……私はなんと弱い人間だろう。
小さいころの、一人ぼっちの私は我儘を言っては聞かない子だった。
人に無理難題を言って、無視をされては泣いて……。
そうしている事で誰かが私を見てくれる事を期待したのだろう。結局、幼稚園の先生に強く注意されてしょげた弱い私はその情けない行為を捨てる事にした。
そんな、馬鹿な私に友達が出来た、誰かに頼り切りの小さく馬鹿な弱い私を守ってくれる親切な友達、初めての友だった、大切な大切な私の友達、そんな誰しもにありふれている存在が幸運にも居た。……居てくれていた。
その友達はなぜか私みたいなのを気に入ってくれたらしく、いつも一緒に居てくれた。「小さいころと性格変わったな」と揶揄いに来た同級生も跳ね飛ばしてくれる。凄い、憧れの友だった。
その友は、自分の友達も紹介してくれて、何時しか私の周りにはいい人たちが集まった。
いい人たちは馬鹿な私にも優しくて、……とても優しくて、ひとりぼっちだった頃の弱い私はもう居ないんだと、もう寂しい思いはしなくて済むのだと、……そう勘違いをしていた。
……目を瞑るとしばらくの暗転、ああまたこの夢かと何となく頭の隅に写ったが、決壊したダムの水流の様に、もう私には止められない。全てをどす黒い渦が飲み込んでいく。
……しばらくの闇の後、その大事な友達がしゃがんで泣いているのが見える、泣くのには悲しみと嬉しい時と痛い時が主だが、よく見るとその友達はどうやら頭から血を流しているので痛くて泣いているらしい。
どくどくと押さえている手から溢れていく鮮血を私はじっと見つめている。いったい今の私はどんな顔をしているのだろう?
……知っているのに、私はその光景を知っているのに息が荒くなる、肺がいくら酸素を吸っても膨らみ、止まらない。……苦しい、目の前が暗くなっていく。足が宙に浮いていく感覚がする。
息苦しくて、息苦しくて、どうしようもなくなった私は友とは逆の方を向き走り出す。……そう、私は逃げ出したのだ。
熱くなった走る背中に微かに、だけども確かにする纏わりつくような声が耳から離れない。それが逃れられない夜の闇の様に私を包む。
「……痛い、痛い……」
そして友は確かにこう言ったのだ。
「……たすけて……」
……これは小さい、なんとも小さい裏切りの記憶だ。
「……思い出しちゃった、……何で逃げたんだろ……」
ケーラさんの部屋、少しだけ私の匂いがするようになった。ベットで体育座り、いつもより胸を足に近づけて、抱くように辺りを見渡す。
さっき私が使った飲み物の容器がこの部屋のケーラさんの匂いを消している。……僅かな違い。だが、こうやって少しずつケーラさんだった痕跡も、証拠も、存在も消えていく。私が少しずつ塗りつぶしていく。
こんな私などに、塗りつぶされていく、何も罪もない人が、消えていく。
「……もう、やだ。……帰りたい」
アストナージさんは言わずもがな、アムロさんも話を聞いてくれる。ハードな世界に絶望していた私に差した希望の光すらぐしゃぐしゃにしてしまいたい衝動に駆られる。
こんな事、思ってはいけない事なのに。……二人を思い出すと、小さい頃の様に温かい手を差し伸べてくれたいい人たちの事を思い出してしまうのだ。
頭を軽く左右に振って、私は空をまるで纏わりつく湿気の様に睨む。手は汗だらけで、なのに体は冷たい。芯まで凍えた息を吐いて私は誰も居ない、私の部屋ですらない場所で今の自分を整理した。
「……もう、誰も裏切りたくない……だから……私は」
……薄暗い中、隣の端末がチカチカと赤く光る。どうやら誰かが私の部屋の前に立っているらしい。
「……アストナージさん、かな。もうそんな時間か……」
モニターの通信も繋げず、先ほど「考えを纏める、悪い話にはしない」と私の馬鹿げた話にも大人の余裕をもって返してくれたアムロさんのいい返事を思い出し、少し気が緩む。
アストナージさんとは、その後時間を見て話しを聞きに行こうと約束したので恐らくその件だ。大丈夫、服はしっかりしているし、今は気も静かだ。きっと何時もの私で喋れる。
そう言えば、ちょっとだけ癪という程でもないが……アムロさんもアストナージさんも私がケーラさんじゃないと伝えると二人とも明らかに「なるほど合点が云った」と顔に文字を書き、その次に大なり小なり笑うのだ。アムロさんは鼻ですこし笑う。アストナージさんは隠しもしない。
アムロさんが笑った後、アストナージさんに聞いたが「今までのケーラと違い過ぎてよく考えればバレバレの簡単な答えだったからだよ」と言った。まったく、私は良いにしてもケーラさんに失礼ではないだろうか?
……でも、それがきっとアムロさんと、そしてアストナージさんとのケーラ・スゥさんの絆……という奴だろう。
そう気付いた時私はアムロさんの様に、ふと鼻で笑った。
……絆、何時かの私が失った物。それはケーラさんの場合はきっと、どんなに厳しい状況にいても皆を笑いに誘う程のきらきらと光る透明な丸い宝石の様なものなのだろう。
そんな風にまとめて私はアストナージさんが待つはずのドアを開いた。
「……すみませんアストナージさん、準備が、ちょっと待って……」
「……中尉、急に失礼。話があって来させてもらった」
……ばつの悪そうなブライト・ノアがこちらを静かに見つめていた。
思わず固まる。
「……失礼しました、艦長。お話願えますか?」
自分でも驚くくらいには普通……の様な返しが咄嗟に出た。
……かなり冷静に取り繕ったつもりだが内心この言葉どうり穏やかな訳が無かった。
ふと腕の時間を見る、アストナージさんが来る予定だった時間ぴったりだった。
アストナージさんならきっと取り繕ってくれる。……時間を稼がねば。
(……早く着てアストナージさん……!)
焦っている間にブライト艦長は次の会話に移った。低いのに通る声が通路に響く。
「最近変わった事は無いか? ケーラ」
「アムロさ、た、大尉とあの後個人で話をしました。やはりあの人の話は勉強になります」
「そうか、アストナージとはどうだ?前に頬を叩いたそうじゃないか」
軽い雰囲気で話してくれているのだろうが、やはり何というか一つ一つが重い。これは勝手な被害妄想だが、何気ない話ですらこちらの事を勘ぐっているように聞こえてしまう。
(……アストナージさん……!)
「いえ、アレはタイミングが悪くて……」
「叩くのはあまり良くないな、アストナージはあの後珍しくかなり落ち込んでいたよ」
「……アストナージさ……が」
落ち込んでいた、アストナージさんが。あの時の、資料室で会った時はあんなに気さくでいたのに……。
そう見えていたのだ、アストナージさんはケーラさんに小さくなった自分を見せたくなくて、何時もと話し方も性格も違う、ケーラさんに対して小さくしまい込んだ違和感もだまって、そして泣いたのだ。
「そう……ですか」
馬鹿だ、私は何と馬鹿だ。アストナージさんばかりに重荷を背負わせていたのだ。初めて指摘して黙ってくれたのも、真剣に相談に乗ってくれたのも、アムロさんに話を付けてくれた時だって全部、全部あの背中じゃないか。
(それを知ってアストナージさん早く着てなんて……悠長に言える訳が無い)
私は、私は守られるだけだった。唯々皆に守られるだけの、小さな、小さな自分だ。
「深入りする話じゃなかった、すまない。ケーラの調子が悪そうだという声が聞こえてきてね」
強くなりたい。そうだ、私は、私は誰かに守られるだけでこの世界を、アストナージさんやアムロさんが居るこの世界を終わらせたくないのだ、生き抜いて見せるのだ。生きて、無様でも生きて少しでも多くケーラさんの手掛かりを手に入れるのだ。
……そして、ようやく私は目の前に佇むあのブライト・ノアに小さなある一つの決意をしたのだった。
「……私は、ケーラ・スゥ中尉は大丈夫です、艦長。大切な人たちの為、殉ずる覚悟であります」
私は、私はこの世界に、この世界の一人として優しい人たちを守り抜き、そして元のケーラさんの手掛かりを見つけて見せる……! 次の言葉は、これが私の……!!
――――――
「来ますかね?ロンド・ベル」
「来るさ、ナナイ。奴は、奴等は必ず私を止めようとする。何度頭を潰しても、いかなる策を廻らせても、それが十全な戦力だとしても、矢が突き立ったその体で私の喉元を目掛け、その崩れた頭で牙を食い込ませる」
「それがロンド・ベルだ」
――――――
「……私は、私はこのロンド・ベルで、アムロ大尉に次ぐパイロットとして皆を守ります、守って見せます!! それがケーラ・スゥでありますっ!!」
……この差別と、争いだらけの世界で一つの希望を掴む為、私は皆を守り抜く。そうこれは私の、この唯々広い世界を巻き込んだ小さな、小さな決意だ。
……月面都市フォン・ブラウンの片隅、あるMSのシートがめくられた。
……RX-93νガンダム。それは伝説のエース、アムロ・レイが搭乗した最後の機体。
……ある女性によってゆっくりと開かれたそれは、地球と宇宙の未来を掛けた重く、分厚い布一枚だった。
――――――機動戦士ガンダム 逆襲のシャア、開幕。