大雨で浸水被害が出て、災害避難所の支援に泊地の全員が出払っていた。避難所は小学校の施設を利用しており、体育館は百人近くを収容できる。瀬戸は、避難民をまとめる自治区のリーダーと話を付けていた。艦娘たちは方々で、食糧や水や毛布を避難民の人たちに手渡していた。津波は恐ろしいが、雨は止みかけている。ここの人々は少なくとも数週間後には、元の生活に戻れるだろう。
扉が強く開け放たれる音。明石が蒼白の顔で避難所に入ってくる。瀬戸の元へ駆けつけて、耳打ちをする。それを聞いて、瀬戸の顔色が変わる。瀬戸は避難所を飛び出した。
雨見の姿がどこにもいない。泊地に物資を取りに戻った明石が、瀬戸に伝えたことだった。雨見は高熱を出して一人ではどこへも行けない筈である。人のいない泊地で、どうして消えたというのか。
「一体、どういうことだ……!」
車を飛ばして泊地に戻ると、明石の言った通り、家の中に人気がなかった。玄関に雨見の靴が無くなっている。はたと瀬戸は立ち尽くす。
真っ先に頭を過ぎったのは、自分たちの不在を狙った誘拐であった。海の中から氷山の一角が浮かび上がったように、終わらない子供の誘拐事件が、ここに来て眼前に現れたのか。思考が怒りに焼き付きそうになったが、しかし瀬戸は冷静に考え直す。家に雨見や誘拐犯が暴れた痕跡が見られない。壁も、薄暗い土間も、部屋も、全て生活感だけ漂わせてひっそりとしている。雨見は、自分の足でこの家を出たのだと思った。
ふと、この間のことを思い出した。夢にうなされて、震えながら瀬戸の体に抱きついた雨見。また、あのような夢を見て、飛び起きたのだろうか。そして泊地に誰もいないのが寂しくなって、探しに出てしまったのか。
瀬戸はそう考えながら家を出る。薄く雨が降って遠雷が鳴る。何気なく海の方を見やって、瀬戸の体が驚きに硬直した。
砂の上に付いた小さな足あと。覚束ない足取りのプロット。それが点々と――
瀬戸の動悸が収まらない。
――点々と、海へと続いていた。
慄然として、足あとの消えた波間の元へ瀬戸は走った。彼の想像に、あらゆる最悪が像を作っては弾けている。
「雨見、雨見! 溺れたのか!?」
息せき切ってこの広い海を見回す。遠方で荒れた波が岩礁に叩きつけられていた。腰まで海水に濡らし、瀬戸は血眼で雨見を探そうとする。海底の岩陰、潮流の先、沖合、雨に泡立つ海の中、たった一欠片の気配も見逃さないように。瀬戸は鬼気迫る形相で目を凝らしていた。
沖の方に突き出している岩場が、ふと瀬戸の眼に止まった。村民の間では冠島と呼ばれているその岩の一つに、何か赤いものが引っかかっている。瀬戸の視力が、それが何なのかを捉えたとき、彼は弾かれたように浜を走った。向かう先は船の係留所。彼が見たものは、雨見が着ていた、カーディガンだ。
係留所の桟橋に、打ち捨てられた古い銛があった。瀬戸は何を思ったか、その銛を小型ボートに放り投げ、自分も飛び乗る。ボート後部の船外機のチョークを全開にし、スターターグリップを何度も強く引いた。しかしエンジンが掛からない。七回、八回、引き続ける。
「馬鹿野郎! 動け木偶の坊!」
怒り任せに引っ張った十三回目でモーター音と共にエンジンが漸く作動し、船外機が暴力的に震えだした。瀬戸はクラッチレバーを後ろ手に、冠島へ向けてボートを走らせる。荒天を雲が逆巻いている。船を出すには、風が疾すぎる。
瀬戸の胸の内は、恐ろしく冷たかった。何かがおかしい。違和感が疑問に変わり、自分の行動に確信が持てない。雨見があの場所まで行ける筈がない。例え溺れたとしても、この海の潮流は冠島に何も運ばない。それでも雨見の手がかりを見てしまったからには、確認しに行かなければならない。瀬戸はこの仕組まれたような状況の中で、艦娘たちを連れて来なかったことを激しく後悔していた。
「俺の直観も、鈍ったものだな……」
岩場に辿り着いた瀬戸を出迎えたのは鋼鉄の外郭を持つ生命体、深海棲艦。たった一体の駆逐艦だが、その体躯は二メートルを優に越える。生物発光の青白い光が、その瞳から尾を引くような輝きを残していた。
瀬戸は手元にあるカーディガンに目を落とす。それは確かに雨見の着ていたものだ。仄かに暖かさが残っている。これは一体どういうことだろう。ここには雨見はいない。上着はあったが、それだけだ。雨見がここまで来れる筈がない。誰かが、この場所に雨見の上着を置いたのだ。瀬戸は疑問と共に、その上着を自分の腕に巻きつけた。
「ところで、俺の直観は完全に鈍ってはいなかったらしい。コイツを拾っといて良かった」
瀬戸は片手に銛を携えて構える。半身になり、深海棲艦を見据える。イ級の単装砲の照準が、瀬戸に狙いを定めていた。
「懐かしい。昔はよく、銛で魚を獲ったもんだったな――」
瀬戸の口元が笑った。