異・英雄記   作:うな串

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4 その日1

 

 

「ほぉ……」

 袁遺は目の前で行われている模擬戦闘の光景に感心したような声を上げた。

 彼はふたりの軍師に宣言したように訓練に顔を出す頻度を増やし、模擬戦闘においては必ず督戦していた。

 今、戦っているふたつの小隊規模の部隊は対照的だった。その原因は指揮官の違いからくるものであった。

 片方の部隊は指揮官の大音声の号令によって、整然たる横隊を組んで前進していた。軍記物から飛び出してきたような精悍さを持っている。

 だが、袁遺が感心したのは、この部隊ではないもうひとつの部隊であった。

 物語の部隊と戦っていた部隊は、悪い言い方をするなら、夜盗の様な部隊であった。

 部隊全員が森や丘の陰に身を隠しながら進んだ。

 そして、相手の側背をついた瞬間に弓兵たちに攻撃を命じた。といっても、訓練なので本当に打つわけではなく、真似事である。その効果については雛里と仲達の軍師陣と実戦部隊の隊長四人が判定する。

 それと同時に小隊指揮官は自身を先頭に突撃を実施した。

 仲達はそれを確認すると大声を上げた。

「そこまで! 一の組みは側背をつかれ、潰走したと見做す!」

 その判定に負けたとされた指揮官は若干不服そうな表情を浮かべていた。

 袁遺は、その気持ちが分からなくもなかった。

 負けた側の指揮官は決して無能ではなく、少し杓子定規なところがあるがむしろ有能な側の人間であった。でなければ、袁遺という実際的な人間に仕えている将たちの眼鏡に適い指揮官に選ばれない。

 今まで散々、述べてきたことだが、この時代の原則として部隊の隊列を最後まで維持している側に勝利が訪れる。

 なので、この模擬戦の勝った側がとったような身を隠し続ける行動は兵を分散させる恐れがあるため、大軍では採用できない邪道な戦術と言えた。

「鳳統、今の部隊運用について、どう思う?」

 袁遺は傍らの雛里に尋ねた。

「は、はい。数の少ない部隊の運用法で大軍では採用できませんが、身を隠し、相手の側背をつく行動は見事なものだったと思います」

「司馬懿、君はどうだ?」

「私も彼女と同意見です」

 つまり、ここにいる三人が同じ評価を下したことになる。

「勝った方の指揮官にいくつか質問したい。兵をまとめたら、私のところに来るように言ってくれ」

 袁遺は仲達にそう命じた。

 仲達が伝令を出すのを見ながら、袁遺は指揮官について考える。

 袁遺の頭の中には、雛里と仲達が選出した指揮官候補者たちの名前と顔、大まかな経歴が暗記されている。特に、今呼んだ者は最も印象強い人物であった。

 史実に名を残した人物であったからだ。だが、袁遺はいきなり指揮官に抜擢するような真似はしなかった。何故なら、能力があるなら訓練を任せている六人のうち誰かが拾い上げるからだった。正式な官職ではないため、この時代特有の儒教的な煩わしさはない。抜擢する六人が袁遺という男の面倒くさいまでの実際的な部分を理解しているため、彼らがそれに囚われることもない。たとえ、その人物が異民族の出身であってもだ。

 命令通りにやって来た指揮官は小柄な少女だった。肌は日に焼けており浅黒く、髪型は耳が完全に見え、額が前髪で隠れないほどに短い。目には獣を思わせる野生的な光を宿していた。ただ、顔の作り自体は悪くなく、それを構成するパーツは全体的に小ぶりで年相応の幼さを感じさせ、ある種の愛嬌となっていた。

 彼女は袁遺と軍師ふたりに礼を取り、口を開いた。

「王子均。拝謁します」

 その声は高く、少女らしいものだった。

 王子均。子均は字で、名は平。つまりは三国志において魏からの降将で蜀軍後期の数少ない名将である王平だった。

「うん、いくつか質問したいことがあるのだが、いいかな?」

 袁遺は柔らかな声で言った。

「はい、何でしょうか、県令様」

 王平は素直に答えたが、目には警戒の色が見てとれた。

 彼女の大まかな経歴も袁遺の頭の中に入っている。

 彼女は巴郡(蜀の東で漢中の南)の蛮族のひとつである板循蛮の出身だった。そのため差別含め色々な苦労があったのだろう、と袁遺は予想していた。

「君は最近、長安に来て、兵の募集に応募して軍に入ったそうだが、どうして応募したんだ?」

「漢中の師君(張魯のこと)のところにいたのですが、合わなくて、色々旅をしていたのですが、路銀がなくなって、軍に入れば食うのだけは困らないから、応募しました」

 今までのことを思い出すように王平は言った。

「……軍での生活はどうだ? 食事は? 訓練はきついか?」

「飯は腹一杯食えて満足してます。訓練はそれほど……旅をしている頃に散々歩き回りましたから、きつくはないです」

 そうか、それは良かった。袁遺は、そう言って少し黙り、聞きたかったことの質問に移った。

「先ほどの模擬戦は見事だった。だが戦場では命令を伝達するためには軍鼓や銅鑼に頼らなければいけない。しかし、戦場では騒音があふれているため、君のとった手段は大軍では採用できないが、その点はどう思う?」

「それは……」

 王平はバツの悪そうな顔で答えた。

「少ない数での訓練でしたので、その、もっと人数が多くなれば、別のやり方にします……」

 王平は怒られると思いながら答えたが、袁遺にとってそれは彼が求めていた答えだった。つまりは各階級指揮官の自立性、それに他ならなかった。

「分かった。模擬戦、本当に見事だった。ところで、君は、自分の率いた二十人、全て覚えているか?」

 袁遺の質問に王平は、はい、覚えています、と答えた。袁遺は、その答えに満足そうに頷き続けた。

「後で、褒美として金子を渡すから、君が彼らに分け与えたまえ」

 王平は、それに恐縮そうに、だが同時に嬉しそうにも頭を下げ、自分部隊に戻っていった。

 袁遺は雛里と仲達に、王平は四人の将の誰の下につけるのがいいか尋ねた。

 ふたりは張郃の名前を挙げた。

 袁遺は、適任だな、と答え、その手続きを含めた書類仕事をするために庁舎に向かった。

 袁遺の仕事量は増加の一途を辿っていた。

 軍の訓練が本格化したことにより、処理すべき案件は増え、足踏みというものを嫌う袁遺は他では考えられない早さでそれらを処理している。だが、限度と言うものがある。早晩、処理速度は落ちるだろう。

 袁遺は庁舎に着くと水を浴び、戦袍から普段の服に着替え、職務に戻った。

 そして、県令室で問題を解決する調べを聞いたのであった。

「何夔と申す者だ! 県令殿からの招きで参った! 県令殿はどちらに!?」

 庁舎の入り口から県令の部屋まで聞こえるほど大きな声だが、凛とした響きがあった。

 彼の従妹がやってきたのである。

 袁遺は、すぐにこちらに通すように命令する。

 現れた従妹は、束ねられている長い黒髪には乱れもなく、着ている服も同様だった。袁遺の面影が見える目は、常に相手に真っ直ぐ向けられている。

 姓を何、名は夔。字は叔龍。史実では、曹操の臣下として頭角を現し、いくつかの太守を歴任し、魏帝国成立後には列侯に封じられた。袁遺とは母方の従妹にあたる。

「久しぶりだな、叔龍」

「はい、伯業殿。遅くなりましたが、長安県令就任、おめでとうございます」

 キレのいい発音である。彼女の性格がそのままでた声であった。

「ありがとう。それで、長安で文官として働いてくれるということでいいんだな?」

「はい、足りぬことの多い身でありますが、粉骨砕身の覚悟で務めさせていただきます」

「うん。長旅で疲れたであろう。部屋は用意させてあるから、今日はそのまま休んでくれてかまわない」

「いえ、このまま仕事をさせて頂きます」

 その言葉は袁遺には予想の範囲内だった。長旅をしてきた割には髪も服も乱れていない。

「では、当分は専売品の監察を担当してもらう。それについての書簡を渡すから、読み、疑問点をまとめてくれ。その後、私が質問に答える」

 そう言って、袁遺が書簡をまとめていると廊下から人が走る足音が聞こえてきた。

「伯業様!」

 足音の主の司馬懿が部屋に飛び込んできた。

 その顔はいつもの温和さがなく、硬い表情であった。長い付き合いの袁遺でさえ見たことがない表情であった。

「どうした、仲達?」

 司馬懿は息を整え、唾を飲み込んだ後に口を開いた。

「……皇帝陛下が崩御なされました」

「ッッ」

 袁遺と何夔が、その言葉を聞き、同時に目を見開いた。

「……ふーー」

 袁遺は一度、息を吐き、心を落ち着かせる。

「司馬懿。鳳統と張既、それに四人の将を集めてくれ。このことを発表し、長安で起こりうる混乱について話しておきたい」

「はい」

 司馬懿が部屋を出ていく。

 袁遺は何夔に向き合い、

「着任早々、大変なことになったな」

 と言った。

 だが、まだ衝撃覚めやらない何夔からの返事はなかった。袁遺にしてはどうでもいいことだった。彼も心に恐ろしい衝撃が来なかったわけではなかった。

 これから数か月、ありとあらゆることが急激に動き出した。

 

 

 まず最初に長安に訪れた影響は、ある軍勢の出現であった。

「宿を貸せ、だと」

 それは雨の日であった。

 見張りの兵が西から軍隊がやって来た、と報告してきたのだ。長安にやにわに緊張が走る。

 高覧が七〇〇の兵を率いて威力偵察に向かい。袁遺はそのうちに手勢を整えた。

 だが、高覧からの報告によれば、それは敵意ある部隊ではなかった。

 それは涼州から洛陽を目指している三〇〇〇の部隊で、率いている人物は董卓であった。

 彼女たちは、この雨であり日も落ちそうなので、長安で一泊させて欲しい、と言ってきたのである。

 袁遺は、一瞬、道を貸したら草を枯らされる、かな、などと面白くもない冗談を考えた。

 彼は董卓の軍勢を長安に入れるつもりであった。三国志演義を知っている人なら正気の沙汰とは思えない行動であったが、袁遺はかつて張既が語った董卓評を確認したかった。それに呂布や劉備を入れるよりマシだろう、なんて莫迦なことも考えていた。

「張既」

 董卓の名前を聞いた袁遺は、彼女と唯一面識がある部下の名前を呼んだ。

「はい」

 福々しい恵比須顔の男が答え、一歩前へと出る。

「君は私に侍り、今から会う人物が董卓本人か確かめてくれ」

「伯業様、それでは!?」

 その言葉を聞いて雛里が叫ぶ。

「うん、董卓軍を受け入れる。司馬懿、何夔、準備を整えろ。最悪、備蓄してある糧秣を出してもかまわない。ただし、油断はするな。私と張既は高覧に合流し、董卓と面会するが、何か怪しいそぶりを見せれば、すぐ、長安に引き返す。万が一に、我々が戻れぬと判断した場合、城門を閉じろ。その後は、鳳統が県令を代行し、街を守れ」

「はい」

「じゃあ、行こう」

 袁遺と張既は馬に乗り、先発している高覧隊との合流を図った。

 袁伯業は名家の生まれである。三白眼ではあるが整った容姿を持ち、文才を絶賛され、黄巾党討伐において軍才があることも示した。官職にも就いている。そんな男であっても劣等感を感じるときがあった。それが馬に乗るときである。

 はっきり言えば、袁遺は乗馬が下手であった。どんな名馬であろうと彼が乗れば、それは駄馬に見えた。名将が颯爽と名馬を乗りこなす、その理想像に真っ向から歯向かっていた。

 厳密に言うのなら、全く乗れないことはない。普通に乗るなら問題はないのだ。ただ、駆けさせるとなると、彼は馬に鞭をくれてやるしか、速く走る方法を知らなかった。故に、今もたいした速度を出していない。

 高覧隊と合流すると手綱を引き、馬を止める。

 張既が颯爽と降りる横で、袁遺は馬を上手く止められず、張既の馬を二馬身前通り過ぎてから止まった。袁遺は慎重に降りる。転げ落ちる様な無様を部下の前で見せるわけにはいかなかったからだ。

「伯業様、あちらです」

 高覧が袁遺と張既を案内する。

 その面持ちには緊張があった。彼は、董卓が主を害するようなら、命に代えても、城まで帰す覚悟でいた。

 騎兵に守られるように軒車(この時代の貴人の馬車)が一台あった。

「長安令・袁遺、拝謁願います」

 袁遺は礼を取る。

 それに反応するように軒車から女性がふたり降りてくる。

 ひとりは眼鏡をかけ、こちらを睨むように見る少女。

 もうひとりは、儚げで品があり、男なら守ってやりたい、と自然に思わせる雰囲気を持った少女であった。張既の話を聞く限り、こちらが董卓か。袁遺はあたりを付ける。

 そのあたりを付けられた少女が口を開いた。

「私は涼州の董卓。字は仲穎です。私たちは洛陽へと向かう途中ですが、この雨です。雨風を凌ぐため、長安への入場を許可していただけないでしょうか? 長安の人たちに迷惑をかける様なことは致しません」

 そう言って、頭を下げた。

 袁遺はさりげなく、横目で張既を見る。

 張既はそれに気付き、わずかに頷く。どうやら、彼の知る董卓であるようだ。

「分かりました。兵舎と庁舎の一部を開放します。どうぞ、お進みください」

「あ、ありがとうございます」

 その後、涼州の兵たちを兵舎に収容し、食事を与える。後代の言葉でいう将校は庁舎に用意された部屋に泊まることになった。

 食事を終えると董卓と眼鏡をかけた少女がお礼を言いにやって来た。

 袁遺は張既と雛里を呼び、従僕に茶の用意をさせた。

「改めてお礼申し上げます。袁遺さん」

 そう言って董卓が頭を下げる。

「頭を上げてください。そのように何度もお礼を言われるほど大した御もてなしではありません。どうか、お気になさらないでください」

 袁遺は丁寧な態度を取るが、それでも目の前の少女に気を許すことは絶対にしなかった。董卓は当面の敵になるかもしれない人物である。

 ほとんどの事象が袁遺の持つ知識から外れているこの世界で史実通りに行けば、などと考えるのは滑稽かもしれないが、それでも袁紹を盟主とした反董卓連合が起こり、董卓が長安に遷都すれば、長安県令である袁遺は殺されることになる。袁紹の従兄の袁遺を生かす理由は何ひとつない。

 袁遺は彼女を見極めようと探りを入れる。

「董殿、洛陽へは、如何な用で行くのですか?」

 その質問に答えたのは董卓ではなく、傍らに控えていた少女であった。

「機密に関わることよ! たかが県令が出過ぎた真似をしないで!」

 立ち上がり、袁遺を睨みつけながら言う。

「え、詠ちゃん……」

 董卓が立ち上がった少女を押し留めようと小さな声を上げる。

「申し訳ありません。出過ぎた真似をしました。お許しください」

 袁遺は陳謝した。機密と言われれば、どうしようもない。

「い、いえ……こちらこそ申し訳ありません」

 董卓はそう言うが、傍らの少女は、まだ袁遺を許していないようで、表情をより一層厳しくして睨んでいる。

 だからと言って、袁遺は特に気にしない。

 雛里は、ハラハラした様子で成り行きを見守っている。張既は袁遺の顔を見ていた。袁遺はわずかに考えると、その意図を察し、小さく頷く。それを確認し、張既が口を開いた。

「董殿、賈殿。お久しぶりです。覚えておられないかもしれませんが、張既です。以前、涼州では大変お世話になりました」

 場にあった険悪な雰囲気を落ち着かせるような声であった。

「お、覚えています。お久しぶりです」

 董卓は控えめながらも柔らかな笑みを浮かべる。賈駆もまた、纏っていた剣呑な雰囲気が薄れていく。

 この自然と場を和ませる張既の気質は、袁遺にとって有り難いものだった。

 張既は、彼女たちと久闊を叙す様にいくつか言葉を交わしていく。

 袁遺はそれを気付かれないように観察していた。

 董卓は、ゆっくりとした話し方で、声も大きくはない。だが、それは愚鈍な印象を与えず、むしろ、穏やかな品を感じさせた。それに返す言葉には、確かな知性と何より他人を思いやる気持ちが読み取れる。

 賈駆についてもそっけない言葉を返しているが、他人を見下した様な厳つさを感じさせない。

 このふたりは案外似た者同士なのかもしれないな、袁遺はそんなことを考えた。

 張既は袁遺にも話を振ってくる。袁遺と董卓、というより賈駆との間を取り持とうとしていた。

 袁遺はそれを有り難く受け取った。交わす言葉自体は少ないが、先ほどまで両者にあった剣呑さは完全に消え失せていた。

 袁遺はタイミングを測り、言った。

「長々と付き合わせて申し訳ありません。旅の途中、おふたりもお疲れでしょう。部屋を用意してありますので、どうかお休みください。何かありましたら、何なりとお申しつけください」

 会話を切り上げ、彼女たちふたりはそれぞれ用意した部屋へと向かった。

 雨は明け方頃には弱くなり、日が昇る頃には晴れていた。

 袁遺は蔵を開け、備蓄していた糧秣の一部を董卓に渡した。

 彼女は断わろうとしたが、袁遺が半ば強引に持って行かせた。糧秣や水の手当ては兵站云々の前に軍首脳部が行うべき最低限の配慮であり、命を懸けて戦わせる兵たちのことを考えると絶対的な義務である。袁遺はそう言った。董卓はそれに納得し、袁遺に、一宿の恩と重ねて礼を言う。

 部隊の先頭を馬で駆る将(あれがどうやら華雄であるらしい)が見事な手綱さばきで先発すると残りの部隊がそれに続く。

 袁遺はその後ろ姿を見ながら、彼女たちが、どこへ行くのか考えた。

 地獄に行くのだ。

 そのことに僅かに同情したが、今、袁遺にできることは何もなかった。

 この道中、董卓の一行は洛陽から脱出した宦官・張譲の一派と皇帝及びその妹と合流し、都に入ることになる。

 それが彼女たちにとっての地獄の始まりであった。

 ただ、もし彼女たちが地獄で苦しんでいるところに悪魔が来て、手を差し伸べたら、彼女たちはその手を取るのだろうか? たとえその悪魔が如何な条件を突きつけようと。

 

 

5 その日2

 

 

 董卓の部隊が長安を発ってから、しばらくして袁遺の元に一通の書簡が届いた。

 袁遺はそれに目を通すと、首脳陣を集めた。

「君たちも少しくらいは耳にしていると思うが、現在の洛陽および漢王朝の状況をまず説明しておきたい。司馬懿」

 袁遺の言葉を受けて、司馬懿が口を開いた。

「陛下が御隠れになられた後、十常侍と大将軍何進とで権力闘争が勃発。何大将軍とその妹で先帝の后であった何皇后は自身の娘である皇太女を即位させます。しかし、十常侍側が大将軍を暗殺し、何皇后を追放した後、暗殺。十常侍が権力闘争に勝利したかに見えましたが、何進の部下であった袁紹が十常侍を急襲し、数名を排除することに成功しましたが、筆頭である張譲が即位した皇帝と妹君を擁し城外に逃れ、予め呼んでおいた董卓軍と合流、洛陽へ入城後、政治の主導権を握っています」

 とんだ機密だったな、と袁遺は嘲りの言葉を胸中で吐き捨てた。

 司馬懿は説明を続ける。

「その後、董卓は何進の軍を吸収し、都で最大の軍事力を擁しています。さらに三公の一つ司空に就きました。これを面白く思っていない袁紹が反董卓勢力を結成しようと動き回っています」

「それについて、都の叔父上から書簡が届いた。私に洛陽へと来て欲しいそうだ」

 袁遺が皆に書簡を見せる。

「そりゃあ、伯業様に袁紹の企みに加われということですか?」

 雷薄が尋ねた。

「いや、叔父上の考えは、はっきりとは分からんが、そこまで短絡的な思考をなさる方ではない」

「反董卓連合を結成するにしても大義名分がなければ諸侯は集まりません。袁紹さんは、そのあたりをどう考えているのですか?」

 今度、尋ねたのは雛里であった。

「彼女たちは董卓が都で皇帝を蔑ろにし、悪政を布いている、ということにするようだ」

「……実際、董卓さんはどのような政治を行っているんですか?」

「汚職した官を取り除き、子飼の部下を高い地位に就けることはせず、広く人材を求め善政を布いてはいるが、上手くいっていない。というのも名士たちが董卓にあまり協力的ではない」

「何故?」

「名士……儒家たちは、漢の影響が薄く騎馬民族の風土が強い涼州出身の董卓に儒教的な教養が足りない、と考えている。それに朝廷内では、いまだ宦官が強い力を持っている」

「どうして?」

 宦官など真っ先に処されていてもおかしくないはずであった。

「朝廷……というより、後宮内での宦官は魔物だ。あれを処理するには激情に任せるか、用意周到にやらねば、なかなか骨が折れる。十常侍で言えば、張譲、封諝、段珪が生き残っている。協力をしない名士、暗躍する宦官、嫉妬する諸侯、乱世を期待する奸雄。あらゆるものが真綿となり、董卓の首を絞めている途中だな」

 袁遺が不快そうに鼻を鳴らす。

 だが、すぐに神妙な面持ちになった。言葉もなく、皆の顔を眺める。そして、小さく息を吐いた後、意を決したように口を開く。

「雛里と仲達には以前、話したが、もう一度言う。俺は乱世を望んだことはない。例え乱がおきても中原で鹿を逐う様な真似はするつもりもなければ、王莽の次に名を残そうとは思わない」

 雛里にとっては黄巾党討伐の軍旅の途中で、仲達にとっては袁遺に仕えるきっかけとなった言葉であった。

「そして、誰かに漢王朝を滅ぼさせるような真似もするつもりはない。俺の従妹である袁紹が反董卓連合なるものを起こし、董卓と洛陽を奪い合えば、都を荒廃させる。そうなれば、漢王朝の影響力はさらに落ちることになる」

 袁遺の表情に怒りの感情が宿る。

「そのため、俺は董卓をというより、漢朝を守るために動く。これに反対なら、俺の元を去ってくれてかまわない。朱光禄大夫(朱儁は黄巾党討伐の功として出世していた)に推薦状を書く。ここにいるより俸禄がもらえるぞ」

 その言葉に誰も否を唱えなかった。

 袁遺は、ほんの一瞬、呆れたような、そしてどこか喜ぶような表情を浮かべた。作られたものではない自然な表情であった。

「ならば、私は叔父上の要請に応え、洛陽へと赴く。高覧、三〇〇を率いて共に参れ。司馬懿も軍師として付いて来い。鳳統は県令を代行し、長安を治めろ。内政については何夔が、治安維持、賊の討伐においては張郃、雷薄、陳蘭がそれぞれ補佐をしろ」

 そこまで言うと、袁遺は張既に向き直り、彼の顔を真っ直ぐ見据え言う。

「張既、君は涼州に行き、馬涼州牧及び涼州軍閥と交渉し、反董卓連合に参加しないようにしてくれ。それが叶わないなら、せめて長安を攻める様な真似をしないよう取り付けて欲しい」

 中々の難題であるが、張既は簡単に頷いた。

「わかりました。すぐに涼州に向かいます」

 この恵比須顔の部下のことを信頼していた。滅多に判断を誤ることはなく、口にしたことは必ず実行して見せるからだった。

 袁遺が洛陽へと進発したのは次の日のことであり、洛陽に付いたのはさらに四日後の夕暮れ前のことであった。

 

 

 洛陽の一等地に構えられた屋敷の主は書見台に『楚辞』を開いていた。

 だが、ただ開いているだけで、真剣に覚えよう(この時代の読書とは娯楽ではなく、教養を身に着けるための暗記術である)としているわけではなかった。彼は人を待っていた。彼の待ち人は甥の袁遺であった。

 袁遺の叔父でこの屋敷の主である袁隗の容姿は男性的な魅力にあふれていた。

 白いものが混じった金髪を撫でつけ、それに乱れはない。大きな目には知性と気力が宿っている。目尻に刻まれた皺は渋みを増すことだけを手伝い、老いというものを感じさせない。そして、彼は外見の魅力そのままに性格と能力も優れていた。

 袁隗は、兄の袁逢(袁術の父親)よりも先に三公となった。そして、その三公の司徒に二度就任している。現在は官職を離れているも、党錮の禁で連座した人々を積極的に中央官界に引き戻したため、清流派人士からの信頼も厚い。

 彼は『楚辞』代表作であり名文である『離騒』を無感動に眺めていると、家令が待ち人の到着を知らせた。

 袁遺は旅塵を落とすため、井戸を貸して欲しいと請うた。

 袁隗は、それを快諾し、茶を入れるよう家令に命じた。

 身なりを整えてきた袁遺は、叔父に挨拶をした。

「叔父上、お久しぶりでございます。袁伯業、只今参上しました」

「案外、速かったな」

 袁隗は言った。彼はもっと時間がかかるものだと思っていた。

 袁遺は長安・洛陽間を強行軍的に駆けてきた。

 強行軍は所謂、長距離マラソンの様なものではない。黄巾党討伐の折に、散々触れたことだが、軍勢は一度、隊列が崩壊すれば、簡単に四散し、再び集めるのは至難の業である。故に、袁遺隊が行ったそれは長距離行軍である。縦列の行軍隊列をとり、歩調を取って、洛陽へと向かった。

 長安から洛陽までの約140キロを四日間で駆け抜けたのは、道の整備状況などを考えるとこの時代の限界に近い。

「まあ、速いに越したことはない。伯業、お前なら耳に入っているだろうが、わしは参内するよう董司空に言われたが、今まで、病気を理由に屋敷に籠っていた」

 袁隗は、そう言って茶に手を付けた。

「なんと! 三公を四代に渡り輩出した袁家に対し、自らが出向くならともかく、呼び出すとは、涼州の田舎者の増長極まりない!」

「伯業、莫迦の真似事はやめろ。それで喜ぶのは本初、公路ぐらいだ。わしをそのふたりと並べるのも、わざと怒らせ、わしの腹の内を探るのもやめろ」

「申し訳ありません」

 袁遺は平伏した。だが、叔父に対し何ひとつ油断をしていなかった。

 袁隗は社稷において政治的魔術を縦横に駆使した袁家最高の出来物である。

「まあよい。それより、お前、本初の企みに加わっているわけではなかろうな?」

「それこそ叔父上と同様にあのふたりと並べられるのは心外です」

 言葉とは裏腹に怒りの感情は全く出ていなかった。これも所詮は腹の探り合いである。互いにのらりくらりと躱すだけであった。

「どうだか、わしは初め、お前が絵図を描いておるかと思ったぞ」

「とんでもございません。そんなことをすれば、洛陽に戦火がおよびます。この都を咸陽と長安の次に並べるようなことを企むなどありえません」

 言った袁遺自身が鼻白む思いだったのだから、聞いた袁隗もそんな思いに駆られたはずだったが、そこは海千山千の怪物であった。彼は袁遺のその言葉に乗った。

「さすが、世の儒者から高く評価される伯業であるな。忠義の心を持っておる。わしも即位したばかりでこのような事態になってしまっている陛下のことを考えると身が切られる思いだ。そのため、明日、参内し董司空に会い、そのことを伝えたいと思う」

「叔父上、それはあまりに危険ではございませんか。袁紹の一族である叔父上を亡き者に董卓がするやもしれません。私の手勢は僅かですが、叔父上ひとりを洛陽から逃がすことは出来ます。もし、叔父上がお望みなら、この命に代えてもこの洛陽から叔父上を脱出させる所存です」

 お互いの腹を探り合う芝居に袁遺は嫌気がさしてきた。こんなところを部下の誰かに見られたら自殺しかねないほどの自己嫌悪に襲われていた。

「いや、伯業。お前の軍才は別のことで見せて欲しい」

「別の……?」

「うむ、董卓はわしをそれなりの地位に就け、清流派人士の協力を得ると同時に袁紹を説得させようと考えているだろう。だが、伯業、本初が簡単に諦めると思うか?」

「諦めませんね」

 そう答えて、袁遺は全ての合点がいった。

 なるほど。つまり、破家報国。そういことか。叔父上、あなたは正真正銘の漢だな。

「だろう。それで伯業、何か考えはないか?」

 核心に迫らず、遠回しに物事を進める政治的な慎重さを持って、袁隗が尋ねる。

「考えはないことはありませんが、嚢中には五朱銭の一枚もございません」

 ここで初めて、袁隗の顔に素の表情が見えた。まさか、いきなり金の無心をされるとは思ってもいなかった。だが、同時に袁隗はこの甥を頼もしく思った。少なくとも、ある程度算段は立てて来ている。それは、ある意味で袁隗の予想通りであった。

「お前の父……わしの弟はお前に期待して財産を残しただろう。あれは、どうした?」

「長安で全て使ってしまいました」

 袁遺はあっけらかんと言い放った。

 結局、袁遺は悩んでいた牛馬を自腹で購入し、さらに戸籍に登録したばかりの流民の税の肩代わりも行ったのだった。

「それについては、何とかする」

「それともうひとつ」

 袁遺の舌の根の乾かぬ内に発せられた言葉に袁隗はさすがに呆れ果てた。

「言え……」

 声にもその呆れが出た、やや疲れたものだった。

「袁家の名声が地に落ちることになるやもしれません」

「構わん、やれ」

 即答であった。これは袁遺には予想外のことであった。少なくとも、もう少し考えると思っていた。

「わしは漢の臣である」

 立派な忠心であったが、こうもはっきり言われると鼻白まずにはいられなかった。

 その袁遺の顔を見て、袁隗は腹の底から笑った。無表情な甥から一本取ってやった気分であった。

 翌日、袁隗は参内し、自身三度目となる司徒の座に就いた。

 そして、袁紹のことについて聞かれると、甥の伯業を交えて話し合いたいと言い、董卓の懐刀の賈駆と合わせて、三人で話し合うことになった。

 

 

 賈駆は怒りに燃えていた。

 自分の親友であり、主である月―――董卓を教養が足りぬ、と協力しない儒家たちに。助けたにも関わらず、宦官の処刑に反対する皇帝に。月に嫉妬して、諸侯を糾合しようとしている袁紹に。功名のためにそれに参加しようとしている群雄に。

 そして、目の前にいる何度呼び出しても、病気と偽って参内しなかった袁隗といつの間にか洛陽に来ている袁遺に。

「さっそくだけど、袁紹を何とかしなさいよ」

 あからさまに苛立った声で賈駆は言った。彼女は洛陽に来てから為すこと全てが上手くいかない。ずっとイライラしていた。

 そんな賈駆の様子を見て、袁遺はこの場での自分の役割を理解した。嫌な役割であったが、仕方がないと覚悟を決め、口を開いた。

「賈駆殿、その物言いは、あまりにも失礼ではありませんか」

「うるさいわね。礼を云々言えば、あんたの従妹はどうなるのよ。ありもしないことをでっちあげて、連合を起こそうとしているじゃない」

「彼女のそれとあなたが礼を欠いたことは別の問題です」

「なんですって!」

 賈駆は立ち上がり、それだけで人を殺せそうな目付きで袁遺を睨む。対して、袁遺はそれを軽く受け流していた。

「伯業、袁紹についてのことは我々袁家の不徳の致すところの次第、賈駆殿の言葉にも一理ある。それに我らが一丸となり、即位したばかりの幼帝を盛り立てていかねばならん中、人の和を乱す言動は慎むべきだ」

 そんなふたりの仲裁に袁隗が入った。

「はっ、申し訳ありません」

 袁遺は袁隗に頭を下げた後、賈駆に向き直り、彼女にも謝罪した。それに対して賈駆は鼻を鳴らしたが、席に座り、一応の所、怒気を収めた。

 袁隗と袁遺が取った手はよくあるものだった。所謂、良い警官・悪い警官の応用である。

 否定的な人間と肯定的な人間に別れ、肯定的な人間と協力関係を結べるのではないかと錯覚させる方法であった。

「まずは人の和ということで、足元を固めることから致そう。儒家や文官についてはわしが抑えられるが、問題は十常侍の生き残りの方だ。彼らが未だに権を有していることが、多くの人士に不信感を与えている」

「し、仕方がないじゃない。陛下が十常侍の処罰に反対しているんだから」

「幼き陛下が自分の意志で仰られているとは思えん。張譲が言わせているのだろう」

 そう言って、袁隗は顎を撫でた。

「伯業、お前に何か考えはないか?」

「手はないことはありませんが、そのためには、いくつかやってもらいたいことがあります」

 袁遺の言葉に袁隗は賈駆の顔を見た。

「言ってみなさいよ」

 それに賈駆がぶっきらぼうに答えた。

「はい、まずは治書御史殿に参内するようお命じください」

 治書御史は司馬防のことで彼は司馬懿の父であった。

「あの方は、忠臣であると同時に気骨の士でもあります。参内はするでしょうが、息女を郷里に帰すでしょう。ですが、息子である司馬懿は私の部下です。勝手に洛陽を離れるわけにはいきません。ですので、その司馬懿を現在空位である左候にお就ください」

「なるほど。伯業、お前、本初と同じことをやるつもりだな。いや、あれより幾分か瀟洒にことを運ぶつもりか」

 宮中の策謀にかけては袁遺以上の能力を持つ袁隗に取って、ここまで聞けば甥の企みを全て理解した。

「袁紹と同じことって……まさか!?」

「結果的に、それが一番効率的ですので」

 何ら無策に宮殿に剣を振り回して乗り込むわけではないが、結局のところ直接取り除くこと以外に手はなかった。

「筋は通るのだな?」

 袁隗がどこか面白そうに尋ねた。

「手材料は揃っています。ですが、後に陛下のお心を慰藉する必要があります」

「それについては司空殿にお頼みせねばなるまい。我々ふたりでは、余りにも生臭すぎる」

 袁隗は賈駆のことを尋ねるように見た。

 賈駆は思った。自分の親友である董卓は全くの善人である。幼く母親を政争で亡くした帝に心を痛めている彼女なら、何の打算もなく皇帝を慰めるであろう。それは董卓の美点であった。

「わかったわ。ボクから頼んでみる」

 恨めしそうな目をしながら彼女は言った。

「それで、袁紹と連合の方はどうするわけ」

 そして、最大の問題点に話は戻った。

 最初に口を開いたのは袁隗であった。

「あやつが諸侯を糾合する動きを見せたとき、わしは思い留まるよう書状を送ったが、聞き入れぬばかりか、自分の命惜しさに董卓の風下についた、と罵倒してきよった」

「公路殿には、書状送ったのですか? 叔父上」

「送ったが、本初には負けん、と息巻いておる。本初を止める気など全くないようじゃ」

 袁紹と袁術はふたりとも見栄っ張りな性格で、互いに張り合っている。

「あのふたりは止まらん」

 その言葉には諦めの響きがあった。

「戦うしかあるまい」

「戦うて言っても、戦力差は絶望的よ」

「伯業、どのくらいになる?」

 袁隗の言葉に袁遺はすぐに頭で算盤を弾く。

「反董卓連合は、二〇万まで膨らむでしょう。対して、こちらは、この司隷で後先考えない根こそぎの動員を行えば、一〇万を超すくらいは集まるでしょうが、これから先、十年単位で生産力が低下することは覚悟しなければなりません」

「戦力比は約1:2か……要害に頼れば、何とかなる数字だな……」

「む、無理よ。一〇万も集めるなんて」

 袁遺の見立てに賈駆が噛み付いた。

 彼女自身も袁遺と同じ数字を弾きだしてはいたが、そんな無理な動員を心優しい董卓が許すはずなかった。下手をすれば、自分の命を差し出しても戦を止める、などと言い出しかねなかった。

 そして、袁遺もそれは分かっていた。張既から聞いた董卓像から、それは何となく想像できることだった。それに動員される地域の中には自分が治めている長安も含まれている。例え、勝って帰っても、そんなことをすれば後の統治に問題が出る。故に、根こそぎの動員は御免だった。同時に、存亡をかけた戦いで、未来を思い、出し惜しみしている自分におかしさを感じていた。

「であるならば、董司空殿が吸収した旧何大将軍の三万。長安で訓練が終了した兵の一万。それに他から急遽、徴兵できるであろう一万で五万を超す程度は集まりますが、都と南方の備えに一万は取られますから、戦場に投入できるのは四万程度でしょうね」

 戦力比は約1:5。攻撃三倍の法則を達成される数字となっている。

 だが、袁隗と袁遺は焦っていなかった。なんとかできるだけの策を持っていたからだ。問題は、それを賈駆にどのようにして、了承させるかだった。

「賈駆殿」

 袁遺の覚悟は決まっている。彼女が断れば、如何な手段を使ってでも目的を達成するだけだ。その覚悟がなければ、わざわざ洛陽に来てはいない。

「その四万の軍権、私に預けてもらえないでしょうか?」

 袁遺のその言葉に賈駆は今までで一番の怒気を発した。

「ふざけないで! あんたに軍権を渡すのは自殺と何ら変わりないじゃない! 何の得があって、そんなことしないといけないのよ!」

 殆んど半狂乱に近い声で叫ぶ賈駆に対して、袁遺は相変わらずの無表情であった。

「得は、董司空と袁紹の戦いという認識から、私と袁紹の戦い、つまりは袁家内での勢力争いという形にすることができることです。そうなれば、都で皇帝を蔑ろにし、悪政を布いているという大義名分が薄れます。連合に参加した諸侯の内、漢室のために立ったという名声が欲しい諸侯は利益と不利益を再び天秤にかけるはずです。そして、その天秤は時間が経つごとに不利益へと傾くはずです」

 連合とはふたつ以上の勢力がひとつの目的のために組織化することであり、参加した全ての勢力に得られる利益が分配されねばならない。であれば当然、関係は利益が限られた勢力にのみ得られる状態になれば、自然と破綻する。酷い話であるが、仕方がないことだった。政治に正誤は存在しても、善悪は決して存在しないのである。

 そして何より袁家の内紛に参加したという風評は決して好ましいものではなかった。

「袁家の内紛に変わったという噂は、洛陽を出た司馬家の者が、袁司徒の持つ人脈によって、あらゆる名士に届けられることになっています」

 汝南袁氏は婚姻外交が有名であり、その人脈は漢王朝内に網の目のように張り巡らされていた。

「それでも……」

 賈駆は首を縦に振ることは出来なかった。

 袁遺がその四万の軍を使って、董卓に刃を向けないという保証はなかったからだ。

「賈駆殿、わしが人質になろう。わしは伯業が親を亡くしてから、これの父親代わりだ。そのわしの生命を無視して、都を手中に収めようとすれば、孝を蔑ろにしたことになる。それはこの男が今まで積み上げてきた評価を失うことになる。この聡い甥は、そのことがどれだけ自分の首を絞めるか、よく知っている」

「……」

 それでも、賈駆はこの提案に乗ることは出来なかった。

 袁隗と袁遺は、賈駆に一度、時間を与えた方がいいと判断し、議題を別のものに切り替えた。

「今は時間がない。まずは生き残った十常侍の問題を片付けてしまおう。賈駆殿もその成否で伯業の能力を確かめてみては、どうだろう?」

 結局、賈駆は軍権の譲渡に判断を下すことができず、司馬親子については袁遺たちの要求通りに行うと確約した。

 袁遺は袁隗の屋敷に身を寄せていた。

 袁隗は袁遺を茶に誘った。断る理由もなく、袁遺は出された茶の香りを楽しんでいた。好みについては、この叔侄は一致している。

「賈駆は受けると思うか?」

 袁隗が尋ねた。

「受けると思いますが、軍事監察を付ける等のことはしてくるでしょう。もし、断られたときは、互いの首が晒されることは覚悟しておきましょう」

「逃げ道は用意しているのだろ?」

 袁隗の言葉に袁遺は意味深な表情で返した。

「叔父上もでしょう?」

 それに袁隗は快活に笑ったが、すぐに影のある表情をした。

「昔、本初にお前は袁家を滅ぼす気か? と説教したことがあったが、結局、お前たちの代で袁家は滅びることになるか」

「我々のどちらかの陣営は生き残れますが?」

 尋ねた袁遺に袁隗は目をむいた。

「反董卓連合が勝った場合、起こるのは乱世だ。あのふたりに乱世を生き残れるだけの器量があるか!? そして、伯業、お前は陳平の言葉を知らんのか?」

 それで袁遺は、この叔父の言いたいことを理解した。

 前漢の功臣・陳平は自身のことを、国のためにやむなく多くの策謀を巡らせたため、死後、子孫が絶えるだろうと予言していて、それは陰謀を多く立てた報いであるとしていた。

 事実、彼の家は絶えた。

 確かに、袁遺は謀略家の自覚があった。司馬家のことと宦官のことで策を巡らせていたのは事実である。そのことに否はない。

 だが、袁遺は今の自分の立場に近いのは晋の将軍・王浚だろうと考えていた。陳平に例えられるのは光栄だが、王浚に例えられるのは屈辱である。つまりは、そういう人物だ。だが、自分の選択ひとつで、長い乱世になるかもしれない。そのことは王浚と共通していた。

 もちろん、王浚の様に帝位を狙うなどということを考えたことはなかった。しかし、袁遺は自分の忠誠心が歪なことを自覚していた。その証拠に、兵権を得れば、自分の両手が漢王朝の細い首を締め上げることができる事実に、袁遺は暗い興奮を感じていた。

 

 

 翌日、司馬防が参内し、息子の仲達が左候の職を得た。袁遺の計画通りであった。

 




補足

・板循蛮
 巴郡の蛮族。
 歴史を紐解いてみると比較的親漢な蛮族である。
 高祖の漢中入りの際に帰順し、関中に侵攻でも先鋒の任を果たす。このとき功績で板楯蛮と号されるようになる。
 その他にも益州で他の蛮族が反乱を起こすと、だいたいは漢の側に味方する。
 ただ、官吏に迫害され、叛乱を起こすようになるが、今までの功績と精強さで彼らを庇う官吏も存在した。

・楚辞
 春秋戦国時代の楚の詩を集めた詩集のこと。
『離騒』は屈原の作で楚辞の代表作である。
 これを読んだ私の感想が、そうか、この時代まだ朕は皇帝専門の一人称じゃないのか、まだ皇帝自体がないから当たり前か、だったので、たぶん私の感性はゴミだと思う。
 後、屈原にしても伯夷と叔斉にしても強烈な愛国心を持つが故に悲惨な最後を遂げるって歴史上、結構あるよね。

・破家報国
 家を破りて国に報いる。
 南北朝時代の北魏末期、漢人の名族の高翼の言葉。
 この言葉により拓跋鮮卑が起こした魏が漢人士大夫からも自分の家門を破ってでも報いる王朝であることが示され、漢民族と非漢民族の意識の変化が見て取れる貴重な言葉であった。
 主の憂いは臣下にとっての辱めであり、主の辱めは臣下にとっての死すべきときである。今、我が王朝は滅亡の瀬戸際にあり、人も神も憤っている。家を破りて国に報いるは、まさにこのときである。

・咸陽と長安
 秦の首都・咸陽に押し寄せた反秦の軍勢はそこで略奪の限りを尽くした。略奪を行わなかった劉邦にしても彼の部下の蕭何が秦の行政文書を根こそぎ持ちだしている。
 新の首都・長安では赤眉軍も緑林軍も略奪を行っている。
 首都はだいたい碌なことにならない。

・王浚
 晋の将軍。
 三国志で例えると袁紹と呂布を合わせたような人。
 名門の王家の出身であるが、母親が賤しい出自であったため、所謂、庶子である。ここが袁紹ぽい。
 八王の乱で活躍するが、略奪などやりたい放題もする。ただ戦闘は滅茶苦茶強い。ここが呂布ぽい。
 八王の乱での活躍で司空に任ぜられ、自分の部隊と異民族の部隊を率いることも許され、大軍を擁するが、その大軍の使ってやることが同僚にケンカを売ること。で、そのケンカを売った同僚に負ける。負けても好き勝手する。袁紹と呂布以下だったわ。すまん。
 この頃から司馬一族はクソだのなんだの言いだして、皇帝にはもっとふさわしい人いるよな~、ここにいる様な気がするな~、と帝位に野心を見せる。これを戒める部下は遠ざけるか殺すかする。
 石勒という五胡十六国時代の英雄のひとりで奴隷から皇帝にのし上がった人物に連戦連勝するが、石勒からの手紙の、王浚さんには敵いませんわ~、帝位にふさわしいのはあなたしかいませんわ~、という言葉を本気にして油断したところを捕縛され、処刑される。ちなみに石勒は負けるたびに以前より多くの兵を率いて戦場に舞い戻ってくるという、ちょっと頭おかしいことをする人。歴史書の彼の項の殆んどは、どのくらいの敵国の民を自領に移した、敵をどのくらい殺した、敵をどのくらい生き埋めにした、である。
 たぶん、王浚がもう少しまともな人格だったら、五胡十六国時代は、あんなに長くならなかった。
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