言のひとつくらいこぼすだろうに、今日はどうしたのじゃ?」
黄蓋が新たな瓶を取りながら、周瑜に言った。
確かに飲み過ぎである。常人なら潰れていてもおかしくない飲酒量だ。
「そろそろ酒盛りをできる雰囲気ではなくなりそうなので、今日のところはうるさいことは言わないことにしたのです」
そう言って、周瑜も杯を傾ける。
「ん? どういうことじゃ?」
「袁紹が河北を征したのに袁術がこのまま黙っているとは思えないということです」
周瑜の言葉通りのことが起ころうとしていた。
袁術は金杯を満たしている蜂蜜水を一気に呷った。
大好物のそれを堪能し束の間、気分が良くなったが、手の内のくすみが目立ってきた金杯を見て、すぐに機嫌が悪くなった。
そのくすみが、あることを思い出させた。
袁紹が河北四州を平らげた報告が入ってきた。
袁術は地図を持ってこさせ、自分の封土となった安豊県と袁紹が手に入れた四州を比べた。自分の封土は袁紹の四州に比べれば雀の涙だった。次に自分が収める揚州と比べた。揚州は猫の額だった。
すると、あんなに嬉しかった列侯が急に何の価値もないように思えてきた。
袁術は悶々とした。
ここで、いつもの袁術だったら、袁紹と同じようにする―――つまり近隣の地に侵攻して自勢力の拡張を行う―――と言い出しただろうが、それはそれでひとつの恐怖が蘇ってきた。それは巻と酸棗の間で袁遺と戦って、呂布に本陣を襲われ危うかったときに感じた恐怖だった。
どこかを攻めてまた袁遺がやって来たら……
袁術の背筋に冷たいものが走った。あんなことはもう二度と御免だった。
しかし、袁術の嫉妬と渇望は収まらない。
袁術は甘やかされて育った。だから、彼女は欲望を制御する(決して抑制ではない)方法を学ばなかった。
「七乃ーーーーーッ!!」
そして、袁術の欲望は総和されるのではなく総乗される。だから、恐怖といえど欲望を制御できない。
袁術は最も信頼する部下を呼んだ。
七乃なら自分の願いを叶えてくれるという雛鳥が親鳥に抱く様な無垢で無智な信頼と共に。
七乃―――張勲が袁術から言われたことを要約するなら、袁紹が自分より広大な領地を持っているのはずるい。自分も袁紹より広い領地が欲しい、であった。
張勲は表面上はいつもの笑みを浮かべたまま、内心では困っていた。
袁紹のように徐州や豫州、荊州に侵攻した場合、それは袁遺が苦心して作った対袁紹の勢力を壊すことになる。間違いなく袁遺が鎮圧にやってくる。
そして、張勲は戦で袁遺に勝てるなどと思っていなかった。
反董卓連合のとき、二倍近い兵数のうえに有利な高地に布陣したにも関わらず、分けも分からないうちに崩壊寸前まで追い込まれたのだ。あのとき、孫策の救援が間に合わなければ、袁術と共に張勲も呂布に討ち取られていただろう。
もし袁遺と戦うなら、その矢面は絶対に孫策にやってもらわなければならない。
張勲はそう言う結論に思い至ったが、それは孫策にとって幸運なことだった。
孫策の有用性を見出した張勲は孫策の排除することに躊躇いを覚え、孫策陣営の暗躍する余地を残してしまう。
「とりあえず、洛陽に気付かれないように兵を少しずつ集めましょうか」
張勲の言葉に袁術が顔を輝かせた。
自分の願いが叶い始めた、そう思ったのだ。
だがしかし、無限に総乗される欲望の行きつく先は自壊である。
無限の欲望なんてものに自分自身が付き合うことができなくなるからだ。
12 微妙な問題
洛陽、司空府には重い空気が漂っていた。
そこには董卓、賈駆、袁隗、そして袁遺の四人がいる。
董卓は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
賈駆も同様の思いを胸の中に持っていたが、袁遺を睨んでいた。
袁隗の面持ちは冷静であった。一歩引いて、董卓たちと袁遺の成り行きを見守るようだった。
そして、袁遺はいつもの無表情である。
賈駆は袁遺が持ちこんだ書簡を片手に言った。
「……確かに良くできてるよ」
その言葉には隠しきれない負の感情があった。
賈駆はかつて袁隗に言ったように財政の立て直しに取り組んだ。
彼女が目を付けたのが塩と鉄であった。このふたつの専売制の復活を目論んだのだ。
はっきり言えば、良くある手段だった。
古くは斉の桓公を覇者に押し上げた管仲の塩の専売に始まり、漢の武帝も外征で逼迫した財政を再建するために行っている。さらに新の王莽も行っているが官の不正が多発したため酷く評判が悪かった。
ただし、『塩鉄論』からも分かるように漢代では常に議論を呼ぶ政策である。
今回も議論を呼んだ。
儒者が「国家が民間と利益を争うことは不徳なことである」とこの手の国家による流通経済への介入の是非でよく言われる文句を付ける。
もちろん、それだけではなく中には理のある反論もあった。
後漢では四代目である和帝の時代に塩鉄専売制は廃止されている。後漢書和帝紀に曰く「罷鹽鐵之禁、縦民煮鋳」―――塩鉄の禁止をやめ、民は(塩を)煮る(鉄を)鋳造するをほしいままにする。
そして、そこから塩鉄税を取り、その徴税業務を郡国、つまり地方に移管した。
地方に塩鉄税の収入がいく結果になったが、地方官の俸禄を半銭半穀にすることにより中央への田租(田地に課された租税)の転漕を増加させた。
だから、賈駆がやろうとしていることは地方の権益を削ることであり、各地の反発を呼ぶのは必至だった。
それを袁紹という大きな敵がいる状況でやるのは、時期尚早なことだと反対しているのだ。権益を削り過ぎると彼らが袁紹側に寝返るかもしれない。一理ある。
賈駆の塩と鉄の専売制案は一時頓挫した。それでは財政の立て直しができない。
そんなとき、袁遺が財政再建についての意見書を持ってきたのだった。
洛陽令の領分ではないが、後将軍として遠征する金がありませんでは困ると、ひとつの意見としてそれを持ち込んだ。
余談になるが、このとき袁遺は軍の再建を終えていた。いくつかの問題も残っていたが、糧秣の手当てと金の問題さえ解決できれば十分に実戦に投入可能だった。
袁遺の持ち込んだ案に話を戻す。
それは市租などの商業関連税を中心に税率を引き上げものだった。ただし、生活必需品を扱うような零細商人は手厚い保護を行う。
この増税によってどれだけの影響を民が受けるかもの試算も出ていた。何夔の仕事だった。その試算を信じるなら民が離散しない限界であった。賈駆はその数字に説得力を感じた。自分の感覚と一致したのだった。
「良くできているけど……」
だが、問題点も存在した。
「それに伴い地方官の治績は十常侍の専横により荒廃した田畑の回復の度合いによって評価する、か……」
それが問題点だった。
「まずいですか?」
「まずくはないけど……」
賈駆が答えた。
「微妙な問題ね……」
以前にも書いたように売官が行われていた時代には任地で税を必要以上に徴収し、それでさらに上の官位を買うというのが、よくある出世の仕方だった。その結果、税を払えない民が耕作地を捨てて流民になったり、溜まった不満が爆発し黄巾の乱へと発展した。
つまり、その放棄され、荒れた田畑の回復を地方官にさせようというのだった。
一見すれば理が通っている。それに田畑の回復には農民の手が必要なため、必然的に売官が行われていたときのような滅茶苦茶な不正もできない。何故なら、民に逃散されれば田畑の回復もできないから評価も上がらず出世もできない。
だが、これは地方豪族―――名士たちの不満を貯め込むことでもある。流民化した者たちの落ち着き先は大抵が名士たちの私有地の小作人であるためだ。
名士たちからすれば自分たちの所に来る労働力が減るわけである。
しかし、彼らも表立って不満を口にしたりしない。
当たり前だ。自分の所の小作人が増えることを望み、漢王朝に悪政を大声で求めるなど自分たちの名声を傷付けることである。これも以前に話したが、この時代は名士間の評判は重要なことである。それが傷付くのは損しかなかった。ここが賈駆の塩鉄の専売制と大きく違うところだった。
これらのことは袁遺も賈駆も分かっている。
では、それを踏まえてどんな問題が起こるのかと問われれば、賈駆は答えることができなかった。
即叛乱を起こすほど名士たちは短絡的ではない。
それにこの評価基準に反対しようにも袁隗が陳蕃に倣うと太傅に就任して以来、反宦官の動きを良しとする風潮があるため、反対することは下手をすると濁流派の汚名を着せられるかもしれないから声を上げにくい。
「大きな問題ではないかもしれないけど、小さな不満を貯め込むことになるわよ。それが袁紹を肯定的に取るかもしれないし……」
現在の袁紹の支配体制は一言で表すなら、力による支配だった。
漢王朝の反逆者という立場にある袁紹は自身の権力を儀礼主義で鎧うことはできない。だから、力に依るしかなかったが、同時に儀礼主義にはある種の煩雑さがある。そのため賈駆や袁遺がこうやって頭を悩ませていることは袁紹には彼女に力がある限り無縁なことだった。
そのある種の単純明快さが名士たちの目に眩しく映るかもしれなかった。
「袁紹に付け込まれると?」
袁遺が尋ねる。
「そこまでは言わないわよ。だから、微妙な問題なのよ」
名士の特性上、彼らは名声に縛られる。だから、この手の名声に関することにはその動きが鈍くなる。
賈駆は眉間にしわを寄せて唸った。
彼女は自分の中にある不安が何か分からなかった。
袁遺の持ってきた案は良くできていた。問題もあったが、そんなに大きな問題でもない。それでも賈駆の胸の内には不安が渦巻いていた。
その不安の正体が何か気付けないのは彼女のプライドと良心が邪魔しているからだった。
「……太傅はどう思われますか?」
董卓が言った。
「名士の動きに一番お詳しいのは太傅です。意見をお聞かせください」
それに賈駆たちの議論を見守っていた袁隗が口を開く。
「伯業の案はそう悪いものではないと思う。もちろん問題もなくはないが、大きな声で反対しづらいものだ。名士が大きく反対して、例えば先のような連合を組むなんて武力に訴えることにはならない」
それから袁隗は一呼吸おいてから言った。
「真に問題があるとすれば、塩鉄の専売制にしろ、地方官の評価基準の見直しにしろ、袁紹という存在が問題を複雑化していることだ」
そこまで言ってから、袁隗は声色を変えた。
「伯業、そのことを分かっているか?」
何かを掴んだ男のみが宿らせることができる力がそれにはあった。
「はい、太傅」
袁遺は答えながら、袁隗の内心について思考を巡らせた。
袁紹のせいで問題が常に複雑化され余計な制限を加えられる。まったくの無駄なリソースを使わさられている状態だ。そんな状況を一刻も早く打開―――袁紹を取り除くことこそが事実上軍権を握っている袁遺の仕事であった。だから、この意見書の提出は本来の仕事ではない。
だが、軍を動かし続ける資金がなければどうしようもない。その点を汲んで今回は間に入ってやるから、速やかに袁紹軍を撃破しろ。
そんな意味のものを言外に含ませていた。
叔父上に貸しをひとつ作ったかな? 袁遺は思った。
袁隗も自分が含ませたものをこの聡い甥が読み取るだろうと断定して董卓へと向き直った。
「司空、伯業の意見には見るべき点が多々ある。検討してみてはどうだろうか?」
袁隗の言葉を受けて董卓は賈駆に視線をやった。
賈駆は苦い表情で頷く。その後で董卓は袁隗と袁遺に視線を移した。
「袁将軍、貴重な意見ありがとうございます」
「ありがとうございます、司空」
袁遺は頭を下げた。
「司空、地方官の評価についてだが、これは陛下に詔勅を発していただかなくてはならない。その儀についていくつか相談がある」
袁隗が言った。
権威付けのためには儀式的な手順が必要であった。
そして、それは今度こそ袁遺が口出しできる問題ではなかった。
袁遺は退室の旨を口にする。兵の訓練の様子を見てくると言った。
彼は退室する前に頭を下げた。
「出過ぎた真似をしてしまいました。お許しください」
それは董卓と賈駆、ふたりに向けられた言葉だった。
退室する袁遺の言葉を賈駆は素直に受け止めることができなかった。心に正体の分からぬ、わだかまりが残っている。ただ、それが袁遺によってもたらされたことだけは理解していた。
袁遺の意見書には人口の多寡と農耕に適した土地、それらの各地の違いを考えて人口や農地の比率、前年比、さらに住民の定住具合などの要素を勘案した評価の基準も作ってあった。
これも良くできている。そのまま使えそうね。
賈駆は目を通して思った。そして、心の中のわだかまりがより一層大きくなる。
話は詔の文書の草案と布告の時期などの事務的な話に移る。
文書の草案については袁遺の推挙人であり、袁遺が袁紹と戦ったため土地を追われ洛陽へとやって来た張超に任せることになった。
私有地と多くの家財を捨てさせたということもあり、洛陽に張超が来てから何かとそれに対して報いるように董卓たちは取り計らっている。同時に彼は草書の達人で文才豊かであるため適切な人選でもあった。
余談になるが、張超は現在、洛陽の南宮東観で史書の編纂に参加している。後にこれが『東観漢記』となるが、本来なら張超は『東観漢記』の編纂に関わらない。これも袁遺という異物がもたらした影響だった。
その話の最中でも賈駆の表情にはほんの僅かの曇りが見えていた。
賈駆自身には理解できない原因によってもたらされたそれであったが、袁隗はきっちり見通していた。
「……伯業が怖いか?」
董卓が小さく、えっと声を漏らす横で賈駆は表情を万華鏡の様に変化させる。
何を……と怪訝な表情を浮かべたが、すぐに袁隗の言葉から自分の胸に痞えていたものの正体に賈駆は気が付いた。その瞬間に賈駆はある意味で醜態を見られたことと自分でも気付けなかった心の動きを読まれたことに恥ずかしさと怒りを覚えた。顔が熱くなるのを感じる。
立ち上がり、衝動に任せて何かを叫ぼうとしていた彼女は固まった。
目の前の男はそんな風にぞんざいに扱うことが許されない立場の人間だったし、その男が浮かべている自分自身さえも突き放した様な表情に、冷水を浴びせられた様に感じた。
賈駆は拳を無意識のうちに握り込んでいたことに気付き、それを解いた。
そして、董卓が心配そうにこちらを見ていることにも気付いた。
「大丈夫だから……」
賈駆はそう言いながら腰を下ろした。
だが、顔から熱が引かない。しかし同時に背筋が凍るような冷たさも感じていた。
そうだ、ボクはあの男を恐れている……
わだかまりの正体は袁遺への恐怖だった。
反董卓連合が崩壊した理由は今まで散々述べてきたが、連合を組むことによって生じる利益が参加した諸侯全体に行き渡らなかったことである。
それは現在の漢王朝にも当てはまることだった。
袁隗と董卓の協力体制は漢王朝の存続と立て直しにおいて必要性と利益があると双方が認識しているから結べている。
だが、袁隗たちが受け取る利益が少なくなっていないか? そんな疑問が賈駆の中で無意識に芽生えてきたのだった。
今まで、戦争と外交は袁遺が中心になって行っていた。そして政治は董卓と賈駆が中心になって行うはずであった。
しかし、いきなり財政の立て直しで躓いた。
そして、袁遺の助けが入った。
もしも、この一件で袁隗や袁遺が董卓や賈駆を司空とそれを補佐するに相応しいだけの能力を有していないと受け取ったら、董卓や自分自身がどうなるか。それを考えると恐ろしくなった。
今の漢王朝には無能はおろか平凡な人物でも政治の最高責任者を任せる余裕はない。間違いなく排除される。
それには確信があった。何故なら、軍事でも同じだからだ。
もし袁遺が無能や並の指揮官であったら、彼を排除し自分がその代わりを務める気で賈駆はいた。
だが袁遺は並外れて有能であったため、それは行わなかったが、果たして自分たちは袁遺や袁隗たちに有能と思われているだろうか。こんな風に助けられた自分が。政治も袁遺に任せた方が良いと思われていないか。
そんな恐怖と恥と怒りが心中を支配する賈駆に袁隗が口を開いた。
「今、伯業が最も恐れていることが分かるかな?」
「……」
「遠征軍の司令が最も恐れていることだ」
「何でしょうか?」
董卓が尋ねた。
袁隗はそれに賈駆に視線をやった。
「……讒言ね」
賈駆にも袁隗の言いたいことが分かった。
「そうだ。自分が遠方にいる間に陛下に讒言を吹き込まれることを伯業は最も恐れている。遠方にいる自分は弁明ができず、知らぬ間に窮地に立たされるからだ」
これは自分にも言えることだが、と前置きして袁隗は続ける。
「特に伯業は従妹の本初が朝敵として黄河の対岸に大戦力を築いているという格好の狙い目まであるからな」
袁隗は賈駆が袁遺に与えることができる利益の一例を示していた。
讒言から袁遺を庇い、洛陽を留守にしている彼を罷免や処罰から救ってやる。確かに袁遺はそれを利益だと思うし感謝するだろう。
また、袁遺が遠征を行わなくてよい立場になったときとは敵がいなくなったときであり、それはつまり袁遺が用のない猟狗になったときでもある。だから、双方が提供できる利益の消失でもあるから一時しのぎでもない。
賈駆は袁隗を見た。
彼の表情は先ほどと変わらず自分自身さえも突き放した様な醒めた感じがあった。
賈駆は、なんで自分にこんな助言をしたのかと尋ねなかった。
これも袁隗の提供できる利益のひとつなのだろうし、名士や重臣たちの間を取り持っている袁隗の仕事のひとつだった。袁隗は自分のやるべきことをやっている。賈駆にはそれが理解できた。そして、思った。朝廷で生き残るということはこういことだと。
ならやってやる。賈駆は思った。それこそが董卓を生き残らせることだから。
袁遺が洛陽城外の演習場へと到着したとき、張郃の部隊が訓練を行っているところであった。
人工的に土を盛り上げ、小高くなった場所で自分の部隊の訓練の様子を見ていた張郃は主君である袁遺に気付き礼を取ろうとしたが、それを袁遺は片手を挙げて制した。
袁遺は張郃の横に並ぶ。
「補給部隊とその護衛が襲われるという想定の訓練です」
張郃が袁遺に状況を説明した。
編成された張郃の部隊は六〇〇〇。通常の内訳は実戦部隊が四二〇〇、兵站部隊が一八〇〇だった。後代の言葉で言うなら旅団である。
「兵站部隊の詳しい内訳を」
袁遺が言った。厳しい教師が生徒に復習の度合いを試すような調子だった。
「輸送車両が四〇両。現在は道幅に二両並べる余裕がないと想定しているため馬車は一列で進ませています。馬車五両ごとの前後に騎乗士をひとり配置、その五両の真ん中の馬車には弩と弓矢を装備した兵士をふたり荷台に潜ませてあります。その周りを一二〇名の歩兵と六〇名の騎兵に守らせています。馬車を横に二両並べずに一両のみのため行進長径が長くなったので、実戦部隊の騎兵の一部を護衛に回しました。人員は非戦闘員六〇〇名と護衛名一四六四になります」
張郃は袁遺の問いにスラスラと答えた。
おそらく現在の中華で最も兵站の管理と輸送に秀でた袁遺の下で長年指揮官をやって来た男である。袁遺が今まで兵站輸送で取ってきた護衛方法を学び、それに自己流の工夫も加えていた。袁遺自身はアメリカがベトナム戦争で行った
袁遺は張郃の答えに無表情な顔を崩して、満足そうに頷いた。
輸送部隊を控えていた騎兵隊が襲った。
その部隊は張遼と彼女の麾下の兵たちである。凄まじい速さだった。
だが、護衛兵たちも素早く対応し、馬車を守っている。
「おッ」
袁遺が思わず声を上げた。
護衛部隊の騎兵の中でひとり、目立つ働きの人物がいたからだ。若蘭―――姜維だった。鮮卑族仕込みの騎乗術は張遼隊の騎兵たちに勝ることはあっても劣ることはなかった。
「伯約はさすがですね。騎乗術は卓越していますし、指揮にも光るものがあります。要領もいい」
袁遺は要領がいいという言葉にのみ、そうかと相槌を打った。
張郃はそれにこの人は相変わらずだなと思った。
しばらくして、張郃は傍らに控えていた楽隊に訓練終了の銅鑼を鳴らす様に命じた。
護衛部隊は馬車襲撃の報を聞きつけた戦闘部隊が到着するまでの時間を稼ぐのが目的であった。
戦闘は終結し、医療部隊が負傷者を見て回る。張郃は輸送車両の損害を確認していた。
袁遺は丘の上で先程の戦闘を思い出していた。
兵の仕上がりは良い。十分に満足のいくものだ。ただ、俺が満足する程度の練度ということは……
そこまで考えると、袁遺は視界に張郃が戻ってきたことを捉えた。
「被害を受けた車両の数と被害の規模です」
張郃が書簡を差し出した。
袁遺が受け取って目を通した。大した規模ではなかった。
「張校尉、戦闘を行わないと仮定して君の部隊は一日にどのくらいの距離を進める?」
袁遺が尋ねた。
「兵站に問題がなく先の連合との戦いのような手厚い脱落対策が受けられるなら、六〇里(三〇キロ)~六四里(三二キロ)は可能です」
「よし、良い仕上がりだ。ご苦労」
袁遺は張郃を労い、一呼吸おいてから続けた。
「では、例えば孫策の部隊と平野で決戦するとしたら、どうだ? 勝てるか?」
張郃は達筆家によって書かれた様な力強さを持った眉を下げながら答えた。
「こちらが敵の三倍の戦力なら……もしくは敵が後ろでも向いていれば……」
苦いものが含まれた声であった。
袁遺はそれを聞きながら思った。
そうだ、俺が満足するということは正面戦闘という点なら、例えば孫策や華琳は絶対に満足しない水準なんだろうな……まあ、好みの問題だ。正面戦闘が強い部隊より一日に三〇キロ以上歩ける旅団規模の軍の方が俺の好みだ。
「まあ、微妙な問題だ。忘れてくれ。君は本当に良くやってくれている。これからも頼むぞ」
袁遺は言った。
袁遺たちが再び戦場に赴くときは近かった。
補足
・項伯
項羽の叔父。
鴻門の会で劉邦を助け、劉邦の父が項羽に煮殺されそうになるのを助け、楚漢戦争末期に項羽から離反して、漢の封爵を受け、姓を劉氏に変える。
中々の節の曲げ方だよな。
・塩鉄論
その名の通り、前漢の塩と鉄の専売制を巡る議論をまとめた書物。この時代の社会や経済、外交の実態を知る資料としても有用である。
・和帝の時代に塩鉄専売制は廃止されている
実はこれ以降の後漢の塩鉄の専売制について良く分かっていない。
というのも、この和帝の記述以降、後漢書では塩鉄の専売制についての記述が全くと言っていいほどないからだ。
一応、関羽が塩の密売をやっていたという逸話もあるが、それは伝説の域を出ていない。後は蜀で諸葛亮が塩の専売を行っている程度であり、後漢末期がどうであったかいまいち分からない。
だから、この時代でも塩鉄の専売制は行われていないと考えました。
何か後漢末期の塩鉄専売制について見落としがあればご指摘ください。