朝目が覚めるとアイリの姿はすでに無く、腕の拘束が無いと逆に落ち着かない自身の適応力の高さに驚きながら気配を辿るとどうやら外で何か作業をしているようだ。
外の景色を窓から眺めると日が昇り始めたばかりなのか少し薄暗く温度は肌寒かった。
「おはようアイリ、今日も早いんだな」
「おはようございますお兄様、今日は早いんですね」
「ああ、なんか目が覚めてな」
普段はやる事がないと自身に言い訳をしながら日が上に登るまで惰眠を貪っていた訳だが、今日はほんの気まぐれで起きてしまい彼女を驚かせたようだ。
「たまにそうしてるけど何やってるんだ?」
アイリは今回の様にいつもより早めに起きては一人で外に出て髪の毛に調合した薬品の様な物を馴染ませている。
この村に来て最初の方は家から持って来たのか綺麗な色をした溶液を使っていたが、それが少し前に尽きてしまい死に物狂いで代わりの物を作成しようと遠くの方まで代替の材料を探しに行ったのも記憶に新しい。
あの時のアイリの慌てっぷりは俺がこの村に来て初めての光景だったのでその時の事は今でも思い出せるが、結局何の為の薬品なのかを聞かずにここまで来たので未だにあれが何を指すのかは分からずじまいだ。
「これですか?そうですね…女の子には色々見えない努力がありますのでお兄様は知らなくていい事です」
「そうか?何の為の薬品なのか教えてくれれば、わざわざ遠くに材料を取りに行かなくても大丈夫な様に代わりの物を探すんだけどな」
「そういう訳にはいきません。私も色々探したのですが見つからなかったので多分代わりは無いのだと思います」
「そうだな、まあ何かあったら言ってくれよ?」
「はい、その時はお願いします」
女の子の秘密に迫る事は、例え善意であってもやってはいけないと誰かに言われた様な気がするのでここで退く事にする。
本人が止めろと言って来た以上、俺に害が無いのであれば触れないほうがいいのだ。
ペタペタと頭頂部の生え際などに薬品を馴染ませる様に塗る彼女を尻目に夜の暖を取る様に薪を割る。
行商人が来る日が近く、それは俺たちの買い溜めした物たちの枯渇が近い事を指す。
この村での火の代わりの役割をするフレアタイトは、来村したてで行商人から買う事が時期的に出来なかった俺たちを気遣って村のみんなが少しずつ分けてくれたものがあったのだが、それが既にそこが見えて来ている。
なので念の為薪を割り昨日風呂を沸かした様にフレアタイトの代わりを担って貰っている。
これくらいでいいだろうか?
アイリが髪に薬品を染み込ませて動けない間に色々と行動していると、時間が経ったのか彼女は薪を割る俺を尻目に周囲に生えている雑草を吟味し目的の草があったのか引き抜きそれを燃やし始めた。
一体アイリは何をやっているのだろうと思い眺めていると、彼女は昨日捌いた猪の捨てるはずであった脂の部位を運びそれを長い鉄串でそれを貫くと某モンスターをハントするゲームの肉を焼く様に脂を焼き始めた。
彼女の目的とは一体?等と新聞の見出しの様なフレーズを頭に浮かべていると、彼女はその場を離れ大きなバケツに水を汲んで戻って来て炎の隣にそれを置いた。
そして草を燃やして発生した灰に熱で溶けた脂を混ぜるとそれはまるで石鹸のように泡立ち始めた。
そう言えば、そんな原理で石鹸が作れるなんて出典不明の知識があるが、わざわざ草を吟味したので何か薬効があるのかもしれない。
そんなこんなで出来た石鹸を水に溶かし、更に泡立てるとそれで髪の毛洗い役目の終えた薬品を洗い流す。
「ふう…これで暫くは大丈夫そうですね…」
一通りの片付けを終えた彼女は手鏡で自身の髪を隅々まで確かめ納得がいったのか安堵している。
髪は女の命とはよく言ったものだが、ここまで何かに脅迫される程に手入れが必要なのだろうか?
「私はこれから部屋に篭りますのでお兄様は自由にして下さい。あ、そう言えば昨日お兄様が捕まえた猪に壊された柵を本格的に直して補強するみたいなので手伝いに行かれてはどうでしょうか?」
「マジかよ…まあ面倒だけど後で手伝いに行ってみるか」
「はい、行ってらしゃいお兄様」
「まだ行かねえよ⁉︎今何時だと思ってるんだよ?」
「え?前この時間に用がありまして出向いたのですがその時には皆さん起きていらっしゃいましたよ?」
「マジか…」
年寄りの朝は早いと聞いてはいたがまさかこんなに早いなんて事は流石の俺も思わなかった。
俺が猪を狩って村に貢献したのに何で俺が後始末の手伝いをしなくてはいけないのかと思ったが、俺たちは所詮他所者なのでこうして貢献しなくてはこの村というコミュニティーの中で認められずに孤立していってしまう。
村社会というものは恐ろしいものなのだ。
…まあいくら俺達が貢献しようとも結局の所俺達が死ぬまで他所もので、お俺達の孫の代辺りでようやく俺達の家の子という扱いで孫がコミュニティーの仲間入りを果たすのだ。
アイリがこの村出身の娘で俺が婿入りする形であったら多分何も無く迎えられると思うが、そんな都合のいい事はない。
なのでどんなに努力しようとも報われるのは孫で俺たちとその子供の人生は結局の所は下積みの様なもので、それは村に一族の根を下ろす為の果てしない代償でしかない。
…なんてニヒルを気取って考えてみたが、村の皆んなは気持ちが悪い程にお人好しなので俺達が協力的な内は村八分みたいな行為をしてこないだろう。
アイリに言葉をかけ、倉庫にしまってある前の住人が残した道具(手入れ済み)を取り出し、それを肩に乗せて山賊のように村の外れにある畑に向かっていく。
「おう、オニイサマじゃねーか‼︎お前も来たのか?」
「ああ、一応な」
そう言えば何処の柵が壊されたのか聞いてはいなかったのでマズイなと思いながら周囲を散策していると、畑の持ち主だろうオッサンに声を掛けられる。
実は何処に行けばいいのか分かりませんでしたなんて事を言う訳には行かないので、ここは何も知らないふりをしてあたかもここが分かっているかの様に振る舞う。
「それで壊れているのは何処なんだよ?」
「あーあそこだよ。うちは他の家に比べて派手にやられてね…」
「うわ…おっさんの柵壊れ過ぎ…」
オッサンの指差す方に視線を向けると、昨日爺さんの壊れた柵が子供の悪戯にしか見えない程にオッサンの畑の柵は壊されていた。
「作物はまた作ればいいんだが、柵を作り直すとなるとな…」
昨日柵を破壊した巨大猪は俺が退治したのだが、それはあくまで柵を壊す存在が居なくなっただけなのでその柵がなければ他の小動物が容易に侵入してきて畑の作物を齧ってしまうのだ。
「まあ俺も出来る限り手伝うからオッサンも元気出せよ」
「本当か‼︎オニイサマお前中々に良い奴だな。最初とんでもないクソガキが来たとか思って悪かったな‼︎」
「うるせえよ‼︎手伝わねえぞゴラ‼︎」
「まあまあ、そうカッカするなよ」
ドウドウとまるで獣を沈めるかの様に俺の肩を叩きながらオッサンは笑い、俺達は畑の柵を修復する事となった。
柵自体の構造は特に絡繰が仕込まれているわけでは無いので簡単に修復は出来るのだが、何と言っても規模がでかいのでその恐ろしい物量に圧倒される。
しかし、柵修復の障害が物量だけであるなら時間を掛けさえすれば何とかなる物だ。
…まあそれが嫌だからこうしてオッサンは俺に手伝わせている訳だが。
そんな事はともかく、朝早くから開始した作業は苛烈を極め気付けばあっという間に昼になっていた。
「お兄様ー‼︎」
単純な肉体労働とはここまで己が肉体を苦しめるものなのかと、何処かの哲学者の様な事を考えながら木陰で休憩していると、家での作業が終わったのかそれとも中断してきたのかアイリが昼ご飯の差し入れなのか弁当箱を持ってやってきた。
「どうしたアイリ?今日は部屋に籠って薬品の実験をするんじゃ無かったのか?」
「はい、その予定でしたのですが、少し根を詰め過ぎていたみたいなので休憩がてらにお兄様の弁当を作って来ました」
「そうか、ありがとうな」
休憩がてらなんてアイリに似合わない言葉遣いは、俺に似たのかなんてどうでもいい事を考えながらアイリの持ってきた俺の昼飯を受け取る。
中身を確認するとオニギリに少しのおかずが入っていた。
「ヒュー熱いねお二人方‼︎」
「うっせぇわ‼︎」
弁当を受け取りそのおにぎりに齧り付いたタイミングでオッサンに野次を飛ばされたので反抗した。
弁当を受け取るとアイリはオッサンに軽い差し入れを渡してそそくさと家に戻っていった。
「良い奥さんじゃねえか、あの娘を落とすのに随分と苦労したんじゃないのか?」
「さあな?俺は記憶が無いから分からん」
「おいおい…ってまあそりゃあしょうがないか」
おにぎりを頬張っているとアイリに渡されたのか漬物を齧りながらオッサンが俺の元にやってきて喋り掛けてくる。
「ありゃあ良い所出のお嬢様だと俺は踏んでるな、でなきゃあんな上品に振る舞えないだろ」
「そうなのかもな…俺も見ていてそう思う」
「何だよ?お前旦那のくせして何も知らないのか?いくら記憶喪失でも事情位教えてくれるんじゃねぇのかよ?」
「それが何にも教えてくれねんだよ、何を聞いてもお兄様は知らない方がいいですしか教えてくれないんだよ」
「本当かよ?」
「本当だ」
「それはなんか本当にヤバイ事情ってヤツがあるんだろうな」
「そうなんだよな」
記憶が無いのでせめて俺とアイリを取り巻いていた事情だけでも教えてくれと前に言った事があったが、結局お兄様は知らない方が幸せですと一切取り合ってくれなかった。
しかも思い出したら何もせずに一番に私に教えてくだい、中途半端に思い出すと勘違いする場面がありますのでなんて付け加えて来るもんだから俺の人生は波瀾万丈な気しかしない。
中途半端な記憶を想定するに俺は色々な人に裏切られたり裏切ったりして状況が2度も3度も切り替わる様な経験をして来たのだろう。
そうであったなら彼女の言う中途半端な記憶の再生に対してまず最初に彼女に報告する事の辻褄が合う。
最初にアイリに対して敵対心を持つ場面がありその記憶のみ戻ったならアイリを殺してしまうかもしれない危険性があるのだ。
アイリがお嬢様だとしたら一体俺は何者なのだろうか?
疑問は尽きない。
「さて、昼食も終わったし続きでもやるか」
「でもやるかじゃないやるんだよ」
どうでもいい事を指摘されながら重たい腰を上げて作業を再開する。
今は失った記憶の事よりも自身の生活の基盤であるこの村の住民から信用を勝ち取ることを優先しよう。
地面に置いておいたトンカチを拾い上げベルトに差し込み、木材を背負い上げて壊れた柵の場所まで運ぶ。
今日はどう足掻いても柵の修復で終わってしまうなと、田舎独特の時間の感覚に戸惑いながらも早く適応できるよう努める。
「ようやく終わった‼︎もう終わんねえじゃ無いかと思ったぜ」
「だな、俺も明日に持ち越しかと思ったぜ」
年甲斐も無く男二人で畑の隣にある芝生に転がり、自身の功績を互いに褒め称えた。
正直俺も明日に持ち越しになりそうな気がしていたが、それは杞憂で済んだようだでこうして何とか終わったのだ。
まあ少し手を抜いた所は無いとは言えないが、この世界に規格があればその規格内に収まる程度なので大丈夫だろう。何事も全力でやればいいものでは無いのだ。
ん?この世界でとは何だろうか?
自身の思考に疑問を持つが、それの答えを知るのはアイリだけなので自身で下手に考えて変な方向に辿り着くと厄介なのでこれ以上は追求しないようにする。
「ここまで付き合わせて悪かったな」
「いいって事よ。俺も何だかんだ世話になっているからな、持ちつ持たれつってやつさ」
「へえ中々難しい言葉知っているじゃないか?」
「そうか?」
「まあいいさ、そうだこの後は暇か?お礼にシュワシュワ奢ってやるよ」
「マジで気が利くじゃねぇかオッサン‼︎」
「お前の所のおくさんも呼んで派手にやろうじゃねえか!」
柵を直した事で友情が芽生えたのかオッサンの手を取り、俺たちは村にある唯一の酒場へと向かう。
酒場とは言っても個人経営の飲食店が夜中だけ酒類を取り扱う感じのなんちゃって居酒屋だが、この村では貴重な店の一つだ。
「それじゃあ柵の修理完了祝いに乾杯‼︎」
「お疲れさん‼︎」
酒場に入りシュワシュワを注文する。酒場は個人経営なのでそこまで広くは無くこじんまりとしているイメージだったが、意外にもそんな事は無く俺の家の倍くらいの広さがある。
過疎っている村なので静かに飲めると思っていたが、やはり村に一つしかない酒場なので村の男達全員とは行かないが大人数が集まっている。
どうやらこの村の男達はこうして夜になるといつもここに集まって1日を締め括る様だ。
「何だオニイサマじゃねえか?奥さん放ってこんな所来ていいのか?」
「何言ってんだい?あんたも奥さん放って来ているじゃないか‼︎」
「それは…そうだけどよ‼︎」
「そんなんだから甲斐なしって言われるんだよ!」
運ばれてきたシュワシュワに口をつけると近くの席にいたオッサン2に声を掛けられからかわれるが、俺がリアクションを取る前に酒場の主なのか女将がそのオッサン2に噛み付いた。
「安心しろ、お前の奥さんも俺の仲間が呼んでいるからすぐ来るだろう」
果たしてそれは安心できるのか?と思ったがアイリの事なので多分許してくれるだろう。
料理は多分明日の朝ごはんにすれば大丈夫だろうか…
少し不安があるが、せっかくの機会なので言葉に甘えてシュワシュワを楽しもう。
追加のシュワシュワの注文を女将に頼み、今持っているグラスに注がれているシュワシュワを喉に流す。
その後、オッサンの仲間に連れられてやって来たアイリが怒っていた事は言うまでも無いが、皆でシュワシュワを囲みながら話しているうちにどうでも良くなったのか態度が徐々に軟化していった。
「アイリ飲み過ぎだぞ‼︎そこら辺で止めておかないと明日に響くぞ⁉︎」
「えへへ大丈夫れすよお兄様、しんぷぁいしょうれふね…」
「駄目だ…完全に酔っ払ってやがる」
そう言えばアイリの年齢はどうだったか今の俺は知らないので飲み始める前に聞いたのだが、そんな事を女の子に聞いてはいけませんと断られてしまいそのまま村人に勧められるがままにシュワシュワに手を出してしまったのだ。
しかもその時にこれがあのシュワシュワですね…と言いながら生唾を飲み込んでいたので、俺の推測の域を出ないが多分初めて飲むのだろう。
現在彼女は俺の膝の上に乗っかりながらグラスに注がれたシュワシュワを飲んでおり、側から見る分には可愛いのだがいつ潰れるか分からないこっちとしてはタイマーの見えない爆弾の処理を任されているのと変わりは無い。
…まあ、最近何処か思い詰めている様な表情ばかりで見る事が出来なかった彼女の笑顔を見る事が出来たのでこれはこれで悪くは無いのだろう。
「アイリちゃんはこの坊主の何処が好きで結婚したんだい?」
「そうれすね…全てでしょうか‼︎」
「おぉー‼︎」
「おいおい…勘弁してくれよ」
村の皆はアイリが酔っ払った事を良い事に俺達が普段話さない二人の関係についてを深く突っ込んだ所まで突っついてくる。
そしてそれを彼女は満更でもなさそうに暴露しており、それが村人の心をくすぐるのか皆彼女の一言一句に湧き上がり酒場は盛り上がりを見せている。
しかし、それでも俺の過去に繋がる様な内容に関しては全て話を逸らすか誤魔化すかして語る事は無く。そのくだりを何回も繰り返しているうちに他の村人も触れてはいけない話題だと思い、過去に関して深くは聞かずに今の事を聞く様になった。
「そんなにオニイサマが好きならここでキスくらいしてみろ‼︎」
「良いなそれ‼︎」
「はぁ⁉︎」
ボーと話を受け流しているといつも間にかそういう感じの話の流れになり、まるで付き合いたての小さな子供二人を冷やかす様な感じの野次が飛んできて周囲もそれに乗るようにコールを始めた。
「オッサン達良い加減に…むぐっ⁉︎」
村の小さな居酒屋とはいえ、流石に公共の場でそれは不味いだろうと思い注意しようとしたがその言葉が最後まで俺の口から放たれる事は無く、俺の口はアイリの口によって塞がれた。
しかも俺を逃すまいと後頭部を両手で掴み固定している。
「おぉぉぉーーーっ‼︎」
アイリの突然のキスに周囲にいた村人達は本当にするとは思っていなかったようで、まるで外人4コマの様なポージングでこの状況に換気していた。
妻とはいえ可愛い女子にキスをされるのは中々に嬉しかったが、何故か誰かに対する罪悪感と謎の恐怖からくる悪寒が背中にはしった。
「皆さんこれで良いでしょうか?」
口を離した彼女はそのまま後ろにいる村人に振り返り、己の功績を讃えるように圧を掛ける。
「最高だぜ‼︎」
もう一回とアンコールが酒場に鳴り響き、女将がそろそろ良い加減にしろと喝をいれて何とか皆の暴走は止まった。
その後、アイリの限界が来たのか俺に寄りかかりながら彼女が眠ってしまい、そこでひと段落ついたのか皆時計を見ると結構良い時間だったので宴も酣という事で解散する流れとなった。
何だかんだ敬遠されていた俺たちの扱いが今回の一件で少し緩和された様な気がしたので、このままいけば村人の仲間入りするのもそう遠くはないだろう。
背中に眠ったアイリを背負いながら家へと帰るとそのまま彼女を布団に入れ寝かせる。
夜も遅いので俺も眠るかと思い布団に潜ろうとしたが、ふと正面を見るとアイリが入ってはいけませんと言い魔法なのか謎の力により閉ざされていた襖が開いているのに気づく。
気になったので覗いてみると部屋には様々な植物や動物の抽出物等が入った瓶などが所狭しと並べられており、中心には鉢などの道具が置かれている。
そして壁際には完成したのか数種類の薬品が入った瓶が置かれている。
いつも部屋に籠って何を作っているのかは不明だが、彼女がわざわざ俺に隠してまで作る薬品なので、彼女なりに何か事情があるのだろうと思いこれ以上の詮索はやめて襖を閉めて布団に潜り込むと眠りについた。
それから少しだけ時間が過ぎた。
まあ過ぎたと言っても一・二週間位なのだが、俺達にとっては何も無い日常こそが幸せなので、このままこの時間が続けば良いのにと思っていた時だった。
「お兄様今日は雨と風が強い日なので家で大人しくしていましょう」
「そうだな、特にやる事はないだろうし」
話は少し遡る。
昨日突然村長が明日は嵐が来るぞと長年この村で過ごして培われてきた勘が働いたのか、仕事終わりにシュワシュワをキメながら騒いでいた俺達の興を削ぐ様に居酒屋に乗り込んできてそう言った。
「そうか…明日はしんどい事になりそうだ」
それを聞いたオッサンは村長の言葉に動揺する事なくポツリとそう言うとグラスに残っていたシュワシュワを全て飲み干してすぐ家へと帰って行った。
「何なんだいったい…」
「ああ、あんたは田んぼを弄らないから分からないと思うけど嵐がくれば田んぼの水量が上がったり色々あって稲が駄目になっちまうんだよ」
「ああ、そう言う事か」
そう言えばそうだったなと、女将に言われた事で田舎の農業に関しての知識が戻ってくる。
一度に全部とは行かないが、偶に関連した言葉に反応して記憶が戻る事がある。まあ戻ると言ってもその事に関しての知識を思い出すだけなので俺の過去については何一つ思い出せない。
雨が降れば稲が傷つき水没すれば光合成が出来ずに弱っていくなど他にも色々被害出ると聞いた事がある。
なので皆今の内に準備をしているのだろう。
この村で米が作れなくなったら行商で買えるものしかないので、今年一杯は飢餓に苦しむ事になってしまう。
そして今に戻る。
外は村長の言うように土砂降りで強風により部屋の中まで轟音が響いている。
こんな状況で外に出れば俺ならともかく村の住民達は風で飛ばされたり水に流されたりするだろう。
「何か嫌な予感がするぞ…」
虫の知らせなのか、休日に生産的なことをせずにダラダラとテレビを見ているうちに1日が終わってしまうような、このままではいけない気がする。
「外は嵐ですよ?今日外に出るのは危険なので女将さんがおっしゃっていた様に今日は家でゆっくりしましょう」
寝っ転がりながら頭の落ち着かせどころが悪かったので転がりながらベストポジションを探していると、偶然なのか正座していたアイリの膝の上の乗っかり頭が安定した。
これが女の子の膝枕かと思い堪能していると彼女は俺を子供扱いする様に頭を撫でながらそう言った。
「まあそうするか…いや本当に危険な感覚がするぞ」
何と言ったら分からないが、村の田んぼの方に人が集まっているような気配を感じる。
人間の感覚では気配を感じられるのはおおよそ数メートル程度と聞いているが、何故か偶に遠くまで感じられる時があるのだ。
「…はぁ、お兄様は本当にお人好しですね」
「悪いな…」
折角の膝枕から起き上がり入口にかけてあった雨具を羽織ると土砂降りの中を走りながら田んぼの方へ駆けていく。
自分でも理由は分からないが、大雨の日の老人達を放っておいたらいけないと俺の心が言っている。多分記憶を無くす前の俺の経験則が反応しているのだろう。
「…マジか」
田んぼに着くと年寄り達が土砂降りと暴風の中で作業をしていた。やはり俺の勘は当たっていた様で皆天災に耐えながら各々の田んぼで動き回っていた。
「坊主よく来た‼︎あそこにある誰も使っていない田んぼの取水口を開いてくれ‼︎俺達は各々の排水口を開ける‼︎」
「ああ分かった‼︎」
皆必死に豪雨の中、自身の田んぼが水没しないように取水口と排水口を調節してしており、その水の逃げ場を確保するために気休めだが使われていない田んぼに水を流して時間を稼ぐつもりだろう。
豪雨に晒された田んぼに足を取られれば豪風によりバランスが取れなくなり転倒しそのまま溺れてしまうと何処かで聞いた気がする。
例え田んぼ程の水量であったとしても水位の上がった状態かつ吹き飛ばされそうなほどの豪風雨であったなら、そこから起き上がる事はほぼ不可能でまして老人なら尚更だ。
まさに命懸けの農業戦争と言わんばかりだ。
まあ空いている場所がある以上俺が米作を任される可能性はゼロでは無いのでここで恩を売っても問題はないだろう。
オッサンの指差す方向にあった空いているであろう田んぼまで水没した畦道を通りながら向かう。
一歩踏み間違えてぬかるみに嵌れば例え俺だとしてもただでは済まないだろう、極限状態の中何とか辿り着くと田んぼの隅にあったバルブを回しながら取水口を開き中へ水を誘導する。
「これでいいのか⁉︎」
一通りの作業が終わったので確認するが、豪雨の轟音により俺の声は掻き消されてしまい返事が返ってくる事は無かった。
「なっ…」
仕方なしに戻るとそこは地獄になっていた。
やはり雨の日に様子を見に行って帰ってこない老人が居ると聞いたことはあったが、泥濘に足を取られそのまま溺れている老人をこの目で見るとは思わなかったので唖然としてしまった。
「大丈夫かオッサン⁉︎」
全力でオッサンの元へ駆け寄り沈み掛けているオッサンを引き上げる。
「…あぁあと少し遅かったら危なかった、助かったぞ」
どうやら足を取られたタイミングで俺に見つかり、何とか水を飲み込まずに済んだようで少し消耗したが命に別状は無いようだ。
「全く、困ったオッサンだよ」
「面目ない」
取り敢えずオッサンを家まで送り、俺はオッサンの田んぼを守りながら他の場所も含めて水量の調節をし何とか今回の嵐は事なきを得た。
そして次の日はその天災によって起きた被害を清算する様に散らかり放題になった畑や道などの整理に振り回される。
まるで大型怪獣と戦ったみたいに道には木の枝や葉が撒き散らされており、それを集めて指定された廃棄場に持っていくのは中々に応える。
大多数のおっさん達や爺さん達は昨日の件で結構腰をいわしており、いつも嵐の後は俺たち若者や女子供達がこうして村の清掃に当たるのだ。
まあ俺は田んぼの水量管理もやったのでダブルワークになってしまうのだが、そこは若者だと言う事で諦めよう。この世は非常で理不尽で満ちているのだ。
アイリと二手に分かれそれぞれ回収しているが、彼女の力は俺の何倍もあるようで木の幹ごと折れた廃木を軽々と片手で持ち上げた時は流石の俺もビックリした。
まあアイリは貴族らしいのでそれなりにレベル?と言うものが高いのだろう。
俺は俺でやれる事をやろうと思い村の隅の方に行き廃材を回収しに行く。
ここを掃除しておかないと行商人が来る際に邪魔になってしまうらしいので、なるべく早めに片付けてほしいとの事だったので俺が行く事となった。
「全く…人使いが荒いぜ」
誰もいない事をいい事に文句を垂れ流しながら廃材を回収する。
「誰だ⁉︎」
これが終わったらアイリと美味いもんでも食べに行くかと思いながら作業していると、村の外からか誰かがやって来ていることに気づく。
こんなど田舎に来るなんて珍しい奴もいるんだなと思いその人を眺めると、昨日の嵐の中を進んできたのか深いフードに長い丈のコートの様な雨具を着ていており顔はよく見えなかったが女性である事は服越しのプロポーションを見れば分かった。
しかし、そんな大層な格好をしている人が一体こんな村に何の用があるのだろうか?
そう訝しんでいると、そいつは俺の顔を見て驚愕したのか少し硬直した後に
「ようやく見つけました」
と言った。