割ときつかったです。
ゼニアルゼの女騎士たちって、だいたい名無しなので、扱いに困りました。
あと、作者には軍事の知識とかあんまりないので、アレとかコレとか。本当に正しい見解なのか、自信が無かったりします。
……しかし、もともと頭の悪い作品にしようと思って書いていたはずなので、悩みすぎて筆が進まないのも間違いだ、と気づきました。
結果、色々とガバガバなお話になってしまいましたが、ご愛嬌ということで。
無駄に長くなりましたが、楽しんでいただけたら幸いです。
私、モリーの朝は早い。いつも早朝には目覚めてしまう体質なのだが、今日は特別な訓練の、その始まりの日なのである。
その緊張のためか、おおよそ20分から30分くらい、早く目が覚めた様な気がする。時計がないので正確なことは言えないが――さて。
どうも、私らしくもなく、気負っているらしい。体調は問題ないが、気持ちの高ぶりを自覚していた。
教え子たちの状態は悪くない。陣地も構築して、一泊している。気力、体力はそこそこ充実しているだろう。
失態が起こったとしたら、それは指揮官たる私の責任だ。そうと肝に銘ずるならば、なおさら失態は犯せない。
「いい朝ですね。突貫工事ではありますが、陣地もある。敵の攻勢を防ぐ準備は万端です」
私は私の才覚を信じている。今までの鍛錬と、経験の積み重ねを頼りとしている。これから模擬戦の間は部下となる、女騎士たちの前で――私は、言葉を重ねた。
これより、騎士という地位は意味をなさない。一隊員、一兵士として扱われるのだ。誠意を示すためにも、言葉を尽くすのは大事なことだと思う。
「私たちは、今日と明日、二日間は陣地にて防備を固めます。その後、後方で補給線を絶たれ、首都で政変があったという仮定の上で陣地を放棄。撤退戦に移行します。――なお、一定時間内に都に戻れないようであれば、その時点で我々は完敗したと判定され、ひどいペナルティを負うことになります。気合を入れるように!」
具体的な日取りは、隊員たちには教えない。ぶっちゃけ政変だって、関係あるのは上層部だけなんだから、情報統制なんて当たり前だと理解してほしい。
制限時間だって、ダイスを振って決めたもんだしな! ――あえて明言しないのが優しさと言うものよ。
――とはいえ。実際に補給が断たれたら、陣地にこもっていても継続戦闘は難しい。玉砕覚悟ならともかく、通常は撤退を考える。政変で政治的生命が脅かされるとなれば、なおさら気が気でない。
ここまで来れば、せっかく構築した陣地を放棄する理由としては、充分だろうと思う。
「我々は、私ことモリーを総指揮官とし、その下に分隊が三つ存在します。分隊は各五十名。隊長三名がこれを統率する。総勢おおよそ百五十名、互いに気心の知れた仲間でありますから、生死を共にするのに不満はないでしょう」
第一部隊長、第二部隊長、第三部隊長と、記号的に私は彼女らを呼び出した。
記号的な呼び名だが、それはここが公式の場で、差別しない態度を表明せねばならぬからだ――というのは、言い訳だ。
私個人が、彼女らと親しくなることを制限している。早ければもう一月くらいで帰ることになるし、下手に情を抱いたり抱かせたりするのは、年頃の彼女らにとっては良いことではあるまい。
それでも何かしらの功績が認められたり、個人的に話し合う機会があったりしたら、ちゃんと『個人名』で呼ぼうとは思っているが。それもまた、訓練が終わってからの話だろう。
私は明確な上位者であるのだから、贔屓はもちろん、ちょっとした嫉みや怒りを面に出せば、それだけでも大きな影響を与えてしまう。
だから、節度が大事。冷徹に過ぎる印象を与えてでも、私は公正公平でなくてはならない。
「各々、部隊員の様子は把握していますね。体調不良の者は、いますか?」
「おりません」
「第二部隊、同じく」
「第三部隊も問題ありません」
結構。全員を酷使してよいわけだ。ここに来て怖気づくもの、身体を壊す者がいないのは、指導と訓練が正しかったことの証左であり、彼女らの資質を証明するものである。
この愛しい教え子たちを、可能な限り酷使して、鍛え上げることに。今さらながら、喜びを感じていた。
――きっと、彼女たちは大成する。集えば一国を落とすくらいのことはやってのけるし、生き残れば一人一人が、いっぱしの将校としてやっていけるだろう。教官の訓練が仕上がれば、名実ともに立派な女騎士だ。
自身の器量で、実家や嫁ぎ先を支配するのも容易いはず。そうなれば、誰のためにもなるし、ゼニアルゼの未来も明るい。
いいことづくめじゃないかと、改めて皮肉気に微笑んで見せる。まったく、クロノワークの女の子とは別の意味で、魅了的な子たちだ。
個人的なストライクゾーンに入るには、まだ数年の熟成が必要になるけれどね! ま、それは関係のない話か。
「初日の攻撃の刻限は知らされています。現実の戦争でも、互いの布陣が明確であれば、相手が仕掛けてくる時間帯は予測がつくことが多い。なので、最初から実戦のつもりで臨みなさい。――同国人とはいえ、攻撃側はクッコ・ローセ教官が指揮しているのです。手心を加えてくれるなどと、軟弱な期待はするだけ無駄です」
言葉を尽くして、部下の女騎士どもの危機感をあおる。そうして陣地に向かい、配置につかせた。
私は最前列で、敵の姿を確認するまでは留まるつもりだった。教官のこと、意表をついて早めに攻勢に出ることもあり得なくはない。
事前に決めた刻限など、所詮口約束よ――と無視してくる狡猾さが、教官にはある。
そうした雰囲気を、感覚でつかむためにも。指揮者たる私は、気を抜かずに最前線の空気に触れるべき、というのが持論でもある。
しかし特別やることがない現状、手持無沙汰な気分を紛らわせるのに、苦労する。
開始直前にもなって、私は話し相手を求めようと思った。たとえ短い時間であっても、仲間の緊張をほぐしてやりたいし、それならば相手を選びたいとも思う。
「第一部隊長」
「はい、何か?」
選んだのは、最前列を固める第一部隊長だ。第一、という言葉は力を持つものだから、私自身が最良だと思う人材を指名している。
本名は知っているが、やはり口には出さない。情を移さず、必要以上に慕われないためにも、こうした線引きは重要だ。
所詮己は他国人で、お客様に過ぎないのだと、己を律する。そのうえで、他愛もない話をするのは、私なりの余裕の表し方だ。
「アナバシス、という言葉を知っていますか?」
「いいえ。何という意味でしょう?」
「古代の異国の言葉で、『上り』を意味します。途中までですし、形だけとはいえ――下流から上流に向かって退くのだから、状況に即した言葉だとは思いませんか?」
ぶっちゃけ、私が考えているのはクセノポンの著作の方だけどね! なんか不意に思い出した。ここに来るまでには大きな川を渡ってきたし、帰るまでに受けるであろう妨害や障害を考えると、オデュッセイアというよりはアナバシスだろうと思う。
あそこまで複雑な事情が絡んでいるわけでもないし、内訌とか外交とかは無縁だから、そこまで似てるわけでもないけどね。
付け加えるなら、敵地横断六千kmとか、そんな極端に厳しい状況でもなかった。例えに出すのは不適切でも、何気なく思い出したものだから、つい口にしてしまうんだね。
よくよく考えれば、こんな贅沢な訓練があってたまるものかと、クセノポン先生に怒られそうだ。まあ故人には敬意を示すくらいにして、現実の私としては、軽く話題にするくらいは利用させてほしいと思うんだよ。
……岩波書店は批判も多いけど、いろんな分野で古典をカバーしている点は評価すべき。でも、もうちょっと読みやすく翻訳してくださいね。
なんというか、うん。気合の入った趣味人以外はお断り、っていう姿勢は良くないと思うんです。
「忘れられた、カビの生えた言葉と言えば、そうでしょう。けれども、アナバシス――と。口にしてみれば、何とも壮大な響きであると思いませんか?」
「部隊長として恥ずかしくはありますが、私にはなんとも。教養が無くて、すいません」
前世の感傷に浸りたい気分の私としては、あれこれと珍しい言葉も使いたくなってしまう。でも、相手にとってはひどい無茶ぶりに聞こえてしまうのだろうか。
……いやだねー、もう。自身の知識を誇るようでは、まだまだ私も未熟と言うべきだ。
「気にすることはありませんよ、第一部隊長。私の発言が、ぶしつけに過ぎた。これは、そういう話です」
ちょっとは緊張をほぐす意味合いもあるが、頭を悪くして、どうでもいい話を持ち出したい気持ちもあった。
これは、私にとっても試練なのだ。最初から張りつめていては、最後まで持たない。いくらかは思考を緩めておいた方が、長持ちするだろうとも思う。
付き合わせる彼女たちにとっては、とんだ災難だ。それでも、この訓練を乗り越えて、成長してほしいと切に願う。
「さて、当たり前のことですが、守る側の方が攻める側の方より有利です。――小高い丘に陣地を構えれば、敵が攻めてくる様子も、こうして確認することができますからね」
「……そうですね。ええ、気がめいります」
教官とは簡単に打ち合わせはしたが、彼女の方も『実戦のつもりで行く』と言っていた。クロノワークにおいては、『無様をさらしたら殺してやるぞ』という意味の言葉である。
――同国人の間では一種の冗談のようなもので、真面目に受け取る者は少ない言葉でもあるのだが……クッコ・ローセ教官のこと。甘く見れば、死ぬような目にあうのは必定。
自分だけならともかく、指揮下の女騎士たちも諸共だと考えるなら、笑い話にもできぬ。
誰もが、悔いを残すことなく訓練を終えられるように。私はそのためにここにいるのだと、改めて責任の重さについて、自覚することができたと思う。
「仕込みは終えています。本日は、押し寄せる敵を撃退することに専念しましょう。――各員! 遠慮なく槍を突き出してやりなさい!」
さあ訓練の始まりだ。攻め手は当たり前のように陣地を攻撃し、我らはこれを防ぐ。真剣な殴り合いだが、模擬戦である以上は安全性を考慮せねばならぬ。
守り手は槍を主要な武器として用いるが、穂先は刃物ではなく、タンポ(綿を丸めて布で包んだもの)に取り換えてある。だから、思いっきり突いても致命傷にはならない。
相手も訓練であることはわきまえているので、タンポ槍でも突き落とされればしばらくは戦線を離脱することになっている。
数の違いと言うものがあるから、守り手は休む暇もない。叱咤しながら、女騎士たちを指揮する。
「陣地に殴りこんでくる連中は、私が叩き落とします。――安心して、外側に集中なさい!」
叩き落とす、と言うのはこれも比喩。私が木刀でコツンとやるだけで、敵側は無力化されることになっている。
実戦であれば上腕骨か大腿骨か、あるいは脳天なりをカチ割っているのだから、これはこれで現実に即していると言えるだろう。これでも技量については、クロノワークでも有数の自覚があるんだよ。
……後で腫れるかもしれないけど、それくらいは許容してください。割とよくあるよくある。
「叩け叩け! 遠慮するな!」
「体に当てればそれでいい! どんどん打て!」
部下の女騎士たちは、気合が入っている。敵側を叩き落とす作業は、彼女たちが集中すれば充分に能うことであるらしい。陣地を犯されながらも、守り切ることが出来ている。
もともとそこまで力量に差がない子たちである。状況を整えてやりさえすれば、守備側が優勢なのは当然と言うもの。
本来なら弓矢なり砲なりでお出迎えするところだが――。訓練としては、殺傷力を極力抑えねばならない。なので、使っても石つぶてがせいぜいというところだ。
もっとも、ただの石でも当たり所が悪ければ死ぬがね。……兜の緒はしっかりと締めるんだよ、皆。私が鉢金を装備しているのは、視界の関係で、近接戦闘にはそちらの方が都合がいいからだ。君たちにはお勧めできない。
「モリー隊長、取りつかれました! 上がってきます!」
「壁の外側を剥がしなさい!」
陣地の壁の外側は、いつでも取り外して放棄できるようになっている。
幾重にも重ねた板は、張り付いた敵を装甲ごと取り外すことを容易にする。相手はそのまま倒れて装甲の下敷きになってしまうが、そこまで高所からの落下ではない。
痛い目を見るだろうが、死者が出るほどじゃあないと思う。それに教官のことだから、落下に備えてサポートを徹底させているだろう。一手で脱落させられる数は、少数にとどまるかな。
「単なる力攻めです。一日、堪えなさい。一人前の騎士は、この程度で倒れてはならんのです」
初日は力攻めに限るようにと、教官とも了解が取れている。詰まらぬところで意表を突く彼女ではないし、ここは信じていい。
早朝から数時間ぶっ続けで働き、昼過ぎに第一波を退けて小休止を取るも、第二波がすぐに押し寄せてくる。
攻め手が数に勝っていれば、ひたすらに攻撃を続け疲労を蓄積させて、守り手の士気を削ぐことができる。
いかに守備側が優位とはいえ、連日これを続けられれば酷いことになる。なので――ここでは、ただひたすらに疲れるだけの戦いを経験させておくんだ。いつ終わるかもしれぬ攻勢を、防ぎ続けるだけの単純なお仕事です。
本番では命が掛かっているから、本当に心が削られていくがな! ――まあ、予行演習としてはこんなものだろう。
「敵が退いていく……。やっと……?」
「流石に夜戦になるまで続けたりしませんよ。不慮の事故が怖いですからね」
日が暮れてくる頃には、流石に敵側も攻勢をやめて退いていった。安堵して身体を崩し、へたり込む者多数。
夜戦は高等技術なので、現段階ではまだ教えられない。だから今日一日の仕事は、本当にここまで。
くたくたに疲れている女騎士たちを叱咤し、立ち上がらせて順次天幕に入れ、休憩させていく。いくら訓練とはいえ、見張りを立てずに全員が休むことは出来ない。
後日疲れは残るだろうが、籠城とはそういうものだし、負け戦も基本そんなものだ。重い疲れと精神的重圧、それに耐えながら退くのが撤退戦である。
訓練であるからには、本番並みの緊張感はないが、ここは指揮官も骨を折るべき場面だろう。
具体的に言うと、皆を労ったり、激励して士気を高めておく。……人間は感情の生き物だから、誰か一人でもヤケになってもらっては、周囲が困るしね。それに、やる気さえあれば結構耐えられるものだから。
根性論は基本害悪だけど、人の精神を無視して戦争とかやってられないんだよなぁ……。なので、出来る限りの配慮はさせてください。
「どうですか? まだ初日ですが、つらかったでしょう」
「あ、はい。――いえ、そんなことはないです。大丈夫です」
声を掛けた子は、カラ元気を出すように笑って見せた。しかし一瞬、痛みで顔をひきつらせたのを、私は見逃していない。
ケガ人の数自体は、攻撃側の方が多いだろう。しかし、あちらには手厚い看護が受けられるよう、医療班がついている。
「……指先に切り傷。腕には打撲もありますね? ちょっと診てあげましょう」
我々には、そうした贅沢とは無縁である。……だからせめて、自ら部下の傷を手当してやったり、声を掛けて士気を維持しないといけない。
陣地内にいるうちは、医療品の蓄えもある。――彼女らは傷の処置などは不得手の子が多いから、見本を見せる意味でも、私自身が手を尽くそう。
痛みを感じさせぬよう、彼女の手を軽く握って、優しく微笑んでから手当にかかる。
「え、あ――すいません」
「何を謝るのです? 貴女は立派に戦いました。戦傷は、勲章といってよいでしょう。――それが例え、訓練であったとしても」
これは本心。だから治療目的でも、体に触れるときは気を使って。手当には細心の注意を払い、労わるように処置を行う。
「さ、これでいいですね。……明日もまだ、今日と同じくらいの攻勢を防がねばなりません。辛い仕事を任せてしまいますが、一人だけ苦しい想いはさせません。今は共に、耐えましょう」
後は一言二言、愚痴にも似た言葉を交わしてから、彼女とは別れる。
次に無言でたたずんでいた子に話しかけて、思う所を吐き出させた後、感謝と共にその場を離れた。
見張りの中に、ぐったりと床に這いつくばっていた奴がいたんで、ちょいと蹴り上げてから優しく声を掛ける。疲れているからって、地べたに変な格好で倒れていると――翌日に上手く身体を動かせないこともあるから、そこは指摘しておかねばならない。
そうやって、時間が許す限り、ちょいちょい気になった子をケアをし続けました。
もちろん、そんな道楽ばかりに時間を費やすことなんて、私には許されない。就寝の前に、分隊長たちを呼んで明日の打ち合わせを行いました。
あんまりダラダラやっても仕方ないし、攻め手の行動はシンプルだから、本当に軽く話し合っただけではあるけれど。それでもちょっとした反省とか、改善の提案とかがあれば、少しは気持ちが楽になるよね。
「――と、これまでの経緯を見る限り、攻め手の行動は単調であり、明日一日に限るならば防衛は可能だと考えています。モリー隊長の見解はいかがでしょうか」
「同感です。……ただし、陣地にこもれるのは明日一日まで。それ以降は、敗走を続けることになります。実感が伴わないと、難しいとは思いますが。――辛いですよ」
「そんなに、ですか」
「それほど、です。――まあ、嫌でも味わうことになるんです。訓練という限定的な状況ですが、それなりに辛い思いをしていただかねばなりません。心の準備は、しておくことですね」
旗下の隊員たちにも、その辺りは気遣ってあげるんだよ? 私の方でもちょくちょく見てあげるけど、完全に手を回すことは出来ないからね。分業って大事。
「検討に間違いはないと思います。御三方に、些事はお任せしましょう。明日一日は、私は一兵卒に戻ったつもりで、敵兵を打ち倒すことに専念しますね」
「……ええと、それはいいんでしょうか。不安なんですが」
「なんのなんの。私、モリーが請け負います。君たち部隊長らは、明日一日の防備くらいはこなせる力量がありますよ。だったら、こちらは作業に徹したほうが成果が出るものと考えます」
実際、私におんぶにだっこでは、成長もないしね。任せられるところは任せて行こう。
ちゃんとできたら、褒めてあげます。抱きとめて、甘い言葉をささやくくらいはお安い御用ですよ。
……年下は守備範囲外なので、純粋に愛でるだけです。男としての性欲? まだまだ見栄が勝りますね、無粋なことは致しません。
母国に想い人たちを残していますから、不実はしたくないんですねー。教官? あの人は別枠なのでセーフ。
「ごあんしんください。教官も、こちらを追い詰めすぎて、早々に訓練を終わらせるようなことはしません。――そこまで甘くない人であることは、共通の認識であると思いますが?」
部隊長たちは、そこはうなずいて肯定してくれた。共感できたなら、安心なことですね。
あとは細かい部分をつめるだけで、解散した。彼女らだって、疲れがたまっていることはわかる。睡眠時間は多いにこしたことはないのだから、あまり長く話し合うのも問題だろう。
私? 大丈夫! この程度じゃ疲れない程度に、身体は作ってるからね。あと三日くらいなら身体を酷使できる自信があるよ。
でも休めるときは無理をしないっていうのも鉄則。各種の確認や点検に時間を使った後、たっぷり二時間は眠れたから、これからの闘争に不安はない。
「さあ、今日も今日とて、陣地にこもって守りの構えです。――今日くらいは、教官も絡め手を交えてくるかもしれません。各員、油断しない様に!」
「はい!」
「了解しました!」
「お任せください」
元気のよい反応を耳にすると、安心できるね。旗下の女騎士たちの才覚は、本物だった。そうした確信を得られた私は、きっと幸せな指揮官なんだろう。
……予測に反して、二日目の防衛も、単調な攻めに終始していた。だから私も、思うところはない。ただ、完全に守りきれたという、結果だけが残る。
そして、翌日の夜明けを待たずして、我々は移動を開始しなくてはならないんだ。
「二日間の防衛、お疲れさまでした。さあ、ここからは巻いていきましょう。――とりあえず、我々は陣地を放棄して、すぐに帰還しなくてはいけない事情が出来ました。しかし、連中はここぞとばかりに追撃してきます。実戦においては、追撃戦でこそ被害が多く出るもの。勝者にとっては、まさに稼ぎ時というやつですね」
どよーん、って。何やら効果音が出そうな勢いで、部隊長の三人は表情が崩れていた。
疲労の上に、苦労がのしかかってくるんだ。気持ちはわかるよ、うん。でもこれも訓練だからね。仕方ないね。
「陣地内で、天幕の中で休めるのは昨日まで。今日からは野宿の日々です」
「ええ? ……戦闘が続く中、野ざらしで寝るんですか?」
「第二部隊長。何のために、野営の訓練がありましたか? 自然の素材でシェルターを作る訓練は、こんな時のためにあるのですよ」
葉っぱや木の枝だけでも、寝床は作れる。ていうか、作らせたし眠らせた。上手に作れば快適に一夜を過ごせるようになる。下手な人は……かわいそうなことですね? これまでの訓練の全ては、この日のためにあったと言っても過言ではない。
陣地の天幕は全て置いていく。撤退戦においては、持ち運ぶ手間が惜しいし、何より重い。荷運びのための馬車はあるが、荷物は厳選したいし、何より――場合によっては、馬を放棄することだってありうる。
馬の維持費と、物資・糧食の運搬量を計算して……途上で多くを失ってしまうことを、想定に入れるべきだろう。戦闘による損失だって、もちろん有り得る。
「騎兵を残しておきたい気持ちはやまやまですが、どうでしょうかね。こればかりはやってみなければわかりません。……優先すべきは人命であって、家畜は使い潰していいことになっていますから」
「モリー隊長。偵察にも物資調達にも役立つ馬を、完全に失うのは賢い選択ではないと思いますが?」
「第三部隊長。ご意見ごもっともですが、維持しようとしても無くなる時は無くなるものですよ。――まあ、極力そうした事態は避けたいとは思っています。なので、騎兵には限界まで働いてもらう方針で行きましょう」
どう使うかは、私の裁量次第、と。いや実に責任重大だ。
いかにして敵から逃げ延び、いかに多くを生かして帰らせるか。あくまで疑似体験だが、やはりこれは私にとっても試練である。
「これからは、あらゆるものが足りなくなってくるという訳ですか。モリー隊長、補給のあてはあるのでしょうね?」
「ええ、ええ。もちろんですとも第一部隊長殿。――必要最小限度の備えは、事前にしておりますとも。ただし、本当に足りるかどうか、そこは保証はできません」
我々が敗走中であることを考えると、確保していたはずの物資がどこかに流れていたとか、当てにしていた市場が確保できないとか、そうした事態は実際に起こり得る。
敗者は奪われる者であり、追い立てられる弱者を相手に商売とか、あんまりしたくない気持ちはわかるからね。仕方ないね。
――なので、最悪『略奪』という選択肢が浮かび上がってくるわけだ。今回は訓練であるから、必要はないけど。……実戦でもやらずに済ませたいね、本当に。
「顔色が悪いですね、皆さん。そんなに不安ですか?」
そこまで考えたところで、皆の顔に不安の色が出ているのに気づいた。各隊長でさえこうなのだから、隊員たちはもっと不安だろう。
……考えすぎるから、かえって苦悩に苛まれるのだ。まだ余力のある今なら、無理にでも動かしてやって、前に進ませるのが一番いい。
「後ろ向きな思考を楽しむのは、そこまでにしましょう。――では、これから移動します。今がギリギリのタイミングでしょう。連中が陣地を占拠する時間を与えるため、いくらかの物資を分散して置くこと。――割と馬鹿にならない時間稼ぎになるので、覚えておきましょうね」
用意はすでに済んでいたから、出立そのものは早かった。
陣地を後にして、後方からわいわい騒いでいる声が聞こえたのは、そういうことだ。教官殿とて、半日くらいの時間はくださるだろう。
本気で追撃するつもりなら、間を置かずに追ってくるものだ。それでも経験の浅い兵を率いての追撃戦は、慎重に行うのが定石である。慣れていないと、思わぬ反撃を食らうこともある。
私だって、見え見えの突撃なんて仕掛けられた日には、どうにかして返り討ちにしてやろうって思うもの。だから、教官も女騎士どもを落ち着かせるため、多少は時間を置くはずだ。
その貴重な時間で、なるべく距離を稼いでおきたい。陣地を出て全力で移動すれば、夕暮れまでには河川にたどり着く。船があればその日のうちに川を超えて、撤退は難なく成功ということになるのだが――。
「船が、ない?」
誰かのつぶやきが、耳に入る。わたくし、モリーとしても心が痛む事態ですね、いやはや。
諸事情というか、訓練の都合により、こちら側の河川には船が一隻も存在しません。今日と明日だけは、別の場所に行ってもらうよう、事前に通達していました。
「船がないなら、自らの足で進むしかありませんね。さあ、上流に登りましょう。これから丸一日も歩けば、橋が架かっているところに着きます」
安全地帯を抜け出て、背後から敵が迫ってきているという状況下。一刻も早く不快な状況から逃げ出したい、という気持ちはわかりますが、そうそう簡単に終わらせてあげられないんですよ。
なお、橋を渡るルートはさらに遠回りで、余計に時間を食うことになる模様。
色々と申し訳ないけど、今辛い目にあっておけば、この経験が活きる場面も出てくるって信じてる。そうと思えばこそ、私は彼女らを駆り立てるんだ。
「途中、野営をします。見張りは交代制で、隊ごとのシフト管理を守るように。これからは食事も量を絞りますが、それは細く長く食いつなぐためだと、ご理解ください」
すきっ腹を抱えての敗走は、女騎士たちの精神を削っていく。粗食の上に酷使されるのは、兵士の宿命だから、少しでも慣れておくといい。
ともあれ、一日歩かせるだけでも一苦労だった。荷駄を運ぶ馬にも、疲労があらわれている。
馬は飲み食いするから、物資の消耗も激しくなる。どこで切り捨てるかは、私が決めるべきことだが――。同時に、どの程度残すべきか、それを決めるのも私である。
野営明けの夕方頃、暗くなってきている時間帯に、ようやく河をかける橋までたどり着いた。
すぐにでも橋を渡って、これを破壊すれば時間を稼げるのだが……訓練においては、そこまで許可されていない。
実戦で、他国から攻められている状況ならば仕方ないが、そうでないなら土木工事の手間を増やすな、ということだ。改めて橋をかける労力を考えれば、反対も出来ない。
それに、政変で急いで戻るってことは、政治的に強くない人物が指揮を握っているという想定なんだ。
橋を落とすような自傷行為は、政治の場で糾弾の材料になってしまう。あえて橋を残して去るというのも、充分現実的な行為だろう。
「すっかり暗くなりましたが、全員橋を渡り終えましたね? 本日は、ここで野営をします。各員、前日までの割り当てを継続するように」
もしここに敵の分隊がいて、渡河を阻止してきたら――と思ったが、そんなことはなかったぜ。
……ちなみに、まだ渡らねばならない大きな河がもう一つある。油断させておいて、本命はこれってこともあるか。いずれにせよ、ちゃんと都に帰るまでが訓練です。頑張りましょうね、皆。
「各々、足りないものがあれば申告するように。消耗品の備蓄は少ないですが、途中の市場で確保します」
「はい、モリー隊長。早速、各員から要望を聞いて回ります。……しかし、案外そういうことも許されるのですね? 意外です」
「第一部隊長。戦においては何事も臨機応変、柔軟な対応が求められます。安全な市場を見極める目を養わねばならないし、それはこれから教えるつもりですが――」
「……何でしょう?」
「貴女が隊長であったなら、戦いの中で、他にどうやって物資を調達しますか? ――私がある程度の手本を示すつもりですが、なるべくそれを考え続けなさい。これは部隊長としての義務です。よろしいですね?」
戦争中で、敵国の中であっても。意外と統制のゆるい市場があって、そこで物資が調達できる場合もある。
騙されて劣化品をつかまされたり、市場の中で襲撃されたりする危険性は当然あるが――。
これを利用しないなら、現地調達。いわゆる略奪行為を働くしかない。そういう方法がある、と理解させたうえで、なるべく恨みを買わない方法を使ってほしいのだ。
育ちの良い女性たちに、無作法を教えるなんて無粋なことだ。だから、三人の部隊長には市場まで同行させて、調達の任務を経験させたいね。
「腹が減っては戦が出来ぬ、の格言通り。――補給が無ければ、戦えません。武具が消耗すれば、被害が大きくなる。衛生管理が出来なくなれば、疫病が流行って戦う以前の問題になります。気にするべきは、食料だけではない。……ゆめゆめ、注意を怠らない様に」
渡河をした翌日、予想された襲撃はまだない。教官が全力で追撃をしてくるなら、もうすでに一度は接敵していても可笑しくはないのだが……?
数少ない騎兵を、どこの偵察にやるべきか。悩んだが、ここから少し進めば街があり、待望の市場がある。
補給の最中に襲撃を食らうのが、一番めんどくさい。第二部隊長に騎兵を全て預け先行させ、周辺の偵察任務に就かせよう。
「第二部隊長。貴女方を除いた我々は、これからまっすぐ近くの街まで進みます。人の足では半日以上かかりますが、軍馬なら偵察して戻ってくるのに、さほど時間はかからないでしょう」
「すると、偵察の範囲は限定的ですか? せっかく渡った河を超えるとなると、少し勇気がいりますので、後方への偵察任務がないのはありがたいですけど」
「河を越えてはなりません。橋には少数の監視だけを置き、これから我々が進む街道の周辺を先行して、警戒してほしいのです」
現場での判断については、いちいち口を出さずともいい。それくらいには、訓練を積ませている。
準備を整えさせ、第二部隊長と騎兵たちを送り出す。私たち歩兵は、朝食を軽く済ませてから動いた。騎兵にも糧食を持たせたから、荷物は軽くなっている。
ブーツや手袋、衣服の汚れは河でいくらか落とせたが、今後は衛生面での不安が付きまとう。
消耗品の補給は、その点でも大事だ。だから、絶対に成功させたいと思う。
……教官も、その辺りの機微は理解しているだろう。あくまで訓練なのだから、この点を考慮して、攻撃の手を緩めてほしい――なんて。
希望的観測は、指揮官をむしばむ毒だ。ただただ、備えよう。
備えさえすれば、対応が出来る。私が抱えている緊張感が、他の皆にも伝染したようで、街に着くまで、ずっと張りつめた雰囲気が続いていた。
小高い丘を越え、街が見えた時。ちょっとした歓声が皆の口から出たのも、無理なからぬことだと思う。
「おや?」
そして、まさに街に入ろうとした直前になって、騎兵たちと第二部隊長が戻ってきた。
おそらくは、悪い報告を持って。彼女の顔色の悪さが、それを物語っていた。
「騎兵の数が、少々足りませんね。……報告してください」
どこぞで伏兵にでもやられたか? と思ったら、案の定だったよ!
敵はわが軍の後方にいたと思っていたけど、どうやら別動隊を一日早く出発させて、ここらで待ち伏せしていたらしい。
伏兵自体はさっと退いていき、近くにはもういない様子。こちらの騎兵を削って、それで良しとしたのか。全滅させられなかった時点で、見切りをつけたのかもしれない。
設定上のこととはいえ――補給路を断たれた、という前提があるのだから、伏兵の用意があっても不思議ではないかな。
そもそも模擬戦を始めるにあたって、『事前の仕込みは無し』なんて取り決めはしていなかった。だから策にはめられても、これを非難するのは違うだろう。
奇襲を受けて、六人の騎兵が倒れたそうな。実際に命を落としたわけではないが、以後はこちらから相手側に寝返ったという設定で、こちらの敵に回る。
捕獲されたから、仕方ないね。寝返りの衝撃は強いから、訓練の形式としても使わせてもらってます。
「痛恨の失敗でした。お咎めは、いかようにも」
「これくらいの失敗でいちいち処罰していては、陣営から将校がいなくなりますよ。以後、気を付けてください。せっかくの訓練なんですから。……いい勉強になったでしょう?」
「はい、それは、もう。――次の機会があれば、同じ過ちは犯しません」
第二部隊長から、頼もしい返答を得て、私個人としては充分成功した気持ちだった。
今はいくらだって、失敗していいんだ。出来るうちにたくさんしくじって、悔しさをバネにしてほしい。
「橋の監視に向かった兵も戻ってきていない。……あちらも、いい加減本腰を入れてきた、と考えるべきでしょうね」
「すると、我々は前後から攻め立てられることに……?」
――事態は深刻だが、対策を講じねばならないのが私の立場だ。襲撃を受けながらも、偵察の成果はあった。もろもろの情報を受け取った私は、旗下の隊員たちとも情報を共有せねばならない。
蚊帳の外にあった第一、第三部隊長も、悩みを同じくしてもらおう。共に悩み共に苦しんでこそ、戦友と言うものじゃないかな。
「接敵した距離を考えると、補給の最中になだれ込んでくる可能性はありますね。……モリー隊長の所見を伺いたく思いますが?」
「それは、後で述べます。まず、三人で話し合って結論を出しましょうね。――その後で、私が評価します」
実戦で、私が彼女らの面倒を見れるとは限らない。出来たらいいなぁとは思うけどね。
だから、まずは三人の部隊長の論戦を見て、結論までの流れを評価しましょう。
独断的に、強権的に誰かが主導して結論を出すこともできるけど、出来るだけ多くの兵たちから支持を受けるためには、それだけ多くの人々と話し合う必要がある。
せめて採決を取る際は、各部隊長を参加させておくと良いんだよ。これをするかしないかで、末端の兵士たちの納得の度合いが変わってくるんだ。
どうせなら、納得させたうえで苦難に付き合ってほしいからね。そうでないと、負け戦となるとすぐに兵どもは散らばって逃げ出すものだから。
――この辺り、良家の女子はわかりづらい部分かもしれない。
「……結論ですが、補給は絶対必要です。補給行動は第三部隊に一任し、荷駄をまとめるのも彼女らに任せます。残り二部隊は街の近辺に陣取り、襲撃に備えます」
「陣地はどの程度まで作成しますか?」
「一度は襲撃に耐えられる程度に。どのみち敵が迫っているなら、ここらでもう一度迎撃すべきです。そこそこの損害を与えてから、再度補給の後、移動を開始する。――いかがでしょうか」
悪くない案だと思う。陣地の作成が間に合えば、攻め手の意気を削げる。教官側は、また防備を固めた相手を前に、辟易するだろう。
だから、教官は陣地にこもっている間は慎重に動かざるを得ない。すると補給自体は、安全に行えるわけだ。
「いいと思いますよ。平時であれば」
「……と、申されますと?」
「お忘れですか? 我々は背後を脅かされただけではなく、同時に政治的な危機に陥っているのです。早々に都に帰って釈明せねば、粛清されるかもしれないというのに、悠長に陣地を作って、敵を待つ暇はありませんね」
そもそも作ったところで、長くこもっていられるような状況ではないのだ。膠着状態が続くだけでは、訓練としても望ましくないので、無理矢理にでも誘導していく必要があるわけだね。
「しかし、それではまともに追撃を受けよと言われるのですか?」
「はい。誤解を恐れずに言うならば、まさにそうです」
といって、無為に損害を受けよ、なんて話ではないんだよ。
割とギリギリな行為だけど、部隊を分けずに全員で街に乗り込み、補給そのものも街中で行う。訓練に無関係の人々を巻き込むので、忌避したくなる気持ちは理解しよう。
でも考えてみてほしい。この街には城壁もあれば堀もあるので、教官が率いている程度の兵数では、そもそも突っかけようがない。
直接市場で個々に物資を補給させ――もののついでに、民家のひさしでも貸してもらって、ゆったりと一泊させていただくのが一番効率的だ。
一泊させていただく了解は、すでに訓練の前から手回しして、取り付けてある。こちらが少数だからこそ、可能な案だった。
「急ぐのに、一泊するのですか」
「急ぐために一泊するのですよ。……こうもあからさまに行動すれば、教官側も仕掛けやすくなる。おそらく、我々が街を出るのを待って、即座に殴り掛かってくるでしょうね。――我々は、それを陣地の保護も無しに、まともに受け止めねばなりません。よって、備えるためにも、休息は大事です」
悲しいことに、敗走を強いられた時点で、我々は奪われる側なんだ。
なので、一方的に苦しい状況に追いやることも、私の役目。そのうえで、敵側を思い切り殴りつけて、攻撃側にも教訓をくれてやるのも私の仕事だった。
襲撃の際には、私が最前線で戦う――と言いきったら、皆も納得してくれた。
信頼の証だと思えば、これほど面映ゆいことはないね。……まだ仕事中なんだから、深くは考えない。
ともあれ、補給を済ませつつ、一泊する。万全に整えた上で、敗走へと戻ろうじゃないか。
案の定、街を出て程なく。前方に陣を構える攻め手の姿が見えた。
避けて通るには大きすぎる陣地であり、攻略できるほど戦力的な優位もない。……こちらの選択肢は、敗走を続ける以外にないわけだ。まったくもって現実的なことで、涙が出てきそうです。うーん。
「どうしたらいいのでしょう、モリー隊長」
「まあ、前向きに考えましょう。敵の姿が見えている分、殴りやすくなったってね」
わかりやすく、近くを通ろうとすれば、殴り掛かってくれるだろう。そうすれば、殴り返すだけ。
「私は、敵をひたすら潰していく作業に入りますので、指揮は部隊長でお願いします」
「は、ええ?」
ていうか、もともと私は部隊長を統率する感じで、訓練が始まってからは末端の兵を個々に指示したことはないよ。
だから、これまで通りに采配すればいい。自信を持ちなさない、隊長たち。君らは、ここまで不足なく兵を導いた。ならば、最後までやれると、思いこむんだ。
「おや、早速お出迎えに来てくれましたよ? ――こちらは、迎え撃てばいい。手間が省けましたね」
陣地を放棄してから、敗走において初めてのぶつかり合いになる。
今回は、私が最前線で木刀を振るうのだ。それも、殺さない程度の力だという制限があっても、本気で立ち回るだのから――相応の被害を覚悟していただこう。
「各部隊長に次ぐ! 私を最大戦力として計算し、この場を切り抜けるように!」
命令を伝えたら、後は流れに身を任せて動くだけだ。
一番槍を目指して突っ込んできた奴らを、まとめて叩き、薙ぎ、ぶつかり合ってでも防ぐ。
体の制御は本能に任せた。精神は平常心を維持しつつも、無心で相手を叩き潰す。
一人、二人、三人四人――。どれほど叩き伏せたか、私は数えるのをやめていた。目が回る様に忙しく立ち回り、周囲に動く敵がいなくなるまで、さて何分経ったのだろう?
「モリー隊長、もういいです! 充分ですから、付いてきてください!」
「……ああ、失敬。つい夢中になりまして。ええ、付いていきますとも」
敵の攻勢を防ぎ、第一波は全員なぎ倒した。私だけの活躍の結果ではない。旗下の女騎士たち、全員の奮戦の結果である。
なればこそ、時間を無駄には出来ない。敵側が態勢を整えているうちに、行軍して距離を稼がなくては、何のために撃退したかわからないじゃないか。
私自身、そこまで働いた自覚はないのだが、結果として多くの攻め手を離脱させたらしい。
次の渡河の場所まで、何ら妨害を受けることなくたどり着いたのだから、この点については疑問が入る余地はなかった。
……それでも、まだ敵側の方が数に勝る。これもまた、軽視して良い情報ではあるまい。
我々は後方の敵を完全に振り切ったわけではないし、これからすぐにでも前方の――河という名の敵と戦わねばならない。
「皆さん、ここの河には船も無ければ橋もありません。――が、足を踏み入れれば、水かさは腰の辺りまでとわかるはずです。注意して進めば、対岸まで歩いて渡れます。……ただし、この場から離れると、一気に水深が深くなるので、まっすぐ進む様に!」
平時であれば、服や武器を頭にでも乗せて渡ればいいのだが。後ろからいつ敵が迫ってくるかわからない現状、無防備な態勢はなるべく見せたくないんだよなー。
渡河の最中は、攻撃の好機である。この隙を見逃してくれる教官ではないから、半数ばかり渡ったか、おおよそが河の中にいる頃合いを見計らって、突撃してくると思われる。
――いかんね、どうも。私、やっぱり大部隊の指揮官向いてないよ。後手後手に回ってる。先の戦闘が妙に緩かったのは、ここで勝負をかけてくるためかとも思う。
時間も迫っている。渡河が無防備になるのは、もう仕方がないと割り切るか。
というのも、切り捨てられるものを切り捨てていいなら。……私だけなら、生き残る可能性はあると思うから。
指揮官としては悪手に過ぎるが、最後尾で最後まで残ることにした。
まことに申し訳ないが、道連れになる子たちも選別する。ほんの二十人ばかりだが、これくらいは残さないと、防ぐ時間すら稼げない。
部隊長たちが優秀なので、こうした荒業もできる。ちょいと彼女らがゴネる場面もあったが、あくまで訓練なのだから、より多くが無事に帰ることを優先したい。
付き合わされる二十人は、殴り倒された時点で死亡判定。割を食わせることになるけど、勘弁な。
ちょっと怖い目に合った、実戦では注意しよう――って、そう思ってくれるだけで、今は充分だと思うの。だからせめて、必死に身体を動かすと良いんだよ。
「さて、孤軍奮闘。してみますか」
私の後ろには、頑張って水をかき分けて進む部下がいる。すぐ傍には、渡河に備えて無防備な姿をさらしている子たちがいる。
そして、こんな私に付き従ってくれる、決死隊が二十名。最後まで戦い抜く理由としては、充分に過ぎた。
「皆さんは、無理をせず。適当に流したら、降伏するなり死亡判定を受け入れるなりしてくださいね。――私? 私は、最後まで戦います」
あわよくば逃げ出す隙を作って、先行した仲間との合流も計りたい。
そう考えるくらいには、私も往生際が悪い性格でね。教官にも他の皆にも、苦労をかけてすまない。
「私を敵に回して戦うことの恐ろしさを、連中に理解していただきましょう。さ、私に続きなさい」
私を入れて、たかだか二十一名の守りは、あまりに薄い。
けれども、その薄さを実感する頃には、敵側にも相応の犠牲が出ていることだろう。
勢いに乗って、弱みに付け込もうとする追撃側にも、私は楽をさせてやろうとは思わない。
愛用の木刀を、向かってくる敵に突き付ける。心は無心に、気負いのない境地に精神を追いやると、私の意識は単純化した。
来い、戦ってやる。戦いつくした先に、結果があるだろう。判定がどのようなものであれ、私は受け入れるつもりだった。
クッコ・ローセは、戦士としての、己の敗北を思い知らされていた。
「追撃戦で、この被害か。成果もよろしくないとなれば、話にならんな」
彼女の他には、天幕の中には誰もいなかった。一人であればこそ、つぶやける言葉であった。
目の前の地図に、視線を滑らせる。この河での渡河が成功すれば、後は都まで街道を直進すればよいだけだ。
敗走している側――という設定ではあるが、モリーの奮戦もあり、士気は低くない。心が折れていない兵は、よく走る。
精神がやられてしまった兵は、座り込んで動きたがらない。時には、そのまま死を待つ者すらいるのだが――。モリーが上に立っている限り、そうした兵は存在すら許されまい。
つまり、元気よく駆ける兵を追いかけねばならず、追撃できる距離ももはや残り少ない。
クッコ・ローセに出来るのは、散発的で小規模な嫌がらせくらいのもので、モリーの部隊を撃滅するなど不可能だ。そのように、彼女は結論付けた。
「――ふう」
ため息もつきたくなる。地図を手放し、もう一つの書類に目を通した。
渡河の際、モリーは最後まで残って、こちらの追撃部隊を翻弄し続けた。その被害はと言えば、仕掛けたこちらが目を覆いたくなるほど。
指揮を任せた者も、旗下の兵も、いずれも手塩にかけて育てた女騎士であったにも関わらず。クッコ・ローセは、教官としても敗北感を覚えずにはいられなかった。
「鍛え方が足りなかった、というより。あいつ個人の戦力が図抜けている、と見るべきだろうな。……そうでもないと、やってられん」
ちなみに、モリーに付き従っていた二十名は、全員戦死判定だった。
降伏も逃亡もせず、最後まで彼女の元で戦い、倒れたのである。……普通、どんなに慎重に決死隊の人員を募っても、死ぬまで戦う覚悟を持てる者は少ない。
ましてや、これは訓練である。途中で『参った』の一言が出て当たり前だろうと思うのに、モリーの傍にいた連中は実に気合が入っていた。
「結果、大部分の渡河を成功させ、我々は無為に時間を費やしてしまった、と。いやはや」
不甲斐ないのは私の方か、とクッコ・ローセは自嘲せざるを得なかった。
したところで、もう結果は出ている。これでモリーの死亡判定をもぎ取れていれば、いくらかの満足感は得られたかもしれないが、見事に逃げられてしまった。
モリーは水練も達者であり、服を着たままであっても、短時間なら深い川でも泳ぐことができる。これには意表を突かれ、追跡は出来なかった。
今頃は、先に渡河させた部隊と合流しているだろうか。まんまとしてやられた、という印象だけが残る。
「まあ、初の実戦訓練と考えれば、そこそこの緊張感は維持できた方か。……しかし、今度は私が敗走を演じるんだよなぁ。モリーの奴、手加減してくれないかなー」
モリーにとっては、教官職として初めての実戦訓練である。そうした事情もかんがみて、何が何でも、という雰囲気で追撃していたわけではない。
手を抜いたと見られるのは不本意であったが、本気の追撃にクッコ・ローセ自身の身体が持たない可能性もあった。
戦傷の後遺症で、長く戦うのは辛い体である。旗下の部隊と行動を共にするのが精一杯で、先陣を切って殴り合える体力は、もはや残されていない。そこに悲しみと悔しさを感じてしまうが、どうにもならないことであろう。
そうした指揮官の姿勢は、部下にも伝染する。ふがいない結果は、そのまま己に返ってくるのだ。
「仕方ない。こうなったら、『負傷した指揮官』というお荷物を背負わせる。その前提で、次の訓練をやってみようか。私に、モリーのような立ち回りはそもそも無理なんだよ」
なので、今度はクッコ・ローセの側がひどい目に合う番だった。おそらく、苦労はあちらの数倍くらいになるだろうが。
頼るべき指揮官に、戦う力がない。その事実は、ひどく部下を打ちのめすものだから、きっと敗走は悲惨なものになるだろう。
そして、そんな敗者の群れを、今度はモリーが追撃するのだ。
「……全部終わったら、一人一人にレポートを提出させよう。この訓練で何を感じて、何を教訓としたか。全員に問い質してやらんとな」
せめて、書類の上では平等の苦労を与えてやろう。
そんな風に考えることしか、クッコ・ローセには出来なかった。
この実戦訓練についてだけ言うならば。
モリーたちは無事制限時間内に都へと帰りつき、被害も許容範囲内に収まった。
三日ばかり休息させ、攻守を変えて、再度訓練を続けたかったのだが――隊員たちの疲労の度合いが強く、期間を空けることになる。
モリーもクッコ・ローセも、これは残念がったが、クロノワークの基準が厳しすぎたというべきだろう。
そして、モリーには一時帰国が許された。本来の予定は変更され、もうしばらく彼女はゼニアルゼに留まることも決定した。
クロノワークから届いた書状によると、モリーは正式に駐在武官として任じられたとのこと。シルビア王女が、どこからか手配したらしい。
かのお方の、たっての願いとあらば――動いてくれる人材は、どこにでもいるものである。
「仕事はまだ途中ですが、帰国の許可と休暇をいただけるのなら、是非もありませんね」
色々な意味で、手の長い王女さまだと呆れながら。それでも、母国にいる大事な人たちに会いに行けるのであれば、細かいことは追及する気になれなかった。
往復に六日、滞在に十日。具体的な予定は、これから立てるところだが、大盤振る舞いされたものだなぁとモリーは思う。
「皆、元気でいるのでしょうね。――ザラ隊長も」
副官抜きで仕事をするのにも、そろそろ慣れた頃だろうか。
あるいはもう、特殊部隊に私の席などなくなっているのか――などと考えてしまう。そうした不吉な点も含めて、帰国して見定めたい所であった。
ついでに、個人的に調べていたことも、改めて検討するのもいい。せっかくの大型連休。昔からくすぶっていた、心のしこりを取り除くには、良い機会であるかもしれない。
「まあ、可能かどうかは、それこそ帰るまでわかりませんが――」
懸念を片付けるのは、なるべく早い方がいい。そう思いながら、モリーは荷づくりを済ませるのであった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
この作品が、貴方にとって暇つぶしにでもなれたのなら、筆者として嬉しく思います。
なお、『アナバシス』は岩波文庫から出ていますが、割と読みやすい名作です。
岩波文庫は、翻訳者が悪いのか、相当読みにくい作品も多く混じっていますが(金返せと言いたくなるレベルで酷いのもある)、これは普通に読めるので安心してください。
クセノポン先生の活躍以外にも、当時のギリシア人の考え方とか、軍隊の行動などが詳細に記されているので、読んでいて興味深い作品でした。
古代の戦争で、敵地で孤立した軍隊が、いかにして脱出し、生き延びたのか。
この点に興味を持った方なら、きっと楽しめるかと思います。
色々と迷信臭い部分もありますが、気が向いたらどうぞ。アマゾンのレビューが参考になります。