異・英雄記   作:うな串

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3 長安

 

 

 邙山と伏牛山の間の盆地に長安はある。

 その盆地は黄河から運ばれた黄土により、肥沃な大地であった。さらに渭水、洛水といった河川にも恵まれ、農地用水に困ることはない。

 また、シルクロードの玄関口として経済の中心地でもある。シルクロードの―――戦利品という側面もある―――交易品には西方の屈強な馬、通称、汗血馬があるため、強力な騎馬兵を作る軍事拠点でもある。

 その山に囲まれた天然の要害、肥沃な大地、ふたつの面を持つが故に、この町は前漢の都に選ばれた。そして、強兵を生み出せる経済拠点としての面を新たに備え発展していった。

 時間は流れ、都が洛陽に変わったため政治的には価値が落ちたが、それでも長安は中華の要地である。その証拠に五胡十六国時代にはいくつかの国の首都となり、また唐の時代では首都として世界最大の都市になる。

 そんな都市の県令になった袁遺は、特別なことをしなかった。

 残っていた記録を見る限り、前任者は特に問題もなくこなしていたようだった。ならば、大きく変える必要などない。

 もちろん、何もやらなかったわけではない。いくつかの指針を示し、また、いくつかの政策を行った。

 そのひとつは、賄賂を受け取らないと公言したことだった。清廉であることをアピールしたのだ。

 その他にも、連れてきた実戦部隊の指揮官たちと私兵による治安の強化。救済作物を推奨し、それには税をかけないとした。

 また、『行』という日本の座、欧州のギルドにあたる中国の商会にあいさつに出向いた。この時代、商人の社会的地位は低かった。儒教の教えで、貨幣は人の欲であり、それに関わることは徳を失わせる、としていたからだ。そんな中で、その儒家から評価を受ける袁遺が、わざわざ行に出向くというのは、商人たちからすれば意外なことだった。さらに、 袁遺は、集まった行頭(商人たちの長)たちの前で、

「身共は、孔子の教えを人生の指針にしておりますが、荀子もまた、身共の指針であります」

 と言った。

 荀子は儒家であるが、儒教の祖・孔子とは違い現実に合わせた折衷的な考えであった。もちろん、荀子も法家から批評されてはいるが、天人相関説の否定などで影響を与えたりしている。話は逸れるが、曹操に仕えた荀彧、荀攸は彼の子孫である。

 つまり、袁遺は、自分は儒教的教養を身に着け実践しているが、あなたたち商人に対して、差別的な考えや行動は取らないとアピールしたのだ。そして、儒家に対しても、身共、という対等もしくは目下の者に使う一人称や、法家の韓非子の名前を出さず、あくまで、儒家の荀子を出すことで、自分は儒教的な教えを蔑ろにしていない、とアピールしている。実際、その持って回った言い方は、まさしく儒家のそれだった。

 これらの行動は、漢、及び、後世のいくつかの中華の国家に見られる表向きは儒教の徳治主義を国家理念としながら、実際では法家の法治主義によって国家を運営する、という矛盾をそのまま踏襲した形であった。

 そして、別のところで袁遺は自身の意外な面を見せていた。

 それは、これまで長安に務めている文官に対してである。

 軍人としての、また指揮官としての袁伯業という男は将校と言える立場の人間に対しては冷酷極まりないほどに能力の限界を求める。また、失敗にはいくらかの寛容を見せることがあるが、失態については決して許すことはなかった。

 そんな厳しい男が来る、そう思った文官たちに緊張が走ったが、彼らの前に現れた内政家としての袁遺は文官たちの予想を裏切るものだった。

 袁遺は文官の誰かが失敗しても、それを強く叱責することはなかった。彼は仮託してそれとなく諭しただけであったのだ。

 それは指揮官としての袁遺を知る者からすれば意外でしかない態度だった。

 彼は確かに病的なまでの機会主義の徒である。そのため、儒教が強い漢帝国で生きるために儒家としての衣を着ているが、それは全くの擬態ではなかった。袁遺の政治の基本は寛容であった。

 ただし、汚職は徹底的に弾劾し、朝廷における礼節だけは厳格に求めた。

 そのため、文官は教化され長安の内政は順調であった。

 清廉と寛容、そして、理想と現実の折衷の三つを以って、袁遺は新任地で支持を受けていた。

 そんな中で、左馮翊から張既が合流してきた。

 袁遺の執務室に入ってきた張既は、まず挨拶をした。

「遅着の失礼、お許しください。御噂は聞き及んでおります。見事な手腕を発揮されておりますね、長安令様」

 彼の態度は、完全に部下のそれであった。であるならば、袁遺も上司のそれを取るのに問題はない。

「徳容、まずは合流、感謝する。君には、主に対外交渉でその能力を発揮してもらいたい。この長安で治安の維持と交易の利益を上げようとするなら、涼州やその他非漢民族の協力が必要だ。また、何人かの部下を束ねる立場になるが、上手くやってくれ。君が必要だと思う物は、人であろうが、物資であろうが、銭であろうが使ってくれ」

「あ、あの、何故、そこまで私を評価してくださるのですか?」

 張既は、さすがに、ここまで信頼し、任せられるとは思っていなかった。

 彼の顔には困惑の色が浮かんでいる。彼の様な恵比須顔では、それは一種の愛嬌となっていた。袁遺は、こういうのも顔で得をしているというのだな、と思いながら、彼の疑問に答えた。

「私は君を登用する段階で問題点を数え上げ、利害得失の勘定を済ませた。それでも君を用いることは効果が見えると判断した。故に、君が能力を発揮するにおいて必要なものは揃えるし、その結果が私の計算と違っても、それは私の無能によるものであり、私の責任だ。君は君自身の無能の責任だけ負えばいい」

 張既は自分が求められた理由を完全に理解したと同時に、これから仕えることとなる主の本質の一片を見た。三公を四世に渡り輩出した袁家の出であるだけあって、この男は、政治の世界で、のし上がっていくだけの資質を持っていた。

 また、仕えるのは大変だが、これ以上、楽しいことはないという仲達の言葉も完全に理解した。ただ、張既の心に後悔の念が浮かばなかった、と言えば嘘になる。

 これは大変な主だぞ、それが彼の本心であった。

 

 

 三国志演義において、龐統は劉備に仕えたとき、風貌の冴えなさから閑職の地方県令に回されたが、一か月の間、酒ばかりを飲んで職務放棄し、村人に訴えられた。しかし、その訴えを聞いた劉備によって派遣された張飛に詰問されたところ、溜まっていた一か月分の仕事を半日で全て片付けてしまった。彼には田舎の県令などという仕事は、あまりにも簡単なことだったのである。

 では、この世界の鳳統、雛里はどうかというと、彼女の立場は県令の部下である。長安は田舎ではなく、この時代において大都市だ。故に、忙しく働きまわっているかといえば、そうではなかった。

 そのわけは、彼女の上司の県令がその仕事のほとんどをやってしまっているからだった。わずかに、対外交渉を張既に任せると、内政のほとんどを自分で片付けていた。それは、税の徴収。専売品の監察。流民の受け入れと戸籍の管理。森林の管理といった大きいものからゴミの集積場所と処理の仕方、果ては殺したネズミ十匹を持って来れば銭一枚と交換する、といった小さなものまで、ときには監督、指導まで行っていた。

 もちろん、仕事がないわけではない。

 彼女は募集、または徴兵された兵の訓練の監督が任務であった。

 袁遺は将兵に求めるものとして、兵の脚力、伝達速度、集団襲撃、各階級指揮官の自立性の四つを上げた。

 問題は四つ目の指揮官の自立性である。これには時間がかかる。であるから、袁遺は雛里を訓練の監督の任につけた。実際に指導するのは実戦部隊の隊長の張郃、高覧、雷薄、陳蘭の四人である。この四人は、その自立性が備わっており、四人それぞれがそれぞれの方法論で兵を指揮している。それを参考に彼らの下に就くであろう下級指揮官に教授しろという命令を受けていた。

 といっても、現在の訓練はそこまでいっておらず、兵を走らせたり、行進させている状態であった。であるからして、雛里の主な業務は、訓練の内容を袁遺に報告することであった。

「そうか、訓練は順調の様だな」

 報告を聞いた袁遺は満足そうに頷いた。彼の文机の上には書簡が大量にあったが、乱雑さはなく、整理されていた。

「雛里、君なら言われなくても分かるだろうが、基本は信賞必罰だ。出来る者は褒める。出来ない者は外す。そうやって指揮官の素質を見極めろ」

「は、はいッ!」

 そんなとき、執務室へ仲達が入ってきた。

「失礼します。お呼びでしょうか、伯業様」

「うん、鳳統と共に実戦部隊隊長の四人に意見を求めながら、指揮官育成の計画を立ててくれ」

「し、司馬懿さんにも、文官としての仕事をさせないのですか?」

 雛里が驚きの声を上げる。雛里はてっきり、自分に調練の監督をさせていたのは、仲達を文官として使うためであると考えていた。

「司馬懿も君も、本質としては蕭何というより張子房だ。いや、司馬懿は韓信か。まあいい。今のところ、私の手は足りているし、母方の伝手でひとり知り合いがいる。いざというときは、彼女を招こうと考えている」

 確かに、雛里は軍略家の才があると自負していた。それは親友である諸葛亮も保証している。

「人心を掌握するには、温情主義と厳格主義を時世と相手方によって使い分けることだ。だが、人間というものは自分を守ってくれなかったり、誤りを正す力がない者に対して、従うことは決してない。君たちには、私の政策の裏書になることを期待している」

 マキアヴェッリの考えである。

 さすがに雛里は彼女の主が儒教一辺倒の価値観の持ち主ではないことを知っているため、その言葉には驚かない。

 そして、彼女にとって、袁遺が善政を布いている。それで充分であった。

「司馬懿も分かったな」

「はい」

 司馬懿は礼を取る。優雅で品のある所作であった。

 彼女たちが出ていった後も、袁遺は書簡と格闘する。

「ネズミは今日、二十匹か。子供が遊び代わりに捕らえているな」

 ネズミは不衛生の象徴である。彼らは病原菌の媒介動物であり、また、収穫した穀物を食べる。衛生管理を兼ねて、殺したネズミ十匹を持って来れば銭一枚と交換するという令を出したが、その効果は薄かった。そもそもネズミの繁殖は文字通りネズミ算。一日に一万匹は増えていると考えてもおかしくない。

 だが、黄巾の乱の影響で東から来た流民が難民キャンプの様なものを形成しているのだ。彼らの衛生状態を考えるとネズミから病気が伝播する可能性は低いとは言えない。上は彼らの受け入れから、下はゴミの集積とネズミの駆除で一刻も早く衛生状態を良くしたいため、砂漠に水を撒く様な作業でも止めるわけにはいかない。

 袁遺は次の書簡に目を通す。

「森林の管理は問題ない。だが、救済作物も兼ねて七葉樹(トチノキ)を植えたいところだが、あまり規模の大きいことは、今はできない」

 袁遺は頭を悩ませる。その他にもやりたいことは山ほどある。例えば、渭水の河川整備。洛陽との通信のためには渭水を船で移動した方が早い。それは物の運搬もそうである。ならば、河川整備はそれらを効率よく行うためには必須であった。しかし、それは県令の分を超えた越権行為である。それに金がない。

 問題は金である。

 部隊の編成にしても、そうだ。

 騎兵部隊を編成したいところだが、やはり、金がかかる。

 馬の頭数を揃え、人や戦に慣れるまで訓練するのもそうだが、維持と運用にも莫大な金がかかる。

 騎兵を十全に機能させるのは大変なことである。騎兵一騎の維持費は歩兵十人分に相当する。軍馬は一日、体重の1~3%の餌(だいたい2キロ~6キロ)、それも滋養に優れた穀物を食べる上に水も大量に飲む。そして、食べた後も三、四時間休ませてやる必要があるため、維持と運用には手間が掛かる。それを一〇〇〇、二〇〇〇の部隊単位でやろうものなら、予算はいくらあっても足りない。基本的な問題として、軍馬もやはり消耗品なのだ。

 だが、軍馬は必要であった。

 それは指揮官の騎乗用にである。

 指揮官の騎乗は、一種の見栄えの様なものだった。これは軍において莫迦にできるものではない。階級の上下で、死ねと命ずる者と命ぜられる者に分かれるのだ。乱暴な言い方をするなら、莫迦にでもそれが分かるよう、形式主義的なものが必要であった。

「となると、馬と後は軍事物資を輸送する用の牛も必要だ。買い付けに行かなければいけないな」

 牛は馬より繊細ではない。

 また、牛は軍務で使用していないとき、徴兵されている家に貸し出せば、落ちた生産力が、幾分かマシになるだろう。

 それに難民を含めた移住希望者の数は増えてきている。彼らが人的資源となって、兵力と労働力を高めてくれるはずだ。それには上手く治安を維持し、速やかにこの長安で生活できるようにする必要がある。

「いっそのこと自腹で買うか。父の遺産がまだ残っているが、それも流民の税を肩代わりするために使うしな……」

 税が払えない者のためにそれを肩代わりするのは徳行のひとつである。

 結局、今の自分にできることは人心の安定を図ることである。袁遺はそう結論付ける。

 袁遺は、史実の袁伯業について考えた。

 彼は、確かに自分と同じように長安県令の職に就いているが、反董卓連合の時期では、彼は山陽の太守であったはずだ。いや、そもそも一部の人物が女性になっている世界で、史実ではと考えても仕方がない。だが、今、皇帝が身罷れば、間違いなく漢朝は混乱する。となると、反董卓連合と同じようなことが起こると考えても間違いないはずだ。だが、それで気になるのは張既の董卓評である。いや、如何な人物であろうと権力を持つと豹変することもある。

「漢は滅ぼしたくない……」

 何故だろう。漢が滅びる。そのことに心が騒めくことがある。これは自分が覚えていない前世とでもいうべきものが関係しているのか。それとも、自分が袁遺ではあるはずないと初めて思ったときに感じた喪失感から、何かを失うことに臆病になっているのか。

 それは幾度も考えてきたことだったが、一度も答えが出たことがないものであった。

 袁遺にとって今は仕事に忙殺されている方が、精神が安定している状態だった。

 

 

 部隊訓練の基本は行進である。

 号令と共に歩調を合わせて進むことは、兵の意志と自由を奪う。そして、それらを奪われた兵は服従を学ぶ。服従なき軍隊は軍隊ではなく、故に服従を学ぶ行進は基本となりえるのだった。

 袁遺は自分の目で直接、訓練の成果を確かめるために、練兵場まで来ていた。

 雛里からの報告通りに練兵は順調なようで、行進は行進でも兵たちは次の段階に入っていた。

「いいか、草が生い茂ったところを歩くときは足を引っこ抜くように挙げて、足全体で踏みしめるように歩けよ!」

 雷薄が戦場と何ら変わらない大音声で兵たちに歩き方を教えていた。

 今、長安の兵は行軍の速さと持続距離を伸ばす訓練の段階に来ていた。

「調練は順調なようだな」

 袁遺は傍らに控える武官筆頭である張郃に声を掛けた。

「はい、伯業様。他にも、ぬかるんだ道や逆に乾いた道の歩き方も体に叩き込んでいます」

「戦闘を行わないと仮定して、歩くだけなら日にどのくらい進める?」

「六〇里は行けます」

 張郃は答えた。

「落伍兵は、どのくらいになると思う?」

「長期の行軍訓練を行っていないため、一割くらい出ることは覚悟しなければいけません」

「夜間行軍並の脱落者か」

 袁遺の声には苦いものが含まれていた。

 だが、すぐに、それをかき消し、明るい声と表情で張郃に話しかけた。

「だが、訓練計画そのものは順調だ。よくやってくれている。ありがとう」

「恐縮です」

 答えた張郃の声は硬かった。だが、それは遠慮や緊張から生じた物ではなく、彼の真面目さゆえだった。袁遺もそのことは分かっていた。

 彼らの付き合いは長い。

 袁遺からすれば、最初に配下となった官である。一番付き合いの長い仲達は、張郃が部下となったときは、まだ友人という関係であった。

 以前に触れたが、袁遺の最初の官職は、冀州河間郡鄚県の県尉であった。

 これは、警備を司る官の長である。

 袁遺は、上司である県令を口八丁で丸め込み、賊討伐の募兵を出した。

 それに応じたひとりが張郃であった。

 袁遺と張郃は気が合った。

 張郃は、武張った男でありながら、儒学を愛好していた。

 そのため袁遺は、求めに応じ、儒学の講義をしたことがある。

 この時代、儒学にもいろいろあった。

 そのいろいろを書き始めると今文と古文の違いだとか、今文と古文の対立だとか、それぞれの政治との結びつき方だとか、在野の研究家たちによる経典解釈を以っての綜合的、体系的な理解を目指し始めたとか、鄭玄や何休、趙岐、王弼の名前を出して説明して、注釈の話になったんだから、新注と古注の対立に逸れ、13世紀に成立する朱子学の話に移りそうなので詳しく書かないが、新しい動きが後漢末期から晋にかけて起こった。

 張郃は、いわば最先端の儒教の講義を受けたかったのである。

 袁遺は洛陽で学んだことを張郃に懇切丁寧に教えた。

 張郃は袁遺と言う男に不思議な魅力を感じた。

 この名家の出でありながら、決して高いとは言えない地位に就いた男は儒教を講義しているときは冷静で、ともすれば怜悧な顔からは信じられないほど優しげでさえあった。

 だが、賊との戦いの場での彼は全く違った。

 当時の彼は若い名家の坊ちゃんと侮り、信じない兵たちを率いて賊と戦わなければいけなかったから、統率方法は現在と違った。袁遺は常に兵より十歩先で剣を振り上げ戦わなければいけなかった。その上、戦っている最中、一度も後ろを振り向かず、兵がついて来ていることを疑うそぶりを一切見せなかった。

 その分かりやすい勇者的な行動によって度胸を見せて兵を従わせる方法は、ただのボンボンには決してできることではなかった。

 その後、張郃は袁遺に県尉としての忠誠を超え、袁遺個人に忠誠を誓うようになった。

 袁遺からすれば、乱世における体制の不信感からくる軍閥化への階であったため、決して喜ばしいことではなかったが、張郃ほどの武勇と自分の戦術思想を深く理解している指揮官がいることの有用性に折れ、彼を部曲とした。

 張郃は、ふと思った。

 思えば、あの頃からこの人は……

「どうした、張郃?」

 張郃は袁遺に声を掛けられ、過去との邂逅の世界から引き戻された。

「いえ、ただ、昔とあまり変わっていないな、と思いまして」

「うん……まあ、そうだな。昔から私の軍事行動は急場しのぎに兵を調練してばかりだ。兵に反抗されないよう、行進訓練ばかりしてきたな」

「そうではありません。あなたが昔と変わってない、と思ったのです」

 張郃は否定した。彼には袁遺に対して批評的な意見を言うつもりなどはなかった。

「あなたと初めて会ったとき、あなたは県尉でした」

「うん、そうだったな」

「そして、あなたは先の黄巾の乱で威力偵察部隊を率いる軍候でした」

「そうだ」

「あなたは、軍候となったときに、すぐに軍候と成りました」

「ああ、そういうことか。まあ、そうだな」

 つまり、袁遺は軍候という地位に就いた瞬間から完璧に軍候として機能し始めたのだった。

 普通ならば、環境が変わることに人は戸惑うが、袁遺にはそれがなかった。

 県尉のときもそうであった。

 今まで兵を率いたことがなかった名家の者が、いきなり県尉になれば、例えば部下との距離の置き方、付き合い方に戸惑うはずだが、その素振りを一切見せず、兵を率い、束ね、駆り立てた。

 後もそうである。

 彼は何の戸惑いもなく威力偵察部隊の将校になり、同じ様に別働隊を率いる指揮官となり、今も長安の県令になっている。

 袁遺の地位は変わり、求められるものも変わってくる。それでも彼の本質は何も変わらずにいた。

「私など、大きくなる責任に震える思いです」

「ははははは、何を言ってるんだ。漢の将軍にしろ、くらいのことは言ってくれてもいいんだぞ」

「とんでもない。そんな恐れ多いこと……」

「いや、たとえ、将軍になったとしてもやることは変わらないかもしれないぞ。急場しのぎに兵を訓練するために、ひよっこ共を怒鳴りつけて歩かせているんだ」

 袁遺は笑みを浮かべた。それは常日頃の無機質さを打ち消すほどの明るさがあった。

「そうかもしれません」

 張郃も笑顔で応じた。

 本当にそうかもしれない。この人の本質はそう簡単に変わりそうにないから。

「まあ、なんだ。これからも頼むぞ」

 袁遺は、そう言った。

「はい、伯業様」

 張郃は礼を取った。

 

 

「では、説明してくれ」

 袁遺は、雛里と仲達に向けて言った。

 彼らは袁遺に命じられた訓練計画を作り、それが彼らの主の目に適うかどうか確かめるのだった。

「は、はい。まず、何人かの候補を選びます。これは、実際に訓練を指揮した四人に推薦してもらいます」

 雛里が、やや緊張した面持ちと声で言う。

 雛里と仲達、このふたりの上下関係はかなり複雑なものになっていた。

 一応、雛里が袁遺の筆頭軍師になっている。これは仲達自身が袁遺に進言したことであった。

 曰く、黄巾の乱で手柄を挙げた彼女を筆頭軍師とする方が将兵に示しが付く、ということであった。道理ではある。袁遺はその進言に従った。

 だが、官位で言えば仲達の方が高い官位になっている。

 仲達は、この長安の県尉である。

 これは軍権を子飼の部下に握らせたい袁遺が仲達を県尉に就けるよう働きかけたからだ。

 それは別段の苦労もなく達成された。

 そもそも、この時代で官職を得るうえで重要な名士による人物評で仲達は、『聡明誠実、剛毅果断の大物』、『非常の器』と幾人もの人物に絶賛されている。なのに、今までどこにも仕官しなかった仲達がその重い腰を上げたのである。

 この仲達推挙の動きに多くの人が協力した。

 それだけ、彼は期待されていたのである。

 そのため、行き過ぎて彼をどこかの太守に、などというところまで発展したが、仲達が、これは袁遺との忠義の問題であると、この時代の美徳を持ちだして、袁遺の部下に収まった。

 だが、雛里としては難しい立場である。

 そもそも仲達は、黄巾の乱の折、洛陽で別の仕事を袁遺に命ぜられ動いていた。だから、戦場で手柄を挙げるのは不可能であるし、何より彼は袁遺と付き合いが長い。新参である雛里は、その引っ込み思案な性格と相まって、始めは、この官職が自分より高い同僚兼部下に色々と気を使い、緊張していたが、仲達はそういうことを気にせず、雛里を立てる態度を取っていた。また、その品と落ち着きがある物腰と言動で、雛里としても徐々に彼に接することに慣れていった。

「そして、候補の人に、二〇人の部隊を率いてもらい行軍。目的地で、同じく行軍してきた他の候補者の部隊と模擬戦をしてもらいます」

「なるほど、いい考えだ」

 行軍という行動には指揮官の要領というものが出る。腕の振り、足を上げる高さ。それらを何でも規範通りにすれば、疲労は大きなものになる。だからといって、ダラダラ歩けば、決められた時間までに目的地に着くことができない。手を抜けるところは手を抜く。つまり、要領良くやらなければいけないのである。それは目的地で模擬戦が控えているとなれば、なおさら疲労を抑える必要がある。

「何度かそれを繰り返し、能力を見極めた後で、上官が戦死し、自分に指揮権が譲渡された、という想定の訓練をさせます」

 前線では流れ矢で指揮官が突然、戦死する、といったことは珍しくない。むしろ、日常である。であるなら、これは言うまでもなく有効な訓練であった。

「鳳統、司馬懿。指揮権を下に移譲させ、任務を継続させるために必要な教育はなんだ?」

 袁遺が無表情で言う。

 仲達が雛里を横目で見ると、雛里は微かに頷いた。仲達が答えてもいいらしい。

「思考停止や無批評な前動続行をなくすため。上官が明らかに欠陥がある命令を下したとき、それを意見具申という形で糺さないことを利敵行為であるとして、処罰を行う。それを徹底することにより、考えさせることと意見を言わせることに慣れさせる必要があります」

 その答えに袁遺は満足そうに頷いた。

「では、こちらを」

 仲達は袁遺に書簡を差し出す。

 それには具体的な訓練の予定が書かれていた。

 それは、ありきたりな軍事的儀式ではなく実戦的なものだった。才能あふれる軍略家であるふたりは、決まりきった想定を繰り返すだけでは将兵の気力を削ぐだけであることを肌感覚で理解していた。そのため、内容は指揮所演習から部隊を実働させる野外演習まで多様な状況が想定されていた。

 それに目を通し、袁遺は言った。

「各階級指揮官の選抜と自立性を高める訓練。うん、よく練られている。これを四人の将に指示し、実行に移してくれ」

 袁遺のその言葉に雛里は顔をほころばせた。

 そして、気付かれないように隣の司馬懿の顔も見る。

 彼の表情は変わらず、穏やかで品のあるものだった。

 司馬懿と仕事をし、彼女は彼が皆に好かれていない理由、その一端を見た気がした。

 彼の心の内が全く読めないのである。

 雛里は、その聡明さと臆病さで人の機微には敏感な方であるし、行動をある程度予測できる。それは軍師に求められる能力でもある。

 だが、司馬懿は違った。この男は、その穏やかさや品位で心を分厚く覆っているようで、何を考えているか、全く分からないのである。そして、逆に司馬懿は雛里の心の機微を見通した様な細かな気遣いをよく見せていた。

 それは好き嫌いの問題ではなく、恐怖であった。

「これからは、私も訓練に顔を出す日を増やすことにするよ。模擬戦などは総大将が督戦した方が功名心のある者は張り切るだろうから」

 その言葉に雛里は、この人はそれで休む時間を取っているのか心配になった。

「あ、あの、伯業様。最近、お休みを取られましたか? 長安に着任してから、朝から夜まで働きづめに見えますが……」

 心配、そう思うと言葉はいつの間にか口から出ていた。

「う、うん。大丈夫だ。母方の従姉を呼ぶことにしたんだ。これで少しは余裕ができる」

 その声には、まるで子供をあやす響きがあった。雛里はそれに意味の分からない胸の痛みを感じたが、主が少しでも休めるならと安堵した。

「母方の、ということは何熙の係累ですか?」

 仲達が尋ねる。

 他人の家の親戚関係まで、よく覚えているな。そこまでいくと感心するよ、と袁遺は思いながら、肯定する。

「そうだ。曾孫にあたる」

 何熙は安帝の治世で車騎将軍までのぼった人物である。安帝は現在皇帝の劉宏(霊帝)の六代前(六十年で六人の皇帝が即位している)の皇帝である。

「俺の母の姉妹が何家に嫁入りしている。彼女の父方の従兄が党錮されていたためか、解かれた現在でも官職につけていないが、優秀だ。ただ……」

「ただ?」

「ひどく融通が利かない」

 そう言った袁遺の顔は無表情であるため、言葉に込められている感情が読み取りにくい。

「一度、郷里で会ったことあるが、余裕がない、とでも言えばいいか。まあ、危うい性格だな」

 そう言う袁遺だが、内心では、自分も人のことを言えるような性格でもないけどな、などと自虐的な考えを巡らせていた。

「ともかく、文官の人手は目途が立った。問題は軍の方だ。四人の将に少なくとも八〇〇の兵をそれぞれに率いてもらいたいと考えている」

「……その数の根拠は?」

 司馬懿が尋ねる。彼には、最低八〇〇という理由が分からなかった。

「兵理ではない」

 袁遺が答える。

「むしろ、幼稚な理由かもしれない」

 その言葉と裏腹に袁遺の顔は恥じてはいなかった。

「八〇〇名前後の部隊(後代の言葉で言うなら大隊)を指揮することは野戦指揮官にとって、これ以上ないくらい楽しいことだ。独自性の高い指揮権を有し、かつ、兵が駒や数字の様な抽象的に感じられるわけではない。自身も戦場にあることを感じつつ、指揮を振るうことができる自立性の高い役職だ。彼らは黄巾党との戦いで手柄を挙げた。それに対して、金子などは与えたが、彼らの指揮官としての部分にも何か与える必要がある。つまり、これがそれということだ」

 それは袁遺の欠点からくるものであった。

 彼は他人から吝嗇だと思われることを必要以上に嫌う。

 雛里に対する莫大な支度金の件もその欠点からくるものであった。

 袁遺に経済観念がないわけではない。むしろ、時代的に見れば異常に発達した男である。また、マキアヴェッリの言葉を引用して見せたことからも『君主論』の一節を知らないわけでもない。

 それでも抑えられない悪癖であった。

「黄巾党からの降伏兵で数を膨らませただけではない。正規に訓練された兵を率いさせる。君たちふたりは、それに集中してくれ」

「は、はい」

「はい」

 袁遺の言葉に軍師ふたりが返す。

 

 

 夜、袁遺は雛里に自分が知っている軍略の知識などを教えていた。

「こうして、完全包囲下に置かれ、逃げることもできずに殲滅されることとなった」

 今日は実際に起こった戦いを机上に駒などを使い再現していた。

 紙に書かれた地形では、ふたつの陣営の内、ひとつが敵に包囲されていた。包囲している方の陣営は別働隊の騎兵が敵後方を攻撃している。

 史上最も有名な包囲殲滅戦であるカンネーの戦いであった。

 雛里はカルタゴの名将ハンニバルの手腕が再現された机上を食い入るように見つめていた。

「もちろん、これは理想的すぎる。大将が長い連戦の中で将兵を徹底的に教育し、全軍が完全にひとつの意志のもと統一された状態であった結果で、この極彩色の成功に魅せられて、失敗した例の方が多い。例えば……」

 袁遺は駒を別の形に並べなおす。

「こちらの軍は包囲殲滅を企み、右翼、中央、左翼に騎兵部隊を展開するが、敵は各部隊が独立した形で攻撃してきた。これは敵が複数の部族の連合軍であったためだ」

 机上では駒たちが無秩序な戦闘を行っていた。右翼と左翼は敵を包囲するどころか、それぞれ自部隊より多い敵の攻撃にさらされている。

「結果、この軍は全軍の三分の二を失う敗北を喫した。この手の包囲殲滅戦に失敗した場合、大抵、壊滅的な被害を受けることになる」

 袁遺が説明したのは、カンネーの戦いの約六〇〇年後に起きたハドリアノポリスの戦いであった。

「これらは大秦(ローマ)(後漢書にはローマについての記述がある)の戦だ」

 ただし、ハドリアノポリスの戦いはこれから一八〇年後のことである。

「どう思う、雛里?」

「そうですね……包囲もそうですが、騎兵の後方機動が戦いの帰趨を決したと思います」

「なるほど」

 袁遺は再びカンネーの戦いの最終局面を配置する。

「確かに、包囲された方は、包囲と騎兵の後方からの攻撃で組織的な抵抗ができない混乱状態であったとも考えられる」

「はい、包囲した方は少数ですので、包囲網を突破されれば、逆に包囲されていた可能性もあります」

「そう。結局、数が多い方が有利であることは疑いないことだ。それでも数が少ない方が勝つこともある。だから、我々は兵站も含めた部隊の運用について心を配るべきなのだ」

 雛里は袁遺にとって良い生徒であった。能力的に袁遺を超える部分を多く持つ雛里であるが、彼女は謙虚に、そして貪欲に袁遺の持つ知識を吸収していった。

「あ、あの……司馬懿さんには、このことは言わないのですか?」

 人の良い雛里は、ふたりいる軍師の内、自分だけが主人の知識を独占していることに後ろめたさを感じていた。

「大丈夫だよ。あいつには、昔、話したことがあるから」

 袁遺は、その無表情から出ているとは思えない優しい声で言った。

「それに、俺とあいつがこういった話をすると、話題が別の方向に行ってしまうんだ」

「別の方向?」

「例えば、高祖の功臣と光武帝の功臣どちらが上か、とか。始皇帝と光武帝のどちらが偉大か、とか。いつの間にかそんな話になっているんだ」

 ちなみに、光武帝の功臣の方が上で。始皇帝と光武帝は答えが出ず。ただし、劉邦は、そのふたりより上、という結論を彼らは出していた。

「あまり建設的な話じゃないな」

 袁遺の顔に自虐的な微笑が浮かんだ。

「そ、その……司馬懿さんとは、どのような話をされていたのですか?」

 雛里が言う。

 最近、彼女との会話もこういった風に脱線するようになってきたな。袁遺はそう思いながら答えた。悪い気はしなかったからだ。

「そうだね。過去の皇帝や名将の比較。互いの故郷の話。後、俺の儒教に対する考えとか。ああ、そうだ。一度、職にも就いていないくせに嫁をもらったことをからかったが、逆に結婚していない俺がからかわれたこともあったな」

 袁遺は懐かしそうに、そして、どこか嬉しそうに話す。余談になるが、この時代、結婚していない男は半人前扱いされていた。

 雛里は、こうして袁遺のことを聞きたがった。

「雛里、諸葛先生とは、どんな話をしていたんだい?」

 逆に、袁遺は雛里のことを聞いた。袁遺のことを話したら、雛里のことを話す。そんな約束事が自然とできていた。

「朱里ちゃんとは水鏡先生に教えていただいたことをふたりでおさらいしたり、大陸の危機的な状況にわたしたちが学んだことをどのように活かせるか、とか……あわわ、ど、どうかしましたか、伯業様?」

 雛里は自分の言葉に主が微妙な顔をしていることに気付いた。

「あ、ああ、すまない。その、君たちが、真面目に国の行く末を考えている中で、俺たちは過去の偉人を捻た視点で眺めていただけのことを恥じていた」

 袁遺と司馬懿は、良家の子息である。ノブレス・オブリージュというわけではないが……

「こんな小さな子供たちが、しっかりしているのに、俺たちは何やっていたんだかって思ってしまうな……」

「あわわ、そんなことはありません。伯業様はしっかりされた方です。あと、わたしは子供ではありません」

「ああ、すまない。口に出していたか」

「は、伯業様!」

 雛里は自分が揶揄われいることに気が付いた。ただ、それほど嫌な感じはしなかった。どころか、そういった柔らかな態度を取られることが嬉しかった。公私の公の部分の主は、悲壮と思えるほどに様々なものを背負い過ぎていた。

 だが、この会話も袁遺にとっては公の延長であることに雛里は気付いていた。

 自分の主は、あまり感情を表に出すことがない。だが、兵や文官に接するとき、彼は温顔を作ることに努めていた。自分の無表情が他人に冷たさを感じさせることを知る袁遺は、忠告、諫言を得るため、進言しやすい状態を作っているのだ。袁遺からすれば『貞観政要』の実践であった。雛里は『貞観政要』を知らなかったが(当然である。唐代に編纂されたものだ)、それでも主の意図は分かっていた。これも引っ込み思案な雛里が進言しやすい状態を作っていることが目的であった。

 そのため、彼が本当に自然な笑顔を浮かべることは少ない。

 そのことが雛里の胸に痛みを走らせる。

「ああ、諸葛先生といえば、彼女は劉備という人物に無事仕えられたようで、劉備は黄巾党討伐の折の活躍で現在、平原の相の役職に就いているらしい」

「は、はい。そのことは、わたしも聞いています」

 雛里は嬉しそうな表情を浮かべた。

 袁遺はそんな彼女の様子に目を細めた。

「もうひとつ、騎兵の使い方についての戦術を話しておこう。仲達が最も興味を示した戦術でね。これは騎兵の使い方と伏兵の置き方が重要な要素で……」

 そう言って、袁遺は卓上に新たな盤面を作り始める。

 曹操の騎兵運用と諸葛亮の陣形から着想を得た唐代の名将の戦術が駒によって再現される。

 彼らふたりはその後、夜遅くまで戦術について語り合った。

 

 

 彼女がその胸の痛みの正体に気付くまでもう少し時間が必要であった。

 




補足

・荀子
 この時代の儒教では荀子どころか孟子も経典と見做されていなかった。
 だが、両者ともに漢代の儒者たちに大きな影響を与え、名声を得ていたため、袁遺が荀子の名前を出しても問題はない。

・この時代、儒学にもいろいろあった
 本文に出てきた言葉を簡単に説明します。
 今文とは、漢になって儒教を復活させようしたとき、その書物は始皇帝の焚書坑儒により焼かれたため、経典を暗記していた学者たちに書かせたテキストである。対して、古文は孔子の旧居の壁などから出てきたとされる秦代以前のテキスト(ただし、古文の素性を巡って議論がされていて、割と妖しい書物扱いされることもある)である。内容や字体などが違う。特に後世でもいろいろ影響力がある『周礼』や関羽や呂蒙が愛読していたとされる『春秋左氏伝』は古文にしか見られない。
 古文派の学者は王莽と結びつき、彼の簒奪に協力した。対して、今文は前漢の武帝の御代に一種の御用学問と機能した。その後、讖緯(予言の一種)と結びつき、後漢でも今文派が優勢であった。
 ただ、後漢末期、鄭玄らが古今の垣根を超え、讖緯を含めて広く研究し、『春秋』と『孟子』以外の経典に注釈を入れる。
 このとき入れられた注釈を古注と言い。主に13世紀の宋の時代に入れられた注釈を新注と言う。
 この新注の動きから朱子学が成立していくのだが、それを詳しく書くと、孟子の評価がどうだの、新学、蜀学、道学がどうだの、唐から宋の政治変化、思想と宗教の変化を五代十国時代を通して書かなければいけないので、詳しく知りたい人はネットなり本なりで調べてください。

・『君主論』の一節を知らないわけでもない
 君主たる者、ケチだという評判を恐れてはならない。何故なら、それは金庫を空っぽにするわけでもなく、略奪者にもならずに、統治者を続けていける悪徳だからだ。

・カンネーの戦い
 史上最も有名な包囲殲滅戦。
 ハンニバルは強いね。金融志向だし、カリスマ志向だし、小屋経済のコイン増えるし……はい、civ4が出てきたので懐かしくてやってみたら、ハマってしまいました。だいぶ下手になっていて驚いた。貴族すらやっとでクリアしたぞ。

・始皇帝と光武帝は答えが出ず。ただし、劉邦は、そのふたりより上
 私の偏見と独断です。
 個人的能力より彼のやったことが、中華と後の歴史にどう影響したかという点を重視しています。ですので、人格、能力は光武帝が一番だろう、という人でも荒らしたりしないでください。

・曹操の騎兵運用と諸葛亮の陣形から着想を得た唐代の名将の戦術が駒によって再現される
 やばい奴がやばい戦術をラーニングしやがった。初見殺しのうえに騎馬民族が涙目になってしまう。

・『貞観政要』の実践であった
 名君とされる唐の太宗こと李世民は顔が怖かったため、進言する百官たちが圧倒されないように、必ず温顔で接して臣下の意見を聞いたとされる。
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