3 北府と西府
数日の休暇を終え、司馬懿が後将軍府に出頭して、まず最初にやったことは芝居がかった演説であった。
袁遺に昔から仕えている者たちだけではなく、張遼たち将軍や冀州遠征の後に仕えた孫礼など新参者たちも多くいる場で
「先の袁紹との戦いで自分の働きの及ばざることは、後将軍に頭を上げられぬ次第である。よって自分の兵法を改め、将軍に兵法を学びたい」
というものだった。
それに袁遺は、
「仲達の赤心はまったくもって大したものだ」
と高く、大きく、よく響く声で褒め言葉を発した。
この光景は広く天下に流布された。
そして、大多数の人間が反董卓連合の戦後処理と同様な宣伝工作と受け取ったのだった。
つまり、孫策という新たな敵が出現したことに対して、袁遺の軍才を誇示し、揚州の地方豪族や北来の名士たちを味方に付けようとしていると考えたのだ。
だが、物事が良く見える一握りの者たちは別の捉え方をした。
荊州からやって来た蒯越もそのひとりだった。
煌びやかな美貌と男の目を奪う四肢の持ち主の彼女は、その光景を将軍府で実際に目撃した。
そして、呆れながら思った。
よくやるわね、このふたり。
彼女は袁遺という人間が置かれている状況を冷静に分析できていた。
袁遺と曹操の手切れの時期が近いということは、少し聡い者なら簡単に読み取れることである。
だからといって、袁遺が曹操に対する態度を少しでも変えれば、四海の人々は袁遺の変化を詰るだろう。見よ、武功を挙げた袁伯業の増上慢を、と。
それに関連して曹操に備えるために軍を動かそうものなら、袁遺は曹操を使い捨てたと非難するだろう。
袁遺はそんな人間の非難を避けようとしていた。それがこの茶番であった。
この後、司馬懿は兵法を学び直すということで、司隷や豫州、果ては荊州の宛で、新兵の訓練を行うことになる。
参謀を引き連れて各地で行うそれは、後代の言葉で言うところの参謀旅行のようなものである。
参謀旅行とは、戦場になりそうな場所を予め訪れ下見をし、作戦立案に役立てる行為であった。
その後で、司馬懿は函谷関の近くで行っている元黒山軍の訓練に合流することになっている。
袁遺と司馬懿は、これからの戦争準備となり得るものを全て忠義という膜で覆ってしまおうとしていた。
袁遺は曹操と戦う瞬間まで良き同盟者と世間から思われなければならなかった。変容は急激に行うべきである。そうすることによって、やり方を変えて支持者を失うより前に新たな支持者を得るからだった。
そのための茶番であった。
ただし茶番であったが、この主従の演技は演技と思えないものだった。事情を知らぬものが見れば、本当に麗しい主従の絆と思えるくらいの名演である。
双方とも名門の血筋であり、この手の政治的欺瞞は幼い頃から飽きるほど見てきたし、ふたりともこういった態度を要求されるのは初めてのことではなく、やり慣れている。
そして、彼らは別にこういう茶番を嫌ってはいなかった。そのことを感じたからこそ、蒯越は呆れたのだった。
しかし、彼女は袁遺たちを非難しなかった。
同盟を延長したいなら、自分が相手にとって有益であることを示すべきなのだった。むしろ、無益な存在となったのに、一方的に利益を貪ろうとする方がよっぽど不誠実で恥知らずな行為である。
蒯越が洛陽に来たのも、その利益に関わることだった。
彼女の主である劉表は孫策が独立すると孫策の敵になりそうな陣営に接近した。具体的にいうなら、袁隗・董卓陣営と曹操である。
そのふたつの陣営の揚州からの人の流れが少なくなると予想した彼は、荊州の商人に北との商売を推奨した。その道中の護衛を荊州軍で行う力の入れようである。
これは両者の減少した物流を補おうというのだった。
さらに、揚州の南に住む原住民の山越族に接近する。
南の土地の性質上、そこに割拠する勢力は多分に分散的になる性質がある(乙の章19 栄誉なき戦場を参照)。
だから、山越族もいくつかの勢力に分かれている。
その中で最も大きな勢力と接触し、彼らに漢王朝への朝貢を行わせた。
基本的に中華の帝国は周辺諸国に対して冊封体制を敷いている。
冊封体制とは簡単にいうと天子と周辺部族が名目上の君臣関係を結んで行う外交のことである。
例えば、史実の卑弥呼が魏の
この山越も印綬が授けられ、冊封体制に組み込まれる。
その目的は孫策の背後に親漢の勢力を作るということであった。
袁遺は袁紹相手に鮮卑や烏丸を使って、その背後を脅かし続けることで敵兵力の分散を謀った。
そのための騎馬遊牧民との仲介は劉虞が行ったが、劉表は対孫策においてその役目を担おうとしていたのである。もちろん、これは劉表の価値を高める行為である。
これは余談になるが、現在、劉虞は太尉の職を辞し幽州へと戻り、燕王に封じられた。
話を戻して、劉表と蒯越の外交感覚は袁遺と近いものだった。
それくらいの感覚でなければ多くの州に隣接し、中華の水陸の十字路の荊州を保ち続けることはできない。
蒯越は山越族の朝貢を見届け、まずは司空である董卓とその軍師である賈駆に面会した。
この会談は蒯越が先の戦いの勝利に対する祝辞を述べ、董卓たちが荊州の様子を聞くなど、社交辞令に終始した。
次に蒯越が面会したのは袁隗であった。
ここでも社交辞令な会話が交わされたが、袁隗は蒯越の望んでいることを見通した。
「甥の伯業にも、どうか荊州のことを聞かせてやってもらえないだろうか?」
「はい、喜んで」
そうやって、蒯越は件の茶番を目撃することになる。
後に袁遺は蒯越のことをこう回顧する。
「私は遠征や政務で多くの人物に会い、その任地の情勢を尋ねてきたが、蒯異度ほど情勢を簡潔に分かりやすく伝えた者はいなかった」
その言葉通り、袁遺は将軍府に招いた蒯越との会談は両者にとって良い意味を持つものになった。
「まずは将軍、冀州での戦勝まことにおめでとうございます。将軍の度量の大きさは過去の如何なる君子にも勝ることでしょう」
蒯越が最初に口にした言葉に、袁遺は思わず顔を緩めそうになった。
彼は目の前の女性が借りを借りだと思える人物であることを、その言葉で察したのだった。
袁遺(と袁隗)はかつて、劉表が袁紹とも誼を通じようとしていると断定したが、それは事実であった。
袁遺はそれを非難するつもりはない。むしろ当然のことだと受け取っていた。
そして、袁遺が南皮を占領した後に、彼は雛里の進言に従って―――未練を持ちながらも―――袁紹と諸侯の外交文章を焼き払った。
そうやって劉表の二股を表に出さず不問にしたことを劉表陣営は借りと受け取ったのだった。
蒯越はそのことを袁遺と司馬懿がやったように賛辞という隠れ蓑を使って、袁遺に示して見せた。
袁遺からすれば、報われたような気分になったのだった。世の中には自分に近い価値観を持った人間が少しはいてくれるもんなんだな。
と同時に、彼は臣下に恵まれたことを心の底から実感した。これは、まさしく雛里の手柄だ。
「とんでもございません。私は先人に比べられるような徳などない小人に過ぎません」
そして、袁遺は抜け目なかった。即座に借りを取り立てに動いた。
「それに比べれば、劉荊州牧は山越にも広く慕われております。この度の朝貢には陛下も大層お喜びの御様子です」
事実だった。
儒教の教義のひとつで、天と人は密接な関係にあり互いに影響し合うという考えの天人相関説というものがある。
そこでは天変地異などの災害は天子の徳がないから起こるとされる。
そして逆に天子の徳を表すものとして、例えば
だから、即位から叛乱が続く現帝・劉弁にとって、この朝貢は自分を肯定するように感じられたのだった。
「全ては陛下の徳が世に行き届いているからです」
蒯越は上品に応じた。
「例えば、交趾にも?」
「……はい、もちろん」
袁遺の問いに蒯越は一瞬その意味を考えたが、すぐに先ほどと変わらない様子で返した。
「交趾の
袁遺は山越だけではまだ足りぬと、さらにその背後にある交州に割拠する士燮をも自陣営に引きこむことを劉表陣営に要求したのだった。
もちろん、袁遺はいくら借りを取り立てているとはいえ、劉表側に対して協力をしないわけではない。
「それは素晴らしい。荊州牧は南を鎮る要ですね」
その言葉通り、袁遺と袁隗が働きかけ、劉表に鎮南将軍の位が授けられた。
それは南蛮についての白紙委任状が授けられたに等しい。劉表からすれば動き易くなる。
そして、袁遺は蒯越が最も欲していた一言を口にした。
「それにしても、陛下の徳が四海に隅々まで届いているというのに叛乱を起こす輩がいるとは、まったくもって嘆かわしい」
「孫策のことですね」
蒯越が応じた。
「はい。その通りです」
袁遺はやや芝居がかった口調で続ける。
「孫策は南の袁紹のような輩です。そのような逆賊とは同じ天を頂くことはできません」
袁遺が孫策との対決姿勢を宣言することこそ、最も劉表陣営が求めていたものだった。
劉表が最も恐れている事態は、袁遺が曹操の背後を牽制するために孫策と手を結び、両者が接近することだった。
そうなれば、荊州に危機が訪れる。荊州の首脳部は断定した。
袁遺は、常にその相手にとって何が利益かを念頭において外交を行う。それこそが外交においての誠実さであることを劉表たちも理解している。
そして、現在、孫策にとっての利益は独立の正統性と揚州の安全の保証である。
後半の揚州の安全性は長江の上流に位置する荊州に大きく関わることだった。
もちろん、孫策が荊州を手に入れたら、その力が強大になり過ぎ、袁遺ひいては漢王朝にとって脅威になる。
そのことを考えれば、孫策との交渉は難航しそうであるが、劉表たちの頭には袁遺が袁紹を倒すために曹操に冀州を丸ごと譲るという譲歩を示したことがあった。
今、奇襲的先制を以って曹操を攻めた場合、曹操は一気に崖っぷちまで追い込まれるのは間違いなかった。
そのために袁遺は孫策相手に大胆な譲歩を行い、早期に曹操を挟撃する大勢を作る可能性を劉表たちは否定できなかった。
孫策が接近する前に袁遺に接近しなければならなかった。
だから、袁遺がここで孫策との対決姿勢を口にしたことは、蒯越ひいては劉表にとって万金に値するものだった。
また、袁遺からしても経済的に南に依存しつつある状況で、劉表との関係を切るわけにもいかない。だから、あえて口にしたのだった。
しかし同時に、袁遺にとって別の問題が浮上していた。
まいったな、荊州との外交は叔父上に任せるはずだったんだがな……
袁遺は自分に様々なものが集中し過ぎていると感じていた。
様々なものと言っても仕事のことではない。むしろ、彼は今までの雛里とのやりとりでわかるようにワーカホリックで仕事が集中することを悩まない。
袁遺が思っているのは権限やイニシアチブであった。
何でもかんでも袁遺が決め過ぎることは、董卓側からすれば決して気分の良いものではない。
だがしかし、荊州と孫策の問題は軍事力が鍵となるものであり、軍を掌握しているのは袁遺である。どうしても彼が中心となってしまう。
どこかで、何とかしないとな……
内心で、そう思いつつも袁遺は決して表に出さずに言った。
「荊州のことをお聞かせ願いませんか?」
蒯越は上品に笑って、話し始めた。
このとき、袁遺の懸念通り、董卓というより賈駆の中で恐怖心が育っていた。
それはかつて思った、袁遺にとって本当に自分たちは必要なのかという恐怖だった。
現在の袁遺は諸侯にとって怪物となりつつあるが、賈駆にとっても怪物となりつつあった。
ひとつ歴史から例を挙げてみる。
楚漢戦争の戦功第一である蕭何は、晩年の高祖に疑惑の目を向けられることになる。
長年にわたって関中を守り、民衆からの信望が厚い蕭何がその気になれば、いとも簡単に関中を掌握できる。
韓信を始めとした元勲たちが次々と叛乱を起こす中で、劉邦は疑心暗鬼に囚われた。
後世、多くの人が、この劉邦の疑心暗鬼に対して蕭何さえも疑うのかと言い。逆に自分の評判を下げてまで、猜疑の目から逃げた蕭何の保身を褒め称える。
だがしかし、賈駆には劉邦の気持ちが痛いほど分かった。
袁遺は蕭何と同じように関中で人望を得ている。
袁遺が長安令であった期間は決して長いとは言えないが、その間の統治は善政を行い。流民を定着させ、西域との交易に力を入れ、長安を発展させた。
そして、現在の長安令の張既は袁遺の推挙によってその地位に就いており、政策自体も袁遺の路線を継承した形だ。
また、現在の役職の洛陽令でも目立った功績こそないが、それでも急遽、流入した流民たちの定着を素早く行い。大きな混乱を作らなかった。
この関中の二大都市の民たちは袁遺の治世を忘れていない。
更に袁遺はこういった都市の治世のみならず、財政の立て直しの一環で示した見識から国家経営といった大きな規模の政治能力も兼ね備えている。下手をすれば、董卓・賈駆よりも明確な構想を持っているようにさえ、賈駆には感じられた。
それに名士からの評判も董卓より袁遺の方が遥に良かった。特に文人からのそれは比べ物にならないくらいだった。今まで積み上げてきたものが違う。
その上、軍事的才能は賈駆を凌ぐ。
彼女の中には冀州侵攻で袁遺の戦略を読み取れなかったという苦い記憶があった。
董卓は袁紹討伐の戦功第一を袁遺から譲られるような形で今の地位を固めたが、では、自分を遥にしのぐ軍才の袁遺が他の戦いで戦功第一になれば、どうなる?
間違いなく袁遺は、董卓と賈駆を凌ぐ地位に就く。
民もそれを望むだろう。名士も皇帝に、董卓と賈駆より袁遺の方が政務を担うに相応しいと推挙する。誰もが、董卓や賈駆より袁遺は素晴らしい治世を行うと信じるはずだ。賈駆自身でさえ、人望も政戦の能力も袁遺に敵わないと思っている。
そして、董卓も本心から喜ぶだろう。
だが、董卓や賈駆の身は安全だろうか?
古来より、失脚した者の最後は悲劇的なものばかりだ。下手をしたら殺される。
恐怖が賈駆の心を支配していた。
もちろん、賈駆にはその恐怖を抑える理性も働いていたが、その理性が別の問題を告げているのだった。
それが華雄であった。
この涼州から共に董卓に仕える同僚は、袁遺の冀州での戦略を気に入らず、事あるごとに袁遺を批判していた。
曰く、戦いから逃げる腰抜け。小細工を弄するだけの卑劣な輩。従妹を破滅させた同族殺し。
賈駆や董卓がどれだけ戒めても、華雄はその口を閉じることがなかった。
彼女がここまで袁遺を口汚く罵ることの理由を説明するなら、袁遺への失望からくるものだった。
華雄は反董卓連合のとき、袁遺の戦略を高く評価していた。その積極性は董卓や賈駆より自分好みだと思い、自己嫌悪に陥るくらいだった。
そして、連合を解散させて董卓を守ったことで、袁遺を見直したとさえ思っていた。
だが、敬愛する主である董卓を侮辱した袁紹との雌雄を決する戦で、袁遺がとった戦略は華雄が評価し、好みであったものとは正反対のものだった。
華雄は裏切られたと思った。深く失望した。
彼女は腹に思いを貯めるということができない。思いは吐き出さずにはいられないのだ。
だから、華雄は袁遺を罵倒する。
賈駆には華雄の気持ちが理解できた。
しかし、多くの人が華雄の暴言を冷めた目で見ていたし、元何進の配下で今は董卓の武将である張遼でさえも好ましいとは思っていなかった。
それを放置していることは袁遺に対して攻撃を行っていると何ら変わりないことだった。
袁遺の利益となっているかさえも微妙なのに、華雄に袁遺を罵らせている。これは明確な害である。袁遺が董卓と自分を排除しようとしても、何の文句が言えるのだと理性が賈駆自身を責め上げていた。
現在の漢王朝は袁隗の人脈、董卓の人格、袁遺の才覚の三つが絶妙な均衡を保つことで成り立っていた。
しかし、変化は徐々に微かな足音を立てながら、彼らに近づいて来ていた。
今まで使者として幾人かの人物と接見したけど、この人が別格に政治が上手いなぁ……
司馬懿の妹の司馬孚は劉表に鎮南将軍の位を授ける使者として、荊州の襄陽を訪れ、そこで数日を過ごして、そう思った。
「勅命を下す。荊州牧・劉表を荊州牧はそのままに鎮南将軍に任じる」
「臣・劉表。謹んで拝命いたします」
その儀式と評してもいいやりとりが交わされた襄陽の広間には、名だたる名士が参列した。
中原での争いから荊州へと逃げて来た者たちが、それだけ多いということだった。
そのことを司馬孚がさらに強く実感したのは、その儀式の後だった。
彼女たち都からの使者は劉表から壮大なもてなしを受けた。
荊州の水運を使い各地より集められた山海の珍味が卓に並んだ酒宴もそのひとつであるが、司馬孚にとって最も印象に残ったのは名士たちを交えた意見交換の場だった。
「さあさあ、どうぞ。こちらにお座りください」
劉表は大騒ぎして、司馬孚を自らが手を引いて彼の隣に座らせた。
そして集まった名士たちにも、その調子で言い放った。
「先生方、それでは始めましょうか」
劉表の言葉を口火に、名士たちから様々な意見が飛び出してきた。
主題は孫策についてどのような対応を取るべきかだったが、百家争鳴とはまさにこのこと。ここまで意見が異なるものが飛び出してくるのか、と司馬孚は驚嘆した。
しかし同時に、司馬孚の中には冷めた目でそれを見つめる面があった。
これは劉表の壮大なパフォーマンスであった。
劉表と董卓・袁隗陣営が接近したと天下に知らしめることで孫策に圧力をかけようというのである。
事実、このことを知った九江郡の一郡しか確保できていない孫策陣営は、荊州の水軍力が袁遺という陸軍力の後ろ盾を手に入れて長江流域に押し出した場合、全包囲される危険性を認識することになる。それは江南の地での求心力が低下することでもあった。
そして、袁遺に対しても劉表は自分が益のある存在だとアピールしているのだった。
さらに、劉表のそれは外だけではなく、内のことも考えられていた。
党錮の禁や黄巾の乱などで中原から荊州へ逃げて来た名士の中には、再び中央に返り咲く野心を未だに捨てきれない者もいる。
そんな名士たちは、今この場で必死に自分が如何に優れているかを都からやってきた者たちに示そうとしていた。
劉表からすれば、彼らへのガス抜きであった。また仮に、これで中央へ召還された場合、その名士は劉表との縁が武器となり中央と荊州を繋ぐ役割を担うはずであった。それは劉表からしても悪いことではない。
人間って面白いなぁ……自分を売り込むという手段であっても、人によってここまで違うものを取るのか。
司馬孚はそれを見て、心の底から思った。
「袁将軍の軍才は古今稀に見る奇才であります。袁紹を打倒した戦略など天才のそれですな。たとえ古の白起、韓信であっても敵わないでしょう! いわんや、孫策など相手になりましょうか!」
ある者は司馬孚を通して袁遺に気に入られようと、歯の浮くような美麗賛辞を並べて媚を売った。
その佞言を伯業様に伝えても、確実に侮蔑されるだけだ、と司馬孚は思った。当然、彼女はそれを言葉どころか態度にさえも出していない。
それに対して、他の儒者が反論した。その声にはまったく余裕というものがなかった。
「見識の狭き愚か者め! あれは袁紹とその配下が愚かなだけであったこと! ただ逃げるだけなら誰でもできるわ!」
そして、儒者は自分の戦略を捲し立てるように叫んだ。自分の戦略なら孫策に独立の隙も与えぬくらいの早さで袁紹を討伐できると豪語した。
袁紹の軍師である郭図もそうであったが、自分に能力があるところを示そうと常に他者に攻撃的、対立的に振る舞う人間は決して受け入れられはしない。
それに軍事とは実証主義に基づく科学である。重要なのは考え着くかではなく、実行したかである。
司馬孚も内心で、そのことを突いていた。
紙上に兵を談ず。どこにでもこういう輩はいるんだろうな。それに誰にでもできるまで単純化することが、どれほど重要なことか理解できないのか?
もちろん、中には利のある意見を述べる者もいた。
豫州と荊州、双方から揚州に圧力をかけようとするとその最前線は豫州なら汝南郡、荊州なら江夏郡になる。
だが、そのふたつは桐柏山脈と大別山脈によって分断されている。この山脈が北の寒波の侵入を防ぐために、中華の北と南では気候が変わるのであった。
その断たれた連携を補うために江夏~江陵~襄陽~宛~豫州へと迅速な伝達を可能とする整備を進めなければならないという意見である。
その意見には司馬孚も大いに頷くところだった。
玉石混交の討論会を終え、司馬孚は洛陽へと帰還した。そして、袁遺にそのときのことを報告した。
袁遺はそれを非常に興味深そうに聞き、最後にこう尋ねた。
「劉荊州牧について、君はどう思った?」
「内に外にと、ともかく目幅が利く男だと。特に荊州内の在来の名士と北来の名士の均衡を保たせているのは見事と言う他ありません」
答えた司馬孚は、ふと劉表の顔を思い出した。
「ただ……」
名士たちの話を聞く司馬孚を劉表は穏やかな表情で眺めていたのだ。
あれは穏やかであったが、内ではこちらのことを探ろうとしていた。司馬孚はそう思った。
そして、そのことが彼女に兄である司馬懿のことを思い出させたのだった。
確かに、劉表は今まで使者として接見した人物の中で別格に政治が上手いけど―――
「……兄上より怖くはありません」
その言葉に袁遺は、いつもの無表情を崩して言った。
「君の兄上の様な奴が何人もいてもらったら困るよ」
「それは……私も同感です」
そして、ふたりは噛み殺すような苦笑を互いに浮かべた。
「なあ、おたくら、ここらで珊瑚獲りの名人がいるっていうけど、知らないかい?」
その声に網を繕っていた漁師たちは一斉に顔を上げた。ここは揚州会稽郡の海沿いにある漁村であった。
そして、漁師たちは一様に怪訝な顔をする。
声の主である男は、ここら一帯の者ではなかった。
服装は江南風と取れなくもないが、自分たちが着ているそれより余程しっかりしていた。言葉の訛りも自分たちとは違う。明らかによそ者だった。
「驚かせたかい。俺は怪しいものじゃないんだ。ただ、うちの領主様が都に貢物をなさると言うんで商人たちに珍宝を集めて来いと仰られた。で、うちの店の旦那は珊瑚だって言って、ともかく、でけぇ珊瑚を見つけて来いと俺たちに命じられてな」
男は柔和な笑みを浮かべて、改めて問いかけた。
「それで知らないかい? 珊瑚獲りの名人?」
「……いや、知らねぇ」
漁師のひとりが、ぶっきら棒に答えた。
「本当かい?」
「嘘ついても仕方ねぇだろ!」
「いやいや、それが商人たちが競って品を集めてるもんで、金をばら撒いていろんな所で口止めしてんだよ。ここに珍しい物なんてないと言えってな」
「そんなことは知らねぇ。初めて聞いた」
漁師の顔には怒りの色が浮かび始めていた。
それを察した男は詫びた。
「ああ、そりゃすまねぇ、悪かったよ。じゃあ、ここら辺では何が獲れるんだい?」
「ボラさ」
先ほどまでとは別の漁師が答えた。
「ここら辺の海は急に深くなっていてな。そこに魚がいるんだけど、余程でけぇ網と大人数じゃねぇと取れないんだ。だから、俺たちは、海っていうより海と河が交わるところでボラを獲ってんだ。だけど、下手な魚より美味いぞ」
「本当かい?」
「ああ、本当だ」
漁師は自慢するように頷いた。
それに男は辺りを見回すと、声を潜めて言った。
「ありがとう。それじゃあ、もうひとつ頼みがあるんだ」
男は懐から袋を取り出し、その漁師に握らせた。
「もし他の商人が来て、俺と同じことを尋ねたら、何も教えないで欲しいんだ」
漁師は袋を開いて驚いた。その中身は彼が見たことないような大金だったからである。
男は他の漁師たちにも袋を握らせる。
「江南の領主様は競って都に贈り物をしようとしているんだ。だから、何でもいいから誰も持っていない物を贈ろうと必死なんだよ。きっと俺みたいな商人はいっぱいやって来るから、黙っていてくれよ。頼んだよ」
男の言葉に漁師たちは大きく頷いているが、内心では正反対のことを考えていた。もし、また商人がやって来たら教えてやろうと、そして黙っていると言って、また大金をもらおうと。
黙っていろと言われたのに、揚州では地方豪族たちが都に贈る品物を物色しているという噂が、欲望という風に乗って加速度的に広まっていた。
その影に隠れて他のことも動いていることは殆んどの人間が知る由もなかった。
漁師たちから離れると男の雰囲気が一変した。
先ほどまで浮かべていた柔和な笑みは消え失せていた。代わりに商人にしては鋭過ぎる表情が浮かんできた。人としての地金が剥き出しになっている。それは肉体的にも精神的にも甘さという要素を削ぎ落した様な冷たいものだった。
囲まれている。男は直感した。
かなり前から広く包囲されていた。それが徐々に狭まって、今やっと気が付いたのだ。自分の生命が危険な状態にあることに。
男は頭の中でこの周辺の地形を思い浮かべた。このまま河に沿って歩けば草木が鬱蒼と生い茂る場所があったはずだ。そこに入れさえすれば自分が生き残れる可能性が幾分かは高まるはずだ。
男の身体から汗が噴き出す。それは揚州の気温のみが原因ではない。
森林へと入っても汗は止まることなく、全身を冷たく、重く濡らしていた。それでも喉のみが焼けた様な酷い渇きを覚えている。
男は他の葉擦れの音に紛れて自分の立てた音を分からなくするといった技術を披露するが、追跡者を撒けない。どころか、包囲の輪がさらに小さくなることを感じた。
右手方向から微かな葉擦れの音が聞こえた。
男は短剣を忍ばせてある懐へと手をやって、そちらに振り返った。
そこには誰もいなかった。
呼吸が速くなる。喉は渇きを通り越して、痛みを感じていた。草木の臭いが吐き気を催すくらい強く鼻に付いた。葉擦れの音が全て敵の動きに聞こえる。
木を背にして、呼吸を整えようと試みるが上手くいかない。彼の心は恐怖に支配されつつあった。狭まる包囲から敵の数がこちらの十倍近いことを感じたのだった。そんな数の敵と向かい合って勝てる自信は彼にはなかった。
しかし、男は自暴自棄になるつもりは毛頭なかった。そうであるからこそ、江湖の世界で生き残ってこれたのだ。
現在の揚州では、孫策陣営が劉表や張邈・張超の送り込んだ細作を何とか駆逐しようと静かで激しい暗闘が繰り広げられていた。
この張邈の手の者である男は、押し寄せる絶望に喘ぎながらも、孫策の派遣した気配はするが姿なき追跡者を躱そうと森林を歩き続けた。
ただ、追跡を振り切るどころか、その気配はどんどんと強くなっていく。
極限状態にある中、恐怖という原初的な感情を理性や能力といった後天的に獲得したもので男は必死に抑え込んでいた成果がやって来た。
森林でいくつも発生していた葉擦れの音から自分を狙って近づいてくる刺客が起こしたそれを聞き逃さず、突如の背後からの一撃を防いだ。
短刀が走る。体が交差し、血飛沫が舞った。
男の身体に傷はない。自分の短刀の刃が赤く濡れている。相手の血液だった。
致命傷ではない。男は手ごたえから断定した。
敵は木々に紛れて姿を隠している。
草木の臭いを掻き消す様に、血の臭いが立ち込めた。
男の耳に軽い跳躍の音が入った。
すぐに男はその方向を振り向くが、素早く動く影しか捉えることができなかった。
同時に、反対の方向からも攻撃が飛んできたことを察した。
男は体を無理に捻り何とか、その一撃を躱すが、先ほど跳躍音がした方から自分の頭を抱え込むように首に足が巻き付いてきた。
それはあまりにも軽い感覚だった。
「ていッ」
そして、可愛らしい女の子の声のすぐ後で、耳を塞ぎたくなるような鈍い音が響いた。
同時に男は呼吸ができなくなる。男は苦しむ。何も分からなかった。
彼は自分が少女によって頸骨を折られたことを理解できずに、もがいた。
「周泰様、申し訳ありません」
「怪我は大丈夫ですか?」
「腕を軽く斬られただけです。問題ありません」
そんな会話など耳にも入らず、男は苦しみ、揚州の森林の中でその生涯を終えた。
司馬炎が魏より禅譲を受けて建国した晋は
この建康とは、三国時代なら建業、後漢なら秣陵のことである。
東晋には西府と北府と呼ばれる軍の駐屯地があった。
このふたつが建康ひいては江南の地の守りの要であったのだ。
では、この西府と北府がどこであったか?
西府は荊州の江陵である。
以前にも書いたが、長江の流れはこの江陵の辺りで峡谷の奔流から穏やかな大河のそれへと変化する。ここは船戦を行う場合、最上流となるのだった。優位な上流を敵には渡せなかった。
北府は時代によって変わるが、徐州の広陵である。ちなみに、それ以外は同じ徐州の京口。
ここは江南、それも建康の対岸である。対岸に敵がいて、常に首都を窺っているという状況は東晋政府からすれば何としても避けたかった。
このふたつを現在この外史で統治しているのは、前者は劉表であり、後者は張邈の妹である張超(袁遺の推挙人の張超とは同姓同名の別人)である。
そして、孫策という敵の出現に対して劉表が董卓・袁隗陣営と接近したように、自分たちの土地が江南にとってどういう意味を持つか知っている張超とその姉である張邈も董卓・袁隗……いや、袁遺とさらに接近することになる。
「参りました。細作を五人送れば、帰ってくるのは三人ですよ。
そう言ったのは、背の高い女性である。身長は一七〇センチ後半はあった。女性にしては高い。そして、反対に声は女性にしては低かった。
彼女は衛茲。張邈の配下であった。
それに対して、答えたのは栗色の髪を丸みがあるように整えた髪型で、目鼻はくっきりとしていて優し気な顔立ちの女性であった。彼女が衛茲の主君である張邈である。
「孫策はお忙しいようね」
張邈―――彩雲は余裕さえも感じられる声だった。
徐州の下邳、その郡治所でふたりは揚州に放った細作からの情報を整理していた。
衛茲は、そのようですね、と相槌を打って続けた。
「先月まで送った細作は上手くいけば五人全てが、悪くても四人は帰ってきましたが、今は三人。孫策が揚州に対して力を入れてきたということです」
「山越族の朝貢、董卓・袁隗と劉表の更なる接近、それに揚州の名士たちが競って漢王朝に恭順の意を示そうとしているという噂。伯業の東進の危険性がある余裕のない状況で、孫策がそれらを無視できず間諜を江南に向かわせたということは、それだけ彼女が江南の地に重きを置いているってことか」
彩雲が言った。
彼女の幼ささえ感じさせる容姿からは想像できないくらいに、張邈の内面は醒めきっていた。
手勢の犠牲だろうが何だろうが、全てが彼女にとって状況を作る要素でしかなかった。
「おそらく孫策の手の者はさらに数を増すはずです。このままでは分が悪うございます。何か大きく仕掛けては?」
「うん」
彩雲はまとめられた情報に目を落としたまま頷いた。
衛茲からは、それに集中しているように見えたが違った。彼女は内心では衛茲の言葉に同意していた。
だが、別の面も彩雲には見えている。袁遺と曹操、彼女が絶対に敵わないと思うふたりの友人が決別のときを迎えようとしていることだった。
「伯業に頼まれたのは宣伝工作だけじゃないんだよね」
むしろ、宣伝工作の方がおまけであった。彩雲が袁遺に頼まれて細作を動かした目的は、宣伝工作を隠れ蓑に揚州の沿岸の地形を調査することである。
彩雲は袁遺と接近するために、それを請け負った。彼女は袁遺が借りを借りだと思える人物であることを知っていたからだ。この借りはいつか必ず返してもらえる。
「もう少し受け身でいこうか」
彩雲が顔を上げながら言った。
衛茲はそれに頷きながらも、ひとつの問いを投げかけた。
「袁将軍は何を考えておられるのでしょうか?」
「きっと洛陽にいなきゃ見えてこないことだと思うよ」
衛茲は彩雲の口元が僅かに歪んでいることに気が付いた。
それは彩雲の内心が、言葉とは正反対であることを現していた。
袁遺と曹操、そのふたりと友人だからこそ見えるものがあった。
補足
今回は特になし。
丁の章でも使うから乙の章の地図を描き直そうか悩み中(覚書)。