異・英雄記   作:うな串

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10~11

10 驃騎将軍

 

 

 曹操が軍を起こしたことは袁遺の体面を傷付けることであった。

 そのことを表すような政争が洛陽にて一瞬だけ起こった。現状に不満を持つ名士たちが曹操討伐の主導権を取ろうと動いたのである。

 何もこんなときに、と言うのは間違いである。これは水が高い所から低い所に流れる様に、当然の政治力学であった。袁遺の力が小さくなれば、その小さくなった分だけ誰かの力が大きくなるというのは権力の自然現象である。

 だがしかし、救いはあった。弱体化した漢王朝の中にもまだ、最低限押さえるべきところは押さえている人材が残っていた。曹操の強さを恐れ、それに対抗できるのは袁遺しかいないという大局的な視野を持っている者たちである。そして、そんな彼らを取りまとめることができる袁隗がいたことである。

 袁隗は短時間で各派閥の折衝を行い、魔術的としか言えない手腕で甥に新たな栄達をもたらしてやった。

「袁遺を驃騎将軍に任じる」

 文官、武将が居並ぶ嘉徳殿に、皇帝の声が響いた。

 驃騎将軍、その位は三公に次ぎ、大将軍が外戚によって占められていた後漢からすれば、武官職の最高位と言ってもいい。

 皮肉なことだった。かつて袁遺のその巨大な才を警戒して最も品秩が低い県尉に就けた男が、今度はその才を頼って武官職の最高位に就くよう働きかけたのである。

 もっとも、袁隗と袁遺、双方には何のわだかまりもない。あのときは、そうした方が周囲が納得し便利であったからそうしておいたと、ある意味でプラグマティズム極まる考えであった。

 それに、袁遺はこの戦争の勝利と共に、その輝かしい役職は罷免されることになるため、彼にとってはそれほど喜ばしいことではなかった。

 そして、それを表すかのように、慌しく物寂しい任官となった。

 何しろ曹操はすでに軍を進めているのである。壇を設け、吉日を選び、上は大臣、将軍から下は吏、兵を堵列させて厳かに任命している時間はない。袁遺はすぐに召喚され、驃騎将軍の位が授けられたのだ。袁遺にしても、この時代の通例である一度それを断り、再度任官されたときに受けるといった礼節を行うこともできなかった。

「臣、謹んで拝命いたします」

 袁遺の声は無感動なものであった。

 皇帝は拝跪する袁遺に小さく頷くと、緊張した面持ちで唾を飲み込み口を開いた。

「袁遺に命を下す。乱を鎮めよ!」

「畏まりました」

 袁遺は平伏しながらも、皇帝・劉弁の微妙な言葉のニュアンスに気付いていた。どうやら、叔父上と董司空は俺の望み通りにやってくれたらしい。

 曹操を討て、ではなく、乱を鎮めよ。これは曹操に価値を見出した袁遺の意向が大きく働いた証左であった。

 後は、勝つだけだな。

 袁遺はいつもの無表情で思った。

 

 

「張将軍の部隊に大休止を命じろ!」

「陳校尉の部隊の編成が整いました!」

「孫徳達殿の部隊、ただいま参着!」

「高校尉より急使!」

 洛陽城外に張られた巨大な天幕の周りには幾つもの篝火が灯されていた。さらにその周りを姜維の手勢三〇〇〇が配置につき、緊急事態に備えている。そこへ東西から駆け込み、散っていく伝令の数は増える一方であった。袁遺軍の動員と情報収集が開始されていたのだった。

 天幕の中は、参謀たちによってある種の指揮センターが設置されていた。

 天幕の中央には巨大な机が置かれ、その上には大きな地図と無数の図表がある。出陣、到着した部隊があれば、それに対応した色付きの石が地図に置かれた。司隷東部の各地に蓄積された物資の量もすぐに参照できるようになっている。そういう風に、流れ込んでくる情報が次々と記録され、誰の目にも簡単にわかるようにしていくのだった。

 袁遺は驃騎将軍の任官式が終わると董卓、賈駆のふたりと共に、その天幕に合流した。

「状況は?」

 袁遺は参謀部を取り仕切っている自身の軍師である雛里に尋ねた。

「只今、集まった軍勢は三万九〇〇〇になります」

 その答えを受けて、董卓―――月は讃嘆の声を漏らした。賈駆にしても驚きが顔に出ていた。兵の動員は彼女たちの予想以上に順調であったのだ。

 ただし、参謀部を作り上げた男にとっては違った。袁遺にとってはそうなるように作った参謀部である。当然のことだった。

 事実、この情報処理・指揮センターというべき施設が機能を発揮しているからこそ、曹操軍に後れを取った兵力動員を巻き返しているのだった。

「五万までには、どれほどかかりそうだ?」

 袁遺が、常日頃の無表情で尋ねた。

「司馬懿さんがどれほど早く御手当なさるかによります。早ければ朝には、遅れれば……明後日までかかると思います」

 雛里が答えた。

「仲達は?」

 袁遺が再び尋ねた。

「まだです。御命令の通り、兵の動員の指揮を妹の季達(司馬馗)さんに任せて、こちらに合流するように伝令は送りましたが、未だ到着していません」

「うん、そうか。分かった」

 袁遺は視線を地図に移したが、図表と地図を見比べて情報を確認した後で突然、顔を上げて命じた。

「指揮は副将に任せるように言って、姜維を呼んで来い」

 しばらくして、姜維が不安そうな顔をしてやってきた。

「将軍、何か御不興を……」

「ああ、違う」

 袁遺はその冷たさを感じさせる顔に意識的な穏やかさを作って、天幕で作業する参謀たちを示しながら続けた。

「よく見て、学んでおけ」

「は、はいッ!」

 姜維―――若蘭は幼さを残した顔を紅潮させて返答した。

 いずれ彼女がここを動かすことになるやもしれない、という意味が込められた言葉だったのだ。

 そのとき、天幕の外がやにわに騒がしくなった。

 それを追いかけるように取り次ぎの声が聞こえた。

「司馬仲達殿、御参着!!」

 来たか、と袁遺は声に出さずに思った。

 天幕に入ってきた司馬懿は、真っすぐに袁遺の元に向かって来た。そして、拝跪しようとしたが、袁遺はそれを止めた。

「挨拶はいい。それよりどれくらいの手勢を連れてきた?」

「一万二〇〇〇。今は休止を命じてあります」

 事務をとるふりをしながら、ふたりのやりとりを見守っていた者たちからどよめきにも似た喜びの声が漏れた。

 袁遺は満足そうに頷くと続けた。

「仲達、俺は驃騎将軍になったよ」

「それは、おめでとうございます」

「ああ、ありがとう……それで、ひとつ聞く。私はどうやって曹孟徳に勝とうとしていると思う?」

 司馬懿は間髪入れずに答えた。

「戦略的優位を築き、それを利用して戦場での敗北を避ける。これ以外ないのではないでしょうか」

「流石だ、仲達」

 若蘭が、賈駆が、曹操が、荀彧が、郭嘉が、程昱が、周瑜が―――多くの者が知恵を絞って、それでも答えを得れなかった袁遺の戦略を司馬懿は即答した。

 曹操という袁遺が恐れ続けた強敵との直接対決を前にして、彼にとって最大の幸運は自分と戦略レベルでの思考を共有できる司馬懿という男を部下に、そして友に持てたことだった。

「では、君の役目が何か分かっているな?」

「はい」

 司馬懿が深く頷いた。その顔は剛毅にも典雅にも見えた。

 それを確認して、袁遺は月に向き直った。

「お願いします、司空」

 はい、と月は答え、真剣な面持ちで司馬懿の前に立った。

 その後ろにはいつの間にか、朝服をまとった廷臣がふたり控えていた。その廷臣たちは、片や旗を手に持ち、片や戉を手に持っていた。

 司馬懿もその意味を察した。

 月は凛とした声で、司馬懿に言った。

「司馬懿、皇帝の命により、節を授与する」

 旗を持った廷臣が前へ進み出た。

 司馬懿はそれを拝跪して迎えた。

 続けて、月が言う。

「皇帝の命により、鉞を授ける」

 今度は戉を持った廷臣が進み出た。

「皇帝の命により、司馬懿を鎮軍大将軍に任じる」

 最後に月が虎符を差し出した。

 虎符とは銅製の虎の形をした割符である。兵士を発するとき、その指揮権の証として天子より割符が渡される。

 そして、鎮軍大将軍は驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍に次ぐ二品の将軍職である。

「臣・司馬懿、謹んで拝命いたします」

 これで司馬懿は二品の将軍職、仮節鉞と主と殆ど同等の権力を与えられたことになる。自分のことを警戒している袁遺が、このような待遇を自分に与えるのは土下座以上の意味を有していることを司馬懿は即座に理解した。

 この六時間後、司馬懿は編成が完了した五万の軍を率いて東進を開始した。

 その主だった将は、張遼、陳蘭、孫礼、鄧艾、公孫賛であり、主だった軍師・参謀は辛毗、劉放である。

 ほぼ同時刻、東の中牟県では荀彧が率いる曹操の支軍が確認された頃であった。

 

 

11 人中の呂布

 

 

 主君である曹操が鄴から軍を発した報せを受けた荀彧は、すぐに全権を任せられた支軍を率いて州境を越えて司隷に侵攻した。

 目標は中牟県である。そこには現状、唯一の展開している袁遺軍の呂布隊が駐屯している。その規模が二万二〇〇〇であることも細作により掴んでいる。この部隊が後方破壊や本軍の側面を脅かさないように無力化するのが、支軍の当面の目的であった。

 中牟県には出陣してから二日後に到着する予定であった。

 この段階で、支軍には二つの選択肢があった。戦うか否かである。

 戦術的に言えば、戦うべきであった。中牟県と陳留の距離を考えれば、この城を放置しておくことはできない。後方連絡線を断つなどの攪乱をされる恐れがあるからだった。

 しかし、任務からすれば野戦築城を行い、一万ばかりの兵を警戒部隊に残して、後は陽武・原武周辺へと北上するべきだった。その方が戦略目的に合致する。

 後者を選択した場合、曹操軍にとって憂懼となるのは呂布である。

 人中の呂布と謳われ、化け物じみた伝説を幾つも持つ猛将である。放置した場合、後の禍根となるという一抹の不安があった。

 その問題をさらにややこしくしたのは、その呂布が率いる騎兵部隊が城を出たという情報が行軍の途中に入ったことである。中牟の城を見張らせていた細作が、夜陰に乗じて騎馬隊が城外に出たのを目撃したというのだ。その後の行方は細作が振り切られてしまったために不明であったが、呂布隊が野に出たことを知れたことは荀彧たちにとって意味あることだった。

「……掎角の計か?」

 同じように報告を受けた夏侯淵が声を上げた。

 掎とは足のことであり、角とは頭の角のことである。鹿を捕らえるとき足と角を同時に取ることから転じて、ふたつの部隊が相呼応しながら戦う戦術のことである。今回の場合、中牟の城が攻められるのであれば、城外の呂布隊が曹操軍の背後を襲い、反対に呂布隊が襲われるのであれば、城方が曹操軍の背後を攻めるということである。

「いいえ、違うわね」

 だが、荀彧が否定した。

「逆襲を行えるだけの将兵を袁遺がそんな多く抱えているとは思えないわ」

 籠城戦で城方が城門を開いて打って出る逆襲は、練達な指揮官と勇猛かつ冷静な兵士が揃ってこそ初めて成功する。そうでない場合、殆んどが出撃させた手勢を磨り潰されて終わるだけであり、最悪、開けた城門から敵が雪崩れ込んでくるという事態にも発展しかねない。

 荀彧は、袁遺軍には逆襲を行えるだけの兵は数少ないという推測を立てていた。

 呂布隊がこちらの背後を襲うことはできても、城に残った兵たちではこちらを襲っても十分対処できるどころか、逆に殲滅できるという自信が荀彧にはあった。

 そして、それは事実である。袁遺軍の兵は判断も良く、素早く動けるが、精強さや勇猛さという点では曹操や孫策の兵に劣る。

「普通に考えれば、こちらの進軍を遅れさせるために襲撃をかけてくるはずだけど……」

 しかし、荀彧の予想は外れた。中牟への道中で呂布隊の奇襲に遭うことはなかったのだ。

 それが支軍の将たちを惑わせた。この状態で放置策を採用していいのかと。

 だが、支軍を預かる荀彧には迷いはなかった。

 彼女は曹操軍の基本方針と作戦目的を深く理解し、そのために何を行わなければならないかを分かっていた。そして、彼女の主君である曹操も荀彧ならばと信頼して、殆んどフリーハンドな指揮権を与えていた。信頼できる軍師に一軍を任せて、本軍を援護させ最終的に戦略目的を達成するというのは、袁遺と曹操の両軍の共通するところであった。

「陣地を設営して一万の兵を残したら、後は陽武へと向かうわよ」

 荀彧は迷いなく宣言した。彼女は放置策を選んだ。

 宣言された将たちはおずおずと疑問を呈した。

「大丈夫なのか? 城を放置して」

 尋ねたのは夏侯淵であった。

「今の段階では問題ないわ。気を配るべきは城を出た呂布ね。私たちのすべきことは華琳様の本軍と袁遺が決戦できるようにすることよ」

 荀彧は言う。そのためなら自分たち支軍はどれほど被害を受けてもかまわない、と。

「袁遺が用意できる兵数はおそらく一〇万。華琳様の本軍の二倍だけど、兵の質を考えれば華琳様が負けるわけないわよ」

 その言葉は華琳に心酔している女性のそれではなく、冷静な軍師としてのものであり、事実であった。決戦で戦争の趨勢を決するなら、たとえ二倍の兵力を揃えようと袁遺に勝ち目はなかった。袁遺も自覚していることである。

「警戒すべきは行軍中の本軍の側背を呂布の騎馬隊が襲うことよ」

 曹操軍にとって唯一の敗北は、行軍中に奇襲されたことにより起こった。

 戦闘準備をしていない状況で背後から襲われれば、いかな二倍の敵を破る力を持っていても、それは発揮できない。

 あの苦い体験をもう一度しないために、荀彧は本軍の側背を守るために北上を選択したのだった。同時に、それは曹操に袁遺と堂々の決戦をさせてあげるための選択であった。

 荀彧も主である曹操―――華琳が戦略、戦術的な意義を越えて、心の底から袁遺との戦いに思い焦がれていることに気付いていた。戦術的に正面決戦こそが最も勝算があること以前に、華琳は袁遺を自身の手で降したいと血を滾らせているのだ。

 荀彧は敬愛する主の心をそこまで奪う袁遺に嫉妬の炎を燃やしたが、慕う主の本懐を遂げさせてあげたいとも思った。

 それに、政治的に考えても華琳様自身の手で袁遺を打ち倒してもらわなければならないから……

 荀彧は心の中で、どこか自分を納得させるように呟いた。

 袁紹を倒した後、治めることになった冀州に不安があった。

 冀州の名士は袁遺の戦略によって袁遺ひいては漢王朝に降ったのであり、華琳が降したのではない。だから、袁遺と敵対した今、冀州の名士たちが大人しくしているはずがなかった。例えば、袁遺の推挙人である鄚県の張超などが留守にした冀州で反曹操勢力になることは確実であった。また、風見鶏を決め込んだ名士たちでも、袁遺との戦いが不利なものになれば袁遺に対して言い訳を作るために反曹操に鞍替えすることは自明の理である。

 いや、冀州の名士だけではない。兗州の陳留郡以外の地域の名士たちも曹操の下にあるのは袁遺の斡旋により、兗州牧となったからだ。袁遺が勝つと名士たちが思えば、兗州の大部分の失陥もあり得る。

 だから、華琳は袁遺を打倒して自身の力を四海に示さねばならなかった。

「真桜、堀と土塁と柵を備える一万の軍の陣を構えるのにどれくらいかかるかしら?」

 荀彧が李典に尋ねた。真桜は李典の真名である。

「そやね……」

 李典はしばらく考え込んだ。

 彼女は発明が好きで曹操軍において兵器開発を任されており、率いる部隊も戦闘工兵部隊である。中牟県で城攻めも想定して、支軍へと配属されたのだった。

「どんなに急いでも一日がかりの仕事になりそうやわ」

 前工業時代であるから、穴を掘るだけでも時間がかかる。そもそも後代ではひとり用―――深さ二メートル、縦七〇センチ、横一メートル―――の塹壕(タコツボ)をスコップのみを使って掘るのでも二〇時間はかかるとされている。そして、今回は部隊全体を囲う堀とさらに柵である。ともかく時間のかかる作業であった。

「わかったわ。木材の切り出しは他の部隊にやらせるから急ぎなさい。秋蘭は万が一、敵が作業の妨害に来ることに備えて部隊を展開して」

 荀彧の選択はこの時点(・・・・)では最良の選択であった。

 事実として籠城側の作戦計画を立てた陳宮にとって、荀彧の選択は想定した中でも最も嫌なものだった。

 しかし、荀彧にも落ち度がなかったわけではない。袁遺側には曹操本軍の側背を脅かそうとする意思は一切なかったことである。

 そして、そのことが呂布という常識外れの武力と結びつき、戦況を混沌としたものに変えていくのだった。

 

 

 呂布を城外に出す。そのことを陳宮から告げられた王平は夏侯淵と同じ言葉を口にした。

「掎角の計……というやつですか?」

 王平が即答したことに陳宮は素直に感心した。文盲と聞いていたが、意外と学があるのです。陳蘭の代わりに来ただけのことはありますな。

 しかし、陳宮はそれを否定した。

「呂布隊の古参騎兵ならともかく、新兵である元黒山賊たちでは城から打って出れば返り討ちどころか、そのまま落城する恐れがあるのです」

 そして、続けた。

「理想は敵がこちらのことを過小評価して、攻城戦を行って時間を浪費してくれることですが、相手もそこまで馬鹿ではないのです。警戒部隊を残して北上するに決まっているのです。だから、まずはこちらを放置したら危ないと敵に思わせるのです」

 彼女たちの袁遺から与えられた任務は敵の足止めである。それなのにまるっきり曹操軍に無視されては、それを果たせない。

 つまり、呂布が野に出るのは、この城と呂布勢二万二〇〇〇を荀彧に必要十分な程度にうっとうしく思ってもらうためであった。

 そのことを考えれば、荀彧が即座に放置策を採用したのは陳宮にとって頭の痛い問題であった。

 呂布は精鋭七〇〇〇の騎兵を連れて夜陰に紛れて中牟の城を出た。これを曹操の細作が見つけたのであった。

 陳宮は中牟の城に残ったが、呂布は自分を慕う軍師に言われた。

「曹操軍にひと当てして、恋殿こそが最強であることを敵に知らしめてください」

 彼女たちの付き合いは長く、互いに信頼し合っている。それだけに、呂布は自分の部隊のやるべきことを理解した。

 呂布隊は進路を南にとり、さらにそこから東へと向かう。大きく回り込んで曹操の支軍の後方を突こうとしたのだった。

 呂布は個人の武において最強なのは間違いないことだった。超人的、超常的と評して差し支えないだろう。

 だからといって、呂布は自分の力を過信してはいない。どころか、究極の域に達した武人としての感覚が、曹操軍と自分の部隊の力の差を察していた。

 奇襲からの急速離脱しかないと、呂布は断じた。

 獲物の後ろをとって一気に襲い掛かり、一撃を入れる。呂布隊の動きは、まるで肉食獣が狩りをする様だった。

 呂布は偵察に行かせた斥候から、曹操軍が陣を建設していることを知った。

 それから呂布は、どこか小動物を思わせる可愛い仕草で空を見上げた。雲は少なく、太陽がはっきりと東の空に見えた。

 そして、たった一言だけを呟いた。

「……征く」

 あまりにも短い言葉であるが、董卓に仕える以前から共にする古参兵たちからすれば、それで充分であった。

 呂布隊は強襲を開始した。狙いは敵の最も脆弱な部分である作業中の工兵たちであった。

 曹操軍に動きがあった。工兵隊を守るように部隊が展開されたのだ。良く訓練されていることがわかる素早さだった。

 だが、曹操軍の動きは呂布隊には予想通りのものだった。

 呂布隊の右翼と左翼にはそれぞれ二〇〇〇の部隊が配置されている。その両部隊が展開中の曹操軍の両側面を襲った。両部隊の目的は拘束戦闘であった。

 曹操軍の陣形が変わる。両翼に戦力を送ろうとしていた。

 直卒である中央の部隊の先頭を駆けていた呂布は、その動きを見逃さなかった。

 方天画戟を馬の鞍に挿むと、同じく鞍に挿んでいた弓を取り出し、矢を番えた。

 呂布の天性としか言いようのない戦術眼は、曹操軍の陣形変換の際の隙を見逃さなかった。

「……あそこ」

 誰に言うでもなく呟いた呂布の目は三〇〇メートル先の、二本の棒のようにしか見えないふたりの兵士を捉えていた。

 その兵士たちは部隊と部隊の切れ目となる兵士たちであった。

 馬が大きく跳ね、その四肢が地から離れた瞬間、呂布は矢を放った。

 放たれた矢は過たずに、兵士の頸に突き刺さった。

 愛馬の脚が大地に着いた瞬間、呂布は次の矢を番える。再び馬が大きく跳ねると同時に呂布は矢を放った。

 矢はまたも兵を射ぬいた。二本の棒は倒れた。

 そして、そこが突破口であった。

 呂布は僅かに愛馬の馬体を足で締め上げた。

 それだけで長年、戦場を共に駆けた赤い体の馬は乗り手の意思を理解して、方向を変えて速度上げた。

 隊長が進行方向を僅かに変えたことを呂布隊の面々はすぐに察して、指揮官に続いた。瞬時に対応できるだけの厳しい訓練を重ね、実戦を潜り抜けてきていた。

 呂布を先頭に呂布隊はそこへ雪崩れ込んだ。彼女たちは部隊の切れ目に打ち込まれた楔となった。

 地響きが状況を動かす実感となっていた。力強い躍動感が騎兵の神経を高ぶらせる。

 突破を果たした呂布隊は作業中の工兵とその建造物を襲った。兵士たちを斬り殺し、矢来を引き倒して、工兵の成果を台無しにする。

 しかし、曹操軍は流石だった。突破された守備隊は混乱から素早く脱して、大勢して呂布隊の騎兵へと向かって来た。

「ここまで……」

 呂布は馬首を返した。

 曹操軍の両翼に拘束戦闘を仕掛けていた部隊が、呂布が中央突破をした段階で彼女たちの撤退地点の確保に動いていたため、呂布隊はそこから脱出を図ったのだった。

 呂布隊が向かったのは中牟の城であった。

 城方も城門を開け、呂布隊を大歓声と共に迎え入れた。

 敬愛する主君である呂布の活躍を城壁から見ていた陳宮は、軍師の本分を忘れて喝采の声を上げてしまった。

 恋殿こそ、天下無双ですぞーーーッ!

 だが、呂布隊が城に戻ってくるのを確認すると、興奮は霧散し冷静な軍師としての思考が始まっていた。

 呂布を出迎えて、その部隊の被害をすぐに確認する。

 死者、行方不明者、および戦闘不可能な重傷者の数は約四〇〇名。一度の戦闘、それも奇襲であったことを考えれば多いと言えたが、呂布隊の戦闘力はまだ十分に保てていた。

 しかし、それでも陳宮はもう一度、今のような強襲を行おうとは考えていなかった。だから、呂布隊を中牟の城に引き上げさせたのだ。

 彼女は確かに主君が天下無双であることを疑っていないが、曹操軍を過小評価していなかった。中牟の背後にある袁遺の本軍を戦略的な意味で曹操軍は重視していたからこそ、その意識が西へと向かい奇襲が成功したのだと考えていた。

 ただし、やはりと言うか陳宮は、あの敵の陣形の隙を見逃さずに強襲する手腕にしても、こちらの損害を小さいものにして引き上げる判断にしても流石は恋殿ですぞ、と心の中で主君への賛辞を惜しんではいなかった。

 陳宮は考える。

 ここからは心理戦ですぞ。もし、この奇襲で曹操軍がこちらを放置するには危険と過大に評価をしたならば、放置策を強硬策に方針を変えるはずです。反対に、城に籠った騎兵など恐くないと侮って城攻めを行ってくれてもいいのです。籠城戦なら、少なくとも半月の時間を稼ぐことはできますぞ。もし……もし、敵が放置策の方針を変えなくても、ともかくは作業中の陣地を荒らして時間は稼いだのです。

 事実として、陳宮は曹操軍が停止している貴重な時間を稼いだ。

 だがしかし、陳宮は荀彧の心理を読み間違えた。その曹操への献身性によって支えられた不撓の精神を過小に評価したのだった。

 

 

 荀彧にとって、呂布の強襲は血が煮立つほど屈辱的なものだった。

 呂布隊の接近に気付いたとき、東の原が雲のような砂塵と一体になり消えた。呂布隊が太陽を背に突撃してきたために、曹操軍の将兵たちの視界は大幅に制限されていた。砂塵の中から矢が飛び、剣光が煌めいた。そして、作業中の兵を守るために展開した部隊の第一陣が食い破られ、第二陣も崩され、部隊は突破された。

 部隊はすぐに統制を取り戻し呂布隊へと攻めかかったが、建設途中の陣地は滅茶苦茶にされ、呂布隊は取り逃がすという結果になった。

 そんなことは―――袁遺軍よりも精強であると自負する―――曹操軍において、絶対にあってはならない光景であった。

 だが、

「方針は変えないわ。たとえ、呂布がそこにいようと中牟の城は放置よ」

 荀彧は方針を変える気などまったくなかった。

 彼女は確かに怒りに燃えた。爪を掌に喰い込ませて握りこぶしを作り中牟の城を忌々し気に睨めつけたが、その軍師としての冷静な部分は呂布の襲撃が作戦にどのような影響を及ぼすかの計算を行っていた。

 荀彧が弾き出したのは、一日の遅れであった。

 その遅れは曹操軍にとって致命的なものではないと楽観視できるものではなかった。

 敵は奇略と果断に富んだ袁遺である。そんな野戦指揮官に小細工を弄される前に決戦を強要するのが曹操軍の基本方針のため、少しの遅れも許容できるものではなかった。

 だからこそ、怒りを発散させる以外の意味を持たない強襲策に方針を転換するなど絶対にできなかった。

 荀彧は李典に野戦築城の再開を命じた。

 荀彧……いや、支軍全体には、もう二度とあのような奇襲を許してなるものかという緊張が漂っていた。

 あの呂布の奇襲は、呂布隊の機動や突破口拡張の戦術運動、さらに呂布の撤退のタイミングの判断が優れていた等のこともあるが、支軍全体の意識が袁遺の方(西)に向かっていたのが隙になったという自覚が曹操軍にはあった。

 そんな曹操軍の軍中に威勢のいい、後代の言葉で言えば関西弁が響いていた。

 李典であった。

 彼女は明るく、兵たちを励ますように工兵たちの作業を指揮しながら見回った。ときに、声をあげて笑い、肩を叩いたり、作業を手伝うこともあった。士気を保つには、指揮官がその場に身を置くことが必要であった。

 そして、その甲斐はあった。

 呂布の奇襲によって曹操軍が負った損害は死者約三〇〇名、負傷者は約一五〇〇となり、全軍の割合から考えれば小さな数字であった。だが、被害の多くは李典の工兵隊であったため、作業効率は大幅に落ちると荀彧は予想を立てた。

 しかし、実際には作業効率の落ち幅は荀彧の予想より遥かに小さいものであった。当然、李典の献身の結果である。

 工兵たちの作業は夜を徹して行われ、陣地は翌日の昼前には完成した。

 荀彧は一万の兵をそこへ残すと、後は北上を開始した。

 陳宮にとっては、最悪の選択肢を取られたことになる。

 しかし、北上の最中で荀彧、そして、曹操にとって予想外の報告を聞くことになったのだった。

 司馬懿の率いる軍が洛陽を発ち、司隷東部へと向かっているという報告であった。

 それは荀彧に(現在は冀州を越えて兗州に入り、司隷を目指している曹操本軍にも)、大きな衝撃を与えることであった。

 司馬懿の軍勢の正確な規模を曹操軍はまだ掴んではいないが、それでも、この手の戦力の各個投入は曹操軍の常識では絶対に行わないことである。そのことは、曹操軍が大軍の展開できる幅と奥行きがある戦場で決戦を選んだことが証明していた。

 だが、袁遺はそれを行ってきた。

 そして、それを率いるのは、あの司馬懿(・・・・・)である。曹操軍にとって、その名は忌々しい過去に直結するものであった。曹操軍に緊張が走ったのは無理からぬことであろう。

 当然として、本軍の側面を守ることが主任務である荀彧が率いる支軍の作戦が、司馬懿勢の撃破になったことは言うまでもない。

 

 

 司馬懿と荀彧、互いに主から五万の軍勢を預けられた軍師ふたりが武力衝突に至るまで二日の時間があった。

 




捕捉

 特になし

いつもの感じの地図は毎回、載せておきます。

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