※義勇忍侠花吹雪の2DリッチMVであやめ殿が敵対に至るまでの経緯を妄想と捏造マシマシで書いてみました。時代を明治にしたのは完全にただの趣味です。
──時は元号にして明治10年。廃藩置県の混乱は過ぎ去り、西南戦争も沈静化されて御一新の気運も一段落した頃。未だ一部士族の反発は収まらず、抵抗は続いていた。しかし西郷という旗印を失った彼らの活動は小規模で、近代化された新政府軍の前に抵抗虚しく駆逐されていった。もはや幕府の下で肩で風を切って歩いていた士族の姿はそこになく、敗れた落武者がいるばかりである。
「はぁ、はぁ……」
痛みに呻く重い身体を引きずって、珠美は進み続ける。まともなものを口にしたのは何日前のことだったか、睡眠に至ってはしばらくした記憶がない。わずかに残った手勢ともはぐれ、一人でさ迷い続けた珠美は、もはやここがどこであるのかもわからなかった。
西郷が自刃し果てた報を聞き、勝利の見込みが潰えたことは誰にも明らかだった。脇山家もそれを聞いて最期の攻撃を敢行したが、スナイドル銃で武装した政府軍を前に、時代遅れのゲベール銃と日本刀ではあまりに無力であった。潰走の中で父は珠美を手勢に護衛させて逃がし、自らは追っ手に突入した。その結末もまた明らかである。珠美の身体を突き動かすものは父の犠牲に報いて、なんとしても生きる。その意思のみであった。
しかしその意思むなしく、京都でついに追っ手にかかった。激しい戦闘の末、護衛とはそこではぐれた上に、なんとか討ち果たしたとはいえ珠美も深い手傷を負ってしまった。そこから一人で逃げ続けて珠美は現在に至る。路銀もなく、傷の治療もままならない身体はついに限界を迎え、自制していた休息を取るべく珠美は街道の樹木の幹に身体を預けた。
「(ここで、こんなところで倒れるわけには)」
もはや指先ひとつ動かすこともままならない。楠木の葉が風に揺られてざわめく下で、珠美の視界はついに闇に閉ざされた。
(もし、武芸者さま)
(このようなところで寝られると、病がそなたを虜になさいますよ)
(おや、どうやら傷ついているようでして。どれ)
(ふむ。これでは、病の前に、そなたの活力が失せてしまうのでして)
(この方を中つ国へ留め置くためなれど、わたくしではこれ以上の施しようがありませぬ)
(宿命を背負うもの。そなたの意志が誠にあれば、神様はそなたを御導きなさることでしょう)
『えー忍でございますか? 珠美としては忍者は汚いのであまり賛成はできませんぞ』
木刀を持った少女が口を尖らせ、不満を露にする。それに対して、団子頭の少女は眉をつり上げて反駁する。
『汚いとはなんですか! 手段を選んで好機を逃すことこそ、忍にあるまじき行いです!』
『しかし、忍の任務とは隠密、暗殺……いささか卑劣ではござらぬか?』
『卑劣ですと! 先程から汚いだの卑劣だの! 我慢がなりません! わたくしと勝負です!』
『ほほう、この剣禅一如珠美に挑みますか! ただでは済みませんぞ!』
『その首貰って差し上げます!』
次第に加熱した議論の末、ついに実力行使と相成った二人の間、慌てて割り込む着物の少女。つまみかんざしの飾りも慌ただしく揺れる。
『あわわ、二人とも! け、喧嘩はダメですからねッ!』
『いざ、覚悟ーっ!』
『も、もう……!』
しかし制止もむなしく、あやめの木の枝を木刀で珠美が迎え撃つのを皮切りに組手が始まる。そうなると歌鈴は困ったように笑うことしかできないのだった。
酷く、懐かしい夢だ。昔、珠美が武者修行として京都の剣術道場へ入ったときに知り合った少女たちの夢。時の将軍が大政を奉還し国が大混乱に陥るまでの、束の間の思い出である。
「珠美ちゃん、目が覚めましたか」
また懐かしい声が聞こえた。そう、幼いころの美しい思い出の声、あの歌鈴殿のような。さては珠美は極楽に召されたのだろうかと思った。しかし、それでは歌鈴殿の声がするのは、歌鈴殿も極楽にいることになってしまう、それではおかしいのでは。そこまで朧気に考えたところで、珠美は急速に覚醒した。
「……歌鈴殿!? な、なぜ──いッ」
がばりと身を起こした珠美を、しかし、先の戦いで受けた肩への銃瘡や腹部の裂傷など、ほぼ全身に負った生傷が激しい痛んだ。たまらずすぐに蹲った珠美を、慌てて歌鈴が諌めた。
「あっ、ダメですよ身を起こしちゃ! 本当に……本当に酷い傷だったんですよ」
「こ、この程度この珠美……ぐ。さ、さすがに」
珠美はそれでもがんばったものの、これ以上は手当てをしてくれた好意を無にしかねないと悟るとおとなしく身を横たえた。不安げに見つめる歌鈴は安堵の息をつくと、目を細めた。しかし、その直後また悲壮に顔を歪めた。
「まさか、珠美ちゃんにまた会えるとは思いませんでした。こんな、傷ついた姿で会うのはもっと予想していませんでしたけど」
そうだ、痛みに忘れかけていたが、自分はなぜ、こうして手当てされた上で歌鈴とこうして顔を合わせているのだろうか。それを聞く珠美に、歌鈴は努めて平静に、事の次第を告げた。まずここは歌鈴の生家、道明寺家の屋敷であること。そして、珠美は木に倒れかかっているところを発見され、ここに運び込まれたこと。
「今から三日ほど前、私の式神が、来訪を教えてくれました」
そう言った歌鈴が手に取り出したのは、紙であった。しかしそれがぱっと光ると形を変え、別の姿に変化する。初めて目にした陰陽道の術に少しときめいた珠美だったが、変化した式神の姿に困惑を隠せなかった。その……なんだこれは。
「な、なんですかこの妙な姿は?」
「えーと、それは、私にもわかりません……神様のお姿だとは、思うんですけど。だって、なんだか安心します」
「(ええー、ほんとにござるかあ?)」
筒のようでいて、されど先が三叉に分かれ潰れたようなその姿は、はっきり言ってしまえばみすぼらしい。何かの中身を抜いた脱け殻のようである。そんなバナナ、という感想が唐突に珠美の頭に浮かんだが、まるで意味がわからない。なんですかばななとは。疲れているのだろうと、珠美は頭を振ってその妙なものを追い出した。
「と、とにかくでしゅね! この神様が、珠美ちゃんのことを教えてくれたんです。すぐに行かなかったら、きっと珠美ちゃんは危険な状態でした」
歌鈴が珠美を発見したときは、酷い有り様だったらしい。痩せ細り、生きているのが不思議なほど。さらに見てみれば全身は生々しい傷跡ばかり。すぐに屋敷に運ばれ、治療を施された。
「そうですか……感謝してもしきれません。あやうく珠美は行き倒れの仲間入りを果たすところでありました。……しかしあいにく、珠美には路銀の持ち合わせがないのです。どうご恩に報いるべきか」
「いいんですよ、ご恩だなんて! 困っている人の恩返しに期待して、お助けしたわけじゃありません」
しかしそれでは、珠美の気が収まらなかった。なんとかして返せるものを探した珠美だが、己にあるものは剣の腕のみである。しかしそれも今は満身創痍で難しい。ほとほと困り果てたところに、豪快に音を立てて襖が開かれる。その乱暴な開き方に似合わぬ小柄な女性が現れ、珠美を一目見ると、彼女はぱっと顔を明るくさせた。
「よかった、目が覚めたのね! 身体は大丈夫かしら?」
「はい、痛みこそありますが、元気です」
「何よりね! お世話した甲斐があるってもんだわ」
服装を見るに女中。珠美の介護を務めていたらしいその女性は、にかっと快活な笑みをうかべた。女中というよりは女将をしているのが似合いそうだな、と珠美は女性について評した。
「あの、早苗さん……病み上がりの人もいるのでその、もう少し静かに襖を開けていただけると」
「たはは、ごめんごめん」
早苗はばつが悪そうに頬をかく。そして珠美に向き直ると、感慨深げに表情を緩めた。
「しかしまあ……大きくなったのねえ」
「……失礼ながら、珠美と面識が?」
考えられるのはあの京都のときであるが、生憎珠美の記憶には早苗の姿はなかった。
「ええ、そりゃまあないけど。私はそのときから歌鈴ちゃんに付いてたし、話はよく聞いてたわ。それで、なんの話をしてたの?」
「それが……」
歌鈴が早苗に話したことは概ね先の会話と一致した。しかし退っ引きならないことがあったので、珠美は口を挟まざるを得なかった。
「いいえ! 珠美はこの恩に報いずにここを立ち去ることはできません! 何卒……あだだ」
治るまでここにいて、治ったら何もせずに出ていくことは、珠美には到底できないことであった。飛び起きて詰め寄らんばかりの剣幕で異義を唱えた珠美の気炎は、しかし傷の痛みが響いて強制的に鎮火された。
早苗はそんな珠美を見て少し思案するような表情をしたが、すぐにあっけらかんとして言った。
「なら、それでいいんじゃないかしら」
「え?」
「きみ、腕が立つんじゃない? 女だてらに刀振り回す武芸者の話、最近聞いたわよ」
ちらりと壁の刀に目をやりながら、早苗は風聞を話す。なんでも陸軍の兵隊を相手に大立ち回りをする女剣士が京都に現れた、と噂になっているらしい、と。それを聞いた珠美は一瞬気分をよくしたが、結局は敗けて逃れた身であるためにそれは長く続かなかった。
「ええっ、そうなんですか!? 珠美ちゃん、本当に天下一の剣豪に近づいてるんですね! すごいです!」
「……ええ、少しですが。というか本当にとはなんですか!」
ぷんすこと遺憾の意を表明する珠美に、歌鈴が平謝りする横で、早苗は神妙な顔つきになる。そして、手を二度叩いて二人のじゃれあいを制した。
「はいはい、それじゃあ私は少し珠美ちゃんに話があるから。悪いけど歌鈴ちゃん、ちょっと襖の外に居てもらえる?」
「え? あ、はい……?」
それで歌鈴は、すぐに外へ出た。そして早苗はごめんね、と一言入れると静かに襖を閉めた。不安げな歌鈴の表情が襖の奥に消える。
早苗は先程までの大雑把な様子を引っ込めて、真剣な表情で珠美の前に座った。雰囲気が変わったことを察し、珠美も表情を引き締めた。
「それで。結論からいうと、あなたに歌鈴ちゃんの護衛の役目をしてもらいたいの」
「護衛ですか。珠美としては、異論は全くないのですが」
歌鈴を外に出した理由は? 無言の問いに、早苗は他言無用の前置きをしてから答えた。
「実は最近、歌鈴ちゃんのお父上、つまり道明寺家のご当主が亡くなられたの。それで、どうもまわりがキナ臭くなってきてね」
そこから早苗の話すことには、陰陽師の間にある復権派と穏健派の勢力争いは、しばらく均衡状態にあったのだという。それが、穏健派の筆頭たる道明寺家の当主が亡くなったことで復権派に傾きつつあるという。
「困ったもんよね。今さら陰陽師がお上に戻ったところで、できることはどれほどのものか」
「それは……」
ともすれば批判ともつかない発言に、珠美はヒヤリとしたが、当の早苗は飄々としていた。そして、その様子を崩さぬままに話をつなぐ。
「厄介なのは、歌鈴ちゃんが陰陽師としてはこの上なく優秀で、その是非はさておいて陣営の求心力を考えて歌鈴ちゃんを旗印にするってのは魅力的ではあるのよ」
ここまで聞くと珠美にも合点がいく。ようは歌鈴は、復権派にも穏健派にもその御印として求められる存在であり、身柄を狙われやすいということか。
「ご当主は、『もう陰陽師が政に関わる時代は終わった。後々の代までうんざりさせる必要などない』と常々ぼやいてたわ」
娘を厄介ごとに関わらせる気はなかった、ということか。まったく理由は違うが、京での日々が平穏の象徴として強く思い出に残る珠美としても、その考えは同じであった。歌鈴殿にはいつでも笑っていてほしい。
「そういうことなんだけど、頼めるかしら?」
早苗の問いに、珠美の返事は考えるまでもなかった。
「委細承知いたしました。不承この珠美、歌鈴殿を身命に賭してお守りします」
珠美と早苗が話す間、部屋を後にした歌鈴は縁側に腰かけた。内庭をなんとはなしに眺める。苔と松、そして引かれた水の流れが織り成す和。いつもは安心を作り出すそれが、今日はなんだか不気味に見える。まさかあるとは思わなかった珠美との再会は、父を亡くして沈んでいた歌鈴の心にいくらかの安らぎをもたらした。それと同時に、もう一人の友人、あやめを懐かしく思う気持ちも。
努めて冷静に振る舞おうとしているようでいて、珠美の子供じみた(当時はまさしく子供であったが)煽り文句に応じて張り合うことも多かった彼女は、いまどうしているのだろうか。
つい立ててしまった易は、決してよい結果を出さなかった。
「やあ、よく来てくれた。かけてくれ」
恰幅のいい体を窮屈そうに濃紺の制服に包んだ男性が鷹揚に手を上げて迎える。労われた当の相手、
「さて、急に呼び立てしてすまないな。私が陸軍少将、
葉室と名乗った男は、未だなんの反応も示さない招待客のそれを待つように間を置いた。しかし、彼女は毅然とした態度で居直り、それを保ったので結局諦めたように続けた。
「君が浜口のお嬢さんか。噂は聞いている。なんでも既に諜報員として即戦力級の腕前だそうじゃないか。お父上も鼻が高かろう」
"浜口のお嬢さん"はついにその薄い唇を動かした。
「……それが理解不能な難癖をつけられて更迭された男の、その娘を一人で呼びつけておいての第一声ですか」
やさしげな顔つきを警戒で強張らせ、浜口のお嬢さん──あやめは鋭く返した。その口撃を受けてなお、葉室は動じずにゆったりと返した。
「いやはや手厳しい。しかしわかっていただきたいものだな。旧幕府はもはや過去の遺物であり、それが色濃く残るのは好ましいことではない。ましてや"忠臣"を重く用いることもできんのだよ」
いかにも好好爺のように困った困った、とぼやく葉室。しかし、"忠臣"と口にするところでその瞳が軽薄な色を映した瞬間をあやめの鍛えられた観察眼が見落とすことはなかった。
「(馬鹿にして……!)」
あやめの出自たる浜口家は、代々忍として徳川幕府の目となり耳となり、時には刃としてもその身命を捧げてきた。しかし、先の幕末の戊辰戦争、そこにおいては幕府を見限って新政府側につき、陸軍の諜報員として旧幕府軍の打破にその一翼を担った。しかし、その裏切りの功績は新政府も安定してくると浜口家を重用することを躊躇させる要因となり、現在浜口のものは次々とその職を追われていた。
そのことを知らぬはずのない陸軍の高官がこのような言い回しをすること、そして先の酷薄な眼差し。もはやこの男が厚く被った皮の下から滲む悪意を隠す努力をやめたことはあやめにも理解できた。
「ふむ。相変わらず敬意に欠ける不躾な眼差しだ。まったく礼儀がなっていない。このような者を優秀と持て囃す家に抜かれる幕府の網の程度が知れようというものだ。自明であるがね」
あからさまに侮蔑を隠さなくなった葉室への激しい怒りを、しかしあやめは抑え込んだ。ここで激昂すれば、扉の外に控える兵士─硬く重い足音と、わずかに聞こえた金属音を踏まえると武装している。それもかなりの─たちがすぐに突入してくることは明白だ。徒に命を散らすのは裏切りの謗りを受けながら家を残した祖父に申し訳がたたない。
「この程度の挑発には乗らんか。先の言葉を訂正しよう、自分の置かれた状況を理解できる程度には確かに優秀だ」
冷めた物言いの後、葉室は立ち上がる。舶来品らしき西洋風の棚から一つ、簡素に装丁された文書の束を取り出すと、それをあやめの前に開いて置いた。
「そんな優秀な貴様に任務を言い渡す。わかっていると思うがこれは機密の内容である。拒否すればこの部屋からは帰さん」
あやめには部屋の外からの圧が強まったように感じられた。もとより呼び出しの命令を聞いた時点で何事もなく帰れる想定はしていない。拒否は許されないのだ。覚悟を決めて視界に入れた文書の内容に、あやめはその大きな目をさらに見開いた。
「……これは」
「貴様とて知っているだろう。野武士どもが九州で無謀にも反乱を起こしたことは」
市井のものですら口々に噂をする話を、世相の調査は欠かさないあやめが知らないはずはない。当然、耳に入っていた。かの西郷隆盛が指揮をとり、政府に対して士族が反旗を翻した西南戦争。結局武士は政府軍にこてんぱんにされただとか、西郷が死んだとか、生きてるだとか、はたまた……その西郷の陰嚢が腫れ上がっていることが死体からわかっただとか。とかくまだ耳に新しい戦いの結末や西郷を巡って、さまざまな流言蜚語が飛び交っている。
「西郷を担いで、最期にけしからんことをしおる。武士はいつだってろくなことをせん」
また家の中傷かとあやめは聞き流しかけたが、葉室の矛は別のところに向かっていた。吐き捨てるようなその様から、今はこうして豪奢な(あやめにはそう見えた)制服に身を包み、高慢に振る舞って見せるこの男も、なにか武士に虐げられるような身分だったのだろうかと思いをやった。
「とかく、その残党は未だ各地に散っている。その処分を貴様らに委ねるということだ」
その矛を収めた葉室が指した先、目の前の書簡にはまだ行方が知れない、首を取っていないとされる不平士族の目録があった。理解してみれば話は簡単なことである。政府にとって邪魔な不平士族を、これまた邪魔になった浜口家にさせる。成功しても失敗しても政府は得をする。まったく合理的であった。
あやめが目を引かれたのは、その中において珍しい女子、それも大名家の生き残りの名前。血を根絶やしにということなのだろうか。その上、その名は知らない響きではなかった。幼い頃、遊女の立ち居振舞いの観察ということで京へ連れられていたときのことだ。それとは関係ないところ、鍛練に明け暮れる日々の貴重な自由な時間。そこで偶然出会い、友好を深めた少女が二人。その片割れで、幼いながらに木刀を振り回し、天下一の剣豪になると言って憚らなかった彼女。
「(珠美どの……)」
脇山珠美。肥前の国の大名で、しかし廃藩置県で落ちぶれたのちに佐賀の乱に加担、鎮圧され御家取り潰しとなった脇山家。その忘れ形見の少女。幼少期の美しい思い出が今、自身が抹殺すべき対象として再びあやめの前に現れた。
「(こんなことになって、歌鈴どのは何を思われるだろうか)」
そんな珠美とあやめが張り合って組手まがいの鍛練をする横で、困ったように微笑んでいた少女。穏やかで、そそっかしくてよく転び、その身に纏う着物が多少乱れているのを指摘すると慌てて直そうとして、もっと派手に乱した彼女。歌鈴はあやめと珠美が対立することを知ったら、どうするだろうか。
「(……待て。こいつは今、『貴様ら』と言ったか)」
衝撃的な名前に動揺を隠すのに必死になり、聞き流しかけたが、まったくもって聞き捨てならないことであった。何人かであたるとして、政府の目的を察するに浜口のもので占められていることは明白。体のいい処分か。
あやめの内心の疑問に答えるように、葉室はその口を開く。
「喜ぶがいい。大日本帝国陸軍が初めて設立する"機関"、その手足を諸君ら浜口に務めてもらおう。背信の徒にやるのは業腹だが、欺瞞として貴様の父親には陸軍大佐として機関の長の地位をくれてやった。せいぜい上手く使うことだ。ただしこの任務が成功しない限りはその権限は貴様ら"機関"の内々のみ、実権は私がもつ」
扱いにくい分子はまとめて手綱を握ってしまえということか。これまで謎の閑職に追いやられていた一族を思いだし、あやめは政府の狙いを理解した。しかし未だ消えぬ疑問が一つだけ残った。それはなぜただの娘であるあやめをここに呼び出してまで、父にすれば済む話をするのか。いやしていないはずがない、なぜわざわざ同じ話をあやめに伝えるのだろうか。
「疑問だろう。なぜ貴様にこの話をするか」
まさか、内心を読まれたというのか。ついにあやめはその動揺を表情に隠しきれず、目を見開いた。背筋を氷に突き刺されたような感覚が走った。それを見て葉室は愉快そうに口角を釣り上げ、また髭を撫で付けた。その余裕にあやめはついに気圧される。
「侮ったな。私とて伊達にこの地位に座ってなどいない、鍛練を積んでいるとはいえ"お嬢さん"の内心を読めぬはずがあるものか」
最初に"お嬢さん"と呼ばれた理由をあやめはここにきて理解させられた。この男、初めから遊んでいたのか。
敵意を込めて睨みつけたあやめの視線の先、葉室は椅子にわざとらしく座り直すと、刻み煙草を丸め始めた。意に介していない、とでも言いたいのか。ついにあやめはその表情を歪ませた。
「そこで"お嬢さん"には、"機関"の任を知らせた上で、さらに独自の任務を言い渡すのだ。貴様にしかできないことだ」
ここまで虚仮にしておいて、今さらあやめにしかできないことなどとのたまう葉室。あやめは今までに感じたことのないほどの多大なる屈辱にその身を震わせた。
「貴様の半生は調べがついている。幼少期、京にいたことがあったそうではないか。そしてそれとほぼ同時期、脇山という大名家……ふん、そう呼んでやるのも滑稽か。落武者一族の娘と、関係を築いたそうだな」
それも知られている。あやめはついに、この場においてはこの男に対して隠し立ては無意味であると悟った。
あやめの反抗の気が薄れたのを感じ取ってか、葉室は銀の
「さらにそこには陰陽寮の重鎮たる道明寺家の次代の巫女までいたそうではないか。名前は……歌鈴といったか」
歌鈴のことも知られていたが、あやめにもはや驚きはない。珠美と歌鈴とは京で本当に短い間ではあるが、交流があった。それぞれに思いや立場を背負っていたことを忘れ、まるで農民の少女のように町をかけた思い出。それに土足で踏み込まれる感覚は、あやめをひどく不快にさせた。
「あの伏魔殿のごとき陰陽寮に、封じられるも当然の妖術師どもめ。反乱を企てるなどまさしく世を乱す妖魔そのものだ」
陰陽寮。旧幕府において隆盛を誇った陰陽師の組織である。誇った、といったようにそれは何年も前に新政府により既に解体された。その後反発した家もあり一時は反乱の気運まであったようだが、道明寺家の当時の当主、つまり歌鈴の父が制して沈静化し、以後陰陽師の勢力は土着の祈祷士ほどにまで衰えた。それ以来脅威なしとして最低限の監視のみが続いていることもあやめは
「その連中の中心、
「……。潜れと?」
あやめの問いに、葉室は無言で紫煙を揺らすことで答える。
「……理解しました。して、その最終目標はなんでしょうか。わたくしに、なにを求めるのですか」
あやめの絞り出すような声に、葉室の唇が不気味に弧を描く。煙管に刻印された蛇がふと視界に入り、まるで睨まれたような錯覚を抱く。
「
陰陽寮解体の経緯には、政治との分離と、旧勢力の一掃が目的としてあったというが、それにはこうした政治への干渉を嫌ったというのもあったのだろうか。しかし、この男がやけに詳しいことがあやめには引っかかった。高官とはいえ、軍人がここまで政治、特に政府内部のことを知るものだろうか。
「さて。私は列強が虎視眈々と皇国を狙うこの時勢に、日本の中で争っている余裕などないと考えているのだがね。国は天皇陛下の下で一丸となり、列強に抗うべきであると」
あやめはもはや困惑を隠せない。葉室の考えていることが見通せなくなったのだ。この男の目的は一体なんなのか。
「しかしそれには困った障害がまだまだ山のようにある。さらにまた増えるかもしれない。その脇山の娘は京都に逃げ延びたとの報告が上がった。不平士族の残党と、陰陽師が接触する可能性がある」
そこまで言うと、葉室は煙管を口から放し、あやめをまっすぐに見据える。もはや瞳に嘲りの色はない。何か、あやめには想像のつかない類いの熱に浮かされている。
「あの娘は消せ。担ぎ出されると厄介だ」
あやめはついに目眩すら覚えた。運命とはこうも残酷なものか。この理不尽な生涯において唯一と言ってもいい幸福のよすが。それがあやめの前に敵として立ち塞がったのだ。
「国家に仇なすものは、その可能性すらあってはならない! 火種がなければ発破も爆ぜぬのだ!」
葉室の様子はもはや狂気じみたものと化し、混乱もあいまってあやめは雰囲気に呑まれたように「承知」と短く、蚊の鳴くような声を絞り出すことしかできなかった。耳聡くそれを聞き逃さなかった葉室は、たっぷりと間を置いたのち、当初の好好爺のような雰囲気で鷹揚に頷いた。
「よろしい。励んでくれ」
それを合図として部屋の扉が開け放たれ、息苦しい部屋の空気が霧散した。入ってきた兵士に軽く銃床で小突かれ、あやめはようやく我に帰った。そして、逃げるように部屋を辞した。
あやめの出ていった扉を閉じると、再び兵士は守衛に戻った。葉室は一人、静かに三服目の紫煙を揺らす。火入れの炭がふらふらと、不定形に赤く熱を放っていた。
洋風に飾り付けられた廊下。そこを足早に歩き去るあやめの脳裏には、朧気ではあるが鮮やかに彩られた京の思い出が駆け巡っていた。しかしその色はもはや灰色に染まり、これから色づくことはない。
精神を鍛えているとはいえまだ齢二十も数えていないあやめに、これほどまでの困難を受け入れることは難しかった。俯くあやめの視界には、真っ赤な絨毯ばかりが冷たく見えていた。
易のこと頑張って調べたけどぜんぜんわからんのでそれっぽいこと書く