24歳独身女騎士副隊長。   作:西次

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 色々とぶち込んだ内容になっていますが、もともと後先考えず始めたお話なので、こういう展開になるのも致し方なし、と筆者は納得しております。

 無駄に長い話になったのは、どうかご寛恕ください。



今後を見据えて色々と動いているお話

 ミンロンとの会合を終えて、翌日にはすぐ帰国の途に就いたから、割とあわただしい出向になってしまったけれど。それでも、メイルさんと一緒に過ごせた時間は楽しかったと思います。

 西方と東方に関するフンダララとか、一時的にでも忘れられるなら充分な癒しになるんですねー。

 

「この馬車、内装も特注だから案外楽に過ごせるのね。下手に野営するより、よっぽど快適なんじゃない? これ」

「屋根とクッションがあるなら、充分快適でしょう。木の葉と枯れ枝で作るシェルターと比べれば、何でもそうかもしれませんが」

 

 帰りの道程は、専用の馬車を用意してくれていました。シルビア王女に気を使わせてしまったかなー、なんて考えつつ。乗り心地の良い特注の馬車内で、私とメイルさんは他愛のない話に花を咲かせるのでした。

 

「それはそれとして、真剣な話をしましょう。――どういう心境の変化かしら? モリー」

「……何のことやら。特別可笑しなことはしていないつもりですが」

 

 適当に駄弁っていたところに、メイルさんは唐突な言葉を差し込んできました。

 心境の変化、か。……随分と早く気付くものだなぁ、なんて。暢気に返事をすることも、私には出来た。

 それをあえてしなかったのは、少しでも彼女との会話を楽しみたかったから。時間はあるのだから、ちょっとしたことでも心を通わせるように――特別感のある話が出来たらいいと思うのです。

 

「私はシルビア王女の話も、ミンロンの件も、肝心の内容には関われていない。だから想像するしかないんだけどね? ……どちらも、今後のクロノワークにとって、重要な話し合いだったんじゃないかって思うの。違う?」

 

 メイルさん、笑顔なのはいいのですが、目が笑ってないですよ。――そんなに気になることなんでしょうか。直接メイルさんに関わる案件ではないので、気にしなくてもいいのに。

 ……でも、ちょっと本気で問い詰められると困るので、曖昧に言葉を濁させてください。詳細まで話すのは、結構面倒な話になると思いますから。

 

「否定はしません。――ですが、どちらかといえば、私は巻き込まれた側ですよ? 国家戦略に関われる立場ではないですし、どちらも私なりの見解を述べただけです」

「へぇ、そう。……こっちを見なさいよ。やましいことがなければ、私の目を見て話せるはずよね?」

 

 うーん、メイルさんって接しやすくて話しやすい人だから、つい気を抜いてしまうんだね。

 身内同然だから、警戒する必要もないわけで。……隙を見せても仕方がないじゃないか。改めて面と向かうと、やっぱり美人だなーって思いました。美人過ぎないあたりが特にイイ感じ。

 惚れた弱みとか、感情的な脳内修正とか――そういう余計な要素もあるんだろうけど、メイルさんを好ましく思うこの気持ちだけは、本物なんだと確信する。

 

「もちろんです。やましいことなどありません」

「なら、遠慮なく聞くけどね。……貴女、そんなに権力とか財力とかに執着する方じゃなかったじゃない? むしろ、己の腕一本で生きていくというか、自分の力だけを頼みにする傾向があったと思うの」

「――そうですね。そんな風に考えていた時期が、私にもありました」

「茶化さないで。私、これで感性は鋭い方だっていう自覚はあるのよ。……もう、率直に言いましょうか。察するに、貴女。自分の価値を高めるというか、己の有用性を知らせるために、シルビア王女とかミンロン辺りにアピールしてない? なんか最近、身だしなみとか礼法とか、そっち方向に気を使っているように見えるのよ」

 

 で、そう見える私があっちこっちに顔を出す行動をしていれば、メイルさんも感づいてくると。

 あれこれと勘のいい貴女も、また違った魅力が垣間見えるようで、私は好きですよ。

 

「わかりますか。メイルさんに理解していただけるという幸福を、私は噛みしめています。……嬉しいんですね、これが。意中の女性に評価していただけるというのは、これで結構な幸福な出来事です」

「私もモリーの本音が聞けて嬉しいけど、それとこれとは別。さ、正直に吐いちゃいなさいな。――心境の変化は、どうして? 理由を聞かせなさいよ」

 

 でなければ、不安で仕方がないとメイルさんは言いました。

 男冥利に尽きるね、これは。愛しい女性が、私を案じてくれている。この可愛らしい姿を独占できる今の環境に、心底感謝したい気分だった。

 

「聞かせろと言われるなら、是非もありません。夫として、妻の勘の良さは嘆くべきでしょうか。それとも喜ぶべきでしょうか」

「浮気されたら、たぶんすぐに気が付く自信があるわね。――まあ、元から数人がかりで貴女を確保しようって話なんだから、女性関係を責めるのは筋違いなんでしょうけども」

「いいんですよ、嫉妬しても。女性側が浮気を責めるのは正当だと思うし、貴女になら刺されてもいい。それはそれで、男らしい最後と言うものでしょう」

「女でしょうが、貴女。……並みの男より、色々と立派なのは認めるけどね」

 

 シルビア王女が専用の馬車を用立ててくれたから、完全に二人だけの空間が出来上がっている。御者は気が行き届いている人がなるものだから、何を話しても、耳に入っても聞いてない風にしてくれるだろう。

 おあつらえ向きに、恋人同士が水入らずでバチバチやり合うような、緊張感ある舞台が出来上がった訳だね。

 

「今さら生き方を変えられるほど、器用でもないでしょう? 貴女。――心境の変化で、媚びを売って生きることを選ぶとも思えない。想像することも出来るけど、結論はぜひ貴女の口から聞きたいわね」

「考え方を切り替えることは出来ても、感性は変えられませんからね。……答えずに誤解される、というのも悲しいので、語るのはいいですよ」

 

 どうにもならぬくらいに、気持ちを寄せてくれる女性には真摯に向かい合いたい。ここは正直に、私なりに事実を語り聞かせよう。

 

「メイルさんにそこまで悟られているなら、隠す意味もありますまい。……正直に申し上げるなら、覚悟を決めたからです」

 

 死に狂いの精神を捨てたわけではないから、あくまでも基本的な立ち位置を変えるだけだ。

 自分だけを見て、己の生き方を貫くだけで済んだ、楽な人生もここまで。女性を待たせすぎるのは、男としての沽券にもかかわるし、何より武士らしくない。

 これからは、私以外の身内の命を背負わねばならないのだと。これを自覚するには、別の意味での覚悟が必要だった。

 

「一応聞いておくけど、何の覚悟かしら?」

「貴女と添い遂げる覚悟ですよ、メイル」

 

 意識して、声を出す。

 慈しむように、本心からの言葉であると、確かに示すように。

 私は誠実に、心から貴女を甘やかしたいと想う。私個人のプライドなど、それに比べれば軽いものだ。

 

「……ええ、メイルさん。私は、貴女を守りたい。この生涯をかけて寄り添って、幸せにしたいと願っています」

「モリー。貴女が軽々しく言葉を使っているだなんて、私は思わないけれど、それでも。……あえて、聞いてもいいのかしら。幸せにするっていうのは、私を娶ってくれるという事よね?」

「はい、もちろん。その決断をしたからこそ、私は行動しているのです。――いや、本当に申し訳ないと思っているのですよ。ここまで待たせてしまったことを、不甲斐なく思います。なればこそ、これからは汚名を返上するために動いていきたいのですね」

 

 結局のところ、私は自分に向けられた愛情を切り捨てられない。

 彼女たちの手を振り払って、孤独に生きて死ぬことを選べないのだと――。そんな当たり前のことに気付くのに、今の今まで掛かってしまったのは、笑い話と言えるだろうか。

 言い訳を探して責任を避ける態度にも、そろそろ限界が来ていた。だから、いい加減に割り切って、覚悟を決める頃合いだとも思うんだよ。

 そして、一旦決意を固めてしまえば、私は具体的な行動を起こさねばならない。こうなると、己の命だけで全てが完結していた時代が懐かしくなる。

 

「女性を幸福にして、なお幸せを維持し続けることを考えるならば。どうしても、権力や財力を求めたくなるものです。甲斐性なしの、なさけない夫にはなりたくない。この辺り、どうかご理解いただければと思います」

「私をはじめとして、貧乏に耐えられないような、軟弱な女でもないのにね。……でも、貴女の面子を潰すようなことはしないわよ。夫を立ててこその妻ってものでしょう? ――対等であればこそ、お互いを気遣うことに意味がある。稼ぎたいって言うなら、好きにすればいいんじゃない?」

 

 メイルさんからの理解を得られたことは、万の兵を味方につけるより心強く思う。だが、同時にそれに溺れてはならないと、強く己を律する。

 金銭とか権勢とかは、具体的に求めれば生臭い話になってしまうのは避けられない。世俗的で露骨に過ぎることだから、口にするときはオブラートに包んで表現することだ。

 特に、女性を口説くときは自覚しなくてはならない。決して押しつけがましくないように。それでいて、相手に意識させるような口調を用いるのがいい。

 

「ありがとうございます。――メイルさんが私を思いやるように、私も貴女を思いやってあげたい。優しくされたら、優しくしたいと思うのは、可笑しいでしょうか?」

「別に、そうは思わないけど。……そうね。甘えるのも、良いかもしれないわね」

 

 芳香なる美酒に酔わせよる様に、気持ちよく酩酊させる言葉を選ぶのが肝要である。

 私は今、まさにメイルさんを愛でているのだから。彼女を愛したいと願っているのだから、手間を惜しもうとは思わないよ。

 

「いざとなれば、養ってあげるつもりなんだけどね、私としては。……でも、甲斐性のある旦那様であってくれるなら、その方がいいのかな。シルビア王女と長く話し合っていたのも、ミンロンの呼び出しにわざわざ応じたのも、私の為だっていうのかしら? でもね、他の女と逢引きしておきながら、私を気に掛けている風に言うなんて。身勝手な意見を言わせてもらうなら――とんだ浮気者だって非難されても、仕方がないと思わない?」

 

 メイルさんは、口で言うほど怒っていないことはわかる。顔は薄く笑っていて、機嫌も悪くはなさそうだ。

 こちらの出方をうかがって、反応を楽しんでいる段階なのか。だとしたら、その意に添おう。伴侶たるべき人に気を使わずして、どうして夫などと名乗れようか。

 

「お許しください。生来の無作法者で、女性を相手にするとどうしても不器用になるのです。……メイルさん。私は、貴女が好きです。許されるなら、愛したい。その目を見て、その綺麗な身体を抱きしめて、指で触れて。身体を合わせながら、己が気持ちを伝えることが出来たなら。これほどの幸福はないものと、私は思うのです」

「どの口で、そんなことを言うのかしら。一番は、別にいるくせに」

 

 童貞に多くを期待してくれるな――なんて求めるのは、もはや甘えを通り越して卑怯と言うべきだろう。

 私は今、メイルさんだけを見ている。女性を口説くときには、紳士はどうあるべきか? 出来る限りのことを、してあげる。それ以外にはないと、私は信ずる。

 

「メイルさん、今の貴女は魅力的ですよ。他の誰かを思い出すよりも先に、貴女のことを見てしまうくらいに」

 

 近づくことを、メイルさんは許してくれた。隣に座ることを、この人は黙認してくれた。

 そっと手を合わせる。指を伸ばして、私とメイルさんの指が絡み合う。十秒を数える。目を閉じる。

 ……一分を黙ったまま数えて、私は彼女の顔を見た。気のせいでなければ、メイルさんは上気した表情をしたまま、微妙に視線だけをそらしてくれている。

 うぬぼれでなければ、意識してくれているんだって。そう思いたくなるぐらいには、おあつらえ向きに状況は整っていたんだ。

 

「……何よ。それで、口説いているつもり?」

「はい。メイルさん、聞いてください」

「聞いてる。……というか、耳が付いているんだから聞こえない訳ないでしょう。言いたいことがあるなら、言いなさいよ」

 

 はー、尊い。

 凄いね、メイルさん。けっしてチョロい女性じゃないって全身で主張しながらも、容認という形で私にアピールしてくる。

 私にもプライドがあるんだから、素直になり切れない部分は察しなさいよ――って態度。彼女の歪な言動については、可愛らしさしか感じないよ。

 アラサー女子の魅力って、ここにあるんじゃないかな。なけなしの自尊心が虚勢を張らせてしまって、正直に好意を表せないもどかしさ。

 

 わかりますわかります。メイルさん、私は理解していますから。ここに至っては、鈍感であることを許される立ち位置にないんだって。もう覚悟を決める時が来たんだって。私は理解しているから。

 なればこそ、今が誠意を示す舞台なんだって、自覚出来たんだよ。メイルさんがどうしようもなく可愛らしくて、愛しくて。

 他の全てを忘れて、貴女だけに注力することを許してください。後先を考えるような賢しさから、私を自由にさせてください。この流れであれば、それが許されると思うから、なおさらに言葉を尽くしたいのです。

 

「愛しています」

「……なに?」

「メイルさん。――貴女が、愛しいのです。私に、貴女を愛させてください」

「そう」

 

 メイルさんは視線をそむけたまま、こちらを見てくれない。

 でも、わかっていた。私の言葉を受け止めかねているだけで、決して反発しているわけではないことが。

 

「そう。……もう一度、言ってくれる?」

「メイル、貴女を愛している。だから、結婚してください」

「売り言葉に買い言葉って、知ってる? なし崩し的に、勢いで出た言葉には誠実さを感じないの。私、間違ってるかしら」

「いいえ。ただ、それでも付け足す言葉があるとすれば、私は本気だ、ということです。……シルビア王女の確約がありますから、ゼニアルゼで婚礼を挙げましょうか。貴女が望むなら、どこまでも私は愚かになれます。この気持ちをどうか、わかっていただきたいのです」

 

 畳みかけるべき展開だと思ったから、駄目押しの口説き文句を付け足した。

 ――いささか余分であったかもしれないが、どうせいずれは受け止めてもらわねばならぬことだ。だから、本気の言葉で口説いておくのも、必要なことだと私は信じる。

 

「……ザラには恨まれるわね。もしかしたら、教官にも」

 

 事実上の結婚宣言ですね? 貴女がいいなら、もう私は躊躇わないよ。

 迷う時間は過ぎ去った。男として、女性側に主導権を与えるのもどうかと思う。だから結論を急いだり、唐突に過ぎたりするのは、目をつむってくれたまえよ。

 

「合意と見てよろしいですね? ――大丈夫。お二方は、そんな些細なことで怨恨をもたらすほど狭量ではありませんよ。仮にそうなったとしても、悪いのは私です。咎は、私が受けますから。メイルさんには、決して累を及ぼしたりはしません」

「そうね。……二人とも、そんな貴女の性格なんて把握しているはずだから、下手なことはしないでしょう。いえ、むしろ巻き込む? 皆一緒に結婚式とか、どうなのかしらね」

 

 諦めた風に、メイルさんは言いました。

 何と言いますか、複数の妻を持つことに後ろめたい感じを隠せない私であります。

 だから彼女がどんな言い方であれ、私の感性を受け入れてくれるのであれば、それでいいんじゃないかなーって、楽観的に解釈したいよ。

 

「モリー、愛の告白に感動したところで、いいかしら?」

「――はい、何なりと」

「覚悟を決めた理由については、もう少し追及させてほしいの。……やる気になったのは良いことでしょう。私たちにとっても、都合がいい展開ね。でも、貴女は安易に己の考えを変える人でもなかったはず。――だから何が貴女を変えたのか。ぜひとも聞きたいんだけど、どう? 権力と財力を求めるのは、私たちが原因であるにしても。こうして急いで言葉にするくらいの、大層な理由があるんでしょう?」

 

 惚れた女性の為に――という一言で全てを飲み込んでくれるほど、メイルさんは都合のいい相手ではない。

 そこは、まあ、わかっていた。生身の女性に対しては、どこまでも真摯に向かい合うべきだ。だから、求められるままに答えましょう。

 

「自分に出来ることを、出来るうちにしておきたいと。そう結論付けられたから、ですね。どうにも、これから西方全体は、大きな試練を押し付けられるでしょうから。私とて、安全圏ではいられないと思うのです」

「……それって、そんなに特別なことかしら? 戦場で死に狂うような貴女が、今さら考えること?」

「私にとっては、そうですね。自分の未来について考えるなど、これまでほとんどしてこなかったことですから。……これから、多くのことが起きます。あまりにも大きな時代の流れが、西方から東方まで巻き込んでいくでしょう」

 

 数年後か、数十年後かは、やっぱりわからないけど。とにかく歴史的な事件が起こるのも、そう遠いことではないと思う。

 先日に語った砂糖に関する話など、一例に過ぎない。西方にも火種がないわけではないし、サラエボ事件っぽい何かが起きてしまえば、その時点で大惨事だ。

 これが極端な例だとしても、良くも悪くも変化は起きる。資本の流動、新たな需要、未知の分野への開拓――。

 いちいち考察するのも面倒だし、どのみち自分にできることなんて、多くはないんだ。だったら、自重する方が馬鹿を見るってもんじゃないか。

 私だって、少しくらいは自分の欲望に素直になりたくなる。メイルさんも、そうした私の感情に寄り添ってくれるなら、拒んだりしないよ。

 男って、基本惚れた女性に対しては甘くなるからね。仕方ないね。いささか以上にクドイ口調になるのも、必要経費だと思って頂きたい。

 

「そこで、気付いたのです。出来ることに限りがあるなら、やるべきことをやらずに、後悔したくはない。誰かを後悔させるような結果を招くのは、さらに良くない――と」

「それで、私たちを受け入れる覚悟が出来たっていう訳? ――インテリは大変ね。いちいち行動するのにも、理屈を付けなきゃいけないんだから」

「理由付けは大事ですよ。……優柔不断のそしりは、甘んじて受けましょう。ですが、もう決めたことです。これからは貴女の想いを無下には致しません。それは、信じていただきたい」

 

 アレコレ考えたんだ。思いつくしたんだ、本当に。

 余らせた時間を、思索に当てるくらいの余裕もあったから。だからこそ、これは既定路線だと理解してほしい。

 

「政治的に、避けようのない衝突が西方に迫っています。結果としてどうなるにせよ、私とメイルさんの関係を、曖昧なままにしておきたくはないのです」

「私との関係だけじゃなくて、ザラとか、教官とかも含めての話よね? 今更抜け駆けなんて、したくはないから。そこ、大事よ?」

「もちろんです。責任は、取りますよ。取ろうと思ったからこそ、私も今のままではいられない。周囲への影響力を確保して、もしもの時の保険を作っておきたい。自分ひとりの命ではないと思えばこそ、備えなければならないのです」

 

 誰かにとって、大事な存在になること。

 守りたい誰か、という存在を持つこと。

 私が避け続けてきたそれを、今さらのように受け入れることに、戸惑いがないとは言わないけれど。

 ……猶予があるうちに動かなければ、間に合わないこともままある。頼るべき縁は、多ければ多いほどいいんだ。私の為でなく、皆の為に。

 

「備え? 貴女がそこまで言うほど、必要なのかしら。キナ臭い話とか、とんと聞いた覚えがないのにねぇ」

「そこはそれ、一家の主として。まずは家内の安全を確保しなくてはなりませんから。……きちんと仕事をして稼ぐのもそうですが、コネクションを築くことで得られる利益というのも、結構馬鹿にならないんですよ」

 

 別に人間関係をおろそかにしていたつもりはないが、これからは意識して縁を作っていくべきだろう。

 利益の話だけじゃなくて、単に話を聞いたり、酒席に付き合うくらいだけの付き合いでもいい。

 それがあるのとないのとでは、印象が全く違ってくる。人間は社会性の動物だから、多少でも関係がある相手なら、なかなか無下にはしにくいものだ。

 

「一度でも好印象を抱いた相手に、悪いことをしようとはまず思わないでしょう? その人に悪いウワサがあっても、鵜呑みにしにくくなる。交友の広さと言うものは、それだけで一種の武器なのです」

「それはいいけど、維持するの大変じゃない? 私、貴女にはあんまり時間を犠牲にしてほしくはないの」

「ええ、わかります。なので、相手は選びますよ。そう野放図に広げては、逆に悪評にもつながるものですから。――まこと、この世は難しい」

 

 むつかしい、むつかしい。人間が社会性の動物である以上に、感情の生き物である以上、人と人との関係は計算だけでは成り立たない。

 私だって、誰とでも上手に付き合えるだなんて、過剰な自信は持ってないんだ。

 

「シルビア王女とミンロンを選ぶ理由は、何となくわかるわ。……そうね。だったら、細かく注文を付ける方が無粋かしら。旦那様を信じるのも、そう。妻の役目――ってものでしょうしね」

「そうしてください。メイルさんの信頼を裏切るようなことは、致しませんとも。だから、心おきなく信じてください。――いいですね?」

 

 彼女の顔に両手を添えて、そっと動かしつつ私の目を直視させた。抵抗しない時点で、答えは明白だ。

 

「答えなきゃ、ダメ?」

「答えなくて、いいですよ。もう、わかりましたから」

 

 そう言って手を離した後、メイルさんの顔が目に見えて赤くなった。羞恥心を感じて、言葉が出ないことって、あるよね。わかるよ。

 かつて私が、まさにそうだったから。これでお互い様だね、なんて。口にしてしまうのもまた、無粋と言うものだろう。

 

「手を、握っても。出来たら、そのままでいてもいいですか?」

「しばらくはね。……休憩したくなったら、モリーの方から離していいのよ?」

「メイルさんも、休憩が欲しくなったらそうしてください。夫婦の間で、遠慮なんてしなくていいんですから、ね?」

 

 私とメイルさんは、帰国までの道のりの間、ずっとお互いの体温を感じ続けた。

 肌と肌を、あるいは指と指を合わせるというのは、相手が特別であればあるほど、意味がある行いだというのに。私はようやく、気付くことが出来たのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼニアルゼから帰国したら、またいつもの仕事が私を待っています。まあ、変化がないわけじゃないから、惰性に流れることはあんまりないよ。

 

 なお、家庭環境が変わったことによる変化は含まないものとする。……ザラに色々と察知されて、詰問されたのは堪えたけどまあまあ。仕事に影響のない範囲だからセーフ。今はお互いに忙しい時期だから、機会を作ってまた話し合いましょう?

 

 で――具体的な仕事に関して。ソクオチの王子様こと、オサナ王子について。そろそろ座学の方も担当しようという話になりまして。

 普通の学問とか教養科目は、私がやらんでも他に適任者がいますからね。必然的に、教えるべきは武門に関するアレコレになる訳です。

 少年なりに訓練もそこそこ重ねたし、実用的な知恵を身につけてもいい頃合いだろうと、私も考えた。なので、これからは机の上でも戦闘を講義していきましょうねー。

 

「いきなりですがオサナ王子。この国には『戦士学』という考え方があります」

「いつもながら、唐突な前振りだが、考え方? 学問じゃあないのか?」

 

 一人前扱いには程遠いが、いい加減一個人としての人格も認めてあげたいと思う。

 茶化すような王子様呼ばわりは、もうやめてもいいだろう。オサナ、と名で呼ぶのは、私なりの親愛の表現ではあるが――。まあ、わかってもらえなくても問題ない。

 

「学問と言ってもいいのですが。……戦闘時における人間のさまざま症例を収集し、実戦の経験を積み重ねて、それっぽい理論にまとめたものが『戦士学』というべきものの正体です。他の国でも、たとえば歴戦の老兵ならば当たり前に知っているようなことばかりですね」

 

 初陣の兵が大小失禁をやらかすのなんて、だいたい常識として認知されてきた感があるとはいえ。

 戦争に限らず、極限状態における人間の反応については、書物に記録されることが極端に少ない。

 失禁の事例について詳細に説明すると――『生存が脅かされる極限状態に、人間は容易く慣れることは出来ない。突発的に訪れたそれに対して、重要な部分にのみ反応が集中し、生死に直接関係のない筋肉が弛緩した結果、体内に溜まっていた荷物が放り出された結果である』――なんて明確に定義されないと、どうしてもフワッとした解釈にしかならないからね。なんか知らんけど漏れてた、くらいの感覚だと教えようがないわけで。

 

「失禁は恥ずかしいもの、なんて考えてしまうと『自分は情けない奴だ』と思って委縮したり、思うように動けなかったりするわけです。――これを当たり前の身体の反応に過ぎない、と割り切ってしまえば、初見でもとりあえず対応できるようになるわけですね」

 

 これ、明確に言語化されないと訓練に組み込めないんですよ。初めから、これこれこう――と身体の反応を教え込ませることが出来るなら、いざというときに心構えが出来る。

 そして心構えが出来ていると、不思議なくらいに物事を受け入れられるようになる。失禁しても戸惑うことなく、恥ずることなく戦友たちと共に戦い続けられるんだ。

 

「他にも、例えば心拍数。ある程度までは上昇しても、利点はあるのですが……。過剰に上がってしまうと、悪影響ばかりが現れてきます。それこそ視覚、聴覚、触覚に至るまで『鈍る』のです。人によっては、びっくりするくらいに機能しなくなることすらある。これを事前に知っているのといないのとでは、雲泥の差ですよ」

 

 クロノワークが軍事的に他国を圧倒しているのは、この部分をきちんと知識化して教育に組み込んでいるからだと思う。それくらい、戦士学は闘争において重要だ。

 極限状態における人の感覚。生存を脅かされる状況下で、人間の身体がいかなる反応を示すのか。クロノワークはこれを徹底的に収集、分析し、一兵卒から上級指揮官に至るまで教育に組み込んで周知させている。

 これだけは米軍レベルの水準に達しているんじゃないかな――って、私が驚嘆するくらいなんだから相当だよ。あるいは、私のような転生者が過去にいたのかもしれないが、証明しようがないことだ。ここでは、あえて考えなくてもいいだろう。

 

「戦場で、敵に命を狙われている、と確信した瞬間。人は、視覚をひどく限定させてしまいます。敵が握る武器、武器を握る腕、あるいはその表情にばかり集中してしまう。――だから、その敵が激しく左右にブレて動いたりしたら、すぐに見失って動揺するわけですね。これを周辺視野の消失、と戦士学では定義されます。この手の初見殺しにやられる新兵が、かつては相当いたらしいですよ?」

 

 経験上、この点については他国でも克服できていない連中が結構いる。二度三度と経験していけば、失禁等も含めて自然と克服する弱点ではあるんだけどね。単純に、出来てない連中が淘汰されていくからだとも言える。

 でも、これは言葉にして理論化すれば、訓練段階でかなり改善できることでもあるんだ。『戦士学』なんて学問が成立するのは、それ故だと言ってもいい。

 

「初見殺し? ……つまり、わかってさえいれば避けられることなのか」

「良くお分かりで。オサナ王子のおっしゃる通り、これは事前に仕込めばどうにかなる問題なのです。――我が国のブートキャンプでは、新兵は数多の初見殺しを一通り学ばされます。知識で実践でも、出来る限りのことは経験させられますね。まさに、これこそがクロノワークの武の真髄であると言い切っていいくらいです。初陣を生き延びる兵が多ければ、それだけ精兵になれる割合が増えるのですから。……他国に武力で優越するのも、よくよく考えれば当然の結果であると言えましょう」

 

 恐怖の予防接種、なんて表現が的確だろう。怯えてすくむ新兵がいなくなれば、それだけでも生存率の上昇になる。ウチの教官たちが訓練を厳しくするのは、理由があるからなんだよ。

 恐怖は慣れる。繰り返せばそれだけ鈍感になっていく。あんまりやり過ぎるとそれはそれで悪い結果を招くから、調整は必要だけど。これをしくじる様な者は、我が国の教官には一人もいない。

 蓄積した経験を理論化するってのは、そういうことなんだ。クッコ・ローセ教官がとびきり優秀なのは、背景にある文化や教育が、彼女の資質と釣り合うくらいに高水準であるからだとも言えるんだね。

 

「物事には背景があります。理論を作り出したのには、それを必要とする環境があったから。そして、理論化できるだけの実例が多くあり、これをまとめて言語化する人々が存在したからです。――何事も積み重ねが大事だという話ですね。ブレーク・スルーは、突如として実現するものではありません。それまでに積み上げた理論の総量が大きければ大きいほど、画期的かつ革新的な発想が生まれやすくなるのです」

「ソクオチには存在しなかった、革新的な思想。それが、クロノワークの戦士学とやらか。……僕にも、当然伝授してくれるんだろう?」

「もちろんです。ここまで口にしたのですから、ある程度は修めて頂きたいですね。――貴方が将来、強い指導者たることを求めるならば、私が説く教えは、確実に役に立つと思いますよ」

 

 戦士学を学ぶと言うことは、兵どもが戦場で経験する全てを理解すると言うことであり、彼らを遇する術を知ることでもあるんだ。

 生死の境で闘争に明け暮れる者たち、その感覚に共感し、彼らの価値を把握することが出来るのなら、それは間違いなく人心を掌握する手段になる。

 

「学問として学べるなら、結構なことだ。……実際に体験しろとか言われても困る展開だよな。僕だって、自分の命の大切さは理解してるよ」

「貴種である以上、己だけの命ではありません。――まさに貴種であるからこそ、義務からは逃れられないとも言えますが。それならそれで、上手に対処しましょう、という訳です」

 

 ソクオチの軍事力は、当分低いまま押さえつけられることになるだろう。将来的には、オサナ王子はその中で肩身の狭い兵士や騎士たちと接して、上手に働かせねばならない。

 冷や飯を食わされている連中というのは、往々にして面倒くさい手合いが多いものだからね。

 そうした奴らの尻を蹴り上げるには、適切なやり方と言うものがある。時間的に余裕があれは、そちらも講義しておきたい所だった。

 

「戦士学からは少し離れますが、オサナ王子。――あなたは、シルビア王女を尊敬するべきです。たとえ仇敵であろうとも、そうであるからこそ、なおさらにあの方から学ぶべきなのです」

 

 まあ、戦士学の実戦部分については、オサナ王子は頭で覚えてくれれば結構。

 大事なのは、それを収めた兵士たちを統率することだ。彼の将来を考えるなら、模範とすべきは私ではなく、シルビア王女の方だろう。

 あの方はあの方で、戦士学の精髄を理解した上で利用している。その上で、政治的にも強い指導者として君臨しているのだから相当だよ。

 

「あの方は国家の頭脳として、国の元首として、相応しい能力の持ち主と言って良いでしょう。少なくとも、戦争の途中でくたばる様な、軟弱な指導者どもとは全く別の人種です。――実のところ、シルビア王女はこの手の信頼を得るだけの実績があるからこそ、ゼニアルゼでも実権を振るえているのですよ」

 

 名目上としても支配者を名乗るには、王女ではなく王妃となる日を待つしかないのだが――。

 実質的には、すでにゼニアルゼの統治者である。オサナ王子が見習う対象としては、適切だと思うよ。

 

「貴方の命は、ソクオチにおいてはもっとも高価なものだと言えます。……国家の指導者は、最後の最後まで死んではならない。その力の拠り所を握りしめて、しぶとく戦い続ける気概を持たねばならないのです。滅びの美学などとは、一番遠い所にいなくてはなりません」

「ああ、いるらしいな。無様に負けるくらいなら死ぬ――ってやつ。話に聞いた時は全然共感できなかったなぁ。……半端な所で死んだ父上は、その辺りどうしても擁護できないと思う」

 

 それで正しい、と私はオサナ王子を肯定する。くっころ展開は女騎士がやるからロマンがあるのであって、彼のような直系の王族がやっていい話ではない。

 敗北時の責任を取ることも、王族の義務だ。結果として処刑されるとしても、統治者は早々に楽になることは許されない。

 

「前に言いましたよね? 死んだ指揮官は、それまでがどんなに良くても悪い指揮官だと。死人は、無力です。責任を取ることすらできません。だから本物の指揮官は、指導者は。……率いるべき人間が一人でも存在する限り、その義務を果たし続ける責任から、逃げてはならないのです」

 

 戦いが終わるまでは、特にそうだ。戦後処理でどうなるかは別として、負け戦でも指揮官は指揮をとる仕事を放棄してはならない。

 最悪の事態となっても、勝者に生贄として捧げられるまでは、命を保つのが義務であると心得よ。

 兵権を預かる責任と言うものは、決して軽くない。この責任を背負い、兵と共に生き続けるのが良い指揮官と言うものだ。

 

「そうはいうがな、モリー。お前の戦いぶりを伝聞で聞く限り、そこまで己の命を貴重に扱っているとは思えんぞ。……他人に責任を求めながら、自分の命はぞんざいに扱う。これでは説得力に欠けると、僕は思う」

「私が己の死を度外視しているように見えるのは、まあ、アレです。そもそも戦場では命を惜しむ方が返って死にやすいもの。死ぬために突撃するのと、死を恐れずに狡猾に戦うのとでは、全く違うのだと心得てください」

 

 死狂ってるのは、私にとってこれが最適解であり最大効率を叩きだす手段だから――なのだが。別段下準備を軽視しているわけじゃないし、無謀を肯定しているわけじゃないんだよ。

 とはいえ、今説明して理解してもらえるかと言えば、微妙な所か。死線に対する向かい方なんて、個人個人で違って当然なんだから。この辺り、オサナ王子も自分に合った方法で対処すればいいと思う。

 

「逆に考えましょう。――死んでいないのだから、死ななかったのだから結果オーライだと。戦場では、結果が全てなのですよ、ええ。なので、セオリーを無視しても成果が出るのなら許容されます。……誰にもできることではないので、オサナ王子は私の真似なんてしない様に」

 

 貴重な命である自覚があるなら、この違いは判りますね? ――なんて、ここまで言えば、命の価値が平等でないこともわかるだろう。

 兵の戦い方と、将の戦い方とでは、おのずと違いも現れてくる。一緒くたにしても許されるのは、私くらいの立場までだ。

 

「話を戻しますが――たとえ負け戦でも、指揮官ならば被害を最小限にするための努力はできるでしょう。死ねば、それすらできません。……シルビア王女なら、最悪の敗北に直面しても、最後の最後まで抵抗を続けて――庇護下の人民の為に、最低限の生存権を勝ち取ってくれる。そう信じることが出来るお人です。かつてのソクオチには、彼女のような人がいたでしょうか?」

「……僕に、その手の難しい話を振るなよ」

 

 ちょいと嫌味な言い方になるが、シルビア王女が優れていることは、どんなに強調してもしすぎることはない。

 オサナ王子にとっては、彼女は偉大な仇敵であってもらわねばならない。それでいて、もっとも親しむべき師でもあってほしいと、私は思う。

 

「結論から申し上げますが――。いなかったから、オサナ王子。貴方が、ここにいる」

「いちいち言わなくていい。皮肉か、それは」

「いいえ、いいえ! ――彼女を見習えと、私は言いました。オサナ王子、貴女はシルビア王女のような人にならねばなりません。おわかりですね?」

 

 オサナ王子は、わかっているとばかりに即座に答えて見せた。

 

「ソクオチは今、国際的な信用も地に落ちている。これを覆し、かつての地位を取り戻すために、僕はシルビア王女のような『強い指導者』を目指さねばならないと。そういう、ことなんだろ」

「弱いよりは強い方がいい、というのは事実ですが、あまり極端な解釈はよろしくありません。強さより、共感が大事になる場面もあるでしょう。……オサナ王子はまだまだ成長の余地があるのだから、焦りは禁物です。強い己をアピールするよりは、兵たちの苦痛と苦労に理解を示す、話の分かるお坊ちゃんくらいの立ち位置を確保しましょう」

「それ、なめられるだろ。僕は王族として、毅然とした態度を取りたい。平民を蔑むつもりはないが、区別はつけるべきだと思う。――僕は間違っているか?」

 

 すぐに是か非か、全てか無か、なんて論調で迫るのは、オサナ王子の幼さを示すものだと受け取れよう。

 けれど、それは人生経験の浅さがそうさせるのであって、彼の資質に問題があるわけではないと私は考える。

 

「どんな態度で臨もうが、実績もなく年若い王子など、舐められて当然だとご理解ください。『実戦を知らぬお貴族様に何がわかる』――というのは、古今東西、変わらぬ兵の本音と言って良いのですから」

「……読めて来たぞ。だから『戦士学』なのか。これを履修し、末端の兵たちの心を理解し、その在り方を肯定できるようになれば。少なくとも、ソクオチでは貴重な話の分かる王族であると、アピールできる」

「まさに、その通りです。将来的に、オサナ王子が政治的な影響力を確保したいと望むならば、どうしても地元の兵隊の支持が不可欠。まずは武力を手の内に入れること。それが叶わずとも、無視できぬ程度には自軍から好意的な感情を向けてもらうことが重要です」

 

 なんだかんだで、正当な王族という出自は大きな大義名分になる。地縁に根差した権力の基盤と言うものは、外部勢力から見ればこれで結構めんどくさい。

 マキャベリが後顧の憂いを残さぬよう、征服後は前の君主の血族は根絶やしにしておけ――なんて主張したのも、それだけの根拠があるからだ。

 だが、族滅なんて手っ取り早い手段を用いるには、この時代の人類は倫理観を身に付け過ぎている。そうした時代においては、融和と寛容というお題目を無視するわけにはいかない。

 なればこそ――思いやりを、共感と理解を用いて人をたぶらかす術を伝授しようじゃないか。実践的であるがゆえに、私の教えは役に立つ。

 役に立つ分だけ、オサナ王子は私からの影響を受ける。影響を受ければ受けるだけ、彼は私という呪縛から逃れられなくなるのだね。

 ……どうか、後になって卑怯だとか言わないでくれたまえよ。私は私で、守りたいものを守るために必死になっているだから。これだけ恩に着せておけば、未亡人の面倒くらいは見てくれると思う。容易く死ぬつもりはないが、保険はいくらあってもいいものだ。

 

「具体的に述べるには時間が足りませんが、手っ取り早くわかりやすい事例だけ、簡単に話しておきましょう。さらに実用的な内容については、次の機会を楽しみにしてください」

「……それを楽しめというのは、流石に無理がないか? いや、モリーの授業は有意義なものだと、認めぬわけではないが、色々とな。今の僕には、荷が重いというか何というか」

「エメラ王女は座学で苦手な分野がありますから、オサナ王子が賢く見える状況を整えてやれば、結構なアピールになると思いますよ?」

「――よし! 続けてくれ。頑張ってついていくから、どんな退屈な話にも付き合ってやるぞ」

 

 という事情で、いくらか時間を取って講義しました。オサナ王子は飲み込みが早い方だから、あと十数時間も続ければおおよその感覚は掴んでくれるだろう。

 今後も授業を重ねる必要はあるし、あんまり楽しいお話にならなくて恐縮だが、私なりに不得手な分野で頑張ったと思うのです。

 講義の時間は、今後もそう取れるとは限らないけど。戦士学は実地の経験が役に立つし、帝王学はシルビア王女をそのまま参考にすればいいんで、その点では楽な方かな。

 今後も彼の教育を担当するなら、私自身が客観的に意義のある授業を提供する必要がある。

 そして私がオサナ王子に教育を施すことに、客観的にわかりやすい利点があるとするなら――。それは彼のモチベーションを引き上げつつ、立場に遠慮せず厳しく接することが出来る部分にあるだろう。

 戦時に出来た因縁が、ここではいい影響を与えているわけだね。クロノワークの教師たちも充分に有能なんだけど、こればかりは私だけの独自性を主張できる。

 

「最後に、もう少し語らせていただけるならば。どんなに辛いと思っても、己を鍛えること、学ぶことを諦めないでください。――貴方自身と、貴方に期待する多くの人たちの為にも」

「それが、クロノワークの為にもなるから?」

「違うとまでは言いませんが、そこまで意識しなくていいですよ。……私は私自身の為に、貴方を教育しているのですから」

 

 今の段階で、具体的な話をするのは止めておこう。大人どもの暗い思惑なんて、子供に知らせるようなものではないのだから。

 私はただ、かわいそうな男の子に、自分を守るだけの力を与えてやりたい。それだけのことなんだ。

 

「では、今日はここまで。――あと、シルビア王女の業績を書類に起こしていますから、復習代わりにこれを読破しておいてくださいね」

「……分厚いんだが、これ。いや、別に嫌だとか言う訳じゃないんだけどさ」

「結構。読むだけではなく、自分なりの感想もまとめておいてくださいね。次の機会には、それを元にして色々と話し合ってみたいと思います」

 

 割り当てられた時間が終わり、次の教師への引継ぎを行う。またの機会を待ちつつも、今後の展開についても考えておこう。

 オサナ王子の教師――なんて立場は特殊なだけに、これを未来に利用することも、想定しておきたい。

 保身は決して恥ではないのだと、私はわきまえていた。権力に近づくことも、あるいは距離を置くことも。どちらにもそれなりの利点はあるものだ。

 ま、この辺りは自分ひとりで考えねばならぬことじゃない。特にザラとならば、いい相談ができるだろう。

 

 ……別段、話題に困っていたとか、自分の感情を誤魔化す言い訳にしたいとか。

 こんな話を持っていくのは、そんな不純な理由からではないと、主張させて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザラが渋い顔で嫌々接する相手と言えば、そう多くない。その中でも一等苦手な人物を上げるとすれば、クミンというハーレム嬢であろう。

 情報交換の機会を逃せない相手であり、シルビア王女が紐帯として寄こした人物でもある。その有能さを疑うべきではなく、なればこそ警戒も怠れない。

 それでいて、モリーからの好感度は高いのだから。まこと、質の悪い奴だと判断されても致し方ないであろう。

 

「ザラさん? わざわざ店の中にまで呼び込んで、話し合おうって言うんです。もう少し、景気のいい顔をしてはいかがですか?」

「……目つきの悪さは、睡眠不足のせいでな。他意はないから、気にしなくてもいいんだぞ」

 

 ザラは、こうして顔を付き合わせた時点で、不機嫌そうな雰囲気を隠そうともしない。この態度こそが、彼女の本心をそのままに表現していた。

 反対に、クミンは営業スマイルを浮かべて、気楽に話しかけている。まるで、お前の機嫌などうでもいい、と言わんばかりに。

 

「気にするなと言われても、ザラさんは私に対して複雑な感情を隠しきれない様子ですが?」

「お前は、本気でモリーに惚れているようには見えんからな。警戒するなという方が無理だろう。シルビア王女は、お前を監視役として使いたいらしいが、本心としてはどうなんだ?」

 

 ザラは、クミンと目を合わさない。お前に対して、心を開くものか――と、そう言いたげでもある。

 この頑なな態度が、何を意味するのか。クミンにはわかりやすすぎて、むしろ愉快なほどであった。

 

「監視役、なんて単純な表現は好みではありませんね。……私は、あのお方には逆らいたくないだけです。何よりも自分自身の為に、己の安全を脅かすような行動はとれません。――お判りでしょうに」

「なるほど。本心がどうあれ、あの王女から『仕事のできない奴』と見なされるは恐ろしい、と。……そうだろうな。お前とて、左遷されて今の生活レベルを落としたくはあるまい。自分を高く売るためには、言いつけられた仕事を完遂せねばならんと言いたいわけだ」

「シルビア王女とて、モリーを味方に引き込みたいから、こうして私を派遣させたのです。そこは、信用していただきたいですね」

 

 クミンは悪びれず、臆せずにものを言う。

 その態度を不快に思うザラではないが、小気味よく感じるほど甘くもない。

 

「モリーのことを可愛いとか魅力的だとか言っていたが、怪しいものだ。シルビア王女の紐でなければ、引きちぎっていたところだぞ」

「比喩にしても物騒ですね。――モリーさんは悍馬を乗りこなせる名騎手かもしれませんが、彼女でなければ乗りこなせい悍馬に、価値はあるのでしょうか?」

 

 本気で邪魔だと思えば、ザラは比喩ではなく物理的に、彼女のたおやかな首を引きちぎっていたかもしれない。

 そうした雰囲気を理解していながら、クミンは退かなかった。もとより、この場を用意したのは彼女の意思である。ここで折れるような弱さなど、彼女は持ち合わせていなかった。

 

「挑発には乗らんぞ。そろそろ本題に入れ。……お前と私は、どうにもそりが合わんようだからな」

「そうですね。どちらがモリーにとって価値ある存在になれるか、試してみるのも一興と言うものでしょう」

「なら私の勝ちは確定しているな。今からでも媚びれば、ちょっとは利益を還元してやってもいいんだぞ」

「――アラサー処女の貴女が、色事の手練手管で私に敵うとお思いで? だとしたら、楽観を通り越して滑稽ですね」

 

 分が悪いのは貴様の方だと、クミンは大胆にも言い切って見せた。

 ザラは不快に思いつつも、これくらいの気骨が無ければ利用価値すらないのだと、理解もしていた。だから、自然と容認する方向に話が進んでいく。

 

「……ゼニアルゼもそうだが、クロノワークが性に対して自由な国家で良かったな? お前の発言は、他の国なら正妻が独断で処断できるくらいに、危うい言葉だった」

「あんまり仲良くしすぎると、こちらはこちらで困るのですよ。……私までシルビア王女の手から離れてしまうと、次の手はさらにモリーさんにとって厳しいものとなるでしょう?」

 

 だから私と貴女方は、多少いがみ合うくらいでちょうど良いんです――と、クミンは言った。

 

「これまでの言動は、全て意図的な物か。……それに私が耐えられるかどうか、試したと?」

「我々が結託したなどと、その手の疑いをもたれるだけでも不味い、と私は思います。シルビア王女は疑い深い性質ではありませんが、根拠のない楽観に浸ってくださる方でもない」

「認めよう。お前は聡明だ。――必要以上に嫌うことはないと、こちらも明言しておこうか」

 

 好きにはなれんがモリーに惚れた者同士、助け合うことに異存はない――と、ザラは付け足すように言う。

 クミンはそうしたザラの女らしい一面を認めて、逆に好感を持った。感情を理性で制御できる人は、信頼に値する。感情を溜め込むのではなく、率直に吐き出して見せるのも、ザラなりの誠意なのだろう。

 

「そうそう、聞きましたか? シルビア王女が、また何か企んでいるらしいですよ?」

「土木工事の件なら、すでに話が来ている。あまり自分が特別な立場であると、思い込まないことだ」

 

 なら結構です、とクミンは言った。その上で、彼女は思う所を述べる。

 

「シルビア王女も、交易と影響力確保のために、交通網の整備は急ぎたいらしいですね。交通が容易になることは、物資の流通の他にも役立つことがあって、たとえば軍隊の派遣も迅速になる。ゼニアルゼによる平和、という時代を目指すなら絶対に達成すべきことだと。……まあ、これはモリーさんから聞いた事ですが」

「――何?」

 

 前に砂糖菓子をプレゼントしに行ったことは知っているが、ここ最近において、クミンとモリーが逢引きした話などザラは聞いていない。

 聞き流すには、あまりに不穏な話だと判断する。

 

「どこで会った? 何を話したんだ? まさか、いかがわしいことはしていないだろうな」

「そのめんどくさい女っぽい態度、私でもどうかと思いますよ。――本当は直接会いたかったんですがね、ちょっと思い直しまして、手紙を通して相談に乗ってもらっています」

 

 片手間に出来ることですし、いちいち店に来てもらうのも悪いですし――と、クミンは言った。

 文通くらいで文句を言うほど、ザラとて狭量ではない。モリーとて、信用できる相手ならば、際どい話にも付き合うだろう。彼女は偽りを言っていないと、ザラにはわかった。

 

「それほどの頻度ではありません。内容も他愛のないことです。私にしているくらいですから、文通程度なら他の女性ともしているのではありませんか? 例えば、ゼニアルゼの教え子たちとか」

「文通相手のおおよそについては、掴んでいるということかな。この期に及んで、自らの利用価値を主張しおってからに。……まあ、今さら私が気にするようなことではないが」

 

 モリーと同棲し、結ばれる日も遠くないと分かっているザラである。この程度の余裕は持っていて然るべきであろう。

 

「問題が起こりそうなったら、こちらで喚起しますからご心配なく。……私は感情面だけでなく、実利的にもモリーさんのお役に立ちたいと思います。そうであればこそ、私にも価値が出てくると言うものでしょう? 彼女はおそらく、一度でも情を交わした相手を無下には出来ない。何度も骨を折ってもらった相手なら、なおさらでしょうね」

「お前がモリーに献身したいなら、好きなだけするがいい。もとよりお前など、それ以外の部分で期待などしていない」

「ミンロンと比べれば、私の方がよほど勝っている。そう認めてくださるなら、結構なことですよ」

 

 クミンは、挑発的にもそう言った。

 その言葉の剣呑さを、当人は理解しているのか。確認する意味でも、ザラは問うた。

 

「ミンロンとは仲が悪いのか? そうそう接点があるとは思えんが」

「あれを身内に抱えるなら、私以上に警戒は怠らない方がいいですよ。……モリーさんの経歴について、きちんと探った方がいいとそそのかしてきました。何かしら、疑いを持たれたようですね?」

 

 クミンとしては、これは身に危険が及ぶ範囲ではないとしても、かなり強い発言だった。

 反撃として、何かしらの反応を引き出せればいい。そう思っていたが――。

 

「なんだ、あいつ。ちゃんとそうやって、気を回すくらいには気に掛けてるんだな。商人というものは、利益さえあれば細かいことは気にしないものと思っていたが」

 

 相手を選んで吹聴するくらいには、狡猾であるらしい――などと、ザラはさらりと言ってのけた。

 これには、クミンの方が毒気を抜かれてしまう。

 

「ずいぶんとあっさり言うんですね。パートナーを侮辱されたとか思わないんですか?」

「別に侮辱じゃないだろ? ただの疑問だ。モリーの奴は、生まれ育った環境に比べて、異様な精神と知識を持っている。それに違和感を感じたなら、誰だって背景を調べたくなるさ」

 

 私は気にしていないが、とまでザラは付け足した。特殊部隊の長であり、直属の上司でもある彼女が、これを問題視していない。

 恋愛脳ゆえのガバガバ論理ではない。ザラは、そんな浅はかな女ではないと、流石のクミンも理解している。ならば、これには理由があるのだ。

 

「私がその辺りを気にしていないのは、一度モリーの身辺を探ったことがあるからだ。当たり前の話だが、怪しい気配は欠片もなかったよ。少なくとも、実は他国からの間諜であるとか、一族そのものが厄ネタの塊だったとか、そういう事実は一切出なかった」

「見つけられなかっただけ、という可能性は?」

「……私に対してそれが言える奴は、クロノワークにはいないぞ。お前は他国者だろうから、その辺りの感覚はわからんだろうがな」

 

 ザラが『裏がない』というのだから、本当にモリーの背後には何物も存在しないのだ――と、メイルらであれば素直に納得したであろう。

 なおも疑いを持てるのは、クミンやシルビア王女くらいであるが、ザラは気分を害した風でもない。

 

「不思議は不思議のまま残るが、本人には野心も邪心もない。放置しておいて、問題は無かろうさ。それでも真実を追求したいなら、ベッドの中で聞いてみればいい」

 

 モリーはそれでも答えないだろうが――と、ザラは無感情に答えた。クミンは事情に明るくないのだから、いちいち咎めても仕方がないのだと言うように。

 

「……まあ、それはいいでしょう。私だって、モリーさんの生い立ちはそこまで興味もありません。ミンロンやシルビア王女がどう感じるかは、別の話でしょうが」

「お前が気にすることではないな、それは。必要とあらば、こちらで手を打つさ。シルビア王女は、多くのことに関わり過ぎている。一介の騎士に、そこまでの関心を持ち続けられはしないさ。――ミンロンについては、真摯に言い聞かせれば分かり合える気もする」

「どちらにせよ、希望的観測に過ぎないことですね?」

「舐めるなよ。私が言葉として口にすることは、だいたい根拠があることだ。……説得材料は、ある。お前などに教える義理はないが、心配は無用だと保証くらいはくれてやろうさ」

 

 ザラの視線はどこまでも鋭い。これを信じないようなら、お前の方にもリスクを求めてやるぞ――と。そうした意思を感じるだけに、クミンも引き下がらざるを得なかった。

 

「いいですよ。そこまで言い切るのであれば、私の方で余計な気を回すのはやめましょう」

「頼むぞ。お前にまで余計なことを吹聴されれば、後始末が面倒になりそうだ。――モリーの為とはいえ、苦労が少なくて済むなら、それに越したことはない」

「いやいや、お互いに苦労しますね? モリーさんは問題ばかりが多くて困ります。問題以上に、付き合って楽しい相手でなければ、遠慮している案件ですよ」

「私と、それから教官やメイルもだが――お前と一緒にするな。私たちは、本気であいつのことを想っている。打算と愉悦で繋がろうとしているお前たちとは、別種の人間だと理解することだ」

「わかっていますよ。理解しようとしても、理解しきれない。そうした度し難い人種には、私も敵いません」

 

 クミンは飄々とした態度を崩さない。それが、彼女の誇りであり生き方なのであろう。

 ザラはそれを許容できないほど愚かではないし、理解の及ばぬものを受け入れるだけの寛容さも持ち合わせている。だから、一度だけ警告をしよう。

 

「一応言っておくが、モリーに対して、悪意は持つなよ。私たちを揶揄したり、内心で見下すくらいはいい。広い心で受け入れてやるとも。――だが、あいつを蔑んだり、裏切ったりしたら、私たちはお前を許さない。この意味が分かるな?」

「媚びるべき相手もわからないような女は、ハーレムや風俗店で生き残れやしませんよ。これで、結構な生存競争を生き残ってきたんです。……ええ、わきまえていますよ。私だって、貴女方と敵対しようだなんて、欠片も思ってはいないのですから」

 

 そこまで話して、合意を得られたなら、話は全て終わったと言って良い。

 後は適当に相槌を打って、解散の流れになった。ザラはクミンを気に入らない相手だと思っているが、同時に話の通じる奴だとも思っている。

 ザラは、クミンをモリーに縋りつく宿り木のようなものと認識していた。それゆえ、寄生した成木を失うことを極端に恐れる。そこを突けば、誘導は容易いものだ。

 共生が可能な相手に対しては、ザラもクミンも鷹揚だった。お互いに単純な利害関係と割り切れば、いがみ合うべき理由はない。

 

「お互いに、持ちつ持たれつで行きましょう。私の方でも、モリーさんをフォローしますよ。巡り巡って、それが貴女達の為にもなる。――違いますか?」

「違わないさ、まったく! だから、私はお前が嫌いだよ」

「私は、貴女のことが嫌いではありませんよ、ザラ隊長。……実利がある限りにおいて、貴女は私を許容する。口喧嘩の相手も、居た方が張り合いがあると言うものです」

 

 モリーがいないところで、外堀が埋められていく。

 まことに丁寧に、詰まされていくのだ。行く先が人生の墓場だと思えば、そこまで悪い結果でもないだろう。

 人間、誰しも終生の寝床を定めねばならない。寝床の寝心地が良いものになるなら、その棺に収まることは、決して不幸とは言えまい。

 

「モリーの奴も覚悟を決めたのなら、そろそろ借金を徴収しに行く頃合いだろう。これも負債の回収と思えば、当然の流れだと言えるな」

「明け透けに言うなら、アラサーを惑わした責任を取らせる流れですね。女の感情や欲求をあおったことを借金と捉えて、結婚を負債の回収に例えるなら、そこまで的外れとは言いません。――が、もう少し色気のある言い回しをしませんか?」

「無用だ。クロノワークにおいては、率直さこそ美徳とされる。私だって、クロノワーク女子として、当たり前のことを求めているに過ぎないんだからな」

 

 そうして、モリーは責任を求められる。本人に覚悟があるなら、真面目に受け止めねばならない展開だった。

 全てを計算した上で迫っているなら、ザラこそがもっとも狡猾な女であるともいえるだろう。そんな女性を娶って、モリーは生涯にわたって責任を持ち続けねばならないのだ。

 

「クロノワーク女子は、誰も彼も重いですね。――もっとも、だからこそ私のような女に、価値が出てくると言うものですが」

 

 クミンはそう言って、モリーに同情するのだった。元ハーレム嬢、という立場は、騎士身分から見れば明らかに格下である。遊びで抱くのも抱かれるのも、クミンは受け入れるつもりだった。

 そして、肉体関係が出来たからと言って、ことさらにモリーから特別扱いされたいとも思わない。適切な距離で、ほどほどの付き合いが出来ればいい。シルビア王女からの特別報酬をいただける立場は、なるべく長く維持したいのだった。

 

「重しが無ければ、どこかに飛んで行ってしまいそうな奴だ。私たちの重い愛情は、モリーを守るためでもあるんだぞ?」

「物は言いようですね、本当に。――その手の理屈は、嫌いじゃありませんよ。好きでもありませんが」

 

 しかし、重い愛は相手を疲れさせるとクミンは思う。モリーの精神が如何に強靭であるとはいえ、そんな女性を多数抱えてしまえば、疲労も馬鹿になるまい。

 愛の重みに疲れているとき、友人感覚で付き合える愛人というものは、これはこれで需要があるように思われた。

 そうして、己の独自性を強調して、生き残りを図るのだ。他者の中で埋没するくらいなら、自己主張で生存権を確保してやろうと思うくらいには、クミンもまた計算高くあったのである――。

 

 




 『戦士学』というものについては、原作では全く触れられていない、私が勝手に付け足したものなので、あんまり気にしないでいただけると幸いです。
 原作では地味に人の命が軽かったり、アレな描写が普通にあるので、そうしたシビアな価値観を説明するのに『戦士学』は便利な概念だと思いました。


 興味を持った方は、デーヴ・グロスマンの『戦争の心理学』をお薦めします。
 例によって、アマゾンのレビューなどを参考にして頂ければ、なんとなく察していただけるのではないでしょうか。

 同じ作者の『戦争における人殺しの心理学』という書籍の続編にあたるので、そちらも合わせてお読みいただければ、より楽しめると思います。


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