毎度毎度思うのですが、自分は確かに見直しができているのか。
矛盾点はないか、何かを見落としたり忘れてたりしていないか。ずっと不安を感じる癖があるようです。
おかしい……。もっと頭の悪い物語になるはずだったのに。
読者からどう見られているかはわかりませんが、筆者自身にとっては、とても頭を使わされる、負担の大きな物語になってきています。
それでも定期投稿を続けているのは、一度止まってしまえば、際限なく悩み続けて、話が進まなくなる可能性があるからです。
早く、話を畳まなければ――などと思いつつ。よろしければ、最後まで付き合ってあげてください。
盗賊どもに襲撃を受けたその日、ソクオチ騎士団による護衛隊は敗北し、ほぼ壊滅した。
他にも戦力は残されているのだが、きちんとした任務に耐えられる状態ではなく、最低限の警察力を維持するのがやっとである。
何より大きな問題は、先の敗戦から生き残った、貴重な実働戦力の多くをこの失態にて失ったこと。さらに護衛任務に失敗することで、信用も底辺まで落ちてしまったのは、ソクオチにとって国体を揺るがすほどの事態になりえた。
交易の安全が確保されないなら、ソクオチを通る道路は利用されなくなる。通行量が減り、関税収入が減収ともなれば、財政悪化は当然の話だ。
そして今のソクオチに、減収を許す余地などない。方々への支払いが滞れば、ソクオチ政府の運営自体が成り立たなくなる。
祭事における反乱騒ぎから、オサナ王子が維持していた国家的な信頼に、決定的なヒビが入ったとも言えよう。
ソクオチがゼニアルゼに泣きつくにしても、限度と言うものがある。貸し出せる資金とて、無限にあるわけではなかった。
なればこそ、分かりやすい形で、敗戦の恥をすすがねばならない。
資金以上に重要な、国家としての信用を取り戻すため。何よりソクオチ内の治安維持のために駆り出されたのが、クロノワークの特殊部隊であった。
そして、彼女らに与えられた第一の目的が、敵盗賊団の殲滅。そして二つ目が捕虜となったソクオチ騎士の救出である。
最低限、これをこなすことができれば、即座にソクオチの信用が戻る――ということはないとしても。
それでも、どうにか体裁は繕える。何より、クロノワークが庇護者としての面目を保てるのである。
ソクオチ内をクロノワークが警備するのであれば、交易路としての価値も維持できよう。
「部隊長として、敵味方として付き合った雑感を言うなら、ソクオチ騎士団は『良く言って並』程度の実力だったな。……ちょっと前の演習でも、連中は扱いに苦労したもんだ。クロノワーク並の水準とはいかずとも、もう少し練度を上げておけと、何度言いたくなったことか」
「演習内で、一応の連携は出来ていたはずですが、ザラ隊長は手厳しいですね。……奇襲を受けて、指揮官が動揺してしまえば、どんな軍隊でも敗北することはあります。たまたま、間が悪かったのだ――と、そう考えましょう」
「そうだな。身内がこんな失態を犯したなら許せないが、他所のことだしな。……元々期待値が低かったのだから、酷評するのも哀れな話か。モリーが言うなら、そういうことにしておいてやろう」
特殊部隊が派遣される以上、当然その中にはザラと共にモリーの姿もある。彼女らが率いる部下たちも、そろって現地入りしており、駐屯地で計画を練っているところであった。
とはいえ実務に関わる話はすぐに済む。余った時間を使って、夫婦の語らいをするくらいは、許されても良いだろう。
もっとも、その内容はと言えば、きわめて現実的なもの。今直面している事態についてであり、色っぽい話にならないあたりが、彼女ららしいともいえる。
「我々が出張った以上、今後の懸念はすべて払しょくしておきたいところだが――。ここは他国だし、好き勝手にやるわけにはいかん。手段を選ばねばなるまいが……どうしたものかな。最悪、クロノワークから援軍を呼ぶべきか。そうなれば、王妃様の期待を裏切ることにならないか? 難しいな」
「ザラ隊長の懸念ももっともですが……おそらく、そう事態は難しいことになりませんよ。確かにこの上に援軍をよこすというのは、望ましい事態ではありませんが――。そうなったらそうなったで、上手に運用してくださるでしょう。我々の上司は、無能とは程遠い方々なのですから」
「それも、そうか。……モリーの指摘は適切であると、私も信じたいよ。なるべく早く、ゴリ押してでも、盗賊団は潰しておきたいそうでな。交易もそうだが、政治的にもソクオチ内の治安維持は重要だという話だ」
特殊部隊の側から、ひそかに王妃様の内意を伺ったところによれば、これくらい強引にやらなければ、何事もままらぬ、とのことであった。
オサナ王子とエメラ王女の巡行を前にして、これくらいのアピールはしておかねば、いずれの国民からも支持は期待できない――とのお達しである。
「王妃様も苦労をされておりますね。巡行が重要なのは事実でしょうが、それら政治的行事が生み出す経済効果こそが一番大事なはず。――巡行に伴う商隊と、その護衛。どちらもクロノワークが担当する以上、利益もほぼ総取りする形になる。盗賊なんぞを気にして、懐の心配をするような事態だけは、王妃様も避けたいのでしょう」
「裏側の政治事情に通じるのも結構だが、我々の任務はもっと実際的だ。……盗賊相手とはいえ、部下を率いての戦場は久々だろう。まさか、お前に限って鈍ってはいないよな?」
「はい、もちろん。教官からも、お墨付きはもらっていますよ。――死んだり死なせたりすること関して、私が鈍ることはない、とご理解ください」
ザラもモリーも、一騎当千とはいかずとも、雑兵百人分くらいの働きは軽くこなす猛者であった。そして、旗下の部隊員もそれに準ずる程度の練度がある。
いかに歴戦の盗賊が相手でも、これに不覚を取ることはない。だが討ち漏らしが出て、再度暗躍されるようでは作戦失敗だ。
人手がどうしても必要になったら、ザラは援軍の手札を真剣に検討すべきである。士官としての感覚が、そう本人に告げていた。
「ならばいい。が、問題は敵の殲滅が叶うかどうか、だ。最初から、これだけを私は心配している。――追い散らすだけで済むなら、頭を悩ませずに済むんだがな」
「致し方ございません。援軍は最後の手段として、とりあえずは置いておきましょう。……私の勘としては、そこまで大事には至らないと思うのですが」
「お前の勘を当てにしたいところだが、何事も最悪を想定するのが隊長の役目でもある。――まあ、とりあえずは動かなければ判断しようがない。思い悩むのは、後にするとしよう」
王族の二人がソクオチを巡ることは、すでに公言されており、各地に通達が行きわたっている。援軍など呼んできて大事にしてしまえば、巡行の日程がどうしても合わなくなる。
そして今更日程の変更などしてしまえば、クロノワークの面子に関わる事態となりかねない。
そうした政治的問題をザラは懸念していたが、その対処まで特殊部隊に求めるのは、筋が通るまいとモリーは思う。
「何事も、これからです。私でよければ、愚痴は聞きますよ。……しかし、そうした悩みをザラ隊長に持たせてしまうこと自体、間違っていると思いますがね」
「それを言うなよ。――私はクロノワーク王家に忠誠を誓っている。特殊部隊員の全員もそうだ。騎士として、主君の意向はくみ取るのが筋だろうよ」
「ええ、ええ。私も、自分だけが悩んですむことなら、アレコレ言わないのですが。……しかし、お互いに立場もある身ですし、微妙な発言もここまでといたしましょう」
口でははばかっても、モリーは内心で王妃様に対して批判的にならずにはいられなかった。必要とあらば、諫言するのも忠臣の仕事である。
それには当然ながら、言い方にも工夫が必要となるであろうが――どうにも面倒だと感じたら、ザラの態度に習うのが賢明か。
ともあれ、今回ほぼフリーハンドを与えられて遠征に来たのだ。目標を達成することが第一で、それ以外の結果については、命じた側のクロノワーク王家が責任を持つべきだった。
すでに作戦に必要な決断と、権限は与えられている。ならば最善を目指して、できる限りの手を打つ。それ以上は望むべくもないのだと、モリーは言いたかった。
さりとて口にしたところで、むなしいばかりだとわかってもいたので、別の話題に移すことも、彼女は忘れなかったが。
「それにしても意外です。周辺国との行路は、随分と掃除が進んでいたと思うのですが、盗賊が出る余地がまだあったんですねー」
「お前は、実働部隊としては、さほど動いていなかったからな。内勤の比率が高いと、実感できない部分があっても仕方がない。――ソクオチに限るなら、賊どもが潜む余地は、いくらでもあるだろうよ」
「まあ、そうですね。ソクオチに限るなら、まさに。……祭事の時の連中には、結構逃げられてますし。ソクオチ軍が、その全てを捕捉するのは難しかったのでしょう」
盗賊どもは、反乱騒ぎに加わったこともあって、祭事の後は大人しくしていたのだが――。この度、交易が活性化していくにつれて、改めて顔を出してきた。
それも、内通者を事前に用意したり、優位な戦場に限定して襲撃したりと、狡猾さも増している。
今回の護衛にあたって、ソクオチ軍も警戒はしていたにしても、軍の弱体化はいかんともしがたいところであったろう。
盗賊どもがどんなに巧みに戦術を駆使したとしても、装備と練度の部分で圧倒的な差があれば、こうも徹底的な敗北はあり得なかったはずだ。
これもまた、敗戦の爪痕であると思えば、クロノワークが責任を持つのも当然の成り行きであったと言える。
「私らも、ソクオチとの国境線近くは、念入りに潰して回ったがね。内部はまだ手付かずの部分が多い。その辺りに踏み込んでは、ソクオチの領分を犯すことになるからな。……こうして明確な落ち度が現れるまでは、手を出せなかったわけだ」
「いずれにせよ、もう事態はここまで推移しています。――狡猾な連中ほど、危険を避け、稼ぎ時を見逃さないもの。身を隠して準備を整えつつ、機を見計らっていたのでしょう。並々ならぬ手合いだと考えるべきです」
「同感だが――皮肉なものだな。半端に強さを示してしまったがゆえに、本気で潰されることになる。盗賊稼業も、楽ではないらしい」
目先の利益を貪ったがために、結果としてクロノワークからの介入を招いたことは、どう考えても弁護は出来ないが――。そもそも、盗賊などに長期的な展望を求めるほうが間違っているのだろう。
特殊部隊単独での入国だから、こちらの動きは完全に隠ぺいできている。連中が気付くのは、こちらが襲い掛かってからだ。この時点で、ザラもモリーも、敗北など考えてはいなかった。
もちろん、旗下の部隊員たちとて、それらは理解している。ゆえに適度な緊張はあっても、不安の気配はみじんもない。
「盗賊などがのさばっては、交易の邪魔だ。シルビア妃殿下も、それはわかっているはず。事前にソクオチに支援しても良かったのに、今日この日まで何もしていない。――何かしらの理由があって、放置してたんだろうと思うが、思惑が読めんな」
軍が敗北することまで計算に入っていたかはともかく、不穏分子をソクオチで暴発させる手は、すでに一度やっている。
二度目が必要だと感じたならば、躊躇う方ではないと、モリーは考えていた。あるいは、もっと悪辣なことを考えているのか。
たまたま目を逃れていたという可能性もあるが、それならそれで、後腐れがなくていい。
「そうでしょうとも。――ソクオチ騎士団が当てにならぬとなれば、クロノワークなりゼニアルゼなりが、ソクオチの軍政に干渉する理由付けになる。そして軍の存在は、国家の独立性を保証するものです。……思ったより早い展開になりましたが、ソクオチの軍が解体される可能性も、そろそろ考慮に入れてもいいかもしれませんね」
「考慮したところで、どうしろって思うんだが、モリーは違うのかね? ……ソクオチの軍自体は落ちるところまで落ちたとしても、祭事の時はオサナ王子が気張ってくれた。シルビア妃殿下は、それを評価していないのか?」
「評価はしているでしょう。ただ、本格的に駒として使うのは、成人してからになると思いますよ。――戴冠するまでの過程を、どう利用するか。シルビア妃殿下は、今それを考えているところでしょうね」
ザラの見解に、モリーは同意した。補足するように、自らの分析も添えて。
「とはいえ、我々もこの機会を最大限に活用しているのですから、妃殿下を非難できる立場にありません。――ソクオチの巡行は、面倒以上に利益が大きい。ならば、どんなに手間がかかっても、ここでソクオチを助けないという選択肢はないわけですね」
「オサナ王子とエメラ王女の巡行は、滞りなく実施されねばならぬ、と。……他国の王子だけならともかく、幼い王女を巻き込むほどのことかね? ――おっかない話だな、まったく」
「こうやって、事前に掃討作戦を実行させるくらいです。安全には、充分に気を使っておられる。そのうえで、政治的な事情を優先するくらいは、王妃様も王族としての責務を果たしてくださっているのだと、好意的に見るべきでしょう」
ザラなりに思うところがあるのだろうけど、今回の件は個人的にも悪い策だとは思わない。
ここからソクオチを立てなおすには、祭事において実績を作った、オサナ王子が必要不可欠だ。
子供ながらに内乱を治めた、彼の存在こそがソクオチ国民の誇りになる。おそらく唯一のよりどころにさえなるはずで――そこからどうなるかは、モリーにはたやすく予想できた。
「ソクオチは、長い試練に耐えていかねばなりません。耐えるには、希望が必要です。オサナ王子がそうなるならば、シルビア妃殿下は笑いが止まらないでしょうね。ソクオチがどんな風に改変されても、オサナ王子が王として君臨すれば、それだけで国民の不満は抑え込める。将来的に、ソクオチの文化や伝統がどれほど残っていることか。……恐ろしい話だと思いませんか?」
「それで消えるような文化など、その程度のものだろう? どういう種の恐怖か、私にはわからん。――モリーには、シルビア妃殿下の目論見がわかるのか?」
さて、とモリーは一考した。妃殿下の気持ちなど、正確にわかるものではない。ただ、自らの目論見が成就するという、単純な喜びはあるだろうと思う。
ソクオチを実験場にして、様々なことを試みるのではないか、とは察しているのだが。具体的な方向性までは、読み取ることが難しい。
「わかるとも、わからぬとも言えません。しかし、想像するだけならば、自由ではありませんか?」
「そうだな。――ともあれ、我々の仕事をするとしよう。敵が賊だけなら、そう時間はかからぬだろうが……」
敵、と言うものの定義について、モリーは考えるところがある。ザラも、おそらくはなんとなく不穏なものを感じているのだろう。明言できぬ辺りに、その難しさがある。
「謀略がらみの仕事は、いつも大変ですね。後に尾を引くとわかっていると、なおさらに」
「お前に言われるまでも無いさ。……新婚生活は、戦場で過ごすことになるかもな。一家そろって、前線で団欒か。思えば、奇妙な一家になってしまったものだ」
「今更、ですよ。ザラ達を娶って受け入れると決めたときから、私個人の覚悟は済んでいます」
だから、それはそれで一興と言うものだと、モリーは断言した。
ザラは、それを好ましく思い、なればこそ愛し甲斐があるのだと言いたくなる。
「だが、前線では遊びを入れる余裕はない。――わかっているな?」
「ええ、ええ。――楽しむのは、仕事を終わらせてから。わきまえておりますとも」
モリーの家庭は、今のところ円満だった。
モリーに取っては、それでよかった。シルビア妃殿下の思惑も、賊の行動も、あるいは今後の国際的な問題すら、彼女にとっては二の次であった。
妻たちのために生きる。そう決めたモリーは、死に狂う感性を持ちながらも、生き汚く戦う術を心得ていた。
あらゆる意味で、敵にとっては最悪の衝撃になるに違いない。まさにそうであればこそ、シルビア妃殿下の切り札になるのであり、クロノワークの王妃にとっては、替えの利かない鬼札にもなりえたのである――。
モリーです。急遽仕事が入り込んで、色々と働くことになりました。
敵地を踏むことも、敵の首を刎ねる機会も、これからは劇的に少なくなる。そうした確信と共に、私はソクオチを改めて訪れることに。
ソクオチって、先の敗戦で国家機能にひどい損傷を負ってしまったからね。王の死は最たるものだけど、アレコレの結果として、役場から軍隊まで結構な人材が欠けてしまったわけで。
さらに祭事の反乱騒ぎで、組織が委縮するところもあるだろう。弱体化の末、在野の賊に敗北を喫するのも、経緯を知れば納得はできる。
そうは言っても、負けは負けだし、政治の世界では結果が全てだ。……そして、指揮官は敗北の責を負わねばならない。
ラッカ、という人。件の護衛隊を率いていて、任務を果たせなかったのみならず、盗賊どもに捕らえられたことが判明している。
どういう経緯をたどるにせよ、もはやソクオチでは真っ当な騎士はやれない。別段交流のあった人ではないんだけど、半端に情報だけ拾ってしまうと、どうしても同情してしまうね。
それはそれとしては、私は私で仕事前にやっておくことがある。下手をすれば、ラッカという人を笑えなくなるのだから、手抜かりはしたくなかった。
作戦上、私が副隊長として、一時的に部隊員を掌握することになるのだから――できれば、参加者全員から納得を引き出しておきたいと思う。
「皆さんと一緒に仕事をするのは、本当に久しぶりですね。……久々ですが、私の指揮に不安があれば、正直に申し出てください。数が多ければザラ隊長に伝えて、別の方に指揮を変わっていただくよう働きかけましょう。部隊での空白期間が、ちょこちょこあったのは事実ですから、ザラ隊長も納得してくださるはずです」
私が率いるべき、一隊の団員たちを前にして言う。彼女らは私と同じ特殊部隊員であり、訓練を積み重ねた中である。
最近は少し疎遠になっていたから、こうして声をかけるのも、少しぎこちない形になったかもしれない。
「はい。いいえ、モリー副隊長。特殊部隊の中の誰もが、貴女のことを尊敬しております。指揮に不満など、あるわけもございません」
一人の兵が、そう答える。その意見に反対の声はなく、士気に衰えも感じられない。
私の気持ちなど、杞憂にすぎなかったのだと。そう信じたくなるくらいには、良い返事だった。
「なぜか、と聞いてもよろしいですか? 最近は、以前ほど部隊にも顔を出せなくなってしまいました。余計な仕事にばかり現を抜かして、現場をおろそかにしている。――そう思われても、仕方がないと思っていたのですが」
「ありえません。……モリー副隊長、昔ほどの頻度ではないとはいえ、貴女が仕事をきっちりこなしてくれていることは疑いありません。手を抜けるほどの器用さを持ち合わせていないことも、隊員は皆、かつての働きぶりから理解しております。それに、なにより――」
「なにより?」
「あの、ザラ隊長を娶られたお方です。それほどの御方に不満だなんて、とても言えませんよ。モリー副隊長殿、貴女は勇者だ、間違いなく。……そして、そんな勇者に率いられることを、私達は誇りに思っているのですよ」
勇者、というものの定義について。可能ならば話し合いの場を持ちたいくらいだが。
ともあれ、皆の目はやる気に満ちていた。ならば、私もその信頼に応えよう。
「ありがとうございます。……その尊敬に応えられるよう、務めを果たすと致しましょう」
部隊の指揮に問題がないなら、すぐにでも作戦の説明に入りたい。全員の視界に入るよう、地図を広げる。
そして、よく聞こえるように声を張って、やるべきことを明確に伝えよう。
「改めて、確認しましょう。我々の任務は、盗賊どもの根拠地を探り、そこを強襲することです。それも電撃的に、徹底的に、です」
――ザラ隊長の本隊も、別口で盗賊どもを探っている。本隊とはいっても、私が率いる襲撃部隊と規模はほぼ同じ。
情報を集めることは簡単ではないし、信頼性も付け加えるなら、さらに難度は上昇する。手勢も手段も、多ければ多いほど良い。そこは、私も理解しているところだ。
「ザラ隊長たちは、ソクオチの都市住民たちを探っています。――賊とつながりのありそうな連中から、あらゆる方法で情報を抜いていることでしょう。賊とはいえ、このご時世、商業と無縁ではいられません。自給自足が不可能であれば、外とのつながりは不可欠。そして、賊と繋がることで不当な利益を得ている連中は、今の時勢を読み取れていない馬鹿しかいないわけですね」
だから、後顧の憂いなく粛清ができる。ゼニアルゼではなく、クロノワークの主導で。
オサナ王子とエメラ王女のソクオチ巡行は、クロノワークが主として実行する。その前段階である盗賊討伐も、当然ながらクロノワークが責任をもってやるわけだ。
ゼニアルゼの、シルビア妃殿下の都合を別にして、王妃様が自らの判断で私たちに命を下した。その事実の重さを、隊員たちにも周知させる。
「これは、王妃様が直々の勅命です。なので、我々も思い切った行動を取らねばなりません。何と言っても、失敗が許されないからです」
「背景については、わかりました。――ザラ隊長の部隊が都市部の攻勢を担当するなら、モリー副隊長と我々は、被害地域を主体に探り、盗賊の掃討を主目的に動くということですね。電撃的に、徹底的に、というのは?」
「文字通りの意味、ですよ。準備が整ったら、都市部で動く本隊と時期を合わせて、同時に動きます。こちらは賊の根拠地。あちらはつながりを持つ都市住民の捕縛。これは、連動してやらないと賊一味を取り逃しますから」
これくらいの工夫をしなければ、完璧な仕事にならない。危険性も上昇するが、それを跳ね返してやり遂げるだけの能力が、我々にはあるのだと確信する。
「禍根を残さないためにも、仕事は早く、痕跡を残さず、漏れのないように。――ザラ隊長からの情報も当てにしますが、こちらはこちらで敵の情報を集めましょう。なに、やりようはあります」
改めて言うのも恥ずかしい気がした。私が率いる連中は、わざわざソクオチに派遣されるだけあって、優秀な面々がそろっている。あくまでも確認するつもりで、私は今後の展望について話した。
「とりあえず、現状でも敵に対する取っ掛かりはあります。ソクオチ騎士団は、護衛任務に失敗して、壊滅しました。守るべき商隊は盗賊どもの餌食になり、ひどい損害を受けている。――裏を返せば、盗賊らは収奪に成功して潤っている。勝利に酔って驕っている。だから、調子に乗って殺しすぎ、奪いすぎました。この驕りを突きます」
普通、盗賊は身代金を取るために、めぼしい人物は捕虜にするか、あえて見逃すことすらある。なるべく殺しは避けた方が、実入りもいいし恨まれないから、賢い賊は略奪行為もスマートにやるものだ。
だが、この盗賊どもはやりすぎた。許せる範囲を超えるほどに。我々を出張らせるほどに、連中は儲けすぎたともいえる。
「早速、農村と街道周りを探りましょう。運搬には馬が必須ですし、馬が通る道は踏み固められるから、見定めも可能なはず。……密輸の関連で、そうした隠し道の情報はシルビア妃殿下から提供していただいてますから、時間はさほど掛からないでしょう」
「道の方はそれで良いとして、農村ですか。狭い社会の中で、よそ者が情報を探るのは、難しいのではありませんか?」
「部外者は部外者でも、恨みのあるなしで大分変わってくるものです。この場合、恨みは羨み、とも言い換えていいでしょう。……近くに盗賊稼業で儲けている馬鹿がいると、農民たちはとっても腹が立つのですよ。苦労知らずの放蕩野郎が、博打で一山当てて、我が物顔でふるまっているのを見ると、ムカついてくるでしょう? そういうことです」
遠くの外敵より、身近な乱暴者の方が、狭い社会の村人たちから見れば厄介に思えるものだ。
だから、わずかな痕跡をたどって聞き込みをするだけでも、それなりの成果はあると私は見込んでいる。
情報収集のための出費も認められているし、こちらも経費として相応の額を持ち込めた。金の使い方を誤る手合いは、特殊部隊の中にはいない。確度の高い情報も、すぐに集まるだろう。
「それぞれ、単独行動でもヘマは犯さない。それだけの能力は持ち合わせていると、皆を信頼しています。細かい指示は、もはや必要ないでしょう。――各々の持ち場だけは、きっちり決めておきます。他に質問があれば、受け付けますが? ……ない? では、話を続けても構いませんね? では地図を眺めながら、お互いの担当について、詰めていきましょう」
聞き分けの良すぎる隊員たちに、若干の違和感を覚えつつも。
なんか怖いくらいに従順だから、これはこれでいいかな……なんて思いつつ、任務に集中するのでした――。
ソクオチにはソクオチの事情があり、クロノワークやゼニアルゼにも、国家特有の都合や予定と言うものがある。極論すれば、どんな貧民だって、将来の見通しについては真摯に考えるものだ。
ひるがえって、ソクオチ騎士団を打ち破ってしまった盗賊側にしてみれば、『勝ちすぎてしまったこと』に対して、忸怩たる思いがあった。
もっとも、それは盗賊団の頭目だけが感じていることで、能天気な配下どもは蹂躙と飽食に満たされている。それがまた、一から事情を把握している頭目にとっては不愉快だった。
かつて、ソクオチの祭事における騒乱を忘れてしまったのか。適当に捕虜を嬲ってご満悦の野郎どもに、危機感を持てと説教したくなる。
ならず者、破落戸と呼ばれても、知恵がないわけではない。そう信じて、男は口を開いた。
「おい、気を抜くなよ。女騎士どもを飼っているのは、身代金と今後の交渉の為に必要だからだ。別段、てめぇらの性欲処理を考えてのことじゃあないんだぞ」
「わかってますよ、お頭。だから、どいつもこいつも紳士的に、壊さないように丁重に『使ってやってる』んでしょうが」
へらへらとした顔で、楽観的な心情を述べるやつが、今は盗賊団で幹部をやっている。
女を使った後の、だらしない虚脱感。それが態度から感じ取れて、呆れそうになった。
この程度の馬鹿を使わざるを得ないということが、頭目の男にとっては不本意だった。そうと言っても、流民や逃亡騎士の中に、真っ当な教養人などいるわけがないのだけれど。
「何がご不満なんです? 俺たちは、騎士団すら食い物にしてのけた。ここらが危なくなって来たってんなら、また河岸を変えればいい。違いますかね?」
「……今のソクオチを抜け出すのは簡単じゃねぇぞ。クロノワークとゼニアルゼの連中が、国境を張っているのはわかりきってることだ。……前科者は、関所で跳ねられて通報されて終いさ」
「皆で関所破りをすればいい。うちの戦力なら不可能じゃない。そうでしょ?」
確かに不可能ではない。結果として、我こそ賊だぞ、と声高々に主張して、国家の面子を叩き潰すことになるになるのだが。――そうした手合いが、他国で盗賊稼業をやろうとしても、目立ちすぎて標的になるのはわかりきっていた。
「そうだな。どれだけ死ぬかわからんが、破れはするだろうよ」
「クロノワークとゼニアルゼの方が無理そうなら、次はホーストでも、ヘツライでも。……ああ、女騎士で評判のヴァルキリー王国とか、いいんじゃないっすか?」
逃亡の後の展望があるなら別だが、そうでないなら破滅への道を進むに等しいのだと、こいつにはわからないのか。
――わからないのだ。だから、こんな盗賊団の幹部なぞやっている。それを理解して、頭目は諦めと共に溜息をついた。
「……夜の見張りは、しっかりやらせろ。日の出前に眠り込む馬鹿がいたら、首を刎ねてやれ。それから捕虜は絶対に死なせるな。衛生に気を遣わせて――不潔な生活をさせたら、ただじゃおかねぇからな」
「わかってますって。こっちだって、汚い女を抱きたくはありませんからね。ああ、お頭が使うときは一晩置きますし、その間は誰にも触らせませんから、大丈夫ですよ」
身ぎれいにさせておきますんで、心置きなく――と付け加える馬鹿にたいして、頭目はどうしてやろうか、と思った。
……どうにかしたところで意味はない、と悟るのに数秒。この間、怒りをこらえられたのは奇跡だったと我ながら思う。
調子に乗りやがって。本格的な軍隊を向けられて、数で攻められたら、死ぬのは俺たちだとわかれ――と、口にしようとしてやめた。
「心配なんぞしてねぇよ。……気心の利いた部下をもって、俺は幸せだな?」
「でしょう? へへ、これからも期待してくださいよ。俺たちは、どこまでもお頭についていきますんで」
勝手に地獄に落ちやがれ、そこまで付き合えるか――と、心の中で叫ぶ。
頭目は歴戦の猛者であり、盗賊として長く生きてきた、ひとかたならぬ曲者である。その曲者としての嗅覚が告げているのだ。
危うい、と。このままでは虜にされ、終わってしまう、と。
それを避けるために動けと、しきりに思考を刺激し続けていた。頭目の男は、この自身の感覚を信頼していたから、なおさら気が気でなかった。
もしもの時は、全てを捨てて逃げねばならぬ。そうした覚悟を決めるほど、男は危機感を抱いていたのだった。
「勝っている時こそ、用心しろ。……若いやつには、それがわからんらしいな」
配下の連中から離れて、自室でそう呟く。ベッドと簡単な棚があるだけの簡素な部屋だが、育ちが貧しい男であるから、不満は感じない。
略奪品を売りさばいて、そこそこの富は得ていた。資材を得られたなら、配下に元大工の者がいたから、彼らに仕事を与えれば箱物を作ることはできた。
それなりの苦労の末に作ったものだが、これを維持することは、考えなくてもいいらしい。どうせ近いうちに、この盗賊団は壊滅させられるのだから。
「さて、思案のしどころだぞ。これは」
鍵付きの棚の中には、自分だけしか把握していない、大事な書類も入っていた。最悪の場合、他所に売りつければ保身を図れるかもしれない――という。ある種の保険に近いものである。
それを改めるようにベッドの上に広げ、男は頭を悩ませた。今すぐに売るべきか、出し惜しむべきか。決断次第で、今後の身の振り方も変わる。
「ソクオチの面子を叩き潰して、その誇りを汚したなら。連中は、本気になる。本気になられたら、盗賊稼業はお終いなんだよ。――糞が」
過ぎたことを悔やんでも仕方がないことだ。頭目とて、あの時の襲撃では調子に乗って、暴力に身を任せすぎた。
自分にも非がある。それは、認めざるを得ない。それはそれとして、盗賊団全体の統率は、もう諦めるべきだろう。ソクオチ騎士団を潰せるほどに、この集団は大きくなりすぎだ。
適当に間引いて、自分と少数の仕える連中だけを連れて、河岸を変える。可能なら、そうすべきだと判断する。
「……よし」
書類を扱う以上、文字が読めるだけではなく、使い方まで理解せねばならない。頭目はそこそこの教養ある男だったので、活用すべきものを厳選し、相手によって使い分けることもできる。
特に、この密輸商と関わった件について。詳細な依頼書と、事後の支払い証明書は、証拠能力があるはずだ。無理を言って作らせたものだから、あちらは当然対策をしているだろうが、難癖をつける理由にはなる。
しかるべき場所に提出すれば、大きな力を持つと見ていい。しかも一つではなく、複数存在するとなれば、影響力はさらに強くなる。――これの存在をほのめかせれば、取引材料にはなるだろう。
それでも、保身のために使うなら、慎重に用いる必要がある。まずは、小さなところから、情報を流出させて、こちらの思惑をそれとなく伝えるのが肝要か。
「……いずれ討伐隊が組織されるだろうが、先手を打とう。さて、どこに持っていくべきかな?」
力を失った、ソクオチ政府に垂れ込む気などない。主権がゼニアルゼ、もしくはクロノワークにあることなど、今時盗賊だって知っている。
無難なところで、どちらかの駐在武官事務所だろうか。伝手がないから、まずは自然に接触する機会を作らねばならないが、そこは工夫をすればよい。
仲間にも知られたくはないから、自ら動くことになるが――。近々、理由を付けて遠出する機会を設けようと思う。
どうせ、先の襲撃で目を付けられているのだ。当初は交渉のつもりで捕らえた女騎士どもだが、相手におもねる為に、五体満足で置いていくことも手段の一つだった。
適当なところで襲撃を失敗させ、数を減らす。その上で、拠点のここに敵軍隊を誘引し、無能な連中もついでに処分させてもいい。
あちらが自分を受け入れてくれるとも限らないから、最悪身一つで逃亡せねばならぬ可能性も考慮すべきだろう。
状況次第だが、事後処理に追われる軍隊を尻目に逃げ出すことは、これまで何度もしてきたことだ。
損切りの判断をためらわないこと。盗賊として長生きするには、それが一番大事だと、男は経験上理解していた。
「何がどうあっても、俺は生き延びて見せるぞ。――そうだ。俺は馬鹿じゃない。あいつらとは違う」
後はほとぼりが冷めるまで他国に逃げるか、潜伏を続けてもいい。稼業を盗賊から傭兵に切り替えるのは、難しいことではなかった。
散々襲ったから、見よう見まねで商人を装うことも出来る。犯した罪など、発覚させねば問題ではないのだ。
男の算段は正しかった。目論見をうまく運ばせるだけの才覚もあった。
そして、ザラの本隊と首尾よく接触し、情報を流すことによって当面の命の安全を確保する。それだけの能力の持ち主でもあった。
……流石に全てを守ることは出来ず、身柄の安全を得る程度がせいぜいではあったが――頭目の男は、運に恵まれたと言って良い。
ザラは男からもたらされた情報を精査した結果、内容はモリーの元に送る価値がある、と判断する。早馬で伝達すれば、一日とかからず伝わるだろう。
そして、頭目の話が事実であれば、援軍を頼む必要もなくなる。その結果をもって、男は生き延びることができるだろう。――その全てが事実であると、証明した後のことになるが。
「うまくいったか。……まだ予断は許さんが、俺だけでも生き延びることは出来たらしい」
頭目の男は、自らの安全を買えたことを理解して、静かにほほ笑む。もはや帰らぬ拠点のことを思って、わずかに哀れんだ。
使えそうな部下を拾ってやれれば良かったのだが、そこまでは許されなかった。ここまでやらかしておいて、部下の助命まで乞うのは虫が良すぎる、という理由で。
それにしても、彼が特殊部隊に接触できたのは、ほとんど運だった。何かの間違いですれ違っていたら、頭目の男とて生き延びる目を逃していたはずだ。
紙一重の差で、ギリギリの線で生き残った。それを思えば、無理にでも笑顔を浮かべて、楽観的な未来にすがりたくもなるだろう。
馬鹿にしていた幹部を含めた、あの盗賊連中とて、ここまで生き残ってきたのだ。何かの間違いで保身に成功していれば、他国に逃げて――時期を得たならば、あるいは成り上がることすらできたかもしれない。
ただ一つ。誰にとっても誤算であったのは、すでにクロノワークが本腰を入れていたこと。付け加えるならば、よりにもよって、新婚で気合の入っているザラとモリーを敵に回したことが、致命的であった。
つまりは、特殊部隊がソクオチに派遣された時点で、盗賊団はすでに詰んでいたと言って良い。
そして、自覚を持っていた頭目だけが生き残る。これもまた、一種の運命の残酷さと言えるであろう――。
ザラ隊長からの書簡を確認して、全ての情報の裏取りは終えた。疑いの余地なく、盗賊の拠点に向かって、襲撃の準備は整ったとみて良い。
意外なところからやってきた情報提供者のおかげで、カチコミするまでに必要な事前準備は、あっさり終わってしまった。これ自体は僥倖と言ってもいいのだけれど、個人的には面倒も抱え込みそうで、手放しでは喜べない事態だったりします。
まさか目当ての盗賊団の頭目から、直々に情報提供をされるとか、誰が想像できるよって話で。
ザラ隊長も驚いていたけど、幸運も含めて実力と言うべきだろう。追い風が吹いているのは、私達か。それとも、意外な形で生き延びることになった、頭目の方だろうか。
……ひとまず、今は身柄も抑えて監禁してるから、処遇は後回しにしていい。事が終わり次第、ザラ隊長と相談しよう。生かすも殺すも、その後のことだ。
さて、諸々あって主要な盗賊団の居所が割れたのなら、後は粛々と処理を進めるだけ。手勢は限られているので、手順も踏みつつ、できるところからやっていく形になる。
特に攻め方については、初手で単騎特攻とか出来ないからね。……三十人程度の小勢が相手ではないのだから、段階を踏まないといけない。
敵地が緑に囲まれた山とか、定番すぎて面白みもないけれど、それだけ利用価値のある地形だから仕方ないね。
そしてこうした拠点を何度潰したかわからぬほど、クロノワークの特殊部隊は実戦経験があるわけだ。
「皆さんは経験しているので、これはあくまでも確認ですが――」
「わかっておりますとも。モリー副隊長に続きます。思うがままに、どうぞ」
部下がいるせいだろうか。以前、単独で盗賊の巣穴に飛び込んだ時よりも、随分と気持ちが楽だった。
息を吸って、吐く。気負いも気合も、呼吸と共に自分から除いていく。必要なものは、それらではないとわかっているから。
「突入準備。――行きます」
率先垂範を示すように、突入においては先頭で切り込む。もとより、頭目に見捨てられた盗賊団など、刈り取るのに苦労はせぬもの。
誰かに任せるより、自分がやった方が確実だし被害も出ないとわかっているから、そうするのだ。
時刻は明け方。空が明るみだした頃合いである。頭目からの情報提供もあったから、夜間の襲撃も可能ではあったが、誰一人として取り逃がしたくない戦いである。
殲滅するつもりで仕掛けるのだから、視界は鮮明であったほうが良い。なにより、『頭目がすでにこちらに降っている』ということを、連中は知らない。
そして、彼の働きかけにより、疲れ切って油断している時間帯を一方的に知ることも出来た。
明け方まで眠ることを許されないから、日を見れば気が緩む。これを利用する方が、よほど効率的だろう。
ザルになっている門の警備も、拠点内の弛緩した雰囲気も、こうした事前の仕込みの結果である。
「私に続きなさい。門番の首を刎ねたら、各自の判断に任せます。――私の言葉が届く範囲で、存分に働きなさい」
だから、実際に仕事にかかれば、展開は早い。突入に苦労はしなかった。門の見張りは少数。誰もが隠密行動に慣れている特殊部隊であれば、潜んだまま静かに事を済ませるのも、たやすいこと。
何より相手は素人であり、油断もあれば隙もある。この手の弱みに付け込む手腕については、クロノワーク一の集団であるという自負もあった。
門番の始末を速やかに済ませ、侵入を果たす。我々は、その自負に恥じない結果を上げたのだと、自信を持って言えた。
首尾よく敵の拠点に忍び込めたのは良いとして、ここからの一手は慎重に行うべきだ。捕虜を捕えているのはわかっているから、人質として活用されるのが一番厄介である。
逆に言うなら、盗賊側も人質に固執する傾向を持つ。いざ戦闘が始まると、切羽詰まる前に交渉道具として使って、こちらの動きを縛ろうとするだろう。
交渉にしろ逃亡にしろ、希望があるうちはすべてを捨てる覚悟など持てないものだ。勝利の経験に酔っぱらっているうちは、得に。
そして、希望を見出す前に、目の前の危機にすら気付かなかった者は幸いである。影に潜んだ刃に倒れ、地に伏す彼らは、自分が死んだ理由すら理解していない。
部隊はその場その場で、手の届く範囲の盗賊どもを切り捨てていた。そして、屍が二十を数える前に、拠点内の騒ぎが大きくなる。
「重傷者はいない? よし。隠密行動も、ここらが限界でしょう。――各自、目的の場所まで敵を追い込むように」
「了解!」
こちらの被害時状況だけを確認して、作戦を続行する。ここまで容易く侵入され、被害を出した経験など、あちらにはあるまい。敵が動揺してくれるなら、誘導もまた容易い。
捕虜を収容している牢屋は、拠点の中で、もっとも上等な館の地下にあった。
頭目からの情報では『地下に一括して管理している』ということだから、人質として使いたいなら、まず盗賊どもは建物の中にこもらねばならぬ。
私たちは、それをちょっと助けてやった。姿を見せるべきところでは顔を見せ、敵意を煽りつつ、斬り殺した遺体を放り投げて危機感を刺激する。
訓練を受けていない盗賊どもは、それだけで自陣営の敗色を悟ったらしい。交戦らしい交戦もなく、私達は目的の館の前までやってこれた。
「旗色が悪いと見るや、一目散に立てこもって守りの態勢を見せる。頭目からの情報は、正しかったと見てよろしいですね」
「適当に殴り倒して、力量の差を見せつけただけでこの有様。クロノワークの盗賊どもの方が、よほど気合が入っているのではありませんか? モリー副隊長」
「比較することに意味などないでしょう。――ともかく、展開は予定通り。そろそろ思い切った手で、詰めていきましょうか」
館の地下には捕虜がいて、建物の上部には首領の私室があるらしい。そして、各自の財産を管理する金庫も、館のどこかには存在すると聞いた。これもあるから、盗賊どもはここを最後の砦とするのだろう。
いまだに財産を置いて逃げることを選ばない程度には、欲深い連中がそろっているらしい。後始末を考えると、とても好都合なことだと、私は思う。
「詰めると言っても、如何なさいますか、モリー副隊長。このまま相手を拠点にこもらせてしまえば、打ち破るのにいささか時間が掛かってしまいますが」
「わかっているはずです。この展開は、すでに想定済み。――くれぐれも、ザラ隊長には内緒にしておいてくださいね?」
「……ですから、確認のために聞いたのです。我々部下の総意としては、副隊長殿には危険を冒してほしくないのですから」
「お気遣いはありがたいのですが、無用の心配ですよ。私の命より、作戦の成功を祈っておいてください」
そもそも立てこもりを許さず、野戦で根切にする――というのは人数差から言って不可能だった。
敵は百を超える盗賊団で、こちらは三十人にも満たない小隊にすぎない。真正面からカチ合えば、数の差などひっくりかえせるだけの力はあるが、逃げに専念する敵を追うには、心もとない数だった。
「私からも、聞いておきます。一応の確認ですが、きちんと全員、追い込みましたね?」
「はい。事前に聞いていた通りの人数なら、間違いなく残りの全員は館に立てこもりました。……副隊長殿、しかし、本気で?」
「残念ながら、この部隊の指揮官は私なのです。指揮官権限で、押し通させていただきますので、どうかご勘弁を」
人質の身を考えないなら、館ごと焼き討ちにして、飛び出してくる賊を適当に切り捨てるとか、そうした派手な手でどうにでも始末できる。しかし、個人的な嗜好として、こうした手段はなるべく使いたくないのである。
ならば普通に攻城戦のノリで、真っ当に戦うのはどうか。――充分勝算はあるが、敵は捕虜を人質として使うことは疑いない。
なるべく救出したい我々としては、その前にけりを付けたかった。敵には精神的な余裕を抱いたまま、悪辣な手段を思い浮かべる前に殺し尽くしたいのだ。
よって、結論はこう。私が単騎で潜入して、捕虜のいる地下に侵入。見張りを処理して、そのまま地下の出入り口を死守。後は部下たちが強行突入するまで、捕虜目当てにやってくる賊どもと遊んでいればいいのだ。
内部で混乱が起きれば、賊は館を拠り所にして戦うより、逃亡を試みたくなるだろう。そして人質を使おうと地下に来たら、私が一人ずつ斬って捨てていく。
館の内部の構造も、すでにこちらは把握している。狭い地下の空間を利用すれば、練度の低いならず者程度に討ち取られるほど、私は弱くないつもりだ。
「もっとも、素人が相手とはいえ、限度があります。なるべく手早く、しかし取りこぼしのないように、お願いしますよ?」
「はい。では、そのように。……モリー副隊長殿は、いい意味でも悪い意味でも、相変わらず特殊部隊員の憧れです。それはそれとして、無茶はしてほしくないので――今回の件が終わり次第、ザラ隊長に苦情を訴えるつもりですから、どうか無事でいてくださいよ」
「ご心配なく。やり方は乱暴ですが、死ぬ気だけは――まったくありませんので」
控えめに言って、頭の可笑しい作戦だが、私としてはこの頭の悪さが懐かしい。
ちょっと前まで、私はこれくらいの馬鹿をやっていた。馬鹿らしい理論を現実に押し付けて、結果的に合理をねじ伏せる。その頃の私自身を取り戻したくて、あえて危険を冒そうと思うのだ。
クッコ・ローセあたりが聞けば、『死に狂いの馬鹿に戻ってどうする!』と怒るに違いないが、今はその愚かしさが必要なのだと言いたい。
そうして、行ってきます、の一言だけ残して、私は賊の拠点へと侵入を試みた。
実際に拠点の中に入りこめたこともそうだが、頭目からもたらされた情報に間違いはなかった。
あの男、本気でこいつらを切り捨てて降るつもりか。あえて不備を残して、こちらの失敗を誘い、弱みに付け込んでくるのではないか――。なんて不安も、少しはあったのだけれど。
そうでないなら、別の意味で厄介だった。……まあ、結構。密輸情報の精度次第では、王妃様に媚びるための、良い材料になる。例外として扱うのも、やぶさかではないが、いずれにしろ後のことだ。
もしもの時の為の脱出路は、進入路としても使いうる。そして首領だけが把握していた道を使って、館の地下に直接侵入する。
脱出路を作った職人は、首領が自ら手を下したというから、中の賊どもは存在すら知らないはずだ。
そして、想像の埒外からやってきて奇襲されたという事実は、連中から抵抗という抵抗を奪い去る。
陰から忍び寄り、牢番の賊が知覚するより先に、私は彼らを楽にしてやった。――これで、現世の苦痛からも快楽からも解放されたのだ。せめて、来世ではもう少し恵まれた立場に生まれることを祈ってあげよう。
「ソクオチの女騎士の方々、聞こえますか? 貴女方を、助けに来た者です」
「――ッ!」
「無理をせず、そのままで。……声を出すのは、もう少し後で。これから少し、怖い音がするかもしれませんが、心配せずに。どうか私を信じて、今しばらくお待ちください」
拘束された上に目隠しと猿轡までされて、転がされている。捕虜の現状はと言えば、その程度のものだった。
独特の臭気が、鼻につく。……垢と、おそらくは様々な体液の臭い。血臭がしなかっただけ、マシだと思うことにしよう。それくらいには、紳士的に扱っているわけだ。
「捕虜になってから、死んだ人はいませんね? ――結構。では、我々の目的は完全に果たせたことになります」
この結果をもって、賊どもに対しても、一片の慈悲くらいは与えてやっていいかもしれない。無駄に使いつぶすような真似をしていないだけ、盗賊どもはまともだった。
やはり、捕らえて下手な尋問で苦しませるよりは、さぱっと殺してやった方が、彼らの為だろう。これもまた慈悲と思い、速やかに地下への出入り口に陣取った。
また近くにいた見張りの二人は、後ろから急所を突いて始末する。……ほぼ即死だったから、痛みもさして感じなかったろう。私が掛けられる慈悲は、これが限度だった。
「――ふむ。始まりましたか」
声が聞こえた。突入の為の号令だろうか、威勢のいい、聞き覚えのある音声が耳に響く。
部下に指揮を任せたことに不安はなかったが、勇ましい言葉も、結構似合うのではないか。突入前にした小粋な会話を思い出しつつ、周囲に気を配ると、当然のように不快な足音が連続して聞こえてくる。
「歓迎しますよ。盛大に」
速攻で人質に頼る、お前たちは正しい。正確に戦力を把握している証拠だが、今更正気に返っても遅いのだと理解していただこう。
授業料はお前たちの命だが、最小限の苦痛で済ませてやれるのだから、むしろ感謝してくれたまえよ。
ソクオチ騎士の彼女らを嬲り、愉悦に浸った賊どもなど――数多の苦痛に塗れさせても、なお足りぬほどの罪を犯しているに違いないのだから。一太刀で命を奪うことも、私からの情けであると思え。
「空間が制限される狭い場所であれば、きわめて守りやすい。若干上を取られる不利を考慮しても、なおこちらに分があると信じられる状況です。……まあ、充分持つでしょう」
独り言をつぶやく余裕さえ、私にはあった。そして現実として、結果も事前の大言に遜色ないものになったと思う。
地下への出入りは、螺旋階段。武装した大人が並んで降りられない程度には狭かった。そして一対一ならば、負ける要素はない。
私の背丈が、盗賊の男どもと比べて低かったことも、状況に優位に働いただろう。私の頭に武器が直撃するより先に、私の剣は敵の足を斬り飛ばせた。バランスを崩した野郎の命を奪うのはとても簡単な作業だったし、怯んだ敵が相手であれば、適当にあしらって粘るのは作業のようなものだった。
私達は、完全に目的を果たしたのだ。盗賊どもは残らず屍をさらしたし、捕虜の安全も確保して、彼女らは安全に救出できた。
とはいえ、捕虜となってしまった彼女たちの未来は、そこまで明るくない。ソクオチに帰っても、地位を取り戻すのは難しいから、多くはクロノワークかゼニアルゼの方で引き取る形になるだろう。
祖国を捨てるのは悲しいことだが、失態を咎められて処罰を受けるくらいなら、他国に逃げるのもまた、一つの手段である。
私から、他に語るべきことはない。
忸怩たる思いを抱くのは、私の情緒がいまだに健在であることの証なのか。
妻たちに甘えてから、なおも覚えていられたならば。
あるいは、真剣に考慮してもいいのかもしれない。
……女性の、それも近しい身分の方の、痛ましい姿について。私は目に入れただけで、結構精神が傷ついたらしい。今の今まで、そこまで意識したことはなかったはずなのに。
思っていたよりも、私って真っ当な感性を維持できているんじゃないか。作戦を終わらせて、事後処理を済ませて。
アレコレと余計なことに心を引かれながら、ザラ隊長に報告を済ませたのでしたとさ――。
捕らえたままにしてある頭目の処遇については、また後日に考えようとザラは結論付けている。
とりあえず命の保証だけはするとしても、無罪放免とするには犯した罪が大きすぎる。盗賊の頭目と言うのは、それだけで死刑に値するのだ。
これを曲げる以上は、それなりに役立ってもらわねばならない。ザラとモリーの判断だけでは難しいので、上役に話を通す必要があった。
今はその連絡待ちの状況であり、だからこそ面倒を後回しにして、彼女らは休養を取ることも出来たのである。
「疲れたか? 仕事ぶりは完ぺきだったし、お前にとっては簡単な作業だったように思うが。……その反応は意外だと、あえて言わせてもらおうか」
「いじめないでくださいよ、ザラ。二人きりの時くらい、一方的に甘えさせくれてもいいでしょう? 妻として、夫を慰めてくださいな」
こいつは重傷だな、とザラは結論付けねばならなかった。結婚生活は、随分とモリーという女性の情緒を真っ当なものにしてしまったらしい。
戦場の狂気に浸りつつも、それを完全に御して合理を追及した精神性は、今も変わらないらしい。しかし、消耗の度合いが随分と強まっている気がした。
仕事を終えて、自宅に帰って、ザラの自室に押しかけて。
一方的にベッドに押し倒す形で、モリーは慰めろと言った。その図々しさに呆れつつも、ザラは受け入れた。
これもまた、モリーらしい可愛げであると。一番の理解者は、正しく解釈できたのだった。
「私の胸は控えめな方だと思うが、顔を押し付けるほど恋しいのかよ。――どれだけ餓えていたんだ」
「ザラの身体は最高です。あ、いえ、その。……正直に言いすぎました。すみません」
そう言って恥じるモリーが、可愛すぎる。胸に顔をうずめて、モリーの体温を身近に感じているザラにとって、そんな態度はツボにハマりすぎた。
ザラの方が性欲を持てあますほど、モリーの態度は職場とは打って変わって、年頃の少女らしく映る。
実際には、お互いにいい大人であるはずで、しかもモリーの性自認が男子であるという事情もあるのだが――。そうした現実を無視したくなるほど、ザラにとってモリーは愛らしい女性であり、同時に愛しい夫でもあった。
「今後も楽ができる状況ではないので、家の中ではせめて癒されたいのです。色気のない話で済みませんが――招待状は、ザラも受け取ったでしょう?」
「ソクオチで、長期的なパーティを開く話か? エメラ王女と、オサナ王子の巡行のついでに、あちらで華やかな宴を開きつつ、アレコレと政治的な話を続けるらしいな」
「こちとら、そのために盗賊を掃討してきたんです。なのに、また巡行に付き合えと言われる。……一応の休日はいただきましたが、護衛の上にパーティまで参加しろとか、激務が過ぎませんか?」
「私は、忙しいのはいいんだがな。仕事を奪いすぎて、かえって妬まれないか心配だ。そうそう、王妃様は同行されないが、シルビア妃殿下が出向かれるとも聞く。……これほど嬉しくないパーティの招待も、そうそうないと思うぞ」
あー、うー、とザラの身体を堪能しながら、モリーは悩まし気に唸っている。
何を考えているやら、とザラは呆れつつも、悩みを共有してこその夫婦だと思う。
「思うところがあるなら、吐き出してしまえよ。口に出すだけでも、楽になることだってあるさ」
「……私たちだけではなく、他の騎士たちも交流の場に放り出される。前々から聞いていた話ですし、そこはまあ納得していますが……。私は、その交流を素直に楽しめる立場にないんですよね。ああ、めんどくさい」
モリーは、王妃様から言いつけられていた件について、今になって実感がわいてきたらしい。
それでも、モリーのことだから卒なくこなすのだろうと、ザラは思う。ならば何を悩んでいるのか?
「何か、不満でもあるのか? 詳しくは聞かんが、無理な仕事と言うわけでもなさそうだが」
「そうですね。言いつけられていた件に関しては、そうです。でも、パーティにシルビア妃殿下がやってきて、私が相席させられる――という風景が、容易に思い浮かびまして。……あの方の話に付き合うのは、いささか辛いものがありますから。こちらは仕事もあるのですから、余計な負担は重ねたくないというのに」
「お前は感覚的にマヒしているかもしれないが、妃殿下と対談できる機会は、本来は得難いものだぞ。それだけ期待されているのなら、自分を売り込む勢いで、思うところを述べればいい」
「売り込みについては、もう十分な気がします。――私の方から持ち出す話題も、そろそろ尽きてきたところですので。期待が重いから、会って話す機会もなるべく少なくしたいのですよ」
今になって、シルビア妃殿下を忌避するような態度に、ザラは違和感を覚えた。どうせ呼ばれたなら拒否は出来ぬと、腹を据えてかかるのがモリーの常ではなかったか。
「会いたくない理由でもあるのか? いや、ちょっと前に過ぎた発言があったことは、教官から聞いているが」
「色々と思うところがありまして。……もしかしたら、あるいは、なんて我ながら不穏な考えに最近囚われております。シルビア妃殿下が、自分がなくなった後も、自家による西方支配をもくろむならば、どのような手段を取るか――。一応は説得力のある方法を、私は一つ思いついたのです」
もし言及されることがあれば、黙っていることはできない。かつての主筋であり、友好国の妃殿下である彼女に対して、偽りを述べることは出来ぬ。さりとて、形を変えて追及され続ければ、いやでもこちらの思考は明るみになるだろう。
「シルビア妃殿下は、聡明な方です。私の隠し事など、少し探られればすぐに検討を付けてしまうでしょう。逃げられない状況で詰め寄られれば、私なりの結論を話さざるを得ないと、そう思うのです」
「それの何が嫌なんだ。お前の意見は、一人の騎士の意見にすぎない。それが採用される可能性は未知数だし、仮に採用されてうまくいったとして。ただシルビア妃殿下の政権が盤石になるだけだ。クロノワークとしても、我々として損はない。違うか?」
「損得の問題ではありません。長期的には、むしろ得につながるから微妙なのです。――妃殿下の琴線に触れて、重用されるようなことになれば、王妃様に対する背信になりかねない。忠誠の優先順位を、私は間違えたくない。……これは、私が守るべき、最後の一線であると考えています」
だから、シルビア妃殿下に付き合い続けるのは考え物なのだと、モリーは言った。
しかし、それならば対策は難しくないように、ザラには思える。要は、シルビア妃殿下と王妃様。両者の間に合意があればよいのだ。
「モリーでも、面倒な現実から逃げたくなることってあるんだな」
「……それを言わないでくださいよ。貴女の身体に縋り付いて、全てを忘れて癒される。夫である私には、それくらいの権利はあるでしょう?」
「もちろん。――なら、そうだな。だったら、夫の栄達を願うことも、妻の権利として認めてくれるよな?」
「ザラ。それは、その……ですね。せっかくの夫婦の営みの最中なのですから。無粋なことは、やめませんか?」
「無粋な話題をはじめに提供してくれたのは、モリーの方だろ? だったら、いいじゃないか。悪い話にはならないから、話を聞いてくれよ」
そうして、ザラは自らの調整能力を全力で開放して、モリーを説き伏せるところまで理論を詰めていった。
シルビア妃殿下の都合と、王妃様の都合を踏まえたうえで、モリーの家を存続させる方策について、二人は納得できるまで話し合ったのである。
「私が目をそらしていたことを、ザラは真っ向から向かい合って、解決策までたどり着いてくれた。――私は、良い妻を持ったのだと。満天下に自慢しても良いくらいですね、これは」
「そこまで言われると、かえって恥ずかしくなるからやめろ。……モリーはいじわるだな、本当に」
「ザラ以外に、ここまで素直になることはありませんよ。ええ、これは嘘偽りない本音であると、明言しましょう」
他の妻たちには、それぞれの魅力があり、むけるべき感情にも違いがある。
だから、決してメイルやクッコ・ローセ、クミンらをおざなりに扱うわけではないのだと、モリーは心の中でつぶやいた。
モリーとて、言葉にすべきことと、そうでないことの区別はついている。
ザラの身体に溺れながらも、思考をやめずに賢明な判断を下す。それくらいには、現状には適応できていることについて。
「ザラ。私は、貴女に許しを請うべきなのだと、常々思うのです」
「なんだ、今更。複数の妻がいること、気が多いことを、咎めたりはしないさ。改めて思うが、全部ひっくるめてお前なんだ。――私なりに納得をするのに時間をかけてしまったが、今ようやく、お前に言うことができるな。……許すよ、だから、私を愛してくれ。今後一生、その全てをかけて」
「ええ、ええ。ザラ、私は貴女の為に生きましょう。……貴女の為にも、生きましょう。それくらいしか言えない、私を許してください。どうか、どうか――」
モリーもまた、複雑な感情を抱いていた。だからといって、一途な生き方を貫けるような、贅沢な環境にはいられない。
それがまた、ザラに対する負い目となって、モリーをさいなむのだ。他の誰を責めるでも恨むでもなく、己に対してだけ心に刃を突き立てる。
そうしてどうしようもない衝動を、モリーが持っていることを。確実に理解しているのは、ザラだけだった。
「許すよ。私は、そう言った」
「はい。ザラ、貴女は、私に過ぎた人です。本心から、そう思います」
モリーは、強くザラを抱きしめた。
強く、しかし負担にならぬ程度の加減が、確かにあった。
ザラは、モリーの気遣いを身体で感じて、心から応えたくなった。
「あっ」
「もう、何も言うなよ。言葉は無粋だ。ここからは、身体で対話をしようじゃないか」
「ちょ、え、あの。……いけません。そんな、ふしだらな――」
「恥じたりはするなよ。お前は、夫なんだから。妻の求めに、答えて見せろよ。それも含めて、甲斐性と言うものだろう――?」
そこから先は、言葉はいらなかった。
結果として、ザラもモリーも、すべての不安から解放された状態になったのだと言える。
身体を重ね合わせ、心を通わせて。
そうしてようやく、モリーの中から葛藤が消えた。恐怖も不安も消えた、武士とも騎士ともいえるガンギマリがそこに誕生したのである。
「わかっていたことですが、家庭を背負う決断をした時点で、逃げるという選択肢は消えているのですね」
「それこそ、何をいまさら、という話だな」
事後のベッドの中で、二人は他愛のない話に興じていた。
そこに幸福を感ずるのならば、もはや細かなことで悩むこともないのだと、モリーは決意を新たにしたのである――。
ここまで書いて、最短でも後三話は絶対に必要だな、と思いました。
根拠はありません。なお、原作がまだ続いている関係上、一旦完結しても続きを書く可能性が残っている模様。
終わりが見えてくると、次に何を書こうか、なんて欲が次々と湧いて出てきます。
前回はカリギュラか、ブリガンダインか、と思っていたところに。ある作品を自分なりの解釈で描きたいなぁという、余計な考えが浮かんできたり。
自分の頭の中でも、まとまった結論は出せていません。ともあれ、もう少しでこの物語は一旦の結末を迎えます。
では、また来月の投稿でお会いしましょう。