アテナの齎した闇の世界は清水がアテナを討伐したことで終わりを告げ、日本は平穏を取り戻した。
運休停止になった電車や新幹線、電力がストップした発電所等を加味すると各地の被害は数十億にも上るだろう。
何より間近でアテナの死の息吹を浴びた人間の命は帰ってこない。
正史編纂委員会はこの緊急事態に日本政府と協力し、各地の混乱を治めるために全力を尽くした。
その効果もあってか時がたつにつれ人々の精神もまた、回復していった。
人間というものは案外たくましいものだ。厄災にあったとしても乗り越えることのできる強さを持っている。
夜が過ぎた後には太陽が必ず昇るように、日本の人々が活力を取り戻すのは案外近いだろう。
「呼び出した形になったな、護堂。それと俺に敬語を使う必要はないからな」
「……尻拭いをさせてしまって悪かったな。流石に俺だって、勇と話す必要があることは分かってる」
護堂は清水に凄んでみせ、清水は負けん気の強い護堂に苦笑いを浮かべる。
アテナの事件が済んでから数週間後。
清水と護堂は正午頃、とあるカフェで机を挟んで対面に座り、話し合っていた。
呪術師が裏で手を回したのか、他に人気はなく貸し切り状態である。
前回とは違い護堂の近くにはエリカはおらず、清水も冬馬を引き連れていない。
これから始まるのは従者なしの王と王、二人きりの話し合いであった。
清水はコーヒーを一口喉に流し込み、話し始めた。
「流石にブランデッリから耳にしただろう。正史編纂委員会はアテナの一件を持って、俺の傘下に加わった形になる」
「……」
清水の承諾を得たとはいえ、イタリアで出土したゴルゴネイオンをエリカが日本に持ち込んだことが今回の騒動の切っ掛けとなった。
そしてエリカの主である護堂は神殺しとしての役目を果たせずアテナに敗走した。
この一件で正史編纂委員会は同じ轍を踏まないために清水を日本の王と定め清水もまた、それに同意した。
2年間権力を持つことを拒否し続けていた清水が同意したのも、このまま護堂と自らの立場があやふやなままではまた同じような事件が起こるのではないかと懸念した面が大きかった。
冬馬が口外していないことだが護堂の敗北を予期しながらも見過ごした責任を取る必要があった、というのもある。
勿論人間不信気味の清水に権力を持たせるのは不味いので、形式上でのことではあった。
「で、俺はお前を永久追放することができる訳だが……護堂、お前はどうしたいんだ?」
護堂が国外に出たとしても、受け入れる国は多いだろう。
まつろわぬ神による被害を恐れているのは万国共通であるからだ。
清水の静かな問いかけに、護堂は力強く、横暴に返答する。
護堂の心中に浮かんだのは妹と祖父、そして最近呪術師の間で肩身が狭い護堂に対して親身になって支えて貰っている万里谷という媛巫女の顔だ。
「俺は日本に居る。勇が無理だと言ってもだ」
「……俺とお前の軋轢のせいで日本全土に被害が出た。そのことは理解しているか?」
「俺のせいで死人が大勢出たこともちゃんと分かってる。その上で言ってるんだ」
清水の人称が、自然と『護堂』から『お前』に変化する。快く思わない人間への呼称だ。
清水と護堂は暫しの間睨み合い、しかしどちらも視線を逸らさない。
そのまま数分の時間が経った後に、清水は大きく呆れたように溜息を付いた。
護堂本人が責任感を持ち反省しているのなら、清水はこれ以上責め立てるつもりはない。
高圧的な態度は清水の癪に障ったが、敵愾心を抱いているのはお互い様である。
「このままではここでお前と戦う羽目になりそうだな。
世界各国からも日本からも恨まれるだろうがお前との戦闘の被害を抑えるためだ、仕方がない」
「いや、さすがにそんなつもりはないからな!?」
護堂は慌てたような素振りを見せるが、清水は護堂ならここで暴れかねないと確信していた。
元より唯我独尊のカンピオーネが、このまま他者に押さえつけられるのをよしとする筈がない。
たとえそれが同じ立場の神殺しだとしてもである。復興途中の日本に新たなる被害を齎すつもりは清水にはない。
しかし清水はむしろ安心していた。清水に対して下手に出るようなら、本当に日本から追い出していただろう。
敵対する相手にこれぐらい威勢が良くなければ、神から日本を守ることなど無理な話だ。
結局はまつろわぬ神から国を守ること、それが神殺しの一番の使命なのだから。
そういう意味で言えば、清水にも責任がある。
護堂の敗北をよしとしたこと、同じ地母神の性質を持つ清水が離れた場所に居たことによりアテナが清水に吸い寄せられてしまったこと。
後者は偶然であるのだが、前者は擁護できない。これは国を守護する者としては褒められた振舞いではないだろう。
「監視されることは覚悟してもらう。今の日本でのブランデッリとお前の立場は低いだろうし、住み辛いだろうが我慢してもらう他ないな」
「……ああ」
表立って王に逆らう者はいないだろうが、呪術師からの監視と非難の眼差しは避けられない。
流石に落ち込んだ様子の護堂に対して、ここまで厳格な態度で護堂を責め立てるようだった清水は口元を緩めた。
「これはアドバイスだが日本にいられることになったんだ、家族や友人は大事にしたほうがいい」
清水は護堂に嫉妬と敵愾心を抱いている。
それは護堂が神殺しでありながら家族、友人、恋人と言った清水が持っていない大切なものを既に手にしているからだ。
同じ神殺しであっても冬馬以外との他者との関わりが薄い清水には持ち合わせていないもの。
だから清水は、護堂のことをとても『幸運』であり、同時に『幸福』な男だと思っていた。
護堂も清水の身上を知っているのだろう、真摯に清水を見据えた。
「言われるまでもない。……今回は、ありがとうな」
護堂は清水を第一印象で判断したことを恥じ、素直に清水に頭を下げた。
清水は護堂が人たらしと言われている所以を何となく把握した。
認めるつもりはないがやはり純粋な王としての器や、人を引き付ける才能では清水は護堂にはかなわないのだろう。
清水は自然に護堂に右手を伸ばしていた。
「俺とお前が和解して仲がいい様子を見たら、正史編纂委員会もお前の周りの人間に迂闊なことはしないだろう」
護堂はきょとんとした顔の様子だったが、すぐに清水の右手をしっかりと握り返してきた。
「こう言ったが正直俺はお前が嫌いだ。俺が上でお前が下、それは忘れるなよ護堂」
「俺もあんたが嫌いだ。次はお前ごと日本を守ってみせるぞ勇」
この二人の和解がうまくいくわけもない。どこか歪な形になり、鋭く視線を交わしながら清水と護堂は握手する。
両者の拳には握力がかかり、骨が軋む音がした。
清水は護堂への敵愾心は依然としてある。清水は護堂よりも、世界の誰よりも幸運でなければならない。
王としての実力も負けるつもりはないし、地位を明け渡すつもりもない。
一方護堂も清水が上の立場という事実が単純に癪に障り、へりくだるつもりは毛頭なかった。
両者の王の二度目の会談は、このように唯我独尊の二人らしく終わりを告げた。
「清水さーん!」
清水が護堂と別れてカフェから出ると、冬馬が手を振ってくる。
見慣れたどこかくたびれたスーツ姿と眼鏡に、清水が顔を綻ばせる。
長い付き合いが故に、清水は彼だけには心を許していた。
「甘粕さん、会談は無事終了しました」
「どうなることかと思いましたが何よりです。預かり物を受け取っています」
「何でしょうか?」
「どうぞ」
清水が冬馬から受け取ったのは、簡素な封筒に入った一通の手紙。
清水が封を開け内容に目を通すと、それは清水への感謝の手紙だった。
なぜ態々渡すのだろうかと清水は疑問を持ち読み進んでいく。
内容は日本をアテナから守った清水への純粋な感謝だった。
筆圧は小さく、弱弱しい。恐らくは女性の字だろう。
清水は読み終わっても、冬馬が自分にこの手紙を渡した理由が分からなかった。
手紙には筆者の名前は書いていない。内容に問題がないとするならば、差出人に何かあるのだろうか?
「どうしてこれを……?」
「まあ、単なる感謝の手紙ですので気にしないで下さい。正史編纂委員会が単純に感謝していますというアピールのようなものです」
「ああ、そうですか」
清水本人には伝えていないがこの手紙を書いた人物は、アテナとの決戦前に清水に接吻をした媛巫女からのものだった。
清水の前で泣いてしまったことを相当に気に病んでいた彼女は深く反省し、人間不信な清水に配慮して匿名で文をしたためたのである。
(護堂さんに嫉妬する必要はありません。打算がなくとも清水さんを慕っている人はいるんですよ?)
冬馬は人を自ら遠ざける清水に心中で吐露する。冬馬も、清水を慕っている一人である。
本当に清水にカリスマがなければ、冬馬が清水に入れ込む筈がないからだ。清水本人が恵まれているそれに気づくのはいつのことになるのやら、それは誰にも分からなかった。
「甘粕さん、帰りに宝くじを買ってもいいですか?」
「またですか……了解です」
幸運とは降りかかるものではない。不運と同じく災害のように襲い掛かってくるものというのが清水の人生論である。それゆえに清水にとっては幸運であるということは、義務であり決して幸せなことではない。
老いた他国の王が日本に近づいてくる。これからも清水は神殺しとして、正史編纂委員会の長として多くの苦境に立たされるだろう。
そんな清水の隠された望みは、実は普通の人間と変わらないような平凡なものである。
「さて、今日も運試しといこうか!」
『幸運』ではなく『幸福』に生きたい。
清水勇の切実な望みは、当分叶う見込みがなさそうだった。
2巻の構成は考えていますが、カンピオーネ1巻の終わりと似たような形で一旦書き溜めは終了しました。