異・英雄記   作:うな串

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すいません、今回は少し短いです。


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15 楽毅を亡命させ、伍子胥を殺し、西門豹を野に追い、長平に二〇万も生き埋めにし、信陵君を殺し、斛律光を殺し、袁崇煥を殺したもの

 

 

 徐州の叛乱だけに注目すると、この互いの外縁を侵し合う戦いは袁紹が圧倒的に有利であるように見えるが、その実は違う。

 幽州や并州では劉虞や公孫賛を受け入れた成果が出ていた。

 袁遺は、まず袁紹に靡かなかったことから外交で孤立化された張燕と細作を使って接触し手を結ぶ。そうしておいて、今度は幽州の烏丸や鮮卑を劉虞の威光を使って動かし北辺に圧力を掛ける。

 彼らの戦い方は基本的に張燕が攻められそうになれば幽州と并州の境で暴れ、それを鎮圧しに袁紹軍がやってくれば逃げ、他の場所で暴れるという戦法である。

 そのせいで袁紹は張燕を完全に潰すことができず、さらに幽州に想定よりも多くの兵を割かなければならなかった。

 だから、袁紹軍の中にはふたつの意見があった。

 ひとつは田豊や沮授が主張する意見で、袁遺軍が黄河を渡り攻めてきたところを迎え撃ち、冀州内で袁遺軍を破る作戦。もうひとつは郭図が主張する、戦場をとっとと敵地の黄河以南に移す作戦である。

 両者の言い分には、それぞれ筋が通り、納得できるところがあった。

 田豊と沮授の作戦は上記のように幽州にそれなりの兵を配置しなければならないため、兗州の曹操を一気に揉み潰すだけの軍勢が確保できない。それに徐州の手際から見て袁遺が素早く動けることを考えると曹操を潰す前に合流される可能性が高い。だから、自分たちから攻め込むのは難しいと考えたのだ。

 現在、袁紹が動員可能な兵数は一四万~一七万であるが、北方の異民族と張燕のせいで常に幽州・併州に八万の軍を待機させていなければならない。

 そのため仮に曹操領に攻め込むとなると動員できる人数は一〇万にも届かない。曹操の軍勢は五万近く(ただし無理な動員を行えば、さらに大きな数字になる)なので、攻者三倍の原則を考えれば些か心もとない数字である。

 それに、この軍師ふたりは解決すべき問題は袁遺とその軍であると考えている。

 袁遺が反董卓連合を解散に追い込み、その戦いの中で傷付いた諸侯が漢王朝(実質的に董卓・袁隗)に従っているから漢王朝の権威が復活してきたのだ。

 つまり、各地の諸侯は別に漢王朝を敬っているのではない。袁遺が怖いのだ。

 だから、袁遺とその軍さえ叩けば、袁遺の作った反袁紹の同盟は瓦解し、再び宿った王朝の権威は消し飛ぶことになる。

 なら、内に誘い込んで確実に袁遺と軍勢を仕留めるべきだと、ふたりは考えていた。

 対して郭図は、それは曹操を高く評価し過ぎていると言う。

 郭図は曹操の能力を侮っているのではない。人格を否定しているのだった。

 曹操は野心の塊のような人物であり、王朝に対する忠誠心もなく、袁遺と手を結んでいるのは利益があるからでしかない。離間工作の隙は十分にある。

 だから、曹操を攻めるにはその部分を攻めればよい。

 曹操は反董卓連合のときに受けた領地や軍のダメージを回復するために袁遺と手を組んでいる。なら、曹操の軍勢と決戦をするのではなく、騎兵部隊とその援護の部隊を複数派遣し、略奪などで土地を荒らし、曹操に袁遺と手を組んでいることにメリットがないと思わせる。連合で袁遺がやったように同盟関係を壊す作戦である。

 両者には利点があるように欠点も存在する。

 まず、田豊と沮授の迎え撃つ案であるが、そもそも自領に敵を入れるということはそれだけで脅威である。

 郭図の案では、袁紹軍は一度曹操領で略奪を大規模に行っているため、曹操が感情的になり利益を度外視して袁紹と敵対し続ける可能性もある。また、離間工作は時間が掛かることである。

 しかし、現実はどちらの案も採用されることがなかった。

 というのも袁紹が、袁遺はもちろんのこと、自分を裏切って袁遺と手を結んでいる曹操にも殺意を持っているため曹操と手を結ぶという選択肢はなく、敵が攻めてくるのを待つというのも御免だった。だから、別の案を考えろと軍師たちに命じたのだった。

 田豊も沮授も郭図も頭を抱えたが仕方がないと割り切った。言い出したら聞かない主である。

 そんな状況で、劉備が洛陽へと入り、皇帝に皇叔と気に入られていることが黄河を越えて、袁紹陣営にも伝わった。

 当然、袁紹の軍師のひとりである郭図の耳にも入った。

「劉備がな……」

 郭図の声と表情にはあからさまな侮蔑が含まれていた。

 彼の劉備の評価は低い。

 綺麗事ばかり言う偽善者で、平原を攻めたときは鎧袖一触であった。徳を売りにしているようだが、反董卓連合に参加しながらも、董卓の庇護下に入るのが徳かと鼻で笑いたかった。

 だが、郭図の表情が変わった。

 彼の頭の中で計算が始まり、劉備に新たな価値を見出したのだ。

「ああ……皇叔か。皇叔、皇叔、なるほど。では皇叔に認められた祝いを送らねばならないな」

 郭図は笑う。口元の歪みには邪悪さが滲み出ていて、目の輝きは残虐性を宿していた。

「劉皇叔には是非とも喜んでいただきたい」

 郭図は子飼の細作を呼んで、ある噂を青州で流す様に命じた。流言工作である。

 主である袁紹に相談することなく、独断で動いたが、郭図は何も憚る様子はない。これが成功したとき、袁遺が苦しむ。その一点が郭図を突き動かしていた。

 それに失敗したとして、自分たちには何の被害もない。やっておいて損のない工作だった。

 噂はすぐに広まった。言葉は恐ろしい。ときに馬よりも早く人々の間を駆け巡る。

 そして、その噂にある種の信憑性が宿ったのは、袁隗と賈駆が読み違えた劉備の人器によるものだった。

 

 

 袁紹陣営がそうであるように、董卓・袁隗陣営も袁紹について話し合われていた。

 後将軍府には、その主の袁遺、彼の軍師の雛里と司馬懿、それに賈駆と陳宮、さらに話し合いで出た必要事項を記録する主簿の男もいた。

 主簿の男は楊俊。字は季才。司隷河内郡獲嘉(かくか)県の出身であり、司馬懿が袁遺に人材を挙げるように命じられたとき、最初に名を上げた人物だった。

 楊俊は名の通った人物鑑定家だった。彼はかつて司馬懿を「非常の器」と評し、それによって司馬懿は名士間での声望を得た。司馬懿はそのことに恩を感じていたのだった。

 楊俊は反董卓連合が起こると、洛陽周辺にいるのは戦に巻き込まれると考え、付近の住民を連れて山に逃げた。

 また、反董卓連合と袁遺の戦が終わった後も各地で賊が跋扈したときに誘拐され、奴隷として売られた者を家を傾けてでも救済した。

 そんな楊俊を仲達は推挙した。

 名を上げるきっかけを作ってくれた恩返しという訳ではなかった。楊俊に才能があり、主の袁遺の役に立つを計算してからだった。

 それに恩返しなら、よりにもよって仕えにくい袁遺の下になんか推挙はしない。

 余談になるが、この楊俊が奴隷から救った王象も袁遺の下で参謀として推挙された。

 楊俊は筆に墨を浸しながら、袁遺たちの話を聞いていた。

 当然、彼は知らなかったが、袁紹陣営と似たようなことが焦点だった。

「鮮卑や烏丸、それに張燕さんのおかげで、現在、袁紹軍はかなりの兵力を幽州・并州に割かねばならない状況です」

 雛里が地図を示しながら、集まった皆に言う。

「袁紹軍が対黄河以南に動員できる兵力は多く見積もっても一〇万です」

「それで、こちらはどのくらい動員できるのよ」

 賈駆が尋ねた。

「こちらは五万。それに曹兗州牧が同じく五万。さらに現在、長安の張既さんが馬涼州牧と戦になった場合は援軍を送ってくれるよう交渉を行っています」

「ほぼ同数ね」

 史実なら袁紹と黄河を挟んで睨み合ったのは曹操であるが、袁遺という異物がそれを変えてしまったため、あらゆることに影響が及んでいる。

 袁紹陣営でいえば、劉虞と争い、追い落としたために鮮卑や烏丸と対立してしまっている。

 そして、董卓・袁隗陣営でいえば、洛陽や長安は荒廃していないし、徐州で虐殺も起きていない。涼州や荊州、揚州も表面上は恭順の意を見せている。

 だから、両者の動員できる兵数の差は殆んどなかったし、なんなら、董卓・袁隗側の方が多かった。

 しかし、多いと言っても、

「冀州に攻め込むには心許ない数字ね」

 であった。

 賈駆は続けた。

「それに曹操と涼州牧の援軍とこっちの混成軍でしょう。統制を取るのも難しいよ。最悪、反董卓連合のときにあんたがやったことをやられるわよ」

 つまり、袁遺がやったように内線の利を活かして、決戦を避けて敵兵力を一ヶ所に集めずに各個撃破する作戦である。実際に袁紹は内線作戦で劉虞と公孫賛を破っている。

「なら、袁紹を迎え撃つ作戦しかないのです」

 陳宮が言った。

「黄河を渡らせて城塞や要害で戦いながら疲弊させ、こちらの懐に誘い込んだ後で袁紹軍を叩くのです!」

「で、でも、曹操さんは陳留を袁紹軍に荒らされたことで、私たちと手を結びました。そのことを考えると……」

 雛里は反論しながらも語尾を濁した。

 再び領地が荒らされると裏切るかもしれないとは口にしづらかった。他人を何度も人を裏切る変節者呼ばわりは気が引けた。

 しかし、彼女の主はそんなことを気にせず踏み込んで切り捨てた。

「兗州が彼女の許容範囲を超えて荒らされた場合、曹州牧は確実に裏切る。それは間違いない」

 そう言った袁遺の顔に賈駆と陳宮は侮蔑を込めた視線を浴びせた。

 だが、袁遺は気にしなかった。曹操に裏切られたくなかったら、彼女にとって利益のある存在で居続けることこそが誠意である。

「じゃあ……どうするのよ?」

 賈駆は袁遺のそういう実際的過ぎる所に呆れながら、尋ねた。

「そうですね……」

 袁遺は考えた。

 問題は袁紹の兵数である。それを何とかしなければならない。といっても、真っ正面から戦うのではなく、弱い所から切り込むのである。

 冀州の人口、名士との関係、兵の動員、それを考えたとき、袁遺にひとつの戦略が見えてきた。

「……鳳統、司馬懿」

 袁遺が軍師ふたりの名を呼んだ。

「は、はい」

「何でしょう、将軍」

 ふたりが応じる。

 袁遺は、今から私の言うことで間違っていると思うことを言ってくれ、と前置きしてから話し始めた。

「袁紹が二〇万近い大軍を有しているのは人口の多い冀州を領地としているからだ。まず、これは間違いないな」

 雛里は、うんうんと頭を縦に振った。司馬懿は、間違いありませんと言う。

「その二〇万の割合だが、冀州の名士たちの部曲(私兵)の割合は決して少なくないはずだ。そうだな」

 軍師ふたりは再び肯定した。

 賈駆や陳宮にしても何を当然なことをという顔をしている。

 この時代、地方豪族が零落した流民を取り込み、小作人や私兵としたことは以前に書いた。そして、その地方豪族が誰かに仕えたりするときに、その私兵を率いて仕えるといったことがよくあった。実際に正史・三国志で、某誰々、兵と共に誰々に従ったみたいな感じの文章が多々見受けられる。

 それに領地の急激な拡大のせいで、名士―――地方豪族に頼らなければ兵士の供給が追い付かないという事情もあった。

「攻撃するなら、ここだな」

「冀州の名士たちに離間工作を仕掛けるの!? 上手くいくわけないでしょう!」

「そうなのです! そんなに上手くいくなら、反董卓連合のときの宣伝工作でもっと多くの名士が裏切っていたはずです!」

 賈駆と陳宮が語気を強めて反論した。

 実際に反董卓連合のとき、冀州の名士で明確に親董卓・袁隗だったのは袁遺の推挙人である鄚県の張超くらいである。

「これも利益の問題です。黄河を渡り、冀州へと攻め込みます。その際に軍をふたつに分けます。私の軍と兗州牧の軍に」

 袁遺が地図の上に色のついた石をふたつ置いた。

「一方は鄴から廮陶(えいとう)と鉅鹿方面に進軍し、もう一方は甘陵と青州と州境付近から進軍して、両軍は南皮を目指します」

「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ! 両者の距離が離れすぎているわよ。最も離れたところでは二〇〇里(一〇〇キロ)近いじゃない。こんなの各個撃破してくださいと言っているものでしょう!」

 賈駆が叫ぶように言った。

 確かに一理あった。確実に袁紹軍よりも少ない数に分かれることになる。

「雛里、仲達。私の意図が読めるか?」

 袁遺はそんな賈駆を無視して、自分の軍師ふたりに問いかけた。

 雛里は、えっと……と考えたが、仲達はすぐに返した。

「敵戦力の南方誘出ですか?」

「そうだ」

 袁遺が頷いた。そして、続けた。

「その先は?」

 各個撃破のチャンスと敵を誘い出すのが目的なら、袁遺は何を狙っている。皆がそこから先を考えた。

 反董卓連合のときの連合のように一方が戦闘拘束している間に、もう一方が背後を突く作戦は袁遺と曹操、両軍の距離が有り過ぎるため違うとすぐに否定できたが、なら何を目的としているか分からない。

 袁遺の意図に一番先に辿り着いたのは司馬懿だった。彼だけが袁遺と戦略レベルで思考を共有できる。

 だが、それに気付いたとき司馬懿は彼にしては珍しく顔を歪めた。恐怖と羞恥が彼の心を襲っていた。

 今度はそれに気付いた袁遺が困惑の表情を浮かべる番だった。

「どうした?」

「己が至らぬことを恥じておりました」

「…………ああ! そういうことか。いや、そんなつもりはなかったんだが……」

 袁遺は連合との戦いから帰ってきた雛里と仲達にふたつのことを命じた。反董卓連合解散の原因の分析と連合の立場から袁遺を破る作戦を立てることである。

 司馬懿は、袁遺のやろうとしていることに思い至ったとき、同時に自分の分析と作戦が不十分であることにも思い至ったのだ。袁遺のやろうとしていることは、反董卓連合のときの袁遺の作戦に対するカウンターとして働いていた。自分の立てた作戦よりも効果的で、被害も少なく、確実性もある。

 司馬懿は、返ってきた試験の答案に悲惨な点数が付けられている落第生の気分だった。

 ただ、袁遺自身には司馬懿や雛里を責めるつもりはない。そもそも自分は未来の戦史を知っているからこの作戦に至れたので、それを知らないふたりには立てられなくても仕方がないと思っている。

 だが、そんなことを知らない仲達にとってはそうではない。

 軍師とは文字通り、軍の師である。それが師となりえないなら、仕事を果たせていないことであり、袁伯業という男がそんな軍師を許すはずがないと思えたのだ。

「まあ、気にするな」

 と袁遺は司馬懿に言ったが、袁遺が自身の案を説明し始めると雛里も司馬懿と同じところに至り、表情を曇らせる。

 賈駆と陳宮は同じ軍師としてふたりに同情した。袁遺の戦略家としての能力は奇貨である。そんな男に仕える苦労は並大抵ではない。

 そして、楊俊はただ己が職務を果たした。

 袁遺は矢継ぎ早に参謀部の作業を指示する。

 曹操や馬騰の援軍に作戦を指導するために派遣する参謀の人選、進軍経路と進軍計画の作成、兵站計画、離間工作の人選等々、楊俊はそれらを書簡に記録して、後に参謀部で具体的な計画を立案して、袁遺に確認を取る。

 真面目に仕事をこなす楊俊であったが、彼の頭に、とんでもない所に来てしまったなという後悔の念が一瞬でも浮かばなかったかと問われれば、否定できなかった。

 反董卓連合から続く、袁紹と董卓、そして袁遺の因縁が決着に向けて速度を上げて動き出していた。

 ただ、その速度は誰よりも純粋に、そして愚直に乱世の終結を目指している少女には優しくないものだった。

 後将軍としての仕事が一段落しても袁遺に一息つける時間はない。次は県令としての仕事が待っている。

 県令室で仕事をする袁遺に、袁隗からの遣いが言伝を持ってやって来た。

「明日、陛下が狩りを行うため、将軍にも必ず同行して欲しいそうです」

 

 

 洛陽の北宮の南東、永和里(えいわり)歩広里(ほこうり)と呼ばれる一角は身分の高い者の大邸宅が立ち並ぶ洛陽の一等地である。

 そこに劉備は居を与えられた。

 劉備がその屋敷を見たとき、

「こんなすごい家、見たことないよ」

 と漏らしたのを諸葛亮は聞いた。

 諸葛亮も今まで住んだことのないような広く豪奢な屋敷だった。

 義妹の関羽や張飛のみならず、諸葛亮や趙雲も劉備からこの屋敷に部屋を与えられた。それでも空き部屋はまだまだあった。

 だが、そんな豪邸を与えられても劉備には喜ぶ様子がなかった。

 劉備は皇帝に呼ばれて参内するとき以外は、洛陽の街を見て回った。諸葛亮も一緒に行くこともあった。

 そこには、都という言葉から連想されるような華やかさは鳴りを潜めていたが、人々には活気があり、反董卓連合の大義名分である悪政によって苦しむ民の姿も荒廃した街もなかった。

「やっぱり、嘘だったんだ」

 劉備が悲しそうに呟いたのを諸葛亮は聞き逃さなかった。

 劉備はそれを目にして、董卓が暴政など行っておらず、袁紹の言い分がまったくのデタラメであり連合に大義がなかったことを心の底から実感したのだった。そして、おそらく悔いているのだろう。袁紹の姦計に乗って、ただ徒に争いを起こしたことを。

 劉備は、苦しむ庶人を助けたい、ただそれだけの思いを抱き、歩んできた。

 目の前の光景はそれに小さくない傷を与えるものだった。

 諸葛亮は劉備が皇帝に呼ばれている間、ひとりで市場に出てみた。前漢では長安、後漢では洛陽の周辺に全国から物産が集まる市場がある。

 そこにどのくらいの物と人と金が集まっているかを見ることで、洛陽の現在の状況が見えてくるはずだと孔明は思った。

 そして、実際に見てみると諸葛亮の予想以上の賑わいであった。

 量だけではない。荊州や揚州の南のものから、涼州を通って西域から運ばれてきただろう物産もあった。かなり広くから運ばれてきている。

 それだけ、親董卓・袁隗派の諸侯が多いということだった。

 小柄な諸葛亮は人込みにもまれながら、市場を見て回り、集まっている物産を調べ上げた。

 そして、あることに気付いた。

 西の物産は、涼州からのものは多いけど、益州のものは殆んどない。

「……董卓さんと袁隗さん……ううん、袁遺さんの影響が薄いのはやっぱり、ここかな?」

 諸葛亮は呟いた。

 彼女は洛陽からの脱出を計画していた。

 このまま洛陽に留まっていると彼女の主である劉備に害が及ぶことになる。

 彼女はこれから洛陽では皇叔としての振る舞いや働きを求められる。だが、それは劉備が叶えようとしている理想とはかけ離れたものだった。

 間違いなく、桃香様はそれを受け入れない。諸葛亮は考える。

 そして、その劉備が受け入れなかった未来を思い描くと諸葛亮は背筋が凍る思いだった。

 この洛陽で劉備の理想を劉備の望むようなやり方で叶えようと思うと政治、軍事、外交、人事、その全ての主導権を劉備が握らなければならない。

 それは朝廷の多くの人を敵に回すことになる。

 いや、内だけではなく、外にも敵を作ることになる。

 曹操や袁術などは反董卓連合のときに袁遺に負けたから、大人しく朝廷の下についているのである。それに袁紹に唆されて叛乱や独立を企んでいる者たちも、袁遺がその第一波を素早く鎮圧したため、笮融・薛礼に続かず大人しくしているのである。

 そんな状況で袁遺から軍事権を奪ったら、あっという間に叛乱・独立を呼び、袁紹に勝利をくれてやるようなものだった。

 今は董卓や袁隗、袁遺とは争わず慎重に時期を待って、いつか袁遺さんの影響の薄い場所で自主と独立を確保する。それが諸葛亮の考える最善の手だった。

 劉備の思いを叶えるために今、出来ることは耐えることだった。

 依るべき土地もなく、軍も失い、資金もない。一時は名声さえも失ったが、それは洛陽に来てから回復しつつある。しかし、それは董卓と袁隗によって与えられたものだ。自前で獲得しなければ意味を持たない。

 諸葛亮は主のために洛陽で、生き残りをかけて足掻いていた。

 彼女は賑わう市場を後にする。

 屋敷に帰ると劉備に、明日、狩りに行くことになったと伝えられた。

 劉備も劉備で現状に思うところがあり、最近どこか落ち込んだようだった。

 それを引きずって皇帝に会ったからだろうか、劉弁は劉備に元気がないと心配した。

 劉弁は宴を催してみたり、劉備を励まそうとした。突然の狩りもその一環だった。

 

 

 洛陽にほど近い原野に、勢子の脅し声が響いた。

 今回の狩りは巻狩である。

 巻狩は原野を大勢の勢子が取り巻いて、潜んでいたウサギや鹿を追いこんだところを馬に乗った主人が矢で射止める狩りである。

 勢子の包囲網がだんだんと縮まるにつれ、前方にウサギや鹿が飛び跳ねているのが見え隠れするようになる。

 大きな鹿が荊棘から飛び出してきた。

「あ! あれを射よ」

 それを見た皇帝が叫ぶように命じた。

「はい」

 そう言って馬を駆けさせたのは董卓―――月だった。

 月はその小さな背格好と儚げな風貌からは想像できないような巧みな馬操術で、鹿の急所を狙える位置に着ける。そして、馬が跳ね、その四肢が地面から離れたタイミングで素早く矢を放った。

 月の一撃は見事、鹿の喉笛を引き裂いた。

 その腕前に感嘆の声が起こった。

 また、草むらから先程にも負けない体格の鹿が飛び出してきた。

 今度は袁遺の番だった。

 しかし、袁遺の騎射は、月とは比べ物にならない拙さだった。

 人馬一体とは決して言えない、ちぐはぐな騎乗姿で獲物を狙いやすい位置に着ける。矢を番えて、弦を引き絞っていると馬は勝手に明後日の方に馬首を返した。袁遺はそれに慌てて、馬をコントロールしようと腿で馬体を締め上げるが、意図とは反対に馬は嫌がり体を捻った。

 このままでは獲物が逃げると袁遺は矢を放つ。だが、矢はふらふらと力なく見当違いな方向へ飛んだ。

 鹿はまた別の草むらに隠れてしまった。

 その様子に失笑が起きた。

 さらに、無理な体勢で矢を放った袁遺が落馬しそうになり、必死で体勢を立て直そうとしている様子に失笑が大きくなった。

 袁遺は落馬せぬように必死で、嘲笑の的になっていることを気にしている余裕はなかった。そして何より、こうやって道化の真似事をするのが、今日、袁遺が呼ばれた最大の理由だった。

 皇帝が狩りに行きたいと言ったとき、袁隗は大丈夫かなと思った。

 この幼い皇帝が狩りどころか、騎射の経験さえも浅いことを袁隗は知っていた。

 だから、皇帝より騎射が下手な者を用意して、皇帝を良い意味で目立たなくする必要があった。ただし、下手な振りをする者ではない。そんなことはすぐバレる。本当に下手な者でなければならなかった。

 袁隗は丁度いい人材をすぐに思い付いた。甥の袁遺だった。あの男の乗馬の才能のなさは神懸かり的である。そして乗馬が苦手だから、狩りに出ようなんてことはしないため、騎射については言わずもがなだった。

 袁遺にとって騎兵とは率いるものではなく、運用するものだった。

 共に敵に突撃するのではなく、コンディションを整え、投入するタイミングを見誤らないことこそを仕事としていた。

 しかし、そういう意識のために道化役をやる羽目になったが、その苦労は報われていた。

 その証拠に、次に現れた鹿は皇帝が手ずから三度まで射ったが、中らなかった。しかし、劉弁は、まあ、落馬しかけていた袁伯業よりマシかな、と気にも留めなかった。

 また、劉備を始め、他の狩りの参加者も矢を外しても特に気にしなかった。皆が皆、袁遺に比べれば何ともないなと思っていた。

 しかし、中には、どう反応すればいいか分からず、困惑している者もいる。

 袁遺がただの乗馬の下手な者であれば、笑い者にすればよかったが、袁伯業という男は軍事、内政、外交にと八面六臂の活躍で崩れかけた漢王朝を支えている人物である。

 慎重な者は、ここで袁遺を笑い者にすれば後々、袁遺から恨みを買うことになるのではないかと笑わずに、失敗した瞬間に顔を背けて、見ていない振りをした。

 もちろん袁遺には、鹿を連れて来て、これが馬か鹿かと尋ねる様な真似をしているつもりはない。この巻狩が何事もなく終わってくれれば、それでよかった。

 醜態を晒すという役目を終えた袁遺は、隅の方で邪魔にならぬように大人しくしていた。

 袁遺はいつものと変わらぬ無表情で辺りを見渡す。月がまた得物を射ていた。視線を別の場所に移すと見覚えのある顔があった。直接会ったのは、ずいぶんと前になるが、その顔を忘れていなかった。

 向こうも袁遺に気付いたらしく、近寄ってくる。見学だけで狩りには加わっていないようで、徒歩だった。

 袁遺は馬から降りて、礼を取った。

「御無沙汰しております、諸葛先生」

「……こちらこそ、お久しぶりです、将軍」

 諸葛亮だった。

「こうしてお話しするのは長社で別れて以来ですね」

「そうですね」

 挨拶を交わしながら、袁遺は思った。ただ世間話をしに来たわけじゃなさそうだと。

「一度、先生にいろいろ伺ってみたいと思っていました。今の王朝に必要なものや戦術についてご教授願います」

 探り半分、知的好奇心半分の言葉だった。

 諸葛亮の胸の内を探ると同時に、あの諸葛孔明の叡智に触れてみたいという思いが袁遺にあった。

「はわわ、とんでもないです。将軍が神算鬼謀を縦横に駆使していることは四海に広く知られております。私が言えるようなことは何もありません」

「雛里が言っていました。先生の才覚はかの楽毅、管仲に勝るとも劣らないと。私はその両名に敵いません」

 袁遺の言葉を聞いた諸葛亮は、小さく、親友の真名を呟いた。

「雛里ちゃんは人を評価するとき大げさに評価するから……」

 哀愁にも似た感情が籠った声だった。

「雛里ちゃんは元気ですか?」

「はい」

 袁遺は頷いた。

 お互いの顔を見ず、視線は狩りの様子に固定されていた。

「雛里とは一度も会っていないのですか?」

「はい、忙しそうなので」

「時間を作ります」

「はわわ、そんな悪いです!」

 大きな歓声が起こった。見れば、劉備が兎を射止めていた。皇帝が嬉しそうに手を叩いている。

「もう終わりですね」

 袁遺が言った。

 勢子の輪は小さくなり、獲物は軒並み狩ったか逃げてしまった。

「先生、機会を設けます。不躾ながら、雛里と会われた方が良いと思います。私も先日、友と話しましたが、こういう時代です。次にお互いが無事で話せる保証はありません。会えるとき、話せるときを大切にした方がいいと思います」

 諸葛亮は袁遺の顔に視線を移した。その顔は長社で別れたときの様な無表情だった。

「はい、そうします」

 孔明は柔らかな笑みを浮かべた。

「袁遺さんとも、いつか」

「楽しみにしています」

 諸葛亮は袁遺の傍を離れ、袁遺は再び馬に跨った。

 劉備の元に向かいながら諸葛亮は思った。

 雛里ちゃんと会うことを勧めたのは大きな戦が近いからかな。袁遺さんって人は、冷徹そうに見えても本当は優しい人かもしれない……ううん、きっとその両方なんだ。冷徹で優しい人。でも、大きな戦が近いということは袁紹さんとの戦のはずだから、こっちにとっても悪いことじゃないはずだよね。北の脅威が消えて動きやすくなるのは私たちだけじゃなくて、独立を考えている孫策さんや野心の塊の様な曹操さんもそうだし。

 諸葛亮は、袁遺が袁紹に勝つことを前提に進めていることは間違いではないと確信していた。袁遺と袁紹ではものが違う。

 そして、脱出を目論みながらも袁遺とした約束は社交辞令でも嘘でもなく、彼女の本心だった。

 劉備の理想とは、諸葛亮と袁遺はひとつのテーブルで茶を飲みながら語り合える世界だからだ。いや、諸葛亮と袁遺だけではない。董卓も曹操も孫策も仲良く茶を飲み、話せる世の中。

 しかし、この約束は果たされることはなかった。

 この数日後、洛陽にある噂が広がり始める。

 袁紹は平原で未だに人気のある劉備を恐れている。彼女が兵を率いて黄河を渡り、平原に攻め上れば平原の者は皆、劉備に味方し大変なことになる。対して、袁紹は袁遺のことを恐れていない。袁遺の戦い方は全て見通しており、対処しやすいと思っている。

 かつて劉備が治めていた平原から洛陽へと流れてきた噂だった。

 確かに、劉備は平原を追われたが、彼女はそこで善政を行っており、民たちは劉備を好いていた。

 そのため、袁紹に支配されることを良しとしない民たちが、心の底からそうなることを願いながら、噂について話し合ったのだ。

 その結果、噂には信憑性が宿った。

 郭図が放った言葉という刺客である。

 

 

「やっぱり、噂は袁紹さんの策謀なのかな、詠ちゃん」

 司空府、その主である月が親友であり、軍師である賈駆に尋ねた。

 月の耳にも噂は入ってきている。

「間違いなくそうだと思うよ。大昔に秦が、流言で趙の老練な廉頗(れんぱ)を更迭させて、経験が浅く口だけな趙括(ちょうかつ)を総大将にして破った策あたりの猿真似ね」

「……詠ちゃん、伯業さんはどうなるのかな?」

 不安というものが凝縮された様な声色だった。

 もし策が成功した場合、軍権は袁遺から劉備に移ることになる。そうなると袁遺の立場はまずいものになるだろう。

 月は心の底から袁遺の身を案じていた。

 だが、賈駆はそれが面白くなかった。財政の立て直しのときに感じた様に、袁遺は自分たちを脅かす存在でもある。それなのに月は真名まで預けて、袁遺に気を許し過ぎている。

「……軍権を奪われても、劉備はそれを維持できないから、必ず袁遺に返ってくるよ」

 それが表に現れた様な複雑な響きの声だった。

「本当?」

「考えてみて、袁遺が誰も予想できないような速さで笮融・薛礼を討ち取ったから、誰もこのふたりに続かず大人しくしているのよ。それなのに袁遺を更迭して、劉備に軍権を預けるとなると、各地で第二、第三の笮融・薛礼が現れるわよ。そして、劉備では袁遺みたいに素早く討伐なんて絶対にできない」

「でも、劉備さんの配下は一騎当千の強者が揃っているって言うし、軍師の諸葛亮さんだって、あの鳳統さんと並び評される軍師だよ?」

「劉備が袁遺の代わりになって、袁遺の部下たちが良い顔しないはずよ。それに今、こっちには新たに兵を徴募する余裕もない。なら、良い顔をしない袁遺の四人の校尉から部隊を取り上げて、関羽や張飛、趙雲を代わりの隊長にするに決まっているわよ。そうなったら、袁遺もさすがに黙ってなくて、自分の部曲を引き揚げるよ」

「袁遺さんの部曲って、そんなに数は多くないはずだよね?」

 董卓が尋ねた。

「正確には分からないけど五〇〇~七〇〇人くらい。けど、問題は数じゃない。その殆んどが兵を束ねる立場の人間ってことなの」

 後代の言葉で言うなら、下士官や下級将校のことである。

「袁遺の強さはそういった立場の人間の判断能力が異様に高いってことなのよ。袁遺の部曲の伍長(五人の班の班長)は他の軍の卒伯(一二五人の部隊の隊長)に匹敵するくらいの判断力で、卒伯は軍侯(二六三〇人の部隊の隊長)に、軍侯は校尉に、校尉は将軍に。だから、袁遺は軍をそれぞれ独立して動かすことができるの。そんな者たちがいなくなったら、劉備に袁遺の真似なんて絶対にできないわよ」

 事実だった。例えば雷薄が校尉で出世の限界を感じた様に、袁遺の部曲たちは求められているものの水準の高さを当たり前のものとして受け取っていた。その意識の高さこそが運動戦に必要な部隊の行動能力と柔軟性を生み出していた。

 そして、そんな部曲を袁遺から取り上げるなんてことは絶対にできない。何故なら、部曲は名士の所有物である。それを取り上げられるということは名士から強い反発を生むということだった。となると、状況は反董卓連合のときに巻き戻ることになる。

 それに賈駆は、劉備に軍権を渡すこと自体が反対だった。

 確かに、袁遺に恐怖心を抱いている部分もあるが、それでも袁遺は反董卓連合のときに敵対はしなかった。それどころか、連合を解散に追い込んでいる。そのことを賈駆もさすがに感謝していた。

 対して、劉備は連合に参加した側の人間だ。それに連合では袁遺に負け、連合から平原に帰れば袁紹にも負けた。そんな奴に軍権を預けるなんてできない。

「だから、問題は劉備が軍権を握っている隙を突かれて、漢王朝が滅ぼされないかってことね。そもそも劉備が軍権を欲しがらなければ……ううん、陛下がこんな噂を信じなければ、問題はないんだけどね」

「それは……」

 賈駆の言葉に月が表情を曇らせる。

 司空として皇帝に接する機会が多い月は皇帝が劉備を異常に気に入っていることを知っていた。おそらく、劉弁の耳にこの噂が入れば、彼女は喜んで袁遺から軍権を取り上げ、劉備に渡すだろう。

 皇帝は袁遺という将軍がどれくらい優秀であり異質であるか、まったく理解できていない。

 彼女が皇帝に即位してから、事実上の軍の最高司令官はずっと袁遺だった。だから、袁遺が基準であり、将軍とは皆が袁遺くらいできると考えていたのだ。

 現在の漢王朝は軍事の最高責任者にも、政治の最高責任者にも無能どころか平凡な人間を座らせる余裕はなかった。

 しかし皮肉なことに、その漢王朝の玉座に就いている者はまったくの凡庸な人間だった。

 それはきっと、董卓にとって不幸なことであったし、袁遺にとって不幸であり、劉備にとっても不幸なことで、何より劉弁自身にとっても不幸なことだった。

 

 

 言葉は恐ろしい。ときに剣よりも容易く人を殺す。

 




補足

・前漢では長安、後漢では洛陽の周辺に全国から物産が集まる市場がある。

 前漢および後漢では、地方農村部ならびに地方都市において生産されたものは「郷市」「里市」「交市」などで取引され、各郡県治所の市場に集積され、最終的に京畿の市場に転漕されていた。
 ただし、後漢末期、董卓や李傕、郭汜の暴政のせいで洛陽・長安周辺は荒れ果て、それは見る影もなくなる。
 それが反董卓連合以降も見られるのも、ある意味袁遺の影響という設定である。

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