1
主が去った驃騎将軍府は閉鎖されることなく軍師である雛里が取り仕切っていた。
確かに袁遺は驃騎将軍の官職を罷免されたが、指揮権や独断行動権、人事権は残っているからである。皇帝がそれを取り上げなかった以上、袁遺本人が返上しない限り何人もその権利を侵すこともできず、驃騎将軍府は主不在のまま動いていた。
そして現在、その驃騎将軍府が行っていることは先の戦いで戦死した陳蘭の葬儀の準備であった。
袁遺と曹操の戦争終結から洛陽へと帰還するまで、雛里はいくつかの指示を袁遺から受けていたが、洛陽へと着く直前に命じられたのが陳蘭の葬儀であった。袁遺に古くから付き従い、校尉に上り詰めて全軍の勝利のために危険な任務を請け負い、そこで散ったのである。その献身に相応しい葬儀を整えよ、と。
夏侯淵と陳蘭の殿軍が戦った場所には多くの屍が野晒しとなって、もうすでに腐敗が始まっており、そのどれが陳蘭か判別することができなかった。そのため、香木を彫って彼の像を作りそれを棺に入れ埋葬することになった。
さらに、陳蘭の功は上奏され、揚威将軍が追贈されることになる。揚威将軍は四品の雑号将軍である。
この上奏は呂布が董卓に働きかけたために行われたのであり、袁遺や雛里、袁隗の意思が働いたものではなかった。
中牟で陳蘭は途中までであるが呂布と共に曹操の侵攻に備え、その実力は呂布の軍師である陳宮も認め、その人柄と能力を好ましく思っていた。そのため、この上奏の事務的な手続きは陳宮が殆んど請け負ったのであった。
また、洛陽に戻ってきてすぐに司馬懿と共に兗州へと向かった張遼も、出発前に董卓に陳蘭の追贈を頼み込んでいた。
彼女は同じ司馬懿が率いた支軍に属し、陳蘭の殿を見送った人間である。味方のために殿を引き受けることを義侠と受け取り好感を抱き、陳蘭に報いるために董卓に掛け合ったのだった。
陳蘭の墓は洛陽の南に建てられた。
葬式には雛里や張郃、高覧、雷薄、王平、姜維、呂布、陳宮を始めとした多くの将兵、軍師、参謀が白の喪服をまとい集まった。
いや、それだけでなく、陳蘭とは生前なんの関わりもない文官の姿さえあった。
彼らは陳蘭が袁遺の部下であり、袁遺と誼を通じるために葬儀に参列した者だったのだ。
そのことに雛里は、たとえ謹慎中であっても自分の主の影響力が衰えるどころか、増すばかりであることを理解したのだった。
確かに、華北から中原は定まったが、南―――揚州、そして益州の地で更なる問題が発生していたのである。
その解決のためには袁伯業の才が必要不可欠であり、その問題を解決するたびに袁遺の力がさらに大きくなることを皆が知っているのだった。
袁遺が謹慎中、中華の南でふたつの大きな勢力の地殻変動が起こった。
ひとつは孫策が長江を渡り秣陵や故郷の呉あたりを制圧し、そこに基盤を移して江南の地に割拠したのである。
もうひとつは、劉備が劉璋から益州を奪ったのであった。
異・英雄記
戊の章
1 西蜀
洛陽を脱出した後、劉備は諸葛亮の伝手で荊州の名士である黄承彦の元に身を寄せ、荊州の名士たちと交流を持った。
洄湖周辺に本拠を置く楊氏一族の楊儀や、先祖が光武帝の侍中であり(ただし、それが事実であったか疑わしい)襄陽の北に広大な私有池を持つ習氏一族の習禎、さらには襄陽郡宜城県の名士である馬家の四女と五女である馬良、馬謖姉妹たちである。
諸葛亮の名士人脈で今まで劉備が袁遺や曹操に明確に劣っていた名士間での声望の獲得に注力していた頃、益州から望外な申し出があった。益州の主、劉璋が劉備を迎え入れるというのだ。
若干、時間を遡って益州の情勢を説明する。
まだ霊帝の御世の頃、悪政や天災により民が耕作地を捨て流民となり、各地で賊が跋扈して治安が悪化する中で、とうとう後漢最大の農民反乱である黄巾の乱が起こる。
これにより各地の地方官の支配力が弱体化するので、州刺史の権力を強化した州牧を置くべきであると上奏する者があった。
それが前漢の魯恭王・劉余の末裔に当たる劉焉だった。
彼は中央の混乱を避け、地方で独立することを画策して、州牧設置の上奏を行ったのだった。
この上奏は受け入れられ、彼は天子の気があるとされた益州へと赴任する。
劉焉が赴任したときの益州は黄巾賊が各地の県令どころか、益州刺史であった郤倹さえも殺害し、益州を混乱の坩堝としていたのだ。
劉焉はその混乱を抑えるため、流民から兵を募集した。
この募集で集まったのが東州兵である。
彼は東州兵と地元の名士の協力で益州を手中に収めた。
そして、張魯という宗教指導者に目をつけ、張魯を漢中に派遣し漢中と司隷を繋ぐ峡谷の橋を切り落として、独立を謀ったのである。
この独立は成功した。漢王朝は劉焉に対して、どのような対策をすればいいか協議していた段階で、霊帝が死去したのである。劉焉どころではなくなった。
その後、董卓が洛陽へと入り、反董卓連合が結成された。さらに董卓・袁隗の二頭体制の成立と袁遺が反董卓連合を解散させ、袁紹との戦争に突入していき、益州は放置されたままだった。
しかし、独立を果たして間もなく、劉焉はこの世を去ることになる。
その劉焉の後を継いだのが、息子の劉璋であった。
だが、劉璋の代になると劉焉の頃から存在していた問題が大きくなった。
それが東州兵と益州名士との対立である。
これは何度か触れてきたが、この時代、名士が部曲(私兵)を大量に抱えて強い力を持っていた。
それに対抗するためには、君主にとって自由となる兵力を持つことだった。例えば、曹操の青州兵もこれにあたる。
つまり、東州兵とは劉焉の君主権力の象徴であった。
故に、東州兵は益州名士に対して傲慢に振舞うし、益州名士たちは東州兵のことを苦々しく思う。
そして、劉璋は事態を治めることができなかった。
さらにそれは漢中にも飛び火し、張魯が独立を宣言し、劉璋に対して侵攻を開始したのだ。
このふたつの問題を解決するために張松、法正、孟達たちが劉璋に劉備を益州に迎えることを献策したのだった。
劉備には、ある噂があった。袁紹が袁遺より劉備を恐れ、現帝が劉備に兵権を与えようとしたという噂である。
このとき、袁遺は袁紹を滅ぼし、その隙をついて独立した孫策も簡単に制圧するのではないかと思われていた時期である。
その袁遺から軍権を取り上げて劉備に与えようとした。それはつまり、それほど皇帝は劉備を信頼している証左であった。
霊帝の御世と違い、今は袁遺が反董卓連合の戦後処理である宣伝工作と連合に参加した諸侯の離間工作、さらには袁遺自身の武威によって王朝の権威は復活しつつあるのだ。皇帝からの信頼が厚い劉備がいることは決して悪いことではない。
それに劉備の元には智謀の士や豪傑が多いという噂もあった。戦争においても役に立つ、と進言したのである。
郭図の置き土産が、多くの人間の運命を狂わせた瞬間であった。
劉璋はこの献策を受け入れた。
だが、張松たちはすでに劉璋を見限っており、劉備を劉璋の代わりに益州の主に据えるために彼女を呼び寄せようとしているのだった。
張松は益州の名士であるが、他の益州名士―――例えば、黄権、王累たち―――に比べれば力が弱く、法正、孟達は共に司隷扶風郡の出身で益州内に確固たる基盤がない。
つまり、この三人は劉備を新たな益州の主に担ぎ上げ、今の権力構造を逆転しようとしたのだ。
しかし、使者としてやって来た張松に、
「劉季玉に代わり、益州をお治め下さい」
と蜀の地図を献上されても劉備は困惑する一方であった。
それでも何とか、
「劉季玉殿は私の同族であり、攻めたりいたさば、天下の人々からの誹りは免れません。どうして、そんなことができましょうか」
と劉備が礼を失せず返せたのは、荊州で名士たちと交流を重ねたからであった。
そして、このときの劉備は本心から劉璋から蜀の地を盗ろうなどとは考えてもいなかった。
だが、彼女の義妹たちは違った。
関羽も張飛も蜀の地を取れと劉備に勧めたのである。
あるいは、それは荊州に来て以来、名士たちとばかり交流を持っていた劉備に対しての義妹たちからの反発だったのかもしれない。
関羽や張飛のような義侠に生きる人間にとって、儒教的徳目を身に着け、それを実践している名士たちとは相容れぬ部分があった。
その名士と交流を深める劉備に義侠の心を忘れたのではないかという怒りと取り残されたような寂しさをふたりは感じたのであった。
しかし、戦になれば自分たちが必要とされ、
また、趙雲も言葉にはしなかったが、反対もしなかった。だが、内心では蜀攻めを望んでいることを劉備は直感した。
彼女たちにとって荊州にいても、洛陽にいたときと同じであった。志のために立ったのに、そのために動けないなら、どこにいようと変わらないのである。
当然、こういったとき最も頼りになる諸葛亮にも相談したのだが、諸葛亮からは、
「それは私が決めることはできません。桃香様御自身が決めてください」
と返されただけであった。
以前ならともかく、今の劉備なら諸葛亮がそう言う理由も分かる。
君主と名士の関係とは、そういうものだからである。
何かの目的のために主君をいただき、武力や知恵や財、兵、人脈などで君主を助け、その代わりに主君は臣下の利益となる。
張松、法正、孟達たちは劉備を主君に選んだのである。そして、主君となるかを決めるのは劉備だけの権利であり、諸葛亮が容喙できる問題ではない。
劉備は自分を下から突き上げる力を感じた。
あるいはその力は時流と呼ばれるものであろう。
ひとりの人物が権力の座から転がり落ちようとしている。このタイミングでなければ、劉備のような兵力を持たない者にチャンスは巡ってこなかったであろう。
さらに劉備にとって追い風となったのは、法正という存在であった。
法孝直という女性はどこか冷淡な雰囲気をまとっていた。
顔立ちは良い。整って小ぶりな細面とすっきりとしたラインを描く肢体。しかし、彼女は人に好かれることが殆んどない。その原因は彼女が醸しだしている。どこか斜めに構えた冷淡な雰囲気のせいであった。それが多くの人にとって鼻に着くのだ。
だが、彼女の頭脳は明晰であった。
始め、張松と孟達は巨大な軍才と抜群の外交手腕を持つと噂の袁遺を新たな益州の主に担ぎ上げようとしていた。
しかし、法正はそれに反対した。
蜀の地で唯一彼女だけが、中原の冷静な分析ができていたのだ。
法正は看破していた。袁遺と曹操の対決が近いことを。
彼女も袁遺と曹操がお互いに何ら利益を生み出さない邪魔な存在になったと考えられる人間であり、両者がぶつかることは避けられないと分析した。
そのため、法正が張松と孟達を中原の勢力は益州にかまっている時間などなく当てにできない。当てにできない者に蜀取りを進めても、情報が外に漏れるだけの危険な行為であると説得して、担ぎ上げる相手を劉備としたのだった。
結局、劉備はこの流れに乗ることを選んだ。
彼女も関羽たちと同じであった。このまま何もせずに、過ごすことができなかったのだ。
劉備の益州奪取は上手くいった。
荊州を出発するときでさえ、交流を持った荊州名士である楊儀や習禎、馬良、馬謖が協力を申し出た。
楊儀と馬謖は部曲を引き連れて益州まで同行し、その道中の糧秣も提供してくれた。
さらに習禎と馬良は荊州に残って物資の輸送や中原の情報収集を行った。
二〇〇〇の部隊を率いて益州入りと劉備が何とか格好のつく形で荊州を出発できたのは、荊州名士の力によるものだった。
もちろん、問題はあった。
始めは劉璋も劉備を歓迎して宴を開き、その後で劉備は張魯に備えて葭萌関へと駐屯したのだが、張松の不注意から益州強奪の企てが露見してしまい。張松が処刑され、劉璋との武力衝突に発展した。
戦いは終始、劉備が優勢であった。
益州の民が劉備に味方したからである。
さらに、黄忠、厳顔、魏延などの武将も戦いはしたがすぐに劉備へと降った。
死ぬまで戦ったのは張任と彼の下にいた東州兵のみであった。
最終的に、劉璋が降伏して劉備は益州の主となった。
時流に乗った者が得ることができる勢いだった。
一年にして集落となり、二年にして邑となり、三年にして都と成った。だから成都という。
益州の州都である成都城は二重の城壁で守られている。
外郭は五里(約二.五キロ)四方の規模で、東西南北それぞれに二門、合計八門の城門を持つ。その外郭の内、やや西寄りに二里(約一キロ)四方の内郭がある。この内郭に益州の新たな主である劉備の居城がある。
その居城の軍議の間に劉備の文武百官が集まっていた。
主である劉備とその臣下たちの視線は諸葛亮に注がれていた。
「臣・亮、只今、漢中より戻りました」
諸葛亮は劉備の前で跪いた。
「ご苦労様、それでどうだったかな、朱里ちゃん」
劉備の声は、その下に何の感情があるのか読みにくいものだった。
「申し訳ございません。張魯さんは和平には応じませんでした。どうやら弟の張衛が強く反対したようです」
諸葛亮は頭を下げた。
益州を手に入れた後、劉備はふたつのことをすぐに実行した。
ひとつは、諸葛亮と法正の献策を受け入れて、劉璋と違った厳格な法を施行したことである。
これは劉璋の権力が弱く、名士や東州兵が好き勝手したため民もまた法を軽んじていた。そのために、厳格な条例によって、官吏や民に法の順守を徹底し恩威を並び施し、節度をわきまえさせ、功罪を厳正にするためである。
ふたつ目は張魯との講和であった。
そのために、諸葛亮は使者として漢中に赴いたのだった。
このふたつは劉璋が解決できなかった問題である。それを劉備が解決すれば、彼女の力を益州内に示すことができる。
前者は効果を上げつつあるが、後者は諸葛亮の報告通り上手くいかなかった。
「やはり戦しかありません。桃香様! 張魯など討ち果たしてみせましょう!」
諸葛亮の報告に武官の側に並ぶ、ひとりの少女が勇ましい声を上げた。
その黒い髪に白いメッシュが特徴な武官の名は魏延。字は文長である。益州を手に入れる戦いで劉備に降り、それ以降、劉備を心酔している。
「この馬鹿者が!」
そんな魏延に、横に並んでいた妙齢の女性が拳骨を喰らわせた。
その女性は厳顔。かつては魏延の上官として劉備と戦い、その後で魏延と同様に劉備に降った老将である。
「軍師殿の報告の途中であろう。余計な口を挟むな!」
厳顔に怒鳴られた魏延は、シュンと小さくなった。
そして、その様子を微笑ましそうに見ている厳顔と同じくらいの年頃である女性が黄忠である。
この三人が益州での戦いの途中に劉備軍に投降した主な武官である。
「ですが、桃香様。焔耶さんの言う通り、戦は避けられません」
諸葛亮が言った。焔耶は魏延の真名である。
その言葉に武官たちから歓声にも似た声が漏れた。
だがしかし、この場の幾人かはそれに顔を曇らせたか、もしくは冷めた視線を送った。
劉備も、そのうちのひとりであった。
彼女にとって、この光景は昨晩に予言されたものだった。
諸葛亮が漢中から成都に帰還したのは、日も沈みかけた時間であり、劉備にはすぐに報告するが百官を集めて大々的な報告は明日に、ということになった。
諸葛亮は、法正を伴って劉備の元に参上した。
それに劉備は怪訝に思いながらも、諸葛亮の報告を聞いた。
「申し訳ございません。張魯さんは和平には応じませんでした」
「そっか……」
劉備は諸葛亮の報告に心底残念そうな顔をした。
彼女は武力衝突を忌憚し、話し合いで解決できないかを模索して諸葛亮を漢中に派遣したのだった。
それに対して―――特に武官側から―――弱腰であるという意見もあったが、諸葛亮と法正を始めとした文官たちの賛成もあって実行した。
しかし、失敗に終わってしまい、後は武力を以って解決するしかなくなった。
そのことに劉備は心を痛めて、顔を曇らせたのだった。
「このままでは戦は避けられませんが、そのことでお話があります」
諸葛亮は真剣な面持ちで、劉備を正面から見据えた。その迫力は、かわいらしい諸葛亮から発せられているとは思えないほどだった。
「戦になった場合、漢中を制圧できる算段は十分にありますが、問題はその後です」
「その後?」
劉備はオウム返しに尋ねた。
「漢中の張魯さんがいなくなれば、涼州の馬騰さんや袁隗さん、董卓さん、そして袁遺さんとの関係が間違いなく悪化します」
「どうしてッ!?」
劉備は声を荒げた。
「常識として、隣接する勢力は対立します」
答えたのは法正であった。彼女の言うことは地政学的にも事実である。
「で、でも、私は仲良くしたいと思っているよ!」
「まあ、私たちもそういう話をしに来たんですよ」
「えっ……?」
法正の後を受けて、諸葛亮が口を開いた。
「桃香様、馬騰さんや袁遺さんとの関係が悪化するのは常識論だけではなく、そうなることによって得をする勢力がいるからです」
「…………もしかして、孫策さん?」
劉備は莫迦ではない。孫策と袁隗・董卓陣営が対立関係にあることを知っている。そして、示唆されれば自ずと、諸葛亮、法正の言いたいことに辿り着くことができる。
「はい。孫策さんの敵―――つまり、袁遺さんたちの後ろを脅かすためには、私たちと袁遺さんたちに接近されては困ります。それに思い出してください。何故、私たちが洛陽から脱出しなければいけなかったのかを」
「孫策さんが袁紹さんみたいに、私たちを利用しようとするの?」
劉備は袁紹の―――正確に言うなら、郭図の―――流言によって、皇帝から寵愛されていることを利用され、袁遺と対立することを余儀なくされた。
諸葛亮が知恵を絞り何とか無事に洛陽を脱出できたが、噂とその噂を皇帝が信じたという事実は人々の心に残った。劉璋も、皇帝から寵愛されていたということで劉備を益州に招いたのだった。
「私たちが袁遺さんと手を結んだと思えば、その仲を引き裂きにくることは間違いありません。そして、袁遺さんと対立すれば、漢中の地は戦略上の要地です。そこを抑えている私たちと袁遺さんの関係は悪化し続けます」
諸葛亮は断言した。
「…………えっと、それじゃあ、ふたりは何が言いたいの? そういう話ってどういうこと?」
劉備の視線は定まらず、諸葛亮と法正を往復した。迷いと不安が表れた動きであった。
「言ったでしょう、袁遺たちと仲良くしましょうという話です」
答えたのは法正であった。
「えっ?」
「断言します。袁遺と戦になった場合、勝ち目は殆どありません」
法正の声には普段のどこか斜めに構えた様なスレた響きはなく、真剣そのものだった。
「益州の将兵は当てにできません。戦になれば勇ましいことを言うかもしれませんが、そんなものは半ば呆けた老人が、わしの若い頃は―――と自慢げに話す
「えーと……」
法正のあまりにも容赦のない強い言葉に困惑する劉備だったが、それを諸葛亮がフォローした。
「反董卓連合の解散後、各勢力が袁遺さんの戦い方を研究したのを覚えていらっしゃいますか? その結果、袁紹さんは袁遺さんのように複数の敵に挟まれた状態で劉虞さんと公孫賛さんを各個撃破しましたよね。曹操さんの陣営も袁遺さんと戦うために研究したのは間違いないと思います。ですが、蜀の地は水には錦江、山には剣閣の要害があり、中原の地と離れています。袁遺さんの戦い方を直接見るどころか、正確に伝わってさえいないのです。だから、研究しようにもできなかったのです」
益州の将兵は謂わば軍事研究において中原に後れを取っているのだった。
そして、そのことに気付いている人物自体も益州では少数だった。法正のような戦を避けて中原の地から移ってきた者や中原の名士と付き合いがある者以外は、袁遺軍の強さというものをまったく理解していない。
「曹操軍の兵士は間違いなく精強でした。ですけど、勝ったのは袁遺さんです。そして、私たちの兵士は曹操軍の兵よりも精強さで劣っています。おそらく、袁遺軍の兵よりほんの少しだけ強い程度か、悪くすれば同等です。そして、指揮官の指揮能力では圧倒的に負けています。それなのに、袁遺さんの強さを理解できないまま戦っても、あっけなく負けるだけです」
「それじゃあ、袁遺さんと戦わないように張魯さんを攻めちゃダメってこと?」
劉備が尋ねた。漢中の戦略的価値を劉備はあまり理解できなかったが、袁遺に勝てないなら言い方は悪いが張魯を盾にしろ、とふたりが献策していると思ったのだ。
だが、返ってきた答えは劉備の想像の斜め上をいくものだった。
「いえ、漢中は絶対に確保しなければいけません。張魯さんの問題は絶対に解決する必要があります」
あるいは、強欲極まるものだった。
「つまり、袁遺さんを納得させて漢中を手に入れ、できれば孫策さんも孤立させないということをやらなければいけないのです」
「ええ~~~!! そんなことをできるの!?」
劉備は驚愕の声を上げた。それに返ってきたのは法正の冷めた様な声だった。
「それほど難しいことではないですよ」
「ええッ!」
劉備の口から拍子抜けした様な声が飛び出た。
「な、何かいい考えがあるの?」
「私たちにはありません」
「えっ、それじゃあ、誰が……?」
「董卓か袁隗か袁遺か……まあ、本命は袁遺ですが、洛陽の誰かが漢中の件は上手く整えてくれますよ」
法正は事もなげに言い放った。
「……で、でも、袁遺さんたちと仲良くすれば孫策さんが良く思わないんでしょう?」
「だからと言って、勝ち目のない戦に巻き込まれるのも嫌でしょう。それに、孫策は敵を作り過ぎてます。孫策と一緒に天下の嫌われ者になるなんて冗談じゃない。ですが、孫策を孤立させるのも悪手です。まあ、孫策陣営も孫策陣営で、自分たちが倒れれば袁遺の矛先はそちらに向く、とか何とか言って、エサをねだる野良犬の様にこちらが何もしなくてもむこうから接触してきますよ」
法正の口元には冷笑にも似た歪みがあった。
劉備は法正の言葉を咀嚼する様に考え込んだ。それから、ゆっくりと口を開いた。
「孫策さんが倒れれば、袁遺さんは本当に私たちの所に攻めてくるのかな?」
その質問に、諸葛亮と法正の視線が交差した。
「名分と必要性があれば」
答えたのは諸葛亮だった。
「桃香様は皇叔、つまりは皇族です。戦うには相応の大義名分が必要です。戦場という、どんな不測の事態になるか分からない場所で、もし桃香様が戦死なされた場合、皇族殺しの汚名を被ることになります。それが許容されるだけの大義名分を、です」
その声は真剣そのものだった。
「大義名分……」
劉備は呟いた。
「……その、劉璋さんから益州を奪ったことは大義名分になるのかな?」
そして、尋ねた。劉備にとって同族から益州の地を奪ったことは、わだかまりとなっていた。それが劉備という人間の愚かしさと魅力であった。
「なりません」
しかし、そんなことはお構いなしに法正は断言した。唐竹割りの様な答えだった。
「一応、張魯のことで洛陽に使者を送るときに私から袁隗、董卓に書簡で益州奪取の正統性を説明します。ですが、そんなことしなくても、むこうも分かっていると思いますよ」
法正の後に、諸葛亮が続けた。
「それに孫策さんが倒れれば状況も変わります。荊州の劉表さんからすれば、袁遺さんの強さは孫策さんという敵がいれば心強いが、その敵がいなくなれば恐ろしいものです」
情勢が変われば、外交方針も変わる。
袁紹という敵を前にすれば、袁遺と曹操は手を組んだ。
特に袁遺は、曹操を兗州牧にし、建徳将軍にし、都督兗・冀州諸軍事にし、費亭侯にさえした。袁紹を討伐するために冀州に進軍したときでさえ、曹操軍に被害がないような戦略を立てた。
曹操もまた、袁紹の南進の盾の役割を全うした。
袁遺と曹操は良き同盟者であっただろう。
だがしかし、袁紹が倒れると両者はすぐにお互いを打倒するために動き出し、最終的に袁遺が曹操を倒した。
これは外交上、当然の出来事であった。
彼らが良き同盟者であったのは、お互いに利益があったからである。
しかし、袁紹という敵が消えたことで、お互いが不利益な存在となったからこそ、彼らは戦うことになったのだ。
この事実は袁遺と劉表にも当てはまることであった。孫策という敵がいなくなれば、彼らの関係も変化する。
「ですから、孫策さんが倒れても即、開戦となることはありません。孫策さんが倒れた後は、劉表さんがこちらと接触してくるでしょう。桃香様も劉表さんも宗族に連なる者です。皇族という立場をうまく使って立ち回ることになります」
諸葛亮は断言した。
その言葉を聞いて、劉備は覚悟を決めた様な顔をした。
「うん。それじゃあ、どうすればいいかな?」
それに法正が
「まずは明日、文官、武官の前で桃香様の考えを改めてお聞かせください」
と返した。
法正の顔には悪だくみを楽しむような、意地の悪い笑みがあった。
「では、米賊(五斗米道に対する蔑称)を攻めるにあたって皇帝陛下に上奏しましょう」
飛び交っていた武官たちの勇ましい言葉は、法正の発せられた言葉によって水を打った様に静まり返った。
だが、それはほんの一瞬のことで、すぐに法正に対する罵声が溢れかえった。
その殆どは、法正の提案は董卓や袁隗、袁遺の風下に着くことであり惰弱なものだと、彼女を臆病者扱いしていた。
しかし、その騒ぎは法正の次の言葉によって、またすぐに沈静化される。
「私は董卓や袁叔侄の話などしていない。皇帝陛下に邪教を祭祀する輩を討伐すると上奏し、義を正そうとしているのです。それとも、皆々様は何か皇帝陛下を蔑ろにしようというのですか?」
皇帝に叛意があるのか、と問われれば、罵詈雑言を吐いていた者たちも黙るしかなかった。
その沈黙の中で劉備が口を開いた。
「みんなには、これだけは知っていてもらいたいの」
その表情は真剣そのものであり、真摯に集まった者たちの心に訴えかけていた。
「私が故郷の幽州で愛紗ちゃんや鈴々ちゃんと兵を挙げたのは、困っている人たちを助けたい、ただそう思っただけだった。贅沢な暮らしや出世のためじゃないの」
劉備の言葉に関羽と張飛がどこか懐かしそうな顔をする。
「それに私の家は、中山靖王の末裔だと言われているの。だから、陛下や漢王朝を蔑ろにするつもりはないし、みんなにもして欲しくない」
劉備は、ピシリと言い切った。
それは劉備の生の感情であった。
そして、そうであるからこそ、法正の鼻に着く正論よりも武官たちの心を打ち、自然と彼女たちの頭を垂れさせた。
正論が常に受け入れられるとは限らない。むしろ、正論故に反論を封じられた者たちはより大きな反感を抱く。そんな人間の機微がわからないほど、法正や諸葛亮は人間的に未熟ではなかった。故に、ただ劉備に自分の思いを述べさせたのだった。
それに、実際に王朝を蔑ろにしないと口に出すことは張魯の問題が片付いた後にも、意味があった。
劉備たちが漢中を手中に収めると、その北西に羌族とも接触することになる。これは新たな問題であった。
そして、現在、羌族を抑えているのは涼州の馬騰であるが、彼女は漢王朝への忠誠心が厚いことで有名である。つまりは張魯の討伐を漢王朝を通して行うことは馬騰に羌族対策で協力を要請しやすくなるということでもあった。
漢中攻めは、皇帝に上奏してから行うことが正式に決められた。
洛陽へは許靖を代表として、十数人の文官、武官が派遣されることになった。
許靖の汝南許氏は三公を三代続けて輩出した名門であり、許靖自身は中原の乱から逃れるために、この益州へ劉璋の代にやってきた。そのため、中央の名士とも交流があり、使者の代表としては適任であった。
軍議が終わった後、諸葛亮はそれとなく法正へと目配せをした。法正のみに悪役をやらせたことを謝罪したのだった。
法正もまた、その意をすぐに汲み取り、気にするなと態度で示した。
劉備の皇叔という立場の利用や皇帝への上奏を考えたのは諸葛亮自身であったが、劉備の生の感情を以って武官たちを納得させるということを策謀したのは法正であった。
参謀、軍師として諸葛亮にはできないことをできる法正という人間は諸葛亮の欠点を補っていた。
性格的には馬の合わない部分もあるが、それでも盟友といえる関係を築けている。
諸葛亮にとって、この蜀の地に来て最も幸運であったのは法正に出会えたことであった。
麗らかな日和の昼下がり、洛陽は穏やかな雰囲気であった。
黄巾の乱から続いた中原での戦は、袁遺と曹操の戦いを以って一段落したことが表れた様であった。
だがしかし、そんな心地よい陽気の中で袁遺はまったくもって無様な状況にあった。
彼は荷馬車に積まれた大型の衣装箱の中で女の着物に埋もれながら丸くなっていた。
馬車が地面の出っ張りに乗り上げ揺れるたびに衣装箱も飛び跳ね、袁遺は体を箱の底に打ち付けていた。
謹慎の身である彼が何故、こんな状況であったかは彼の叔父が原因であった。
袁遺は自分の屋敷で謹慎していても、袁隗の細作の手によって孫策や劉備といった敵となりえる勢力の情報や洛陽の情勢が手元に集まっていた。
しかし、今回、細作たちは情報を伝えるのではなく、袁隗から言伝を預かってきた。
曰く、直接会って相談したいことがあるため、この者たちの指示に従え。
袁遺は謹慎中の身である。当然、大手を振って歩けるわけがない。秘密裏に会談するためには策を弄するしかなかった。
袁遺は細作たちに、任せると、鷹揚に頷いてみせたが、こうまで痛い思いをするハメになるとは考えていなかった。
辛い時間をいつもの無表情で耐えていた袁遺に開放のときが訪れた。馬車が止まったのである。
しばらくして、箱が持ち上げられる感覚があり、おろされるとすぐに箱から出された。
「ここはどこだ?」
袁遺は尋ねた。
商人に化けた細作から返ってきた答えに、袁遺は表情に出さず驚愕した。
かつて、反董卓連合を解散させてから袁遺が洛陽へと帰還したとき、袁遺に屋敷が与えられることになった。
袁遺は与えられるはずであった最初の一軒を断り、別の場所を希望した。その理由は、与えられる予定だった屋敷の付近に袁隗が愛人を囲っていたからだった。愛人の元に通う叔父を目撃するハメになるのは、さすがの袁遺といえども気まずい。故に、断ったのだった。
しかし、今、袁遺がいる場所は、その叔父が愛人を囲っていると思っていた屋敷であった。
袁遺は直感した。愛人は今回の様な秘密裏に会談するための嘘、つまりはカモフラージュであり、俺は叔父上の掌で踊らされたに過ぎなかったのか、と。
袁隗は三公である司徒に三度就任した男であり、社稷において政治的魔術を縦横に駆使してきた一種の怪物である。この偽りの愛人邸でも何度か密談が交わされていたとみて間違いはない。
となると、細作たちは愛人への贈り物を運んできた商人に化けて、俺をここまで運んできたのか、と袁遺はひとりで納得した。
「どうぞ、こちらで身支度を御整え下さい」
袁遺は袁隗に会う前に小さな一室に案内された。そこには女中がいて、櫛や鏡が用意されていた。
そこで女中に手伝わせて髪と服の乱れを直すと、今度こそ袁隗の元へと案内された。
「袁遺、太傅に拝謁いたします」
袁遺は拝跪した。
「ご苦労であったな、伯業」
袁隗が重厚な声で言った。
「茶か酒か用意させる、どちらがいい?」
「茶ですね」
袁遺は頭を上げて言った。遠慮のない答えだった。
「謹慎中の身ですので、万が一、何かあったときに酒臭い息をさせているのはまずいでしょう」
茶はすぐに用意された。この叔侄の好みである芳醇な香りとやや強い苦みの茶であった。
その茶を一口すすると、袁隗は書簡を袁遺に差し出した。
「益州を劉璋から劉備が奪ったことを知っているな」
「はい」
袁遺は頷いた。
「その劉備の使者がやってきた。その書簡はその使者が持ってきたものだ。法正という人物から、わしと董司空への親書だ」
袁遺は、拝見しますと断ってから、書簡に目を通した。
「……劉皇叔は益州を奪ったのではありません。劉季玉が益州を自ら棄てたのです。皇叔はその益州を拾ってさえいません。我々益州に住まう者が皇叔を益州の主と戴いたのです、か」
典型的な後漢末期の君主権力の弱体化と名士勢力の台頭がそこにあった。
劉璋では自分たちに利益をもたらさないと名士たちに見切りを付けられ、劉備が劉璋の代わりに選ばれたのである。名士たちが自分たちの主君を選んだのだ。乱世の習わしというより、この時代独特の価値観である。
そして、この親書はその宣言に他ならない。
「劉備は不思議な人物だな」
袁隗がポツリと言った。
「劉表のときと同じだ。劉備を益州の主と認めなければ、益州の名士たちを敵に回すことになる。だから、こちらも認めざる得ないだろう。しかし、劉表はそれを自分で選んだが、劉備は法正にやらせた。莫迦なのか、器が大きいのかわからん」
それに袁遺が返した。
「大器であることは間違いないと思いますが、莫迦というより君主権力と名士に対する理解度が低いのでしょう」
袁遺は思った。理解度が低いことは一概に悪いことではない。高いが故に俺は仲達を疑い続けている。
袁隗は、そうか、と鼻を鳴らすと、茶をすすった。それから、口を開いた。
「伯業、お前を呼んだのは、これを持ってきた使者が張魯の討伐を上奏したいと言ったきたことだ。そのことでお前の意見を聞きたい」
「張魯の討伐……」
袁遺の口元が僅かに引き攣った。
彼にとって、それは難しい問題であった。
漢中の戦略的意義は益州に攻め入った場合の橋頭堡であった。それを劉備に抑えられることは益州征伐の可能性の芽を摘まれたに近い。特に益州のもうひとつの橋頭堡になりそうな場所は劉表が抑えており、相応の理由がない限り軍が荊州を通過することを劉表は良くは思わないだろう。許可できることでなかった。
しかし、孫策という敵が東にいる状態で西に新たな敵を作るのは下策である。漢中を劉備に渡し、そこを
頭を悩ませる袁遺に、袁隗が言った。
「賈駆も戦略上、非常に難しい判断のため、お前の意見を聞きたいと言ってきた」
「…………そうですか」
袁遺は問題がさらに悪い方向に転がったと感じた。
彼は賈駆が自分に対して恐れを抱いていることを理解している。ここまで、彼女は袁遺に自分の有用さをいまいち示せていないのだ。現在の漢王朝は軍事の最高責任者にも、政治の最高責任者にも無能どころか平凡な人間を座らせる余裕はなかった。そんな中で有用さを示せていないのは、董卓や賈駆にとって今の地位を失う可能性するあった。
それなのに、袁遺に助力を求めてきた。
袁遺は重荷を背負わされたように感じた。あまりに政治的にも、戦略的にも難しすぎることだから、責任を俺に負わせるために問題を俺に投げたな。
「劉備が皇叔でなければ、ここまで頭を悩ませずに済んだのですがね」
「袁紹の厄介な置き土産だ」
袁隗が皮肉気に口元を歪ませた。
「……漢中は皇叔に差し上げましょう」
袁遺が言った。
「いいのか?」
「皇叔は孫策と違って、漢王朝を敬う態度と現在の体制を容認する姿勢を見せて、こちらに筋を通そうとしています。仕方がありません。ですが、こちらも最大限それを利用します。手始めに鎮軍大将軍の下にいる公孫賛を呼び出してください」
袁遺はいつもの無表情で言った。
「いつかの意趣返しではありませんが、今度は皇叔に公孫賛のために些かの不利益を我慢していただきます」
捕捉
・許靖
一族から三公を四人、そのうち三人は三代続けて輩出した名門の生まれであり、従弟には曹操を『治世の能臣、乱世の奸雄』と評価した許劭(許子将)がいる。
この許子将は原作の真・恋姫†無双では怪しい占い師になっているが、この二次創作ではそんなことはなく名士であり、人物批評家という設定です。
まあ、本編には関係ありませんが、一応、補足しておきます。