あと、この二次創作では、鼻血軍師がそんなに鼻血出さない……
13 分進合撃
青州黄巾党を取り込んでから、曹操は精力的に内政や軍の編成を行った。
まずは投降した黄巾党の中から精兵を三万選び自軍に編入し、残りは兗州で陳留郡以外の王朝の腐敗によって放棄された農地で農耕をさせた。
そして、彼女は人材を求めた。
元々、彼女は人材には貪欲なところがあったが、反董卓連合が解散して以降、それはさらに強いものになっていた。
また、いきなり陳留太守から兗州牧になったということもあり、人材が明らかに不足しているという切実な事情もある。
特に、曹操の軍師の荀彧は内政、軍の編成と袁遺の戦術の研究、黄河以北の袁紹に対する防衛線構築、それに各地の諜報活動の指示と完全にオーバーワークであり、このままでは潰れることが目に見えていた。
だから、広く軍師となる人材を曹操は求めた。
多数の応募と荀彧の推挙により、多くの才人が集められた。
いくつかの課題で意見を書かせ、その中で見識が広いと思った人物と面会し、曹操自らが言葉を交わし、ふたりの腹心として共に大業をなせる人物を曹操は得た。
程昱と郭嘉である。
もちろん、他にも多数の武官、文官を登用したが、中には数奇な運命で曹操に仕えることになる者がいた。
その人物とは韓浩である。
彼女は反董卓連合に義勇軍を率いて河内太守の王匡と共に参加した。
そして、王匡が戦死した後、彼の残存部隊を率いたのだが、連合は解散してしまう。
韓浩は何とか兵たちを故郷に帰してやろうとするが、王匡の死、連合の解散、乏しい食料と軍律が緩む条件下での行軍は厳しく、その足取りは重く、多くの脱落者を出す。
やっとの思いで兗州の延津までたどり着き黄河を越えようとするが、黄巾の残党などの賊が跋扈しているため足止めを喰らう。そんな韓浩たちを打ちのめす情報が彼女たちの耳に入った。
新たに張楊が河内太守に任命された。
董卓側の人間が河内太守の座に就いたという事実は、反董卓連合に参加した王匡の残存兵に大きな衝撃を与えた。董卓に逆らった自分たちは故郷に帰れないかもしれないと絶望の淵に叩きこまれたのだ。
韓浩はそんな兵たちを励まし、自棄になって暴徒化することを何とか防いでいた。
そんな彼女たちを救ったのは新たに兗州牧に就いた曹操だった。
韓浩が兗州にいることを聞き、その名声を知っていた曹操は夏候惇を派遣して韓浩を招いた。
面会し、彼女の事情を聴いた曹操は袁遺に使者を送り、故王匡軍の兵の河内帰還を叶えてやった。
それに感激した韓浩は率いていた義勇軍共々、曹操に仕えることになった。
ただし、韓浩は複雑な思いだった。
彼女と共に連合に参加した王匡は戦死した。だから、敵だった袁遺は王匡の仇であるはずだった。その仇と手を結んでいる人物に仕えることになった。これでは仇を取ることができない。
韓浩は曹操に感謝しているし、その聡明さや君主としての態度に尊敬の念も持っていた。そして、袁遺にも恨みはない。ただ、王匡の仇を取らぬことは没義道な行為ではないかと、義侠心から韓浩は小さな疼痛を感じていた。
この韓浩の思いが解消されるには、そんなに時間を要しないのだが、当然そのことは誰も分からない。
ともかく、袁紹軍の南進の壁としての役割を担わされている曹操は急務であった自軍の強化を着々と成し遂げつつあった。
曹操に徐州の事変が伝えられたのはそんな状況下であった。
曹操が新たに軍師として登用した郭嘉と程昱に命じた仕事は対袁紹の防御線の構築であった。
彼女たちは曹操に仕える前から面識があり、見分を深めるために共に天下を回っていた。
ふたりは軍を配置しつつ、同じように文官の募集に応募して曹操に仕えることになった
それについて協議するために曹操は
「徐州で叛乱が起きたわ。桂花、詳しい状況を」
曹操に命じられて桂花―――荀彧が続けた。
「下邳郡太守の笮融が彭城の薛礼と組んで、陶謙からの自立を宣言して徐州で暴れ回ってます。笮融は以前から兵糧輸送などの物資を奪って自立の機会を窺っていたようです」
「それに対して徐州牧の陶謙はどのような対応を取っているの?」
「それが何も。ただ
「じゃあ、徐州で笮融に対して動いている軍はいないの?」
「広陵太守の張邈が兵一万を率いて出陣しています。都からの援軍が来るまでの時間を稼ごうとしているようです」
荀彧の報告に曹操は、そう、彩雲が……と小さく呟いた。そして、心の中で思った。やっぱり、私や伯業相手以外とは戦うのね。
「これは徐州の豊かな土地である下邳、彭城、広陵を押さえられたために如何に徐州牧といえども大量に兵を動員することができなかったということです」
荀彧が補足する。
広陵の太守である張邈は陶謙寄りというより、袁遺寄りである。
「で、問題はこれに袁紹が呼応して南進してくるかどうかね」
そう口にしつつ曹操は視線を郭嘉の方へ向けた。
「あなたはどう思うかしら、稟」
その視線は稟―――郭嘉を試すような挑発的なものだった。
「はい」
郭嘉はそれを真っ正面から受け止めて口を開いた。その気概こそが曹操が郭嘉の最も気に入っている部分であった。
「袁紹の南進の可能性は低いと思います」
「何故?」
「放った細作からの情報によると、袁紹が軍を黄河に集めるなどの渡河の動きを見せているといったことはありません。しかし、董卓・袁隗側が笮融の鎮圧に手間取った場合、その限りではなくなります」
郭嘉は一呼吸置いてから続けた。
「鎮圧に時間を掛ければ掛けるほど各地の袁紹から叛乱や独立、寝返りを唆された勢力が一気に動き出すはずです」
「……でしょうね」
曹操も郭嘉の意見に賛成だった。荀彧も異を唱えなかった。
「間違いなく鎮圧には伯業が出てくるわね……」
曹操は脳裏に、あの無表情な顔を浮かべながら、地図で洛陽から徐州の下邳、彭城周辺までを指でなぞった。
「洛陽から徐州まで行軍するとしたら、どのくらい掛かるかしら?」
「軍の規模にもよりますが、普通の軍なら一月は掛かります」
郭嘉が答えた。
洛陽から徐州の下邳、彭城周辺までは約四八八キロ。それを陸路で移動しようと思えば、二度の糧秣の補給をしなければならない。以前にも書いたが、馬車で兵量を輸送する場合、二〇〇キロの地点で馬の秣が無くなってしまうからだった。軍の規模が大きければ大きいほど、その時間は長くなる。
これは郭嘉のみならず、殆んどの諸侯やその軍師たちが一月は掛かると予想していた。
「一応、風が
郭嘉が言った。風とは程昱の真名である。
「そう、風には念のため続けさせなさい」
曹操は命じながらも心の中で袁遺が速やかに笮融たちを鎮圧するだろうと考えていた。根拠はない。ただ確信があるだけだった。
徐州の変事はすぐに洛陽にも伝わり、袁遺に笮融討伐の詔が下される。
彼が事実上の全権を握っている軍の数は反董卓連合との開戦当初の五万にまで回復していた。
袁遺はそのうちの半分である二万五〇〇〇を率いて出陣することになった。
その内訳は張郃隊六〇〇〇、高覧隊五〇〇〇、雷薄隊五〇〇〇、陳蘭隊五〇〇〇、本隊は四〇〇〇である。張郃隊には王平と若蘭―――姜維が将校として所属している。雛里、司馬懿は袁遺の本隊にいる。また、それぞれが独自に補給できるように兵站部隊が加わった数字である。
出陣前の袁遺に賈駆が話しかけてきた。
「あんたなら言わなくても分かっているかもしれないけど、時間は掛けられないわよ」
時間を掛け過ぎて袁紹や各地の反董卓・袁隗勢力に攻めるには今だと思われてはいけない。むしろ、素早く鎮圧してプレッシャーを与えなければならなかった。
「はい、分かっています。それより……」
「分かっているわよ、糧秣の手当てと張邈の褒美についてでしょう。両方ともあんたの言う通りにしておいたわ」
賈駆の言う糧秣の手当てと張邈の褒美とは、前者は税の前払いという形で各地の太守、県令から糧秣を徴収できるよう許可を取ること。後者は軍を動かした張邈への配慮だった。
「ありがとうございます」
袁遺は頭を下げた。
「別にいいけど、本当に霞……張遼や呂布じゃなくてもいいの?」
賈駆が尋ねる。もし彼女が鎮圧の指揮を任された場合、このふたりの騎兵の機動によって早期決着を狙うからだった。
だが、袁遺はそれを否定した。
「騎兵は大飯喰らいですから―――」
「そんなの分かっているわよ! どうしても糧秣の特に秣の量が増えるから、それほど進軍速度が上がらないって言うんでしょう。それでもあのふたりの部隊の方が速いでしょう?」
普通なら賈駆の言う通りであったが、再編した袁遺の部隊では事情が異なった。
もっとも、そのことを今、賈駆に説明している時間がなかったために袁遺は、
「董司空の手元にも動かせる部隊があった方が良いでしょう。それなら私の将ではなく、張将軍や呂将軍の方が良いのでは?」
とだけ言った。
「それはそうだけど……」
賈駆は袁遺の言い分を納得しながらも、腑に落ちない様子だった。
そして、袁遺がこれからやることを目にしたとき、賈駆は逆に腑に落ちながらも、納得することができなかった。
袁遺は自分の予想を遥に超える速さで笮融を討伐してしまうからだった。それは賈駆にとって、自分は袁遺に敵わないと突き付けられたように感じた。
袁遺が、この洛陽~徐州の彭城までの道程で行ったのは分進合撃による戦略的な展開だった。
展開とは所要の時期、場所に部隊が良好な状態で到着し、作戦、戦闘に最適な状況と態勢をとることであり、戦略的なとはそれを点である戦場ではなく、もっと大きく広い戦域で行うことである。
そして、分進合撃とは軍を一本のルートで行軍させるのではなく、分散して複数のルートで機動させた後に集まって敵を攻撃することである。
だから、袁遺もそれぞれの旅団を五つのルートで進ませた。
しかし、分進合撃が体系化されるのはオーストリア継承戦争や七年戦争あたりであり、袁遺の部下たちがそれを行うのは当然初めてであった。
なら混乱が起きるはずであったが、彼らに大きな混乱はなかった。
何故なら、彼らがやるべきことは今までも袁遺に求められてきたことだからだ。兵を疲れさせず、脱落させず素早く進ませる。袁遺が常に部下の将校に求めていたことだったし、特に付き合いの長い四将はそれができるからこそ校尉にまで出世ができた。
だから、起きた問題に対しても彼らは素早く対処した。それだけの部隊運用能力と柔軟性が備わっている。
もちろん、彼らの能力を越える事態も起きたが、それを対処する準備も袁遺は用意していた。
それが参謀団だった。
その一例を見てみよう。
この軍旅で最も長い距離の行軍を行ったのは張郃の旅団であった。
彼らは早々に司隷から豫州へと入り、符離から徐州に進攻して張邈と合流すると笮融たちに思わせるのが目的だった。
そんな張郃の旅団に数十騎が近づいてきた。
それに一番初めに気付いたのは、旅団の先頭を行く威力偵察部隊であった。
隊長は王平で、本隊から約二〇〇メートル先を行く。さらにその先二〇〇メートルには下士官ひとりと二〇名の兵が先行し、ふたり一組の斥候を交代で二〇〇メートル先に出している。また、威力偵察部隊の左右三〇〇メートルのところに下士官一名と兵四名が斥候に出ている。
「参軍(将軍の幕僚)の司馬季達であります! 張校尉はいずこに!?」
騎乗の一団のひとりの女性が大声を上げた。
彼女は司馬馗。司馬防の三女で、司馬懿の妹である。
それに兵のひとりが、あちらですと応じた。
「忠義校尉殿」
司馬馗が張郃を見つけて、礼を取った。その所作に彼女の兄である男の面影を見つけながら、張郃も応じる。
彼らは行軍中のため、並走して話す。
「問題はありませんか?」
司馬馗が尋ねた。
「ある」
張郃は答えてから、声量を落として続けた。
「予定通りに進んでいるが、このままでは、たた目的地に到着できるというだけで戦闘力は極端に低下する」
如何な張郃でも能力の限界があった。五つのルート中で最も長い道のりを進まなければならないのである。無理は生じる。
張郃はそれを素直に告げた。袁遺がそうすることを望んでいるからだ。
トップにとって必要なのは率いている組織が有している本当の能力を把握し続けることであり、『上手くいかないこと』や『やれるだけやった現状』を明確に伝えないことこそ、袁遺が許さないことだった。
そして、司馬馗たちはただの伝令ではなく、参謀である。問題を解決するために本隊から送り込まれてきたのだ。
分かりました、と司馬馗は答え、一緒にやって来た部下からいくつかの書簡と地図を受け取り、何かを照らし合わせる。それから地図を示しつつ、口を開いた。
「陳の町に、二頭立ての馬車が二〇両、確保してあります。それをお使いください。ただ―――」
「分かっている。ただ、今日中に陳に到着しなければ、予定より遅れると言いたいのだろう?」
張郃が言葉を遮った。袁遺の下で将校をやっているのである。それくらいの計算はできる。
張郃は前途に光がさした様な気がした。
二頭立ての馬車二〇両が手に入るなら、いくらでもやりようがある。おそらく三分の一は馬の秣を運ぶために使うが、残りは兵の荷物や疲れた兵自身を乗せてやることができる。かなりの楽ができるはずだ。今日中に陳に着かなければならないのは確かにつらいが、行った先で楽ができることを兵に伝えてやれば、彼らの気分も変わる。
「助かった。それで君たちの方は問題はないか?」
今度は逆に張郃が尋ねた。
袁遺によって、やってきた参謀の要求には可能な限り応えろと厳命されていたからだ。
「元気な馬を一〇頭、融通してください」
司馬馗が言った。
彼女たちはそれぞれの担当の部隊と本隊を往復したり、ときには町へと先回りして糧秣を整えるといった仕事を行っている。
そのため、空馬を何頭も引き連れて、馬が潰れたら乗り換え、潰れた馬を食料にして動き回っている。
張郃は分かったと言って、兵站将校を呼び、司馬馗の望むように整えさせた。
このような光景は、それぞれの旅団でも見られた。
高覧にしろ、雷薄にしろ、陳蘭にしろ、彼らは将校や下士官と起こった問題に対処する。それでも無理なことが生じた場合、袁遺によって権限を与えられた参謀たちに相談し、解決を図る。それでも無理な場合、袁遺が他の部隊に指示して全軍の足並みを揃えさせた。
重要なのは共通する目標に、全軍が同じタイミングで到達することである。
だから、袁遺の本隊、その参謀本部には各地を移動する参謀から情報がひっきりなしに入ってくる。
「高校尉の手勢が兗州から豫州へと入りました。これで全ての部隊が豫州に入りました!」
「杼秋での糧秣の補給の準備が整いました!」
「張広陵太守は徐州の僮あたりに軍を駐屯させているようです!」
「笮融軍は現在、下邳周辺に駐屯しています!」
報告の度に地図の上に色のついた石が置かれ、兵糧や馬の数が用意されると書簡にそのことを記し、参謀たちに情報共有される。
「糧秣に問題はないな」
袁遺は報告を聞き、地図を見ながら呟いた。
この軍旅が始まって以来、袁遺は常にそのことを気にしていた。
今まで彼は馬車限界を越えない二〇〇キロの範囲でしか戦争をやったことがなく、今回のような五〇〇キロ近い戦域で戦争を行うのが初めてだったからだ。
これまでのような方法で糧秣を補給し続けることはできない。
だから、袁遺はやり方を変えることにした。
まず初めに思い付いたのは船を使うことだったが、すぐに不可能な思い付きだと破棄した。
開封が首都で水路が整備されていた宋の時代ならともかく、後漢末期ではそこまで河川が整備されていない。河がつながっているいないの問題ではなく、堰や閘などの水位の違う場所を進ませるための堤や水門がないからだ。
そこで袁遺が採ったのはハンニバルやカエサル、テュレンヌ、ナポレオンが行った方法であった。
後方連絡線の維持を同盟者に任せる方法である。
袁遺はそれぞれの旅団に三~四日分の食料を持たせて、行軍の途上の町で細かく補給を行うことにした。
全軍二万五〇〇〇の補給を一ヶ所で行うには時間もかかるし、必要量が手に入らないかもしれないが、四〇〇〇~六〇〇〇なら何とかなる。親董卓・袁隗勢力の地域を通るため各個撃破される心配もない。
税の前払いとして、食料や秣、金を各地の県令、太守から徴収する。
また、税を納める必要がない郡国の中には自ら進んで、食料や軍需物資を差し出すところもあった。
もし、袁紹に漢王朝が打倒された場合、各地で王に封じられている劉氏は、その地位を失うことになる。保身のためには袁遺に負けてもらっては困るという事情があった。
将の献身と参謀の頭脳、そして、それらをここまで作り上げた袁遺の執念が軍勢を加速させ、多くの諸侯が一月近くは掛かると予想していた徐州まで、半分の十五日足らずで到着した。一日平均約三三キロという速さだった。
張郃が
袁遺は、そこから張郃の旅団を徐州へと進ませ、張邈軍に合流させようとした。
これは笮融への欺瞞だった。
笮融はまさか、こんなに早く袁遺が到着するとは考えておらず、その注意を張邈へと注いでいた。
そんな中で突如出現した六〇〇〇の軍に彼は驚いた。笮融はその六〇〇〇の軍の正体を確かめようと、さらに下邳の南に注意を払うことになる。
だが、このとき袁遺ら四つの旅団は、まだ合流せずに素早く笮融の軍の北側に回り込んでいた。
袁遺は高覧、雷薄、陳蘭の旅団に笮融軍を背後から攻めるよう、伝令を送ろうとしたが、それを雛里が止めた。
「お、お待ちください。ここは予定戦場の少し手前で一旦、三将と合流しましょう」
雛里の進言に袁遺はいつもの無表情で返した。
「確かに、君がいるからそれもいいが、これからもっと大きく広い戦域で戦うことになるだろう。各旅団長に大きく権限を渡して戦わせることもやっておきたい」
ふたりの考えの違いは参謀団と分進合撃のナポレオン方式かモルトケ方式かの違いである。
雛里はナポレオン方式であった。
雛里の戦術レベルでの指揮や策、その才能と能力は現在の諸侯の中でも匹敵する者を探すのが難しい程である。だから、全軍が彼女の駒として自在に動けば、恐ろしい軍となるだろう。それが証明されたのが、反董卓連合のときの袁紹軍との戦いである。雛里は常に先手を打ち、敵の思惑を尽く封じ込め、遭遇戦で二倍以上の敵を打ち破るという大戦果を打ち立てた。
だから、全軍を駒とするために戦場の手前で戦力を合一する。
そして、このナポレオン方式では参謀は頭脳ではない。
参謀は総指揮官の手足として、情報収集や命令伝達、事務処理に従事することになる。それは些か袁遺の作り上げた参謀団の持ち味を殺し過ぎるきらいがある。
対して、袁遺のモルトケ方式は参謀本部が全軍の頭脳として全体構想を策定し、各軍団に派遣された参謀が軍団長を補佐する。分進合撃もナポレオン方式と違い、戦場で戦力を合一する。
若干、言葉遊びにもなるが、こちらは各軍団に
もちろん、こちらにも問題がある。参謀統帥に陥りやすく、統帥権を与えられるも責任は薄く、最終的に参謀の暴走を招く。
どちらも一長一短であるが、この場は袁遺の案のままで行くことにした。
雛里もこれから、もっと大きく広い戦域の戦争を経験するだろうという予感はあった。
ただし袁遺は、
「今回はこうするが、君の言う通りの戦場手前で集めてからの合撃も必ず起こる、そのときは頼むぞ」
と雛里へのフォローも忘れなかった。仕えにくい主の袁遺でも、それくらいの心遣いはできた。
そして、笮融は袁遺の策に嵌った。
彼は張郃と張邈の合流を防ごうと軍を動かし、その後ろから高覧、雷薄、陳蘭の三人の旅団に襲われた。
笮融の軍は一瞬にして崩壊した。
彼らの誰もが何が起きたのか分からなかったのだ。後になって考えれば、後方から敵に襲われたと簡単に分かることでも、意識を向けていた場所とはまったく違う所から攻撃されたのである。虚を突かれたとはまさにこのことであった。
パニックは瞬く間に広がり、軍の統制は笮融の手から離れた。というより、笮融も薛礼もパニックに陥り兵と共に逃げ惑った。そして、彼らはその混乱の中で命を散らした。
この戦争は、戦った時間よりも降伏して来た兵たちから、その事実を聞き出す時間の方が掛かったくらいだった。
「参ったな、笮融と薛礼の死体を見つけるのは難しそうだ」
その報告を聞いた袁遺は頭を抱えた。
冗談を言ったのかなと思った雛里だったが、その顔がいつもの無表情だったため、本気で言っているようだった。
そして、この戦争の結果を聞いて同じように頭を抱える者たちが多数存在した。
それは各諸侯の軍師たちである。
何故なら、袁遺が行った作戦はどう見ても外線作戦―――相手を複数の部隊で包囲して主導権を握ろうとする戦術―――だったからだ。
軍師たちは反董卓連合の戦いや袁紹の劉虞・公孫賛討伐の戦いで内線作戦―――複数の相手に挟まれた状態で主導権を握ろうとする戦術―――の方が有利という前提で研究を進めていたのである。それが引っ繰り返された。
始めから研究のやり直しだよ! 皆が異口同音に思った。
ただし、袁紹陣営だけが、その研究に遅れることになる。政治的な理由により内線作戦の方が有利と固執してしまったからだ。
袁紹たちは袁遺の勝因を簡単に背後を突かれて呆気なく潰走した笮融の無能に求めた。
それが将来、袁紹陣営に大きな災いとして降りかかることになる。
笮融を撃破した袁遺は下邳へと入城した。
そこには笮融が貯めこんだ物資があり、袁遺はそれを接収した。そして、その量を調べる。
彭城の方にも陳蘭とその旅団が参謀を引き連れて、同様のことをしている。
その物資は、豫州のいくつかの町に運び込まれることになった。これで、もしまた再び豫州を通って進軍しなければならないときは、そこから糧秣を補給することができる。
袁遺はすぐに輸送計画の立案を参謀たちと始める。参謀団ができたことで、その効率は以前よりも格段に良くなった。
その作業の最中、張邈が下邳へと向かって来ていることを知った。
袁遺はすぐに城門の外まで行き、彼女を出迎える準備をした。
張邈が軍を引き連れてやって来た。彼女が馬に跨って先頭だった。
袁遺はそれを確認すると礼を取り、跪いた。今度は張邈がそれに気付き、急いで馬から降り、駆け寄って袁遺を抱え起こした。
「お止めください、袁将軍」
旧知の仲であるふたりだが、互いに守るべき礼節がある。そのことを弁えた態度だった。
「いえ、張太守には先の袁紹の叛乱軍との戦で命を救われております」
袁遺が言った。張邈が袁遺の書簡の通りに連合を抜けて帰ったことを言っているのだった。
「それにこの度は笮融と薛礼の叛乱に兵を動かし、彼らの足止めを行って頂きました。そのおかげで私は功を上げることができました」
袁遺は大げさに張邈を持ち上げた。
これも書簡に書いた約束の履行だった。
現在、袁遺という存在はひとつの重みを持っていた。
太傅であり清流派名士からの信望の厚い袁隗の甥にして、二〇万の軍を四万で破り軍才を示している。今回の笮融討伐でも武名をまた上げるだろう。
そんな男が丁寧な態度で接するだけで、張邈は周りから一目置かれることになる。
もちろん、甘い汁を啜ろうとしてやってくる者もいるが、それを排除するくらいのことは張邈ができると袁遺は信じていたし、それくらいできないなら何をやっても生き残れない。そして、それは袁遺の無能ではなく張邈の無能であり、その無能の責任を取るのは袁遺でなく張邈自身である。
袁遺と張邈は並んで歩きながら、そう言えばあのときはこんなことがあったと昔話に花を咲かせ、久闊を叙す。
互いが親友であり尊敬し合っていることを(事実ではあるが)大げさに演出する。
下邳城の一室に酒宴の準備がなされ、袁遺は雛里と仲達を、張邈は妹の張超を伴って席に着いた。
そこで両者の雰囲気が変わった。
「さて、もういいかしら?」
「ああ」
張邈の問いかけに袁遺が相槌を打った。
「久しぶりね、伯業」
「うん、久方ぶりだ、彩雲」
ふたりの間には先ほどまであった、わざとらしい大げさな感じが消え失せ、極めて自然な空気がそれに変わった。
「改めて礼を言わせてくれ、君が笮融を足止めしてくれたおかげで大勝利を上げることができた、ありがとう」
「ただ遠巻きにしていただけだけど、素直に受け取っておくわ」
「うん、そうしてくれ。その方がやりやすい。私は洛陽に帰った後で、君たちに功があったと上奏するつもりだ」
袁遺の視線は張邈―――彩雲から妹の張超―――景雲に移動する。
「それで、ひとり、この下邳を任させる人材を挙げて欲しい。笮融の空けた席に座らせることになっている。根回しはすんでいる。ああ、もちろん、君の息の掛かった者をだ」
「袁紹が青州から西進して来たときの防波堤として?」
「それもあるが、揚州に対してもだ」
「彭城の方は?」
「司空が適切な人材を置いてくださるはずだ」
「そう、分かったわ」
彩雲は袁遺の狙いを看破した。
徐州と豫州の境である彭城・下邳一帯を信頼できる者に任せて袁紹の西進を防ぐ。そのために、徐州の豊かな土地である下邳、広陵を専有させることで力を蓄えさせ、戦力を強化する。それが袁遺の考えだった。また、袁遺が全てを決めてしまうと董卓というより賈駆の立場がないので、彭城の方は董卓側に人選を任せることにした。
彩雲はしばらく考えると、やおら口を開いた。
「それじゃあ、下邳には私が行くから、後の広陵太守は妹に任せるようにしてもらえるかしら?」
「ちょ、ちょっと、姉さんッ!? ……じゃなくて、太守」
姉の口から出た言葉に妹の景雲は驚きの声を上げた。
それに対して姉はどこかのんびりしたような声で返した。
「あ、別にそんな風に畏まらなくていいから。いつも通り、いつも通り」
それを受けて景雲は袁遺たちの顔色を窺ったが、彼らは別段、気にする風でもなく、泰然としていた。
逡巡の後で、それならいつも通り行かせてもらうと景雲は口を開いた。
「…………姉さん、そんないきなり決めるんじゃなくて、広陵の皆と相談して決めた方がいいんじゃない?」
「大丈夫、大丈夫。皆、あなたなら文句は言わないから」
事実だった。
この姉妹、容姿は似ているものの、姉が幼く見えるのに対して、妹は大人びて見えると人に与える印象は正反対であった。
それと同じように名士たちから受ける評価も似ているようで、正反対である。
双方ともに人徳ありと評価されているが、姉はその清廉な人柄で尊敬を集めているのに対し、妹は才知や能力ある人物にはその年齢、身分こだわらずに謙虚に接することから、名士たちは張超のために報恩を尽そうとする。
簡単に表すなら、姉が敬われているのに対して、妹は可愛がられている、と言ったところか。
「だから、いつも通りやればいいから。実務のことは
「姉さん」
「あ、ただし、衛茲は連れていくから」
彩雲は、じゃないと私の人手が足りなくなるからとカラカラ笑った。
景雲は小さな声で、姉さんは……と呟き、呆れた様でありながら、眩しいものを見る様な表情をした。そして、意を決したように続けた。
「分かった、広陵の方は任せておいて」
姉にそう言うと、今度は袁遺へと向き直った。
「そのようによろしく整えください、袁将軍」
そして、頭を下げる。
「分かりました、お任せください」
それに袁遺は丁寧に返した。
「それじゃあ、少しは赤い顔と酒臭い息をしておかないとまずいわね」
その様子を見届けた彩雲が盃を掲げた。袁遺もそれに続く。
ふたりとも痛飲することはなく、本当に酒宴をやったと偽装する程度に抑えた。
そして次の日、彩雲たちは引継ぎの準備をすると広陵へと帰っていった。
袁遺は当然、それを見送った。
張邈と袁遺のやり取りは徹底的に理性的であり打算的であった。
それこそが今この場で最も誠実なことだからだ。
互いの利益を第一に考え、相手にとっての自分の価値を高める。生き残りをかけて動いている両者にとって最も必要なことであり、相手を思えばこそ行うことだった。
その後、袁遺は物資の輸送計画と帰りの行軍予定を立て終わると、司馬懿と高覧の旅団、それに参謀数人を下邳と彭城に次の太守が赴任するまで、そこを統治させるために残して、洛陽へと帰っていった。
徐州の問題が片付いた中で、次の問題が起こっていた。
その始まりはひとりの女性の罪悪感からだった。
14 劉皇叔
袁遺、人生で二度目の上奏は洛陽へ帰還してすぐに行われた。
徐州での笮融との戦いを帝に報告して、皇帝が功あった者に恩賞を下すための奏上であった。
そういった意味では宣伝目的として行われた前回の奏上とは違い、今回こそが本来の上奏の役割である。
ただし、一番の違いはひとりの人物がそれに参列していることだった。
その人物とは劉備、反董卓連合のときは連合側で参戦し袁遺たちと戦った人物である。
そんな彼女が皇帝の叔母―――皇叔として、上奏に参加している経緯を知るには、袁遺が洛陽を留守にしている間のことを語らなければならない。
彼女が義妹の関羽や張飛、軍師の諸葛亮、それに趙雲と僅かな供回りで洛陽へとやって来たのは、袁遺が出陣して割とすぐだった。
劉備と旧知の仲だった公孫賛が彼女を引き入れたのだった。
袁紹に敗れた公孫賛は打算が含まれているとはいえ、袁遺たちの好意によって中郎将の地位にあった。
公孫賛は自分が幽州の反袁紹戦力と結ぶために利用されていることは分かっていたが、それについて反感や不満を抱かなかった。
董卓や袁隗、袁遺の事情も理解できるし、打算的な面があるとはいえ助けてくれたことは感謝している。そして何より、彼女には反董卓連合に参加したという負い目があった。
そう負い目、劉備たちを引き入れたのも負い目からだった。
袁紹に領地を追われた劉備から、助けてほしいと頼まれた。
劉備が難しい立場にあることは公孫賛も簡単に分かった。
反董卓連合に参加し、董卓や袁隗、袁遺と敵対した。その後で袁紹に攻められたのである。彼女はふたつの巨大勢力と敵対したことになる。そんな劉備を匿うことは、その両者を敵に回すのと同じ意味であった。だから、董卓・袁隗勢力で立場を得た公孫賛に取りなしてもらうのが、一番の逃げ道だった。
公孫賛はそれを承諾した。
袁紹に自分を匿っていると難癖をつけられて攻められた友人に負い目を感じたからこそ、劉備たちを助けようと思ったのだ。
このとき、最も頼りになりそうな袁遺は徐州へと軍を率いて出陣したため、その協力を得られなかったが、共に幽州から逃げて来た劉虞の協力が得られた。
劉虞も袁紹との戦いで公孫賛に兵を出してもらった恩返しに協力したのである。
劉虞はすぐに袁隗と董卓に話を持ちかけた。
「……本当に、この劉備は中山靖王の末裔なの?」
賈駆が尋ねた。
劉備の処遇について董卓と賈駆と袁隗で話し合うことになったのだった。
そして、賈駆と袁隗は劉備の一番の問題は中山靖王の末裔と自称していることだと考えた。
もし、それが本当なら受け入れる以外の選択肢はない。
現在、董卓・袁隗が袁紹より有利な点のひとつに大義の大元の漢王朝と帝を抱えているというのがある。
そんな状況で皇帝の血筋の劉備を保護しないのは劉氏を蔑ろにしていると取られて、自分たちの優位を捨て去ることになる。
「中山靖王の末裔かどうかは分からないが、属尽としていくつかの税が免除されていたようだ。それは確認できた。宗族に連なる者というのは疑いようがない」
袁隗が言った。
属尽とは皇帝の子孫ではあるが、代を重ねるごとに疎遠なった宗族のことを指す。宗室の名簿から外れてはいるが、兵役などの一部の税の免除の特権も持っている。
袁隗と賈駆の中で劉備という人物の評価は高くなかった。
腕の立つ将とあの雛里と並び称された軍師を抱えている、人望があると噂される人物。それが両者の認識だった。
仕方がないといえば、仕方がないことだった。劉備に限らず、反董卓連合に参加した諸侯の中には袁遺に解散に追い込まれたせいで、実際の実力よりも過小評価されている者がいる。劉備もそのひとりだった。
だから、袁隗と賈駆は劉備を受け入れることにした。
もっとも、劉備が皇帝の子孫であること。公孫賛と劉虞にさらに貸しも作れること。劉備だけ反董卓連合に参加したことを理由に受け入れを拒否すれば、曹操や袁術、張邈といった他の連合に参加したが、今は親董卓・袁隗の立場にある人から―――もしかしたら、いつか連合に参加したことを罪に問われるのではないかという―――不信感を買うことなどを考えると劉備を受け入れる以外の選択肢がなかった。
劉備たちは洛陽へと入城した。
劉備を受け入れるとは、ただ入城させ、衣食住を与えてやることではない。彼女の名誉を回復させてやる必要がある。
その一環として劉備は皇帝に謁見することになった。
劉備の血筋を怪しむ者もいるが、皇帝に謁見して、その血筋だと正式に認められれば、劉備の評価もあがるだろう。
袁隗と賈駆、最大の誤りは劉備の人柄を過小評価し過ぎたことだった。
この謁見以来、皇帝は劉備を気に入り、何事につけても皇叔と慕うようになったのだ。
劉備には人を惹きつける何かがあった。その何かが劉弁を惹きつけた。
そして、劉弁が無意識のうちに味方を求めていたことも、劉備を慕う原因でもあった。
漢王朝の反逆者という袁紹が黄河の向こう側で大勢力を誇っている。
その袁紹は同じ漢王朝の血筋を引く劉虞や劉備を攻め、その領地を奪った。自分もいつか袁紹に攻め滅ぼされるのではないか、そんな恐怖を幼い皇帝は感じていた。
彼女は袁隗のことも董卓のことも信頼していないわけではない。ただ、彼らにない安心感を、劉備の言葉に、雰囲気に、笑顔に感じたのだった。
劉備の立場は一夜にして変わった。董卓・袁隗と袁紹の両方と敵対したため、どこの勢力にも頼ることのできなかった流浪の身から、最も皇帝から頼られている者という立場になったのだ。
この皇帝と劉備周りのことを董卓は仕方がないと思った。
陛下の不安も分かるし、それが安らぐのが一番だ。董卓は心優しかった。
袁隗は先手を打った。
皇帝から信任厚い反董卓連合に参加した宗族の血を引く者。それが董卓・袁隗の二頭体制に不満を持つ者にとって、どれだけの求心力を持つかを考えた。そして、誰が劉備側に付かれた場合、自分たちにとって致命傷となるか考え、その者の取り込みにかかった。
ひとりの人間の負い目から始まったことは、どんどんと形を変えて人々に大きな影響を与えていく。それは洛陽のみならず、黄河の向こう側にも伝わり、ある害意が乗ることになるのだった。
袁遺が徐州の賊を討伐し、洛陽へと帰還の途上にあることが董卓たちに伝わったのは、そんな状況下のときであった。
日数でいえば、袁遺が洛陽を出立してから二十一日後、笮融を討ってから六日後のことである。
通常なら、信じられない早さの討伐である。
その早さが各地の袁紹に誑かされた者たちが連鎖的に独立するという状況を防いだ。彼らからすれば理解不能な早さであったから、迷いが生じたのだった。もしかしたら、自分も簡単に鎮圧されるのではないかと。
しかし、これを評価しない者がひとりいた。より正確に言うなら、評価できないのだった。
その人物が洛陽にいる幾人もの運命を狂わせることになる。
補足
・下邳郡太守の笮融
正史・三国志の孫策伝では笮融は下邳国の相となっているが、184年に下邳王劉意が死亡したのを契機に下邳国が廃止、下邳郡となったので下邳太守にしました。
後、豫州と徐州の間のところには郡国が多いんですが、それが廃止されているかどうか微妙なところはバッサリ郡国ではなくなったことにしています。
・堰や閘
川は全てが同じ水位というわけではない。高い所もあれば低い所もある。
堰は堤のことである。水位が違う川の一帯に土盛りを設けて、船を曳航して土盛りの上を強引に超えさせるのだが、これは船底を傷めるうえに時間が掛かった。
閘は水門のことである。それで水位ごとに区切りをつけて、船を次第に水位の高い所に移すのである。現在でも用いられている方法である。
始めは堰の方が多かったが、北宋末期から閘の数が増え始め、南宋の頃には逆転していたようだ。
・袁綏、臧洪、趙昱
袁綏、広陵の人。張超の家臣。正史では広陵太守の張超が反董卓連合に参加しているときに広陵の実務を取り仕切っていた。
臧洪、広陵の人。張超の家臣。正史・三国志に伝がある。詳しくはそれを読んで欲しいが、ひとつだけ言っておくと、反董卓連合のとき、酸棗に集まった諸侯は天に董卓討伐の誓いを立てるのだが、その役目を臧洪することになった。
彼は祭壇で皿を手に取って血を啜り、天に誓いを立てる。
それを要約すると、兗州刺史・劉岱、豫州刺史・孔伷、陳留太守・張邈、東郡太守・橋瑁、広陵太守・張超の五人は正義の兵を糾弾して、力を合わせて董卓を討つと宣言するのである。
あれ、山陽太守も酸棗に集まっていたはずなんだけどな……おかしいな……
趙昱、広陵の人。この人は張超の部下ではなく、張超の次の広陵太守。笮融に殺される。だけど、この二次創作では張邈の部下ということにしました。
この三人、たぶん、これ以降、本編で出番がないと思うから、補足で補完しておきます。
・13 分進合撃
この戦いはナポレオン戦争のウルム戦役と普墺戦争のケーニヒグレーツの戦いを参考に書きました。
両方とも分進合撃について取り上げられることが多い戦いですが、実は両方とも補給の面で失敗した作戦だったんですよね。
ウルム戦役は途中途中で補給を試みたけど、市井のパン屋にビスケット口糧の作り方が分からないって言われて長旅用の堅パンの調達が上手くいかなくて、ベルナドットやマルモンに司令部を当てにするなと警告してました。
ケーニヒグレーツの戦いも補給が上手くいかず、略奪が横行。普仏戦争でも補給が上手くいかない場面があり、書籍の中にはモルトケの補給術は理屈倒れだという痛烈な批判もあります。
だから、補給の面ではあまり参考にしていません。
補給の面ではイエナ会戦以降のナポレオン、それと本文で書いたようにハンニバルやカエサル、テュレンヌが行ったものの良いとこ取りですね。
それと今回も地図を作りました。
いつもの!
で通じればいいのですが、初見さんに優しくないので―――距離や位置などは正確ではありません。イメージの参考程度で、これが地図として正確だとは思わないでください。
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