24歳独身女騎士副隊長。   作:西次

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 もうちょっとだけ、準備的な話が続きます。
 毎回毎回ギリギリか、多少時間がオーバーしてしまうのはお許しください。

 定期投稿の難しさを、今更に実感しております。
 筆が乗らない時間が、大きくなっていくことを理解しつつも、どうにかこうにか物語を進めようと努力中です。



時間は大切に使いましょうというお話

 これからの時期は、自分の人生の中でも、もっとも大きな節目に当たる。慎重かつ大胆な行動が求められると、モリーは判断する。

 ここらで一度、己と己の周囲を取り巻く環境について。客観的な評価と言うものが必要だろう。

 すべてを開帳する必要はないが、目標が目標ゆえ、大きな問題をいくつも残している。幸いにも、相談相手としては、最適ともいえる者たちが傍にいるのだ。

 お互いに都合もあるから、一気に悩みごとの解決には至るまいが――頼らない手はない、ともモリーは思う。

 

「まずは大目標として、クロノワークの西方における地位向上と、それによる勢力均衡の確立。東方交易を含めた、東方と西方の覇権争いを軟着陸させることができたら、クロノワークの権威は確実に高まる。クロノワークが安定した勢力として、西方の地位を確立したなら、そのおこぼれとして我々の重要性も高まっていくこと、必定でしょう」

 

 モリーは、自らをクロノワークの騎士として定義し続けていた。

 夫である前に騎士である。祖国への帰属意識が第一で、それが自分の家族の安泰にもつながると信じるのが、彼女なりの倫理観というものだった。

 

「そうして自らの価値を高めたなら、次の目標として、我が家の維持と発展について思いをいたすことも出来るはず。妻たちに対して、どのように報いるべきかは……難しいですね。なるべく寄り添いたいと思うのに、今は状況が許してくれない」

 

 モリーが政治的な立ち位置を確保した場合、それを不都合に思う者は、常にどこかにいる。

 座れる席にも、パイの大きさにも限りがあるものだ。よって、それにありついたとき、ありつけなかった者たちが羨むのは当然であろう。

 なればこそ、モリーはパイを独占しようとは思わない。むしろ味方を作りたいモリーとしては、口実を見つけては、周囲に利益をばらまくくらい、露骨に人気とりに励んでもいいと思っている。

 分かち合う同志として、身内以外の相手を引き込むことの必要性を、この時点でも彼女は認識していた。

 

「これで十分、何て言えるほど、大したことはできていませんが。これでも外様ゆえ致し方なし、と割りきりましょう」

 

 いくつもの懸念事項に対策し、モリーは己の人脈を総動員することで、政治的な工作をほぼ終えていた。タラシーとの七日間の交渉も、この中に含まれている。

 

 クロノワーク王妃とは改めて会見し、東方交易とそれに関わる他国との交渉について、正式な外交官として任命されている。副隊長も兼任する形で続けているから、軍の中で一番激務を背負わされたが、それだけに権限も大きなものだ。

 

 東方会社への出向に際して、モリーに随行する人員を確保する権限。これを行使する形で、妻たちを引っこ抜く名分を確保した。

 ここまでは既定路線だが、必要に応じて人員を追加することも認められていた。上限は決まっていないが、東方会社の影響力が強くなるにつれて、仕事は増えていく。

 十人や二十人では済まないくらいに拡大することも、モリーは見越している。その人員全てを味方につけて、政治的な保身を図るつもりだった。

 

「やはり、効果的なのは蓄財でしょうか。……放置して好き放題にされるくらいなら、監視下で小金を稼ぐ機会を作ってやる。目標達成のため、必要なことと思えば、それくらいは上司の裁量として、許されてもいいでしょう」

 

 端的に言うなら、東方に出向く度胸さえあるなら、モリーの口添えで交易の権益に一口噛むことができるわけだ。

 というのも、東方会社の職員は、上限こそあれど、皆個人的な商売をすることが認められることになった。

 西方に残った家族へ贈り物をするついでに、ちょっとした交易品をやり取りするくらいは許されるべきだと、モリーが主張した結果である。

 

 職員の給与は決して低くない上、小金を稼げる副業を持てる。そんなポストを、モリーは用意できる。

 さらに、これをモリーの後任にも引き継がせれば、東方会社の慣習として定着するだろう。それには、彼女がつつがなく任期を終える必要があり、これがモリーの政治生命を保証してくれるはずだ。

 

「職員へのちょっとした役得など、私にとっては大事の前の小事。将来的なことを考えるなら、東方会社をクロノワーク外交の東方出張所にできるかもしれないから、そっちの方がよほど重要だよ。……東方会社が民間企業なのか、公的機関なのか。線引きがあいまいになってややこしくなる可能性もあるけど、最初の内はどうしても国家的な支援を受けるわけだし。――まあ、そこは様子を見てやっていきますか」

 

 とりあえずポストさえ整えられるなら、後方の官僚に対する飴として、これ以上のものはあるまい。ただ、他人に権益を分け与える以上、モリー自身が大っぴらに交易に参加することは認められぬ。

 あえて、大きなパイを他人に譲る。そうした態度こそが保身に繋がると、彼女は信じていた。

 

「官僚を抱き込めるなら、政治的な讒言はおおよそ封じられる。――王族からの信頼も、だいたい得られた感があるし、嫉視による失脚の危険は少ないはず。まあ数年くらいなら大過なく過ごせるでしょう」

 

 もっとも、東方会社が上手に運営できなければ、全てが空手形になる。そこは外してはならない線だとわきまえながらも、モリーはやることをやっていた。

 実利とか役職とか、そうした即物的なものはもちろんだが、交易のもうけを国内の投資に向けるよう、参加する商人たちにあらかじめ助言するくらいは出来る。

 クロノワークの発展に、間接的に寄与したのがどこの誰であるか。それを周知させるくらいには、人脈の構築と環境の整備にも力を入れていた。

 

 オサナ王子、エメラ王女はもちろんだが、二人の教師陣から側付きの使用人まで。手をつけられるところはやりつくしたと言ってよい。

 細々なところまで話を回したから、東方から帰還したところで、モリーの手元に特権が転がり込んでくる余地はあるまい。それでも、政治的な安全を確保するためと思えば、安いものではないか。

 まだまだやりたいことはあるが、後は相手からの反応待ちの部分があるゆえ、とりあえずはここらで満足しておくべきだろう。

 

「いけませんね、どうも。一人になると、一人言が多くなる」

 

 自室で書き物をしながら、思考を整理する。計画書などを作ったのは何時振りだろうか、なんて思う。

 口に出した方が記憶に残りやすいのは確かだが、人の目を気にするならば、控えたほうが良いものであろう。

 だが、口を動かしていた方がストレスを吐き出しやすい。リラックスすべき自室において、そこまで自重したくもなかった。今日くらいはいいだろうと、思うが儘に思考を回す。

 

「まあ、怒られたくはないので、ほどほどにしておきましょう。……後は、なるようになる。そう信じるほか、ありませんか」

 

 口と同様、手を動かして、文字に記すのは、頭の中をまとめるという意味合いもあるが――それ以上に他者への説明に使えるのが大きい。

 具体的な内容については、東方会社の今後の見通しについて。積極的に介入できる部分とホーストの思惑の分析、ついでそのために必要なリソースに関することである。

 モリーは、己の能力を過信しない。自分がアドバンテージを得られているのは、反則的ともいえる前世知識による部分が大きいのだと、自覚してもいた。

 

「中国に東インド会社ができたと想定して、色々と考えていかねばなりませんね。……地球の国家と企業で例えてしまうと何が何やらですが、あちらの歴史を教訓にできるだけでも、私の存在は規格外だと思うべきでしょうか」

 

 モリーは、忸怩たる想いでそれを自覚せねばならなかった。誰に見せることも出来ない顔で、彼女は自らの特異性を活用する。

 それが反則に近い行為であり、ズルであることを認めながらも、その有用性がゆえに自重することも選べなかった。

 

「私は全力で動いている。それとは関係なく、この世界の時間もまた動いている。……時計の針は止まることなく、本来ならば人々は犠牲を経験に、歴史を教訓にして前に進むしかなかったはず。――私は一体、どこまで抵抗できるのでしょう?」

 

 モリーは、自分について客観的な評価を下す必要があった。自身の偏見や感情を取り除くことは、そうそう出来るものではない。

 しかし、そうしたノイズを考慮に入れても、やはり己こそがこの時代のキーパーソンになりえてしまうのだと、嬉しくもない不吉な予感を実感してしまうのである。

 

 取り越し苦労で済むなら、ただの自意識過剰な笑い話で済む。馬鹿なのは私一人であってほしいと、心底願う。

 だが、このタイミングで自分が都合の良い立ち位置にいること。政治的にも能力的にも、他に適役が見いだせないことなどを考えるならば。

 ――やはり、自身の特別性について思いを致さずにはおれない。

 

「このために、私はこの世界に呼ばれてしまったのか? ……いいえ、いいえ。そんなことは認めたくない。せめて、彼女たちの為に。彼女たちの幸福のために私が生まれたのだと考えたい。そうであれば、どんな努力も些細なことだと思う」

 

 ザラ、メイル、クッコ・ローセ、クミン。彼女らは、モリーがいなければ、相応の人生を歩んだだろう。

 モリーがいなかった場合と比べて、どちらが良いものか。もしもの運命について、モリーは考えたくなどなかった。だから、それについてはあえて目をそらす。

 目をそらした分だけ、別のところで、誠実でありたい。そう祈るから、彼女はあらゆる手段を用いて、我が家の安泰を図っているのだ。

 

「クロノワークと言う国に対する忠誠と、我が家に対する愛情とでも呼ぶべきもの。両立させるなら、手段は択ばなくてはならない」

 

 取れる手段は、本当に何もかもを考慮しないのであれば、無数にある。

 あることはあるが、自分だけが利益を独占すると後が怖いし、誰かに割を食わせる形にすれば、やはり禍根を残す。

 自分一人ならともかく、家庭がある身で、恨みを買うことは極力避けるべきだった。とすれば、やはり無難な手段を用いて、地道に進めていくのが一番であるという結論になった。

 

「当初の計画を変更するべきかな? 結局のところ、自分が出張るのが一番確実。……いち早く乗り込んで、現地の方々と誼を通じられたら、東方会社における私の地位も、まず磐石と言えるのですが」

 

 遠距離からの通信では、どうにもならぬ部分が確かにある。ホーストの連中とて、そこまで深入りする段階ではないだろう。

 商人たちの中には、現段階でも東方に食い込んでいる者がいくらか存在するだろうが――。

 逆に言えば、彼らに接触することで、効率的に影響を与えることができる。東方への移動手段や、あちらでの工作についても、相談次第では動かせる可能性はある。

 

 問題は、こちらが切れるカードが少ないことだ。東方会社には、まだ実績がない。東方の人々が自分たちを信用してくれるか否かは、いまだ未知数であった。

 とすれば、まずは自らの力の証明から始めるのが無難であろう。そう思えば、今からあちらで活躍しておくことが、最善策ではあるまいか。

 

「……どうにも、思考が過激な方向にいってしまう。出来ることがあるから、それを無視したくないっていう気持ちもあるけれど。――焦っているのかな」

 

 悩んでいるばかりでも、事態は好転しない。思考を切り替えるきっかけを求めるなら、自分の心に問いかけるよりも、人の目を当てにしたほうが良いだろう。

 明日、いくらかの仕事を片付けたら、妻たちのご機嫌伺いも兼ねて、あれこれ聞いてみるのもいいかもしれない。

 

 自分の命を安売りできなくなった、今であればこそ。その大事な要因に対して、真摯に接する機会を作ることは重要だろう。

 戦う理由など、考えるまでも無いことだった。そんな単純に生きられた時代では、もはやないのだと。そう自覚するがゆえの行動だった。

 結果として、自らの決意が固まるなら、それもいいだろう。そう思って、モリーは明日からの予定を組み始めたのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミンロンは、公式補給商として働く合間にも、モリーとのつながりをおろそかにしなかった。仕事は残っていたが、直接訪ねられたのなら、応対するくらいは何でもない。

 

 彼女にとって、モリーは自分を引き上げてくれた恩人である。その認識を確認できたのなら、モリーの目的は半ば達成されたようなものだった。

 それでもせっかく顔を合わせたのだから、あれこれと話を進めたく思うのは、仕事人の性とでも言うべきだろう。

 

「――お忙しいところ、申し訳ございません。急ぎではないのですが、ミンロン様の助けが必要なことがありまして」

「いえいえ、そんな他人行儀に『様』なんてつけなくていいですよ。どうかミンロンと呼び捨てにしてくださいな。身内に加えるなら、それくらい軽いほうが良いでしょう」

 

 ミンロンの事務所にまで出向いて、モリーは彼女と語らっていた。

 相談相手としてはともかく、協力者としては申し分のない才女である。とりあえず、確定的なことくらいは、話題に挙げてもいいだろうとモリーは判断する。

 

「では、お言葉に甘えまして。――ミンロン、貴女に頼みたい。私は近いうちに、東方にまで出向くことになります。それに備え、いくらかやりたいことがあるので、私に協力してくれませんか? 今は手持ちがないので、料金は後払いという形になりますが……」

「いいですとも。私はモリー殿の為に、便宜を図れるだけ図りましょう。私自身は西方での仕事に掛かり切りですが、東方にも縁を残していますからね。……正直、私もこちらで一方的に儲けすぎました。そろそろ、多方面に色々とお返しをしてもいい頃だと思っていたところです」

 

 ミンロンは、今更モリーを切り捨てる選択など選ばない。付き合うほどに、新たな魅力が発見される。そうした面白みのある相手と、実利的な取引もしているのだ。

 ここで不義理を犯しては、商人の風上にも置けぬ。本心からそう思うから、ミンロンは本音で応えた。

 

「とにかくモリー殿。なんでも言ってください。最大限、期待に応えさせてもらいますよ」

「いいんですか、そんなことを約束して」

 

 ミンロンが好意的であることは嬉しいが、いささか度が過ぎているようにも思われた。

 期待が重すぎても、応えられるかどうかはケースバイケース。モリーは少しだけ不安になったが、ミンロンは胸を張って言った。

 

「他ならぬ貴女の求めです。私は、あんまり阿漕な商売はしたくないんですよ。――結局のところ、長く太く稼ぐには、信用を積み重ねるのが一番いいんです」

「実入りのいい仕事を回してくれるっていう信用ありきの話ですよね、それ。……ミンロンがそこまで骨を折ってくれるなら、こちらとしても美味しい話は真っ先に伝える義務が発生する。最終的な収支は、どちらが上になることか」

「そこは、あいまいにしておくのがお互いの為でしょう。私も、モリー殿も、有益な付き合いを続けたいと思っている。大事なのは、そこですよ」

 

 ミンロンは、正直に話した。だからこそ、モリーも信用して話を持ち掛けるのだ。

 どうせ、他には任せられない仕事を任せることになる。信用は大前提であると覚悟を決めれば、モリーも思い切った提案ができる。

 

「ならば、遠慮なく要求します。ミンロンも忙しくて大変でしょうが、東方の知り合いに向けて情報を流してほしいのです。……東方会社が進出したい場所、商館の候補地について、あちらで懇意にしている商人に伝えていただきたい」

「その程度なら容易いことですが……それだけでよろしいので?」

「後々、色々と頼みたいことはありますが、現時点ではそれだけです。……一応断っておきますが、それだけ、と言えるほど軽いことではありません。重要な事です」

 

 モリーはそう言って、手書きで写した資料を彼女に渡して見せた。

 モリーはこの件について王妃様から任されている。事前工作くらいは、自分の責任でやることも許されていた。

 

「なるほど、今の内から話を通して、候補地を確定させるおつもりですね? ……西方の商人が東方に進出するなら、現地の協力が不可欠。話の分かる東方商人がいて、利益を分かち合える態勢が整っているなら、企業を立ち上げるにも都合がいい」

「そこまでわかっているなら、話が早い。単なる候補地を、最適の建設地に改造します。――決定権は私にはありませんが、環境を整えることはできる。他がかすんで見える位に良い立地にしてしまえば、後は背中をちょっと押すだけでいい」

 

 とはいえ、今から用意できるのは、策とも言えぬほど単純で、遠回しな方法しかない。

 本気でやるつもりなら、モリーだけが現地入りして、直接動くことも選択肢に入れねばなるまい。

 

「情報を伝えるだけであれば、すぐにでも動きましょう。私とて余裕はそう多くありませんが、商談の片手間にできることです」

「すいません。工作の資金は、まだ確保できておりませんので、私のポケットから報酬を出したいくらいですが……。妻に内緒で出せるお金は、それほど多くのないのです。後払いと言うのは、そういうことでして――」

「大丈夫。今回のお代は、私からのおごりってことで、サービスしておきますよ。……これで、モリーさんにも多少はお返しができたと思うことにしましょう」

「ありがとうございます。――重ね重ね、厚かましくて申し訳ないのですが、他に東方で信用できる人物がいるなら、ぜひ紹介してもらいたいと思います。これは、多ければ多いほどいいですね」

 

 ミンロンがどこまで協力してくれるのか。その限界の線を見極めておくのも大事である。

 個人の商人にとって、自らのコネクションを公開することはリスクだ。これを受け入れてくれるなら、モリーはミンロンに対して負い目を一つ作ることになるだろう。

 

「では、後日紹介の段取りを組みましょう。書面だけでの付き合いで良いなら、結構な数を用意できると思います。……ただ、大部分は身内になりますので、そこはご了承ください」

「いえいえ、紹介してくれるだけでもありがたいですよ、本当に。――これで、私が打てる手も広くなる。ここまでしていただけるなんて、ミンロン様には頭が上がりませんね」

 

 とにもかくにも、最初に必要なのは現地の信頼できる貨幣商。次に交易品を管理するための倉庫や、陸路や海路に関わる建設業者など。

 ミンロンの紹介で行き届かない所は、また別の機会を探らねばなるまいが――。

 東方の情勢に、多少なりとも今から干渉できるならば、全力でやるべきである。

 今は、商業の方面はそこそこで構わない。本命は、政治面。現地の権力者に取り入るのがもっとも効率のいい方法である。

 

「これからも、良い付き合いを続けていきたいものです。――公式補給商の任期が切れてからが、勝負だと思ってください。現状維持を望むなら、もう十分すぎる実績が貴女にはあります。ですが、更なる高みを目指すのであれば、東方会社への関わりは持っておくべきでしょう」

 

 モリーには、ミンロンをさらに深みに引きずり込みたい、という意図があった。外交的な謀略に加担させられるくらい、ずぶずぶの関係に慣れたなら、後ほど色々とはかどるだろう。

 そうした下心を察しつつも、ミンロンは自らの栄達に深い関心があった。だから、余計なことは聞かず、ただ見返りの確認だけをする。

 

「つまり、モリー殿は東方会社に私の席を用意してくださる、と」

「正式な役職などは、かえって負担となるかもしれません。外部協力者として、私の管理下という形ではありますが、それなりの役得を与えてあげられると思います」

「……なるほど。それはまた、ありがたい話ですね?」

「どうか、警戒なさらないように。私は貴女に成功してほしいのです。お互いに、共存共栄の関係を続けていきましょう? ――難しく考えずとも、とりあえずはこうして情報交換を続けるだけでも結構です。後のことは、後でまた改めて考えればいい。違いますか?」

 

 ミンロンは、モリーの提案を、消極的にだが受け入れた。この関係が意味を持つのは、数年後の話になるが――それまで友好的なやり取りを続けられるだけの自信が、モリーにはあった。

 自分の東方会社での地位を考えれば、ちょっとした儲け話を嚙ませるくらい、そう難しいことではあるまい。ミンロンを通じて、情報のやり取りができるだけでも、後々効いてくるはず。

 

 モリーは、本格的に行動すべきタイミングを見計らっていた。

 日々の業務では特殊部隊の副隊長として。オサナ王子とエメラ王女の前では、教師として。

 そして妻たちの前では、ただ一人の夫として、不足ない働きをしていた。――そして、彼女はまさにその日常を守るために。彼女たちと、彼女たちが生きる世界をより良いものとするために、モリーは戦おうとしているのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クミンは、己を流れに乗るのが上手な女だと思っている。それが事実であるかどうかはさておき、当人がそのように自己評価している、という部分こそがもっとも重要であった。

 モリーの存在については、今のところは人生を相乗りする相手として、それなりに評価している。

 

「家ではなかなか、一対一でお話するのは難しいですからねぇ。二人きりになっても、誰かの耳を気にしなくてはならない。――お店までご足労頂いたのは、申し訳ないと思いますが」

「大丈夫ですよ。誰にも聞かれたくない話くらい、貴女にはあって当然です。弱みを握られる相手は、少ないほうが良い。……今や、上等なワインもサービスされる立場になりました。昔とは、大違いですね」

「クミンさんの立場は、私のせいで色々と複雑になりすぎている気もします。いらぬ苦労を与えているのではないかと、申し訳ない気持ちもあります。――不都合などは、ありませんか?」

 

 クミンは家庭に入ったとはいえ、以前の組織から離脱したわけではない。雑用仕事ばかりを任されているものの――それは、同僚からのやっかみを最小限にするという意味合いもある。

 今、モリーの手元には二つのワイングラスがあり、彼女は一つをクミンに渡した。いずれが主であり、いずれが従であるかは、もはや明確であった。

 

「いいえ、別に。私も、モリーさんのおこぼれに預かっていますからね。お互いに持ちつ持たれつ、ということでいいんじゃないですか?」

「お互いに支え合っている、という意味であるなら、積極的に肯定していきたいですね。仕事上の付き合いだけでは、もはや済まない間柄なのです。――私の家は、お気に召しましたか?」

「ええ、まあ。皆さん、面白い方々ばかりで飽きませんね。もちろん筆頭は、モリーさんですけど」

 

 クミンの立場の強さについては、シルビア妃殿下の庇護も大きいのだが、あの方は彼女が所属する組織を庇護しているのであって、一個人をひいきしているわけではない。そこを勘違いするほど、クミンは馬鹿ではなかった。

 ひいきされることを望むならば、本当の意味で安全を買いたいならば、強者のひざ元に居場所を確保すべきなのである。クミンは、それを理解していた。

 

「おほめに預かり、恐悦至極。――お仕事の話をしても?」

「ええ、どうぞ」

 

 モリーに取っても、他の妻たちに聞かせたくない話はある。彼女らはモリー家の妻でもあるが、それ以前にクロノワークの騎士である。

 余計な情報を耳に入れて、意識させたくはない。時には、知ったという事実そのものが、負担になることだってあるのだ。

 この点、クミンは気にしなくてもいい。便利使いできる立ち位置は、これはこれで重要なものであった。

 

「ホーストとの外交について、進展をお話したいと思います。シルビア妃殿下の方には、まだ詳しい話が行ってないでしょうから。……王妃様も、自分から振りたい話題ではないでしょうし、こちらから知らせてあげたいのです」

「それ、漏らしていい話なんですか? 国家機密では?」

「王妃様からの許可は得ています。大っぴらに吹聴していいことではないでしょうが、この店の秘匿性は評価していますので、まあギリギリ許される範囲でしょう。『天使と小悪魔の真偽の愛』という組織は、顧客の信用をよく守る。――必要な人にだけ、必要な情報を渡してくれる。私は、そう信じていますよ」

 

 全権を委任されるということは、情報の伝達についても一任されているということだ。

 それからモリーが口にしたことは、ただの進行報告のように聞こえた。クミンには意味の分からない部分もあったが、彼女は情報の分析官ではない。ただ伝令の役割をこなすのみである。

 

「――詳細は把握しました。内容の報告については、シルビア妃殿下へ、直通の連絡網を使います。モリーさんの言葉を一語一句そのまま伝えますので、その点はご了承ください。……随分と言葉を選んでいたように聞こえましたが、基本的に普通の進行報告ですよね?」

「はい、そうですね。シルビア妃殿下には、それだけ伝えてくだされば、充分にご理解されるでしょう。……クミンさんが傍にいてくれて、本当に良かったと思います。妃殿下と内密のやり取りをするのに、貴女はとても有用ですから」

 

 クミンが狡猾なのは、強者二人の間に己を置くことによって、自身の価値を両者にアピールしている点である。

 いずれからも切り捨てられない。それだけの理由が、今の彼女にはあった。モリーがその価値を発揮し続ける限り、クミンは安楽な生活を維持できる。――今の環境に安住し続けるべきかどうかは、また別の話であるとしても。

 

「本当に、仕事の話に終始するんですから。もっと色気のある話をしてくれてもいいのに。……まあ、それも可愛げと思うことにしますか」

「そちらの方は、夜が更けてからしておきたいのです。――貴女に寝かしつけてもらうのは、とても心地よいのですが。それを受け入れてしまうと、一日が終わってしまうので」

「……いいんですけどね、別に。私、ベッドの中でも記憶力はいいほうですから。うかつなことを言って、後悔なさらないでくださいよ」

「わざわざそう言ってくれるんですから、クミンさんはいい人ですよ。――ええ、覚えておきます。これからは、注意しましょう」

 

 東方会社の一件を、モリーは家庭内で情報を公開した。当然、クミンはそこで得た情報も含めて、ゼニアルゼに送ることになる。

 シルビア妃殿下の判断を、クミンは知ることは出来ない。あの方の行動次第では、モリーの不利益になる結果すらあり得るかもしれぬ。

 だが、モリーはたとえそうなったとしても、自分を責めないこともわかっていた。クミンにとって、それが何よりも大事なことだった。

 

「せっかくなので、もう少し時間つぶしのお話でもしましょうか。私の仕事なんて、雑用も良い所ですが……同僚の視線も、以前とはずいぶん違うように感じます。ああ、悪い意味ではないですよ?」

「私の存在が、クミンさんに余計な負担を与えているのであれば、謝罪します」

「いえ、別に。……むしろ、私の立場は日増しに強化されているようですよ? ただの雑用が、店長よりも偉そうにふるまえる様子で、かえって面白いですね」

「何事も、ほどほどに楽しむのが一番ですよ? クミンさんは、その辺りの加減を間違える方ではないと思いたいのですが」

「大丈夫。一度試してからは、もう二度とやりたくないと思い知らされましたからね。――私はやはり、小心者のようで。モリーさんの家で、妾をやっているのがお似合いだと確信しました」

 

 妾とはいっても、他の妻たちと待遇に違いがあるわけではない。それでも、当人の意識の違いが、家の中での地位にも表れている。

 クミンだけが、外様の立ち位置から変わっていない。どんなに打ち解けようと、いつ我が家からいなくなっても可笑しくない相手。それがクミンの立場の悲しさであり、モリーもそれはわかっているつもりだった。

 

「随分と悲観的なお言葉ですが……本格的に、私の家に収まるつもりですか? 私自身は嬉しいですけれど、無理をしてはいませんか?」

「おや、これは異なことをおっしゃる。私の方から別れたいなどと、一度だって言った覚えはありませんがね。――その手の気遣いは、いい加減くどいと思いますよ」

「それはそうですが、クミンさんはシルビア妃殿下の紐帯であることも否定されていない。……ただの連絡係とはいっても、それだけで十分に政治的な役割を担っていると言えます。これから私たちが東方に赴くとなれば、貴女の役割はさらに大きなものとなるでしょう。組織の東方進出の尖兵になることさえ、おそらくは可能だと考えます。――私の家に束縛するのが、かえって申し訳ないくらいではありませんか」

 

 東方進出の際、自前の傭兵や使用人など、人員を持ち込んでくる商人たちは多いだろう。

 そんな連中が、現地に馴染めるかどうかは未知数である。同じ西方からやってきた風俗を利用できるなら、そちらを利用したいと思う層は、確実にいるはずであった。

 ――よって、『天使と小悪魔の真偽の愛』は、東方に拠点を作り上げられる。その需要があるのだから、この波に乗らない方が不自然であろう。

 

「なんといいますか、そこまで買いかぶられると、かえって面映ゆいですね。――私は、モリーさんから見て、すごい才女のように見えるのでしょうか」

「クミンさんは、立派な才女ですよ。それこそ、ミンロン女史に負けない程度には、恵まれた才能があると思います。――そうでなければ、シルビア妃殿下も、ここまで貴女を使い倒そうとはしなかったでしょう」

 

 あるいは、モリーの立場も合わせると、クミン嬢が第一店舗の支配人になっても可笑しくない。

 経験とか能力とかはさておいて、政治的な状況がそれを後押しすることは大いにあり得る。

 もっとも、それはシルビア妃殿下が、他国の東方進出をどうとらえているかで、反応が変わってくるのだが――。

 

「私に、あの人の考えなんてわかりませんよ」

「それは、誰もがそうです。シルビア妃殿下は、破格の人ですから」

「嘘。私、聞きましたよ。……あの方の西方支配のやり方について。説明されるまでも無く、さわりを聞いただけで理解したらしいじゃないですか」

 

 あんまりにもクミン嬢が恨めしく言うものだから、モリーは自分の耳目を疑いそうになった。

 話を進めるのと、相手のメンタルに配慮すること。彼女は、自らの役割を理解しつつも、その難度の高さに怯まねばならなかった。

 

「ええと、あの。……クミンさん?」

「私は、自分を過剰に評価しません。適切に、正しく身の程をわきまえています。……他の方々とは違う。私には、軍事的才能はないし、商才もない。ただ、人に媚びるのが上手なだけの女です」

 

 自虐に浸る女性を口説くのは、なんとも後ろめたい気分にさせられる。それでもモリーは、現状から逃げることだけはしなかった。

 クミンがそこに付け込もうとするのも、当然の成り行きであったろう。

 

「とりあえず、軍師的才能とか商才とかは、一般人が持っているものではない、という前提から話しましょうか?」

「ただの一般人が、モリーさんの妻をやっていけるわけがないでしょう。私なりに、悩んでいるとご理解いただけませんかね?」

「アッハイ。……すいません」

 

 基本的にちょろい人なのに、なんとなく気を引きたくなってしまうのは、なぜなのかとクミンは思う。

 これを、『人徳』などと言うのだろうか。最近、モリーが翻訳した東方の書物を読み始めているから、そんな感想も出てくるのだろう。

 それが正しいかどうかは、さて。ベッドの中で遊んでから、枕の上で聞かせてもらうとしよう。

 クミンはクミンなりに、モリーを好んでいる。好意を表すのに、もはや努力を必要としない段階に入ったと思えば、これは快挙と言うほかない。それは、愛と呼んでも差し支えない感情でもある。

 ハーレム嬢とか、風俗嬢などが身請けをされて、家庭に入る覚悟を決めたときと言うのは。だいたい、そうした感覚を伴っているものなのだから――。

 

「とりあえず――クミンさんが組織での東方の顔役になることについては、私の方からも推薦すると、シルビア妃殿下に伝えてください。……風俗店を東方にまで拡大する場合、クミンさんの立場は結構重要なものだと思うのです」

「理解しがたい所もありますが、私は基本受け身な女ですから、向いてないと思うんですけどね。しかし、やれというなら拒みませんよ。――今の私は、なんといっても、東方会社の重役の奥様なんですから。……本当、私には過ぎた身分だと思います」

 

 上役の説得から、環境の整備まで。根回しを手抜かりなく行うのがモリーのやり方である。

 そこまでお膳立てされれば、女冥利につきるというものだった。なればこそ、クミンも全力を尽くす気になる。

 

「ところで、もののついでにお聞きしたいのですが――。妻たちに私がお返しできることって、何があるでしょうか。自分だけで考えると、短絡的に高価なプレゼントとか近場でのデートとか、そんな色気のない手段ばかり思い浮かんでしまうのです」

「……私はともかく、彼女たちはモリーさんが一生懸命考えてしてくれたことなら、だいたい喜ぶと思いますよ。まあ、私などでよろしければ、相談に乗ってあげますが」

「お願いします。――真面目に、貴女は我が家に必要な方ですよ。そこは、自信を持ってください」

「そうですか。……まあ、いいんですけどね」

 

 クミンは、己を流れに乗るのが上手な女だと思っている。それを証明するには、これからの立ち回りをよくよく考える必要があるだろう。

 ここで期待に応えられないようなら、今後の人生ずっと、浮き上がらないまま、惰性で生きることになりかねない。

 

 クミンは前向きな女性である。自らの可能性に挑戦するためにも、モリーの妻と言う立場は手放したくはなかった。

 完全に自分勝手な事情であるが、結果としてそれもモリーの追い風になる。あらゆる流れが、彼女を後押ししているのだと。クミンのような女性でさえ、それを実感していたのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教官職というものは、これで結構仕事が多いものである。クッコ・ローセは格別有能な指導教官であったから、働き口に困ることはこれからもないだろう。

 しかし、時には余計な仕事が増えることもあったから、評価されるということは難しい。美味しい所だけもらっていけるようには、なかなか世の中出来ていないものだ。

 

「しがらみが増えた分、仕事も増えてしまってな。後任の指導は、職務の一環だから問題はないのだが――新兵への教導に加え、正規兵への練兵の手伝いにも行かされている。どうにも、軍としては私を外部に出したくないようでな。徐々に権限を増やして、昇進させていく方向で調整しているっぽいぞ」

「それはそれで結構なことではありませんか。シルビア妃殿下に都合よくつかわれていた、今までの方が不自然だったのです。……軍組織と王族は、密接な関係を維持しておくべきですが、妃殿下はすでに他家の人。ほどほどにしておくのが、一番でしょう」

 

 平日の昼休み、ちょっとした空き時間も、なるべく妻によりそうようにしているモリーである。

 職場でイチャイチャするのは、まあ風紀の面でよろしくないところもあるだろうが、そこはそれ。

 食事を共にして、かるく会話するくらいであれば、目こぼしされるのが軍内の不文律である。クロノワークの軍隊は職場恋愛を否定しない。まして夫婦の会話くらい、いくらかは許されてしかるべきだろう。

 

「しかし、こうなると私が東方まで出向く話は、難しくなるんじゃないか? 後任を育てるだけなら余裕だと思っていたが、物事はそう単純でもないらしい」

「いえいえ、そうでもないですよ。要は、軍の面子を損なわないよう、上手に転属すればいいわけで。――帰還後に現場に復帰する形にすれば、面目も保てると思いますよ」

 

 実際には、シルビア妃殿下よりもクッコ・ローセ個人への執着があるらしい。軍にとって、優秀な教官の存在は、それだけ大きいものだ。

 安易な配置転換や引退などは、許したくないのだろう。よって、責任を持たせて昇進させるのは、有効な手段と言える。

 もっとも、モリーにはモリーなりの見解がある。現状は複雑だが、決して悪いものではないらしい。

 

「クッコ・ローセが軍からの期待を背負っているなら、それを逆用しましょう。――軍のポストを東方に用意する。それを拡大するために、彼女の力が必要だ――と言えば、まあ通るでしょう。実際、東方会社の警備部門には、熟練兵がいくらでも必要になるはずです」

 

 現地で雇用する分を考えれば、クロノワークから持ってくる分は少人数に限定することになるだろうが、軍にとっては歓迎すべきことのはず。

 飯のタネは、多ければ多いほどいいものだ。モリーは、それを与える権限を持っている。大事なのは、それだけだった。

 

「私は、鍛える相手が誰であっても構わん。それこそ東方人でも傭兵でも。……まあ、実際に出向する時になればわかることかね」

「我が家が総出で東方に行くことは、妥協せずにごり押していきますので。そこは、ご心配なく。帰還後の地位も、まず間違いなく昇進がついてきます。下手を打つことさえなければ、我々は安泰ですよ」

 

 クッコ・ローセは忠実に仕事をこなしてきたし、実績もある。帰還後の出世は、適正の報酬とも言えた。

 何より、東方出向と帰還後の昇進を定型化できるのなら、士官の箔をつけるという意味で、有用性が出てくる。

 

「それは景気のいい話だ。しかしお前は王妃さまとは縁があっても、軍の高級官僚たちとは疎遠だからな。面子に配慮すると言っても、お前自身があちらまで手を伸ばすのは、難しいんじゃないか?」

 

 軍官僚と内政や外交を担当する官僚たちは、また別物である。別物である以上、渡すパイも別の部分から調達してこねばならぬ。

 これに関して、モリーはとりあえず反感だけは買わない形で接するつもりだった。

 

「はい。手を伸ばしすぎるのも、いろんな意味で危険ですから。――そちらは、王妃様を通じて説得するようにしています。王族と軍組織の関係は、近しいほうが良い。今回の件に限れば、軍にとってもそこまでリスクはないですし、単純に機会が増えた、くらいに捉えてくれるでしょう」

「東方に軍人のための役職が新たに出来て、給料もいい。帰ってきたら昇進のおまけつきとくれば、なるほど。定着したなら、軍としてもありがたい話になるのか」

「新しく事務専門の部署も出来ましたし、そちらに新しいポストを用意しておくのもいいでしょう。――本人の希望次第で、選択に幅を作っておく。そうした環境づくりは、今後確実に必要になりますからね」

 

 政治工作は終えているから、モリーはこれを後押しするだけで良かった。タラシーとの七日間の話し合いの場は、それだけモリーと王妃の距離を近づけたのである。

 当面の財源は、ゼニアルゼからの補助金をつぎ込めばいい。今後の情勢次第だが、税収が増えれば、補助金をあてにせずに維持することすら可能かもしれない。

 そのためにも、モリーは全力を尽くすつもりだった。東方会社への出向は、今後のクロノワークの政治に大きな影響をもたらすだろう。

 

「王妃様は、東方への出向は栄転という形に演出する、とおっしゃっていました。王族がこれだけの言質をくださったのですから、臣下はこれを現実のものにしなければならない。その義務が生じます」

「うかつな言質を与える王妃さまではない。となると、誰にとっても利益になる。そうした環境を整えられる自信があるのだろう。……私などには理解できない、高度な政治的判断という奴かな」

「正しい見解ですが、それが全てでもない。単純に、時代の流れであるとも言えます。今、西方も東方も、変革の時期なのです。――適応するために、誰も彼もが試行錯誤をしている。これは、そういう話でもあるのですよ」

 

 その時代の中でも、なるべく多くの人々を巻き込んで、利益を分け合いたい。モリーは、そのための努力を惜しむつもりもなかった。

 結果として、我が家の安泰につながるから。なればこそ、こんなわずかな休憩時間にも、妻の元に足を運んで、感覚を共有しようとしているのだ。

 

「なんでもいいさ。私は、お前に従うだけだ。――貞淑な妻として、モリーに使えるのも悪くはないと思っているよ」

「……皆の前では、なかなか言い出せないことですが。クッコ・ローセは、もう少し欲望を強く持っても良いと思うのです。割とすぐに自分を見切って、限界の線を引く癖があるような。自覚がありませんか?」

「ない、とは言わんが。――しかし、なんだな、モリー。今お前、悪い顔をしているぞ」

「そうでしょうとも。これから貴女に、良からぬことを吹き込もうとしていますからね」

 

 人目を気にする必要がないのか、モリーは堂々とそう言った。

 クッコ・ローセもまた、モリーが無思慮に過激な発言をする相手ではないと知っている。だから軽い気持ちで聞き返すことができた。

 

「ほほう? では聞こうか」

「東方での、クッコ・ローセの役割についてです。基本的には、傭兵の教導を任せたいのですが、あちらでは女性の士官は舐められるかもしれません」

「殴り倒して、言うことを聞かせればいい。私たちは、それができるだろう?」

「ええ、まあ、それはそうです。――ですが、殴り倒した後でケチを付けたり、復讐を考える馬鹿はいつでもいるもの。なので、何かしらの権威もついでに主張できるよう、備えておくのが良いと思うのです」

 

 モリーが何かしらの懸念を口にするときは、その対策まで考えている場合が多い。

 クッコ・ローセは、夫を立てることを知っている。やりたいことはやらせてやろうとばかりに、話を促した。

 

「ふむ。――具体的には?」

「私たちは、クロノワークの代表として、東方会社に乗り込むことになります。クロノワークの武名は、西方ではだれでも知るところですが、東方ではそうではない。……なので、少し小細工を弄してみようかと」

「言い方が回りくどいな。やりたいことを素直に言えばいい」

「では、結論から申し上げます。――私が先んじて現地入りして、東方でのクロノワーク騎士の武名を轟かせておく、というのはどうでしょう?」

「……ジョークとしては、あまり上等ではないな。おまえ、もう少し真っ当なユーモアを身に着ける努力をしてみろよ」

「いえ、私は本気です」

 

 だから皆がいる時ではなく、クッコ・ローセ一人の時を狙って発言したのだと、モリーは言った。

 

「思いついたのは、最近の話ですが……。事前に現地入りして、いくらかの工作を行うことは有用であると、個人的に結論も出しています。行き帰りがすごい手間ですが、まあ半年から一年くらいの期間を見積もっています。政治的にも軍事的にも、私個人が動いておけば、後々スムーズに話を進められるだろう、と」

「お前ひとりで考えて出した、視野の狭い結論に聞こえるが? 焦りすぎだ。私たちを置いて、一人で向かうなど愚の骨頂だぞ。一年も放置して、あいつらに愛想をつかされたらどうする?」

 

 そこが大きな問題だと、モリーも自覚していた。だから冗談交じりに口にしてみた、と言う部分はある。

 しかし有用ではあるだろうと思うから、なかなかその案を捨てられないのだ、ともモリーは言う。

 

「いけませんか?」

「行くことを前提にしたいなら、まずは誰か一人でも連れ出して、モリー家の維持を図ってみるんだな。妻を一人でも連れ出して東方に赴くなら、まだしも言い訳はつくだろうよ。――私たちの人生を背負う覚悟があるなら、誰か一人でも伴って、寄り添う態度を見せてみろよ。信用とか信頼とかは、そうした行動一つ一つを重ねていって、つちかっていくものだろう?」

 

 クッコ・ローセは、それなら己が適任だと言わんばかりに発言する。モリーもまた、なんとなく察していればこそ、彼女にきわどい言い方をするのだろう。

 ここまで話を進めた時点で、モリーの目的は達せられたと言っても良い。

 

「……ご苦労を、かけてしまいますね。本当に、私などにそこまでの価値があるのか。貴女方を娶ってしまったことは、迷惑だったのではないか。そんな、やくたいもないことを考えてしまいます」

「他の連中に、そんな弱音を吐くなよ。私でなければ、ひどく落ち込んだだろう。あいつらはあいつらで、結構繊細なところもあるからな」

「わかっています。……でも、クッコ・ローセだって、繊細なところはありますよ。だから、ぞんざいな態度はとりたくないとも思うのです」

 

 モリーはクッコ・ローセとの距離を詰めた。家族として、あるいは妻として、モリーは彼女のことを尊重しているつもりだった。

 だから、こうした機会を利用して、密接で濃厚なコミュニケーションを取りたがる。

 

「勤務中だぞ、自重しろよ」

「それは、もちろんです。……手を重ねるだけですよ。触れ合うくらいは、いいでしょう?」

「悪いは言わんさ。――ああ、いいとも。私だって、新婚気分を味わいたい。似合わないって、笑っても、いいんだぞ」

「どうして? こんなに、クッコ・ローセは可愛いのに。……私が独占することに、罪悪感すら自覚しています。貴女はもっと、いい男に口説かれていても可笑しくはなかった。その猶予を与えなかった私が言うのもアレですが、それだけに。ええ、私は、貴女に尽くしたいと思うのです」

 

 本心だった。それがわからぬほど、クッコ・ローセも鈍感ではなかった。

 

「ザラの奴は、お前を悪党だと言っていたよ。いつだったかな。悪い奴だって、酒に酔った顔で繰り返し、な」

「否定はしません。そう思われただけでも、私の不徳でしょう」

「そうだ。悪い奴だよ、お前。――今後の人生、全部使って、私達に尽くせよ。せめてもの、罪滅ぼしにな」

「はい。誠心誠意、皆様の幸福のために、全力を尽くします。それこそ、命を懸けて」

 

 そうして口説きつつ、政略面での細部を詰めていくのが、彼女のやり口であると。

 わかっていながら、クッコ・ローセは拒めなかった。好きだとか、愛しているとか、現実的に説得力のある言葉で追い詰めて、女に妥協を迫る。

 そんな悪い夫に、百戦錬磨であるはずの彼女も、自分から折れてしまう。

 

「――で、お前、私に何を求めているんだ。なんとなくは察しているが、口に出していってみろよ」

「……私と一緒に、東方に出向きませんか? クミン嬢も一緒ですから、寂しくはないと思うのです」

 

 内々に承諾はもらっている、とモリーは言う。そこまで考えて行動しているなら、クッコ・ローセにも独自の役割があるはずだった。

 

「わかった。それで、私の役割は何だ?」

「くどいようですが、兵の徴兵に調練。それと――これは時期を見定めてからになりますが、それらの兵どもを率いて、治安維持活動ですかね」

「激務じゃないか。私にそこまでの借りを作っていいのかよ」

「貴女に尽くします。クロノワークの地位向上と、東方での権威の確立が鳴った暁には、その後の人生全てをもって、貴女方を愛し、慈しみます」

「……そこまでのことを口にする以上、疑うまい。私の為に、無謀な単騎行をやらかして、怨敵を討ち取ってきたお前だ。ああ――そうだな。今更だった。私は、お前を離したくない。共に行けるなら、どこまでも行ってやろうさ」

 

 クッコ・ローセの確約を得られた。それだけでも、モリーは万の味方を得られた気分だった。

 そして、彼女らがクロノワークの先駆けとなったことが、後の名声の布石にもなった。

 

「ああ、私は構わんが、他の連中の説得はちゃんとやっておけよ。多少の話は通しておくが、後は知らん。それくらい、夫の最低限の義務と言うものだ」

「はい。――気が重いですが、もう決めたことです。メイルさんとザラの了解は、ちゃんと取ってきますよ」

 

 これより西方秩序の再構築と、繁栄の時代が始まる。その発端は、まさに東方会社の発足にあり――。

 その立ち上げに尽力した彼女らの働き無くしては、おそらくは未来は大きく違ったものになっていたであろうと、後世の歴史家たちは結論を出すことになるのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日の仕事が終わると、モリーの家で一番早く帰宅するのはメイルである。

 最近は色々とやることも増えて、彼女も夕方まで執務が続く日が多くなっていた。激務と言うほどではないにしろ、疲れがたまる日もある。

 その日は、何かしらの理由を付けて、モリーに付き添ってもらっていた。妻らしい特権を使っているともいえるが、それを許すだけの甲斐性が、夫の方にもある。

 

 夕食の用意をして、皆の帰宅を待つだけの時間。その間に、二人きりの空間をつくる。そうして、メイルとモリーはお互いの顔を見ながら、適当な話をしてくつろぐのだ。

 

「まあ、最近はモリーも忙しそうだし。私のわがままに付き合わせるのは、ほどほどにした方がいいんでしょうね」

「わがまま、などと。私で良ければ、可能な限りお付き合いしますよ」

「……これでも、甘えている自覚はあるのよね。甘えられるときは、素直に甘えておかないと、もったいないじゃない? ――また近いうちに、それが難しい状況になる。なんとなく察しているから、細かいことまで言わなくていいわよ?」

「メイルさん。私は――」

「良いのよ、別に。教官は頼りがいのある人だものね。……私が負けてるとは思いたくないけど、分野が違うんだから仕方ないんでしょう。あの人から、ちょっとだけど話は聞いたわ。正式に赴任する前に、東方へ行くんですってね?」

「はい。東方会社の重役として赴く前に、現地であれこれと試してみようかと。やることをやったら、また戻ってきて、東方出向の辞令を待つことになりますね。――皆さんを伴うのは、それからの話になります」

 

 この件に関しても、王妃様からの許可はいただいている、とモリーは言った。

 重要な話は、先に済ませていたわけだ。となると、これは最後の詰めになるのか。メイルは、自分が反対することの無意味さを理解した。

 

「私はついていけないわよ」

「わかっています」

「……あなたが好きよ、モリー。それは、変わらないから」

「愛しています。――許してくださるなら、私の気持ちも、生涯変わることはありません」

「でしょうね! 貴女は悪い人だもの。きっと、死ぬまで私の気持ちを奪ったまま、都合よく利用するんでしょう。……でも、それが嫌じゃないのは、きっと。モリーがモリーだからなんでしょうね。教官も、そんな貴女だから絆されたんだわ。たぶん、あのクミンも」

 

 モリーが一番に気にしたのは、シルビア妃殿下とのつながりのあるクミンであり、真っ先に頼ったのはクッコ・ローセだった。

 メイルは、自分がそこまで重要な地位にいないことを、まずは認めねばならなかった。ザラは同格だが、モリーにとっては直属の上司でもっとも付き合いが長い特別枠だ。

 

「実利で妻の間に格差などつけません。メイルさん。私は、貴女が大事です」

「知ってる。……ごめんなさい。わがままが言いたいのよ、私は。もっと、貴女の力になれたらいいのに、ってね。余計なお世話かもしれないけど」

 

 己だけが、さしたる援護が出来ない現状に、メイルは多少の焦りを感じていた。

 多少で済んでいたのは、元の精神が強靭であったから。ここで取り乱すほど、彼女の心は未熟な形をしていない。

 今のメイルは立派な人妻であり、初心な生娘では、もはやないのだ。

 だから、ただ言われるままに日常を過ごして、必要な仕事をやるばかりではなく、特別な形でモリーに応えてやりたいと思う。

 

「後任を育てるのは、私にとっては難しい話じゃない、って。――こんなこと、わざわざ言うことでもないんでしょうけど。でも、今の職務を放り出してついていくことは、絶対にできない。したくない。……ねえ、私にできること、何かある?」

「メイルさんは、今のメイルさんのまま、私の家に居てくれたら、それだけでいいんですよ」

「護衛隊長って立場は、引継ぎにも相応の時間がいるの。信頼が特に重要だから、替えが効きにくいわけで。――他人に押し付けるにも、順序がいる。それを短縮するのは、誰の為にもならないって、私は知っているんだから――」

「わかっています。メイルさんは、そのままでいいのですよ。貴女に無理をさせたくない。夫の見栄です。それをどうか、お許し願いたい」

 

 言葉に偽りの色はなく、モリーの本心であることはわかる。

 それでもメイルは、言葉の奥にあるものまで見えていた。やれることが本当にないなら、率直にそう答えるのがモリーの誠意であると、彼女にはわかっていたのだ。

 否定せず、本心だけを口にした。メイルには、それが歯がゆかった。モリーが意図的にそうしているのなら、まさに悪党と言いたくもなろう。

 

「悪い人ね、モリー。私から言葉を引き出そうとしている。そんな風にも見えるわよ? ……ここまで言った以上、私の覚悟を無下にしてほしくはないの。あるでしょう? 私だけが、特別に出来ることが」

「……なんとなく、気付いていらっしゃるのであれば、言葉を濁す方が非礼ですか。ええ、確かに、メイルさんにしかできないことがあります」

 

 モリーの表情は、神妙なものであった。利用してやろう、という悪意などはみじんもない。

 ただの事実を述べるように、彼女はメイルを頼ろうとしていた。

 

「メイルさんは、エメラ王女の護衛隊長を務めています。その縁で、王妃様にも王様にも面会する権限がある。――そうですね?」

「相応の名目があれば、の話ね。モリーだって、エメラ王女の教育相談の名目で、王妃様と会っていたじゃない」

「はい。つまり、必要さえあれば王族に直接意見を挙げられる地位にある。――そうでなくとも、よからぬ噂が王族に伝わっていれば、その空気を察することができる立場にある。これを利用しないのは、いかにも勿体ないというものです」

「……どう利用する気? 無制限に好きなだけ、貴女の思い通りに動くほど、世間も王族も甘くはないわよ」

「悪辣なやり方はしません。メイルさんには、王族の周囲に注目してくだされば、それで結構です。我が家に良からぬことが迫る可能性があれば、貴女の勘にしたがって、自由に動いてください。知りたいこと、知らせたいことがあれば、随時手紙を送ってください。離れている間は、いちいち私に許可を取る必要はありません」

 

 フリーハンドをメイルに与える、とモリーは明言した。

 その意図するところは、保身であるとメイルにもわかった。だが、それだけでいいのかとも思う。

 

「それだけ? 私には、もっと出来ることがあるんじゃないかしら」

「では、私が一足先に東方で工作をしている間、クロノワークでの政治活動をお任せしましょうか。――なるべく王妃様やエメラ王女、それからオサナ王子と接する機会を作って、友誼を結んでくださると嬉しいです。上流階級との交流は、欠かさないように。それが何よりも、私への援護になるでしょうから」

 

 讒言に対する備えはあるが、思いもよらぬ外的要因が入り込む可能性はある。

 メイルが備えてくれるなら万全だと、モリーはそれだけを伝えた。

 メイルにはそれで充分であると、わかっていたから。

 相互理解は、確かにあった。メイルの方が、いささか不安がっている部分もあるが、それもまたモリーの想定内だった。

 

「……私に、そんな政治の現場で斬った張ったをやる素質があるかしら。戦場なら、それなりに自信もあるんだけど」

「政治とは、血を流さない戦争そのものです。――大丈夫、メイルさんならできますよ。貴女なりのやり方で、本能にしたがって動いてください。危機感を覚えれば、頼るべき相手を頼り、攻め時と思えば積極的に自らを売り込んでください。……後任を育ててくれているなら、いずれはそれも布石となるでしょう」

 

 モリーはその場その場で、必要なことを語っているだけだと思っていた。

 メイルにとって、彼女の言葉が何よりも重いことに思い至らなかったのは、モリーらしいと呆れるべきか。それとも、些事は些事と割り切る胆力に感嘆すべきなのか、メイルには判断がつきかねた。

 

「考えることが、本当に多いのね! モリーを尊敬するわ。あるいは、ザラも同じ悩みを共有しているのかしら。直属の上司なんだし、同じように頭を使っているんでしょう?」

「まあまあまあ、そういうことも、なくはないですね。……私は、ザラにだけは本気で頭が上がりませんから。そろそろ問い詰められそうな雰囲気もありますし、もしもの時はメイルさんにも頼りたいんですが」

「ザラが貴女を害するはずがないでしょう? そのザラが貴女を責めるなら、必要なことなのよ。――諦めなさい。傷ついたなら、慰める位はしてあげるから」

 

 やはり対決せずにはいられぬか、とモリーは思う。

 東方へのいち早い工作と、その有効性までは、ザラは認めるだろう。それはそれとして、感情的に納得はしがたい。そうした情念の強さを理解しているモリーとしては、ザラの説得はつらい仕事であった。

 

「最後に回したのは、それだけ厄介で、でも重要な事だってわかっているからでしょう? モリー、逃げちゃだめよ。ここで逃げたら、きっと一生後悔するんだから」

「メイルさんからの忠告とあらば、従いましょうとも。――ええ、私は、それくらい貴女を信頼しています」

「リップサービスなんて、今は良いから。とにかく、ザラにも尽くしなさいよ。――たぶん、あいつが一番面倒くさいんだから!」

 

 わかっていますよ、とモリーは返す。本当に、それはわかっているのだ。

 理解していながら、容易ではないと心を引き締める。それだけの価値を認めていたから、モリーも最後に彼女を据えていたし、そのための策も練るのだ。

 

「言葉だけでは足りないでしょうね。……私の身体で奉仕するくらいで、済めばいいのですが」

「ご褒美を安易に与えるのもどうかと思うけどね。ザラに対しては、もうちょっと強気でもいいくらいよ? あいつ、貴女がいなかったら絶対生涯独身だったに違いないんだから」

「いいえ、いいえ。私なりに、尽くしたいのです。妻を複数持った夫として、それくらいはさせてくださいな。ザラのみならず、メイルさんにも。私は、そうした心構えをもって、皆に仕えたいと思うのです」

 

 それならそれで、せいぜい頑張りなさい――なんて、メイルは軽口を叩いた。それが、メイルの限界でもあった。

 惚れた弱みと言うのは、それだけ大きいものである。もっとも、それだけならばお互い様と言うもの。

 ザラは、クロノワーク随一の傑物であると、モリーは信じている。なればこそ、特別な準備も必要であると思うのだ。

 対決を最後に回したのも、それが理由にある。そうして、モリーは万全の態勢をもって、彼女と向かい合うのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザラとモリーが向かい合う場は、余人が立ち入らぬ場所。それこそ他の妻たちすら除外して、二人きりになれる空間――。

 乗馬して、郊外へ遠乗りする。行き帰りも含めて、せいぜい三、四時間の空白にすぎないが、それだけでおおよそを理解し合えるくらいには、長い付き合いの二人である。

 

 適当に駄弁りながら、乗馬を楽しむ。その柔らかな雰囲気を小一時間過ごした後、ザラの方から難しい話題を切り出してきた。

 

「東方への工作に関する話は、聞いている。あちらに一番乗りする形で飛び込んでも、お前なら上手にやるんだろうな。――その考えの有効性は認めるが、それはそれとして、癪だ。お前、私が許さないと言ったら、それで自重してくれるのかよ」

 

 モリーは沈黙した。それが答えであると、ザラの方が理解した。

 

「する気がないなら、いちいち私の気持ちなど斟酌するな。夫らしい傲慢さで、妻を従えるのも手段の一つだぞ」

「従える、などと……私は、そんなつもりでは。――お怒りなのは、わかります。貴女からすれば、約定破りに聞こえても仕方ないことでしょう」

「怒ってはいるが、諦めてもいる。お前はそういう奴だ。未来を見据えて、自分たちの為に何が最善であるか、常に考えてやまない。気苦労が多すぎて大変だろう?」

「――ザラは、私の貴重な理解者だと思っています。貴女に助けられたことは、数多くていちいち口にするのもはばかられる。……ですから、どうか、いじめないでください」

「苦情くらいは入れさせろよ。――それくらいのことを、お前はやっている」

 

 騎乗して、ゆったりと並んで歩ませながら二人は語らう。馬の足音は穏やかだが、お互いの空気は不穏であった。

 周囲に人の目はない。別段聞かれて困る話をするつもりもないのだが、それはモリー側の事情である。

 ザラの方がちょっとした外出と、内緒話を望むのであれば、モリーはそれを拒めなかった。

 

「現段階で、私がお前について、東方にまで遠征できないことはわかっているな? 二年後ならともかく二、三か月後にすぐにでも出向けるかと言えば、メイルも私も無理だろう。教官とクミンの奴がうらやましいよ」

「……返す言葉もありません。しばらく、寂しい思いをさせてしまいます」

「その間、私が男に口説かれたらどうする。遠距離恋愛が非現実的なことくらい、お前にはわかるだろう?」

「それは、それは……」

「どうした。言い訳をして見せろよ。他の連中のように、私を言いくるめられると思ったら、大間違いだからな」

 

 ザラは真剣な表情で、モリーを見た。そこに遊びの感情がないことは、明らかだった。

 

「言いくるめたなどと、私は誠意から彼女たちに本音を語っただけです」

「そうだな。お前は本気でそう思ってるんだろうな。……私だけだよ、本当の意味で、お前のズルさを知っているのは。――犠牲になるのは、自分だけで良いと思っているんだろう? 早々にしくじって死んじまえば、私達にはやり直せるだけの時間が残る。そんな風に、都合よく考えているんだろう?」

「失敗を前提にして、戦いに向かう馬鹿はいませんよ。私は何時だって、勝つつもりで戦っています」

「だが、失敗の可能性を無視するような阿呆でもあるまい。――失敗する可能性は、初期段階が一番高い。しくじって成功の見込みが消えたなら、被害は最小限にすべきだ。……生きて帰るのが最善だが、最悪の結果が出ても生き残る目を残したい。お前なら、そう考えるはずだ」

 

 モリーが、こわばった表情を見せて、ザラから視線をそらした。

 口に出さずとも、応えたようなものだった。だから、ザラは追撃を緩めない。

 追って、追って、どうしようもない所まで、追い詰めてやらねばならぬ。勝機を見出したなら、一度の好機をつかみ取り、全力で攻めてやりこめるべきなのだ。

 反撃を許さぬほど、決定的な打撃を与えるべきなのだ。軍事的にも、恋愛的にも、それが主導権を握る絶対条件であることは、確かであろう。

 

「意外ですね、そんな結論が出るあたり、ザラ隊長も案外少女趣味なんですね?」

「否定から入らず、初手ではぐらかしにかかるのは、お前の悪い癖だな。私くらい付き合いが長いと、それが逃げ口上だと即座にわかるぞ。……お前は悪党だが、わかりやすい馬鹿でもある。いい女に対しては、特にな」

「どんなに素晴らしい女性が相手でも、公務であれば、自己を殺して事務的に接することくらいは出来ますよ」

「今回は私事も込み込みだろ? わかっていて逃げるのはやめろよ。流石に傷ついてしまうぞ」

「ザラがその程度で私を見限ることがないってことくらい、ちゃんと理解しています。……再度申し上げますが、いじめるのはやめてください」

「そうだな! マウントを取るのは、一度で十分だ。本当は乗馬ではなく、ベッドでお前の上にまたがって語り合いたいと思っていたんだぞ?」

「……自分の妻には、最低限の羞恥心をもってほしい。そう願うのは、間違いでしょうか」

 

 間違いではないな、とザラは言う。さらに付け加えて、それも相手次第だと、もっとも論理を展開していった。これにはモリーも返す言葉がない。

 いちいち言われれば、もっともだとも思う。モリーにできるのは、己の非を認めることだけだった。その上で、折れることはしない。ここまでが、彼女にとっての最大の妥協点である。

 

「必要だと思うから、私は止まりません。それはご理解ください」

「うん、そうだな。それはそれとして、ムカつくから殴っていいよな?」

「どうぞ。貴女には、その権利がある。思うが儘に、なさいませ」

 

 モリーの目に迷いはなく、その態度はどこまでも貞淑だった。

 ザラの方が負い目を感じてしまうほど、彼女の受け答えは完ぺきだった。それがまた、鼻について仕方がない。

 

「……やめようか。相手を責めたところで、どうにもなるまい。私の方だって、折れるための準備が必要だった。これは、それだけの話なんだ」

「はい。そう願います」

「だから、本音で語れよ。――モリー、お前には何が見えてる。何を知ってる。もう少し、時間的余裕があったんじゃないのか?」

 

 急な話と言えば、モリーの方も返す言葉がなかった。

 それでも馬の歩みは穏やかだった。お互いの心情は別として。

 

「見通しが甘い、とおっしゃられる?」

「甘かったとしても、それを責められる立場に、私はないな。東方に関しては、あらゆることが未知数なんだ。――お前のやっていることが、最終的に国益につながるなら、騎士である私たちに非難できるものではない。……すべてがうまく運ぶなら、モリー家はクロノワーク有数の名家になる可能性もあり得る」

「存続すれば、の話ですね。……私が続けるつもりであれば、養子でも取るのが一番なのでしょうが、そこまで未来の話は、考えている暇もないです。今の私は、とにかく十年二十年先の災害を想定して、先手を打っているようなものですから」

 

 だとしても、目をそらしていていい話でもあるまい、とザラは言いたかった。

 モリーの存在に、政治的な価値が出始めている。その雰囲気を、ザラは放置したくなかったのだ。

 だが、この調子では本当の意味で自覚するまで、言葉は意味を成すまい。ザラは、気長に攻めていくことにした。

 

「お前がこうやって、一人一人に時間を割いているのは、自分の存在を私たちに刻み付けたいからじゃないのか? 出来る範囲で思い出を作っておきたい、なんて。不器用なお前らしいじゃないか」

「……そうですね。至らぬ夫で、申し訳ないと思います」

「本当だな。口先だけの奴ではないとわかっているから、皆お前を信じているんだぞ。……せめて、期待を裏切るな。ちゃんと帰って来いよ」

「適当な工作を終えたら、ちゃんと戻りますよ。――本番は、それからなんですから。東方旅行の為の下見として、一足先に見て回っている。それくらいの認識でいてくれたら、充分です」

 

 モリーは旅行気分で行くわけではないが、これが彼女なりの精一杯の諧謔であろうと、ザラは受け取った。

 彼女の精神衛生が悪化しないかどうか。ザラは案ずるのは、その点である。

 

「――生きて帰るのはもちろんだが、あんまりあちらの文化に毒されるなよ。クロノワークに比べて、東方は文明的なところなんだろう?」

「さあ、現地で実物を確認するまでは、なんとも。個人的には、そこまで期待してはいませんよ。……文化の毒を言うなら、翻訳業をしている時点で、私はもう染まっていると言えなくもありませんし。大丈夫ですよ」

 

 ザラの方も、下手な世間話を交えたせいで、モリーの方も心配されていることを如実に感じていた。

 乗馬しての遠乗りは、相手次第で良い思い出にも悪い思い出にもなる。

 見慣れたクロノワークの風景を心に刻みながら、モリーは自らの役目と感情にどうにか折り合いを付けつつ――。

 ザラの方も、モリーの気遣いを理解しながら、その日は時間いっぱいまで二人きりの時間を過ごした。

 

 モリーが士官として、東方に一番乗りするまで。それが、最後の逢瀬になった。

 続きは、帰ってきてからだと。そんな他愛のない約束を、ザラは心の支えにするのだった――。

 

 

 




 確実に、あと三回程度では終わらない雰囲気です。
 もう夏までに完成できたらいいかな、くらいに考えています。

 ただ、話を加速させるつもりで、次の話くらいで一気に時間を進めようかと思っています。
 ナレーションで妃殿下に子が生まれたり、半年くらい過ぎていたりするかもしれませんが、それくらいしないと話を進められない気がするので。

 ここまで付き合ってくださっている、読者の皆様方には、感謝しています。
 では、また。完結までいましばらく、お付き合いください。

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