ものすごい雑にまとめにかかっているので、展開が粗だらけになっているのではないかと、結構不安に思っていたりします。
そうした雑さを自覚するだけに、ここまで付き合ってくれている読者の皆様方には、感謝しかありません。
後二話くらいで完結させられたらいいなぁ、なんて思いつつ。
今回も無駄に冗長なお話になっておりますので、時間があるときの暇つぶしにどうぞ。
殴りに行くと決めたら、やるべきことは数多い。常在戦場の心意気のまま、やる気を仕事につぎ込んで、物資と人員の補充と防備の構築に日々をと費やした。
商工会に良いように使われているのではないか、なんて疑問もあるけれど――とにかく、今は武力装置になることは受け入れよう。
この戦いで完全な勝利を手に入れない限り、我々に明るい未来はやってこないと信ずるゆえに。
ドヴールの商工会は、独自の伝手があるのだから、これを総動員してさらに敵総督を追い詰めていくだろう。
詳細は私にまで伝わってこないが、彼が追い詰められればそれは行動に出る。こちらはその行動を分析して、対応していけばいい。
私も私で、早々に部隊を再編成し、敵総督の元へ殴り込みをかける準備を積み上げていた。
砲兵の育成も間に合ったので、その気になれば攻城戦だってやれなくはないのだが――。正直、脅しの手段として温存しておきたいところではある。あれ、維持はもちろん運用にも大きなコストが掛かるので。
攻勢の為の部隊は出来上がったし、ドヴールの防衛は出来る限り固めた。東方の中央政府への書状はまた作成途中だけど、これは書式以上に慣例が(皇帝の名と同じ字は避けねばならないし、代用する文字についても決まりがある)面倒臭くて、調べるのに時間が掛かっているからで、こちらは近日中にどうにかなる当てがあるわけだけど。
ここに至っても、殴り込みに行くことを躊躇う理由があった。
名分があるからと言っても、それでも敵総督の都市にまで攻め入ってヒャッハーすることは許されない、という事情がある。
野戦なら被害も限定的だが、攻城戦となると色々なものが犠牲になるものだ。東方国家の威信にかかわる事態にもなりかねないし、私だってこれには配慮が必要なことくらいわかる。
そもそもの問題として、我々に課せられたのは懲罰であって、殺害でも略奪でもないんですね。――この辺りがまた、東方政治の複雑なところよ。
敵総督を殴りつける許可はもらったが、それ以外のアレコレまで好きにしていいとまでは言われていない。争いは当事者同士で治めるようにと、言外に示されている気がするのですね。
「征伐じゃなくて懲罰ってところがまた、アレなんですよ。要するにこれ、やらかした総督を捕えて護送しろってことで。――そのためなら軍隊の動員も正当化されるわけですけど、どんな殴り方をしてもいい、という意味じゃない。都市に被害が及ばない範囲で、『穏便な武力行使』しか認められていないのですね」
周囲の環境を激変させるような軍事行動は、東方国家にとって歓迎できない行為であるはずだ。一日で終わるような野戦は、ギリギリ許容するにしても、騒ぎを大きくすべきではない。
ここを失敗したから、敵総督はドヴールの商工会に政治的敗北を喫し、こちらに反撃の名目を与えてしまったと言える。
敵と同じ轍を踏む気はない。……私の方が失態を犯して、あの会長殿に弱みを握られる、なんてことは絶対に避けたかった。
私は諸々の背景を理解したうえで、適切に軍事力を用いねばならない。これが出来ねば、東方国家は我が社を異分子として排除しに来るだろう。
こちらへの非難を避けたうえで、明確な勝利を求めるならば――よほどスマートな手段を選ばねばならず、これには前提としていくつもの条件を満たさねばならぬ。
強制的に難易度を上げられて、さらに縛りプレイを強制されているようなものだが――政争ゲームに巻き込まれたと思えば、これくらいは当然の条件であると私は理解していた。
「降伏勧告を受け入れてくれたなら楽なんですが、あちらも素直に負けを認めるほど、往生際は良くないでしょう。今頃全力で逃亡を図るか、政治的な巻き返しを狙っているはずです」
「頼れる常駐戦力を失ったわけですからね。ただちに報復しては来ない、と。……だったら、好機ですよね。なおさら急がなきゃならないのでは? どうしてモリーさんは、準備を整えるだけで済ませてるんです? ――武力こそは、正義を示す一番手っ取り早い手段でしょうに」
クミンは、状況が安定したと判断して、私の家に戻ってきていた。
彼女の仕事は風俗関係(情報関係はそのついでのはず)だから、その気になれば転がり込む先はいくらでもある。彼女が危険性がないと判断して帰ってきたのだから、まずはそちらの報告を聞きたいくらいなのだが――。
とりあえず、彼女は私にダメ出しをしたいらしい。幹部教育を受けているだけあって、その見解はそれなりに筋が通っていると思う。
「速攻ができる状況ではありません。敵総督は都市の城塞で守られており、これを打破するのは難しい。我々は無敵ではないし、武力には限界もあります。……力が正義になるのではなく、正義が力によって示される場合が多いだけであると、私などは主張したいのですね」
「どっちでも大して変わりはしませんよ。だから名分を作ることにこだわるより、一息に全てをやりとげて、それから取り繕う手段を取った方が、かえって事は簡単に済むと思うんですよね。――城壁に砲を一発ぶち込めば、それだけで脅しになるでしょう? まずは殴ってから交渉する。優位に立つには、それが一番では?」
クミンの疑問は妥当なものだろう。私も本心では否定しきれない意見であるから、言葉を選んで反論する必要があった。
「政治的な配慮はもちろんですが、下手に殴りつけると今後の商売に差しさわりもありますので……。都合のいい状況が整うのを待っているというか、敵が隙を見せるのを待っているといいますか。……詳しい部分は軍事機密に関わりますから、身内にも明かしたくない事情があるのですよ」
「言い訳は結構。それで、続きは? ちゃんと話してくれないと、こちらも手助けがしづらいではありませんか」
クミン自身、ドヴールの中の『小さな城』で影響力を持っている。立場上は私の妻でもあるが、無条件の協力を求められるほど、弱い存在でもない。
知りたい、教えろ――と求められれば、最大限の譲歩をすべき相手でもあった。彼女がそこまで食い下がるのだから、背後には相応の理由があるはずである。
シルビア妃殿下への配慮を思うなら、ここで情報の開示を渋るのもよろしくない。話せるギリギリまで話して、力を貸してもらう算段を立てようと私は思う。
「あえて、そう望まれるならば、是非もございませんが。……楽しんでいますね? クミン。手助けはありがたいのですが、余計なことまで首を突っ込んでおりませんか? ちょっと不安になってきましたよ」
「余計なこと、の定義によりますね。――それはそれとして、家の中まで仕事を持ち込まないでもいいでしょうに。そこまで切羽詰まった時期は過ぎた。私は、そう認識していますけれど」
クミンは楽観的だが、内応者がいないとは限らないし、商工会だって信用するのは難しい相手だ。
特に政治工作は、ドヴール側に露見させない方がいい。あちらには中央政府に伝手があって、私にはない――という状況が、いずれ致命的な事態を招くかもしれぬ。
それを思うなら、今からでも布石は打っておくべきだった。私が今、自宅にて書類を作成しているのも、そういう事情からである。
「東方に来て半年にもなりますよね? ……文化も政治も、おおまかな部分については理解が及んだと思います。その上で、先ほどの疑問に答えるなら――敵側の面子に配慮するため、というのが大きいですね。あちらから仕掛けてきたこととはいえ、強引に我々が東方の都市を蹂躙しては、悪名と共に信用も失います。大っぴらに攻城戦を仕掛けて、戦争の形をとってしまうと『西方対東方』の図式になりかねない。――あくまでも武力は脅しの手段に留め、懲罰の段階を踏む。できれば、あちらから降伏させるか、最低限の犠牲に留めるのが最善なわけです」
「あくまでも、その最善の形を求めておられる、と。……モリーさんは、敵を限定したいのですね。敵総督一人を除ける状況が整えられるなら、その方がいいとおっしゃられる」
「理想を言うなら、そうなりますね。あちらの総督が失脚すれば、それで済む話なのです。今回の件を大々的に宣伝しつつ、相手の失態と蛮行を政治的に利用する。彼は中央にパイプがあるはずなのですが、かえってそれが自らを追い詰めることになるでしょうね」
敵総督はもう退くに退けない所まで来ているだろうが、その上役は別である。失敗した不出来な部下を切り捨てて、自身の派閥を維持するという手段が取れるはずだ。
あちらから詫びを入れさせて、速やかに護送が叶うならば、私としても敵に対して恩情も与えられよう。
これまで通りの商売をさせてもらえるなら、黙って納税しようじゃないか。お互いに妥協できる範囲としても、妥当なところではあるまいか。
さすれば私はこれ以上軍事行動を取らずに済むし、東方国家としても、波風を立てずに物事を穏便に終わらせることができる。
八方丸く収まるのではないか――と。そうやって私個人の願望を述べて見せると、クミンは呆れたような口調で返してきた。
「戦わずして勝つのが最上、でしたか? こちらの国の兵法書ってやつに、そう書いてあるんでしたっけ。理想論に過ぎると思いますね、私は。軍属でない身で言うのもアレですが――軍隊は、敵を殺すためにあります。戦いを避けては、敵を弱らせて、こちらの言い分を飲ませることができない。名分とメンツにこだわるあまり、迷走してはいませんか?」
敵戦闘能力の撃滅こそが、軍隊の存在意義である。だから、戦いを避ける選択は誤りだ――とクミンは主張する。
ザラも以前、同じようなことを言ってたなあ、なんて。私は暢気にもそう思ってしまった。
実際、彼女の言葉は間違ってない。クミンが教養を深めていることも意外だったが、意見が正しいものであるからには、無視することもできなかった。
書類を作る手を止めて、彼女と向かい合う。
「意外なところで、クミンとザラは似ていますね。近しいことを、かつて彼女も言ったものです」
「茶化さないでください。……というか、この場であの人の名を出すのは卑怯でしょう? 今、ここにいるのは私だけです。私を、見てください」
非礼とわかって、口にしてのは私の方だ。それを咎められれば、素直に詫びるのが道理である。
「失礼しました。――本音を言うなら、迷走しているつもりはないです。私はまだ相手方の総督に勝ってはいませんが、追い詰めてはいる。工作に時間を割くことで、敵に余裕を与えているように見えるでしょうが、これは必要経費とでも言うべきものです」
手元の書状を書き上げると、これをまとめて封をする。念のため、文面の修正に有識者の意見が欲しいので、これはミンロンの伝手を頼ろう。そうして見直して、問題がなければ伝令を走らせればよい。
出すところに出せば、それなりの反応が返ってくるだろうと、私は期待した。――ダメならダメで、正攻法で殴り合うのみ。別段損はしない。
「これも政治工作の一環として、ミンロンさんの伝手を使って、書状を中央政府の方に送ります。すぐに物事が解決するわけではありませんが、戦後処理に役立つ可能性がちょっとは期待できる――と思うので。……彼女に頼りっぱなしで、申し訳ないくらいですよ。西方に帰ったら、明確な実利で応えてあげなくては、信義にもとるというものです」
「ミンロンとか、私には関係ないので捨て置くとしまして。……中央政府のどなたに、どんな書状を送るのでしょう。詳しく聞きたいですねぇ」
「クミンには敵いません。――他言無用で、お願いしますよ」
漏らす相手は選べ、と私はクミンに釘を刺した。他言無用、というのは身内以外に漏らすな、という意味である。
彼女ならば、それくらいは理解する。ドヴールで出来た身内に対して、情報的な優位が必要になることもあるだろう。
風俗街で一勢力を担う覚悟があるのなら、私さえも利用して見せるがいいのだ。それがお互いの利益になるうちは、黙認しようと思う。
「敵側の総督は、いわゆる東方における辺境領の派閥に属しています。これとは、別派閥の大物――。要するに、東方国家の中枢を取り仕切っている宰相殿へ、この書状を送ります。書状の内容について、端的に述べるなら――『東方会社が懲罰を兼ねて、宰相殿に個人的に引き渡します。貴方が望むままに処分して、政治的に利用してやってください』と。……まあ、そんな感じの文章を東方の書式に則って作りました。これが通用するかどうかは、まだ未知数ではありますがね」
辺境と中央は当然のように仲が悪いものだから、今回の件は良い得点稼ぎになると思う。
未知数なのは、利用するのが初めてなのこともあって、きちんと伝手が機能してくれるかどうか、わからないからだ。
とはいえ、行為自体は非常に価値があると思う。なにしろ、西方の騎士が自らへりくだった表現を用いて、東方国家に書状を送ることなど、これが史上初のこと。
宰相殿に政治センスがあるならば、書状をあえて丁重に扱うことで、私を西方への窓口に使おうとするだろう。それに応えるのも、やぶさかではないと思う。
そしてこれには別の意味もあって――これまた、東方独自の文化だが。
敵対派閥の長に対して、直属の部下を厳しくやりこめることで、強い警告を与えるという権謀術数が存在する。
この場合、中央政府が敵総督を懲罰の対象にすることで、辺境閥に『好き勝手は許さん。場合によっては手段を選ばず潰してやるぞ』というメッセージを伝えることになるね。
で、これに懲りたら妥協して、こっちのやり方に合わせろ――とほのめかすわけだ。この警告を無視するか受け入れるかは、宰相殿の話のもっていき方によるだろう。
いずれにせよ、彼は政治的なカードを手に入れることができる。私はそれを提供して、東方会社は中央政府と協力していける旨を伝えられる。
ここまで私はクミンに説明すると、彼女なりに理解は示したが、疑問が色々とあるらしい。
「引き渡す? 事前に受けた要請に従うなら、どこにどう護送するか、そこは東方なりの規定にそって、司法機関にこそ引き渡すべきでしょう。これを曲げて直接宰相殿に話を持っていくのは、怖くないですか?」
「クミンさんの疑問ももっともですが……真面目に守るよりかはある程度曲解して、『より多くの人の為になる』選択肢を、私は選びたいのですよ。ドヴール商工会の意向に従って、司法の規定に従うのも一手ではありますが、私は我が家と母国の利益になる道を行きたい」
敵総督を首尾よく捕らえたなら、東方会社が責任をもって護送する。手順さえ踏めば、懲罰の要請からも逸脱した行為にはならないはずだ。
そのために必要なことは全部やるし、賄賂も書面も用意しよう。――ただ、敵総督を手元において、引き渡す相手を決める権限だけは、絶対に確保する。
書状が正しく効力を発揮すれば、宰相殿の元へ送り届けることも難しくあるまい。発揮しなかったとしても、最後の最後で司法機関にぶん投げればいい。不格好な形になるが、いずれにせよ損はしないだろう。
「まあ、最終的には司法機関に引き渡すことになるでしょうね。ただ、宰相殿の手は司法にも及んでいるはずなので、私はこれを利用したいと思うのです。――難しい仕事になりますが、挑戦するだけの価値はあると判断した。これは、そういう話なのです」
どの道を行くにせよ、主導権だけは最後まで握りしめるべきだ。ここまであちらに主導権を握られては、東方会社そのものがドヴールに従属することになってしまう。
商業的にも政治的にも、私達は自由こそを望む。貸しを作るのは良いが、借りを作ることだけは、絶対にしたくなかった。そのためならば、後ろ暗い手段もあえて取ろうと思うのですね。
「モリーさんって、もうちょっと清廉な方だと思っていましたけど。結構腹黒いんですね。……元からですか? それとも、東方に来たから?」
「さて。私は必要だと思ったことをやっているだけなので。あんまり、自覚はないですかね? そこらへんは、クッコ・ローセに聞いた方が正確な答えが返ってくると思います。……まあ、今重要なのは私ではなく、争いを決着させる方法と、その戦後処理についてです。書類と格闘するだけでも、戦場で敵を屠るだけでも終わらない。――政治とは、面倒極まりないもの。東方会社の代表ともなれば、そこから逃げることも出来ません。厄介なものですよ、まったく」
正規の書類と謀略用の後ろ暗い書類、それらを整理しながら私は言った。本当に、自宅にまでこんな仕事を持ち込まねばならぬとは、会社の代表と言うのも因果な職業である。
とはいえ、勝つための算段は立てているし、勝った後どうするかの見通しもある。
引き渡された敵総督がどう処分されるか。それは私の知ったことではないが、この作業を通じて私は東方国家の中枢にコネを作る。
宰相殿との直接的なつながりができれば最良だが、そこまでいかずとも、直通の連絡相手ができたならば、中央政府への確実なパイプが作られることになる。
権力に直結する人脈あれば、その権威が私個人の武名と繋がって、東方会社も恩恵を享受することができるだろう。
少なくとも、野にいる盗賊・海賊どもは東方会社を避けて通るようになるはず。ドヴールの商工会も、私を出し抜くことは難しくなる。
そうやって一目置かれる立場を確保できたなら、さらなる利益のために権勢の確保すら視野に入ってくるだろう。
将来的には、商工会の権益を犯すことさえ可能になるのではないか。
史実における東インド会社のように、東方社会に根を張って、多くの人民を統治し、その生活に責任を持つ立場にさえ、なれるかもしれない。
東方国家に新たな需要を作り、西方の商品を売りつける市場を生み出すこと。極めて重要なそれを東方会社が得る機会を、私個人が確保することができたならば。それだけでも、私が東方会社で独自の権力を得る大義名分になり得る。
東方市場は、西方と比べても随分大きい。人口からして、段違いに多いのだ。戸籍に含まれない納税権を持たぬ小作人や破落戸とて、モノを売り買いする。
そこに西方の商品を割り込ませて、取引に食い込むことができるなら、西方社会にさらなる旨味を与える結果となるだろう。
東方からの移民を選別し、西方への入植を差配する段階までくれば、もはや企業の枠を超えた影響力を持つことになる。そうなれば、東方会社の存在意義は、歴史上でも極めてまれなほどに強まるはずだ。
私と言うクロノワーク騎士が、それを推し進めたという実績は、西方に帰国した際に大きな武器になることだろう。
「気の早い話ですが、クロノワークに一時帰国したら、報告書を山のように積み上げることになるでしょう。……今後のことも考えると、王妃様に対しては隠し事も良くない。洗いざらいぶちまけることになるでしょうから、どんな反応が返ってくることか。想像できないだけに、恐ろしいですね。家名を高めるのは望むところですけれど、東方に死ぬまで縛り付けられるとか、流石に遠慮したい案件ではありますよ」
今回の件は、東方の政治情勢に割り込むことになる。クッコ・ローセやクミンの前では、積極的に語らなかったこと。なんとなくで誤魔化した部分も、隠さずに報告せねばならぬ。
結果さえよければ、地位のはく奪とか懲罰とかの話にはならない……はず。今から思い悩んでも仕方のないことだが、やはり気が重くなることだった。
「よくはわかりませんが、モリーさんも色々考えて動いているのですから。――その王妃さまだって、モリーさんの独断専行を許したんです。何が起こっても、文句を付けられる言われはないでしょう。あの妃殿下の母上なのですから、そこは柔軟に判断してくれるんじゃないでしょうか」
「そうですね。そうだと信じたいです。……勝って終わるためにも、まず今探るべきは敵総督の動向です。相手の動き次第では、政治的な行動より軍隊の運用を優先することもあるでしょう。もっとも短絡的で、手っ取り早い悪手を取ってくれたら、私としても助かるのですが」
どういう意味か――と、クミンが聞いてくる前に、私室の扉が開けられた。
ノックもなく、ぶしつけな行動が許されるのは、ただ一人。クッコ・ローセ以外にはいない。
「ノックもなしに、すまんな。危急の報ゆえ、そこは許せよ」
「はい。聞きましょう」
「……クミンもいたのか。お前、昼間から盛るつもりでここに来たんじゃないだろうな? だとしたら叩き出すが――いや。もしかして、良からぬことを企んでるのかね。妙に余裕のある面で笑うじゃないか、ええ?」
何のことでしょう? なんて思わせぶりな態度で、クミンはクッコ・ローセの視線から逃げた。
逃げた先には、私がいる。――私よりも、クッコ・ローセよりも、さらに早く情報を彼女が得ていたとしたら、どこから聞いたものか非常に興味がある。
しかし、今は報告が先である。私は危急の報とやらを、まずは把握せねばならない。
「クミンのことは後にして、言わねばならないことがあるのでしょう? ……どうぞ」
「そうだな、すまん。――西方へ交易に向かった商隊が略奪された。今度は東方会社じゃない、ドヴールの一般商人が、件の総督の毒牙にかかったわけだ」
「なるほど? 悪あがきに近いですが、ドヴールへの圧力としては存外悪くない。敵総督殿は、あれで単純な馬鹿でもないらしいですね。どうせ懲罰が避けられないのなら、共に地獄に引きずり込んでやりたいのでしょう。あわよくば、この被害をもって、こちらから譲歩を引き出せるかも――なんて、考えてるかもしれません」
想定の中では、対処が簡単な方である。再度殴り返して、力の差を思い知らせてやればいい。
ドヴールの用心棒が、どれほど苛烈な手合いであるか。アピールするいい機会だった。
「とはいえ、気分はよろしくない。あちらに次の手を打つ余裕を与えるのは、やはり好みませんね。……性に合わないことをやっている自覚はありますし、我慢も続けるとそれ自体が弱みになる。相手が雑な攻撃に出てくれたからよかったものの、これが要人の暗殺とか交易路の破壊とか。こちらの手が届きにくい部分を攻めてきたら、エライことになってたかもしれません」
さりとて、自分の方針が間違っていたとも思わない。これは、あちらの焦りだ。焦りからの行動ゆえ、短絡的な行動に出たと考えられる。
敵総督としても、ここで意地を見せずに逃げ帰ってしまうと、派閥内で舐められる。返り咲くことすらできぬと、思い詰めているのだろう。
まるきりの馬鹿ではないにせよ、敵に回した相手が悪かったと思ってもらおう。それくらいには、私も不快に感じていた。
「やり返しにかかるか? いいぞ、モリー。後先考えない馬鹿をやったのは、あちらが先だ。準備だけは整えてあるんだから、少しくらい殴ってもいいだろう」
「……それはそれとして、略奪の規模はどれくらいですか? あちらがどの程度の予備選力を残していたのか、多少は予測も立てておきたいので」
「そこなんだが、ハッキリとはわからん。――が、襲われたのは小規模の商隊ばかりだ。百人を超える大所帯はやられてない。獲物をほぼ逃さなかった前回ほど、行為も徹底できていない様子でな、生存者も結構多いらしいぞ。証言はまだまとめ切れていないが、すぐに詳細な報告があがってくるはずだ」
そうなると、後の問題は被害の程度だった。損害が大きい様子であれば、それとなく援助するという手もある。
東方会社と関係がなくとも、同じ都市の同業者だ。気にかけてやる理由はあるし、恩を売るタイミングとしても悪くはない。
私がそう思って、クッコ・ローセに問おうとした時、クミンの方から切り出してきた。
「ああ、私からも良いですか? その件で、ちょっとお耳に入れたいことが幾つか。……襲ってきた兵は、傭兵が主体です。なので騎兵の数はごく少なく、物的被害はともかく死者はあんまりいません。兵力は千を超えることはない、とも聞きました。それに、その傭兵も東方出身で固められてはいますが、各自バラバラに動いていて統率もあまりとれていないようで。……追い散らすだけなら簡単ですが、根絶するのはかえって難しいらしいですよ?」
クミンが流してきた情報は、真に私が求めていたものだった。それを聞いたうえで、クッコ・ローセが補足するように言う。
「そこのそいつが何で知っているかはともかく、修正を一つしとこう。『傭兵』じゃなくて、『盗賊』だ。少なくとも、私はそう定義した。モリー、この意味が分かるな?」
「はい。雇われた破落戸どもは捕虜にしない。貴女は彼らの首を荒野に打ち捨てて、その存在に汚名を塗りたくることに決めた、と。……私も、その意見を全面的に肯定します。それはそれとして、なんでクミンが知ってるんでしょうね? 本当に」
クッコ・ローセが危急の報として、今私に知らせてきたことを、クミンはあらかじめわかっていたことのように話した。
これは、捨て置くには難しい問題である。当然、種明かしはしてくれるのだろうと、期待をもってクミンを見つめた。
「物欲しそうな顔で見られるのも、悪くないですねぇ。――次のプレイは、そうした趣向もいれましょうか?」
「はぐらかすなよ、クミン。軍事上の観点から、情報の漏洩には気を使いたいんだ。どこでどうやって、その手の話を仕入れてきたのか。包み隠さず、正直に言えよ」
クッコ・ローセにすごまれては、クミンとて折れざるを得ない。わざとらしく、肩をすくめてから彼女は言った。
「念を押されなくとも、嘘なんて言いませんよ! ――正直に言えば、ほとんど偶然みたいなもので、自慢なんて出来やしません。色街って、いろんな人が利用するんです。で、私は新参ですが、それなりの『顔役』とはつなぎが取れまして。そちらの伝手からの情報ですね、はい」
モリーさんには、くれぐれもよろしく、なんて言ってました――と、付け加えるようにクミンが言う。
彼女から聞いた顔役の経歴が正しければ、東方辺境の商圏に多大な影響を持つ、裏稼業の元締めに近い存在であるらしい。……どう考えても盛っているだろうから、真面目に考えすぎるほうが馬鹿らしいと思う。
顔役の存在については、ぶっちゃけ怪しいが――こちらに直に話を伝えず、クミンをつなぎとして使うことを選んだ相手だ。
慎重な立ち振る舞いをしたいというのなら、今はその意思を尊重しようと思う。
「謎が解けた、と単純に納得できる話じゃないな。その顔役の意図は何だ。こちらに情報を伝えたかったのはわかるが、こいつを選んだせいで色々台無しじゃないか? わざわざ思わせぶりな態度をして、伝えるのを遅らせたろ? ……私を待って、事態が動くのを見届けて、初めて口を開いだ。積極的に自分から話さなかった辺り、お前もなかなかの奸物だよ」
「誤解されたくないので、これも本心から言いますが。――私としては、定かならぬ情報を伝えたくはなかったのです。なので、実際の襲撃の報告を待ちました。その上で発言したのは、こちらの情報が役に立つと確信できたから。……そうであればこそ、追加で情報の開示も出来るというものです」
容易に明かさなかったのは、この情報があったからだと、クミンは言う。
そこまでのものなら、こちらとしても拝聴したい。私は無言で頷き、先を促した。
「モリーさんに伝えるべき話として、さらにもう一つ。敵は一人ではない、という話です。件の総督の上役、その派閥そのものに対抗する手段がなければ、結局は守勢に回らざるを得ない。……東方の支配階級と言うか、知識人や名士たちは、面子を西方人以上に重視します。こちらが一方的に打ち負かしてしまっては、敵側の派閥そのものを敵に回しかねない。そうなれば、政治的な問題は絶えず噴出し続けるでしょう。――モリーさんとしても、それは不本意な状況だと思います」
「だから、色々な手段を講じています。中央政府への工作はその一環であり、宰相殿へ個人的な伝手を作ろうとしているのも、そのためではないですか」
「はい。そこは理解しています。しかし、現実的には敵総督の身柄が必要で、現状はそこまで進んでいない。――もちろんモリーさんのことですから、失敗するとは思っていませんが、労少なく確実に成果が得られるなら、そのほうが良いはずです……よね?」
クミンの言い方は、いかにも意味ありげで。その意図するところがわかるだけに、不可解でもあった。
「まるで、解決策をあらかじめ用意している、と言わんばかりの言い方ですね? クミン。貴女にはそこまでの力も権限もないはずですが」
「用意したのは私ではなく、話を持ってきた顔役の方ですけどね。……率直に申し上げるなら、敵側の総督は政治的な失策を続けています。面子へのこだわりがあるから、強硬策に固執しているのでしょう。――先の失敗に懲りず、総督殿は再度軍隊の動員を試みているようですよ? 今度は自らが統治する都市で徴兵を行っており、それは商隊への襲撃などと言う規模でなく、もしかしたらドヴールに突っ込んでくるつもりかもしれません」
敵総督は、ドヴールに面子を潰されたため、軍事的勝利を欲している。とにかく勝てば取り繕える――というのは一面の事実でもあるから、相手が固執するのも無理はあるまい。
ブラフではなく本気でやっているとしたら、それはそれで望むところだ。あちらが落ち度を重ねる分には、一向にかまわないんだよ。
「現実的な手段とも思えませんが、まあ敵総督からしたら、無理を通す必要性があるのはわかります。――それでクミン。その対策とやらについて、詳細を聞きたいのですが」
「単純ですよ。敵総督が統治している都市まで、モリーさんが出向けばそれで済みます。――簀巻きにして放り出してやるから、適当に捕虜にして処分すればいい。顔役は、そう言っていました」
軽い口調のまま、クミンはそう言った。言った後で、『信用するにせよしないにせよ、やっぱり軍隊を引き連れていって、脅す形くらいは取ったほうが良いと思いますけど』なんて見解も述べる。
「それはまた、豪快なことで。信用できるなら、これ以上ないほど形で勝利できるのですが。……怪しまない方がどうかしている」
「そうだな。簀巻きの総督をおとりにして、こちらを奇襲するつもりかもしれん。のこのこやってきたモリーを逆に捕らえてしまえば、あちらは無条件で勝利したも同然だ。早々簡単に逆転は起きないだろうが、万が一の場合を考えるとな。……お前がいない東方会社は、まとまりを欠くことになる。正直、想像したくないぞ」
クッコ・ローセはもっともな意見を出したが、私が一番危惧するのは『本当に言ったとおりになった場合』だ。
顔役の提案に乗っかって、そのまま勝利した場合。私は姿の見えない、難しい相手を懐に抱かねばならない。
見返りを要求されたら、突っぱねられない立場に追いやられてしまう。――東方会社の権益を奪われる結果になりかねないと、まず私はそれを危険視した。
顔の見えない相手に貸しを作ることは、それだけ恐ろしいのだ。
「無視しましょう。――ドヴールの商工会の方が、利益が明確な分、扱いやすい。見知らぬ顔役などよりも、頼るとしたら、まだそちらの方がいいでしょう」
「といって、連中がこれ以上私たちに肩入れしてくれるでしょうかね? ……ああ、実際に被害が出てしまったから、一応は協力する名分もありますか」
「クミン。今回の件に関しては、これ以上商工会を当てにはしません。あちらはあちらで、政治力を存分に発揮するでしょう。……金だけは有り余っている様子ですから、ドヴールの権益だけは、どう転がっても確保しますよ」
そういう自助努力だけは期待しているが、逆に言えばそれ以上のものを私は必要としていないわけだ。
……自前の武力でごり押して、どうにかしてみよう、なんて思っているので、我ながら進歩のないことだなぁと呆れてしまうけれど。
「で、モリーはまだ静観を続けるつもりか? 面倒事は斬って捨てたい――そんな私の気持ちを、お前は理解してくれてると思いたいが」
「ええ、わかっています。軍を動かすタイミングとして、今は悪くありません。……顔役の話を真に受けるわけではありませんが、敵総督を排除する動きが見られるのなら、ちょっとつついてみるのもいいのではないかと」
「お前のちょっと、は信用できん。具体的に言ってみろよ」
「……私自身が単独で、敵総督が統治する都市に潜入してみる。これも一手ではあるでしょう? 男装すれば、まず見分けはつきませんし。特殊部隊で培った技能を総動員すれば、一定の成果は見込めると思うんですね」
幸運に恵まれれば、単独潜入からの敵総督の拉致とか、オサナ王子の時の再現が叶ったりするかもしれない。
過剰な期待は禁物だが、それでも確かな情報を得ることはできるだろう。私自身が乗り込むという手は、そこまで悪くはないと考えているのですね。
「……危険だぞ」
「承知の上です」
「リスクとリターンが釣り合わないと思うが?」
そこを言われると、確かにそれはそうなのである。でもあちらの急所を探れるものなら探っておきたいし、情報をよこしてきた顔役殿の話がどこまで本当なのか。これも実地で確認したいところなんだ。
「それにな、お前だけが楽しむとか不公平だぞ。こっちにも、美味しい所をよこせと言っている。……以前から私たち抜きで盗賊どものねぐらに突っ込んだり、あれこれと悪い遊びをしていただろうが。これ以上は容認したくない。ザラとメイルがこの場に居ても、同じようなことを言うぞ」
「そう言われると……私としても、難しいですね。ええ、わかりました。ここは、私が折れましょう」
クッコ・ローセもクミンも、それなりに顔が売れている。素性が割れている以上、潜入任務には不向きだろう。
だから、あちらの様子を探る手段としては、顔が割れていても問題なくて、荒事と諜報の分野において成果が期待できる人物を送らねばならない。
私も皆も駄目となると、人員は限られるが――ちょうどいい奴が、一人いる。……結果的にではあるけれど、頭目の男に教育を施しておいたことが、ここで決定的な効力を持つことになった。
「盗賊の元頭目で、今は商人として教育している男がいます。そいつなら、仕事を任せても不安はないでしょう。――少なくとも、私が勝っている間は従ってくれますので、ここは便利に使ってやりますか」
「……へえ、お前にも使い勝手のいい駒があったんだな。ちょっと嫉妬しそうだぞ」
「ご冗談を。――今は適当に使えますが、将来的には独立するであろう手合いです。いつまでも信頼できる男でもないので、クッコ・ローセとは比べられませんよ」
彼とて、いつまでも私の駒ではいてくれぬと思うが、今回は利害が一致する。地位と名声をおまけに付けてやれば、快く引き受けてくれるだろう。
……クミンの方は、さっきから面白くなさそうな顔をしているが、勘弁してほしい。この辺りが、私の器の限界なんだ。ご機嫌取りはするから、許したまえよ。
「クミンとは、また別に遊ぶ機会を設けるとして。――クッコ・ローセとは、近いうちに一緒に楽しむ機会があるでしょう」
「頼むぞ。私はそんなに我慢強い方ではないからな。……まあ、モリーのことだ。心配はしていないがね」
クッコ・ローセからの信頼が重い。彼女の期待に応えるのもそうだが、クミンも難物だ。言質を与えただけでは満足するまい。
まったくもって、家庭の維持は悩ましい。まったく嫌ではないし、苦労もまた味であると理解はしているものの――荒事が控えている現状では、どうしても及び腰になってしまう。
無理のない範囲でサービスしていくとすると、今できるのはこれくらいか。
「勝負を急がねばならぬのは、敵の方。あちらの出方を伺いつつ、数日は暇つぶしでもするとしましょうか。……さしあたっては、そうですね。捕虜から聞き出した、連中の野営地でも見学に行くとしましょう。大方は引き上げているでしょうが、何かしら残っているかもしれませんし」
「こちらの調査能力を舐めて、使い続けているようなら皆殺しにしてやればいい。単純な話だな」
クッコ・ローセは、案外乗り気だった。ご機嫌とりの手段としては正解であったらしい。
クロノワーク騎士の殺伐さを甘く見ていたわけではないが、これは心配すべきところなのだろうか。
呆れたように、クミンもそれは指摘してくる。
「――おお、こわいこわい。盗賊だか傭兵だか、あるいはどこかの兵隊かは知りませんが、お二人を敵に回すことになるなんて、運の悪い連中です。クロノワーク騎士を甘く見るということは、こういうことなんですから! 東方でもきっと、噂になりますよ。……いい意味でも、悪い意味でもね」
彼女が言うように、自分が背負うと決めた人たちは、一筋縄ではいかない方々で。
むしろ、自分の方が負担になっているんじゃないか。彼女らの幸福のために、何かができているのだろうか――なんて。今更な疑問さえ浮かぶのです。
「クミンにも、クッコ・ローセにも、苦労を掛けます。……悪い亭主で、すいません。この騒ぎが収まったら、絶対にお返しをしますから。ですから、いましばらくは、共に歩んで頂けますか……?」
余計な言葉だった。言ってしまってから、ようやく気付くような。そんな己の愚鈍さを嫌悪しつつも、二人は決して馬鹿にすることなく、私と向かい合ってくれる。
「いつもの弱気が出たな。お前らしいというかなんというか。――心配しなくとも、心中してもいいくらいには、お前に賭けているよ」
「そういう訳なんで、しゃきっとしてください。どうせ、お互いに一蓮托生なんです。負けるつもりもないくせに、弱音を吐くのはやめてもらえますか?」
「……クッコ・ローセはともかく、クミンは辛辣ですね」
「夜の閨でなら、いくらでも甘やかして差し上げますよ。でも、モリーさん。実際は勝つための道筋は見えてるんでしょう? 私は背中を押すくらいのことしか、できませんから」
だから、あえて厳しく言いました――だなんて、クミンは言う。
そんなだから、私も奮起できるのだと思えば、確かに彼女の言葉は的確だ。
「そうだな。クミンはそれくらいしか出来ん。戦場で共にあれる私と違って、こいつなりにできることをしているんだ。お前は、それを素直に評価してやらねばならんぞ」
「恩着せがましいですよ、教官殿」
「いいじゃないか。他愛のない与太話だ。――モリー、気負うなよ。戦力的にも時間的にも、こちらには余裕がある。お前が神妙な顔をしていると、旗下の兵だって調子が狂うだろう」
だから、不遜なくらいでちょうどいいのだと、クッコ・ローセは言ってくれた、
ありがたいくらいの、気遣いを私を施してくれる。二人の思いやりが、身に染みるようだった。
負けぬために、勝つために。やれることがあるならば、徹底すべきだった。そうしてこそ、彼女たちに報えるのだと。そう思って、私は一層成果を上げることを決意するのでした――。
余裕を持って行動できる余地が、私達にあったとしても。実際に物事がその通りに、時間的な余裕を与えてくれるとは限らない。
十日と待たず、敵総督の方が動いた。――統治している都市から抜け出して、中央への逃亡を図るという。
軍隊の動員が上手くいかなかったこと。兵員の確保がままならず、地元住民の反感(これは私らも手の者を使って、随分煽った)があり、悪手とわかっていても逃げの一手を打たざるを得ないと判断したらしい。
クミンが件の顔役から、その情報をもらってきた。それだけならば、まだ疑う余地もあるのだが、こちらが潜り込ませた商人たち(元頭目の男含む)も似たような、裏付けする話を持ってきていたので、動くべき時が来たのだと理解する。
「今こそ、機ですね」
特に、絶好の機会がやってきたという確信が生まれたならば、一心不乱に行動すべきなのだ。ある程度の無理は飲み込んででも動くべき理由があるのなら、その時こそためらってはならないと思う。
執務室で書類と格闘する時間は過ぎ去った。得た情報を頭の中で改めて整理して、軍を動かすためにクッコ・ローセと打ち合わせをし、兵どもに呼びかける。
そうして出動する体制を整えたならば、目標に向かってただひたすらに駆けるだけだ。
「進発前に聞くようなことでもないかもしれんが――。欺瞞情報だったらどうする? こちらをおびき出して罠にハメる、ということもあり得るぞ」
出動直前になってから、クッコ・ローセから警告が入る。
彼女としては、今から取りやめにしろ、と言いたいわけではあるまい。勝ち戦のあとだから、気を引き締めるために言ってくれたのだろう。
ならば、私はこれに真摯な答えを返さねばならぬ。死地を共にする妻に対して、それが私の義務だと思うから。
「クッコ・ローセの疑問はもっともですが、そんな手間をかけて我々を殲滅しても、敵総督の政治的危機は変わりません。――中央から懲罰の要請が出ていて、それを大々的に返り討ちにしたら、『翻意あり』と本気で見なされる。失点を取り返す前にそんなことをしたら、反乱者として討伐対象になることさえ、ありえるかもしれない。……そんなリスクを、あちらが犯すとは思えません」
そして、リスクを省みない馬鹿であれば、そもそも罠にハメるという考えそのものが出てこないはず。
今さらでも自発的に中央に出頭すれば、自分の上司なり基盤となる領地なりをアテにして、失敗を取り繕う余地が生まれる。そうした判断ができる時点で、こちらを殴り返す意志は消えたと見るべきだった。
「後は、まあ、単純に。今を逃してはならぬ、という強迫観念に近い何かが、私を突き動かしている部分がありますね。……結局のところ、決断の根拠は、私個人の勘働きに過ぎないということです。幻滅しましたか?」
「いいや? むしろわかりやすくていい。――今回は、私も共に出るぞ。一緒に楽しもうじゃないか」
私たちは兵を率いて出動するが、これは逃げを打った敵総督を補足し、捕縛することを目的としている。
街中ではなく、外であれば多少の荒事は日常茶飯事。ちょっと前のアレコレもふくめて、東方の社会を騒がせるような事態にはなるまい。
敵兵力は千を下回る程度と聞くから、こちらも騎兵を千ばかり率いていけば、それだけで負けはない。そして、遭遇戦で騎兵で蹂躙することが叶うならば、戦いそのものは小規模で治められよう。
中央政府も、これくらいなら許容する。……もっとも、戦場に絶対はない。
思わぬ反撃を食らうやもしれず、これを共に楽しもうと言ってのけるクッコ・ローセは、実にクロノワーク騎士の鑑であると思う。
「急いできたから詳しい情報は聞いていない。その上、状況は流動的だ。モリー、相手を取っ捕まえる算段は出来ているよな?」
「はい。うちの手の者が、あちらに張り付いて随時伝令を送ってくれています。諜報部隊は念入りに育てましたし、敵総督は素人。――まず、逃がすことはありません」
部隊を率いて、ドヴールを出る。そして私とクッコ・ローセを先頭に、我々は敵総督の足跡を追った。
騎兵のみの簡易な編成だが、今回はこれで足りる。あちらは苦し紛れに逃亡を図った形で、手札も割れている。この上で敗北したり、取り逃した利する余地はなかった。
だから補足した後、適当に蹴散らして身柄を確保したことは、驚くようなことではなく。
しかし、順調なのはそこまでであったのだと、後年私は回想することになるのでした――。
念入りに諜報網を作り出し、相手の焦りに付け込んで速攻をかけた結果、ようやく盤面を詰ませることに成功したものの。政治的には、これからが本番であると思うのです。
野戦は敵を騎兵で蹂躙する結果に終わり、被害は最小限で敵総督の身柄を抑えられた。結局、彼は逃亡して望みをつなぐことすら、敵わなかったことになる。
周りを取り巻いていた破落戸たち――その首は荒野に打ち捨てられ、今頃はカラスか野犬の餌になっていることだろう。
とりあえず敵総督を確保できたので、これから護送するためのルートを算定し、彼の身柄を宰相殿へと献上しなくてはならない。
目論見通りに点数稼ぎになってくれるか、こちらの下心を理解してくれるかどうか。大事なのはそこだが、私はもう心配していない。
ドヴールに帰還して、護送の段取りを組むのに数日費やしつつ――その間に宰相殿から、書状の返事が来たからだ。
内容はと言えば、宰相殿はこちらの言い分をほぼ完全に飲んでくれた。
敵総督の身柄を引き受けるから、司法的な手続きはそのまま踏んでくれていい。その過程で使いをやるから、その者に囚人となった総督の身柄を引き渡すように――とのこと。
首都までの護送の道のりは手間だが、それくらいの苦労で済むならば僥倖である。
あちらにはあちらの思惑もあろうが、流れに乗ってくれたのはありがたい。身柄を引き渡す部隊には、私も同行しようと思う。
私は特に、東方文化への理解があることで有名になっているらしいのだ。評判を維持したいなら、自ら赴いて配慮をする姿勢を見せねばならぬ。
風評というものは馬鹿にならないし、せっかく努力して作り上げたものを壊すのはもったいない。
だから、宰相殿と対面して交渉する機会があったとしても、相当な部分を譲ることになるだろう。私個人の裁量で済む範囲であれば、それは構わないと思う。
なにより私個人が出向くことで、あちらからも要望を出しやすい環境を整えたいという事情もあった。
私自身、東方会社の代表としてここにあるのだから、一気に事を進めても良いはずだ。東方国家の宰相、その個人的なパイプ役となれるのなら、これは破格の話であろう。
「だからといって、ここまでとんとん拍子に話が進むと、それはそれで後が怖いと思うのですね。……私などには及びもつかない陰謀が進行していて、こちらはそれに乗っからされているだけなのではないかと、そんな不安を抱いたりもします」
「といっても、こちらから持ち掛けた話だ。今さら中央政府の要請を断ることも出来まい? 臆することなく、やりこなして見せろよ。一家の主として、それくらいの仕事はやってくれねば、妻たちに不幸の皺寄せがくるかもしれんぞ?」
「――お任せください。そこまでクッコ・ローセに言わせたならば、不安にあえいでいる暇などない。確実に、成果を出してごらんに入れましょう」
戦後処理の一環だが、敵総督の身柄を護送する段取りをさらに慎重に整えつつ、中央政府への先触れも遣わして、着々と段階を踏んでいく。
書状の返事が異例と言っていいほどの速度で返ってきたことは、どうも最後まで頭に引っかかっていたのだけれど。それ自体は好ましいことなので、今は深刻に考えないことにした。
「弱気になっているのは、まあ仕方がないとご理解ください。真面目に中央政府の謀略が入ってるんじゃないかと疑いたくなるくらい、こちらに都合がいい方向へと転がっています。……ええ、都合が良すぎる。交易による収益は、西方が上回っている。貿易赤字を積み重ねているのが東方の現状であるのに、この上さらに便宜を図ろうとする。中央政府の意向がどんなものなのか、確認せずには帰れませんよ」
「おかげで、お前自身が東方の首都に出向いて、長期滞在する予定までできてしまったわけだな。……見込まれていると思えば、そう悪い流れでもあるまい。私もついて行ってやるから、元気出せよ。クミンの奴は、ドヴールへの最低限の抑えとして、残しておかねばなるまいがね」
「抑えと言うか……連絡役、としてですがね。彼女なりの生き残り方ではあるのですが、方々に人脈を作りつつ、西方と東方の連絡網も整備してもらっているわけで。武力以外の方面では、彼女も立派に東方会社の重役と言えます」
「私としては、あの女が社会的に大きな立場になりつつあることに、ひどい違和感を覚える。……本当に大丈夫なんだろうな?」
とんとん拍子に物事が動いてくれたのはいいことだけれど。おかげで引継ぎのための書類仕事に、さらに数日は忙殺されることになってしまった。
国元のザラやメイルに言い訳の書簡も、追加で書かねばならないわけで。これは結構な負担になってしまったなと、やらかした後で気付くのです。
「出発前にあれこれ言うのは無しですよ。……そうでしょう?」
「そうだな。私だけでも付き添えるなら、まあ文句を言う筋ではあるまい。後方にも信頼できる指揮官も育ったところだ。軍事的な見解を述べるなら、二、三か月程度なら留守を任せても大丈夫だろう。――不安はあるが、致命的な事態になる前には戻れると、それくらいには信じられるとも」
クッコ・ローセがこんな大事な部分を甘く見るとも思えないので、その発言には説得力があった。
私はそれを信じたし、彼女の信頼に指揮官たちも見事に答えてくれたようで。
私たちが敵総督を護送する段になったら、見事な部隊運用で、見送りのパレードをやってのけてくれた。
「元は東方の貧民か傭兵が、随分と立派に育ったものです」
「苦労したぞ。私でも二度とはやりたくない仕事だった。……まともにはなったが、まだまだ鍛える余地はある。帰ってきたら、またしごいてやろう」
踏むべき手続きはすべて行い、万端の準備を整えた。その間、取っ捕まっていた総督自身の心情については、色々とお察しする。
本当はこちらで尋問などもしておきたかったのだが、少しでも手を付けると後が怖いような気もする。なので、結局彼個人には何も触れることなく、このまま護送される運びとなった。
飢え凍えたり、身支度をする余裕もない――というほどひどい扱いはしていないし、囚人用の首枷足枷も免除しているのだから、それで納得していただこう。
ただ、護送の為に囚人用の車には乗ってもらわねばならない。不名誉なことだが、誰がどのような形で送られるのか。はた目にも明確にわかるようにしておけねばならないんだ。
――そうして、出発当日を迎え。私達は、敵総督を護送する旅路へと向かった。
中央政府のある首都への道のりに不安はない。流石に東方国家も、首都に繋がる国道の維持をおろそかにはしない。
治安も保たれているから、行きかう馬車も品が良い連中がそろっている。西洋の軍隊が通りがかっても、遠巻きに眺める位で絡んでくる馬鹿に困らされることはなかった。
ただし、それは首都にたどり着いた際、スムーズに事が運ぶことまで保証しない。
政治的な問題は常に個別の案件であり、あれが上手くいったからと言って、これも上手にさばけるかといえば、そうなるとは限らないもの。
関所を通り抜けて、実際に首都の街並みを目にした時は、懐かしさと物珍しさが入り混じった気持ちに浸りかけたが、個人的な感情にかまけてもいられない。
東方文化が咲き誇る都を、囚人を伴う護送車と共に進む。正規の手続きを踏んでいるから、好機の視線にさらされるだけで、我々は順調に目的地へとたどり着いた。
「首都にたどり着いたが、司法機関にすんなり引き渡す、という手順ではないのだろう? 肝心の宰相殿の伝手によると、仲介に手の者をよこすという話だったが――」
「そこは問題なく、先触れを出していますから。……しかし、宰相殿と面識があるわけではありませんし、こちらは利用される側と言っても過言ではないわけで。最悪、引き渡したら即とんぼ返りもあり得るでしょう。本当に、最悪の場合ですがね、これは」
そこまで悪い待遇にはなるまいと思うが、過剰な期待もここでは無用であろう。
あちらがこちらの話に乗った時点で、最低限の意思の疎通は計れているのだ。ここからは純粋に、お互いの欲望にどうやって折り合いをつけるか。おそらくは、そういう話になる。
「先触れも含めて、根回しはある程度、事前にやっていますが。さらに念のため。――宰相殿の屋敷に、連絡を回しておきましょう。確認はしつこいくらいにやった方が、かえって相手の疑念は薄れるものです。……我々は無法者ではないのですから、お行儀よくやっていく意思くらいは見せなくてはね」
とにかく、こちらはこのまま司法機関へと向かい、そこで引き渡しの為の手続きを踏むことになる。東方における公共機関の手続きは煩雑なものが多く、時間もかかることが多い。
特に、敵総督は名士階級であり、れっきとした正規の高級官吏である。尋問にも気を遣う相手だから、現場の獄吏が即座に受け入れをするわけにはいかない。
まずは上役に許可を取り、尋問を行うための書類を作成する。それから宰相殿の元に持っていき、朱印を入れ、恐れ多くも皇帝陛下の裁可を仰く。
すべての態勢が整って、獄につなぐのはそれからのことになるのだという。実際に手続きをした印象としては、これなら確かに宰相殿の手が届くし、司法機関との折り合いもつくだろうと納得した。
迂遠に過ぎる気はするが、それが東方国家のやり方であれば、部外者が口を出すのも無粋である。
高級官吏の処分はそれだけ面倒くさいもので、諸々の調整を含め、数日の間はこちらで囚人の管理を続けることになった。
それ自体が不名誉の上塗りであり、犯した罪に対する罰にもなるのだから、東方社会もこれで結構上手に出来ていると思う。
こちらとしても、ここで出来た時間を使って、宰相殿と打ち合わせを行う余裕ができるのだから、煩雑な手続きも一長一短と言ったところか。
「流石に直接面会してどうこう、という形式にはなりませんか。こちらが仲介者の元に出向いて、そこで話し合いをしたいそうです」
宰相殿から返答が返ってきた。
事前の打ち合わせ通り、仲介者を通しての相談という形になる。内容については、今護送している敵提督の処遇――つまりは、いかにして八方丸く収めるか。
派閥間の調整と、私達東方会社との折衝が主な議題となるだろう。
ここでも強調すべきは、どんな話し合いが行われるにしろ、法を犯すわけではない、ということ。
あくまで宰相殿の権限で、司法の判断を遅らせる手続きを取って、慎重な判断を下す。
そのための時間を利用して、私達と宰相殿の間でコンセンサスを取っておくのだ。これだけならば、誰が損をするという話にはならない。
「だろうな。――しかし、私は行けんぞ? 護送車は適当に宿舎の横に付けておくが、こちらの人員は休ませてやりたい。私が見張り兼護衛を担当するつもりだから、今日は不寝番だ」
「はい、お任せします。……しかし、クッコ・ローセも、無理をしてはいけませんよ。身内を始末しにかかるような派閥ではないと思いますが、総督は今微妙な立場に居ます。命さえあれば、それでいいとお考え下さい」
「護衛は私だけじゃないし、統率しているのは私が鍛え上げた部隊だ。無理をしないでも、隙を突かれるようなヘマはしないさ」
クッコ・ローセから背中を押される形で、私は交渉の場へ出向くことになる。
会場は事前の打ち合わせに従い、首都でも有数の料亭になっていた。今更東方文化に驚きはしないが、雰囲気だけでも豪勢な環境は、これで結構迫力のあるものだった。
中華的な世界観に親しみはあるし、理解もある方だと思っていたが、こちらの世界のそれは微妙に西方の文化が親和していて、趣があるというか――。
まあ、簡単に言うなら『見事』と感嘆するほどの芸術性にあふれていたのですね。
「この料亭は、首都でも随一の美食と景観を提供することで有名だ。――お気に召したかね? モリー殿」
「この上なく堪能させていただいておりますとも。……貴女が宰相殿の懐刀であると、そう理解しても良いのですよね?」
以外にも、現れたのは妙齢の、しかも麗しい女性だった。
状況が状況だけに、実務に向かない相手が来たとも思われぬ。宰相殿の情婦であるはずはないのだが、余計な勘繰りが頭をよぎった。
「不思議かね? ――おおかた、私が若すぎることに疑念を抱いたのであろう?」
「率直に言うならば、そうです。しかし、私も同じ女性でもありますから、そこで不安は感じておりませんよ。……ただ、何かしらの意図があるものとお察しします。違いますか?」
「ほほ。西方の騎士殿は、察しが良い。――保証できることは、最初に言っておこう。私の言葉が、宰相殿の言葉であると、そう認識してくれても間違いではない。私に決定の権限があるわけではないが、私の意見を宰相殿が無視することはない、とも言っておこう」
「それはまた、結構な地位にあるのですね。いささか、驚きました」
東方では、地位の低いはずの女性が権限を持ち、この場に居る。
これだけでは宰相殿の意図が読めないが、おそらくこれは重要な事なのだ。改めて、彼女の言動を注視しなければならぬと、気を引き締める。
「さらに言うならば、東方辺境での『顔役』でもある。……私からの厚意を無下にしたこと、覚えているよ。クミンに情報を与えたはずなのに、モリー殿はこれを無視された。私は面子を潰されたと思ったよ」
到底聞き逃せぬ言葉が、彼女の口から飛び出してきた。それが正しいとするなら、最初から宰相殿は私達をひいきするつもりで、敵総督を陥れるつもりで動いていたことになる。
「ご厚意を受け取れなかったことは、申し訳ございません。しかし、こちらも多くの責任を負っている立場にあるものですから。――厚意にタダ乗りするよりは、自ら状況を動かして、勝利を勝ち取りたかったのです。騎士の意地と言うことで、どうかご理解ください」
「戦場で武名を勝ち取った、モリー殿のお言葉だ。……勝った後でケチを付けるのも、はしたない行いであったな。貴女の言い分を認めよう」
とりあえず、空気をやわらげるつもりで、当たり障りのないことから話題に出してみよう。
案外、関係ないと思われるようなことから、新たな視点が得られることもあるものだ。
「お互いに理解が進んだようで、なによりです。……しかし、女性が東方社会の上流階級に君臨するのは、難しいと聞いていました。その若さで辺境の顔役になれたということは、相当な苦労を重ねてきたのでしょう?」
「ああ、それは正しい。だが、辺境においては女系家族が上流を占める割合と言うのも、結構大きいのだよ。――もしかして、これは初耳だったかね?」
「ええ、客家は男性が優越していると聞きましたし、懇意にしている女商人も、男にはよく煮え湯を飲まされたと聞かされましたから」
ここは正直に言う。目の前の女性が、いかなる身分であり、どんな意図を持たされて、ここにいるのか。私は、それを探らねばならないのだ。
「場所が変われば、法も変わる。習慣や風俗などは、言うまでもあるまい? ――これからは、その手の既成概念を改めるとともに、建設的な話し合いができるものと期待しよう。何しろ、お互いに女同士なのだからな?」
「女同士だからと言って、油断できるものではありませんが――まあ、いいでしょう。それこそお互いに、損になる話はしない。それくらいは、信頼したいと思っています」
「相互互恵こそ、長期的な利益を保証するものである。友好的な関係を築きたいという想いは、共通しているよ。……そこは、疑いを持ってほしくはないが」
猛禽のごとく鋭い目が、私を射抜いた。――彼女は才気にあふれた女性らしく、気が強く有能であるらしい。
シルビア妃殿下を相手にしているつもりで、相対せねばならぬか。そうした覚悟をもって、私は言葉を返した。
「ええ、ええ。信頼していますよ。――では、肝心の交渉を始めましょうか。貴女のことは、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「個人的な名を伝える許可はもらっていない。正規の役職も得てはいないから、単純に『仲介者』でも『連絡係』でも結構。……ああ、西方ではどんな言い回しが適切なのか、わからない部分もあるゆえ。そこは、ご寛恕いただきたい」
「それこそ、お互い様でしょう。私の方の無作法も、大目に見てください。それでお相子と言うもの。――貴女のことは、『顔役殿』と呼ぶことにします。それが適切な距離感であると思いますが、いかがでしょう」
「大変結構! お互いに異存がないのであれば、さっそく始めようか。総督殿も、あまり長いこと晒し者にはなりたくあるまい」
ここで本格的な話し合いが始まるとともに、ここでの交渉の決着こそが、東方での私の実績に多大な影響を及ぼすであろうことを。
私は否応なく、理解せざるを得なかったのです――。
次回作は、半年くらいで完結するような短編でも書いて、気分転換してからまた長編に挑戦しようか、と考えています。
終わりが見えているせいか、気移りしがちですが、まずはこの物語を結末まで持っていくことに集中しなければ。
よろしければ、また次回もお付き合いください。