はい。
案の定、一話では収まりきらないという結果に終わりました。
いつも以上に長い話になりましたので、二つに分ける形になります。
色々と雑なお話ですが、ここまでお付き合いいただけた読者様であれば、暇つぶしの読み物として、最後まで目を通していただけるのではないか……なんて。
そんな風に考えるところまで、ついに来てしまいました。ご期待に添えられる出来になっていれば、よろしいのですが。
クロノワークへの帰還休暇は、当然のように短期間で終わってしまった。
毎夜妻たちのベッドに引きずり込まれる日々は、とても得難いものではあったけれど。
私たちは、現実と戦わねばならない。――特に、放置できない大きな存在に対して、私は対決せねばならなかった。
この期に及んで、言葉をぼかす必要もなかろうが、シルビア妃殿下とは、ここらで一定の決着をつけるべきである。
ゼニアルゼへは、王妃様と共に向かうことになった。妻たちは残していくが、東方の首都で感じたような疎外感はない。
馬車から見る風景は、かつてのものと変わりはなく、活気にあふれた市場と人々の騒がしい声が耳に届いてくる。何度も来たことがあるせいか、ゼニアルゼの変わらぬ様子は私を安心させた。
「モリーには、感慨深い所でもあるのかな? 以前、派遣されていた時期は市場にもよく行ったのだろう?」
「ええ、ご存じの通り。……兵の調練の片手間に、ゼニアルゼの物価と流通の頻度を調べたものです。この仕事を請け負ったのは、私だけではありませんし、シルビア妃殿下はそれも織り込み済みだったのでしょうが」
わざわざ語るようなことでもないのだが、奇妙なほどに懐かしさを感じた私は、口も軽くなっていた。
王妃様も、そうした私の感慨に付き合って、話題を広げてくれた。
「うむ。クッコ・ローセにもメイルにも、ゼニアルゼに行ったときは市場調査をさせている。経費の名目で、いくらかの商品の購入も認めてやったものよ。――多少の役得がなければ、こういう仕事は面倒なだけじゃからな」
「役得と言っても、結局は消耗品の購入にあてられるものですから、風情も何もないわけでして。……そんな過去と比べると、今は恵まれていますよ。私も、クロノワーク全体も」
「二、三年前とは大違いよの。……貧しい時代は、過去のものにしたい。これからの未来は、よりよいものであってほしい。その気持ちは、わらわも同じ。――シルビアも、理解を示さないわけではないと、信じたいのう」
ただの雑談の範囲内であり、含むところはないはずである。しかし、王妃様の顔には憂いがあった。
シルビア妃殿下との顔合わせは久々とはいえ、無駄に緊張していく間柄でもないはず。親子関係がギクシャクしているとしても、名目自体は問題がない。
特に王妃様にとっては『孫の顔を見に行く』ことも目的の一つだった。
「今回は家族での歓談が名目であるゆえ、おぬしを割り込ませる時間は限られておる。……事前に東方会社の資料は送っておいたが、あの子のこと。どのような展開を望んでいるか、わらわには予想できぬ」
「本心はわからずとも、あのお方のこと。ゼニアルゼの権益と自身の勢力拡大については、いつでも注意を払っているはず。――東方会社の件についても、妥協と和解の余地はあると、私は考えていますよ」
別段、敵対するような理由もないし、距離が遠いとはいえ身内であることは確か。
利益が衝突する場合でも、調整のしようはあると、私は楽観的なのだが、王妃様の見解は違うらしい。
「しかし、出産を終えてからのあの子の動向は、今一つ不鮮明でな。時間はあったはずじゃが、東方に対して明確な動きはないという。……鈍ったとは思わぬが、なにか不気味じゃのう」
「産後の健康状態にも、問題はないと聞いています。シルビア妃殿下は子供が出来たからと言って、性格が変わるような方ではないと思いますが――」
「どうかな。わらわも経験があるが、子を産んだ後は、何かしらの心境の変化と言うか、感性が変わったような感覚を覚えるものよ。ただの気のせいと思って、振り切ることは出来ようが……どうかな。まあ、会えばわかる話なのじゃが」
ため息をついて、それから王妃様は沈黙した。王妃様なりに、シルビア妃殿下を気にかけているのだろう。
それが正しい懸念であるのか、ただのおせっかいであるのか。
真実は、すぐにわかる。私はただ、対面の時に備えるだけであった。
我々の馬車が門を通った時点で、ゼニアルゼ兵たちの歓迎を受けた。整列し、正装した兵と騎士の迎えと案内は、私が東方ですら経験したことのない類のものである。
東方は固有の文化で相手を圧倒するが、ゼニアルゼは費やした資金と人員、および豪勢な装備によって、相手を威圧する方式を取っているということだ。
そのまま誘導に従って進むと、ゼニアルゼの王城では、私達を歓迎する準備はすでにできていた。
私が個人でやってきたときとは、事情が違う。クロノワーク王妃が、シルビア妃殿下の嫡子にして、ゼニアルゼの王位継承者たる王子の顔を見に来たというのだ。粗略な扱いなど、できる状況ではあるまい。この大層な歓迎ムードは、それゆえであろうか。
さて、ここらで基本的な情報と向かい合おう。
まず、シルビア妃殿下の子は、姫ではなく王子だった。健やかに生まれ、疾患らしい疾患にもかかることなく、健康に生きている。
祖母となる王妃様にとって、これは幸いである。娘と孫が不幸になることなど、どうしたって受け入れられない御方なのだから。
「出迎えご苦労、大臣殿。あの子と孫殿は息災かな?」
「はい。気分が優れないことはあっても、体調を崩した様子はございません。ご心配なく」
迎え入れられた王城で馬車を下りると、すぐにゼニアルゼの大臣殿が待機していた。
王妃さまとも面識がある様子で、簡易なあいさつの後は一言二言、他愛のない話をしている。
「この度は、モリー殿もご一緒ですか。随分とまた、出世なされた。いえ、能力に見合った役職に、ようやく就くことができたというべきでしょうか?」
「あまり褒めるなよ、大臣。モリーはまだまだ若く、活躍の余地があるゆえな。――下手に驕って、馬鹿をやられると面倒じゃ。こやつには、少々辛辣に当たるくらいでちょうどよい」
「それはまた、相当気に入られたようですな。いやはや、クロノワークがうらやましい。ゼニアルゼの若手は、まだこれと言った人物がおりませんで……」
久々に見た大臣殿は、相変わらず苦労をしているようだった。シルビア妃殿下の元で働いているなら、有能な者ほど激務を負わされるらしい。
妃殿下と付き合いの長いメイルからも、アレコレと聞いているからね。この辺り、同情しないでもないよ。
「お久しぶりです、大臣殿。お忙しい中、我々を出迎えていただき、感謝いたします」
「いえいえ、私としてもいい機会ですから。……東方会社の景気はいいようで、ゼニアルゼでも頻繁に話題に上っております。個人的に興味もありますし、話を聞いてみたいものですね。難しそうなら、個人的に書簡のやり取りくらいはしておきたいのですが――」
「大臣殿、そういう政治的な話は、また今度にしてください。王妃様の御前ですし、これからシルビア妃殿下との会談がありますので」
会談の場所は、例によってシルビア妃殿下の私室である。私たちは道すがら、情報交換も兼ねて適当に駄弁りつつ、ゆっくりと目的地へと向かう。
「ふーむ。東方会社は景気が良いと聞きましたが、クロノワークも最近は国力の増大が予想されるほど、人の動きが活発だ。――将来的に、いずれもがゼニアルゼの競争相手たり得る。それを確信できただけでも、シルビア妃殿下のわがままは意味があったと思いますな」
「わがまま、か。あの子との話し合いを望んだのは、わらわの意志でもあるのだぞ?」
「わがままですとも。……なにも、一対二で会談に臨むことはない。せめて私だけでも同席を許可願えたならば、多少なりとも防波堤として、役に立ってみせるのですがね。あえて単独で立ち向かおうとする辺り、妃殿下もまだまだお若い」
片手間の雑談の中にさえ、大臣殿は鋭い言葉を投げかけてくる。
旧臣の中でも、シルビア妃殿下が排除より活用を選んだ唯一の男なのだ。容易い相手であるはずがないが、王妃様はこれを軽く受け流す。
「まさにシルビアの若さが、悪い形で出たらしい。母親たるわらわに対して、苦手意識を持っているのは確かなはずじゃが、時間をおいて楽観が勝るようになったのか。……だとしたら、どうしてあの子がわらわを嫌うようになったのか。改めて思い知らせてやるまでよ」
「――今も昔も、クロノワーク王妃は恐ろしい。私だけは、ゼニアルゼの家臣団でその危機意識を持ち続けましょう。それが、我が主君へのせめてもの情けであると思いますから」
私をそっちのけにして、二人だけでわかりあっている。そうした雰囲気に疎外感を感じつつも、シルビア妃殿下の私室へとたどり着く。
「では、私はここまでです。お二人とも、妃殿下の扱いに関してはご承知でしょうが、それでもなお慎重に振る舞うようになさってください」
「なんじゃ、シルビアの機嫌が悪い時に来てしまったのか? あの子は昔から、都合のいい時だけ良い顔をしたものでな――」
「私などには量れぬことでございますが、最近は特に気むずかしい様子を見せられまして。……悩みごとがあるのかもしれません。どうか、怒りや不安を煽ることのないよう、お願い申し上げます」
大臣殿は、それだけ言い残して去っていった。何とも含みのある言い方は、私を不安にさせる。
あの妃殿下に、心境の変化があったとは考えたくないのだが。偉大な強敵を前にして、弱体化の報を聞いても萎えるだけだ。
そうであってほしくないと思いつつ、扉を開ける。侍女に迎え入れられて、シルビア妃殿下の元へ。
王妃様は無造作に進むだけで良いが、私は別である。静々と神妙に歩み寄り、一礼してから声をかける。
「シルビア妃殿下にまいりましては、ご機嫌麗しく、ご健勝のこと、お慶び申し上げます。この度は王妃様のおつきとして、モリーが参りました」
「おうモリーよ、久しぶりじゃな。めんどくさい儀礼はそこまでにして、席につけよ。……母上を前にして、わらわは憂鬱じゃ。せめておぬしが道化を演じて、興じさせろよ」
「ご期待には添えかねます。私の主君は王妃様であって、妃殿下ではございません。主筋として尊重することはできますが、王妃様の前で過剰に卑屈な態度は取れませぬ」
シルビア妃殿下の顔が、わずかにゆがむ。それが嫌悪でも不快感でもなく、感嘆によるものだと知るくらいには、私も妃殿下との付き合いを重ねていた。
「モリーも母上の信頼を勝ち取るまでになったか。……評価されないようなら、ゼニアルゼに引き込むのも容易かったであろうにの」
「そちらにとっては残念であろうが、東方会社に出向させた時点で、その道は潰しておる。シルビアなりにモリーを評価しておるのであろうが、わらわはこやつをもっと高く買っているのでな」
「それ、そうよ。……母上との会談を応じたのは、東方会社についての部分が大きい。孫の顔など、後で存分に見れば良ろしかろう。この一時だけは、この三人で思うが儘に語ろうではないか」
そうして、ここからは東方交易に関すること。クロノワークとゼニアルゼの外交に関わる一番重要な点についての話し合いが始まったのである。
私にとっての大一番、気合いを入れて行こうじゃないかね。
「モリーよ、クロノワーク王妃の名で許可する。言葉を選ぶ必要はない。正直にシルビアと相対するがいい。わらわは、それを見守ってやるだけで良かろう」
「はい、感謝いたします。――そういうわけで、シルビア妃殿下。僭越ながら、私がお相手いたします。東方会社について思うところあらば、是非これを機に吐き出してください」
「吠えたな、モリー。母上を前にして、わらわが多少なりとも委縮すると思ったなら、それは間違いじゃぞ」
シルビア妃殿下の言葉は本物だろう。彼女は、母親の前でも本性を隠さない。
今も正しく、圧倒的な強者である。そうとわかっていても、私だって引けはしない。
クロノワークのためにも、我が家の為にも、シルビア妃殿下から一定の譲歩を引き出すことは必須であると理解するがゆえに、全力で立ち向かおう。
東方と西方の衝突はもちろん、交易と交流が進むことによって現れるであろう、あらゆる不具合と不都合について。
私たちは、この場で話し合い、事前の了解を取る必要が、どうしてもあったのである――。
お互いに情報はある程度共有しているし、シルビア妃殿下のことであるから、独自の調査をやっていても可笑しくはない。
なので開口一番に問題を提起しても、まずは問題ないと私は思う。
「妃殿下は、東方会社について、思うところがあるでしょう。是非ともお聞かせ願いたいのですが」
「やはり、それよな。わざわざここまで聞きに来るとは、御苦労なことよ。――わらわの所見を述べるならば、面倒な商売敵以上のものではない。とりあえず、今のところは」
シルビア妃殿下は、当たり前のように、無感動にそう言った。
だが、これでは足りない。本音を見せろとばかりに、私は言葉を続けた。
「では、ことさらに敵視するような相手ではない、とおっしゃられる?」
「わらわにとってはな。だが、ゼニアルゼの商人どもにとっては、違うじゃろう。きわめて強力な競争相手というか、将来的には敵になる連中であると、割り切っている奴もいる有様よ。――しかしそれでも、クロノワーク人が関わっているため、単純に襲撃して潰すという手は使いにくい。返り討ちにされ、表ざたになっては、それこそ笑い話では済まんでな。力尽くで主導権を奪うまえに、まず他の手段を探るであろう」
自分は違うが、臣下は物騒なことを考えるかもしれない。
シルビア妃殿下の言い方は、遠回しではあるが、東方会社を厄介者扱いしている。積極的に擁護するだけの義理はないので、妃殿下の言い様もわかるが――。
これは、私の方から話を切り出すのを待っている。そういう流れであろうかと察する。
「では、略奪行為は最後の手段として、まずは陰湿な手段で妨害してくる。商人たちが、そこまで思い詰める可能性があるのでしょうか?」
「ああ、ないとは言えぬな。一番の問題は、東方会社とゼニアルゼで、販路が喰い合うことよ。しかも東方会社は、国家の明確な支援を受けて、東方交易の利権に割り込もうとしておる。――わらわとしても、自国の商人どもから苦情が入れば、対策をたてぬわけにもいかん。連中の収益が減って、将来の税収が目減りすることは、わらわも許容したくはないからのう」
販路が食い合う、競合する。だから揉め事が起こりかねない――というは、今さら言われずとも理解していたことである。
だが、それをシルビア妃殿下の口から言わせたことには意味がある。妃殿下は、支援を求められたら対策をたてざるを得ない、と言う。
具体的な行動まで口にしなかったのは、まだ態度を決めかねているからだと、私は察した。
「妃殿下個人の意見としましては、対策はどのような形を考えていますか?」
「……今、ここでは明言できんな。おぬしこそ、東方会社のゼニアルゼ対策について、思うが儘に語ってくれていいんじゃぞ」
「わかりました。――お互い、探り合うのもここまでにしませんか。対策と言うのもアレですが、東方会社の代表として、今後の経営方針を述べることくらいは出来ます。ですから、シルビア妃殿下も折れるべきところは折れていただきたい」
ここまで言えば、彼女も興味以上の反応を返さねばならない。私から情報を抜ける機会があるなら、それを逃す妃殿下ではなかった。
「そちらからの情報次第じゃな。一方的に折れろ、と言われても困る。わらわとて体面があるし、国内情勢への配慮は必要なのでな。おぬしらは東方皇帝に気に入られたようじゃし、強力なライバルになりえる相手に、便宜を図ることはしたくない。――商人どもがわらわに歯向かうとは思わぬが、交易の量と質が落ちるのは受け入れられぬのでな」
「私が出す情報次第では、譲歩もあり得る。その点、確約いただけませんか? 同意していただけるなら、私個人が抱えている機密についても、ここで口にすることができます」
「ふーむ、興味はあるが、価値のある内容でなければ意味はあるまい。わらわの満足のいく答えであれば、一考しても良いな。……明言できるのはここまで。さあ、そちらの番じゃ。せめて、考慮に値するだけのものを開帳して見せろよ」
百点満点の回答ではないが、最低限の保証は得たと考える。ならば、惜しむほうが間違いだと判断し、思うところを述べるとしよう。
どうせ、私が抱えている話なんて、一年もすれば陳腐化する。シルビア妃殿下の情報収集能力と分析力を、私は過小評価しない。
「双方の問題を解決するためにも、お互いに市場を分けましょう。例えば、そちらは換金作物や衣料品、こちらは装飾品や鉄製品などといった具合に。東方会社とゼニアルゼで扱う商品を変えてしまえば、競合せずに済みますし、こちらにはその準備もあります。販路については、事前に協議できるなら住み分けも可能でしょう。――完全に、というのが難しくとも、交渉の手順さえ間違わなければ、失うものは最小限で済むはず。例えば、物余りによる価格の暴落くらいならば、これで防げると思うのですが、いかが?」
「そこまで完全に商人どもを統制できるなら苦労はない! おぬしは代表だから好き勝手にやれるのじゃろうが、ゼニアルゼの商人どもは勝手に動いて勝手に稼ぎたがる。――わらわが武力で押さえつけても、命知らずの守銭奴どもは止まるまいて」
商品の制限も、住み分けの努力も、そもそもが不要であると言われれば打つ手がない。
妥協を知らぬ強欲が商人の本性であるなら、こちらも武力制圧を許容しよう。でも、現実はそこまで救いようのない状況ではないと、私は信ずる。
「命知らず以外を統制できるなら、まずは充分と言うべきでしょう? どうせ、そこまで思慮のたらない連中は少数派です。妥協した方が細く長く稼げると、理解する者の方が多いでしょうし、そこまで完璧は求めません。……市場を分けるのもそうですが、東方と西方の需要の違いと、今後の経済の推移を考えれば、しばらくは猶予ができると思うのです」
この場合の猶予と言うのは、シルビア妃殿下が外征を決意するまでの期間を言う。
いずれは起きると考えていたけれど、もしかしたらそれは思ったより近い未来かもしれない。
妃殿下が計画を早める可能性は常にある。自らが望まずとも、周囲の環境が状況を整えることはあり得るだろう。そうした危惧を抱きながらも、私は言葉を重ねた。
「猶予とは吠えたものよ。わらわが何を企んでいるか、わかっているように言い腐る」
「以前、私がほのめかしたでしょう? シルビア妃殿下は西方の盟主たりうる。ただし、ゼニアルゼが財政破綻しないことが前提である、と。そして妃殿下に敵が生まれたならば、必ずゼニアルゼの財政に攻撃を加えるであろう――とも」
「それに類するようなことは、たしかに聞いた覚えがある。適当な危険の可能性をアレコレ言い散らして、わらわの危機感を無駄に煽った挙句、こちらの秘策を強引に引き出した件もあったのう。……不敬罪で投獄しても、許されると思うんじゃが、どうかな?」
シルビア妃殿下は脅すように言うが、本気でないことは明らかだった。他愛のない過去の発言を掘り起こして、ケチを付ける。
微妙に妃殿下らしくない態度にも見えるが、人は変わるものだ。これくらいなら誤差だと信じて、話題を転換させよう。
「それで妃殿下に何かしらの利益があるのなら、是非もございません。――とにかく、未来の話をしましょう。収奪に走る前に、稼げるだけ稼いだほうがいい。それにしたところで、武力を使わずに済むなら楽ができる。なにより、稼ぐ場所を限定する必要はなく、食い物にできる土地は広いほうが良いでしょう?」
「意味深な事ばかりほざきよる。せめて、もう少し具体的に話せ」
シルビア妃殿下からの印象の低下を危惧しつつ、私は自らの経営方針について述べる。
おおよそ予想通りに事が推移するなら、お互いに利益がある話だ。だから、私は臆せずに提案できるんだよ。
「東方でも西方でも、情勢は安定していて、殖産に力を入れる土壌が整っています。――要するに、人口が増えていくことが予想されるのですね。それも、今後数年だけでも平和が続くならば、劇的な変化が現れると考えられます」
「劇的な変化か。母上、確かクロノワークでは農業に力を入れていると聞いた。オサナ王子もそれに付き合わされたと、笑い話の類であると思っていたが、そうではないらしいですな?」
シルビア妃殿下が、王妃様に唐突に話を振る。王妃様は傍観する姿勢を崩していないから、こうして妃殿下からつついてこないと、発言すらせずに見守り続けたことだろう。
逆に言えば、それだけシルビア妃殿下が返答に困っていることの証左ともいえる。
私が需要と人口の問題を口にした時点で、おおよそは察してくれたらしい。頭の回転の速さについては、本当に褒めるしかないと思うよ、まったくもって。
「ふむ。確かに、シルビアが言うようなことはあった。じゃが、オサナ王子の件はモリーの独断であったと聞いている。――クロノワーク全体が農業生産に力を入れているというのは、確かではあるがね。しかし数年で劇的な効果をあげられるかと言われれば、クロノワークだけでは厳しいというほかないが」
「そうか。余計な情報がくっついているが、とにもかくにも母上の言質は取った。……いいぞ、モリー。これだけでも色々と予想はつくが、おぬしの悪だくみについて、語って見せろよ」
最後まで聞いてやる、とシルビア妃殿下は言った。そこまで警戒されるほど、私は彼女を追い詰めたのだろうか?
ポーズにしては真に迫っていると思いつつも、ここは迷うべき場面ではない。正直に、思うところを述べた。
「人口が伸びれば、働き口が必要になります。農業で稼ぐにしろ、商業で稼ぐにしろ、それが可能な土地がなければ画餅に終わる。そしてシルビア妃殿下も王妃様も、それを自国民に用意するために、色々な形で尽力しておられます。しかし、東方ではその辺りの意識が薄いようで。人は増えるに任せ、出稼ぎは個人の判断次第というありさまで、色々と隙だらけなのですね」
「わらわは一般論を聞きたいわけではない。――で?」
「妃殿下の主導で、砂糖や綿などの大規模農場を作る話は、私の耳にも届いております。そして、働き手をかき集めるのに苦労していることも。……東方会社の代表ともなると、その手の商業の話については、どこからか聞こえてくるものでして」
不遜とも受け取られかねない口調で、私は言った。一種の挑発だが、これに乗ってくるほど、シルビア妃殿下は冷静さを失っていない。
鋭い視線を私に向けながら、妃殿下は無言で話を促した。
「農場を作って軌道に乗せるには、それなりに時間が掛かります。四、五年は見積もりましょうか」
「いずれも、これから三年でやらせる。そのつもりで、わらわも相応の準備を整えておったのでな。土地の囲い込みと整備は、すでに始めておるぞ。作物の植え付けも試験的に行わせて、経過を見ておる所じゃ」
「では、三年と言うことで。そんな短期間に自国の人口は増えませんが、他国から入ってくるなら事情は変わる。――労働人口となる移民が、東方から大挙してやってくる未来。それが、シルビア妃殿下にも見えている。……違いますか?」
今になって見えてきたところよ、とシルビア妃殿下は言った。それが韜晦であるのか、本心であるのか。いや、いずれであっても構わない。
このお方がどんなに物騒なことを考えていても、争いが合理的でないと悟れば、あえて血を求める方ではないのだから。私は、あくまで商業の分野に限って、話を進めるつもりだった。
「ぬけぬけと言い腐る。もっと猶予があったはずなのに、それを後押しするのが東方会社という組織であろう。――ゼニアルゼ商人が東方からの安い労働力を買いたたいて、こちらで働き口を世話してやる。そうして大量に生産した商品を、また東方や西方各国に売りつける。わらわにとっては造作もないことじゃが、これはそのまま、東方会社も同じように行える。忌々しいものよ」
「そうでもありませんよ。東方会社はまだ農場を抱えておりませんので。……販路を分けるとは、そういう意味でもあるのですよ?」
「まだ、と言っているあたり、わかっておるであろうに。じゃから、おぬしは面倒なのよ。――約束を破るとは思わぬが、抜け道くらいは容易く見つけてのけるであろう。いっそ敵であったなら、対応は簡単であるというのに」
嫌われてしまったかな、なんて暢気な感想を抱いてしまう。それくらいには、私にも余裕があった。
シルビア妃殿下も、ここで東方会社をただ叩いても良いことは何もないとわかっているのだろう。むしろ期待すればこそ、こちらにも話を振ってくる。
「とにもかくにも、このわらわの想定を超えて、何やらやらかそうとしている奴がおるとしよう。そ奴に対して、わらわはどう対応すべきじゃろうか? なあ、モリー」
お前のことだぞ、と目線で訴えてくる。妃殿下が答えを求めているなら、私なりの回答を示すまでだった。
「商売相手にすればいいんじゃないでしょうか。具体的には、東方への販路のつなぎになって貰うとか。……ゼニアルゼ商人は、利益の前には感情など飲み込むでしょう? そちらの伝手でさばききれない商品があれば、東方会社が買い取って、首都の市場で売りさばく。お互いの利害関係が一致して、協力することができるなら、そうした道もございます」
「ふむ、検討に値する話ではあるな。東方会社が首都における商業自由権を得たことは、こちらも把握しておる。――ここでそれを言う以上、おぬしが責任をもって取引の場を保証するということで、間違いなかろうな?」
「……妃殿下は本当に話の速いお方ですね。ええ、そのつもりです。販路を分けること以上に、共同して事業を営むことが大事であると思います。これが実現すれば、東方会社とゼニアルゼ商人は、排他的な関係にならずに済む――どころか、さらに広い市場を開拓できます。東方交易の規模がさらに大きくなり、富の蓄積に貢献することでしょう」
「いいぞ、その調子で話していけよ、モリー。その理想を妄言で終わらせたくなければ、さらなる情報をわらわによこすがいい」
いっそすがすがしいほどに現金な態度だが、それができるがゆえに、シルビア妃殿下は支持を得られているのだろう。
有能で冷厳なだけの指導者を、国民は愛さない。これくらいの鷹揚さがあればこそ、ついて行こうという気になるのだ。そうした感覚をいまだに持ち合わせていることに、私は安堵しつつ、話を続ける。
「お求めの通り、有用な情報を流していきますね。――東方の収穫情報を精査すると、近年は穀物の収量も安定しているようで、ここ数年は価格もさほど変わっていません。工業製品は微妙ですが、これは市場に出る量が制限されているからとも取れます。東方では、鉄が国の専売品になっていますからね」
「要するに、無駄飯ぐらいを養えるほど、東方の土地は生産性が高いわけじゃな? そして増えた人口に対して、雇用を用意するのが、あちらでも難しくなっていると?」
さきほども少し触れたが、確認するようにシルビア妃殿下が言う。これを肯定するように、私は言葉を続けた。
「あちらの人間は、収穫量が許すまで、限界まで子作りする癖があったりしますから。……色々な意味であぶれた連中が、出稼ぎに西方まで来たとしても、おかしくはないでしょう。現地に根を張る東方会社は、移民の斡旋業もそのうち始める予定です。その意味がお判りですね?」
「うむ、ゼニアルゼ商人は、移民の扱いがそれほどうまくない。おぬしの協力があれば、安い労働力を迅速に確保できるわけじゃな。とはいえ、それで生産したものを東方に売りつけるには、様々な段取りが必要ではあるまいか?」
割とアコギな形で、ゼニアルゼに移民を押し付けるつもりだが、そこはまだ詳しく言わなくてもいいだろう。
妃殿下は、さらにその先を見ている。生産した換金作物で、いかに収益を上げ続けるか。この部分を注視しているはずなので、私はそれを保証しようと思う。
移民を引き受けてくれるのだから、これくらいは引き受けねば寝覚めが悪いというものだ。
「はい。販路があっても、需要がなくては意味がありません。――ですが、砂糖と綿であれば、そこはどうとでもなります」
「いずれも、東方では自作できるはずじゃぞ。それは抜かりなく調べておる」
「ですが、今後の需要の拡大までは読めておられない、と。――安心しました。そこまで把握されていたら、私の立つ瀬がない所でしたから」
「言うたな、モリー。そこまで吠えた以上は、下手な返答は許さぬ。納得できる論理をもって、わらわの期待に応えて見せろよ」
シルビア妃殿下の目に、不穏な火が宿るのを感じた。
下手をすれば、食い尽くされる。それくらいの危機感をもって、ここからは言葉を選んだほうが良いだろう。
それだけの気迫を、私は彼女から感じたのだ。
「西方の商品の宣伝について、私はちょっと試してみたんですよね。――結果は上々でした。一部に関して、という注釈をつける必要はありますが」
「結論を言え。いや、結論だけ言え。面倒な論理はこの際余計じゃ」
「砂糖と綿は、まだまだ市場に受け入れられます。……数年後の人口の増加を思えば、あちらの生産高だけでは、とても賄いきれない。西方からの輸入に頼らねばならぬほど、需要が拡大する『余地』がある。私は、そう確信しました」
シルビア妃殿下からの圧を感じながらも、私はそう答えた。
充分な根拠を持っているのだから当たり前だが、その当然のことを貫くことが難しい。妃殿下は、それだけ大きな人物だった。
「東方の地方別の人口推移など、そちらは興味などありますまい。重要なのは、人口が増えた分だけ需要が増えるということ。移民として出ていく人口を考慮しても、さらに大きな需要が東方国内に残ります」
基本、出稼ぎは男の仕事だ。女子供は国内に残るし、東方には未開拓の土地もある。そこで必要とする物品の需要は、確実に大きなものだ。
そして、東方会社ならその市場に手を付けることができる。ゼニアルゼ商人の求めにしたがって、商品を流すことができれば、その収益は彼らを満足させられるだろう。
「綿製品は、安価であるという条件付きですが、売りつける相手には困らないでしょう。――付け加えると、東方会社が砂糖を安価で売り出したせいで、あちらでは平民でも砂糖にありつける情勢を作っておきました。ゼニアルゼで砂糖の大規模農場を用意してくれるなら、出荷すればするだけ売れる下地は整っているのですよ」
砂糖については、量はそこまで集められなかったが、赤字に近い額で売り出している。
貧民の口に入るのは難しいだろうが、日雇い労働者や人力車夫のような低所得者でも、真面目に働けば週に数回は甘味を堪能できる環境が、すでに整えられていた。
そうして甘味の魔力をあらかじめ伝えておけば、需要は増え続ける。砂糖の大量供給が可能になった時には、大きな売り上げが期待できるというわけだ。
「ふふ、おぬしも悪よのう。……正直、その返答だけで全てを許す気になったぞ」
「お褒め頂き、恐悦至極。シルビア妃殿下の御眼鏡にかなったのなら、何よりです」
シルビア妃殿下と私の間で、これで共犯関係が築かれたと言っても過言ではあるまい。
それくらいの感触は得たと思うのだが、王妃様は返っていぶかしく思ったらしい。首をかしげながら、疑問を呈した。
「二人だけで分かってないで、わらわにも解説してほしいものじゃな。それで、どうしてシルビアは機嫌を直したのだ」
「需要と供給がかみ合った結果、といえばそれまでですが。要するに、東方会社とゼニアルゼの間に、協力関係を結ぶ余地があること。そのために、こちらの方がまず手間をかけて、後続の商人たちへの道筋を作ったこと。その事実をもって、シルビア妃殿下は和解を決意されたのですね」
「そういうことですな、母上。わらわとて、何もクロノワークを敵に回したいとは思わない。東方会社とも協力して、棲み分けてやっていけるならその方がよい。――物騒な話をひっこめて、利益を分け合う未来があるのだと、ゼニアルゼ商人どもを納得させる。現実的にそれが可能になるのであれば、わざわざ危ない橋を渡る必要もないということよ」
お互いに足りない所を補い合えれば、なお良いのだが――とシルビア妃殿下は付け足した。
それについては、当てがある。今であれば、恩に着せることも出来るか。ならば躊躇うまい――とばかりに、私は攻めた。
「さらに申し上げますと、ゼニアルゼが国外の勢力圏で大規模農場を作るとすれば、現地の土壌を変えねばなりません。砂糖にしろ綿にしろ、特別に環境を整えてやらねば、効率的な農場経営は不可能と言っていい」
「良い具合の借地なり植民地なりを見繕って、管理者と移民どもを入植させればよい。三年でどうにかすると、先ほど言ったであろう?」
妃殿下ならやり遂げるだろうが、それを確実なものにするために、こちらから協力を申し出ようと思う。
ぶっちゃけ、シルビア妃殿下の事業が失敗に終わるか、多大な遅延に陥ってしまうと、全てが狂う可能性がある。なので、ここは絶対に外してほしくないのですね。
「その三年の準備を早め、確実性を高める手伝いが出来ると思うのです。――農場を作るには、森を切り開くとか、野山を開発するとか、そうした作業が必要になります。結果として、農場運営に必要になる『燃料』が枯渇しやすくなる。他所から買い付けなければ、とても立ち行かない事態に陥る。そうしたリスクがあるわけですね」
綿はまだいいが、砂糖は多量の燃料が絶対に必要だ。サトウキビの汁を煮詰めるのに、多くの資材を必要をする。
サトウキビの搾りカスを使う手もあるが、産業革命すらまだまだ先のこの時代、燃料を効率的に消費する手段が乏しい。大窯で汁を煮詰める形式に依存するなら、火にくべる資材はいくらでも欲しいはずだ。
これを、東方会社が用意する。格安で提供する用意があるとすれば、シルビア妃殿下も拒否する理由はあるまい。
「東方会社に、燃料を提供する用意があるのなら。……そうじゃな、砂糖に投資する商人どもはありがたがるじゃろう。ここで恩を売られてしまったら、裏切るような真似は流石に出来んな。本当に、徹底して敵対への道を潰していくのう」
「むしろ、共存共栄への道を、徹底して築いていきたいのですよ。――砂糖はそのままで売れますが、綿製品は東方の服飾文化にそった仕上がりが必要とされます。もしよろしければ、あちらの流行や売れ筋などの情報についても、ゼニアルゼに提供しても構いません。――ただし、ここまで協力する以上、それ以外の部分については、東方会社が自由に扱います。もしそれを曲げてほしいなら、ゼニアルゼ商人の方で独自に交渉してきてほしいものです。……シルビア妃殿下の威を借ることなく、ね」
「用意周到な事じゃな! ええ、モリーよ。こうも希望を見せられては、わらわも無下には扱えぬどころか、積極的に辣腕を振るいたくなる。――おぬし、この展開をいつから予想していた? 一朝一夕で思いつくことではあるまい」
具体的な案のことを言うなら、東方で仕事しているうちにいつの間にか、と言うべきだが。
そもそもの問題として、シルビア妃殿下の征服欲の考察や、文化衝突の危惧について言うなら、ずっと以前の段階になる。
とはいえ、正直に答えても警戒されるだけだ。曖昧に言葉を濁すのが、無難なところだろう。
「私がその疑問に答えたところで、シルビア妃殿下が信じるかどうかは別でしょう? ――我々は共存できる。協力し合って、繁栄を謳歌する道がある。大事なのは、それだけではありませんか」
「……それもそうじゃな。少なくとも、おぬし個人は味方にするべきよ。東方会社がおぬしの手から離れたら、そのときにまた、是非を問い直すとしよう。それまでは、ひとまず味方として手を取り合うことにするか」
「ご期待に添えられたのなら、何よりです。――改めていうのもアレですが、ゼニアルゼ商人たちの統制については、妃殿下にお任せするほかございません。そこまで心配はしておりませんが、上手くやってくださいよ」
「安心せい。充分な答えをもらった以上、そこをおろそかにするほど、わらわもボケてはおらん。……子が生まれたからといって、親バカをこじらせて思考を鈍らせるような、そんな愚かしさとは無縁であるつもりじゃ」
シルビア妃殿下にしては、いささかくどい言い方であった。私がくどい物言いをするときは、安全を買うために、確認のために口にすることが多いのだが――。
妃殿下ほどのお方が、不安を感じているというのだろうか。いぶかしく思っていたが、ここで王妃様から苦言が入る。
「シルビア。体調がよくないのか? 話がひと段落したなら、無理をせず休んではどうかな? こちらには孫の顔を見るという名目があるのだから、明日も同じだけ時間を取ることは出来よう。……今が大事と思えばこそ、話し合いには慎重になるべきじゃぞ」
「母上の言葉には、千金の価値がありますな。――ええ、そうさせていただきましょうとも。モリーよ、そういうわけじゃ。今日はここまでと言うことで、良いな?」
シルビア妃殿下がそこまで言われるなら、是非もない。王妃様が言い出したことでもあるし、異論をさしはさむ余地はなかった。
とりあえず、一日目の会談はこれで終了と相成った。退室し、宿泊の為の客室に案内される――私だけが。
王妃様とシルビア妃殿下は、二人きりで語りたいことがあるらしい。親子間のプライベートな問題であれば、別に不自然なことではないし、私がケチを付ける筋合いはない。
けれど、何かしらの危惧を抱いてしまうのは、心配が過ぎるのだろうか。……ともかく、私は私なりにできることはした。
東方会社とゼニアルゼの間で、協調関係を築けた。今回の会談で、その実績を作る機会を得られたと思えば、まあまあ満足のいく結果ではなかろうか。
再び東方へ出張する前に、絶対にやっておくべき仕事だったから、まずは一安心である。
本当に私の予想通りに、都合のいい未来がやってくるとは限らないにしても。ここで全力を尽くさずに、半端で済ませることはできない。
東方に行った後も、シルビア妃殿下との連絡は欠かせないな――と思いつつ。クミンの存在の大きさを、今後は実感することが多くなるんだろうなぁ、なんて。そんなことを考えたりもしていました――。
モリーを退室させた後も、シルビア妃殿下とクロノワーク王妃の間で会談は続けられた。その内容については、プライベートに限らず、外交や商業に関わる諸事――要するに先ほどの続きを、余人抜きで話し合う。
そのための空間を作るために、王妃はわざわざゼニアルゼまで出向いてきたのだと言っても良い。
「やはり、変わったのう」
「左様で。……母上と一対一とは、まったくもって面倒な事よ。出来ることなら、葬式まで顔を合わせたくなかったのじゃが」
「以前より、よほど正直になった。いや、これは結婚に成功した結果かな? 心に余裕がなければ、そこまで明け透けには言えまい。――わらわの怒りを買わないとわかっている部分であっても、かつては言葉にするのを避けていたはずよ」
シルビアにとって、自らの母親というものは、数少ない目上の存在であり、真っ向から対峙するには覚悟が必要な相手でもあった。
こうして向かい合うのも、いつぶりであったろうか。そんなことを思いつつも、シルビアの方から話を切り出した。
「わらわが変わったとか、結婚生活のアレコレとか、そういうところを語りたいとは思わん。……母上、モリーを譲っていただきたいと申せば、譲っていただけますかな? 色々な方面から情報を集めましたが、やはりアレは地位を引き上げ、辺境に置いてこそ真価を発揮する。手元において大事に育てるよりは、無茶ぶりをしてやるべきなのです。――いただけるなら、見返りは期待してくれても良いですぞ」
「あれには、東方会社の役目を終えた後、エメラとオサナの夫婦を後見する仕事を与えねばならん。それも終われば、あの子らの私臣となる。他所にやるつもりなどないわ」
「――東方会社は、長くとも数年から十年程度でモリーの手を離れる、と。なら、わらわが動くのはそれからでもよいな。ありがとう母上、値千金の情報でありましたぞ」
茶化すような物言いだが、感謝は本物である。シルビアは母親が感情的に口走ったとは思わない。
クロノワークとゼニアルゼは友好国であり、今後もそれは変わらないということ。その証明として、明確な情報を提供したのだ。
たかが一騎士の未来が、取引の材料になる。その事実の異様さについて、二人はもう語ろうとは思わない。モリーの才覚と実績が、それを当然のものとしてした。
「ま、あの二人のお守りをさせるのなら、最低限の仕事は押し付けられそうじゃ。わらわとて、妹は可愛い。妹夫婦の幸福を祈って、アレコレと骨を折るのは当然のこと。そうは思いませぬか?」
「――白々しい。エメラにおぬしほどの才覚はない。オサナ殿も頑張ってはいるが、二人の能力を合わせたところで、シルビアには敵うまい」
未熟な二人をかばう形で、モリーを動かされる。そうした事態を想定せねばならぬかと、王妃は未来を憂うばかりだった。追撃するように、シルビアは言葉を重ねた。
「母上も、いつまでも健在と言うわけにはいかん。十年後はまだ元気やもしれぬ。二十年後も、あるいは。――しかし、三十年後は絶対に引退なり寿命なりで、現役を退くほかなくなる」
「自分が確実に長生きするのだと、そう思い込むのはやめよ。……三十年後は、おぬしとて老年であろう。そんな先の話をしてどうする」
「おおよそ、それくらいの時期になりますかな。その辺りで、東方会社との始末をつけまする。我々も十年後くらいには、本格的に東方に進出することにしましたので。明確な協力相手――もとい、競争相手ができたことは、何も悪いことばかりではない。ゼニアルゼ商人どもの尻を蹴り上げて、強権を振りかざす理由付けにもなりまする」
さしあたっては、『ゼニアルゼ東方会社』とでも名付けようか――ともシルビアは言った。
あまりにも軽く言うものだから、何の冗談だろうかと、王妃の方が訝しげに問わねばならなかった。
「……何のつもりだ。ドヴールには進出する余地などない。首都の置ける商業自由権は、モリー個人が勝ち取ってきたものだ。十年も経てば状況は変わろうが、おぬしが何を目的としてどう始末をつけたいのか。それがわからぬことには、どうとも言えぬぞ」
「ドヴールに競合する都市など、いくらでもありましょうぞ。まあ、下手を打って失敗する奴もいるじゃろうが、わらわはそこら辺の人事に失敗したことはありませぬ。――目的はと言えば、ゼニアルゼの商業活動の拡大、他国の独占交易に対する挑戦……といっても、母上にはわかりにくいかもしれませんな」
わかりやすい言い回しを探すように、シルビアは考えるそぶりを見せた。王妃はそれが娘なりの気遣いであることはわかっていたが、同時にマウントを取りに来たことも察している。
自分の手の届かない未来に、クロノワーク王妃は強い危惧を抱かざるを得なかった。
「ご存じでしょうが、ゼニアルゼの国民は、商業活動が大好きなので。他の誰かが同じ分野で成功しているのを見ると、真似をしたくなるものですよ。……他国人と協力は厭わぬが、友愛が嫉妬に代わることも珍しくはありますまい。――よって、わらわは統治者の責任として、彼らの不満を解消してやる。平たく言ってしまえば、そういうことなのですな、母上」
「感情的な問題で、そこまで大事になるとは――いや、なるな。ゼニアルゼにとっての商業は、飯のタネそのものだ。他国に機会を独占されるということは、『自らが受け取れたかもしれない利益』を奪われるに等しい……などと、連中は考えるか。金回りの話に対しては、ゼニアルゼ人は繊細でありすぎる」
「問題は結局、そこに帰結するのですな。母上、クロノワークは本当に良い国家ですぞ。ゼニアルゼの面倒くささと比べて、我が母国のなんと純朴で質素な事か。……真面目な話、西方一の国民性を持っているのかもしれませんな」
脱線はここまで、とばかりにシルビアは表情を真剣なものに変えた。鋭さを取り戻した眼光は、母であるクロノワーク王妃にとっても、脅威として映る。
その顔で、何を語るのか。固唾をのんで見守ったが、シルビアの口にしたことは、なんとも他愛のないことだった。
「すべての民がクロノワークのようであれば、おぬしが支配するのも簡単であろうな」
「そうでないことが残念ですとも。――誰も彼もが、薄汚い欲望で動いている。欺瞞と悪意で人を陥れ、自らの栄光だけを求めている。……ならば、わらわも相応の手段を取るまで」
「シルビア、おぬし、何をする気じゃ」
「以前、モリーに語ったこと以上のことはしませんとも。西方支配を完遂するのは、わらわの代でなくともよい。――そして、盟主が必ずしもゼニアルゼである必要もまた、ない。クロノワーク、ソクオチ、ゼニアルゼの関係は強固である。こちらが残り二国の生命線を握ることができれば、傀儡として操ることも不可能ではありますまい」
「あえて我々に盟主の座を譲り、ゼニアルゼは黒幕として、実利だけを貪る――か。シルビアよ、布石を打つだけなら、おぬしの代で叶うじゃろう。しかし、子や孫が布石を活用できるとは限らぬし、時勢は常に変化する。……過剰な期待はするものではないと、忠告しておこう」
母からの言葉で、止まるようなシルビアではない。そうとわかっていても、何かを言わずにはいられないというのが、クロノワーク王妃の本音だった。
「そもそもなぜ、おぬしはそこまで西方支配にこだわるのじゃ。無理に目指す理由がどこにある? 支配欲や物欲など、充分に満たされているであろうに」
「……思うがままにふるまって、欲望のままに支配を広げること。それが為政者の性と言うものにございましょう? 母上は所詮王妃に過ぎぬゆえ、そうした機微には疎いやもしれませんな」
「ごまかすなよ、シルビア。わらわがおぬしの母親をやって、どれだけ経っていると思っている。……単純な欲とか、いらだちとか、そんな感情的な理由だけではない。それがわかるくらいには、わらわもおぬしを見ているのだぞ」
小手先の戯言で誤魔化されるほど、関係性が薄い相手でもない。それをいまさらのように理解しながら、シルビアは観念したように言った。
「……我慢がならんのよ。どいつもこいつも、わらわの勝利に乗じて、好き勝手に己が欲望を満たそうとしよる。それならそれで構わん、好きにするがいい――と鷹揚にも放置してきた。わらわには、それだけの力があったから」
本当の意味での敵を知らなかった。過去の己は若かったのだと、シルビアは自嘲する。
母の前でもなければ、決して見せなかったであろう姿だった。そして彼女は、味方面したものの中にこそ、中立を気取っているものの中にこそ、質の悪い敵が混じっていることを知ったのである。
「しかし、今はそう思わぬ。わらわはもはや姫ではなく、一国の妃であり母親である。……未来のことを思えば、わらわが積み上げたモノを盛大に崩そうとする奴がいるなら、立場に関わらず味方とは見なさぬ。唾棄すべき仇敵であると断じよう。――その中でも飛び切りの馬鹿は、自覚すらなしに西方秩序を乱し、発展と進歩をはばむのみならず、社会の衰退まで呼び込もうとするのじゃ。そして、その手の愚物を粛清するたびに思う。……我慢がならん、とな。人間は、もっと早く、もっと先まで行けるはずではないのか? よりよく生きることができれば、より多くのことを成し遂げられるはずではないか!」
「思ったよりも、よくしゃべるのう。もう少し、ぼかされるのではないかと思ったが――何か、想定外のことでも起こったのか?」
「想定外と言うなら、ここ一、二年の順調さこそが最大の想定外よ。ソクオチを返り討ちにして掌握した件まではいい。――じゃが、そこから西方支配への道筋を見出し、都合よく人材と情勢に恵まれて、超大国へと伸し上がる。この短期間に、それが可能になるとは思っておらなんだ。……いまや必要な事業はおおよそ全て手を付け、良い具合に進められている。東方会社も、この部分では利用価値が大きい。もしかしたら、もしかしたならば――全てがうまくいき、わらわか、我が子が真実、西方の盟主となることができるかもしれん。その栄光に満ちた姿を、この目で見ることができるかもしれぬ。手が届きそうだと思えばこそ、より足を引っ張ってくる手合いが憎くて仕方がない。ゼニアルゼの繁栄を望むのなら、わらわの邪魔をするべきではないというのに、それすらわからぬ馬鹿が、この世には多すぎる!」
一気に思うところを述べる姿は、とても感情的なものであり――。
そうした姿を、クロノワーク王妃は初めて目にしたのであった。わかっているつもりでも、娘のことを理解しきれたわけではない。
これからも、理解する努力を続けねばならないのだと、一人の母親として感じたのだ。
「シルビアの気持ちは、理解した。……そういうことであれば、やはりクロノワークとゼニアルゼは、本当の意味での盟友となれるじゃろう」
「母上。わらわは、初めからそのつもりですぞ。誰が母国と敵対したいものか――」
「わらわも、なるべくシルビアと向き合うことにしよう。……親子なのじゃ。今更で済まんが、母親らしいことを、これからもさせてはくれぬか?」
クロノワーク王妃が、心底シルビアを哀れみ、慈しみたいと願ったのは、この瞬間が初めてであったろう。
この娘が赤子の時より、戦争に巻き込まれた時より、今こそが大事であるのだと。そのような感傷を、王妃は抱いていた。
「何を、今更。わらわも、もはや一児の母でありますぞ。母上は祖母として、あの子を見守っておればよろしい」
「孫は孫で可愛がろうさ。――しかし、思えばシルビアよ。母として、おぬしを愛したことは、それほど多くはなかった気がするのじゃ。これからでも、その時間を取り戻させてほしい。嘘偽りなく、そう思う」
王妃の態度には、シルビアも困惑するしかなかった。こちらの心身を乱すための言動であると勘繰るほどに、彼女もまた世俗の汚濁に塗れていたから。
「何の陰謀ですかな、母上。貴女がこちらのご機嫌伺いをせねばならぬほど、困窮しているとも思えませぬが」
「シルビアこそ、今になって本音をこぼすほど追い詰められているとも思えぬ。何の目論見あってのことかな?」
「母上の前で、少しくらい素直になっても良いではありませんか」
「娘の前なら、それらしく振舞っても良いではないか。うん?」
意地を張り合ったところで、意味などない。喧嘩すらしたことはない間柄だが、今となっては些細な事である。
シルビアは、母が苦手だった。
王妃は、娘のことがわからなかった。
しかし、これからは違う。わかり合おうと誓う。その態度を見せるだけでも、二人だけで話し合うことに意味はあったのだ。
「で、本当のところはどうなのです? 母上」
「いや、なに。本音を引き出して、こうやって気安く接する口実を作っておけば、孫を可愛がる機会も増えるじゃろう? ――ゼニアルゼの権力者にして、西方の盟主。二世代にわたって影響力を与えられるなら、わらわの愛情くらい、出し惜しむものでもなかろうて」
「……結局、打算に帰結する、と。流石はこのシルビアの母上よ。情だけでなく、実利だけでなく、両得の手段を迷わず選択する。……そのためならば、舞台を整え、口上を尽くし、自らの感情も偽りなくつぎ込んで見せるとは。脱帽と言うほかありませんな」
シルビアは、母が嘘偽りなく語っていること、語った以上は行動にも移してくるであろうことを、確信していた。
俗な言い方をするなら、愛情の売り時と言うものをわきまえている。
慈しみたいという気持ち自体は本物であるというのが、クロノワーク王妃の狡猾なところであると、シルビアは思う。
「母相手とはいえ、うかつに弱みなど、見せるものではありませんな」
「弱みを見せるのに、計算がなかったわけでもあるまい? 実際、わらわは母親としての体面を傷つけるような行為は、あれで出来なくなったし――逆に考えよ。これで、大っぴらにわらわと母国に甘える口実ができたのだと。……シルビアは、孫の顔を見せる名目でわらわを呼び寄せ、個人的な相談相手にできる。わらわは、呼びつけられることでゼニアルゼに滞在し、生の情報を仕入れることができる」
あともう一つ、大事なことがある――と、王妃は付け加えるように言う。まさに、この部分こそが重要なのだと強調するように。
「シルビアに直接言いにくいことでも、わらわには話せるという者もいよう。そして、わらわが社交の場を広げて得た情報は、必ず共有する。愛する娘に伝えるべきことを伝えるのは、当然のことであるからな」
ゼニアルゼに入り浸るクロノワーク王妃という立場は、結構特殊なものだ。これに目を付けて、あえて王妃に近づこうとする者もいないとは限らぬ。
あるいはシルビアの急進的な政策を危惧し、やんわりと諫言を伝えるつもりで、王妃にご注進を企てる者もいよう。
王妃はそれら全てを受け入れて、共有しようとシルビアに提案しているのだ。
あらゆる情報には価値がある。何者かの行動原理が、誰かの不利益につながっていることもあれば、どこかの馬鹿の行動が、身近な野心家に火をつけることもあるだろう。
自身とは違う目で、ゼニアルゼの上流階級を監視できる。母なりの老婆心による手助けとしては、これ以上のものはあるまい。
シルビアは意味のない無体を働く君主ではないが、近寄りがたい部分があるのも事実。王妃の提案は、シルビアにとって利益ばかり大きいものであった。
共有と言うからには、あちらはあちらで利用する手段があるのだろうが、少なくともゼニアルゼに不利益を働くことはない。そこまで計算したうえで、シルビアは決断した。
「どうぞ、ご自由に。――母上も、ご苦労なことで。お互いの為になるというなら、もはや何も言いませぬが」
事実上の黙認。その言質をシルビアはクロノワーク王妃に与えた。
そうして、親子の関係は、少しだけ改善した。少なくとも歩み寄る態度は見せたのだから、進歩は進歩と言っていい。これからも、上手にやっていくことだろう。
愛情と打算は、時間を置いてからでも生まれ得る。親子関係は一定ではなく、良くも悪くも変化するもの。
一時の感情できっかけを作れたなら、利益をもって強化する。維持するだけの価値がある関係さえ構築できれば、シルビア妃殿下とクロノワーク王妃は、わざわざ破棄するようなことはしない。
それだけの信頼関係は、初めからあった二人だった。そしてこの二人の関係が、ゼニアルゼとクロノワークの外交に影響し、盟友としての地位を保ち続けることになるのだと。
後世において、両国の資料を閲覧し、分析した歴史家は、そのように結論付けるのであった――。
おはようございます、モリーです。
シルビア妃殿下と王妃様のお話は、ほぼ夜を徹して行われたようで、明け方になってようやくお休みになられたとのこと。
積もる話も色々とあっただろうし、その辺りは突っ込みません。
あのお二方にも、それらしい感情はあったのだなぁ、なんて。微笑ましくさえ思います。
で、王妃様のおつきに過ぎない私に、特にやることはないわけで。
公式にお仕事がなくなった以上、ある程度の勝手は許していただきたいのですね。具体的には、ちょっとした私事と言うか、個人的な仕事をすることにしました。
……一応、王妃様には事前に許可を取ったけれど、ここはゼニアルゼ。
シルビア妃殿下にとっては、微妙に気分を損ねるかもしれないけれど。今回の機会を逃すというのも、それはそれで非効率であると思う。
目当ての相手が、今はゼニアルゼの中で元気に商売をしている。その情報があれば、あらかじめアポを取るのも簡単だった。
王城を出て、城下を歩き、目当ての商館へと向かう。話が通っていたから、玄関で出迎えられると、応接室まで直通で行くことができた。
ノックして扉を開けると、確かにそこには目的の人物がいる。軽く頭を下げてあいさつし、机についた。
「おひさしぶりですね、ミンロン様。公式補給商の仕事を終えてからは、ゼニアルゼにいると聞いて、いてもたってもいられずに来てしまいました。――急な会談の申し込みを受け入れてくださり、感謝いたします」
「いえいえ、こちらこそモリー殿の活躍には、瞠目することしきり。伝手をたどって、情報は逐一こちらに届けさせておりましたが、まさか皇帝陛下にまで認められるところまで至るとは。やはり、貴女は規格外なお方です。早めによしみを通じておいて、本当に良かった」
書簡でのやり取りは、一応続けていたにしろ、お互いに顔を突き合わせないと語れない話は多い。
ミンロンへの配達は、そこまで機密性の高いルートを使えないから、どうしても無難な内容しか記せなかった。しかし、こうして会えたのだから、自重する必要などどこにもない。
「紹介していただいた伝手が、東方では役に立ちました。皇帝陛下に認められたのも、ミンロン様が便宜を図ってくださったから。――本当に、ありがとうございました」
「いえいえ。こちらも、随分と儲けさせていただきました。公式補給商の仕事は、もう他の方に譲りましたが、実績は充分。こうして、私個人の商会を立ち上げることができたのも、モリー殿のお引き立てがあってのこと。……こちらこそ、礼を言わせてください」
ゼニアルゼに立派な商館をたてられるくらいには、ミンロンも成功したわけだ。お互いにとって、いい結果に終わったのなら何よりである。
お互いに持ちつ持たれつで、今後も上手くやっていこうじゃないかね。
「それで、今回はどのようなご用件でしょう。――ああ、いえ、今後の見通しとか、これからの関係性について話し合うというのは、わかっているのです。……聞きたいのは、モリー殿がどこまで本気であるか、という部分でして」
「書簡では、あいまいな表現を使わざるを得なかったものですから。――ミンロン様とは、今後も変わりのない付き合いをしていきたいのです。信用ができて、顔が広く、能力も備えている女商人というものは、ミンロン様をおいて他にはございません」
だから、これからも投資を惜しむつもりはないのだと、私は明言しようじゃないか。
持ちつ持たれつ。私が贔屓にする以上は、半端な立ち位置は許さないよ。
私が貴女を『様』づけで呼ぶのは、その能力を評価してのことだけれど。商業と言うものの恐ろしさと、多国間において自由に行動できる有能な商人、その厄介さを心底理解しているからでもある。
丁重に接するのは、是が非でも味方でいてほしいから。そして、敵に回った時は迷わず殺すと決めているからこそ、後悔を残さぬように、敬意をもって相対するのだ。
「これからも、ミンロン様を贔屓にしていきたいと思っておりますので、まずはお納めください。――ドヴールでの商業自由権と、東方首都の商館利用権です。専用の手形を用意しましたので、女だからと言って舐められるようなことはありません。ミンロン様がその気なら、いつでもあちらで商売ができますよ?」
「……ちょっと、困りますね。厚遇されているのはわかりますが、人手が足りません。一般の事務員等はともかくとして、東方交易に関わるほどの、大規模な商隊を統率できる商人の当てがないのですね。そういった人材は、他の大商人たちが抱え込んでいますから。今から探すのも難しい所でして――」
「はい。それはわかっておりましたから、ぜひ人を雇ってほしいのです。元盗賊の商人ですが、腕っぷしと商才は本物なので、使って損はない人材だと保証しましょう」
元頭目の商人を、ミンロンに押し付ける――もとい、使い勝手のいい部下として、使いこなしていただく。最近は結構な業績を上げ続けていて、将来有望であると私も結論付けた。
事業を広げたい彼女にとっては、必要としている人材であろうし、案外補完し合う関係になれると私は思うんだ。
受け入れてくれるなら、そこから話を広げていける。拒否されたらどうしようか、と思ったけれど、その心配は取り越し苦労に終わってくれた。
「モリー殿が雇えと言われるなら、是非もございませんが……彼を使って、何をしろと?」
「彼には、東方での商業経験と、知識があります。ミンロン様の代理として、あちらで仕事を任せてもまず問題ないでしょう。――ついでに言うなら、ミンロン様が東方会社から出向してきた人物を雇うことで、私達の間で何かしらのやり取りがあることを、周囲に周知させることができます」
「本命はそちらですか。……何を企んでいるのか、せっかくでから全部語っていってはどうです? モリー殿と私の仲ではありませんか」
頭目商人の所属がちょっとややこしいことになるが、まあそこは両人に不利益にならないよう、融通を利かせようと思う。
ミンロンは西方でも珍しい、成功した東方商人(しかも女性!)だ。その珍しい立場は人の目をひくもので、これは西方でも東方でも変わらないだろう。
私は、彼女にもっと大きな名声を与えたいと思う。なぜなら、それがお互いの為になるのだし、もっと大きな視点での平和にもつながることだから。
「私とミンロン様は、気心の知れた仲です。わざわざ貸し借りを考えねばならぬほど、他人行儀な付き合い方はしていません。――でしょう?」
ミンロンは、自分が『儲けさせてもらった』という自覚があるはずだ。前提として、彼女ほどの才覚がなければ意味のないものであったろうが、機会自体は与えられたもので――この点に関しては、私の方に分がある。
ミンロンは言葉を詰まらせたが、結局は否定しなかった。沈黙を守ったまま、私の言葉を待つ。
「そういう訳で、ミンロン様には西方と東方の懸け橋。その一助となっていただきたいのです。企みと言えばその程度のことですから、あんまり構えるようなことではありませんよ」
「具体的な手段については、まだ伺っておりませんね? 件の頭目商人を雇うことと、繋がっているのでしょうか?」
反応が鋭い。ここまでわかってくれるなら、私としては不安を感じずに済む。
気心を知れた仲と言うものは、本当にいいものだ。ちょっと語っただけで、おおよそは察してくれる。
「当初、考えていた予定とは少し違いますが――ミンロン様には、東方会社の特別顧問に就任していただきます。もちろん、名義だけで具体的な権限とか仕事とかがあるわけではありません。何かあった時に、『私は東方会社の人間である』とアピールできる。それから、必要な時に情報を共有できて、私モリーの名前を出して交渉することができる。この程度のことと考えてください」
「そうなると、外部の人間である私が、東方会社に取り込まれた形になりますね。まあ、私の外聞なんて、利益になるならどうでもいいんですが。……ここで大事なのは、そちらの閥の人間を重用することで、私自身が、モリー殿の手先であることを証明するわけですか」
「重用するに値するくらいには、頭目商人には色々と仕込んでおりますよ。――まあ、そちらは無理にとは言いません。彼を使ってみて、性に合わないと感じたら、またこちらで引き取ります。……本命はこちらですね」
そう言って、私は持参した書物をミンロンの前に広げた。
以前、東方の書物を西方の言語に翻訳したことがあったが、逆のことだって私には出来る。
つまり、西方の技術書を東方の言語に直して、これを普及させる。その先鞭をつけることだって、充分に可能なのだった。
「西方の農学と医学の書。造船と建築に関わるものと……それから、これは大砲の設計図と砲兵の戦闘教義まで! ――念のために聞いておきたいんですが、大丈夫なんですか、これ?」
このモリー、一世一代の大仕事である。
シルビア妃殿下が、東方に対してあらぬ野心を抱くことがあってはならぬ。そうと信ずるがゆえに、東方はある程度の武力を保持して、ほどよい脅威として残ってもらいたい。
実際にあちらで暮らしたことで、東方と西方の技術格差を、私は実感として理解していた。
もっとも、切羽詰まるまでは、軍事力の拡大は行わないだろうという確信もある。兵は不祥の器にして、君子の器に非ず――というわけだ。結局は気休めに過ぎないが、それでいい。東方が西方の軍事技術を学ぼうとしている事実だけでも、抑止力にはなるだろう。
「王妃様から許可はいただいておりますよ。いずれもが二世代は前のものですから、流出したからと言って、問題視する者はいません。西方では、すっかり陳腐化したような内容ですし――正直な話、東方がいつまでも技術的に遅れていては困るのですよ。ミンロン様には、これを是正するために尽力していただきたいのです」
薬学や陶磁器など、部分部分では、むしろ東方が優越している分野もあるのだが、純軍事的には西方が圧倒しているというのが事実である。
土地が美味く、力も弱いとなれば、名分さえあれば食い散らし放題だ。それを多少なりとも抑止するために、私は動く。
ミンロンは商人としての伝手を使い、西方の技術を東方に伝達させる。私は東方会社の代表としての地位を使って、東方の思想を西方に伝える。
双方向で理解を深め合うことも、争いを避ける上では重要であるはずだ。
「……私じゃなければ、いけないんですかね。ほら、ゼニアルゼには私以外にも東方商人が何人もいますし」
「クロノワークとゼニアルゼの両国に関係深く、私個人の付き合いがある方は、ミンロン様しかいないのです。東方会社の顧問に就任することで、商業的に自由な動きが可能になりますし、私の名を使えばそれなりの権威にもなるでしょう。――恥ずかしながら、商人の人脈はそれほど広くないもので。ミンロン様以外に、ここまで重要な仕事を任せられる方はいないのです。見返りとして、貴女個人には歴史に残るほどの名声を与えられます。利益以上に、これは大きなことであると思うのですが、いかがでしょう?」
ミンロンが客家の出であることは、ドヴールの商工会長から聞かされている。
彼女は、一族の地位向上のために。あるいは年少の子供たちを養うために、絶対的な後ろ盾を欲しているはずだ。
客家は東方においても流浪の民であり、よそ者として迫害された歴史がある。
一族ごと西方に住み着く覚悟までは持てないかもしれないが、東方会社と言う箱の中に居場所を作ったならば、これを利用する強かさくらいは持っているだろう。
「私でなくてはならない理由はそれだけですか? できれば、もっと特別感があった方がやる気が出るのですが」
「もう一つ理由をあげるなら、個人的にシルビア妃殿下ともつながりがあること。その気になれば、あの方と連絡を取って、私とシルビア妃殿下の両方を天秤にかけられる。――それができる肝の太さを持った商人は、やはり貴女しかおりません」
「それは長所なんですか? むしろ、裏切りを警戒すべき理由になるはず」
「いいえ、いいえ。――つまり東方会社の中にあって、シルビア妃殿下の動向を間近で観察できる立場として、貴重なものであると思います。……これはただの予想ですが、ゼニアルゼも東方に進出し、企業を立ち上げる日が来るでしょう。その時にこそ、貴女の価値は最高に高まることになります」
今の東方会社の特別顧問から、ゼニアルゼの東方会社への鞍替えを検討する。
そうした態度を取った時、ミンロンはどれほどの特権をゼニアルゼから引き出せるだろう。想像してみると、なかなか面白いのではないか。
手続きさえ踏むなら、それは別段不義理な行いではない。なにより、私が許すのだから問題はなかった。
……ミンロンを引き抜いてくれたら、その時点で勝負がつく。だって、彼女は東方会社との縁は切れても、私とのコネクションを手放す理由がないのだから。
時期次第ではあるが、西方と東方の関係は、そこで一旦固定化すると私は予測している。
「私が何か企むより先に、モリー殿の謀略が刺さりそうですね。……まあ、結構でしょう。事業の拡大を試みる位は、してもいい頃合いです。東方会社での立場も特権も、打ち捨てるには惜しすぎる話であることも確か」
そして、機会を提供されたなら、ミンロンは断れない。私の目論見を察していたとしても、利益が大きすぎるから、拒否することはできないはず。
「モリー殿。正式な役職とその業務については、具体的に書面にまとめてください。東方会社の組織構成や書式、各種手続きのやり方なども、正確にお願いしますよ」
「私からの申し出をお受けくださり、まことにありがとうございます。――実際に事が成った際には、実利と名声の向上については、できる限り報いさせていただきます」
「景気のいい話ですが、私からは、もう一つだけ。……モリー殿、本格的に企みたくなったときは、私をきちんと巻き込んでくださいな。どうせ私には語っていない所で、あれこれ考えているんでしょう? 少しずつでいいですから、私にも公開してほしいのですよ。共犯者として、それくらいの誠意を求めても良いでしょう?」
「構いませんが、知らせる以上は、こちらの都合で仕事を強制させることになります。東方会社の紐付きで、しかも私個人の思惑に乗っかるのであれば、文字通りの共犯者。――足抜けも、許すことはできません。その覚悟がおありで?」
この私の問いに対し、何をいまさら――と言いたげに、ミンロンは答えた。
「私とて、このまま安穏とした政情が、二十年三十年と続くとは思っていません。……東方交易に起因した、何らかの衝突が必ずいつかは起こってしまう。戦争にまで至るかはわかりませんが、そのことをモリー殿は察していて、対策を講じているのでしょう? 私にだって、それくらいは想像がつきます」
「……ミンロン様の情報網は、私もドヴールから使わせていただきました。一端だけでも、相当なものです。元締めのあなたなら、それくらいはわかってしまいますか」
「元締め、というほど強い立場でもありませんよ。――ですが、情報を集めることは商人の嗜みでもあります。無関係を装うよりは、身内になって利害を共有した方が、かえって多くのものを手に入れることができる。私は、それくらいにはモリー殿を買っております」
そこまでミンロンに言わせてしまったら、私だって彼女を取り込むことを考えねばならぬ。
短慮を戒めるためにも、まずは即断しないこと。家族と相談することを選択する。私が東方会社の代表を張っている間は、妻たちも共同経営者と言っても良いのだから。
「……東方会社からの正式な書類については、すぐにでも届けさせます。事務官も直接ここに派遣しますので、説明もそちらから受けてください」
「まずは、そこからですか。――いえ、不満があるわけではありません。私も話を急ぎすぎました。充分モリー殿とは近しいつもりですが、共犯者になれるほどの実績があるかといえば、まだまだ微妙なところ。むしろ貸しの大きさを考慮するなら、身内にしたところで小間使い以上のものにはなれない。……それは、私としても不本意です」
なので、モリー殿の依頼を果たしながら、経過を見ていただきましょう――なんて、ミンロンは言った。
私が訳した西方の書物を普及させ、東方の技術発展に寄与する。その実績をもって、充分とみなしてほしいと言われたら、私も受け入れるほかない。
「どうでしょう? 結論については、まあ三年くらいの猶予を頂ければと思います」
「ミンロン様は果断ですね。……わかりました。そのころまで、どの程度の成果をあげているか。それ次第で、私も貴女を共犯者とすべきかどうか、判断することにいたしましょう」
実際には、見極めに三年も必要ないだろうという確信はあったが、ミンロンの言い出したことである。
あちらにも、こちらを値踏みする権利くらいはある。三年の様子見は、むしろ彼女の方が私を評価するために必要な時間と見るべきだった。
どんな恩人でも、前途有望な原石であっても、時勢と運に恵まれなければあっさり消える。
それくらいのシビアさを、ミンロンも持っていた。私は、そう考えることにした。
「モリー殿の同意を得られたなら、もうこの場で話し合うことは、もうないでしょう。――商館の外まで、お送りしますよ」
「……はい。では、また」
最後に軽く挨拶して、私達は別れた。ゼニアルゼの中で、東方の女商人と、東西を巻き込む文化的商業的問題を話し合う。
まとめてみれば、これほど奇妙な会談はなかったと言える。もし、その内情について知る者がいたなら、それこそシルビア妃殿下とクロノワーク王妃様との、親子水入らずの語り合いと同程度には、周囲の興味を引いたであろう――。
二日間の滞在を挟んで、王妃様を伴って帰国する。改めて私もお二人の会談に同席したりもしたが、初日以降は当たり障りのない話題ばかりで、実のある話は出てこなかった。
私としては、あんまり重い話が続くと参ってしまうので、むしろ都合がよかったのだが――王妃様は、どうなのだろう。
孫を愛でる時間は、思ったより短かったと思う。王妃様の判断にケチを付けるつもりはないので、わざわざ疑問を呈したりはしないけれど。
その道程において、王妃様がこぼした愚痴に近いもの――。もしかしたら、本音に近い言葉が、私の中に深く根付いて離れない。
『成功し続けて、成長し続けることも、考え物じゃな。図体が大きくなればなるほど動きは鈍くなり、多くのことに関わるが故、悩みごとも増える。……ほどほどのところで満足するには、失敗や挫折を経験することも大事であると、この年になってわらわは学んだ気がするのよ』
いぶかしく思った私が王妃様の真意について尋ねると、いわくありげな表情で、静かに語ってくれた。
『シルビアの奴、狡猾でしぶとい、この世にはばかるような悪党の類であると思っていたが、案外いい母親をやるかもしれん。しかし、いい母親になったがために、西方を混乱に陥れる可能性が生まれたと思えば――なかなか運命という奴は、皮肉が聞いているとは思わんか?』
なんて、意味深な言葉を賜りましたけれども。だからといって、私が全てを察して動いてくれるだなんて思わないことですね!
東方会社と家庭内の秩序を保つだけで精一杯です。これ以上の仕事はパンクしてしまいます。ご勘弁ください。
『母親になった影響か、随分と後世の影響を考えるようになっておる。自分の子供が追い落とされたり、ゼニアルゼという国家が凋落することを、恐れるようになったらしい。……順風満帆すぎるがゆえに、落ちることへの不安が出てきたのじゃろう。クロノワークはまだまだそこまで成功を実感しておらんから、共感するのは難しいが』
とはいえ、王妃様はシルビア妃殿下をサポートする気が満々なので、大きな間違いは起こるまい――と楽観したいところだった。
他にも余計なことをあれこれ聞いた気もするけど、記憶にふたをして我が家に帰ります。
妻たちも準備はしてくれているけれど、クロノワークを離れる前の、最後の調整がまだ長引いているみたいだからね。
みんなで東方に出向するまでには、もう少しかかるらしい。それまでの時間、私は自由を許された。特殊部隊の副隊長と言う立場も、いつのまにか解かれていたから、わかっていたことではあるけれども。
寂しさを感じて、黄昏る権利くらい、私にはあると思うのです。
「そういうわけで、西方情勢は複雑怪奇。足を突っ込んだら、そうそう簡単には抜けられませんよ――っと」
顔役殿への書簡には、そのようにつづって、締めくくる。
あの人はあの人で大変だろうが――私の相手をするということは、東方会社のみならず、西方各国の要人と関わることも意味する。
宰相殿の耳目として、西方人の代表格である私を監視しつつ、交流も続けることでお互いの理解も進めていこう。
まっとうな関係を続けていければ、再度皇帝陛下のお目見えも叶うかもしれない。そうなったら、今度は宮廷の書庫への出入りをお願いしてみようか。
「そうそう許されることはないでしょうけれど、もし可能であれば……。東方の歴史と文化について、さらに深い考察ができる。どんなものをどの程度記録しているか、それが把握できたら、宮廷が市井で何を重要視しているか。改めて理解することも出来るでしょう」
ゼニアルゼ同様、東方会社も一枚岩ではない。今後は部下とか傘下の商人とかがやらかした時、いかにしてカバーするかが問題になる。
賄賂でどうにかできる部分もあるだろうが、東方人は面子を最重要視する。ここをはき違えると、大きな障害ともなりかねない。
過去にどんな問題が記録されているか。それにもよるが、私が閲覧できれば直接的な対策が可能だ。
「……村同士の諍いが、戦争に発展するような例もありますし。西方と東方の争いは、極力避ける方向でいきたいですねぇ」
西方の記録には、東方との小規模な衝突はあっても、そこまで大事になった例はない。
ドヴールや首都で聞き及んだ範囲では、そもそも西方人は商売相手と言う認識だけがあって、その西方人にも祖国があり、国際情勢に影響される存在である――と言う現実はほぼ見えていなかった。
宰相殿や顔役殿のような、一部の上澄みの者たちだけが、現状を正しく認識している。逆を言えば、その他の連中は、その場の感情で西方との付き合いを台無しにする可能性があった。
「西方から東方への武力侵攻は、東方会社と私個人の情報網があれば、前兆の段階で必ずわかる。……逆に東方が西方へ戦争を吹っ掛ける場合、私達は最前線に立つわけで――」
私が思うに、武力を持って脅しに使うことは、東西を問わない交渉の基本である。
東方国家には人的資源の余裕は腐るほどあるから、吹っ掛けられたら面倒極まりない。守り勝つことはできるだろうが、商機を失うこと甚だしく、今後の商売にも悪影響だ。
……何より、我が家の維持やクロノワークの発展すら怪しくなる。それを避けるための東西交流であり、相互理解を深める意義もここに集中していた。
「思ったより、クロノワークは人材層が薄い。オサナ王子がソクオチとの連携を考えてくれなければ、文官不足で国家運営に支障をきたしていたでしょう。……私が東方会社に出向し、ドヴールに根を張っておけば、もしもの時の対応がしやすいし、被害も最小限で食い止められる」
何年かかるかわかったもんじゃない事業だから、後継者の為のデータ取りとか、東方会社そのものの業績を上げて、存在価値を高めることもしておかねばならない。
東方からの移民は力にもなるが、それ以上に不和の種も背負ってくる。シルビア妃殿下との提携がうまくいくことが前提だが、少なくともクロノワークとゼニアルゼは上手に活用する手段があった。
……他は知らんけどな! 東方会社を無視して独自に接触して、やけどを負っても自己責任である。
ただ、そうしてやらかした馬鹿と東方会社の区別はつけてほしい。手打ちの際には、お互いの立場を理解しつつも、適切な解決法を導く手助けになりたい。
それが可能な立場に、東方会社はなりつつある。私が皇帝陛下に臣下の礼を取ったから、仲裁に出張っても不自然ではあるまい。
だから、顔役殿との付き合いはもちろん、できることなら宰相殿への直通の連絡手段があればいいと思うのですね。
「顔役殿を介することが悪いわけじゃないけれど。一日の連絡の遅れが、大事になる場合だってなくはないし。……顔役殿に万が一があれば、即座に機能しなくなる連絡線は、どうにも不安ですからね」
西方の脅威も、東方会社の有用性も、おそらく一番理解しているであろう人物だ。
宰相殿とのつながりは、強化していくに越したことはない。私の後任にも、それは徹底して伝えていこう。
「自分から背負い込んだ厄介事ではありますし。私以外に適役が見当たらないし、仕方のないことなんでしょうけれども。――本当、この世は複雑で面倒で、仕事は向こうから大量にやってくる。神様と言うものがいるのなら、抗議したいものですよ、ええ」
加減しろ馬鹿! くらいの愚痴は許されると思うんだ。いやいやマジで。
顔役殿への書簡をしまいこんで、今度はドヴールの商工会へ、此度の帰国からのアレコレについて、報告せねばならない。
商売相手として、同じ土地の同胞として、あちらにはあちらの仁義の通し方がある。説明責任と言うものを、私はおろそかには出来なかった。
新たな書簡に手を付けつつも、思考を回し続ける。心配事はいくらでもある。
それでも、出来ることから片付けねばならないのだと割り切って。私はわずかな休暇の間でさえ、仕事に向かっていたのでした――。
諸々の引継ぎも終わり、我が家は晴れて全員が東方会社への出向を完了。すでに代表として名が売れている私を先頭に、ドヴールへと帰還しました。
クミンは居残って、ドヴールの名士層との交流とか、市場調査の協力とか。とにかく現地で雑多な仕事を続けて来てくれたので、私としては報いてあげたい。
一日の休息の後は、すぐに仕事に取り掛かれる。そうした環境を整えてくれたのは、間違いなく彼女の功績だったから。
「あ、お礼とかはいいです。そういうのは、西方に帰った時にまとめてしてください。今はとにかく、東方でのモリーさんの目的を果たすこと。それが第一でしょう?」
「いや、しかし。クミンの働きは、間違いなく賞すべきもので、私たちが来るまで一人で踏ん張ってくれていたのも事実なわけで――」
「そうはいいますが、今のモリーさんに強請ってまで欲しいものとか、別にないんですよね。食うに困っているわけでも男日照りってわけでもなし。……モリーさんの人生を近くで眺めているだけでも、退屈しのぎにはなりますし。私よりも優先すべき仕事が、これから待っているんでしょう? だから、私へのお返しとかお礼とか、そういうのは後回しにしてくれていいんですよ」
そうは言われても、ここで折れては夫としてのメンツが立たない気がするわけで。
たぶん、他の妻たちからアレコレ指摘されなければ、私はずっと納得できなかったと思う。
「モリー。ここはクミンを立ててやれ。お礼は後で良いというなら、そうしてやるがいいのさ」
「そうね。私もクミンへの感謝はしてるけど、それはそれとして本人の意思を尊重してあげましょう? モリーの立身出世のために、今働くことが一番大事なんだって。それを理解してくれる妻なら、後で報いるほうが、喜びも大きくなるものよ」
ザラとメイルの言葉をそのままに受け止めて、クミンはほほ笑んでいた。
彼女らがそれで通じ合っているなら、夫としては言い訳するほうが野暮だろう。
そして、私達は改めて、東方会社に勤めることになる。ドヴールの周辺もまだまだきな臭いし、ゼニアルゼとの複雑な関係はこれからも続くだろう。東方文化との軋轢や、進出してきた西方人には注意も喚起していかねばならない。
やるべきことはいくらでもあるし、いずれもがおろそかにしていい仕事ではない。
妻たちの言うとおり、まずは目先の大事に対処するのが先であろうか。……それにしたところで、一朝一夕に済む話ではないのだから、やはり妻への労いを先にしてもいいと思うのだが。
「キリがないって話ですよ、モリーさん。だから、話はもうおしまいです。一緒に墓に入る仲なんですから、いちいち難しく考えなくってもいいんです」
「……クミン。その、貴女は私に縛られなくとも、別の人生がいくらでもあるでしょう? だから、特別に気に掛ける必要があると思って。それでですね――」
「今更他の人のところに行っても、退屈するだけですよ。なんだかんだで、モリーさんは見ていて飽きない御人です。瀟洒で貞淑な妻を演じるのも、それを長く続けるのも、うんざりする。――モリーさんの家なら、素のままの自分でいても許されるでしょうし、まあ、なんですね」
結局、私は貴女の傍に居たいのだ――なんて。クミンから言われてしまった。
私も、貴女が傍に居てくれてよかった――と。そういうだけで、精一杯だった。だって、ザラもメイルも、クッコ・ローセだって、そこからは割り込んできて、収拾がつかなくなったものだから。
なんだかんだで、私は恵まれている。今生を生きて、この妻たちと共に家庭を築くという幸運に恵まれて。これで不満を覚えるほうが、ひどい不遜と言うものだろう。
これからの未来、どれだけ多くの試練が待っているかは知れぬが、決して折れずに立ち向かおう。
そうあって、初めて。私は、彼女たちと、その高進であるクロノワーク騎士たちの期待に応えられるのだと思うから。
何より、私自身がなすべきことをなして、自らを誇りたいと願う。貴女方が選んだ私と言う人間は、これだけのことを成しえたのだと。
私を選んだことを、決して後悔させない。仕事と家庭を両立して、共に生きることの素晴らしさを共有したい。
それが、私の本心で。私がこの世界に再度生まれ落ちた、最大の意義であると思うから――。
ここまで目を通していただき、ありがとうございました。
本当に次で、この物語は完結します。
読者の皆様にとっても、この物語が何かしらの刺激になったり、新しい知識の発見になっていたりしたら、嬉しいと思います。
では、また。最後のお話が出来上がるまで、もう少しだけお待ちください……。