「……ただいまー」
いつも見慣れた玄関のドアを外から開けて、子供の頃から数えて何百回と繰り返したのか解らない挨拶を私は声に写す、そんな誰かの屍が作った幸せを享受する私。
……だが返事が返ってこない。
ふう。とため息を一つ。靴を脱いで、トイレが横にある廊下を抜ける所でようやく挨拶が返ってこない理由を思い出す。
「そういえばお父さんとお母さんは夜まで出かけてるんだった」
ちなみに両親が不在なのは、少し前に頭を打ってしまった祖母の病院に一応の心配だからと医者に迎えに呼び出されたからだ。
祖母については何もないことを祈っているが、今現在不安に思っている事と言えばそのことくらいか。
そんな事しか、考えられない私はきっと両親の愛や友達、出会った人々に支えられて居るのだろう。
現に「あの世界」に行くまで私は、誰かを殺して恨まれることも、殺さなかったことで守れずに死んでいく誰かの命も、その消えゆく温もりも知らなかった。
制服を脱いで、汗を流すためにお風呂に入り。そしてパジャマに着替えて少し眠くなってしまい両親が返ってくる前に一早くベットに潜る。勿論ここで、小さめの抱き枕は欠かせない。
普段は一緒に生活している両親が不在という、ちょっとだけ変わった何時もの日常、平日の、あたりまえの日々の一つ。
通学した適度な疲労感が横になると一気に解消される。この瞬間が私の至福の時である。
いい気分だ、こんな時は歌でも歌おうか。
そんな、歌を歌うために都合の良い思い出を振り返った時につい最近友達とカラオケに行ったことをポンと思い出した。
私はあまり歌が得意ではないけども、歌うという行為はとても好きだ。
そんな私はよく、周囲を気にせず口遊んでしまう。そんな所が子供っぽいとはよく言われるが、それでも好きなものは好きなものなのだからしょうがない。
ちょっと前に大流行したヒプマイ……というのはいまいちよくわからなかったが、あのクールな美声の速水奨がラップを奏でるとは、過去の私にそのウマのメッセージを送ったら全く信じないだろう。
……それで、誰か急にビーバードを歌い出して……。
ふと、ポロポロと流れる涙の様にその記憶を思い出す。否、思い出してしまう。
「~あてもなく、落ちていく星の輝きは嘆きに似て」
口遊むと、とてもノスタルジックな歌という事に気付かされた。非常に練られた構成の歌詞だ。それを私程度などが口にするとは……。何だか申し訳ない気分になってきた。
「……あれはガンダムの歌だ。アニメ映像ついてたし結構面白そうだった。懐かしいなぁ。昔、上級生のお兄ちゃんたちと一緒に見たっけ。あの頃はぐりぐり動いているロボット見ただけで興奮したなぁ」
「久しぶりに一気見しようかなぁ」
一人で逸れた話に花を咲かせているとふいに懐かしい曲が脳裏によぎった。
それを声に出せるほど思い出して恐らくサビの部分を口にする。
「……平和より、自由より、正しさより、君だけが望むすべてだから」
目を瞑りそのフレーズを何年かぶりに奏でた。
懐かしい思い出だ。昔上級生たちと躍起になって見た機動戦士ガンダム逆襲のシャアという映画作品。
ファーストガンダムの続編で、世界に絶望したシャア・アズナブルが隕石を地球に落とし地球を破壊しようとする。そしてそれを止めようとする人々の物語だ。
その作品には様々な人の心情が、信念が溢れていた。
隕石を止めようとする人々。
シャアに救いを求める人々。
戦争に巻き込まれてしまう子供達……。
「……懐かしいなぁ、曲名は確か……」
そう言って、私は静かに目を瞑った。
……
……
「…………!」
何……?
「……ラ、……!」
頭の中でもやもやした声が響く。いつの間にか寝てしまったらしい。私以外に誰かの声がする。どうやらお父さん達が帰ってきたようだ。しかし何事だろう、正直少々騒がしい。
「……ーラ・……!」
……何故か目が開かない。瞼が鉄の様に重いが不思議と不快感は無い。
……このまま深く、深く、深く、眠ったら……どうなるんだろう?私は、死んじゃったりするのかな?
「……ろ!」
……うるさいなぁ。もう、お父さん叫びすぎ。……お父さん?
「「……どうした!ケーラ!!」」
……違う。全然違う。……お父さんの声じゃないっ!……誰!!?
そう叫びながら、足を振り子の様に遠心力を付け飛び上がるように目を覚ました。
……不機嫌に目を覚ました私は「それ」に肝を取られた。
……部屋が全く違う。
私の部屋はこんなに狭くなかった。
間取りが違う。まず私の部屋の形ではない、こんなところに壁なんてなかった。
置物が違う。学校に必要な教科書類が一つも残っていない。化粧類はあるにはあるがお店ですら一度も見た事の無いような容器に入っている。
部屋の温度が違う。私は寒がりなので誰も居ない状況では温度を高めに設定する。ここはとても寒い。決して私の好みの調整ではない。
周りを少し見渡した結果、部屋というより独房に近い。こんな無機質な部屋でよく私はすやすやと寝ていたものだ。
そして、私が転がっているベットの隣にはモニターと会話機らしき物が設置されていて、画面がぼーっと光っている。そこから名前を呼んで少し荒いでいる声が聞こえる。
「ケーラ!?大丈夫かい!ケーラ!」
……ケーラ?誰?
呆けた頭を必死にたたき起こしているのだが、いまいち脳に理解が追い付かない。
冷房のとても効いた部屋に居るのにもかかわらず体中に冷たい汗が噴き出してくる。
そうしていると通信機の明かりから男の叫ぶ声が先ほどよりも必死な声色で迫ってきた。
「ケーラ!どうしたの!ドアを開けてくれ!!」
その声と同時に分厚い扉に叩いた様な衝撃が何度も走る。
「ひっ!?」
……それに思わず声を出してしまった。
勿論、通信機で叫んでいる「誰か」にも聞こえてしまっていたようだ。
「……いるの!?顔を見せて!!」
そう叫ぶ男の声は必死で、そのような声をあまり聞いたことが無い私は足がすくんでしまっていた。
……叫ぶ男の得体の知れない声に私は震えるばかりだった。
急にどこなのか解らない場所に監禁されたのかとも思ったし、だったらこの閉鎖された場所に閉じ込められた意味が解らないし、それだったらこのドアで叫んでいる男は時間がたてばこの部屋に入ってくるだろう……。
まるで意味が解らなかった。
急に自分の静かな安息の場所が犯されたことに、私は動揺し頭が回らず何もできずにいた。
誰か解らない男の人が、誰かもわからない人の名を呼び、何処かも解らない場所で叫び声とドアを叩く音だけが響く。
扉を叩く音はどんどん強くなる、怖い。
青ざめる私は恐怖でもう考えることも碌に出来なくなっていた。
冷たくなった体を両の手で抱くようにして、ベットの上で足を畳み混乱した頭を落ち着けようと必死になるがいくら時間をかけてもその様な事では永遠に解決しなかった。
……そうしていると、震える私の手の平にごつごつした何か冷たいものを感じた。
小さくなった瞳をそちらに寄せてみると、手には合皮で包まれた金属の切れ端のような物が強く握られている。
なぜ私はこんなものを手に握っているのか解らなかったし、気持ちが悪いので投げ捨てようかとも思った……けれどもそれは、冷たい金属のはずなのになぜか温かみを持っていて、握っていると私の心まで少しずつ温かくなっていくようなモノのように感じた。
(……大丈夫、彼は良い人よ、貴方を思っているわ)
それに気付いた瞬間、その金属片から優しい、穏やかな海の様な声が聞こえる。
聞こえた気がした、という曖昧なものではなく確実に聞こえた。いや、心の中で響いたのだ。
(だれ?怖いです、助けてくださいっ……)
突然降ってきた声に驚いたのだが、気にしている暇はなかった。私もその響いた心の中で涙ながらに自分の考えを訴える。
返事が返ってくるかなんて全く分からないし、そもそも私の勝手に思った妄想かも知れないが、もうそれしか手段は残されていないように感じた。
祈るようにその答えを待つ。
(……ふふっ、怖くないわ、あの人は決して普段こんなことをする人じゃない。あなたを何よりも大切に思っているからこうしているの……)
(……扉を開けてみて?怖い事は、何もないんだから)
とても無責任な言葉と思ったが、何故かその言葉は信じるに値した。それほどまでに暖かさを、まるで母親のような暖かさと強さを持つ優しい声だった。
手に持った金属片を見えないように仕舞い。恐怖で凍り付いていた足をまるで何かにとり憑かれたかのように扉まで運び……。
……震える手で扉のスイッチを押した。
……扉を開くと真ん中に涙を流している男性が、はっと言うような顔をして大きく安堵のため息を着く、そしてその周りに、声を聞いて駆け付けて集まってきたのであろう制服を着た人々が集まっている。
「……よかったよ、ケーラ。頭が痛いって最近言ってたから、もしかして……って……」
……ケーラ?また言った、誰?
その事について考えるより先に、真ん中に居た作業服を着た男が親しげに手を取り安堵の表情を浮かべる。勿論ものすごく驚きはしたがどうやら先ほどのアクセサリーから聞こえてきた声の通りに悪い人ではないらしい。
「よかったな、アストナージ」
「ああ、騒いですまなかった。様子を見るに大丈夫みたいだ」
そう、男が言うと念のために優しく私の身体の様子を聞いてくる。怪我は無いのか?どこか打って倒れていたのか?眩暈はしないのか?等々。
その言葉を聞いている途中に安心から腰の力が少し抜けた。こんな風に初めて男の人に涙ながらに手を握られ心配されると、流石に先ほどの恐怖も相まって心音が穏やかではない。
「……良かった何もない様で。……でも、下着で寝る癖は艦内では治してって言ったろう?」
「――――――っっ!!」
先ほどの恐怖から解放された私は、この精鋭集まる船ラー・カイラムのチーフメカニックマン アストナージ・メドッソに真っ赤になって平手をかましたのだった。