9 直前
オルドスを巻くように黄土台地を浸食しながら南下する黄河は、渭水と合流すると直角に東へ折れ曲がる。
この黄河が東へと流れを変えた辺りにかつて函谷関があり、その以西を関中と呼んだ。
だが、都が洛陽へと移されると函谷関の名は穀城県にある関に移された。その地形は左右は一〇丈(約一八メートル)にもなる絶壁となっており、車一台がようやく通れる幅しかないという防衛するには最適なものである。
その函谷関を越えた新安の地で、袁遺軍の訓練が行われていた。
袁紹勢力の消滅後、晋陽周辺に割拠した張燕とその配下の黒山賊は袁遺に降伏した。そして、袁遺は黒山賊を関中の地に移住させ、その中で兵士の適性があった者をこの地に集め、軍事訓練を施したのだった。
そこに司馬懿が参謀団を連れて乗り込んできた。彼は、宛から劉琦たちを連れて洛陽に帰還した後すぐに、袁遺に命じられて訓練地へと向かった。
司馬懿が袁遺から命じられたのは軍の動員であった。ここに駐屯している一〇万の兵を洛陽に移動させ、作戦目的に適した様に編成する。
余談になるが、これは後の近代軍隊に必要不可欠である要素―――ある規準を以て編成された部隊を国家が管理して軍事力の有効活用をはかる―――であり、この種の軍事システムが本格的に運用されたのは世界史を見渡しても一八世紀以降である。袁遺は意図していなかったが、彼が必要とする軍の機動性や柔軟性を追求した結果によって生じた偶然の産物であった。
もっとも、その偶然の産物の近代的軍隊が袁紹と彼女に従った豪族とその私兵というような封建的な軍隊組織に勝ったというのは近代軍事史でよく見られた構図でもある。
しかし、近代国家の軍隊の兵士に必要な愛国心(あるいは自分が所属する共同体に対する帰属意識)に類するものを元黒山賊は持ち合わせていない。彼らは袁遺という巨大な軍才に従っているのである。
この事実が袁遺の後半生に自己矛盾を起こさせ、その矛盾を解消しようとさらに歪んだ自己矛盾に陥らせることになるのだが、それはあまりにも本筋から脱線するので話を元に戻す。
新安に到着した司馬懿は、まずは訓練の成果をその目で確かめ、その後で諸将を集めた。
「袁将軍から、洛陽へと移動するように命令が下されました」
司馬懿が言った。
それを聞いた諸将は、司馬懿の言葉の奥にある意味を察した。袁遺、もしくは敵は戦端を開こうとしている。
諸将の雰囲気があからさまに変わった。誰もが開戦に精神を高ぶらせているという風ではない。この中で最も好戦的である華雄でさえ、顔をしかめた。
「軍師殿」
張郃が、まるで皆を代表するように口を開いた。その声色は硬かった。
「率直に申し上げます。兵の練度は袁将軍の望む水準には達したと確信していますが、敵を選ばないと言えるほどのものではありません」
張郃は言葉を濁したが、司馬懿は張郃が何を言わんとしているか理解できた。
曹操と戦端を開くことは袁遺の体裁の関係で秘匿されていることである。そのため、張郃はあえて曹操と明言することを避けたのだった。
そして、張郃が言いたいのは、匪賊程度や数で圧倒的に勝っている孫策軍ならともかく、数ではほぼ互角かつ質では圧倒的に負けている曹操軍を相手にするのは問題外であるということだった。
「……華将軍、将軍の意見を聞かせてもらえますか?」
司馬懿は華雄に水を向けた。
この中で最も袁遺に対して好意的ではなく、かつ好戦的で御しにくいのが華雄である。そんな華雄の反応を司馬懿は知りたかった
華雄は、ふんと鼻を鳴らしぞんざいな態度で答えた。
「今の状態で戦うなら、私ひとりで戦った方がマシだ」
それに司馬懿は丁寧に礼を言い、張郃に話を向けた。
「張校尉。それならば、徐州遠征を再現できますか? この一〇万の兵たちに一日六六里(三三キロ)を駆けさせることができますか?」
「伯業様の望む水準には達したと、私は言いました、軍師殿」
袁遺配下の将校たちに決して好意的に思われていない、それを表す様な答えが司馬懿に返ってきた。
「分かりました。袁将軍は運動戦で全てを解決すると考えています。兵の質の差は、軍の機動と野戦築城で補うでしょう」
「軍の機動……」
諸将の誰かが呟いた。
声はひとつであったが、全員の脳内に冀州での戦いが蘇っていた。
その中で、袁遺の直属の配下は思った。あの主なら兵の質をひっくり返す、と。
それに対して、袁遺を好意的に思っていない者―――華雄は露骨に不快感を表に出した。彼女は冀州での戦略を臆病者のそれと批評していたし、冀州から帰ってきてからも何かと袁遺を罵倒している。今回もまた小細工を弄すのか、と内心で吐き捨てていた。
ふたつの反応の中で司馬懿は指示を飛ばした。
「そのためには、ここの一〇万の兵を洛陽へと移す必要があります。ここまでの道中で手配りの大半を済ましてきました。第一陣は張将軍の隊から、次に陳校尉―――」
まずは隘路である函谷関を出なければいけない。その後に、分進して各隊が洛陽を目指す。
各部隊は後代の言葉で言うなら、増強旅団(約九〇〇〇名)にあたる。その規模の部隊を複数、遠距離で運用が可能なことは袁遺の軍にしかない強みであった。
一〇万の軍が東進を開始した。
しかし、その動きは曹操に一歩遅れたものであった。
なるほど、確かに何かある。
自分が放った細作から上がってきた報告に目を通したとき、袁隗はそう思った。
彼の手元には三人の旅芸人の軌跡があった。
司馬懿が怪訝に思った、黄巾賊の残党一〇〇万の前に現れたという三人の女歌手を細作を使って調べ出したのは袁遺が冀州より凱旋した後からであったが、それでも多くの情報が集まった。
何しろやっていることが目立つのだ。観衆の前で踊って歌う。人気もあるようで、かなりの人も集まる。
彼女たちの活動範囲には確かに奇妙なところがあった。
陳留周辺から兗州全体に、そして冀州へと、まるで曹操の勢力圏の拡大と同じ様に広がっていた。
間違いなく曹操と無関係ではない。曹操が組織した民に娯楽を与え不満の解消、兵の慰問を目的とした芸能集団だろうと、袁隗は直感していた。
そんな芸能集団が張角の仇を取るために猛った黄巾の残党一〇〇万を止められるとは思えない。
おそらくは黄巾党の重要人物であったのではないか、ならば使えると、袁隗は考えた。
彼も甥の袁遺と同様に、名分もなく曹操を攻め滅ぼせば声望が地に落ちることを理解している。何か口実を見つけるか、曹操に手を出させなければならない。その点で、彼と甥は曹操に手を出させることを選んだ。
こちらが件の三人組を疑っていることを匂わせれば、彼女たちが曹操にとって探られて痛い腹なら過敏反応を起こすはずだった。袁隗の見るところ、袁遺が過大評価気味に曹操のことを有能だと思っているが、曹操もまた袁遺に一目を置いている。だから、この三人の存在が公にできないものであった場合、袁遺がそのことに気付いたと暴発して、全てを有耶無耶にするために戦争に雪崩れ込むはずであった。
そうなれば、後は戦争に袁遺が勝つだけであった。
だがしかし、この調査の報告を聞かされた袁遺の反応は些か鈍いものだった。
「わしの読みは外れているか?」
袁隗が尋ねた。
「……いえ、間違いなく叔父上の読み通りに事は運ぶでしょう。彼女は、ともかく戦いたがっていますから……」
「では、なんだ? 何がある?」
袁隗の口調には詰問でもする様な厳しいものがあった。彼は自分の甥が何か企んでいることを察したのだった。
「率直に言いますと、曹孟徳の裁断権をいただきたいのです」
袁遺の言葉を聞いたとき、袁隗の眉がほんの一瞬、不快そうに動いた。
そして、袁隗は平坦な発音で言葉を吐き出した。
「訳を言え」
「七〇日以上、司隷東部近辺が戦場になれば、漢王朝と兗州・冀州の両方の資金が干上がることは以前に説明しましたね」
「言った」
袁隗が鼻を鳴らす様に応じた。
「曹孟徳も間違いなく、そのことには気が付いています。私には彼女を打ち倒す算段は付いていますが、唯一どうしようもないのはこの点なのです」
「……勝てるが、七〇日以上かかると?」
「いいえ、私の思惑通りにいけば、一五日以内に勝てます。ですが、勝ち目がないと彼女が悟り、なりふり構わずに籠城で時間を稼がれた場合は七〇日が経つかもしれません。そうなる前に降伏を促す必要が出てきます」
「つまりは曹操が腹いせに、こちらを道連れに破滅させると?」
「十中八九はあり得ません。彼女は自分の美意識に殉じるでしょう。ですが、追い詰められた人間を信じることは、私にはできません。万が一があり得ます」
袁隗の質問に袁遺は間髪入れずに答えた。
しかし、甥の言葉が果たして本心から出ているのか袁隗は迷った。おそらく真実も含まれているだろうが、曹操の裁断権を欲して持ち出してきた言い分であろう。
と同時に、袁遺の言は傲慢甚だしいものだった。
袁遺の立場は曹操の推挙人にも等しい。彼が曹操との協調路線に舵を切ったからこそ、反董卓連合に参加した曹操は兗州牧や建徳将軍へと上り、通常の人臣が昇り得る最高の爵位である列候にまでなったのだ。
だが、曹操が間違いなくこちらに牙を剥きつつある。
推挙人は推挙した人物が何らかの失敗や問題を起こした場合、責任を取らされる。となると、袁遺はそういう立場にある。
本来なら袁遺は速やかに曹操を打倒し、戦いの終結と曹操の頸を以て自身の不明を詫び、許しを請わなければならないのだ。裁断権を寄こせなど傲慢以外の何物でもない。
袁隗の胸の内を透かした様に袁遺は口を開いた。
「叔父上。もちろん、私は責任を逃れようなどとは考えていません。曹孟徳に勝った後で、私のことを罷免してください」
袁遺の無機質な瞳が袁隗を真っすぐ捉えていた。
「位階、勲等を取り上げ、庶民の身に落としてください」
名士(そして、後の士大夫層)にとって、庶人に落とされるということは最大級の屈辱であった。
「……傲慢だな、伯業」
袁隗は不機嫌さを隠さずに続けた。
袁隗の不機嫌の根本は考えたくないことを考えたからだった。
彼の頭脳はすぐさま計算を始めた。
現在の状況を考えれば、袁遺を罷免するのは危険極まりなかった。あまりにも予断ならない南の情勢が、かろうじて安定しているのは袁遺の軍才あってこそである。罷免したところで間を置かず、すぐに復帰することが目に見えている。袁遺自身もそれを確信して罷免しろと言い出したのだ。傲慢極まりない。
そんなことは誰でも分かると続けてから、袁隗、彼の知性の高さ故の諧謔性がある事実に気付いたのだった。自分たちが皇帝と戴いている人物こそが、その誰にでも分かることが分からない人物であるということに。
これ以上は不敬に当たる、と反射的かつ無意識に袁隗は思考を停止した。
そして、計算の再開と、その方向性の転換のために感じた不快感をその外に吐き出した結果の言葉であった。
「…………分かった。曹操の裁断権は何とかしよう」
間を置いて、袁隗は重々しく口を開いた。
「司空の方は問題ないだろう。お前を危ういほど信用している。賈駆も司空に任せよう。他の有力な名士はわしが何とかする」
「ありがとうございます」
袁遺は頭を下げた。
「だが、お前は罷免されることになるぞ」
「当然ですね」
「ただし、お前の持っている仮節鉞はそのままだ」
「なるほど……」
仮節鉞とは仮節と仮黄鉞のふたつからなる。
仮節の『節』とは旗のことであり軍律違反者への執行権を表し、仮黄鉞の『黄鉞』とは
このふたつは袁遺が冀州侵攻に際して与えられ、馬超と曹操を指揮する法的根拠となっていた。
つまり、後将軍という肩書はなくなるが指揮権はなくならないという奇妙な状態に袁遺は置かれることになる。
これは南で軍事的異変が起こった場合でも、袁遺をすぐに軍司令官として状況に介入できる余地を残したのだった。
「恥知らずなことですがもう一点、司馬懿にも仮節鉞が陛下から賜れますよう取り計らってください。曹孟徳との戦いでは、彼の別動隊の働きが戦局を決するはずです」
甥の言葉を聞いた袁隗は、ふんと鼻を鳴らした。
袁遺はそれを肯定と受け取った。
「……勝算はあるのだな? いや、お前は勝算があるから戦うのだな」
袁隗が言った。その声は険が取れた、諧謔味のあるものだった。
「はい、そうです。そしておそらく、曹都督も同じことを考えていますよ。必ず勝つ、と」
「なるほど、戦いがなくならないわけだ。どちらも戦えば勝てると思っているのではな」
事実は袁隗と袁遺の予想の斜め上をいった。
彼らが不信に思った女芸人たちが、まさか黄巾党の首魁とされていた張角とその妹たちであるという可能性など全く追っていなかったのである。
袁隗と袁遺があわよくば開戦の口実になる程度の認識で突いたそれが、露見すれば曹操にとって致命的なものだったとは、いくら彼らが有能であっても予想のしようがない。
だがしかし、袁隗と袁遺の目論見は一応の成功を得る。
何故なら、曹操の戦意は弓から放たれた矢の様に袁遺という的を射ぬくだけという段階にあったからだ。
袁遺と袁隗が上記の密談を交わしていたとき、司馬懿が函谷関を越えて新安を目指している途上であった。
同じ頃、曹操―――華琳は冀州の鄴で、(陳留に残してきた以外の)将や軍師の前で作戦計画を伝えていた。
「全軍を挙げて司隷東部を早期に突破して、袁遺が小細工を弄する前に決戦を強要する」
華琳の持つ、美意識、戦争観、そして袁遺への思いが軍事行動として結晶化したような作戦計画であった。
「そして、袁遺を倒し、洛陽を押え、天下に我が曹の旗をなびかせる!」
強い言葉であった。これは作戦計画ではなく、諸将を奮い立たせるために用いたものだった。
無論のこと効果は抜群だった。華琳に天下を、太平の世を見ている将たちは示し合わせた様に歓喜の呻きを漏らした。
この力強い宣言の直後から、曹操軍の攻勢作戦が開始され、袁隗がその手勢を使って流した―――洛陽が兗州、冀州で活躍している歌芸人を怪しんでいるという―――噂が、華琳の耳に届いた頃には、曹操軍は華琳の号令の下で司隷東部に進軍するところまで来ていた。
だから華琳は、
「そう……張三姉妹に気付いたのは流石ね。だけど、もう遅いわ」
と、意に介さなかった。
彼女にとって、そんなことはどうでもよかった。
冀州から帰ってきて袁遺に脅威を感じたことも、孫策のことも、自分が理想と信じる覇王として天下に武威を示すことさえもどうでもよかった。
華琳の中にはただ喜びがあった。
彼女はずっと待っていた。袁遺と戦うときを。そして、勝ち、屈服させるときを。
華琳の胸が昂った。昂りは、号令を待ち居並ぶ五万の軍を目の当たりすると否応もなく増す。
「聞け、三軍の兵たちよ!」
その昂りを吐き出すように、華琳は叫んだ。覇気に満ち溢れた声だった。
「この戦いは、我が存亡を決するに非ず! お前たちの栄辱を決める戦でもない!」
華琳は言葉を切った。
兵たちは主君から出るであろう次の言葉をしわぶきひとつせず待っていた
「これから先、一〇〇年の歴史を決める戦いである!」
華琳は―――彼女の愛用の武器である戦鎌―――絶を掲げる。
それに呼応するように兵たちも剣を、槍を、戟を掲げた。
「出陣の軍鼓を鳴らせ! 総員、出立せよ! 我らが威光を地の果てまで轟かせるのだ」
連打される軍鼓の響き。兵たちの喊声。軍馬の嘶き。華琳はそれらを一身に受ける高揚感の中で、愛しい恋人に囁く様に、甘く優し気な声で言った。
「征くわよ、伯業」
袁遺、曹操という共に有能な戦争指導者に率いられた両軍の接触の前に、このふたつの勢力が行った兵力動員とその配備を俯瞰的な視野で眺めておく必要がある。
何故なら、それらは彼らが置かれている状況に対して可能な限り努力を払った結果であり、袁遺と曹操の戦争観が色濃く表れるからである。
まずは曹操陣営から始める。
曹操軍はふたつに分かれている。
冀州の鄴から出発する曹操が率いる本軍と、兗州の陳留から出立する荀彧が総指揮を執る支軍のふたつである。兵力は両軍ともに五万。
曹操軍の作戦目的は決戦での袁遺軍主力の殲滅。
作戦目的を達成するために、本軍および支軍の当面の方針は以下のようになる。
1、本軍は迅速に司隷へと侵攻。
2、支軍は現状、唯一展開している袁遺軍の呂布隊の無力化。
3、陽武、原武に存在する主要交通路の突破および確保。
4、巻近辺での両軍の合流。
曹操軍の編成は以下の通り
本軍
総兵力五万(実戦要員三万八〇〇〇 兵站等の非戦闘部隊一万二〇〇〇)
大将 曹操
軍師 郭嘉
程昱
実戦指揮 夏候惇
許褚(大将護衛兵力)
楽進
于禁
支軍
総兵力五万(実戦要員三万五〇〇〇 兵站等の非戦闘部隊一万五〇〇〇)
大将 荀彧
実戦指揮 夏侯淵
典韋
李典
これに対して袁遺軍の状況は次の通りである。
袁遺の動員は曹操軍に比べて大幅に遅れている。唯一、中牟県の呂布隊が出撃可能であった。
作戦目的は曹操勢力の誘出撃滅。
そして、当面の方針は以下の通りになる。
1、可及的速やかな兵力動員。
2、呂布隊は遅滞戦闘を行い敵を防衛担当地域に足止めする。
袁遺軍の現状の編成は以下の通り
呂布隊
総兵力二万二〇〇〇
隊長 呂布
軍師 陳宮(実質の総指揮官)
麾下武将 王平
この中牟県の呂布隊以外の編成は行われてはいないが、動員可能な残り兵数は一〇万であるため兵数の上では袁遺軍は曹操軍を上回っている。
だがしかし、曹操とその軍師たちの計画した袁遺の準備が整う前の奇襲的先制攻撃は達成できたと言っても過言ではない。
つまるところ、名士間の声望のために曹操に先制を許した袁遺と、その声望を力によって獲得しようとする曹操であり、そうであるが故に、曹操は正面から決戦で袁遺を叩き潰すことを選び、袁遺は運動戦で相手の意図を挫き、こちらの意図をより多く達成して相対的有利を築くことを選んだ。
それは彼らの置かれた状況や戦争観のみならず、性格に起因する割合も少なくなかった。
曹操は自身の能力の高さと気高い精神性から、自身が認めた相手との戦いを楽しむ性質がある。対して、袁遺は問題全てを常に原則化できるほど単純化して考える。それが如実に戦略に現れている。
そして、戦争が勝利を目指して行われるなら、どちらが正しいのかはこれからの戦いが証明してくれるはずであった。
袁遺と曹操の戦いの幕が上がった。