ロード・エルメロイⅡ世の事件簿書籍十巻までのネタバレあり。

特に明確なストーリーも無しに、ただひたすら年下に慕われる師匠を出したかったはず。
ただのネタです。


自分の書いたものは、基本pixivにも乗っけてアリマス。


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内弟子グレイは養いたい。

「―――その時は、拙が師匠を養いますから」

 

 その言葉に私―――ライネス・エルメロイ・アーチゾルテは硬直してしまった。

 スラーの、兄の執務室。

 そこで何故彼女、内弟子のグレイがそんな事を言い出したのかを思い出す。

 ……ああ、そうだ。

 私が兄に、エルメロイの負債を完済し、その他諸々の問題を解決したら、君はどうするのかと尋ねたのが切っ掛けだった。

 私としては珍しく、言葉にそれ以上の意味を含ませず、本当にちょっとした話題の様に尋ねた。そしてそんな話題に、珍しく兄も乗ってきた。

 冠位決議も終えて―――無かった事にして、兄にはもっと重大な儀式も一先ずは終えて、少しだけ気が緩んでいたのかもしれない。

 まあそれは、話題を振った私自身がそうなのだがね。兄がそうなった時にどう動くかなんて、実にわかりきった事だろう。

 私の狙い目的は、その先だ。一人で魔術師としてやっていくにも、何をするにも資金が必要だろうと、そう少し揶揄ってやりたかったのだ。

 実際の所、兄の目指す先に至るには、長い時間と、それに見合うだけの様々な、何よりも資金がいる。それをどうするつもりなのかと、そう揶揄ってやったという訳だ。上手くすれば借金の増額も見込める、そんな他愛もない揶揄い。

 だが、それに対する答えは、まったく予想外の所からやってきたわけだ。

 グレイ自身、自分が言い出した言葉に驚いているのだろう。フードをいつも以上に目深に被り、その表情を隠している。うん。普段の私なら、フードの奥に隠されたその表情を覗き込もうとあれこれと言葉を弄する所だが、困ったことに動揺しているのはグレイだけではない。

 ……私だって、そんな彼女の言葉に動揺してしまっているのだ。

 

「……レディ。君がそんな事をする必要はない」

 

 グレイの言葉に最初に立ち直った兄は眉間の皺を一層深くし、シガーケースから細い葉巻を取り出し―――そうとしてもたついている。

 ああ、これは。分かりやすい程に動揺しているな。顔色だけは変わらないのは、まあ、こういう演技だけはうまくなったものだと褒めておこう。

 

「……でも、師匠は言いました」

 

 長い沈黙の後、躊躇いながらグレイが口を開いた。顔を決して上げようとしないのは兄の言いつけ故か、それとも自身の言葉に対する複雑な感情故か。後者なら実に私好みの展開のはずだけど、まるで頭が働いてくれない。

 

「『君がいないと(生活出来無くて)死ぬ』って」

 

 グレイの言葉を聞いた瞬間、私の感情が爆発した。

 

「そんな事を言っていたのか! 兄上!?」

「や、その、レディ……」

「言ったのか! 言っていないのか!? はっきりしたまえ!」

「い、言いはしたがそれは………」

 

 私の悲鳴に、兄が言いよどむ。その姿に私は確信する。ああ、ほら。言った事は確かなんだな? 言ったんだな? 君がいないと死ぬって。そう普段から面倒を見て貰っている内弟子に、日常的に言っていたんだな?

 

「拙はこうも尋ねました。拙は師匠と一緒(の家的な意味で)にいてもかまわないでしょうかと」

「待ってくれ、グレイ。それは場面がちが―――」

「―――兄はどう応えたのかな?」

「『君がいなければ(生活出来無くて)困る』そう、言ってくれました」

「イッヒヒヒヒヒ! いつも言っているだろうなんて言葉も付けていたよな!」

 

 グレイの言葉を付け足すかのような笑い声。

 ああ、そう。そうなんだな、我が兄よ。

 

「……良いんじゃないか。そうなったら内弟子に養ってもらって。兄上、いや、その頃には関係も消失しているだろうが、君は年下の女に養ってもらうのがお似合いだという事だろう。今までも似たようなものだったからな。これからもそうだというだけだ」

「その、これまでの付き合いで初めて見せる表情で蔑むのは止めていただきたい!」

 

 兄の叫びに、再びアッドの笑い声が響く。

 

「時計塔のロードが、年下に養われて!? イッヒヒヒヒヒ! なあ、グレイ? そろそろ教えてやってもいい頃じゃないのか?」

「っ、アッド」

「なんだい? 良いじゃないか。この可愛い可愛い君の師匠の元妹にも教えてくれないか?」

「……ライネスっ」

 

 兄が非常に情けない声で私を呼ぶ。普段なら放っては置かないその声にも応えずに、私はただただ続くグレイの言葉を待つ。

 

「……貯蓄を始めました」

「貯蓄?」

「はい、メルヴィンさんから教えて貰って。……住宅金融組合に加入しました」

「建てるつもりか!? 兄と暮らす家を!?」

 

 俯きながら応えるグレイに、再び私は叫んでいた。

 

「その、魔術師には工房が必要だと。 ……拙の故郷の近くなら土地も安いですし、墓守が受け継ぐ土地もあると、そうベルザックさんも言っていたので」

 

 ああ、この子は。予想以上に本気だ。というかあのクズが関わっているのか。

 チラリと横目で兄を見れば、……完全に呆けているな。君、その顔はドクター・ハートレスの一件で見せていたあの情けない表情じゃないか。

 

「拙は、師匠に、笑っていて、ほしいんです」

 

 だから養うんですと、グレイが微かに笑う。

 フードに隠されて分かりづらいが、非常に朗らかな、私が数えるほどしか見た事が無い、いや、初めて見る美しく可愛らしい笑顔。

 その笑顔が美しい程に、グレイの覚悟が伝わってくる。思わず私が息を飲むほどに。

 ああ、私らしくない。掛ける言葉が見つからない。何を言えばいいのかわからない。

 兄も同様なのだろう。言葉を失い、なんとも言えない顔でグレイを見つめていた。

 それ以上グレイも何も言わなかった。伝える事は伝えたと、そうその朗らかな笑顔が言っている。

 だが、すぐにその静寂は打ち破られた。

 ノックも無く開かれる執務室の扉。そして姿を見せたのは―――

 

「法政科……」

「化野……菱理!」

 

 兄に名を呼ばれた振袖の女、化野菱理は極東のエキゾチックな笑みと共に応える。

 

「どうか菱理と。エルメロイⅡ世……いつものように」

 

 美しく微笑む化野菱理を見据えながら、私は兄に向け言葉を吐く。

 

「……兄よ、いつから菱理と呼ぶようになった?」

「い、一、二度そう呼んだことがあるだけだっ!」

「……あの目はそうは言っていないぞ? そうやって会う度に少しづつ絆されていくのは、君の悪い癖だな!」

 

 閉口した兄に、まあ同情しないわけでもない。もちろん、私は性質の悪い女なので、こういう所はどんどん追及していきたいのだが、今はそれどころでは無い。

 問題は何故ここに、このタイミングで神秘の隠匿を、ただ時計塔の安定と発展のために存在する法政科の女が現れたのかだ。

 

「なぜ、ここに法政科が……」

「ふふ、今日は個人的な用向きでして」

 

 そう言って微笑む菱理の手が、兄に向け伸ばされる。どんな王宮の舞踏会でも、その手を断る男はいないだろう。

 

「あなたを、養いに来たの」

 

 そう微笑む法政科の妖女は、女の私から見ても、とても美しかった。

 

「……なあ、我が兄よ」

「……なんだろうか、レディ」

「そろそろ私の脳が破裂して死にそうなんだが、ここはひとつ、君を残して帰ってもいいかな?」

「私の妹なら、脳が破裂してもこの場を収めるために働いてくれると思っていたが」

「……増えたぞ?」

「私が尋ねたいくらいだ。Why done it? ……そこに謎を解く鍵が―――」

「いや、君を養いたいだけだろう……。むしろこの場はHow done itの方だ。……どのようにして兄を養うつもりなのか……」

 

 私の言葉を聞き咎めたのだろう。菱理が数枚の紙片を取り出す。

 

「それは、拙の……!」

 

 取り出した紙片が、何かしの魔術礼装だろうかと身構える私達に応えたのはグレイ。そして菱理が取り出した紙片は……魔術書の紙片でも羊皮紙でもなく……ただの写真?

 

「……なぜ、あなたが……」

 

 震える声でつぶやくグレイの言葉に、菱理は再びエキゾチックな笑みを浮かべて写真をこちらにも見える様に向けてくる。

 あれは……兄の写真?

 

「ロード・エルメロイⅡ世秘蔵写真。この写真の出所はあなたね。可愛い従者さん」

「それをどうやってっ!」

 

 写真に映し出されているのは、誰が撮ったのかグレイに髪をブラッシングされている寝起きの兄や、ソファに仰向けで寝ころぶ兄。そして私やグレイくらいにしか見せないTシャツ姿の兄の姿。

 どれも時計塔では決して見る事の出来ない、まさしく秘蔵と呼べる、いや、私達以外からすれば神秘とも言うべき兄の姿。

 

「ウェインズ家を通して売買をしていたみたいだけど、そういうルートを見つけるのは得意なの」

 

 また、あのクズが噛んでいるのか。 

 

「法政科……だからですか?」

「そう、と言いたいけれど、もっと単純な理由ね。私も、ロード・エルメロイⅡ世のファンクラブ会員なのよ。それもエルメロイ教室の子達と同じ一桁台の。笠間と、そう言えば貴方には分かるかしら?」

「っ! あなたが……」

 

 よく分からない話を続ける二人を置いておいて、私は兄に振り返った。流石は―――

 

「流石は時計塔で抱かれたい男アンケート上位者だな、我が兄よ。ファンクラブまで有るらしいぞ?」

「誰が作って、誰が取ってるんだ、そのファンクラブとアンケート!」

「ちなみに抱きたい男ランキングでも毎年上位に入っているわ。こちらはあなたがロードに成る前からだけど」

 

 耳聡く私達の会話に混ざってきた菱理の言葉に、今度こそ言葉を失う。

 

「……君、よく無事だったな。その……色々と」

「だからその目は止めていただきたい!」

 

 数枚の紙片を、まるで大事な聖遺物を扱うかのように大切に仕舞い込んでから菱理が続けた。

 

「エルメロイⅡ世の秘蔵写真に、様々なグッズ。色々と手広くウェインズ家を通して販売しているようね」

 

 成程、グレイの言う貯蓄は、寮でのアルバイトでは無く、その兄の秘蔵写真とグッズによる儲けだったのか。しかも工房を建てる気になるほど儲けているとは……。エルメロイ家の借金を幾らか負担して貰ってもいいんじゃないか?

 

「確かにエルメロイⅡ世の女性人気と、ウェイバー・ベルベットの男性人気を巧く扱うあなたと、ウェインズ家の手腕には感心させられるわ。それでも――」

 

 ウェインズ家を強調するあたり、これ母親の方も絡んでそうだな。

 

「私には化野の家が管理する霊地が有ります。それも当然、日本の……ね」

「……くっ」

 

 日本という言葉に、グレイの優勢が崩れたように彼女は言葉を震わせる。

 

「私に養われるという事は、それを自由に出来るという事。どうかしら、エルメロイⅡ世。あなたは私と踊ってくださるでしょう?」

「師匠!」

 

 再び差し出された菱理の手に、グレイが悲鳴を上げる。だが、その手と悲鳴に兄が何か応える前に、再び執務室の扉が開かれた。

 

「じゃっじゃーん!」

 

 グレイと菱理。二人の緊張を、新たな声が打ち破る。

 

「エルメロイ教室愛人志望イヴェットちゃんですよう!」

「よし、帰れ」

「酷い先生!」

 

 扉を勢いよく押し開いて姿を見せたロリータ気味の眼帯少女が、兄の言葉に一瞬ショックを受けるがすぐさま復活する。

 

「先生争奪戦なんて面白い事をしているって知って、私も思わず飛び込んできました!」

「そのままそこの窓にも飛び込んでくれ」

「再び酷い!? まあ、とにかく! あたしもその争奪戦に参戦させてもらいます! びしっ!」

 

 最後の擬音までわざわざ口にして、横にしたピースサインでポーズを取るイヴェット・L・レーマンに私も辟易し息を吐く。

 

「お。まさかライネスちゃんもいるとは。んー、近親相姦はいけませんよ先生。あ、いや、義妹だからいい? 内弟子ちゃん達とみんな合わせたら5Pになるけど、うまくできなかったらごめんなさいね?」

「……ファック」

「こんな可愛い年下ばかりを集めて、このロリコンめ! あ! もしかしてあたしの控えめでキュートな胸だけじゃ飽き足らず、法政科さんの和服に良く似合うとても控えめな胸にも魅かれちゃいました? もう! しょうがないなー、このちっぱい好きめ! あたしに、グレイちゃんとライネスちゃんだけじゃ飽き足らないのか!」

「…………」

「………………」

 

 ……ああ、すごいな。登場から一瞬で、この部屋全ての人間を敵に回しているぞ。

 そんなイヴェットに、兄は強化した右手をワキワキしながらゆっくりと近づいていく。

 

「あ! 痛い! これがフラットくんが見ていた世界!? 先生の掌が手袋越しにでも視界いっぱいに広がっているなんて、すっごい痛いけど、とても素敵! ああ、でも! あたしは、先生が与えてくれるものは痛みでも何でも快感に変えちゃえるかも!?」

 

 兄の脳天締めによって釣り上げられていたイヴェットの悲鳴に、喜色が混じり始める。

 それを聞いた兄はゆっくりと、これ以上痛みを快感に変えさせないためだろう、イヴェットを降ろした。

 

「……イヴェット……」

 

 どうすればいいんだと、兄が堪えかねたように胃の辺りを押さえた。

 

「君も、まさか……」

 

 恍惚の表情を浮かべていたイヴェットが解放されたとたん残念そうな表情を浮かべ、それでもすぐさま嬉しそうに宣言する。

 

「その通り! ふふふ、ご存知のようにレーマン家は魔眼の大家ですからね! しっかり先生を養わせてもらいます!」

 

 もうどこから手を付ければいいのかわからないが、三人目の宣言により、室内に殺意が充満していく。

 グレイに、菱理に、イヴェットの三者が放つ殺意だ。

 互いが互いに敵であると、兄を養うための障害と認識したのだろう。

 グレイは無言でマントの内側から『檻』を取り出し、イヴェットは何時でも捥ぎ取れる様に眼帯に手を添え、菱理はただ静かに美しく笑う。

 

「……なあ、兄上? どう収拾をつける? いっそ君を三等分にして差し出せばこの事態は丸く収まるのかな?」

 

 そんな私の問いかけに、兄はその眉間の皺を一層深くする。君主と言っても、当然兄の魔術師としての力量で、この事態が収拾出来るはずもない。

 

「トリムを使っても、流石に私ではね」

 

 この三人は、止められない。

 一人ならまだしも、三人相手では。いやこの三人を相手取って無力化できるモノなど、どれだけいるだろうか? それこそ冠位の魔術師。または兄を除く君主でもなければ―――

 

「―――だったら、オレならどうだ?」

 

 足音が響いた。

 嘘だろうと、思わず手で顔を覆いたくなる。

 この殺意渦巻く室内に置いても、動じる事すらない力と権威を持つ女が現れたからだ。

 

「遅れて申し訳ない。おおよその事情は把握しているが、そういうことならオレがこの場を収めれば問題は無いんじゃないか?」

「……ロード・バリュエレータ」

 

 イノライ・バリュエレータ・アトロホルム。

 三大貴族の一角。バリュエレータ派の頂点に位置する老女。

 そもそも待っていないのに遅れて申し訳ないとか、どうやって事情を把握していたんだと色々と問い詰めたいが、それでも兄が微かに振り返り、僅かに目礼をする。

 

「……ミズ・イノライ。あなたがなぜここに?」

「おいおい、らしくない。今更の質問だろう、それは」

 

 片目をつむったイノライが、言わずもがなだと続ける。

 

「とはいえ、答えておこうか。―――養いに来たんだよ、現代魔術科の君主を」

 

 もはや予想通りと言うべきか。

 ここに来ての四人目の登場である。それも正真正銘本物の君主の。

 イノライの手が、腰にくくられた小袋に触れていた。この状況下であっても、イノライは愉しげに、微笑んでいる。

 

「もちろん、養うくらいだから、こちらでエルメロイを庇護する気もあるぞ。かのロード・エルメロイⅡ世を養わせていただけるなら、うちが扱う霊地のひとつふたつみっつでも譲っていいくらいだ」

 

 バリュエレータの抱えている霊地ならばいずれも時計塔でも指折りの霊地であり、それを得られれば兄に大いに箔が付くだろう。

 

「……あいにく、それほどの霊地を扱う程の器がありませんので」

「さて、それはどうかな?」

「お誘いは感謝します。ですが、なぜあなたまで……」

「長い人生なんだから、たまには刺激が必要だろう? きっちりエルメロイごと養ってみせるさ」

 

 それくらいの気持ちで、この老女は兄を養おうとしている。冠位決議ではハートレスの共犯者として、兄を嵌めておきながら、次の手番ではにこやかに養ってみせるとすら言ってのけるのだ。

 

「よかったら、近くのモダンチャイナでこれからの人生設計について語り合うというのはどうだい? だがまあ、とにかくはまずこの場を収めてからか」

 

 創造科の君主の登場は、ぶっちゃけ兄と私の胃を痛めるだけのものでしか、なかったのである。

 というか、もういい加減にしてくれと私、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテはそう素直に思ったとしても、それは仕方の無い事だろう。

 

 

 

 

 

 

「さあ、異議無く余儀なく燃え尽きろ!」

 

 イヴェットが声と共に眼帯をずらし、露わとなった眼窩に嵌め込まれた鮮やかな紅玉が、まっすぐにこちらに向けられている。

 あれは炎焼の魔眼。

 全てを焼き尽くす、イヴェットの加工魔眼。

 

「アッドっ!」

「ヒヒヒ! 君主まで出てくるとはなぁ!」

 

 複数の魔術師によって生み出された、師匠の部屋に充満した魔力を吸収して、アッドが展開する。

 第一段階応用限定解除。

 大盾に、魔眼によって生み出された炎が遮られる。

 

「……ここ、室内だぞ?」

 

 ライネスの声。微かに背後を確認する。ここでは巻き込んでしまう。

 瞬時に大盾から変形させた死神の鎌を、振るう。

 狙いはイヴェット―――では無く、部屋の壁。

 

「広くしてくれてありがとう内弟子ちゃん! これで存分に!」

 

 イヴェットが躊躇いなく眼窩に指を突き入れる。壁が崩れ広くなった場に合わせ、魔眼を取り替えるつもりだ。

 

「っ!」

 

 壁に向かって一手振るった為に、大盾に変形が遅れる。その隙をイヴェットが見逃すはずが無い。分かっていた事だ。

 それでも拙は守りたい。

 イスカンダルとの、かの英霊との想い出に向き合う時に見せるいつもの目とは若干違う、放心したような遠い目をした師匠を。

 

「アッド、喰らって!」

 

 このまま死神の鎌で、魔眼の効果を斬り裂く。その覚悟をもってイヴェットに切り込む。

 相殺できず、取り替えられた新たな魔眼によって傷つくのは織り込み済みだ。

 だが、イヴェットの魔眼の効果はこちらには向けられなかった。イヴェットの背後から蛇が巻き付いたために。

 この場にいるのは、師匠とライネスを除けば、誰もが誰もの敵なのだ。

 

「まずは、あなたを拘束させていただきます」

 

 蛇は菱理の魔術であった。かつて魔眼蒐集列車でイヴェットを拘束した蛇を用いた魔術。それが彼女を縛ろうとしている。

 

「甘い!」

 

 イヴェットが笑う。笑うと同時に蛇が封印の布と変じイヴェットを拘束する前に、蛇の身体がボロボロと崩れ落ちて行った。

 

「エルメロイ教室の生徒に、同じ手が二度通じると思うな!」

 

 蛇を防がれた菱理に動揺はない。

 それでも一度はなすすべなく拘束された魔術を、師匠の目の前で防いで見せたイヴェットはその笑みを強くする。

 まるで、師匠を養う資格があるのは自分だと、そう宣言するかのように。

 

「……いやいや、どんな宣言だ」

 

 声はライネス。

 その声を聞きつつ、死神の鎌をイヴェットに向け斜めに振り下ろす。今度はイヴェットが一手使って菱理の魔術を防いだ。この鎌の一撃を防ぐ手段は無いはずだ。

 

(砂絵……!?)

 

 振り下ろした死神の鎌は、ばら撒かれた色砂で描かれた砂曼荼羅によって防がれた。

 

「この魔力量! 本物の君主は伊達じゃないな!」

 

 驚愕した様なアッドの声。

 これが、ロード・バリュエレータの魔術。押し切ろうとするが、それ以上踏み込むことも出来ない。

 

「流石はエルメロイ教室の生徒だ」

 

 にんまりと老女が笑う。

 

「レーマン家はメルアステア派だったな。どうだ、君だけでも派閥を変えるつもりは無いか?」

 

 イヴェットを救ってみせたイノライが、楽しそうに誘いを掛けていた。

 

「民主主義派が、私なんて欲しがるとは思いませんけど?」

「そうでもないさ。エルメロイ教室の生徒には、俺も期待するところでね」

「でも残念。私にとって重要なのは派閥じゃなくて、先生の愛人のポジションですから!」

「それがどこまでポーズで、どこまで本気か気になるところだな。だがまあ、愛人志望ならオレと手を組んでも問題無いはずだ。君主が愛人を持つなんて、珍しくも無い。それに、この場で一番厄介なのは内弟子の彼女だろう?」

「その一時共闘、乗った!」

 

 イヴェットとイノライがこちらに向き直る。

 誰もが敵という場のバランスが崩れる。ならばこちらも菱理と、という訳には行かない。魔術師という存在がどういう存在なのか、師匠と供に様々な事件を通して見て来ている。

 

「っく!」

 

 迫る色砂を、死神の鎌で弾いていく。二合三合と撃ち合い、次第に色砂に籠められた魔力が強くなっていく。

 

「ヒヒヒヒ! こりゃ食い放題だ!」

 

 アッドが色砂に籠められた魔力を喰らっている。だが、込められた魔力が減少する事は無い。アッドが喰い尽くす以上の魔力が、供給され続けているから。

 

(……これが、創造科の君主)

 

 再び、アッドの形態を変化させる。

 大槌。

 破城槌の威力をもって、一度色砂を吹き飛ばすしか無い。

 

「……おいおい、部屋も吹き飛ぶんじゃないか?」

 

 三度ライネスの声。

 だけど創造科の君主は、大槌すらも弾くかもしれない。

 だが、それでも。

 

「……師匠を、養います」

 

 と、自分は口にした。

 

「イッヒヒヒヒヒ! 養いたい、養いたい! グレイ! お前はずっと、あいつを養うために色々やってきた! グッズを作って売って!」

 

 そうだ。自分は、師匠を養うために様々な事をしてきた。

 

「家を建てるために! 養うために! 売りたくもないものを売って!」

 

 そう、売りたくは無かった。

 

 師匠の写真。

 拙に髪を梳かれる師匠。

 眠そうに、拙に顔を拭かれる師匠。

 胸に世界地図が描かれたTシャツ姿の師匠。

 論文に没頭するあまり拙の手で、まるで親鳥に餌を与えられる雛のようにサンドイッチを頬張る師匠。

 

 拙が知っている、拙とライネスしか知らない師匠の姿。

 

 師匠が着なくなった古着で、ぬいぐるみを作ったら飛ぶように売れた。

 抱き枕を作ろうというメルヴィンの提案にも乗った。

 

 だけど、それら全て。

 売りたくは無かった。

 それは全て、拙とライネスが。

 拙だけが、知っていればいい師匠の姿。

 

「養うんだろ! だったらいい加減本気になれ!」

 

 師匠を養うために、師匠を切り売りする矛盾した姿。その姿をずっと見守ってくれていた匣。養いたいと打ち明けられなかった自分を、ずっと見守ってくれていた匣に背中を押される。

 

「……ああ」

 

 吐息がこぼれる。

 あの人を―――

 

(―――養って、あげたい)

 

 痛いほどに、思ったのだ。

 

「なんかもう君、どれだけ内弟子に養いたいと想われているんだ?」

 

 四度のライネスの声。

 だが、声には構わずに心を冷やす。不要な機能を停止させる。自分の意識をトランス状態に浮上させる。

 

「Gray……Rave……Crave……Deprave……」

 

 自己暗示はさらに深く。

 太源は不十分。君主の魔力を喰らったとはいえ、それでも宝具を展開できるほどの魔力はあるだろうか。

 

「Grave……me……」

 

 足りなくても、不十分でも。

 それでも、それでも。師匠を。

 

「さあ、口に出せ! お前の覚悟を伝えてやれ!」

 

 アッドの後押し。

 

「師匠を……養いたい!」

 

 きっと、それは―――ロンドンに来てから、初めて拙が抱いた『願い』だった。

 

「ヒヒヒヒヒ、確かに聞いたぞ、愚図グレイ―――擬似人格停止、魔力の収集率、規定値未満。第二段階強制限定解除を開始」

 

 アッドの声が自動音声に切り替わる。

 

「十三拘束解放―――円卓議決開始!」

 

 今、聖槍の内側で、師匠を養うための円卓議決が宣言させる。

 

「是は、養うための戦いである。あとなんか面白そうな戦いである」

 ―――承認、ケイ。

 

「第三段階限定解除を開始」

 

 解放された一拘束が後押ししてくれる。

 

Provide(養おう)……foryou(あなたを)……」

 

「あの子、トランス状態でも養おうとかいってるぞ、兄よ?」

 

 歌う。謳う。詠う。

 古き生活よ、死に絶えよ。

 新しき生活よ、こんにちは。

 

「聖槍、抜錨」

 

 自らの槍を見上げながら、ふと思った。

 静かな部屋。葉巻の香り。古い本の香り。みんなが賑やかに語らっている教室。

 そんな家を建てよう。そこで、養おう。

 なんと、師匠を養う生活は眩いのか。

 その生活を想像すると、なんと、この胸は滾るのか。

 

最果てにて(ロンゴ)―――」

 

「ちょ、ちょっと! 気付いたら法政科もバリュエレータも居ないんですけど!?」

 

 イヴェットが叫んでいる。

 だが、構わない。このまま振り下ろすだけだ。

 養うために。

 

「―――輝ける―――」

 

 瞬間、嗅ぎ取ったのは、葉巻の香り。

 拙の好きな、師匠の葉巻の香り――――――。

 

 

 

 

 

 

「崩壊したのが君の部屋だけで済んだのは、経緯を考えれば重畳の結果だな、愛しの我が兄上?」

 

 そう崩壊した執務室で、意識を失ったグレイを優しく抱き抱えた兄を見下ろす。アッドも眠りについているのだろう。口やかましく騒ぐこともない。

 

「トランス状態を強制解除できる手段を構築していたのかい?」

 

 私の質問に、兄は眉間の皺を深くさせながら答える。

 

「……この葉巻の香りを条件付けとした」

「なるほど。君のそれは、グレイにとって非常になじみ深いものだろうからね」

 

 その香りは何よりもグレイを安定―――リラックスさせるものだろう。なるほどなるほどと頷きつつ、崩壊した兄の部屋を眺める。

 

「……修繕費はどうする?」

 

 私の質問に、兄はさらに眉間の皺を深くし、嘆息しながら答えた。

 

「……エルメロイの負債に加えておいてくれ」

「承った」

 

 借金が増えた事を嘆息しながらも、兄はグレイのフードを非常に優しく被り直させる。

 まったく、そういう所が今回の原因だろう。

 

「あ、あのー、先生? お部屋の修繕はレーマン家で―――」

「生徒にこのような事で借りを作りたくはない」

 

 一人残っていたイヴェットの提案を迷いなく、一蹴する。

 

「あ、あとこれ。近くに落ちていました」

 

 イヴェットから差し出されたそれを、グレイを抱き抱えた兄に代わり私が受け取る。

 

「映画館に芸術館の無料招待状? それにこれは……蛇の抜け殻か?」

「ミズ・イノライと、菱理の置き土産だろう。……蛇は脱皮をすることで、邪気などを脱ぎ去り、新しい命に生まれ変わると考えられていることから、縁起物、とくに金運を上げると重宝されている地域もある」

 

 こんな状態でも授業を始めてしまう兄に、嘆息をした。そして笑う。君という人間は、どこまでもそういう男なのだろうと。

 

「……何が可笑しい?」

「いや、君はまだまだ手放せないと、そう思っただけだよ。我が愛しの兄上?」

 

 君を養いたい人間はまだまだ居そうだが、何はともあれ、エルメロイの負債を完済するまでの間は、丁重に、私が養ってみせようじゃないか。

 

「……妙に嬉しそうだな?」

「ふふ、そう見えるかい? 君の増えた負債を思って笑ったのさ」

「……お前は、悪魔か」

 

 久々の兄からフレーズに、私は今日一番の笑みを浮かべる。

 

「君の愛しい愛しい義妹だとも」

 

 私の言葉に、兄もまた今日一番の嫌そうな顔をし、その顔にぞくぞくと背筋に愉悦が走った。

 ああ、やはり。

 兄のこういう顔を見れる義妹という立場をまだまだ譲り渡すつもりも手放す気もない。

 そう私、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテは思うのだった。



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