24歳独身女騎士副隊長。   作:西次

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 何だか話数を重ねるごとに余計なことを考えたり、考えるたびに時間を費やしたりして、サクサク書けなくなってきた気がします。

 それでも、最低一月に一度のペースは落としたくないので、取り急ぎ投稿させていただきました。



天下の静謐はもう少し先のお話

 

 シルビア王女にとって、本来ならば異国の商人など興味の対象外だった。もの珍しさより、実用性を求めるのが為政者として正しい態度である。

 ただ、メイルから是非にと紹介されたのであれば、検討してもよいだろう。いかに運用するかは、実際に会ってから決めればいい。……シルビア王女が有能である、と認めればの話であるが。

 

「ほーん、で、ミンロンとやらは使えそうなのか」

「精査中、といえば聞こえはいいですが、まあ放置に近いですね。個人的に話を聞いたり商売の動向を探ったりはしましたが、それだけです。結局のところ、私の単なる勘働きに過ぎませんが――そこそこは、使えると思いますよ」

「……ふむ。しかし、メイルの勘は案外馬鹿に出来んからのう。おぬしが何かを感じたというなら、期待をかけてもいいかもしれん」

 

 シルビア王女は、メイルをいつものように呼びつけていた。何かしら新しい話題とか、娯楽的な何かを求めてのことである。

 横暴に見えるかもしれないが、これはこれで必要なことだった。他国の情報というものは、それだけ重要なものであるし、確たる信用のおける情報源は、さらに貴重である。

 呼びつけられるメイルの方も、出張には結構な手当が出るので、拒否する理由はなかった。……モリーとの関係を考えれば、今後はどうなるかはわからないが。

 

「どことなく、ミンロンという名は聞き覚えがあるな。……ああ、そうだ。確か、ゼニアルゼの王宮にも出入りしておったはず。わらわが嫁入りする前から、御用商人として使われていたような、そんな話を聞いた事があったわ」

「御用商人ですか? その割には、随分若く見えましたが」

 

 ゼニアルゼ王家に重用される御用商人ともなれば、おおよそが歴史のある大家であり、その当主ともなれば相応の年齢の者が多い。メイルが意外に思うのは、当然のことであったろう。

 

「実際、不相応なほど若いのだろう。いい話は聞いた覚えがない。……数多くいる御用商人の中では、出る杭として打たれる立場であったと見るべきか。少なくとも、このゼニアルゼに限るならば」

「クロノワークへの進出と、私たちとの接触が無ければ、ここまで話が届くこともなかったわけですね。……彼女にとって、あの出会いは運命的であったかもしれません」

 

 運命的、という表現は、メイルにしては感傷的な表現ではないか。シルビア王女は何となく違和感を覚えたが、人は変わるものだ。いちいち気に留めることではないか、と判断する。

 

「――つまり、両国との交通を改善させたわらわは、そやつに貸しがあると言ってもよいな? 初手から話を優位を進める、いい口実が出来たのう」

「いささか強引な論理にも聞こえますが……話の流れ的に、彼女と会ってくださるんですね。面会はある種の特権に近いですが、よろしいので?」

 

 シルビア王女と面会したい、と申し出ている者は、商人に限らない。その中であえてミンロンを選ぶのだから、相応の理由が無ければ面倒な結果にならないか?

 メイルには政治的な事情などわからないが、念のために尋ねておきたかった。

 

「よいよい、奴はまだクロノワークにいるのだろう? その内こちらにもやってくるのであろうが、せっかくじゃ。馬車を用意して、呼びつけてやるとしよう」

「雑に呼びつけるようなやり方では、かえって反感を買うのではありませんか?」

「わらわはそういう無礼で横暴な女ゆえ、今さらやり方など変えられんよ。――そうであればこそ、突拍子もなく東方の商人などを呼び込めるのだ。わらわの気まぐれに巻き込まれた、という形であれば、周囲からの嫉視も最低限に済ませられるであろうよ」

 

 悪役じみた歪んだ笑みを浮かべて、シルビア王女はそう言った。顔はアレだが、彼女なりの配慮であるとメイルは認めた。

 

「シルビア様なりの気遣い、という訳ですか。この点は理解してもらえるよう、ミンロンにはそれとなく言い含めておきましょう。……クロノワークで商談をまとめている最中だったりしたら、結構な迷惑になるでしょうけど」

「そこまで時間は取らせんよ。三日かそこらの時間をいただくだけだと思えば、さしたることではあるまい」

 

 ゼニアルゼとクロノワーク間の交通は、今やかなり改善されていた。ミンロンにとっては、移動自体は苦にもならぬだろう。

 実際に商談の邪魔をされてしまったなら、精神的に辛かろうが――。

 

「多少強引に進めてしまうが、受け入れてもらわねばな。わらわの伝手に、やり手の商人は居らんし……ここらで新規の人材を確保するのも、一手ではある」

「また愉快なことを考えておられるので? その一手の結果、どれだけの人が巻き込まれるんでしょう」

「知らぬ。有象無象の事情など知ったことかよ。――わらわはわらわが思った通りに、思うがままに生きる。先のことについては、まだ語ってはやれぬな。メイルはしばらく、適当にしておればよい」

 

 そこはそれ、シルビア王女という人物と付き合いたいならば、必要な痛みでもあったろう。

 彼女は常に振り回す側であり、下々の者たちは、いつだってシルビア王女の都合で利益も不利益も押し付けられるものだった。

 

「しかし、シルビア王女に商人の知り合いが少ないというのも、なんだか意外な気がしますね。実際、より取り見取りなのでは?」

「そうでもない。あいにくゼニアルゼの商人どもは、頭の良さより腹の黒さの方が目についてな。取り込む価値すら見出せぬゆえ、勝手に商売させておくのがいい。適当に利用するだけなら、それで不足はないのでな」

「なるほど。――いえ、実感としてはわからないのですが、ミンロンが貴重な存在になるかもしれないと、そう見込んでいるのはわかりました」

「……まあ、なんだ。軍人とか政治屋とか、人脈がそちらの方に偏っているという自覚くらいはある。毛色の変わった商人などがいるなら、手元に欲しいと思っていたところだ。自由に使えそうな手駒は、これからはいくらあっても足りぬ故な」

 

 手駒を増やしてどうするつもりか――なんて。メイルは、問い質そうとは思わない。

 物騒な話に手を突っ込んでも、巻き込まれるばかりで良いことなんてないんだと、彼女は付き合いの長さから察していた。

 それでも、いざとなれば駆り出されるんだろうなぁ、なんて。あきらめるくらいには、深い付き合いでもあったのだが。

 

「とにかく、決めたことよ。ミンロンとやら、わらわが直々に見定めてやろうではないか」

「では、そのように。彼女には、私が付き添った方がよろしいですか?」

 

 メイルを付き添わせれば、ミンロンも事の重要性を実感するだろう。わかりやすく、目を掛けられていると自覚するはずだが――シルビア王女は、その方法は取らなかった。

 

「それには及ばぬ。が、おぬしの帰国と、ミンロンへの迎えは足並みをそろわせよう。そやつがこちらに来る前に、助言くらいはしてやれ。……わらわの気遣いも、これが限度よ」

 

 貴人の行いには、比喩なり暗喩なりが含まれていることが多々ある。これをミンロンがどう受け取るかは別として、メイルはそれなりに気に掛けてはいるのか、と何となく察した。

 相応の理由があるとはいえ、先触れなしに馬車をよこして呼びつけるなど雑過ぎる。本来ならば、取り込むべき相手にする態度ではない。

 だがそこにメイルを入れて助言させることで、そちらを尊重するつもりはあるのだと、間接的に示すことが出来よう。むしろ雑な対応は見せかけで、本心は別のところにある――と、そこまで理解してくれるかもしれない。

 前提として、シルビア王女が雑な対応をするときは、わざわざ身内を巻き込まないものだ。ミンロンほどの商人なら、その程度の情報には通じているはず。

 

「わかりました。――しかし、助言ですか。そう言われましても、余計なことをせずに誠実に対応すれば、無体を働く方ではない、と。私に言えるのは、それくらいではありませんか?」

「それでよい。メイルほどの女が言えば、そこには意味が生まれる。わらわとしても、おぬしを不実な女にはしたくないゆえな。――使い出のある駒であれば、さっさと厚遇して取り込むのが最良。他所の誰かに誑し込まれる前に、こちらで確保しておきたい。……実績次第では、直通の連絡手段を与えてやってもよかろう」

 

 状況が上手く推移すれば、シルビア王女はミンロンとの間にホットラインを作り上げることになる訳だ。

 仲介役を省くことには、メリットもあればデメリットもある。メイルとしては、そこまで入れ込む理由があるのかと、いぶかしく思うほどであった。

 

「しかし、そこまで急ぐことですか? あの商人、やり手だとは思いますが、人格は別だと思います」

「必要と感じたならば、即座に動くのがわらわの信条でな。……そもそも、賢愚と善悪は別物だ。多国を股にかける商人であれば、馬鹿ではあるまい。そして多少なりとも頭が回る手合いならば、わらわの知己になる意味をこれ以上なく理解するはずよ。で、あれば――どのような形に収まるにせよ、相互互恵の関係は作れようさ」

 

 シルビア王女は、いつものように不敵な笑顔で、そのように言い切った。

 メイルはそれを、信じて良いと感じ取った。感覚的なもので、理屈ではない。戦場で己を救うものは、まさにこの感覚的なもので、本能が保証する限りにおいて、信頼できるものだ。

 脳内で警報が鳴り響かないうちは、流れに身を任せるのが最良。メイルは自分の感性を信頼していたから、異論は述べなかった。

 

「今回の件、私なりに骨を折ったつもりです。――見返りは、期待してもいいですよね?」

「ああ、もちろんだとも。そやつとの交渉で、明確な利益が得られる見込みが立てば、紹介したお主に報酬を与えるのが筋と言うもの。わらわは、仁義を守ることで信用を得ているのだ。この点をおろそかにする愚は犯さぬ」

 

 まずは会って見ねば話にならぬが、会見の見通しが立っているなら、おおよその結果は予測できる。とすれば、功績の前借も可能になるだろう。

 シルビア王女とメイル。お互いの能力を信用していればこそ、成り立つ計算である。なればこそ、メイルはここで一歩踏み込みたくなった。誰よりも何よりも、己の為に。それが必要だと、本能が突き動かすのだ。

 

「お気に召してくださったなら、なによりです。では、私への報酬を具体的に考えていただきたいのですが」

「いささか気が早くないか、それは。ミンロンの才覚を見定めてからでも遅くはあるまい」

「すいません、ちょっと遅いんです、それでは。……私の恋路に関わることだと、言えばわかるでしょうか」

 

 遅い、とメイルは言った。そこにシルビア王女は引っ掛かったが、恋愛においても速度は力である。

 恋敵に対抗するためにも、決断と行動には早さが求められる。そこを理解してやらねば、主君として片手落ちと言うものであろう。

 

「ああ、モリーと関係のあることか。察するに、色々と関係は進んだようじゃな? ……わらわの方からでは、ちと想像がつかん部分もある。詳細に語ってくれると嬉しく思うが、どうかの?」

「――つまり、言い値で買ってくださると。そのように見て、よろしいのですか?」

「金か物件で済むなら、ある程度は融通してやろう。わらわ自身に何かしらの行動を望むのなら、それなりの情報を求めるがな?」

 

 シルビア王女は、これ幸いにと情報収集を試みる。今つつけば有用な話が聞ける、と思ったのだ。

 メイルの方も、釣り針に獲物が掛かったことを理解した。ささやかな願いを口にするくらいは、許されるだろうとも思う。

 

「そこまで多くは求めません。次にモリーを呼ぶときは、私も同行させてください。何の口実であれ、モリーの相方として、私を招待してほしい――と。望むのは、それくらいですよ」

「……ま、よい。許そう。何とか理由を付けようではないか。それゆえ、わかっているよな?」

 

 モリーに対するアドバンテージは、稼げるだけ稼いでおきたい。もちろん、メイルは彼女に不利益となる情報は渡すまいが、他愛のない些細な話だけでも構わなかった。

 

「では、私見でよろしければ喜んで述べましょう。出来ればお互いに近況を語り合って、意見のすり合わせをやっておきたいくらいですがどうでしょう。……私が色ボケしている可能性だって、無きにしも非ず――なので」

「この際だ、構わんさ。受け取った情報に値するだけのものを、こちらも公開してやろう。わらわとメイルの仲ゆえ、多少はオマケしようではないか」

 

 公開情報だけでも、おおよそのことは読み取れる。それだけの能力は持っていると、シルビア王女は自信を評価していた。

 その上で、メイルが知る限りではあるが、モリーの近況を把握した時――。彼女が持った感想はと言えば、それなりに深刻なものであった。

 

「――ミンロンとやら、存外に重要人物となるかもしれん。モリーがそれだけ大きな影響力を持っているのだと、言ってしまえば身もふたもない話じゃが」

「モリーと東方の商人が結びつくことが、大きな話ですか?」

「大事も大事よ。モリーと本気で付き合うつもりなのか、商談のついでに問い質さねばなるまい」

 

 モリー回りの最新情報は、人間関係も含めてシルビア王女を楽しませた。だが、ミンロンが絡んだ話を全て聞かされて、彼女はむしろ懸念の方を強く抱く。

 

「そもそも、何故あ奴に東方の教養などがある。いや、そこまでは誰しもが抱く疑問だが、なんやかんやで流せよう。――だが商人の方がそこに食いついて、翻訳作業を求める? なんだそれは。まるでこれから、東方文化を流行させたがっているようではないか。そこまで見込まれるモリーも不思議じゃが、これに投資する方もどこか狂っておる」

「……いや、流行したほうが利益になるからじゃないですか? 東方の商人っていう肩書も、そうなれば一種のステータスになるわけですし」

 

 それが問題だとばかりに、シルビア王女は顔をしかめて言葉を続けた。

 

「東方文化が流行して、思想まで影響されればちと面倒なことになるやもしれん。王族を含めた上流階級にまで、あちらの文物に魅了されたらどうなる? ……交易面での不利、金銀の流出、その程度で済めばいいが――」

「経済的な不安なら、シルビア王女がご自身で調整なされれば、それで片が付くではありませんか。交易を締め上げるくらいの政治力はお持ちなのだし、嫌になったら改めて交渉し直せばいいのでは?」

 

 シルビア王女の頭脳は、一足飛びに不穏な結論をはじき出したが、その疑念は行き過ぎであろう――と、メイルは言う。

 

「前々から、東方とは細々とやってきているんでしょう? 多少規模を拡大したところで、影響はないはずです。モリーを過大評価するついでに、ミンロンまで危険視する必要はないでしょう」

「……まあ、そうよな。考えすぎか。文化侵略とか、同化政策とか、色々と思いついて混乱したのかもしれん。だがモリーについては、過大評価しているつもりはない。翻訳作業とて、首尾よくいけば歴史に名を残す偉業となるやも――いや、やはり大騒ぎしすぎか、これは」

 

 シルビア王女の深淵なる考えなど、メイルには理解が及ばぬ。それこそ話題を変えられては、改めて気にすることさえ難しいので、曖昧に笑ってお茶を濁す。

 

「うむ。それはそれとして、メイルの為にもモリーを呼びつける口実を作らねばならんな。――なんぞイベントでも考えて……個人的なパーティーでも良いか。ミンロンとの商談を終わらせ次第、催し物をでっち上げてやろうか」

「何かしら、お考えのようですね? ……一応申し上げておきますと、私と付き合うノリでモリーと接しても、距離を取られるだけだと思います。彼女、アレで常識的な所がありますから」

「常在戦場のノリで教官やっておったのに、常識的とな? ……まあ、距離感を間違える愚は犯さぬよ。――さて、名目は何が良いかな」

「お手柔らかにお願いします。……あんまり刺激的なお題目だと、モリーの方が嫌がるかもしれませんので」

 

 メイルの心情を述べるなら、モリーを連れ出すだけならともかく、メイルと二人きりで同行させるということになれば、もれなくザラが不機嫌になるのはわかりきっている。

 それだけならまだ耐えられるが、この上シルビア王女にまで気に入られてしまえば、ザラの感情がどうこじれるかわかったものではなかった。

 なので、メイルとしてはモリーは王女と距離を取ってほしい、とも思う。都合のいい話ではあるが、望むだけならば自由であろう。

 

「で、あるか。しかしモリーのやつ。以前からわらわに良い感情は抱いておらぬ様子であった。……ゼニアルゼにおける功績をかんがみれば、わらわがモリーを重用したい気持ちも、理解してくれてもいいはずじゃがな」

「モリーはクロノワークの騎士であって、ゼニアルゼの騎士ではありません。それを重用とは、表現が適切ではないと思いますが?」

「さして変わらぬ――と、いや、これは失言であったか。……おぬしは難しいことなど考えるべきではない。さほど長くは留まれぬが、モリー同伴でゼニアルゼに滞在できる貴重な機会じゃ。さほど待たせずに済むであろうから、楽しみにしているがいい」

 

 シルビア王女がそういうのならば、事実なのだろう。短期の出向なら、ザラも納得してくれるはず。

 しかし、胸騒ぎがする。他の誰でもない、メイル自身が何か穏やかではないものを感じていた。

 ――それもたった今、シルビア王女による『さして変わらぬ』発言を聞いた瞬間に、である。二人きりの楽しい旅行になればいいと、そう思っていたというのに。これでは、何かしらの事件が起きる前触れのようではないか。

 

「そうですか。そうおっしゃられるなら、はい。……私としても、これ以上異論は申し上げません」

「うむ、うむ。……さて、どうしたものかな。色々と思いつくが、どうすればあやつを驚かせてやれるものか――」

 

 原因は、シルビア王女の傲慢か? それとも催されるであろうパーティに問題が? 理解など及ばぬし、運営に関わることも出来ないというのに、気になって仕方がない。

 異論を口にできるほどの確信も、根拠さえもなかった。しかしメイルは、ここで素直に思考を放棄できるような、能天気な頭など持ってはいない。

 さりとて、名案が浮かぶほど明晰でもなかったから、悩みばかりが膨らんでいく。

 

「もう、頭が痛いってもんじゃないわよ……」

「なんじゃ、体調を悪くしたのか? 疲れたなら、しばらく休んでいっても良いぞ」

「――いえ! 心配には及びません。……精神的なものなので」

 

 いよいよとなった時、モリーと共にどうやって過ごすべきなのか。滞在する期間が、どんなに短かったとしても――もはや考えなしに自堕落に過ごすことは出来ないのだと、メイルは本能的に理解せざるを得なかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王子様の鍛錬も、だいぶ練れてきたと思う今日この頃です。モリーです。

 予定していた通り、実験農場での肥運びもやらせてみました。最初の内は色々と酷いことになって、涙目になってたよ。

 糞尿にまみれる王子様とか、たぶん西方では史上初ではなかろうか。でも五日、六日と繰り返すうちに慣れたみたいで、汚物を運ぶ効率が段違いに上がりました。

 若者は成長が早いね――と、それ以前に彼の忍耐を褒めるべきだろう。生来の貴種である王子様が、ここまで身をやつした以上、称賛しない方が無作法と言うもの。

 

 もっとも、肥運びが上手になることが目的ではないからね。重要なのは正中線の維持、体幹を鍛えること。この点が出来てなければ意味がないのだけれど、とりあえずの成果は出ている様子。このまま続けていけば、身分を失っても立派な兵士としてやっていけそうだ。

 兵隊は走るのが商売、と良く言われる。戦力の機動がそれだけ重要であることの証左であり、遊兵の存在がどれだけの機会損失をもたらすのか――という、実に実戦的な格言であると思う。

 しかし、兵を走らせるには充分な配慮が必要だ。飢えと渇きから守るのはもちろんだが、戦うための装備を用意してやらねばならない。

 しかし重装備だと、疲労から体幹が崩れることがよくある。体幹が崩れると疲労しやすいし、長距離を移動すれば、戦闘時には満足に動けなくなることも多い。

 こうした体勢の不利が、思わぬ危険を呼び込むものだ。だから兵隊の訓練には、体力の向上が最も重要で、疲労への耐性を付けることが次の課題であると言える。

 辛い運動に早々に慣れてくれた方が、鍛錬の段階も進められる。王子の飲み込みの早さは、私にとっても嬉しい誤算だった。

 ……嬉しいだけで済まなかったのが、惜しいほどに。

 

「そろそろ試合をさせろ。随分汚い思いをしたんだ。報われてもいい頃だと思わないか?」

「……試合、と申されましても。同世代で一国の王子と競える相手など、それこそエメラ王女しかいませんし。あの方とはやらない、と前に決めたはずでは?」

「何を惚けた顔をしている。――僕は、お前と打ち合いたいんだ。今の僕が、どこまで通じるかを知りたい。いいだろう?」

 

 正直な感想として、面倒なことになった、と思う。

 鍛錬を繰り返すたびに改善が見られたから、間違いなく見込みはある。ソクオチの王子様は、長い目で見れば充分強くなれるよ、絶対。でも私を相手にするのは、まだまだ早いんじゃないかな。

 

「子供と大人です。勝負にならないことは、わかりきっていますよ?」

「わかってる。でも、僕には伸びしろがある。これから鍛えれば、いつかはお前だって越えられるかもしれないじゃないか」

「身分にかかわらず、自身の未来に希望を抱くのは、誰であっても許されることでしょう。……自分の可能性を信じることも、個人の自由であると思います」

「やっても無駄だから考え直せ、って言いたいんだろう? でも駄目だ。僕は退かないぞ」

 

 鍛錬を続けるうちに、我を押し通すだけの強さを得られましたか――なんて、寿いでやりたい気持ちはあったけれども。

 王子の成長を喜ぶ一方、この調子では私を越えることは一生あるまい、という無慈悲な確信も得てしまった。

 とはいえ、それは相手が王子様である以上、むしろ正しい傾向だと言える。トップが死狂っては下々の者が苦労してしまうからね。

 葉隠は、あくまでも仕える側の人間の為の書なのだ。統治者には統治者に向いた志向がある。私の思想を受け継がせるにしても、そのまま与えるのは害の方が大きいと見るべきだ。なので、いくつかのクッションを介して受け止めさせたかったのだが――。

 

「しかし、今私と直接殴り合うのは、悪影響の方が大きいでしょう。手加減はしますが、それでも痛みが皆無とはいきません。万が一怪我でもさせてしまえば、最悪責任問題になります。誰にとっても、いい結果にはならないと思いますが」

「……だが、圧倒的な強者に対する立ち振る舞いを、僕は知りたいんだ。せめて、それなりの出血を相手に強いるために、学べることは全て学びたい。……僕は間違っているかな?」

「いいえ。――戦場では、自分よりも弱い相手とばかり戦えるとは限りません。場合によっては、はるかに格上の相手と対峙することも在ります」

 

 実際、己より強い相手と対峙したら、相打ち覚悟でやるしかない。でも、それは単独戦闘の話。王子の身分であれば、たった一人で敵と向かい合う機会などあるまい。

 もしありえたとしたら――うん。その時に頼りになるのは、まぎれもない己自身の力だ。それは間違いない。

 だからもしもの時に備えようという気概は、褒めてもいいかもしれない。今やるべきことか? とは思うけれど、ここらで期待に応えてあげないと、王子様はへそを曲げてしまうかな。

 

「そこまで望まれるなら、仕方がありません。……一度だけですよ」

「え?」

「今だけ、打ち合う時間を作りましょう。今回限りなら、深刻な怪我はさせずに済ませる自信はあります。ですが、それ以上はやりませんからね?」

「充分だ! 早速やろう!」

「ええ、すぐにでも」

 

 一本目は本当に速攻で終わるから、準備に手間をかけることもない。適当に間合いを取って、互いに木刀を構えればそれで形式は整う。

 ……木刀より竹刀の方が安全だし、痛みも少なく済むのだけれど。痛くないと覚えられないことって、結構あるからね。仕方ないね。

 王子を糞まみれにした責任もあるから、強くお願いされると、どうにも断りづらい。今日一日打ち合うくらいなら大きな問題にはなるまいと、そう思って受け入れることにした。

 

「では、始めます。――構えて」

 

 他に仕切る者がいないから、私の言葉が開始の合図になった。

 王子様は木刀を正眼に構え、じりじりと間合いを詰めてくる。……気張っているのはわかるけど、力み過ぎて体の動きが硬くなっている。経験自体が浅いのだから、仕方がないと思うが。

 どの方向から打ち込まれても、動じずに対応できる――そうした不動の強靭さを求めるのは、無理な年齢である。なればこそ、ここらで己の分と言うものを理解して頂かねば。

 

「――は、え?」

 

 殺気まじりの気合を、王子にたたきつける。それだけで、彼は一瞬だけ意識が曖昧になる。

 言葉を発する必要はなかった。気迫をもって圧倒し、間合いに入って木刀を打ちおろす。

 

「一本。これが実戦なら、死んでいるところですよ」

 

 それだけで、王子は木刀を地に落とし、無防備となった。実戦なら返す刀で切り捨てている。

 

「も、もう一度!」

「どうぞ」

 

 再度王子は木刀を拾い、距離を取って構え直したが同じこと。一足一刀の間合いから、飛び込んで一撃。今度は少し強く打ち、木刀は彼の手から弾き飛ばされた。

 

「ご理解いただけましたか?」

「……くそ」

「汚い言葉を使わないように。汚くなるのは、身体だけで充分です。――さあ、もう一度構えなさい」

 

 大人と子供の体格差は大きい。あちらからは届かなくても、こちらからなら届く、という状況は一方的な優位を保証する。

 圧倒的な力量差を理解して挑んできたのだから、これくらいの痛みには耐えてもらいたいと思う。

 

「今度は、そちらから打ちなさい。――さあ」

「はッ!」

 

 王子は、本当に力いっぱい、全力で打ち込んできた。

 けれど、それは子供としての、未熟な腕力による脆弱な一打に過ぎない。私は微動だにせず、木刀で受け続けた。

 反撃はしない。ただ打ち込みを防ぎ続ける。それだけで、彼の方が疲労で根を上げた。私の方はと言えば、さしたる疲労もなく王子の剣をさばけてしまったので、余裕は有り余っている。

 他愛のない会話に付き合ったのも、それだけの余裕があったからだ。

 

「……駄目だ! もう、やめだ、やめにしよう」

「お疲れになりましたか?」

「ああ、よくわかった。今の僕では、到底及ばないと言うことが――」

「理解されたのなら、大変結構! ……ところで、私は止めていいとは言ってませんよ?」

 

 王子様は、私の言葉を理解したくなかったんだろう。表情が固まって、ひきつったような形になる。

 そして恐る恐ると、問い質してくるんだ。

 

「……何だって?」

「続けましょう。貴方が始めたことです。私は、とことんまで付き合いたいと思うのです。……弱音を吐けるだけの余裕があるのですから、まだまだ続けられるでしょう? 精根尽き果てるまで、打ち合おうではありませんか」

「いや、それだと僕の方が持たないって」

「実際に打ち合ってわかりましたが、大丈夫! まだまだ持ちますよ。貴方は少し、痛みに対する耐性が低すぎる。……兵士としては充分ですが、将となるにはまだ足りません。将たるものは、痛いだの辛いだの、いちいち弱音を吐いてられないのですよ?」

 

 じゃけん、もうちょっと鍛錬を続けましょうね。身体を壊すところまではやらないから、ご安心ください。

 

「貴方から言い出して、始めたことでしょう? 最後まで責任を持たないと、だめです」

「いや、だから止めるって」

「鍛錬の時間はまだ終わっていません。やり始めたからには、貫徹することです。何事も、そうして初めて信頼が得られるのです。……ご理解ください」

 

 ギリギリまで追い詰めて、ぶっ倒れる直前までは叩き合うよ。ちゃんと王子様にも反撃の機会はあげるから、一方的な拷問にはならないんじゃないかな。

 男子たるもの、師とはいえ女子から叩かれて無反応では沽券に関わろう。だから、私は貴方に配慮して、対等に叩き合う機会を上げたいのです。

 結果として苦痛が長引くとしても、それくらいは耐えてほしい。男の子でしょう? 意地を見せてください。

 割とテンション上がってきたので、間違って体にアザを作っちゃったら御免な。手加減はするから、大丈夫だとは思うけど。

 

「では、続きを。……いい鍛錬にしましょう。これは忍耐力を養うにも、痛みに耐える訓練にもなります。なので、ご自身の言動を後悔してはいけません。貴方は、強くなるための最短距離を走っている。それだけは、保証いたしますよ」

「ああ、もう。こうなったらヤケクソだ。――付き合ってやるよ! クソォ!」

「……ソクオチの品性が問われます。追い詰められても、品性は落としてはなりません。何よりも王子自身の為に、その生国の為にも、言動には注意なさってください。……後日、その点も含めて教育して差し上げますから。明日が辛くなるでしょうが、お覚悟を」

 

 改めて、教育の必要性を自覚したよ。だから王子様、私の指導が厳しくなっても、どうか折れてくださるな。

 私は貴方を見込んでいるし、貴方も私を評価してくれているのでしょう。だから、お互いに殴り合って、理解を深めようではありませんか。

 得物が木刀でも、打ち合っていれば傾向はわかります。何をしてほしくないか、どうやって相手を打ちのめしたいのか。剣先の動きと剣線の流れを見れば、当人の嗜好は読めるもの。

 私相手に長く打ち合うことのリスクまで含めて、色々と享受して差し上げます。なので、どうか王子様も成長してください。

 

「そうであればこそ、骨を折る甲斐もあると言うもの。何よりもあなた自身の人生の為に、ここは気張りどころですよ?」

「……モリー、お前ってやっぱりロクデナシだ。恨んでやる」

「結構、それはそれで栄誉と言うものです。一国の王子から、そこまでの情念を向けられるというのは、女騎士としてそれなりのロマンと言うものでしょう。――軽口を叩いた分の根性くらいは、期待してもいいですよね?」

 

 厳しくいきます。同意は求めません。

 本望でしょう? 貴方の態度を、私は最大限にくみ取っているという自覚くらいはあるんですから。

 

「返答は口ではなく、行動で示してください。……では、続けましょう」

「泣いて叫んでやった方がいいか? 外交問題になるぞ」

「男としてのメンツを捨てたいならどうぞ。……とりあえず、木刀を手から離すような無様は、二度とさらさぬように。指揮官たるもの、何があっても身を守る手段を捨ててはなりません。何度でも言いますが、戦死した指揮官は、それまでがどんなに良くても、兵士にとっては悪い指揮官なのです」

 

 戦死は名誉だ。それは否定しない。

 兵士にとって、戦って死ぬことは名誉であるべきだ。指揮官にとっても、それは変わらない。

 でも、兵士にとっては名誉より命の方が大事であることもまた事実。だから、名誉を捨ててでも生き残らせてくれるなら、兵士は指揮官を信頼してくれる。

 敗北が重なっても、ギリギリの線で生き残る筋を確保してくれるなら、兵は指揮官に従ってくれるものだ。逆を言えば、兵を見捨てて逃げるような手合いには信頼を向けないし従いたがらない。

 途中で死ぬような奴も、責任の放棄という意味では似たようなものだ。死んだ指揮官に対しては、兵は平気で罵倒する。

 敗北した兵は、心を慰めるために愚かな上司を批判したがる。そして死人に口はなく、弁護の声は酒場や病院まで届くことはないんだ。

 

「長生きするための術を教えましょう。だから、どんなに辛くても折れてくれるな、と願います。――王子様は、私の期待に応えてくれるものと信じていますよ」

「ちょっと強引すぎないかそれは。……僕に耐えられる範囲でやってくれ。いや、切実にそう願うから、考慮してくれ。マジで」

「ええ、ええ。最大限に考慮させていただきますとも」

 

 だからどうか、最後まで私の教育に付き合ってくださいと、私モリーは求めるのですよ。

 それからは、個人的にも客観的にも、それなりの教育を施せたと思います。ソクオチ王子は、やっぱり根性のある人だ。

 私の課題に耐えられるなら、一端の武人にはなれる。将としての勉強はこれからだが、こちらは長い目で見ないとね。

 結果として、使い出のある他国の君主が生まれるなら、クロノワークとしても利益につながる。彼自身の成長を願うという意味でなら、私は誰よりも真剣に向き合っていると思うんだよ。

 

 これから家庭を得て、彼女たちと長く人生を共有したいと思えばこそ、私は出来ることを尽くしたい。

 打算ばかりの、自分本位の願いであったとしても。彼女たちの幸せを願えばこそ、手は尽くしたい。そう願うくらいは、私の自由だろうと、心から信じたいとおもうのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮仕えが終わって、帰宅したら。今度は翻訳のお仕事が待っているんですねー。

 ちなみに、もうザラ隊長の家に住むことについては、納得できるところまで来ました。

 でも同じベッドで寝るところまでは、どうしても……その、ね。うん、許して、許して……。

 

「翻訳作業というのは、こうも簡単に進められるものか? ……辞書も何もないというのに、よくもここまで『しっくりくる』文章を作れるものだ」

「辞書は頭の中にあるもので。……適当にやってるわけではありませんよ? そのままの直訳だと、正しく理解できない部分もあるので、適度に手を入れています。これで結構、頭を使っているつもりなんですが」

 

 ちなみに、夕食も湯あみも着替えについても。ずっとザラ隊長が付いて、世話してくれています。

 ……翻訳作業も、傍らで見守ってくれていたり。出来た文章を読んで感想を言ってくれたりするから、これも手伝いの内に入るのかな。でもあんまり近くに来ると集中しにくくなるから、自重してくれると嬉しい……嬉しい? どうかな……これはこれでいいかも……。

 

「ぼーっとして、本当に使ってるのか?」

「ああいえ、はい。……そうですね。ちょっとザラを意識し過ぎました。まだまだ慣れませんね、どうも」

「――お前というやつは、まったく。時々こちらがびっくりするくらい、心に響くことを言うよな」

 

 どうしようもないことなんだろうが、ほどほどにしてくれ――って。

 ザラ隊長はそう言いますけど、自覚とか無いんです。いやいや本当に、どこにびっくりする要素があるんだろうか。解せぬ。

 

「ええと、例を上げましょうか。商君書はちょっと特殊な書物なので、別のやつを――そうですね。孫武先生っぽい人が書いた兵法書から一つ抜き出して、解説してみましょうか」

「曖昧な言い方が気になるが、兵法書? 兵を用いる方法を、明文化して教本にしているのか? ――こちらでは門外不出だぞ」

「ええ、まあ、西方ではそれが普通ですが。――東方では兵は凶器、立派な人が用いる手段ではないと、半ば蔑まれていると聞きますから。この手の書物が流出しても、問題にならないのでしょう、きっと」

 

 推測の上に推測を重ねた論だから、説得力がないとは思う。けど、これが私なりの結論だった。

 ミンロン女史がいくら才媛で、人脈がそこかしこにあったとしても。流石に禁書の類は持ち出せないと思うんだよ。本当に流出したらヤバイ代物は、一介の商人に触れさせないはず。

 『孫子』は普遍性のある書物だけど、具体性に欠ける部分も多い。現実的に活用するには相応の技術、受け取る側の高度な解釈が必要になる。

 それこそ韓信みたいなバグ野郎でもなければ、即実戦で活用できるような代物じゃあないんだ。使いこなせるものならやって見ろって、高を括っても仕方ないと思うよ。

 

「そうは言うがな、軍事技術の流出は大問題だぞ? 東方の……どこの国の話だか知らないが、先人の知識を放出して、何とも思わないものか? 私なら、恥ずかしくて穴にでも入りたくなるな」

「本当のところは、あちらの人に聞かなければわかりません。――けれど、いいではありませんか。他人が失態を犯す分には、笑って済ませられます。交流のない、利害の及ばない相手であれば、なおさらでしょう」

 

 東方独自の思想も入っているから、そのままの直訳では西方の、私たちの国家では活かしづらい。私という例外的存在が無ければ、ただの読み物として流されていたと思う。

 詳細な注釈つきで解説できる人物が西方にいるなんて、想定外だったんだろう。西方生まれで高度な教育を受けて、なおかつ東方の教養があり、両言語に精通した人物がいて。

 そんな人に翻訳の機会が与えられるだなんて、なかなか想像できるもんじゃないよね。

 

「言いたいことはわかるが、それで? モリーはどんな一節を抜き出して、私に説いてくれるんだ?」

「では、戦争は戦わずして勝つのが最良、戦って勝つのは次善の策に過ぎない、という部分について話しましょう。……ぶっちゃけ、この部分は東方の思想に詳しくない人が訳すと、びっくりするくらいの珍訳になりそうな部分なので。私なりの注釈を入れないと、理解し辛いと思うのですね」

 

 戦争においては、敵の戦闘力の撃滅が目的であり、ことさらに戦闘を避けるのは間違いである――という考えがこちらでは一般的だ。

 しかし孫子によれば、百戦百勝は最善ではない。戦えば被害が出る。戦い続けることは、それだけでリスクだとも言えよう。

 戦争が政治の延長線上の行為である以上、目的の達成が出来るのならば、戦闘そのものにこだわる必要はない――はずなのだ。

 

「殴り倒してからの方が、要求は飲ませやすい。抵抗する力があれば、敵はあきらめないし禍根を残す。私はそう考えるがな」

「それはそうです。戦わずして勝つ、というのはあくまで理想。ただ、理想的な展開に持っていけるなら、それに越したことはないのです。――最初から切り捨てるのと、最後まで選択肢を持っているのとでは、色々と違ってくると思いますから」

 

 ぶっちゃけ、戦わずして勝つ、という思想は、現実的ではないと言えばその通りだと思う。

 けれど、この思想は『戦う前から勝つ』という志向も同時に持っている。この点に限れば、西方においても充分有用な思考法になるだろう。

 そこら辺も含めて、詳細に解説しようと思えばできるんだけど――孫子の理論は、解説しようと思うとどうしても長くなるね。

 

「東方の価値観と、我々の考え方は明確に異なっている。この一説を解いたのは、そうした意味合いもあるのかな?」

「……そうですね。まあ、本格的な理解は翻訳を待ってください。注釈も含めて記しておきますから、後で感想をお願いしますね?」

「もちろん。お望みとあらば是非もない――が。色気のない話は、ここまでにしようか」

 

 ええと、その。

 ザラさん? そうやって指を絡めてこられると、仕事にならないんですが。いや、近い、顔が近い。

 なんかいい匂いするし、ドキドキするから、ちょっと。シャレにならんでこれは……!

 

「あの、ザラさん?」

「ザラ、と。呼び捨てで頼む。――さっきは、そう言ってくれただろう」

「いえ、それはですね。なんか意識してなかったというか、そういう雰囲気だったというか――」

「なら、そうしてくれ。……頼むよ」

「ザラ、離れてください。困ります」

「そう言いながらも、顔を背けるだけで、抵抗しないな? ……わかるよ。理性的だものな、お前は」

 

 わかってくださるなら離れてくれませんかね。

 真面目にやばいんで。マジでマジで。理性が、理性が……!

 

「安心しろ。抱けとは言わんさ。――抱いてやる、と言いたい所ではあるが」

「……受け入れることも出来なければ、突き放せもしない私の弱さを、どうか笑ってください」

「微笑ましいな、モリー。愛おしくもある。そうした態度が、こちらの理性をとろかしていくのだと、そろそろ気づいてもいい頃じゃないか?」

 

 ザラの目の色が変わった気がした。身を乗り出して、お互いに身体を重ね合う体勢になる。

 勢いあまって、受け止めかねたけれど。ザラの方から誘導して、ベッドの方向へと上手く倒れる。

 ……ベッド上で、私の方が押し倒されたような形になっているわけで、これはこれで不味いんじゃないでしょうか。いえ、私の方は役得というか、嬉しいんですけど。

 ザラの身体を堪能するだけで済ませるには、重い展開になっていると思うんです。だから、彼女の意図を聞かずには居れない。

 

「どういう趣向でしょうか、これは」

「お前は何もしなくていいし、意識しなくていい。私の方が、勝手にやることだ。だから、今はそのまま身を任せてはくれないか。……上手に出来なかったら、済まないと思うが」

「いえ、このまま身を任せたら人生の墓場コースですよね、これ。――今少し、私に時間をいただきたいのですが」

 

 お前がそこまで言うなら――って、ザラ隊長は身を引いてくださいました。

 こうして私の言うことを考慮してくれるんだから、やっぱり彼女は良い人だと思います。幸せにしてあげたいと思う気持ちも、嘘じゃない。

 私がそれをするべきなのか、私でいいのか、なんて。女々しくも悩み続けている私の方に、問題があるわけで。

 

「お許しください。どうか、どうか――」

「いいよ、許す。そんなお前だからいいんだと、何度でも言おう。そうして、いつかお前の正直な気持ちをぶつけに来てほしい。それだけでも、私たちは報われるし、幸福を感じられるんだ。他の連中の気持ちを代弁するようだが、この点に関しては保証してもいいくらいさ」

 

 だから焦るな、自らを見つめなおして、後悔のない選択をしろ――と、ザラは言ってくれました。

 女性にここまで言わせて、何の責任も取らないというのでは、男子の沽券に関わる。だから私としても、彼女に応える義務があるわけだ。

 

「覚悟を決めるのは、また全員がそろってからにしたいと思います。だから、今日のところは、これで」

 

 私は身を乗り出して、ザラの手を取った。そして、手の甲にそっと口付ける。

 ……キザと思うなかれ。羞恥を気にしていては、行動などできない。敬愛と信頼の気持ちとして、受け取っていただきたいと思う。

 

「……おい」

「ご無礼、お許しください。私が今、出来るのは、これくらいのことでしか――」

 

 言葉の途中で、身体ごと引き寄せられて。

 唇を重ねられたのは、ちょっと。

 いや、だいぶ。驚いた。

 と、思う。

 

「これくらいというなら、ここまでしろよ。――私だって、木石じゃないんだ」

 

 すぐに離してくれたことが、ありがたいと思うと同時に、残念でもあった。

 もう一時でも続いていたら、私はけだものと化して、襲い掛かっていたのかも、しれないのだから。

 

「お許し、ください。どうか、どうか……」

「お前が、自分を律していることはわかる。悲しいくらいにな。……だから、今は待つよ。その内、私の方から襲い掛かるかもしれないが、それくらいは許せ。待たせる方が悪いんだから、当然だな?」

「――ええ、ええ。そうでしょうとも。悪いのはいつだって、私の方です。……その時の私は、貴女を拒めないでしょうから。そこまで貴女を待たせてしまった償いとして、ですね。その……私の身体で良ければ、好きにしてくれていいですから」

 

 ザラの献身に対して、前払いできるのはこの程度の言質くらいだった。

 抱かれる一方というのも、男として情けない限りではあるけれど。でも、私の方から能動的に抱きに行くだけの覚悟を、どうしても持てないでいた。

 

「根性なしと、ののしってくださって構いません。事実、その通りなのですから」

「抜け駆けは他の皆に悪いし、急ぎはしないさ。今は、な。……何かしらの急展開があったり、どこかで寝取られる雰囲気があったりしたら、また別だが」

「そんな心配はしなくていいと思いますが……まあ、そういうことで。今後とも、よろしくお願いしますね」

 

 そんな風に微笑みながら、淡い恋心を楽しんでいられる余裕が、まだあったんだと思う。

 シルビア王女からの招待を受けて、メイル隊長を伴って出かけるような展開になるなんて、この時は流石に思わなかったから。

 

 帰国後に、ザラの方からどんな無茶ぶりを受けることになるのか。

 戦々恐々としながらも、拒むことも出来ない立場であることを、私はどうしようもなく痛感するのでした――。

 

 

 





 次もまた、月末投稿になるかもしれません。最近はひどく筆の進みが遅い気がします。

 この調子だと、今年中に終わるかどうか、微妙なところかもしれません。
 終わらせ次第、ナザリックの赤鬼の続きを書いていきたいのですが……。
 他にも書きたい題材があったりするので、悩ましい所です。

 しかし今はこの作品を仕上げなければ、どうにもならないと考えています。
 完結まで今少し、お付き合いいただければ幸いです。

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