「よっこいせっと、これくらいやれば今日は良いだろう」
使用許可の降りた土地をある程度まで耕し終えたので今日の作業はここまでと勝手に区切りをつけて鍬を地面に突き刺し休憩に入る。
やはり畑作業という肉体労働は足腰に負担がかかるな、と全身に滴る汗を首に掛けたタオルで拭き取りながら自身が先程まで耕していた畑を見て感傷に浸る。
ここはサンマの畑にしましょうなどとアイリに言われ準備をしてみたのはいいのだが、この魚みたいな生物が土から生えてくるなんて俺の頭では到底思えない。何かこう水の中に生息してそうなイメージが俺の頭にある。
と言うか、こんなにも躍動する生物が大人しく土に埋まってくれるのだろうか?
疑問は尽きない。
だが、本当に植える事が出来るのか不安に思ったので、終わりにした作業を復帰させ一匹だけ地面に埋めて見ようと思い倉庫にしまっていたサンマを取り出して地面に埋める。
「マジか…」
地面に埋めるまでピチピチと御伽噺に出てくる魚の様な動きをしていたサンマだが、地面に埋めた瞬間にその動きを止め元からそこに居たのかと疑う余地もないほどに大人しくそれを受け入れた。
やはりサンマは土から生える物だったようだ。
俺の持っている断片的で根拠のない知識と俺が見ている現実のギャップに苦しみながらも少しずつこの現実を受け入れられる様に努力する。
何故俺の知識が断片的なのかだって?
それは…
俺が記憶を殆ど失っているからだ。
「お兄様‼︎お待たせしました‼︎」
「おう、アイリか。こっちは耕すのを終えたぞ」
「そうですか、流石お兄様です‼︎」
地面に埋められるが、それを当然と受け入れたサンマの墓を眺めていると狩を終えたであろう少女が手に猪的な生き物を携えて俺の元にやってくる。
俺と同じ髪色に同色の瞳、身体的特徴の類似点は多いが顔付きが全く似ていない少女の名前はアイリと言い、彼女もまた一仕事を終えて来たようだ。
本当であれば男である俺が狩に行かなくては行けないのだが、俺の身体はここに来る際に負った怪我でボロボロになってしまいアイリがその状態で危険な事はさせられないと俺の代わりに狩に行ってくれている訳だ。
なので俺は療養中ではあるが、こうして危険の無い範囲で生活の基礎になるであろう農作業に精を出している訳である。
「では今日はもう家に帰りましょう。私たちはここに来てまだ日が浅いので日が暮れると迷ってしまいますよ」
「ああ、そうだな」
アイリに手渡された猪らしき生物を受け取り、それを肩にかけ固定すると家に向かうアイリの後に着いて行く。
「今日は他にも色々取れましたので途中の村長さんのもとへ寄りましょう」
「ああ、そうだな」
俺は…俺たちは現在何処にあるかは分からないが、何処かの里の様な田舎の村に仮暮らしさせてもらっている。
情けない話だが俺が気絶している間にアイリが色々交渉をしてくれていた様で、俺が気づいた時には既に今の様な生活スタイルになっていたのだ。
俺自身の話になるが目を覚まして記憶が無かったのでアイリに何があったのか尋ねると、俺はどうやら彼女と駆け落ちしたらしく逃げている途中に追手との戦闘を記憶が無くなるまで幾度も繰り返し、最終的には動けなくなる程の怪我を負った俺をアイリは引きずりながらこの村まで逃げてきたらしい。
「村長さん、これが今日見つけてきた成果物です」
「ほう…これは中々…」
畑から少し遠回りをして村長の住んでいる小さな建物に寄り、たまたま外で体操をしていた村長にアイリは腰に括り付けていた袋を渡すと、村長は袋に入っていた薬草や鉱石を手に取り吟味すると彼なりの基準を超えたのか感嘆の声を漏らした。
「これなら上出来じゃのう。少ない量じゃがよく取ってきてくれた、お前さんらが来てくれて助かっとるぞ」
「はい、こちらこそ住む場所や土地を貸して頂きありがとうございます」
偏屈そうな顔をしているが、やはり村長を任されるだけあって人格者な爺さんに関心しながらアイリが話ている様を隣で眺める。
俺達がこの村に流れて来て歓迎されているが、名目上はいそうですかと他所者を受け入れる程この村は裕福では無いので、一応形式としては危険な場所に生息している薬草や鉱石を取ってきて納める事を条件として出されている。
この村に若者は居らず、見渡す限りは小学生位の子供かお年寄り位しか居ない。
世間話で聞いた内容を考察するにどうやらこの村の若者は皆出稼ぎに何処かの街などに出稼ぎに行っている様で、ついこないだ出て行った青年がこの村での最後の若者だったらしい。
なので、危険な場所に向かえる若者が実質的に居なくなり、そのタイミングで現れた俺達はある意味救世主の様に見えたようだ。
「お前さんらが来て子供達も喜んでおる、これからもたのんだぞアイリ。オニイサマよ」
「はい、お気遣いありがとうございます。ではこれで」
アイリは挨拶を済ませると俺の袖を引っ張り帰路に戻るよう促す。
「おっ何だアイリ姉ーちゃんとオニイサマじゃねえか‼︎仕事終わって暇なら遊ぼうぜ‼︎」
「ごめんね、私たちはこれから夕食の準備をしなくちゃいけないからまた今度ね」
「ちぇっまあいいや、また遊ぼうぜ‼︎」
家への帰り道に村に住んでいる子供の一人に絡まれる。
先程から言われている様に俺はアイリがお兄様と呼ぶのでこの村の住人からオニイサマと呼ばれている。何故かは分からないが、何か恥ずかしいので俺の名前って何だっけとアイリに尋ねるとお兄様はお兄様ですと俺の名前を教えてくれる事は無かった。
そんな経緯から皆俺の名前を知る由は無いので必然的にアイリが呼ぶお兄様が伝染して村の皆からオニイサマと呼ばれるようになった。
お兄様なので兄妹として見られるかと思ったが兄とお兄様とでは違うらしく、またアイリが駆け落ちしてきたと説明したらしく俺達は恋人以上夫婦以下という中途半端な関係として扱われている様だった。
何を言っているか分からないって?安心してくれ俺も分からん。
途中で俺の名前を決めようといった流れになったが候補がキラキラネームすぎて全てアイリに圧し折られてしまいそのまま現在に至るのだ。
「着きましたね、私は食事の準備をしますのでお兄様は他の作業をお願いしますね」
「ああ、分かったよ」
アイリに促されるまま家事を始める。
この村での居住環境は俺が意識不明の状態から目覚めるまでの間にアイリが用意した物なので、俺では勝手がいまいち分からないのでこうして尻に敷かれる夫の様な感じで彼女の指示に従って生活しているのだ。
アイリが先程狩って来た猪を解体している間に鍋と火を準備し、その火種を利用し風呂を沸かしつつ洗濯物を畳む。
記憶が無かっとしてもその状況になれば体が覚えている動きを再現してくれるようで今の所不便は無い。何だろう今の彼女との関係性を見るに記憶を失う前は専業主夫を目指していたのだろうか?
「食事の用意が出来ましたよお兄様、冷めないうちに早く戻って来てください」
「はいよ」
薪割りをしていると準備が終わったのかアイリに呼ばれたので急いで家に戻る。
今に入ると割烹着を身に纏ったアイリが迎えてくれそのまま食事となった。
「それでサンマがさ〜」
「そうなんですか〜」
食事を摂りながら他愛のない話を繰り返す。
アイリは自分から何かを話す事は無く、俺が問いかけるとただ笑って話を逸らすのだった。
一度その事を聞いたのだが、どうやら記憶を失う前の俺達はかなりひどい環境に居たらしく彼女自身思い出したくはないのと俺にも出来れば思い出して欲しくないと彼女は悲しそうにそう言った。
なので出来る限り俺はこの村に来てからの事を面白おかしくアイリに話す様に努めるのだ。
「それで明日は何かするのか?」
「そうですね…私は少し探し物がありますので遠くに行こうかと思います」
「俺もついて行こうか?」
食事を終え洗い物を済ませた俺たちはそのまま先程まで沸かしていた風呂に入る。
この家は昔の住民が使っていた物を居抜きで使わせて貰っており、その住民は一人しかいなかった様で風呂のサイズはそこまで広くは無い。
最初は交代で入っていたが、最近では追い焚きが面倒だと思いますのでとアイリの提案というか彼女が無理やり入ってきてからこうして二人で入るようになっている。
「いえ、これは私の都合ですのでお兄様は好きに過ごして下さい。傷もまだ完全には塞がっていませんし」
「痛っ⁉︎」
彼女に申し出を断られついてくるなと言わんばかりに傷口を撫でられ痛みに身をそらす。
俺が記憶を無くす前は色々スキルと言う便利な魔法みたいなものでこの程度の傷は癒せたらしいが、その能力は記憶と共に使えなくなっているのでこうして自然に治るのを待っているのだ。
「ふふふ心配しないでください、危険な事をするのでは無くただ薬の材料を探しに行くだけですので」
「そうか…それならいんだけど」
アイリは適当な時間ができるたびにそう言って村近くの山の方に赴いて、村の人間にもよく分からない薬草や動物の臓器などを持って帰ってきては家の奥の部屋で薬の調合をしている。
前に何をしているのかを尋ねてみたが、結局はぐらかされて教えてもらったことは無かった。
「お兄様は心配性ですね」
アイリは妖艶な笑みを浮かべながらこちらに向き直ると、お互いに裸であるにも関わらずに抱きついてそう言った。
入浴を終えるとそのまま寝室へと向かう。
さっきも説明したがこの村では若者が居ないので鉱石などの採掘を行える人材がいない。明かりの元となるフレアタイトの入手経路はたまに来る行商車から仕入れる他ないので、夜は無駄に起きていないですぐ眠らなくてはいけないのだ。
布団は既に敷いてあるので先に布団に入らせてもらう。
アイリは女の子の性なのかいつもの習慣で寝る前に鏡の前で髪の毛と眼を確認している。やはり男には分からない世界が女性にはあるのだろう。
そして、一通り確認を終えて満足すると彼女は俺のいる布団へと潜り込んでは、まるで俺を逃さない様に腕に抱きついて眠りにつく。
まあ、アイリ曰く俺達は全てを捨てて駆け落ちしたらしいので俺が居なくなってしまえば本当の意味で全てを失ってしまうのだろう。
駆け落ちと聞いて考えるのは恋人同士だが、アイリは俺の事を兄と言って慕っているので二人の関係性は恋人では無く兄妹かと思うが、どうもそうではないと俺の直感が言っている。
記憶が抜け落ちているのではっきりとした事は言えないが、同じ環境で長い時間過ごしてると所作が似てくると言う。
アイリは基本的な動きに気品が感じられるが俺には全くその気が感じられない。
この状況下で考えられるのはいくつかあり。
アイリと俺は実は生き別れの兄妹で最近再開して彼女が政略結婚させられそうになっている事を知って俺が連れ去った事だ。
それなら追手に追われて俺が記憶を失うまで戦った事の辻褄が合う。
他には禁断の恋で、俺とアイリは兄妹で恋に落ち両親や周りに認められなかったのでこんな田舎まで幸せを求めて移動してきたのだ。
それだと俺がボロボロに追い詰められる理由が浅いが、当主に喧嘩を売ったと考えれば当然の報いだろう。
最後は俺達は本当は兄妹ではなく、アイリは元々いい所のお嬢様で俺が彼女を唆して駆け落ちしただ。
昔からの付き合いであったのなら彼女の年齢からして小さい頃の慣習で俺が兄扱いされてもおかしくは無い。
それなら最初の辻褄合わせの様に俺だけ怪我をしている理由も合うし、俺と彼女の顔が似ていない事も説明がつく。
まあ顔が似ていない事は腹違いの兄妹であれば当然で俺は妾の子かもしれない可能性は否定できない。
そして自身の怪我を手当していて最近気付いたことがある。
俺の怪我は記憶を失ってもしょうがない程に酷い物であった事は見れば分かるが、その怪我の位置が全て急所から逸れている事だ。
まあ急所に当たったらそれで俺は死んでしまうので、俺が生きている以上は急所には当たっていないとなるのは当然だが、俺の見た所感ではあるが全ての傷が意図的に急所に当たらない様に付けられていると思える。
偶然かと言われればそれまでだが、もし死に物狂いで記憶を失うほど戦ったのであれば数発は急所を掠るくらいの怪我をしていてもおかしくはない。
それを考慮するのであれば二つめの候補が有力になるが、逃げ惑う俺をここまで正確に傷付けられる程の実力者であればそもそも逃げられないだろう。
…まあ考えたところで答えを持っているアイリがダンマリを決め込んでいる以上はどうしようもないので、ここら辺で考えるのをやめて眠りにつく事にする。
そのうち彼女から話してくれるだろう時を待ちながら瞼を閉じて深い眠りへと身を落とす。
「それでは行ってきます。お兄様はあまり無理をされない様気をつけてください」
「分かっているよ、アイリも頑張れよ」
「はい‼︎」
その装備を何処で調達したのか、まるで何処ぞの探検隊のような格好をしている彼女に挨拶をして見送り俺の休日が始まった。
まあ休日にやる事と言っても特にないので結局は畑弄りになってしまうのだが、まあ今日は村の子供達と遊んでも大丈夫だろうとやや重たい腰を持ち上げて先に家の掃除を始める。
家事を終えて夕食の仕込みを終えると村の診療所に赴き塗り薬等々処方してもらうと、その足で近所に屯っている子供達にちょっかいを掛ける。
普段はアイリがいるのであまりふざけられないが、今日は居ないのでとことんふざけようかと思い気配を殺しながら子供達に近づいて脅かす。どうやら俺は気配を潜めるのが得意らしく今の所脅かす前に気づかれた事はほとんど無い。
ビックリする子供を前に笑いながら大人気無く混ぜてもらう様に頼むのだった。
「おう、オニイサマじゃないか。今日も畑作業か?昼から精が出るな、まあ一番出るのは夜かのう?がはははははーっ‼︎」
「大きなお世話だクソジジイ‼︎このまま隠居させてやろうか‼︎」
「おー怖い怖い、最近の若者はキレやすくてかなわんわい‼︎」
子供達が昼食で居なくなったので、やる事が無くなり仕方無く畑仕事を再開しようと俺の与えられた土地に向かうと、そっちも暇なのか隣の畑の持ち主の爺さんがチョッカイをかけてくる。
何だかんだ畑仕事仲間が増えて嬉しいのかこうして声をかけて貰えている。
「それでわざわざ作業を止めて俺を待っていた様だけど何かあったのか?」
「そうじゃった、すっかり忘れていたわい」
「ボケ始めたかクソジジイ」
「そう怒るなよ若人よ」
テヘッと頭を握った拳で軽く小突きながら爺さんはおどけて見せたが、こんな年食ったジジイの萌え行為に何も感じることは無いので思ったままの事を伝えると少し傷ついたのかしょんぼりしながら話を続けるのだった。
「まあワシの見てくれれば分かる通り動物に作物を一部食われてしまってのう…」
「うわ…マジだ」
爺さんに促されるままに畑の隅を見ると、動物避けの柵が壊れ近くの作物が食い散らかされていた。
その柵自体の作りは結構しっかりしていたので、この柵を破壊したとなるとその生物は昨日アイリが捕まえてきた猪らしき生物よりも大きい事が予想される。
「柵はいつでも作り直せるのじゃが、これで三回目でのう…このままじゃと作物が食い尽くされてしまうわい…」
「それは大変だな、それじゃあ俺は畑耕すから」
「ちょっと待つのじゃ‼︎」
何か嫌な予感がしたので話を切り上げて立ち去ろうとしたが、やはりこの爺さんは俺を逃してくれる事は無くものすごい速度で俺の服を掴みこちらに引き寄せる。
「クソ‼︎離せ‼︎」
「離さぬわ⁉︎こんないたいけな老人を放って置く気か⁉︎」
「うるせぇクソジジイ‼︎こっちは怪我人なんだよ、それにジジイの癖にいたいけなとか言ってんじゃね‼︎いたいけなって意味を調べて出直してこい‼︎」
「ガハハハハっ‼︎残念だったな小僧‼︎診療所の医者はワシの弟でのう、お前さんが擦過傷以外殆ど回復している事は分かっておるわい‼︎」
「あのクソ爺ども、折角俺が隠してきた事を‼︎」
「残念だったのう‼︎」
どうやら村社会において情報は全ての村人に共有されていると考えた方が良い程に、村の皆に皆に筒抜けだと言う事を思い知る。
「おら離せ‼︎」
「何⁉︎ワシの拘束を掻い潜るじゃと⁉︎」
しかし俺も追手からアイリを守り切ったと言われている男、記憶がなくとも対人戦に関しては体が動きを覚えている事が多くこうして目的を決めて後は何も考えずに体を動かせば体が勝手に動いてくれるのだ、サンキュー昔の俺。
「悪いな爺さん、俺には帰る家があるんだ」
「何カッコつけておるのじゃ…」
力の無い年寄りの拘束を解いた程度でイキっている俺に呆れたのか、爺さんは溜息を吐きながらそう言った。
「どうせその犯人を狩ってきてくれとかそんな事しか言わないだろ」
「流石オニイサマじゃ、伊達に別嬪な子と逃げて来るだけはあるわい」
「うるせえよ‼︎」
「まあ…そうじゃな」
「何言われても俺はやらないぞ、何たってアイリに止められているからな」
結局のところ俺が危険な目に遭う事を何故かアイリは忌避している節がある。
直接的にやるなとは言われていないが、何だかんだ言って俺を村から出さないように手を回すと言うかそういう流れにならない様に彼女がしている気がするのだ。
「そうじゃ、これをくれてやろう」
「何だよ?」
俺が何としても犯人狩りをしないと駄々を捏ねていると爺さんは折れる事無く俺にやる気になってもらう為にある物を俺に見せる。
差し出される物を見ると何やらチケットの様だが、魔力的加工がされているのか淫靡な輝きを放っていた。
「これは出張サキュバスの回数券と言ってな、ワシが都会でブイブイ言わせておった時に通い詰めたサキュバスの店で貰ったもんでな。ちょうどこの村まで来てくれるそうじゃ」
「何…だと⁉︎」
「ほほほっ興味深々の様じゃのう。オニイサマよお前さんの女も別嬪じゃが、たまには違うおなごを抱いてみたいと思うじゃろ?何自己嫌悪に陥ることは無い、男なら誰でも持つ欲望じゃ」
サキュバス…村のマセガキから聞いた話だが夢の中で自分の好みの女の子とあんな事やそんな事が出来ると聞いてはいたが、こんな過疎村にいる限りそんな機会に恵まれるとは夢にまで思わなかった。
だが、俺も一緒に暮らす女の子がいる身、アイリを悲しませることは…出来ない‼︎
爺さんの申し出は有難いしサキュバスのサービスを受けてはみたかったが、今の俺にはアイリという可愛い妹が居るのだ。
「動物がよ…」
「おぉ」
「こんないたいけな爺さんを困らせるなんてよ‼︎」
「おお⁉︎」
「んな事は許せねえよな‼︎」
「おお‼︎」
「同じ村に住む若者として許せねぇ‼︎」
「おお‼︎」
「そんな動物俺がぶっ殺してやるよ‼︎」
「おぉぉぉぉーっ‼︎」
こうして俺は爺さんの手を取り、昔爺さんが使っていた得物を借りて畑の奥の茂みの中へと向かっていった。
後でアイリに何言われるか分からないが、動物一匹狩るくらいなら大丈夫だろう。
アイリ自身俺に無理をするな位しか言ってないし猪くらいならそこまでの危険はないと思う。
爺さんから預かった得物は多くはなく、研がれて凄く切れそうな鉈と弦以外は古い弓と矢位だったが、なんかしっくりくるので多分記憶を失う前はこうして狩りもやっていたのだろう。
記憶を思い返す。
柵の損傷くらいからして獲物の体格は小さくは無い、油断すれば殺される可能性は十分にある。俺が今いる場所はもう安全な村では無くそこから外れた危険な外なのだ。
記憶が無い以上自身の感覚に全てを任せるように体の力を抜き、自然と一体化する事をイメージする。
すると周囲の気配がレーダを点けた様に分かり、一番近くにいる大きな気配の元へ向かう。
何処で教わったかは断片的で思い出せないが、作物を奪うことに味を占めた害獣は基本的にその近くに生息圏を移し腹が減ったら定期的に畑に現れるという。
ならばその周辺を探れば害獣に遭遇出来ると考えるのは自然の流れだろう。
感じ取った気配に向かい気配を断ちながら向かいその獲物の姿を確認する。
獲物と言ってもその正体はなんて事は無い巨大な猪だった。
ただその大きさは俺よりも少し大きい位だった。
「あのジジイ…碌でもない仕事押し付けやがって…」
そのあまりにも大きなサイズに何故爺さん自ら猪狩りに赴かなかったかと貴重なサキュバスのチケットをお礼に差し出したのかを理解する。
最初は何かの間違いだろうと思ったが、その頑丈そうな毛皮には爺さんの畑に備えられた柵の残骸の一部が巻き込まれ、その状況証拠がこの巨大猪が畑荒らしの犯人だと言っている。
仕方がないか…
溜息を吐き、受けてしまった以上はやるしか無いと自分に言い聞かせて得物に手をかける。
相手は図体が大きいは所詮は畜生、頭さえ潰せばこっちのもんだろう。
一人なので合図はせず、己の感覚に従い獲物に向かい弦を弾き矢を放つ。
放たれた矢は軌道を逸らす事なく猪の眼球に激突し、突然起きた事に理解が追いついていなのか悲鳴のような鳴き声を上げながら偶然にもこちらの方へと猪だけに猪突猛進してきた。
まさか茂みに隠れている俺の場所が一瞬でバレるとは思っていなかったので二発目の装填はしておらず、今から準備しては間に合わないので鉈を取り出して構える。
「出来る…俺は出来る男だ‼︎」
大声を上げて自分を鼓舞すると構えた鉈を前に出しこちらも猪に向かって走り出す。
そして衝突する距離になったところで歩調をずらし横に回避しながら猪の脚を切り抜き、猪は痛みで身体を逸らし俺はその勢いのまま体を横一回転し猪の脳天へと鉈を振り下ろした。
「やったか…やったな」
何とも言えないほど甲高く短い断末魔を上げながら猪は絶命しその巨体は自身の重さに耐えきれず地面に横たわった。
何だかんだ言って咄嗟に体が動いてくれるもんだと思ったが、これに頼りすぎると自身の成長が止まってしまうなと若干の危機感を抱きながら念のためもう一度猪の頭に鉈を振り下ろした。
「オラ、ジジイやって来たぞ‼︎」
てこの原理を利用しながら昔の人さながら猪を転がしながら村へと帰ると爺さんが柵の修理をしていたので戦果の報告がてら悪態をついた。
「おう、流石じゃ‼︎まさか1日もしないうちにやって来るとはのう‼︎」
爺さんは本当に俺がやって来るとは思っていなかったようで、運ばれた猪を見て腰でも抜かすんじゃないかと思うほ驚愕していた。
そして爺さんは村の皆を呼び出して猪に関しての報告をしている。どうやらこの巨大猪の害獣被害は他の畑でも頻発しており問題になっていた様で爺さんの報告会が終わると他の農家の村人からも感謝された。
その巨大猪はどうなったかと言うと村の中心広場で振る舞われることとなって、最終的に村の皆で猪料理を持って軽い祭りとなった。
「全くお兄様は…」
「悪かったよ、でもしょうがないだろ?みんなが困ってたんだし」
猪祭りの終盤頃に泥だらけのアイリが色々な物を背負って帰ってきて、村の皆があんたの旦那は良くやってくれた等と言われ絡まれ何が起きているのか状況が分からないと混乱していた。
そして全てが終わり家に帰った所でアイリに全てを説明して現在にいたる。
「それは…まあ仕方がありませんが、お兄様は怪我をしていらっしゃる事を忘れないでください‼︎」
「悪かったって」
「…まあ今回は仕方ありませんが次は私も呼んでください、約束ですよ」
「ああ分かったよ」
必死に謝り倒して何とか事なきを得た。
「なあ?」
「何でしょうかお兄様?」
布団の中に入りいつもの如くアイリが絡みついて来るわけだが、今回は色々と疑問に思ったので一つだけ聞いてみることにした。
「アイリはここで暮らしていて幸せか?」
結局駆け落ちをしてこの村に住み着いたみたいな流れだが、大人しい彼女の性格からしてこの現状は多分俺が企てたに違いないのだろう。
それに振り回されて果たして彼女は幸せなのだろうか?村人の話ではわざわざこんな田舎ではなく少し離れた街に行けばいいものをなんて気を使われた事もある。
「私はただお兄様が居れば幸せですよ」
「そうか…」
結局実家を捨てている以上ここで幸せではないとは口が裂けても言えないだろう。
それを口に出すと言う事は記憶を失う前の俺を全て否定することになる。
「豪華な食事も衣服も贅沢な環境も何もなくても私はお兄様さえ居れば大丈夫です、それだけで私は幸せです」
「ありがとうアイリ…」
例え嘘だとしてもその言葉に救われた気がした。
俺は横に居るアイリに向き直り彼女の目を見てお礼の言葉を言う。本当は全ての記憶を取り戻してから言いたかったが記憶が無くとも俺は俺なのでこの気持ちは変わらないだろう。
「このまま二人で幸せに暮らしましょうね、お兄様」
そう微笑む彼女の瞳はまるで底の見えない井戸の様だった、覗けばその中は暗闇で奥の方では名状し難い黒い何かが澱み濁っていた。
ゆんゆんに焦点が行かない…
次回休みます…