24歳独身女騎士副隊長。   作:西次

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 割とグダグダに話し合っています。
 本人たちは真剣ですが、客観的に見てどうか。

 ……ともあれ、よろしければ時間つぶしにでも、どうぞ。



王女と話し合ってから実戦訓練に備えるお話

 シルビア王女は、おおよその場合において、下準備は充分に行うことを常としている。

 モリーに関連する情報を一通り集めてみると、やはり彼女は傑物というか、怪人物と言った方が正しく思えた。

 

 戦においては冷徹であり、効率的に敵を殺す。さりとて部下を使い潰すわけでもなく、被害を最少限に抑え、時には退くこともわきまえた理性的な武人でもある。

 しかし個人として見れば、伊達男の様に振る舞いつつも、諜報員として信頼できる実績もある。

 これで国内の重要人物(主に女性)との交際もあるのだ。おおよそ信じがたいことだが、調べた限りでは健全な付き合いであるらしい。――少なくとも、外面は。

 

 どうにもモリーとやらは、不可思議な存在に見える。多芸といえばそれまでだが、そんな一言で済ませて良いものか。シルビア王女は、改めて興味をそそられた。

 

「礼をわきまえた狂人。酔狂者と、一言で片づけられれば楽なのだが、どうにもチグハグじゃの。……狂人が、まっとうな倫理観を持っている実例とも言うべきか。これで才覚が凡庸であれば、社会不適合者のレッテルを張られて、静かに破滅していけたであろうに」

 

 そうならなかったのは、はてさて幸運なのか不運なのか。さっぱりと死ぬより、だらだらと生きる方が苦痛になることもある。

 シルビア王女が見る限り、モリーはその辺りの感覚を理解しているようではあるが。

 

「うーむ、やはり直接会って話すのが一番の近道か。あれこれ悩んでいても不毛なだけよな」

 

 いまいましい大臣の動きによって制されてはいたが、本日中にはモリーと会える算段が付いている。

 これまた大臣の働きによるものだが、わざとらしすぎて感謝などしたくない気分であった。しかし彼の好意を無にしたところで、害があるばかり。結果だけを見るなら、大臣の調整能力は見るべきものがあった。

 

「派閥間の調整とか、落後した者への配慮とか、やりたくない仕事を率先してやってくれていると思えば。……まあ、認めてやらんでもないな。――うむ」

 

 後程、此度の働きについて、個人的に報奨を用意せねばならぬだろう。自身の慎みの無さに自覚もあるし、尻ぬぐいをしてもらったことも理解している。この辺りの分別は、シルビア王女もわきまえていた。

 

「ともあれ、時間は取ってある。日が改まってもよいように明かりの準備はあるし、ちゃんと休暇も用意してやった。今日のために万端整えてやったのだ。――楽しませてもらわねば、割に合わぬと言うものよ」

 

 ちなみに、シルビア王女は命じただけで、苦労は下々の者たちが被ることになっている。

 実務的な処理とか、仕事を抱えて酷使される連中の事情や感情などは、察する程度で流している。

 銭で返してやればよかろう――などと彼女は考えているが、実際に払う銭は税金であり、身銭を切っているわけではない。なのに自ら骨を折った風に演出できる辺り、彼女の厚顔さは一種芸術的でもあった。

 ――悲しいかな、出所がどうあれ、報酬さえあれば酷使に耐えるのが人と言うものである。

 

「雑務が間に入ったが、待った分だけ、期待値も上がると言うものよ。これで肩透かしされれば、誰を恨むべきかわからぬではないか」

 

 今度ばかりは失敗は犯せぬ。犯すにしても、他人のせいにはしたくないとばかりに、彼女は余計なものは排除している。

 時間の確保は当然だが、余人を交えずに語らうために、クッコ・ローセすら同席させていない。もしモリーが乱心すれば、たやすく害されるであろうが、そのような手合いでないことは、下調べの段階で把握している。

 

 この上で問題が起きたとしたら、それはもうシルビア王女の器量がそこまでであった、というだけのことだ。ならば、あきらめもつくと当人は考えていた。

 

 

 そろそろ、モリーが訪ねてくるであろう時刻になった。念のため、王女の特権で本日の仕事は早めに切り上げさせたから、疲労は残っていないはずである。なかば意地で、心行くまで語りつくす準備も整えたのだ。

 扉を叩く音と、入室の許可を求める女官の声。待ち望んだ対面がなると思い、気が急いた。無造作に『入れ』とだけシルビア王女は応える。

 

 そして彼女は、初めてモリーの姿を目にした。

 

「――ほう」

 

 シルビア王女は、目を細めて彼女を見やる。扉を開け、ゆったりと歩を進めるモリーの姿は、彼女にとっても印象的に映った。

 

「ふむ。……いや、これはこれは」

 

 モリーの容姿は、伝え聞いていたものと、大きく乖離してはいなかった。どんなにひいきしても十人並みの造形、という評価になるだろう。とりたてて美人であるともいえず、さりとて不細工とも評せぬ。

 それだけなら注目するに値せぬが、礼の作法が整っていた。前に進む歩法も頭を下げる動作も、全てが線が通っているかのように正確で、かつ滑らかだった。

 育ちの良さもあるだろうが、それ以上に自信と実績のない人間には、決してできない振る舞いと言える。

 礼法と言うものは、その身体に染みつけるものであって、度胸だけでどうにかなる分野ではないのだ。

 

 宮廷にいて長く、人を値踏みすることも多いシルビア王女が、素直に感嘆する水準なのだから――それだけで、容姿にも補正が入る。

 これならば十人並みから、そこそこの美人、くらいには格上げしてもよいだろう。

 

「クロノワーク王国、特殊部隊副隊長のモリーと申します。この度はお招きにあずかり、光栄に思います」

 

 声も悪くない。声の質だけで魅力を語るのは浅慮だが、欠いてはならぬ一部分であるのも確か。透明感があり、はっきりと耳の中に響くようで、心地よい。

 品性を感じさせる性質の声音は、よほどの教育を受けていなければ、到底維持できるものではないだろう。

 声の張りは、鍛錬の質を感じさせた。諜報員は、時に役者となることも求められる。この調子であれば、やはり彼女の優秀さは疑うべくもないだろう。

 

「シルビア王女も、お元気そうで何よりでございます。私も、国元に良き報告ができるものと、安堵しておりますれば。――どうか、ご自愛ください。大切な御身の時間を、私のために費やされるのは、恐れ大うございます」

 

 抑制が効いており、大きすぎず小さすぎず、丁度よい塩梅を心得ている。わずかな言葉であっても頭に残るほど印象深かった。

 へりくだる態度も、どこか毅然とした雰囲気があり、卑屈さを感じさせない。これほどの振る舞いが出来る女騎士が、彼女の他にいるものか? クロノワーク、ゼニアルゼの両国を見渡してみても、おそらくは居るまい。

 シルビア王女は、内心で感嘆していたが、表には出さぬ。弱みを見せず、強気に振る舞うことが、彼女にとっては常態であったから。

 

「せっかくの機会なのだ。堅苦しいことは言うてくれるなよ。――まずは楽にせよ、モリー。さ、早う席につけ」

「恐れ入ります。恐縮ですが、仰せの通りに致しましょう」

 

 そう言って、モリーは用意された席についた。いざ対面してみると、彼女は毛ほどの怯えも見せてはいない。

 権力者を前にして、泰然自若とした態度を取れる騎士は、そう多くないものだ。自信か、覚悟か。いずれにせよ、シルビアという強権政治の大家を前に、臆さぬ姿勢は好ましい。

 全ての要素を合わせれば、モリーとやら。異性からは、もしかしたら高嶺の花にすら見えるのでは――と。シルビア王女は、やくたいもないことを考えてしまう。

 

「さて。――もはや周知のことであろうが、私こそが『あの』シルビアである。……緊張するなとは言わんが、委縮はしてくれるな。気兼ねなく言葉を交わしたいと、わらわは思っている」

「お気遣い、感謝いたします。なるべくお気持ちに添いたく思うのですが、無作法があっては申し訳もございません。……どうか、私に言葉を選ぶ自由をいただきたいのです。曖昧な言い方、遠回しな表現など、どうしても使わねばならぬ所があるかもしれません」

 

 ここまで来て、持って回った例え話や、聞き苦しい宮廷用語などは聞きたくないシルビア王女である。

 内心で舌打ちしたが、自身の価値観を強制するほど親しいわけでもないのだ。ここは妥協するところだろう。

 

「――まあ、よい。長々と垂れ流さぬならば、許そう。ただし、そこまで言ったのだ。わらわの質問を拒否することは許さぬ」

「はい。御意に従います。私がシルビア王女の質問を無視することはありません。……どうぞ、気兼ねなくお聞きください」

 

 お互いに同じテーブルに着くまでが、一種の闘争だった。前提として、シルビア王女の部屋に至る以前までの流れが、すでに政治闘争の舞台であったのだから、それも当然か。

 ともあれ、いまや両者は接近し、手の届く範囲にいる。剣を帯びてはいないとはいえ、この距離まで近づけるには、相応の意図があるはずだ。モリーとしては、そこを聞かねば話にならぬのだが――。

 この点については、すぐにシルビア王女から説明が入る。

 

「初めに言っておこう。わらわは、クロノワーク王国に対し、如何なる害意も抱いておらぬ。お主を近づけたのも、まあ、せっかくなので誤解があるならば解いておきたいと思ったからよ」

「はい。祖国なのですから、それは疑っておりません」

「大変結構。――わらわがお主を呼んだのは、個人的な興味によるものが大きい。国家間の、特に面倒な部分を持ち出すような話ではないのでな。ゆえ、安心して言葉を吐けと、改めて伝えておこう。……声が聞こえぬほど遠ざかっていては、お互いに話し合うどころではないからのう」

 

 シルビア王女としては、明言することで安心を与えたかった。

 相手から本音を引きずり出すのに、安心ほど大事な要素はない。真に受けるかどうかは彼女次第だが、シルビア王女は与えた言質を無下にしない人物である。

 少なくとも、これからはそうしたイメージを作っていくべきだった。大臣の功績に報いるためにも、己自身を倫理の鎖で縛らねばならない。

 

「不躾ながら、質問をお許しください。……個人的な興味とは、どういった類のものでしょうか」

「そうさな。ごく普通に、気になったからだというべきか。……何にせよ、難しい話ではない。単純に思ったことを述べ、話をすればよい。わらわは常に、頼りになる友人を増やしたいと思っておるのだ。友人の定義については、今さら議論の余地はあるまい」

 

 わかってくれるな? とシルビア王女は付け加えるように言った。

 彼女なりに、謙虚な姿勢を見せたつもりなのだろう。そうとわかれば、モリーの方も態度をやわらげて見せるのが礼儀だ。

 この場限りの、都合の良い友人を演じるくらいなら、モリーにとっては造作もないこと。それ以上を求められるようなら、困ってしまうが。

 

「わかりました。……誠実であることは、騎士の美徳なれば。礼をもって応えてくださる以上、王族の言葉に対し、誠心誠意応えるのが道理でありましょう」

 

 本当の意味で友人になれるかどうかは別だ、と言外にモリーは答える。ことさらに誠意を強調するような仲を、友とは呼ばぬであろう。

 それを承知のうえで、微かに舌打ちしながらも、シルビア王女は言葉を返す。

 

「……随分と持って回った言い方をするが、わかってくれたならば結構なことよ。さて、何から切り出したものかな。あくまで個人的興味ゆえ、あれこれ考えてはいたが――ああ!」

 

 シルビア王女は、少し考えるような雰囲気を見せたが、意味ありげに微笑んで一言。

 

「聞こう。お主、クッコ・ローセとはどのような関係だ?」

「教官と教え子。あるいは、友人。それくらいでしょうか」

「想い人、恋人、とは言わんのか? ああ安心せよ。わらわは同性愛には寛容だ。――わらわにその毒牙が掛からぬことが前提、ではあるがな」

 

 初手からシルビア王女は仕掛けて見せた。

 きわめて親しいクッコ・ローセを話題に出したうえで、その関係を想像し、同性愛に理解を示して見せる。それでいて、『わらわにまで手を伸ばすな』とあからさまに言い放ったのだ。

 不躾な言葉に対して、嫌悪で答えるか寛容を見せるか。いずれにせよ人物像は計れよう。モリーは、この時点で探りの意図を感じた。

 明け透けで、わかりやすい一手である。それゆえにモリーの方とて、対策は容易い。決定的な言葉を避ければ、それで良いのだ。

 

「お戯れを。私は教官を慕っていますが、彼女の方は相手にしていないでしょう。あくまで、友人同士の付き合いをしているだけです」

「なるほどなるほど、受け入れてくれれば恋人――のみならず、伴侶にしてもいいと考えてはいる訳か。しかしあ奴の方が受け入れてくれるとは、流石に思われぬし。……いやいや、これはまた、不憫な話よ」

 

 邪推も過ぎれば非礼にあたるが、王族の非礼を咎めるにも作法がある。

 身内だけで話が済むなら、あえて咎めないというのも作法のうちであった。ゆえにモリーは言葉を濁す。

 

「さて。不憫と言われるなら、私のようなモノから好意を抱かれることこそ、不憫の極みと言うべきでしょう。――私の存在が、彼女のためになっているか、どうか。それに関しては、いささかの自信もございませぬゆえ」

 

 自らの感情を明言せず、無難な言説を用いて煙に巻く。それに構わず本質を突かれたら、露骨に正直な意見で答えて相手の出方を見る。

 モリーは定石を打ってきたと言える。これに対し、挑発するようにシルビア王女は嫌らしく微笑んで、言った。

 

「さあ、どうか。少なくとも、あやつは悪く思ってはおらぬ。――わらわは色々と知っているのだぞ? あやつの事情は、根掘り葉掘り聞いてやったのでな。あれが女の顔を見せるとは、わらわも思わなんだ。クッコ・ローセが恥じらう様は、何と言うかな……。見てて、ちとキツイというか、ちょっとアレっていうかな、うん――」

「お言葉ですがシルビア王女!」

 

 唐突に前のめりに発言するモリー。いきなりの強い態度に、シルビア王女も一瞬、気圧された。

 聞き逃せぬ一言があれば、食いついて譲歩を迫る。舐められて良いことはない。ゆずれぬ一線を示しておくのも重要である。

 この際は作法を忘れて良い。これ以上は踏み込ませないと、まずは言動で示しておく必要がある。いかに君主であっても、正式に任じられた騎士を誹謗するのは、無作法と見なされる。

 シルビア王女は、今一その辺りの理解が薄いようであるから、モリーの方が教えてやらねばならなかった。

 

「お、おう。……なんじゃ、失言であったかの?」

「恐れ多いことではありますが、あえて申し上げます。――クッコ・ローセ教官は、優れた軍人ですが、それ以前に立派な女性であります。身内であればこその発言でしょうが、名誉ある女性を認め、尊重してこそ、王女の体面も保てると言うものではありませんか?」

「……ああ、うん。そうかもしれん」

「王族ともなれば、多くの者が発言に注視し、影響を受けるもの。非公式の場であれ、他者を辱める発言は、ご自重なされませ」

 

 モリーの態度は、どこまでも真摯であった。発言の後は、頭を下げることで謝意を示す。

 この礼を踏まえた対応もそうだが、言葉に込められた感情にも嘘がない。シルビア王女には、それがわかる。

 わかったところで、態度を変えるわけにもいかないのが、彼女の辛い所であった。

 値踏みすると決めた以上は、自らの審美眼をとことんまで活用すべきだ。真の意味で、利用価値があるか否か。シルビア王女は、それを見極めようとしている。

 

「言い分はわかるが、なんとも堅苦しいことよ。――いや、わらわは対外的にも、評判がよろしくないことは自覚しておる。今さらの話ではあるが、指摘してくれたことを感謝すべきかな?」

 

 シルビア王女は、モリーを困らせてやりたくなった。大人げないと言えばそれまでだが、王族は敬われてナンボの商売だ。

 一時は圧されたとはいえ、圧されっぱなしで終わるわけにはいかない。意地の悪い問いかけは、モリーの器量を計り、自らの権威を主張するためにも必要であった。

 少なくとも、シルビア王女自身は、そう信じていた。

 

「感謝など不要です、シルビア王女」

「ほほう。配慮など迷惑なだけだと、お主は言うか。身分の差と言うものを、自覚させてやってもよいのだぞ?」

「――お戯れを。本心から私の面目を潰すつもりであれば、まず私の言い分を聞こうとはなさらぬはず。……心を偽っているのは、貴女の方でしょう。気にかかることがあるのなら、他人の話など持ち出さず、率直に話されればよろしい」

 

 ここに来て、モリーは厳しい態度を取った。その眼は細まり、猛禽のような剣呑さで、シルビア王女をとらえている。

 感情的になった訳でも、無謀さに身をゆだねたわけでもない。許されるギリギリの範囲で、彼女は誠実に向き合おうとしているのだ。

 

「何を――」

「シルビア王女。貴女は、もっと本心を口にして良いのです。私はクロノワーク王国の騎士で、その血筋に敬意を払うべき立場にあります。どうあっても、貴女の敵にはなり得ない。まずは、それをご理解ください」

 

 細めた目を戻し、声をやわらげて言う。モリーの言葉は、シルビア王女を尊重するように、ことさらに優しく聞こえた。

 しかし、その内情はといえば『クロノワーク王国の王族の血』に対するものであって、シルビア王女個人ではない。

 言葉による攻撃だと、捉えようによってはそうも聞こえる。これを理解せずに流せるほど、この強権的な君主は寛大になれなかった。

 

「言うものよ。――仮に、わらわがクロノワーク王国を切り捨てれば、お主からの敬意は無になるであろう。それくらいはわかる」

「ご賢察、恐れ入ります」

 

 真面目くさって、うやうやしくも無礼な一言を告げるものだから、シルビア王女は怒るを通り越して呆れてしまった。

 モリーは気負いもせず言い放ったのである。クロノワークから心を離すならば、お前は敬意を抱くに値しないのだぞ、と。

 

「馬鹿者。……そこは世辞であっても、そんなことはありません、と答えるべき場面じゃぞ」

「ご無礼、お許しください。――気兼ねなく話してよいとのことでしたので、つい正直に答えてしまいました」

 

 モリーは、少し困った風に視線を落としながら、遠慮がちに微笑んで見せた。これにはシルビア王女の方が鼻白む。しぐさが一々上品でケチを付けられぬから、余計に忌々しい。

 取り繕ってはいるが、『貴女の言葉を、真に受けぬ方が良かったかね?』――と、モリーから挑発されたように感じたのだ。

 

「ふん。……可愛くない奴め」

 

 癇癪を起すくらいなら、言葉の上では取り繕ってやっても構わない。そうした雰囲気が、モリーにはある。

 そうした真意を悟ったからには、無礼を許すくらいの度量を、シルビア王女は演出せねばならなかった。上位者としての気位の高さが、そうさせるのである。

 己に対する自負が、つけ入る隙を作る。そうと分かっていても、改善できぬ部分が、誰にでもあるものだ。モリーは、この好機を逃さない。

 

「わかった。許す。――何を話そうが、おとがめなしとしてやろう。そうすれば、少しは身のある議論が出来るのであろう?」

「議論までお求めになるのであれば、ついでに余人には漏らさない、という言質もいただきたく思います。……王女様は、たいそう口がお軽いように見えますので、念のため」

 

 怒りをあおるのは、言葉を引き出すためである。モリーの対応は、完璧だった。

 シルビア王女の自尊心を刺激するという意味で、まさに完全であったと言わざるを得ない。結果として、それは返ってくる。

 

「くどい。許すとわらわは言った。お主の不利益になるようなことはせぬとも」

 

 ……王族としての誇り高さが、仇になったというべきか。明言したのは、保証を相手に与えたも同じであるというのに。

 とはいえ、これは言質をあたえるほどに追い詰めた、モリーの方が巧みであったと表現すべきであろう。シルビア王女が失言について思い至るより先に、彼女の方が仕掛けた。

 

「では、早速議論のお題を用意しましょう。……ソクオチ王国の矛先について。覚えがおありではありませんか?」

「――ほう」

 

 シルビア王女は、議題の方に興味がわいた。ようやく、楽しい話になりそうだと、不信感よりも期待の方が強くなる。

 

「何ゆえそう思う?」

「諜報に関しては、我らよりシルビア王女の方が強い分野でしょう。我々が予測している中で、もっとも悪い状況に陥ることも――。おそらく、貴女ならば想定していたはず」

「答えになっておらんぞ。わらわが強力な情報網を持っていたとして、それがなぜソクオチの狙いを知ることにつながるのだ? わらわとソクオチとの繋がりを予測できるものは、何もなかったであろうに」

 

 ソクオチに限定する理由は何か? とシルビア王女は問うた。

 その顔には、挑発的な笑みが張り付いている。対してモリーは、決して笑顔は見せず、緊張した面持ちで話し続けた。

 

「最初から、貴女がそのように仕向けたからです。具体的に申し上げるなら、ソクオチにクロノワークを狙わせる意図があったと考えています。もちろん、根拠はございますとも」

「――聞こう」

「まず、ソクオチの諜報員と接触した私に対して、悪いうわさを流したこと」

「うむ、白状するが、それは確かにわらわが手配した。……しかし、それはお主を我が国に呼び込むため、一旦仕事を仕切り直させるきっかけとしてだな――」

「責めは致しません、これも軍略なのですから。――都合が悪かったのでしょう? 私がソクオチから情報を抜き続け、軍を発するその時を見極めさせては、ゼニアルゼではなくクロノワークが主導して返り討ちにしてしまう」

 

 モリーは、シルビア王女の真意を突いた。

 その証拠に、彼女は目線をそらした上で、手にした扇をあおいだ。やましい気持ちを持った者がするしぐさであり、そのストレスを和らげるための、ごく一般的な動作でもあった。

 

「あくまで、ゼニアルゼが主導しなくてはならない。クロノワークには防衛のみ任せて、そちらがソクオチの後背を突き、首都を占領する。主力が出張っていれば、国内の守りはどうあってもおろそかになるもの。改めて防備を固めるならば時間が掛かるし、その隙を突けば蹂躙する余地はあるでしょう。教官の練兵が間に合えば、おそらく不可能なことではない――と見ますが?」

「……さて、な」

「そしてソクオチを占領した後、有意な条約を結んで、後々の布石を打つ。……そうですね。ソクオチを乗っ取るために、嫡子を人質に取りますか? 洗脳するにせよ、都合のいい誰かを引き合わせるにしろ、貴女の思いのままだ」

 

 モリーの言を、シルビア王女は否定しなかった。否定しないままに、扇をあおぎ続ける。

 

「前提として、ソクオチの方から、クロノワークの方に攻め込ませる必要がありますが、シルビア王女のこと。すでに何かしらの策を講じておいででしょう?」

「……そこまでわかっておるなら、わらわは何も言う必要はないではないか」

「貴女は議論を求めたはずです。なればこそ、お互いに言葉を交わすこと、認識を改め、情報を共有することは重要であると考えます」

 

 黙して語らずば、誠意に欠ける。モリーは、容赦なくそこを指摘した。これもまた、言質を利用しての発言である。議論であるならば、一方的に話すことは許されない。

 一旦無礼を許容したからには、最後まで貫き通すのが道理。これには好悪の感情抜きで、シルビア王女も応えざるを得ぬ。

 

「お主に率直さを求めた以上、こちらも沈黙は守れぬな。――それをあえて突いてくる辺り、性格悪いのう、お主」

「シルビア王女に敵はいません。流石は天才軍師と謳われ、多くの国家に影響を与えた御方。きっと、貴女は歴史に名を残すでしょう。私のような凡人には、決して至れぬ境地であります」

「言いよるわ。お主とて、傑物には違いなかろうに」

「どうでしょう。――さて、話を続けますね。他に怪しいと思ったのは、ゼニアルゼとクロノワークをつなげるトンネル工事です。実際の着工まではまだ時間がありますが、時期といい、女騎士団まで動員する性急さといい、怪しさ満点です」

 

 モリーは、シルビアの誉め言葉に、反応らしい反応を返さなかった。ここに至っても、彼女は淡々と思う所を述べるのみで、好意や嫌悪といった感情を見せずにいる。

 こちらがどれほど高く評価しようと、嬉しくないとでもいうのか――と、シルビア王女は少しだけ悔しく思った。

 

「……ふむ。トンネル工事が、どうしたというのだ? あれは、両国の交通を容易にし、互いに密接な関わりを持つのに都合がいいのよ。わらわとしては、祖国とゼニアルゼが長く良い関係を築いてほしいと、そう願って作っているのだがな」

「はい、わかります。それは本心でしょう。――しかし、全てを語っているわけでもない。貴女にとって、『都合のいい』関係を築くために、これは確かに必要な工事なのでしょう。そこは、疑っておりませんよ?」

 

 モリーはどこまでも平易で、しぐさにしろ感情にしろ、乱れるところがほとんどなかった。

 言葉の上で不穏な雰囲気を演出することはあったが、彼女の表情は不気味なほどに静かな平面を保っている。クッコ・ローセに関わること以外は、だが。

 さりとて、その部分を突くべきは今ではない。敏感で繊細な部分を避ける貞淑さは、流石のシルビア王女とて備えている。なので、彼女はモリーの攻撃を避けずに受け入れることにした。

 

「わざわざハーレム嬢を派遣してまで伝えたことです。そこに何らかの意図があると、そう勘繰るのは間違いでしょうか」

「まったく。察しが良すぎるな、お主。……疑問ならばそれらしく言わんか。答えも思惑もお見通しだ、とばかりに白々しく言うでない」

 

 弱みを突くように、モリーは不気味なほどに静かに――しかし、辛辣な発言を続けた。これでは、シルビア王女から不興を買っても仕方がない。

 ある種不遜ともいえる態度であるが、この場では許される。すでに言質は取っているのだ。

 

「ご無礼、お許しあれ。シルビア様の提案に乗った以上、嘘を交えずに語るべきかと考えましたので」

「くどいぞ。二度も言わせるな。――いいから続けよ」

 

 シルビア王女は、呆れ気味でこそあったが、モリーの存在を容認していた。身内としてではなく、道化師のような批判者として、異なる意見を吐く敵手としてならば、価値を認めることもできるらしい。

 適当に顎をしゃくって、続きをうながす。

 

「土木工事と軍事行動の関連性は、シルビア王女には今さら講義することでもありますまい。通行が容易になれば、攻め込むのもまた容易になる。――まさに、それゆえにクロノワークはソクオチの攻略対象となるのです。しかし、これはおぜん立てされた行動に過ぎず、ゆえに事前に対策を取ることができる」

「まさに。トンネルが安全に利用できると分かれば、ゼニアルゼへの侵攻にも都合がいいというもの。お主の主張を認めよう。……国元に伝えたいなら好きにするがいい。すると、あちらから非難が飛んでくるやもしれんな。頭の痛い事よ」

「非難だなどと。――勝てる戦いを提供してくれたと思えば、さほど恨みに思うことでもありますまい。クロノワークの武力と、これから鍛え上げるゼニアルゼの戦力。それらを含めて考えれば、負ける要素はどこにもありません。……わかっておいででしょうに、シルビア様こそ人が悪いというべきです」

 

 シルビア王女は、余裕をもって扇をあおぐようになっていた。顔色にも、ようやく上機嫌な色が出てきている。

 

「まあ、そこはな。誘導する以上、手抜かりがあっては恥と言うものじゃろう。ゆえ、勝ち筋はもう見えておる。心配することはないぞ」

「はて、私が心配するところなど、あったでしょうか。――あるとすれば、それはシルビア様自身に関すること。ソクオチやらゼニアルゼの内情やらは、考えるまでもないことです」

「……何と?」

 

 外部のいざこざなんぞより、シルビア王女自身の方が心配だ――とモリーは言う。

 そこに食いつかずにいられるほど、彼女は無関心ではいられなかった。

 

「不思議ですか? ご自身の急進性を危険視されるのが、これが初めてであったとは思われませんが」

「余人であればともかく、お主があえて言うほどに、心配されているのだ。これには、わらわとて注目せずにはおれんわ。――良いから、思うところを述べて見よ。本人に直接問いただせば、何かしら新しい発見があるかもしれんぞ?」

 

 新しい発見を、誰よりも欲しているのはシルビア王女の方であったろう。刺激に飢えている身の上だから、斬新な意見を拝聴する機会に食いついてくる。

 それがわかっていたから、モリーは律儀にも正直に答えた。

 

「対等の相手がいないこと。理解してくれる人に恵まれていないこと。そして、それで良しとされている、貴女ご自身の傲慢さ。――私が王族としてのシルビア様に対する懸念は、これだけです。些細と言えば、些細なことですね?」

「たわけ。……傲慢は、王を殺す毒ぞ? 健全な傲慢さはむしろ良薬だが、一旦不健全な方向に振り切れれば、それは自覚せぬうちに自らの臓腑を焼いていく――」

 

 モリーの言葉を耳にした時点で、シルビア王女の優れた頭脳は、その意味を完全に理解していた。

 一を聞いて十を知るだけの知性は、すでに備わっているのだ。余計なことを問い質さず、納得するだけの下地は充分にあったと言える。

 

「あい分かった。……わらわの方が、気合を入れすぎたな」

「如何なる意味合いのお言葉でしょう。不興を買ってしまったのなら、お詫びいたします」

「――そうではない。ともあれモリーよ。今日のところは、もう戻ってよい」

 

 これには、モリーの方が驚いた。表情には出さないが、口調には表れる。

 

「夜は長うございます。話そうと思えば、まだ時間はありますが?」

「いいから、もう寝ろ。わらわの方も時間を置いて、頭を冷やしたいのだ。――女騎士どもの訓練が仕上がったら、また会おう。それまでは、好きにしているがいい」

 

 もうシルビア王女は、別の思案を始めているらしい。席を立って、ベッドへと寝そべった。

 お前はもう、さっさと帰れ――と。態度で示したのである。

 

「仰せの通りに。……では、失礼いたします」

 

 一礼してから、モリーは去った。踵を返し、室内に足音を響かせる。

 退室の際の儀礼を、完璧にわきまえた振る舞いであった。きっちりと扉が閉まるところまで、シルビア王女は確認する。

 

「――信を得れば、頼もしい人物であろうな。好ましくない部分があるのは、むしろ愛嬌と見てもよい。多少はトゲが無くては、面白くないからのう」

 

 イバラの花を愛でるように、痛みを伴うような強さ、美しさを価値とすればよい。モリーに対しては、これで決まった。

 さて思案のしどころだと、シルビア王女は考える。これからのプランを変更すべきか、推し進めるべきか。

 いずれにせよ、再度見直す必要があると思われた。何しろ、己には力はあっても、信がない。

 積み重ねた信頼ほど強固なものはないのだから、今一度周囲に目を向けるべきか。

 シルビア王女は、意外な形で好ましい刺激を受けたものだと、内心で喜んでいた。これだけでも、招いた価値はあった。

 さて、次に会うときは、どれほどのことが起こっているだろう。それを楽しみに思うくらいの遊び心が、彼女にはあったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他国の政治に関わるとか勘弁していただきたい。今日も今日とて軍隊に癒しを求めています。モリーです。

 いや別段、私が特殊性癖ってわけじゃなくて。難しいことを考えずに、感覚と経験でどうにかできる仕事は、思い悩まずに済むから安心だねって話。

 

 とりあえず、女騎士たち全員との話し合いは終わった。皆納得して、私が指導に回ることを喜んでくれた。一通りやり遂げた後でも泣き笑いができる辺り、やっぱりここの子たちは見込みがあるよ。

 クロノワークは規格外だから、私が他に比べられるのは現代日本の学生や、社会人(ごく狭い範囲)くらいしかないけど。それでも前世の日本より戦国風味が効いているせいか、女の子も結構根性があっていいね。

 本格的に指導に回るのは初めてだけど、教官たちが感じている『やりがい』っていうのは、こういうものなのかもしれない。それを理解できるくらいには、ゼニアルゼの教官職にも慣れてきた。

 

 クッコ・ローセ教官を同僚にして働ける、貴重な機会だ。ここで私が彼女の役に立つ働きが出来れば、いくらかでも恩返しになるだろう。

 新米騎士の頃、教官には世話になりましたからねー。友達らしい付き合いも大事だけど、実務を一緒にするなら、馴れ合いはダメだから。実利的に助けにならないと、私がここにいる意味もない。

 

 ――と、言うことでそこそこ鍛え上げました。楽しい楽しい殴り合いから一か月ばかり、クロノワーク基準で標準より少し厳しい、くらいの訓練を行いました。もともと体力だけは教官が付けてくれていたし、一定の教育を受けている彼女らは、事の重要性を理解して、真剣に訓練に臨んでくれる。

 

 『戦争が近い』ってことを何となくほのめかせば、実家辺りを通じて真実を拾ってくれるから、真実味があって怖いらしい。いやー、悪いね。その感覚を利用させていただきました。

 ……ゼニアルゼも一気にキナ臭くなりましたね。おぼろげにでも、危機感を抱いてくれるなら、それはそれでいいんだけど。王女様、大丈夫? 情報漏れ過ぎてない?

 

 後が怖いんで、あえて深くは考えません。やったね、皆。お披露目の日は近いよ!

 ……なんて、冗談でも言った暁には阿鼻叫喚だ。だから、せめてそうなった時のために、平常心で戦える程度には度胸をつけてあげようじゃないか。

 指導する側としては、責任を感ずる部分だからね。そこは真剣に。

 

 ちょっと遠出して、一月くらいは都から離れます。だから事前にやるべきことは終えておくように――って、女騎士たちに二日の休暇を与える。

 それが何を意味するのか、ちゃんと説明した上で。……遠征の訓練は厳しいんだ。他所はどうか知らないけど、クロノワーク式はキッツいよ。保証する。

 

 だから念のため、退職届を用意しておくこともすすめました。脅しじゃなくて、実戦では生死にかかわることだし、足を引っ張るような奴はいらないんだ。

 男の騎士なら、訓練での死亡例も多々ある。実戦での戦死を防ぐために、殺すべき兵は殺しておくのが作法とも聞く。

 ウチはその辺りガチだから。男はそれでいいが、女の子にはそこまで求めるべきじゃないだろう。……私は、誰一人として亡くなってほしくないんだよ。

 こちらでの滞在期限もギリギリだけど、あえて希望すれば融通は聞くと思う。延長前提で仕事をしているんだから、これはこれでガバガバな理論ではあるけれど。

 

 休暇が終われば、参加する女騎士たちを召集して説明会だ。細かい日程は事前に貼りだして周知させているけど、当日に改めて説明するのも、上官の役目と言うものだ。

 

「休暇は有意義に過ごせましたか? そう言う訳で、模擬合戦を行います。本日と翌日は移動に時間を使いますので、実際に始めるのはそれ以降ですね」

 

 最初の二日間は、移動に時間を費やすことになる。費用度外視で贅沢に馬とか船とか使うけど、予算は充分にもらっているからね。徒歩とは比べ物にならない速度で目的地に向かう。

 何しろ、これから行われるのはただの模擬戦ではない。一方にとっては撤退戦であり、もう片方にとっては追撃戦である。

 充分に遠出して、遠征の辛さを体に覚え込ませておきたいんだ。これもまた、本番への備えだと知ってほしい。

 ……ソクオチだって、むざむざとやられはすまい。抵抗の強さを想定して、訓練を行わねばならぬ。

 名前通りのもろさを期待するなんて、軍人としてあるまじきことだ。だから本気で鍛えよう。

 

「クッコ・ローセ教官は、敵側を演じていただきます。……これから我々は、敵国内を通り抜けて自国まで帰らなくてはならない――という想定で動かねばなりません。要するに、敗走の訓練ですね」

 

 攻め込むのに、敗走前提とは弱気に過ぎる、なんて。思う人もいるかもしれない。

 でも、実際に守りが硬くて撤退戦――なんて状況も、ありえる話だ。その場合に備えずに楽観的に攻め込むなんて、それこそ暴挙だろう。だから備える。

 

「クッコ・ローセ教官は、別隊を率いて我々を追撃に掛かります。……決して甘くない逃避行になりますから、覚悟だけは事前に決めておきましょう。負傷しても自分の足で走らせます。……足が折れたら? ――戦友の負担になることが、どれだけ気まずいか、身をもって理解すればよろしいでしょう」

 

 勝てば勝ったで、追撃の仕方も覚えねばならない。追い散らして勝った勝った、で済ませる様なら軍人やめて傭兵にでもなりなさい。

 追撃戦で戦力を削がねば、戦った意味がないというもの。教官の陣営は追撃時の訓練、こちらは敗走の訓練。

 今回の遠征を終えた後は、立場を入れ替えて再度行うことになっている。こっちは時間が許せば、だけどね。

 

 一応、万が一の事態に備えて、回収班と医療班の用意はあるが、なるべく使いたくないというのが本音だ。実戦さながらの、長期間にわたる訓練である。中途離脱は好ましくない。

 勝つにせよ負けるにせよ、どちらの立場も経験してこそ、実戦の役に立つ。

 戦は常に優勢とは限らず、思いもよらぬ事情によって、勝敗は逆転するものだ。だから、どちらの経験もさせておくのが、親心というものではないか。

 

「さあ、まずは開始地点に行くまで競争です。攻撃側より先に着くことが出来れば、それだけ防衛が容易になります。もちろん、追撃側も事情は同じ。――兵隊は走るのが商売、という言葉は、決して比喩ではないんですよ?」

 

 走れ走れーと、女騎士どもを追い立てる。今ではもう慣れたもので、皆は私の命令も真面目に聞いてくれる。

 いい傾向だ。愛されるより、恐れられる方が都合がいい。軍隊とは恐怖政治がまかり通る組織であり、即応性が何よりも重視される。

 

 現場の将が、君主の意向をいちいち伺っていては、戦などできない。だから、私のような現場指揮官が柔軟に対応して、戦場を駆け巡るべきなんだ。

 訓練だって、それは同様。事前に申請して、国内を横断する手形と、補給のための物品はそこらへんに確保してあるから安心だね。寝床も最悪、人家の軒下を借りてもいいことになっている。

 事前に商人や住人に許可を取っているから、まず問題は起こるまいよ。補給が無くては戦えない。兵站の維持なくして、戦争は成り立たない。この辺り、シルビア王女は理解があって助かるってものだ。

 

「先に戦場に到着したほうが有利だと、何度言えばわかるのですか。必死さが足りません。――走りなさい! 貴女が遅れれば、それだけ仲間の命が失われるのですよ!」

 

 基礎訓練によって、能力はそれなりの水準にある。ただ、精神の方はまだ鍛え方が足りないと思う。何より、敗北への恐怖というか、勝たねばならない理由について、理解が浅い気がするんだ。

 だから、その点も含めて、今回の訓練でしごいてやる必要があるね。……せっかく敗走などという忌々しいものを、安全な訓練で体験させてやるんだ。とことん追い詰めてやって、構わないだろう。

 

「現地に付いたら、陣地の構築にはさらに時間を使います。到着が遅れれば、休みなしで動き続けることになりますから、気張って走りなさい。最初に苦労しておけば、後で報われることもあるんですよ!」

 

 最後尾から、急き立てるように連中を追い立てる。なんだかんだで能力は向上しているし、私もそこそこの信頼は築けたようで、彼女らは素直に走ってくれた。

 二泊の野営を経て(野営の経験も重要。上品なお嬢様に寝心地の悪さを教えてやれる)、目的地に着いた時には、もう昼近くであったけれど。明かりを用意して夜中まで作業を続け、模擬戦を迎える陣地を整えることはできた。

 前日くらい、まともな状況で、安心して寝かせてやりたかったから、これだけでも充分な成果だと思う。

 

 模擬戦は早朝から開始される予定だ。追撃側の教官の部隊は、そろそろ配置についている頃だろうか。

 いつだって、追う側が有利で退く側が不利なもの。なので、数のうちでもこちらが少なく、敵が多くなっている。

 

 理不尽さを理解させる意味でも、平等さは度外視だ。敗走側は不利が前提の戦場を渡り歩くことになる訳で、苦労して構築した陣地も、すぐに放棄しなければならない。

 労働の成果がむなしく敵に奪われてしまう、喪失感。敗北とは失うことであり、敗者とは勝者の因果を押し付けられる存在だと、実感させてあげようね。

 

「さぁ、忙しくなりますよ。これまで鍛えてきたのは、この瞬間の為だと知りなさい」

「はい! モリー教官」

「教官! いえモリー隊長、我々の状況は万全です!」

 

 ゼニアルゼの女騎士たちにとっては、辛い日が続くことになる。

 同情はしても、手加減はするまい。訓練の厳しさが、実戦での生存率に関わるのだから、気合も入ろうと言うものだった。

 一通りの訓練が終わったら、皆をねぎらってあげよう。自腹を切ってでも、報いましょう。言葉を尽くし、行動でも示そう。そうされるだけのことを、貴女方はしたのだ。

 そうするだけの成果を上げてくれると、私は確信している。だから、今は強いて求めよう。

 

「陣地構築と人員の配置、終わりました! 皆がモリー隊長の訓辞を待っています」

「よろしい。では、参りましょうか。……敗走の予行演習が、如何に大事であるか。言葉だけで理解してくれるなら、それに越したことはないのですから」

 

 願わくば、本番に至っても、誰一人として死なずに済むように。ありえない妄想を抱きながら、私は彼女たちに向き合うことを決めたのでした――。

 

 

 




 いかがでしたでしょうか、楽しんでいただけましたか?

 次は、実戦訓練の場から始めていくことになります。結構な部分で想像というか妄想が入るので、今から不安でもありますが。

 まあ、今度もきっと、来週辺りの私がどうにかしてくれるでしょう。

 来月の半ばくらいに投稿出来たらいいなぁと思いつつ。
 モリーの活躍に、ご期待ください。


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