異・英雄記   作:うな串

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7 御者をした日

 

 

 男は()を使って藁をかき集めた。

 彼の鈀を持つ太い腕は日に焼けていた。顔も日に焼けている。その顔には精悍の一言で片づけられない強さがあった。それは男に宿る強い意志力によって醸し出された強情さがもたらした壮気だった。

 男は顎に垂れた汗を手でぬぐった。手は土埃と垢で黒く汚れた。

 荊州南陽郡新野県と宛県の間にある村で、男は生を受け育った。

 貧しい家だった。父親を早くに亡くした。ともかく楽な暮らしではなかった。

 男はそんな生活から抜け出したかった。だから苦学して学士となったが、生来の吃音のせいで幹佐(文書を扱う各部署の補佐官)になることができず、水稲田を運営する稲田守叢草吏(とうでんしゅそうそうり)となった。

 役人になったはいいが生活は楽にならず、やっていることも昔と変わらず農作業である。

 そんな男が救いを求めたのは、己の才能であった。確かに自分には吃音癖がある。しかし、才能は誰にも負けない。そう信じていた。

 彼は高い山や広い沼地を見つけると軍営を置くにはどこが最適か測量し、簡単な地図を作った。

 周りの人間の多くがそれを嘲笑したが、男は気にしなかった。彼は自分が持って生まれた才能を信じていたし、必ずこの苦しい生活から抜け出すと決心していたからだった。

 だがしかし、ときは流れても出世の機会は一向にやってこなかった。

 その間に、黄巾の乱と呼ばれる農民反乱が起こり、霊帝と諡された皇帝が崩御し、その皇帝死去の混乱の中で涼州の董卓が権力の中枢に上り詰め、それに反発した関東の諸侯が連合を結成し大きな戦乱が起きた。

 男は思った。世が乱れるのは当然だと。

 彼は水稲田の運営を通して、税が払えず流民と化す庶人の実情を見ていた。

 ただし、男が冷静な観察者であったかは別であった。

 彼は続けて思う。能力や実績ではなく、儒教的な徳目でさえもなく、官位を得るために必要なのは賄賂の多寡だ。それで世が乱れないはずがないだろう。

 その思いの根底には自身の恵まれぬ現状への嘆きがあった。生来の吃音のせいで下級も下級な役職に就くことになり、そこから脱出することもできない日々。

 男の能力はその自尊心に何ら恥じることのないものだった。

 流民が増え田畑が放棄される中で、彼の管理する稲田は荒れることがなかった。彼は職務を全うし続けたが、評価はされない。出世することがない。出世するのはいくら流民を出そうが税を多く搾り取り、それで官位を買う者たちである。男が嘆くのは当然のことといえば当然のことであった。

 しかし、乱世は男にも変化をもたらした。

 董卓と関東の諸侯たちの戦いは董卓が勝利したが、その勝利からしばらくして、都から、地方官の治績は田畑の耕作の度合いによって評価する、という通告が来た。

 この通告は司隷・兗州・豫州・荊州・徐州・揚州・涼州の七州に発布されたが、厳密に守られたかと言えば、答えは否である。

 例えば、当時は袁術が治めていた揚州では殆ど守られていなかった。

 そして、この荊州でも混乱の度合いが大きく劉表の目と手が届きにくい南部(桂陽郡や零陵郡など)では、ほぼ有名無実と化していた。

 だが、男の新野県ではそれが守られることになる。

 劉表の影響力の強い地域であるということだけが、その理由ではなかった。

 一番の理由は、新野の隣の宛に都から赴任してきた司馬朗だった。

 彼女から都に、通告を守っていないなどと伝えられたら、面倒なことになると思った劉表は、とりあえずは宛の隣の新野で業績を調査したところ、この男の功績が発覚したのだった。

 男は徴税官の職を得た。

 しかし、それは建前の上だけであった。引き続き水田の管理もやらされ、俸給は上がったが職務自体は大きく変わることがなかった。

 むしろ、上司や同僚からのやっかみを買う結果となり、風当りは前よりも悪くなったと言えた。

 男の汗と埃に汚れた顔を中天にある太陽が照らした。

 男はその太陽を忌々し気に睨みつけた。彼の人生で日の光とは栄光を表すものでなく、自分を照りつける厳しさの象徴であった。

 ふと、作業をする人夫たちを縫う様に自分の上役が何やら慌ててやって来ていることに、男は気が付いた。

「艾が、艾が拝謁いたします」

 男は拝跪して迎えた。

 上役の表情が一瞬、小馬鹿にした様に歪んだ。男の吃音癖に反応したのだった。

 それから上役は、神経質な声色でまくしたてた。

「おい、すぐに県治所に行け! ご子息が来ていて、御者がいないんだ!」

「はぁ……」

 男は分けが分からず、間の抜けた声を上げてしまった。

 それは上役の過敏になった神経を逆なでするには十分であったようで、さらに早口で言葉を吐き出し続けた。

 男はなんとか理解しようとした。口早に放たれる単語を拾い集める様に聞き取り、整理したところ、その意味がやっと分かった。

 襄陽から州牧の長男が洛陽へ向かうために新野までやってきたが、長男の乗っていた馬車が事故にあった。

 幸いにも、長男には掠り傷ひとつなかったが、御者が負傷してしまい。男にその代わりの白羽の矢が立ったということだった。

 畑仕事の次は御者かよ。嫌がらせだな。男は内心で吐き捨てながらも、これ以上、上役を刺激しないように立ち上がり、県治所へと向かった。その顔は能面を張り付けたように無表情であった。

 しかし、男は気づいていなかった。乱世が深まり、あらゆる因果が絡み合った結果、彼が望んでいた飛躍の機会がこのような形でやってきたことを。

 

 

 司馬懿の劉琦の第一印象は覚束なさだった。まるで己の運命を悟った蜻蛉(かげろう)の様だ。身なりは良いが線の細い青年を見て、司馬懿はそう思った。

 荊州からの一行を先頭で出迎えたのは、司馬懿の姉であり宛県令の司馬朗であったが、出迎えられた劉琦は形ばかりの挨拶をするだけである。自分がどのような政治的意図で洛陽へと向かうことになったか、それをまったく理解できていない様子であった。理解しているなら、その気力のなさを隠すくらいの努力はするものである。

 しかし、それが悪い印象に繋がったわけではない。

 これもひとつの処世の道だ。司馬懿は断じた。

 害のない無能ほど安心できるものはない。老荘的な考えである。司馬懿自身が有能過ぎる故に主に警戒されている人物であるため、所謂『無用の用』というやつの効能は痛いほど分かった。

 その影の薄い劉琦の代わりに、一行を差配していたのは司馬懿も見覚えがある人物であった。

 蒯越である。

 司馬懿の耳にも、自分の主である袁遺が彼女―――特にその能力―――に賛辞を送ったことは入っている。

 事実として、彼女の対応は如才ないものだった。

 ひとつの例として、司馬懿の表向きの任務である洛陽~荊州の情報網の整理で、南陽郡や南郡に張り巡らされた水上交通路について尋ねれば、まったく言い淀むことなく簡潔明瞭に答えを返すのである。

 だが、司馬懿がこの一行で最も才能を持つと思ったのは、蒯越ではなかった。

 

 

 たとえ、通信網の整備が建前の任務であろうと、司馬懿は手を抜くわけにはいかなかった。

 宛や荊州に危機が迫ったとき、今回、調査した事が役に立つというのは事実である。

 そのため、当然のことながら宛周辺の地形なども調査したのだが、その調査した場所をうろついている怪しい男がいるという報告が司馬懿にもたらされた。

 司馬懿は参謀数人と宛の兵を引き連れて、現場へと向かった。

 そこには日に焼けた立派な体躯の男がいた。

 おまえは誰だ。何をしている、と兵が男に強い語気で尋ねた。

 男は平伏したが、そのとき手に持っていた書簡が落ちて広がった。

 その書簡には、この周辺の地形と、そこにどのように軍営を敷くかが記されていた。

 参謀のひとりが息をのむ音が、司馬懿には聞こえた。

 書簡に記されていた図は、理に適っていた。

 そして、男の行っていることは戦争の準備行動に他ならない。細作か、と数人の参謀に緊張が走ったのだった。

 しかし、司馬懿には別の物が見えていた。

 司馬懿は、男の身元を尋ねた。

 男からは、自分は役人であるが、今は劉琦の御者をしているという答えが返ってきた。

 司馬懿はそれにひとつ頷くと、邪魔をしたな、と言って、引き上げようとした。

 それに参謀のひとりが、よいのですか、と尋ねるが、司馬懿は、あの陣はそういうものではない、と返した。

 だが、司馬懿の言葉は男の矜持を傷付けた。

「わ、私の陣立ての何が悪いというのだぁ!?」

 男は立ち上がり叫んだ。顔が怒りで歪んでいる。頭に血が上り、怒りが全てを支配し、我を忘れているようであった。

 これを司馬懿の失策であったと考えるのは些か酷であろう。男が人並外れた激情の人物であった。

 男の態度に兵たちの武器を握る力が強くなったが、司馬懿は冷静であった。

「始め、私たちは君を孫策が放った細作かと思ったが、君の書いた陣立てを見て誤解だったということに気が付いたのだ」

 司馬懿の言葉は典雅な響きを持っていた。

「私は陣立ての良し悪しを言っているのではない。君の陣は理に適ったものだが、明確な陣営の色がない」

 司馬懿は孫策陣営と言ったが、内心ではその他の陣営も思い浮かべていた。曹操や劉表である。

 曹操なら袁遺に勝利をした後を見据えて調査している可能性があり、劉表なら後の関係悪化を考慮して、いつでも宛を取り返せる用意はしている可能性があった。

 しかし、曹操との対決を決意していることは袁遺の体裁上、秘密であるし、同様に現在の友好関係を四海に示さなければならないことを考えれば、劉表を疑っているとは口にすべきではない。

 そのため、司馬懿は孫策の名のみを出したのだった。

 だが、孫策にしろ、曹操にしろ、劉表にしろ、男が書いたような陣を敷いて宛を攻撃する必要がない。

 孫策ならば、彼女が荊州に攻め入るなら江夏方面からであり、宛や新野周辺を調べるにしても、わざわざ軍営を敷くための図など書くことはない。

 曹操軍ならば、宛は―――袁遺がそうしたように―――劉表との外交によって手中に収めるはずであった。

 そして劉表であるが、劉表軍の主力は水軍であり水陸両軍の連携が重要である。となると軍営はもっと淯水(いくすい)付近に敷くことになる。

 そのことから、男の書いた軍営は理に適った素晴らしいものであるが実戦的というより、趣味的、修練的なものである。

 だから、司馬懿は男を細作でないと断じたのだった。

 男が発していた激しい怒気が、一瞬で霧散した。その表情も先程まで怒りで歪んでいたことが嘘であるようだった。

 それに司馬懿は、ほう、と感心した。冷静であると思い、さらに言葉を交わしたくなった。

「もう少し陣立てを見せてもらえないだろうか?」

 司馬懿が尋ねると、男は首を縦に振った。

 司馬懿は、参謀部に命じた。

「もう少し、宛の南西を調べておきたい」

 そして、調査にむかった参謀部の中に激情家の男が混じることになった。

 調査の間、男の日に焼けた顔には子供のような輝きが浮かんでいた。

 袁遺という異物のせいで異常なまでに発達した参謀部である。男の戦術家としての好奇心が強く刺激されたのだ。

 司馬懿はそんな男に、この地形をどう見ると、尋ね。ときには、いくつかの戦略的な条件を付けくわえて、男を試すとも、導くともした。

 男から返ってくる答えは、どれも理に適っていた。そして、男は決して机上だけの狭い視野の持ち主ではなく、作戦レベル、戦略レベルで物事を考えることができる人物であった。

 司馬懿は男の能力の高く評価しながらも、一点どうしても気になる面があった。

 男の言葉の端々に野心を感じるのだった。

 つまりは、都からやってきた司馬懿に自身の才能を示し、出世の足掛かりにしようとしている。

 それはいいだろうと、司馬懿は思う。才能に見合う野心を抱くことを攻められる筋合いはない。

 しかし、司馬懿が感じる男の性格は難物だった。

 才能に付随する傲岸さを感じる。純粋なところもあるが、それは同時に無神経さの表れでもある。忍耐強さもあるが、それは強情さによって支えられた意志力である。

 人付き合いという点において、それらは障害でしかない。

 性格が歪んでいる。司馬懿は思った。

 性格面の歪みは、彼の主であり親友である袁遺も持っているが、袁遺はどうしようもない面倒くささを宿すものの同時に人格者の面も持ち、なおかつそれを自覚しているため、意図的に社交性を損なわないようにしている。また、名士として儒教的徳が要求されるという問題から袁遺は徹底的な擬態を行っているため、性格の歪みを知っているのは彼と近しい一部の人間だけである。

 だが、この男はどうだ。

 激情家、能力に裏付けされているが人からの反感を買いそうな自信、先程に見た劉琦とは正反対だ。自身の能力を信じて、道を開こうとする。悪いことではない。だが、白起や韓信の最後を思えば、この吃音症の男の有能さは彼自身を傷付ける有能さであろう。

 司馬懿が男の有能さとその危うさを考えているのは、彼の能力を買って掾(属官)として中央に招こうと考えているからだった。

「……君は、どのくらい出世したいのだ?」

 司馬懿は、ポツリと尋ねた。

「しょ、将軍に。い、一軍を率いる将軍に」

 答えた男の顔は輝いていた。

 希望というより野心だな。司馬懿は思った。

 そんな司馬懿に男は続けた。

「も、もし、将軍にしていただけるなら、私は火の中に飛び込めと言われても従いましょう」

 その言葉に司馬懿は、顔に僅かに悲しみの色を宿して口を開いた。

「いや、君はそうならぬことを願っているべきだ」

 男は司馬懿の言葉に呆けた顔を返した。その意味を分かっていない様子であった。

「まあ、追々、分かっていけばいい。とりあえずは、君を掾として洛陽に招こう。いいかな?」

「は、はいッ!」

 その後、司馬懿は蒯越に、

「御長男の御者をしている吏を掾として、洛陽に召喚したいのです。よろしいでしょうか?」

 と尋ねた。

「……よろしいですが、御者はどのような人物であったでしょうか?」

 蒯越は司馬懿に尋ねた。蒯越の言葉にはほんの僅かに困惑の響きがあった。

 それに司馬懿は、彼です、と男を示した。

 男は蒯越の前で拝跪して、口を開いた。

「と、鄧艾、字は士載であります」

 

 

8 司馬仲達

 

 

 宛を発つ前、仲達は県令である姉の司馬朗を訪ねた。

「姉さん、いろいろお世話になりました。私たちは洛陽へと発ちます」

「仲達、体に気を付けなさい」

 司馬朗は弟に優し気な声で言った。

 司馬朗の容姿は整っていた。肩で揃えられた繊細な黒髪。弟や妹の面影がみられる垂れ気味の目には練られた精神性を教える輝きがある。

「それと、張さんにもよろしく。特に体を大事にしなければいけないときですから」

「はい、姉さん」

 仲達は、品良く微笑んだ。

 その様子に司馬朗も温かな微笑を浮かべるも、すぐに真剣な顔をして弟のことを真っすぐに見つめた。

「仲達、ずっと聞いてみたかったことがあったの……」

「何ですか、姉さん」

 仲達の声は素直な響きを持っていた。

「……どうして、あなたは伯業君に仕えようと思ったの?」

 

 

「愛国という感情が、この天下に実在したことが」

 司隷河内郡温県、司馬家の私有地、その貯水池につきだす様に建設された四阿で司馬懿は父親の喪が明けた袁遺と久方ぶりに再会を果たした。

 それは晩夏ながら暑さが和らがない年だった。

「ほぉ……つまり、君には愛国という感情がないと」

 袁遺の声には司馬懿を非難する色は一切なかった。

「では、何があるのかな?」

 しかし、司馬懿は友人の声色から剣呑さを感じずにはいられなかった。狂気一歩手前のものがそこにはある。

「一言で表すには、どんな言葉がいいかな……儒教精神に基づく名士としての責任を果たす、そんな感じなんだけどな」

「経世済民」

「世を(おさ)め、民を(すく)う。なるほど、それはいい」

 司馬懿が言った。あるかないかの品の良い微笑を浮かべている。

 『経世済民』―――世を経営し、民を救済する。その言葉が歴史に記されたのは東晋の頃、葛洪の『抱朴子』の中であるが、経世という言葉も、済民という言葉も、それ以前から存在する。

 この袁遺の言う漢王朝を救うと、司馬懿の考える経世には大きな隔たりがある。

 名士は郷里社会の指導者という側面を持つ、世の乱れは郷里社会にとって害でしかない。

 だから、郷里社会の構成員―――民は指導者に世の平穏を求める。そして、指導者はその求めに応じ、指導者たることを示さなければならない。

 経世のために名士たちは、乱世を治めるに足る人物に力を貸す。

 これは例えば、修身・斉家・治国・平天下といった儒教的道徳観のみの行動ではない。政治力学や名分論も大きく絡んでいる。

 だが、真にその根底にあるのは『家』である。郷里社会の指導者という立場を維持し、それを子に繋げ、家の祭祀を保つ。名士(そして、後の士大夫層)が最も重視することである。

 袁遺の視線は司馬懿に注がれていた。

 そしてまた司馬懿も、親友の小石を思わせる小さく無機質な瞳の中にいる自分を見つけていた。

「……官職にも就かず、半ば隠者となっている私の言うことだから、信じていないかな」

 司馬懿の声は穏やかであった。

「そうではない。まあ、現状は汚職はあるが、乱世であると言えないからな……」

 袁遺は言葉を濁した。

 迷いだ、と司馬懿は思った。伯業には迷いがある。

 司馬懿も袁遺が自分に会いに来た理由を今は察している。

 名士たちが乱世を治めるに足る人物に力を貸したとき、その人物は名士たちの中心人物として名士の利益を守る存在にならなければならない。

 袁遺はまず、その中心人物にならなければならない。名士たちから協力なくしては、彼の立場を安定させることはできない。

 しかし、袁遺と名士たちは必ず衝突することになる。

 司馬懿は袁遺の能力に確信に近いものを持っている。彼ならば必ず望んだ地位まで駆け上がる。そして、今、宣言したように給田法の施行、戸籍の再編、官制の改革を行うだろう。

 だが、それは名士たちの権益を削ることである。

 名士たちは袁遺を間違いなく見限る。

 そのとき、司馬懿がその後の中心人物になると考え、さらに中心人物となり自分と対決すると感じて、司馬懿に会いに来たのだった。

 だがしかし、袁遺は友情と妄執に似た愛国の間を彷徨っている。

 今日、伯業に会えて本当に良かった。司馬懿は心の底から思った。今の様に郷里に籠っていれば否応なしに袁伯業という強大な力に押し潰されるだけだ。

 仲達の中には、名士たちの中心になる気も、袁遺と対決しようという思いもなかった。袁遺が司馬懿を高く評価するように、司馬懿もまた袁遺を自分では敵わないと思うほど高く評価している。

「では、私が君に仕えたいと言えば、私の言葉が本心だと証明できるだろうか?」

「仲達……」

 袁遺の顔には日頃の無感情さがなく、困惑の色が広がっていた。

 司馬懿はそんな様子にかまわず、袁遺と向き直り、姿勢を正して口を開いた。

「袁公、私は本心より申したのです。犬馬の労をも厭いません」

 そして、深々と頭を下げた。

 たとえ袁遺の表情が見えずとも、司馬懿は袁遺の中で行われている計算と葛藤が手に取るように分かった。

 伯業、君は私の言う、君の表現を借りるなら経世済民と君のやることが究極的に相反することだと知りながらも、君に仕官しようとしている私を訝しんでいるだろう。だが同時に、わざわざ私の郷里まで会いに来るほど警戒している私の有用さについても考えて、利害得失の勘定を行ってもいるはずだ。それなら―――

「……先生、頭を上げてください」

 畏まった声が司馬懿の頭上に降り注いだ。

 それに応じて、司馬懿は頭を上げる。声の主である袁遺は無表情な顔をしていた。しかし声は真剣そのものだった。

「私は天下に大義を示そうにも、非力で、徳が浅い愚か者でございます。どうか、先生のお力で蒙を開いていただきたい」

 今度は袁遺が頓首した。

 この国で古来より繰り広げられてきた賢人と、それを迎える主人のやり取りである。

 そして、司馬懿にとって生き残るための重要な鍵であった。

 袁遺の儒教観は確かに歪んでいるが、それでも秩序化を図るに礼を重んじている。

 そのことから司馬懿は、臣下の礼を取り、袁遺第一の功臣にして忠臣という評判を内外から集める。そして、出現した朝敵を討ち果たした後で、袁遺に兵と指揮権を返上して隠居を願い出るつもりであった。

 少なくとも、今の―――古来よりの礼を守り自分に額づいている―――袁遺なら兵を取り上げる代わりに財物を与えて、隠居を許すだろう。

 そうすれば司馬懿と似た様な立場である、袁遺の下についた部曲(私兵)を多く抱える名士たちも自然と司馬懿に倣わざる得ない。

 結果、袁遺は望んでいた名士たちの力を削ることができ、司馬懿も身の安全が買えるのであった。

 何故なら、袁遺は兵権を失った名士たちを安心させる必要がある。それなのに最初に兵権を返上した司馬懿を粛清しては―――次は自分の番ではないのかと―――名士たちの不安を煽ることである。

 国や地方を動かす官吏の供給源、その最も大きなパイを占めるのが名士たちということは事実である。だから、袁遺は名士たちと対立し続けるわけにもいかない。妥協点を探らなければいけないのだ。その妥協点こそが司馬懿の身を守るものであった。

「我が君」

 司馬懿は袁遺を抱き起した。それから改めて臣下の礼を取った。

「どうか大業をなしてください。臣も、己が力を必死に尽くします」

 袁遺も姿勢を正して、それに応えた。

「私が大業をなしたときは、必ず先生の忠心に報いてみせます」

 このとき交わした言葉の軽重を、司馬懿は知ることができなかった。

 私は本当に伯業の目的のために自分の全てをかけられるのか? 伯業は将来も今と変わらないのか? 私たちは戦わずに済むのか? 今、私たちが口にしている言葉は所詮、薄汚い政治的欺瞞に過ぎないのではないか? 政治、その言葉さえ付けば、あらゆる非情、あらゆる非道が棚上げされ、自身が肯定されると思い込んでいる下種に、私たちはなってしまったのではないのか?

 迷いだ。司馬懿は思った。私も伯業と同じで迷っている。

 思考を多面的、相対的に行う司馬懿には、この迷うということが珍しかった。

 袁遺がそうである様に、彼にとっても袁伯業とは特別な友人であるのだった。

 

 

 仲達は、あの晩夏の暑さを感じたような気がした。

「理由はいろいろあります。一言で言い表せませんが、一番の理由は私と伯業は百年生きても一度巡り合えるかどうかの知音であったからです」

 仲達は誤魔化した。

 姉も、弟が全てを語ることを憚っている心情を読み取り、それ以上の言及を避けた。

 しかし、仲達が袁遺のことを親友だと思っていることは事実であった。

 そして、敵が友であることは両立することも事実である。互いに互いのことを深く知り合っているからこそ強敵になり得るのだった。

 仲達は未だ確信が持てていなかった。百年生きても巡り合えるかどうかの知音が、千載に一遇の強敵にもなってしまうのかを。

 あれから月日が流れたが、今でも仲達は名士の中心となって袁遺と対決するなど、ごめんであった。袁遺と戦って勝ち、その後、名士たちの権益拡大のために陰謀を巡らし続ける。そんな未来など、想像しただけでも震えがくるほどの不快感を感じた。

 だが、仲達は死にたくない。都にいる妻と生まれてくる子供を、厳格な年老いた父を、目の前の心優しい姉を、聡明な妹たちを、家族を死なせたくない。

「姉さん」

 仲達は司馬朗を正面から見据えて、口を開いた。

「私はもう行きます。姉さんも体にはお気をつけて」

 彼の表情は普段と何ら変わりない、嫌みのない品の良いものだった。

 

 

「お久しぶりです。その後はいかがでしょうか? 何かお困りのことはないでしょうか?」

 同僚である司馬懿の妻であり、かつて袁遺が謹慎中にお世話になっていた張春華が懐妊したことを知らされた雛里は、すぐに主の袁遺と共に祝いの品を下げて司馬懿邸を訪れて言祝いだ。

 それ以来、仕事が忙しくて春華を訪ねてはいなかったが、彼女の夫の司馬懿が荊州へと旅立って家を長い間あけているため不安ではないかと思い、ちょうど時間に余裕ができたので、土産を見繕って司馬懿邸へと向かったのだった。

 春華は柔らかな笑み浮かべながら雛里を出迎えた。そして、雛里が差し出した土産にも丁寧に礼を言った。

「お優しいお心遣い、ありがとうございます。皆様のおかげで、健やかに日々を過ごせています」

 春華は使用人に命じて、お茶の準備をさせた。その若い女性の使用人を雛里は初めて見た。

 それからふたりは、他人が聞いたら他愛無いと思う話をした。しかし彼女たちからすれば、それは貴重な時間であった。

「袁将軍も、夫が荊州に旅立った日から、着物や珍しい果物など大変な品を毎日欠かさずに人に届けさせてくれます」

 彼女は恐縮しているようであった。

 それを聞いたとき、雛里は主の悪癖が出たと思った。

 袁遺は過度に吝嗇と思われるのを嫌う悪癖がある。となると、その贈り物の価値や量は推して知るべしだった。

「ですが、少し懐かしくもなりました。私が司馬家に嫁いだときも、あの方は司馬家よりも、私の実家よりも多くの祝いの品を持ってきてくれました。名門である袁家の力を誇示しているのかと初めは思いましたが、礼を失してしまったかと、あの無表情の顔を崩して夫の前で小さくなったのを思い出しました」

「伯業様にはありますよね。そういうところ」

 小さく笑った春華につられるように、雛里も小さく笑った。

 

 

 春華はまだ膨らんではいないお腹を撫でていた。まるで今の話をそこで育っている子供に聞かせている様だった。父とその一番の親友の話を。

 




補足

・鈀
 鈀はT字状の武器である。その柄頭には九~一二本の鉄製の突起物が付けられている。
 元々は中国の南北朝時代(四二〇~五八九年)にできたとされている農具であり、その用途は地面をならしたり、藁や稲の穂を集めるためのものであった。
 しかし、明代に倭寇との戦いで、船体にとりついた敵を叩き落すのに有効であったため武器として使用されることになる。
 もちろん、この後漢末期にはない農具、武器であるが、青龍偃月刀しかり、蛇矛しかり、明代の武器がよく登場するという『三国志演義』特有のお約束に基づいて登場させた。
 そして、最初の経歴が農政家から始まった鄧艾の武器をそれにした。まあ、マッセナが石鹸カッターを持っているみたいなものである。

・修身・斉家・治国・平天下
 身を修め、家をととのえ、国を治めて、天下を平和にする。『礼記』大学の一節。
 つまり、天下を平和にするには、知識人たち、ひとりひとりの言動から気を付けろということ。
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