異・英雄記   作:うな串

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16 覇道の果てに……

 

 

 自らの出陣を決意したとき、曹操―――華琳はそれが成功を収めると信じていた。

 前線へ赴いた華琳を兵は歓呼の声で迎えた。

 血を流し死が見えている兵でさえも歓声の輪に加わっていることに気付いたとき、華琳は勝利を確信した。

 曹孟徳とはそれほどカリスマであったのだ。

 だがしかし、その歓声は数十分後に悲鳴へと変わったのである。

 自軍の後方に『司馬』の軍旗が見えたとき、華琳でさえ司馬懿の軍勢が現れたと誤断した。

 司馬懿ならあり得ると、一瞬でも思ってしまった。それほど、司馬懿の反董卓連合での長距離奇襲や今回の戦略的優位を築いた機動は衝撃的であったのだ。

 華琳はすぐにその幻影を振り払ったが、兵たちはそうではなかった。

 彼らはその旗を見た途端、パニックに陥り壊乱した。

 最強と信じた曹操軍はまるで灰の山が風に吹き飛ばされる様に、華琳の手元から消え去ってしまった。

 彼女の軍が最強であったのは間違いない。まともに戦えば、灰山の様に消し飛んだのは袁遺軍であっただろう。

 しかし、戦えなかった。華琳が望んだ袁遺と雌雄を決する血戦など起こりもしなかった。蚊帳の外で勝敗は決まってしまい、それでも袁遺の頸を取ることに逆転の望みを託したが、地形と障害、そして何より根本的な戦略的不利によって最後の望みさえ断たれた。

 華琳と彼女の軍の首脳部は四散する兵たちを押しとどめようと動いたが、手元に残った兵は彼女が旗揚げをした頃より付き従っている最古参兵を中心とした四〇〇〇名程度であった。

 華琳がこの戦争で最も衝撃を受けたのは次の瞬間―――袁遺軍の様子を見たときであった。

 自軍が四散する中で、その四散する曹操軍に一撃も加えず築いた野戦陣地に、なおも袁遺軍が籠り続けたのだ。

 攻撃を加えるなら絶好の機会である。しかし、袁遺は動かない。

 それは決戦で勝敗を付けることは絶対にないという袁遺の意思表示に他ならなかった。

 華琳と軍師たちはその四〇〇〇と共に黄土が残留してできた丘の上に拠り、そこで隊列を整えた。

 だが、それ以上のことを華琳たち首脳部は行うことができなかった。

 今更、荀彧が率いる支軍と合流しても手遅れである。

 合流したとて、結局は支軍と一緒に司馬懿の軍勢によって行動が制限されるだけである。

 その間に袁遺の本軍が自由に動き回って、戦況がどれほど酷いことになるか想像もつかない。

 では、自分の矜持のために袁遺に最後の文字通りの血戦を挑もうにも、それは数分前の繰り返しである。

 相手にするのは袁遺ではなく地形と障害物であり、それらに磨り潰されるだけであった。

 勝利どころか、華琳が望んだ英雄的な戦いも、そしてその果てに倒れることさえもなかったことに、彼女は衝撃を受けたのだった。

 ふと、華琳の耳に夏侯惇の苦しそうな息遣いが入った。

 左目を負傷した夏侯惇は、この丘の上に着いた瞬間に倒れたのであった。

 無理もないことであろう。その傷は重傷であり、本来なら立っているだけでやっとのはずであった。

 その後、夏侯惇は朦朧とする意識の中、熱にうなされて苦しそうにしている。

 華琳は無意識のうちに下唇を嚙んでいた。

 戦ったことに後悔はない。しかし、夏侯惇を失うことには心が怯えていた。

 華琳が夏侯惇を見つめていると、やにわに兵たちが騒ぎ出した。

 すぐに華琳の元に兵が駆け込んできた。

「袁遺軍が軍使を寄こしました」

「…………会おう」

 華琳は言った。しかし、威厳を正すのに僅かな時間を要していた。

 軍使は懐かしい人物であった。

「司馬孚が、拝謁致します」

 反董卓連合後、袁遺と手を組むときに使者としてやってきた女性が再び華琳の元に現れたのだ。

「それで何の用かしら?」

「はい、驃騎将軍が曹公と直に話すことを望んでおられます。両軍の間に天幕を設け、そこを交渉の場とする御意向です」

「驃騎将軍……ああ、伯業は出世したのだったわね」

 華琳は、はぐらかす様に言った。

 彼女の心には迷いがあった。

 今、袁遺に会うことにバツの悪さを感じていた。

 会談の内容は考えるまでもなく降伏勧告だろう。曹孟徳に降伏の道はない、と華琳は心の中で吐き捨てたが、だからといって、どうすることもできなかった。

 戦いの中で散ろうにも、地形と障害に磨り潰されるのは彼女の望む戦いではない。

 しかし、袁遺に会い、英雄同士の戦いをなどと()ってみたところで意味などないだろう。

 袁伯業という男は英雄同士の戦いなどに何の価値も見出していない。

 だが、それでも袁遺には会わなければいけないように華琳は感じた。

「……分かったわ」

 華琳は、わきまえた様に答えを品良く待っていた司馬孚に、絞り出したような声で言った。

「随員は?」

「護衛と文官、合わせて五名」

「分かったわ。ここから一里(約五〇〇メートル)先の所で」

「二里」

 司馬孚は応じた。

「一里半」

 華琳は譲歩した。

 司馬孚が陣中を去ろうとしたとき、以前と同様に華琳の悪癖とでもいう様な―――プライドの高さからくる―――揶揄を司馬孚にぶつけた。

「それにしても伯業は、私がそこで彼を襲おうと考えないのかしら」

「驃騎将軍は、曹公はそのようなことをなさる人物ではないと、仰られていました」

「……そう」

 華琳の心にいっそのこと、その信頼を裏切ってしまおうかという邪な考えが一瞬浮かんだ。

 その後、怒り狂った袁遺軍に戮殺されてしまうだろうが、それでも敵と矛を交えて戦い頸を刎ねられて戦場の屍となるという、乱世の奸雄らしい死を迎える方法はそれしかないのではないかと、華琳は思ったのだ。

 しかし、それは曹孟徳のやり方なのだろうか。もし華琳が反対の立場であったなら、そのような行いを侮蔑していただろう。

 華琳は迷っていた。

 彼女はあるときを境に自身が、そして多くの人間が思い描く覇王として振舞ってきた。

 だがしかし、その覇王は自分を覇王扱いしない―――まるで孫でも扱う様な―――男によって葬り去られつつあった。

 長年、彼女の一面であったものが削ぎ落とされた喪失感が華琳自身を苛み、深い深い迷いの底へと突き落としていた。

 

 

 華琳は袁遺との会談に程昱を連れて行き、郭嘉は残り―――決してありえないが―――有事に備えるよう命じた。

 また武将は許褚を連れて行き、他三名は古参兵を連れて行くことにした。

 兵の人選は程昱に任せられた。

 彼女は屈強かつ活力に溢れているように見える兵士たちを選んだ。

 そして、その人選の最中の程昱を郭嘉が尋ねてきて口を開いた。

「問題は袁遺が何を考えているかです」

 郭嘉が言った。

「戦いの終結が第一でしょうね。こちらが四〇〇〇しかいないと言っても、その四〇〇〇が死に物狂いで戦えば被害は甚大なものになりますし、桂花ちゃんの軍がまだ健在です。これ以上余計な被害を出さないために、最後は交渉で締めたいのではないでしょうか」

 程昱もそれに応じて、いつもの飄々とした雰囲気の中に僅かな厳しさを宿していた。

「となると、どこまで袁遺から譲歩を引き出せるか……」

 郭嘉は考え込んだ。

 袁遺という人間は測りかねるところがある。

 戦争観や外交方針は実際性と合理主義の塊のような男である。

 だが、合理性からは遠い存在である儀礼主義的な儒教の徒としても名高い。酷い矛盾を抱えた様な男だ。

 交渉相手としては、これ以上ないくらい厳しい人間である。

「華琳様の命や将兵の命は当然として、どれだけのことが許されるか……」

 華琳を生かすにしても、再び群雄として立つことができないくらいに曹操陣営は解体されるだろう。

「いえ、問題はもっと別のところにあるかもしれませんよ」

「別の……? この敗戦で名士から完全に見放されてしまうことですか?」

 袁遺に解体されずとも、袁遺に挑戦し敗れたことで華琳の名士間の評判は地に落ちたのは間違いない。名士の取り込みは難しくなる。

 もちろん、袁遺が主流派となったとき、そこから零れ落ちた者たちを引き込み反対勢力を作るといったこともできなくはない。

 だが、それは天下の不平家、天下の欲深者を糾合するということであるが、華琳という人間が持つ潔癖な部分がそういった人間を毛嫌いしている。華琳は力で人を従わせる強さはあっても、それこそ袁遺の様な他人の欲に頭を下げる弱さを持っていない。

 華琳は彼らを取りまとめられないだろう。

 曹孟徳の天下の目は完全に潰えてしまったと言って間違いはない。

 しかし、程昱が言っているのは、そういうことではなかった。

「華琳様が何を望んでいるかです」

 程昱の言葉に郭嘉は、はっとした。

 敬愛した華琳が覇王らしい(もしくは奸雄らしい)死を望むのであれば、交渉自体が無意味である。

「もし、華琳様とここで最後の一兵まで戦ったら、桂花ちゃんに恨まれますかね?」

 程昱が郭嘉に尋ねた。

「恨むでしょうね」

 郭嘉は首を縦に振った。

「ここで華琳様と一緒に玉砕しようものなら、泉下に行っても恨まれ続けるでしょう」

 そして、どこか皮肉気な笑みを浮かべた。

「風、戦に負けるにしても、戦に勝つのと同等の力が必要ですね」

 その言葉は軍師・郭嘉の貪欲さであった。

 彼女は負け戦という無常の境地に立った今、その境地を貪欲に味わっていた。

 軍師の性としか言いようがない。

「風、私はたとえ不忠者と言われても、華琳様に死んで欲しくありません」

「それは風も同じですよ、稟ちゃん」

 程昱は天に手を伸ばして続けた。

「風は今でも華琳様が日輪だと思っているのです」

 程昱はかつて程立と名乗っていた。

 しかし、華琳に仕えることになる少し前に、日輪を支え持つ夢を見たため、名を程昱に改名したのである。

 華琳に仕えたとき、夢で支え持った日輪はこの人だと、程昱は思った。この人こそが、この大陸に強く暖かな光を届ける太陽だと。

「袁遺さんに負けてしまいましたが、華琳様にはきっと、まだやれることと、やらなければいけないことがあるような気がするんです」

「風……」

 だが、その思いとは裏腹に軍師たちふたりは、自分たちにできることが殆んどないことを直感的に理解していた。

 自分たちの主、曹孟徳とは自分の進む道は自分で決める。そういった性分の人間であることを嫌というほど分かっていたからだ。

 

 

 袁遺が選んだ随員は参謀の楊俊、護衛として姜維と彼女の麾下の三名の兵であった。彼の軍師である雛里は本陣に残り、万が一の事態に備えている。

 天幕は袁遺軍が設営し、その後に曹操軍の護衛が異常がないかを確かめた。

 双方の納得がいったところで、袁遺は天幕の中へと入った。

 華琳はすでにいた。そして、入ってきた袁遺を強烈な視線で睨みつけてきた。

 袁遺はそれを受け流す様に、拱手した。

「曹公、お久しうございます」

 華琳からの返礼はなかった。ただ、その視線がさらに鋭くなった。

 それはまるで彼女の矜持が未だに敗北を拒んでいるようだった。

 取りつく島もない様子でも、袁遺は続けた。

「会談の願いをお受けいただき感謝します」

 そう言って、頭を下げた。

 その様子は、どちらが勝者で、どちらが敗者か分からないものだった。

 事実として、この場の華琳以外の者は袁遺の態度に困惑した。

 勝者の余裕を通り越した卑屈さに、冷静に袁遺の腹の内を見通さなければならない程昱でさえも例外ではなかった。

「曹公、あなたは勇者です。それは私も認めることです。しかし、これ以上の戦いは無意味です。どうか、降伏を。あなたの生命はもちろん、将兵の生命も、私の命と名誉にかけてお守りします」

 華琳はそれさえも無視して、口を開いた。

「媚び、煽て、脅し、宥めて、賺す。あらゆる手を打って、何としてでもやり遂げる。あなたが言った言葉だったわね」

 冀州侵攻前、袁遺が陳留で華琳に言った、華琳を自陣営に引き込む決意の言葉であった。

「伯業、あなたはまだ私に利用価値を見出したからこそ、そこまで卑屈な態度でいるのでしょう。私は、あなたが見出した私の価値を聞きに来たの」

 華琳は真っすぐに袁遺と向き合ったまま言った。

「分かった」

 話はそれからだ、という華琳の態度に袁遺は頷き、慇懃な態度を取り去って答えた。

「参軍、持ってきた書簡を」

 楊俊から受け取った書簡を華琳に示しながら、袁遺は続けた。

「それはこの戦いが人々の営みにどれくらいの影響を与えるか試算したものだ。君が治めていた兗州、冀州の数字は正確とは言えないが、それほど乖離したものでもないはずだ。ともかく、まあ、酷いものだ」

 それに目を通す華琳の表情に暗いものが差した。

 戦争に栄誉を求める彼女にとって、それはそのヒロイズムが取り剥がされ、残されたどうしようもない現実であった。

 黄巾の乱、反董卓連合、そして今回の袁曹の戦いは司隷東部と陳留郡にあまりにも大きすぎる戦禍をもたらした。

 田畑は荒れ、物流が止まり、人心は荒んだ。

 それはつまり、税収の減少と治安の悪化を表す。

「……もちろん、戦後のことは考えていたわよ」

 書簡から顔を上げた華琳が絞り出したような声で言った。

「何となく想像がつくよ」

「なら、言ってみなさい」

 袁遺の言葉に華琳が過剰に反応した。

 彼女は何から何まで見透かしたような態度を取る袁遺に反感を抱いたのだった。

 今までの袁遺なら一歩引き、華琳に謝っただろう。しかし、このときは違った。

「君が兗州を中心に行っている軍屯を……」

 袁遺は、そこで言葉を切った。それから皮肉気に口元を歪ませて、続けた。

「私に勝ち、手に入れる予定であった司隷や、その他の州へと広げていくつもりだったんだろう? それ自体は悪くないが……」

「悪くないけど何だって言うの!?」

 華琳は噛みつく様に怒鳴った。

「それは国の決済手段を穀物、あるいは布帛で行うことであり、銭の信用と価値を下げることだ。物価の異常な上昇を呼び起こすことになる」

 袁遺自身、深くは語らなかったが、華琳の政策自体は優れたものである。

 彼女の政策は後の戸調制度の原型のひとつにあたるもの(詳しくは補足で書くが、それ自体は前漢の時代から存在するものであり、全てを曹操の功績であると決めつけるのは明らかな間違いである)で、歴史的にも意義深いものである。

 ただし―――

「私が孫策なら、それを失策とするだけの考えがある」

 後漢末から六朝時代、そして隋唐の経済政策という未来の知識を持つイレギュラーが全てを台無しにしていた。

「…………」

 華琳は言葉を発することができなかった。何ら反論の術がなかったのだ。

 袁遺が失策にするだけの考えがあるというなら、失策となるだろう。

 それは華琳がこの戦で失った、袁伯業という人間が持つ―――才能と能力と、何よりも実績に基づいた―――無形の迫力であり、権威であり、カリスマである。

 それらを手に入れるために彼女は戦い、そして敗れ、永遠に失ったのだ。

「……なら、あなたは私に何を求めているの?」

 戦争にも勝ち、政治能力でも華琳が見えていないものを見ることができる男が求めるものが、華琳には分らなかった。

「君の文才を」

 袁遺が答えた。

 彼の頭の中にはひとつの詩歌があった。

『三都賦』という詩がある。

 作られたのは晋が魏より禅譲を受けて間もなく孫呉の命運も尽きかけた三国志の終わり、当然この外史では未だ影も形もない。

 作った人物は左思という山東地方出身の人物である。

 この三都とは蜀の成都、呉の建業、魏の鄴の三都市のことである。

 その詩の内容は、西蜀公子、東呉王孫、魏国先生なる三人の人物がそれぞれの国を自慢し合うのである。

 西蜀公子が蜀の自然の素晴らしさや産出する珍品の多さを語り、それに対して東呉王孫は蜀にはない海の雄大さやベトナムから入ってくる真珠の美しさや大きさを自慢し、さらには聖帝とされる舜や禹は北方の生まれだが生涯を南方で終えているのは、南方の美しい風土に魅了されたからだと、西蜀公子を嘲笑しながら魏国先生を牽制する。

 黙ってふたりのお国自慢を聞いていた魏国先生はおもむろに口を開くや、蜀呉のふたりに痛烈な一撃を食らわせる。

 そもそも世界の中心とは中国(中原)であり、その周辺は訳の分からぬ言葉を話す蛮夷と決まっている。蜀呉の自然がいかに素晴らしかろうが、所詮は蛮夷の地である。聖人の伝統を以て人徳の君が治める中原には敵わない。魏は漢の命運が尽きた後を受け、天命によって天下を治め、今度は天命が尽きて晋に天下を譲った。立派なことではないか。それに比べれば、蜀はすでに滅び、呉の滅亡もそう遠くないことである。

 これを聞いた西蜀公子と東呉王孫のふたりは、その通りでございますと、正統王朝である魏と、それを受け継いだ晋を讃えるのだった。

 一見すれば、晋のプロパガンダにも思える詩であるが、この詩が完成するまでに左思は一〇年の月日を費やした。

 何故なら彼は実際に三国を訪れ、その土地の様子を住人に聞き回ったという綿密な取材の元に書かれたのだ。

 文化は社会を映す鏡である。

 故に詩から蜀や呉が豊かな自然と豊富な物産という経済基盤に恵まれていたことが見えてくる。

 これは後漢末期から続く政治的混乱や董卓銭といった経済的失策、さらには長い戦乱によって中原の地が荒廃し、人が戦乱を避け、あるいは税が払えず耕作地を捨てて流民と化して南へと移っていたために蜀呉の地が発展したのだった。

 一方、それでもなお名士の中では文化的、精神的、正統的な優位は北である中原の地にあったということもまた見えてくる。

 もちろん、この外史では例えば銅屑と何ら変わりない董卓銭など影も形も存在しない。

 しかし、上記で述べた様に短期間のうちに大きな戦争が連続して司隷東部と兗州陳留郡を襲ったため、そこを領土としていたふたつの勢力の経済はその荒廃に引きずられるように悪化した。

 事実として、袁遺と曹操の戦いは長引けばお互いに財政破綻を引き起こす恐ろしい経済状況で行われた。

 黄河流域の経済は正史ほどではないが、衰退したと言っても間違いはない。

 だからこそ、文化である。

 五胡十六国時代、江南の地には北から移ってきた晋を初め、宋、斉、梁、陳、と五つの王朝が割拠したが、前述の通り経済的成長の著しい江南の土着の新興層が力を持ってくる。

 彼らは手に入れた富を自らの投資である教育と自らを主張する新たなるスタイルの芸術確立へとつぎ込み、華北からやってきた名士たちと共に六朝文化(孫呉~陳の六つの王朝)を築いていく。

 文化は突然生えてくるのではなく、新興勢力が手本としたのが『三都賦』で詠まれたような優位のある北方の文化である。

 袁遺はこれから大きくなってくる南の経済力を念頭に置きながら、それに対抗する力は文化しかないと考えているのであった。

「文化は兵馬よりも強い力となるときがある。私は君の文才は一〇〇万の兵馬に勝ると思っている」

 

 

 袁遺からすれば最大級の賛辞であったろう。だが、それを受けた華琳の表情は硬いものだった。

「……もし、私があなたを拒絶したら?」

「拒絶してどうする? ここで戦場の露と消えるか? 陳留に戻ってお互いが財政破綻を起こすまで戦い続けて、全てを本当にどうしようもなくするか?」

 華琳からすれば、そのどちらも選ぶことができなかった。

 戦場の露に消えるにしても、それは地形と障害に磨り潰されるだけである。また、財政破綻を引き起こして袁遺だけならまだしも、民草に余計な苦しみを味合わせるつもりなど彼女には毛頭なかった。

「私を苦しめたいなら自殺しろ。そうすれば、君の将兵の中の主に殉じようとする者たちとの戦いで、私はまた酷い苦労をすることになる」

 将兵が自分に殉じることもまた華琳の望みではなかった。

「郷里に引き籠ると言うなら、孫策がいる状況ではだめだ。君の故郷の譙と揚州が近すぎる。君と孫策に手を結ばれれば面倒だ。揚州の問題をどうにかするまで、悪いが軟禁させてもらう」

「揚州の問題が片付いた後ならいいの?」

「私が君に求めるのは文才だ。君の感情が噴出した様な詩だ。そんな詩を詠む者が私に利用されるからといって、筆を折るのか? 無理だろう?」

 袁遺の言葉を華琳は内心で苦々しくも肯定した。

 彼女にとって詩作とは名士の嗜みではなく、感情の爆発である。

 あらゆる出来事で感じたことが言葉となり内より湧き出てくる。

 袁遺の言う通り、詠みたくないから止めると言って、止められるものではない。

「君が人の心を震わせるものを作れば、それで私の目的も達成できる」

 そう言って、袁遺は口を閉じた。

 そして、その三白眼で華琳を正面から見据えていた。まるで、君はどうすると言いたげな様に。

 華琳が敗北を自覚したのは、この瞬間であった。

 彼女はいかなる選択肢を選ぼうが自分が歩んできた、彼女が歩まなければならないと思ってきた覇道が途絶えたと思ったのだ。

 それは彼女にとって敗北であった。

「………………将兵に危害を加えないと約束しなさい、伯業」

 長い沈黙の末、やっとのことで絞り出した言葉に軍師である程昱や護衛の許褚たちは息をのんだ。

 それは事実上の降伏宣言である。

「約束する」

 袁遺は頷いた。

 すぐに華琳と袁遺は荀彧、司馬懿の両名、そして兗州と呂布に停戦の伝令を送った。

 

 

 荀彧軍はまったくの想定外である中牟の城攻めを行っていた。

 日暮れという時間的制約のために司馬懿軍との会戦も呂布隊の追撃も断念しなければならなかった荀彧率いる支軍は、夜明けとともに司馬懿軍の無力化のために、彼らの籠る中牟の城へと攻撃を仕掛けた。

 だがしかし、呂布隊に兗州への逆侵攻を許してしまったために、中牟を可及的速やかに陥落させなければならない荀彧軍は無理な力攻めを行わなければならず、被害の割には効果は薄かった。

 戦えば戦うだけ戦力をすり減らし、本来の作戦目的から離れていくことを荀彧は自覚しながらも、それでも止めることはできなかった。

 本軍が望まぬ野戦陣に対して攻撃を仕掛けた様に、支軍もまた主と同じ轍を踏まされていた。

 そんな状況で曹操本軍からの伝令がやって来たとき、荀彧は全てを察して天を仰いだ。

 彼女は華琳に心酔しているが、それでも軍師としての残酷なまでの冷徹さが、この戦略的不利な状況で主が袁遺本軍を破ったなどと楽観的な発想をすることができなかったのだ。

 伝令役は程昱だった。

 そして、荀彧たち支軍の首脳部たちは程昱の口から華琳が袁遺に降伏したことを聞かされたとき、皆が涙を目に浮かべた。

 城攻めは中止され、自軍の敗北が知らされた兵士たちの反応も似た様なものだった。

 中には剣を地面に叩きつけて、人目を憚らずに号泣している兵さえもいる。

 

 

 兗州の最後まで抵抗した街も支軍と同じ様な顛末を辿った。

 呂布隊の侵攻を知った兗州の郡の殆どは、すぐに呂布に降伏した。

 華琳が長年、治めていた陳留郡の酸棗の街でさえも抵抗らしい抵抗を見せなかった。

 だが、そのことで酸棗の街を攻めるのは酷であろう。

 酸棗は反董卓連合の駐屯地となり、さらには袁紹軍から手酷い略奪を受けたのである。

 華琳はその略奪から酸棗を守ることができなかった。彼女が己の野心のために袁紹の嘘に乗って連合に参加し、酸棗の街を戦に巻き込んだのである。その点で言えば、先に裏切ったのは華琳である。

 しかし、それでも陳留の街だけは呂布に対して門を開くことはなく、最後まで抵抗を続けたのだった。

 陳留の街が門を開いたのは華琳と袁遺の使者から停戦命令を受けてからだった。

 ここに華琳―――曹操と袁遺の戦いは終結したのだった。

 それは華琳が鄴を発ってから一六日目のことであった。

 

 

 袁遺の想定より二日長引いたことが、ある意味で華琳の意地であったのかもしれない。

 




捕捉

・彼女の政策は後の戸調制度の原型にあたるもの
 董卓銭が後漢の貨幣経済を破壊したため国家的決済手段として銭の公的流通が殆んど停止した中で、曹操は徐々に銭以外の決済手段を模索し始め、官途の戦いから四年後の建安九年(西暦二〇四年)九月にある布告を出した。
 その布告によれば、田租として一畝に四升を取り立て、戸税として絹二匹と錦二斤を差し出さしむのみにして、その他を勝手に徴収することは許さない。郡国の太守、相はしっかりと監察し、豪族に隠匿することがある一方、弱き民に二重に税をかけることになきようにせよ(『三国志』魏書武帝紀裴松之注)。
 これによって田租・更賦を中心とする漢代税役体系が公令=戸調制に統一されたという説がある。
 ただし、これが布帛が国家的決済手段としての最初の例ではない。
 そもそも中国には太古より男耕女織(一般的に男は農耕、女は機織を本業とする)とう社会通念があった。
 これは『礼記』や『周礼』の親桑について書かれた項目(ただし、皇后が自ら養蚕する親桑(親蚕)が実際に行われたのは儒家思想が浸透した漢代以降)や戦国期の秦の睡虎地秦簡『秦律十八種』から見ることができ、布帛の生産を推奨する風潮があった。
 また、前漢元帝の御世に儒家官僚の貢禹が「農桑」奨励策の一環として、官営鋳税と銭による交易の停止と、布帛と穀物の租税祿賜を提案したことがある。
 これは布帛が交易に向かないとの理由で、賛同が得られず採用されなかったが、布帛を決済手段とする考えは前漢の時代からあった。
 そして、布帛が国家の決済手段として使われた実例が歴史に残っているのは前漢の武帝の時代からである。
 武帝の塩鉄専売制は塩鉄と布帛が(もちろん金銭でも可能だが)交換できた。
 また、これは以前(丙の章12)でも触れたが後漢では地方官の俸禄を半銭半穀であったが、居延漢簡には俸禄が布帛払いであった例も散見する。
 さらに、この曹操の布帛課税が戸調のみ限らず、戸調以外にも租布があったという説があるため、本文でも書いた通り、これが戸調制度に影響を与えたであろうが、曹操をその創始者とするには論争があり、浅学無知の徒である作者には判断できない部分があることを御了承願いたい。
 話を曹魏の経済政策に戻すが、五銖銭はその後で文帝(曹丕)の時代に再び鋳造されることになるが、銭が信用を取り戻すことはなく穀価の高騰を招き、再び鋳造を取りやめる。
 しかし、やはり布帛は民間の交易には不便ということで明帝(曹叡)の時代にまたまた鋳造される。
 この後の晋も中原の地は貨幣経済の復活と整備に奮闘することになるが、それは北魏、西魏、北周を得て、南の強力な経済を組み込んだ隋や唐の誕生まで続くことになる。
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