浜で雨見が手を振っている。そこを目印に、瀬戸はボートを乗り付けた。負傷した艦娘たち、五月雨、涼風、呂500がボートの上に横たわっていた。瀬戸は雨見の元に飛び降りて、彼女の体を抱きしめる。
「お、お父さん、苦しいよぉ!」
「良かった……雨見……生きていてくれて……」
「お父さん……?」
雨見は、体越しに瀬戸の張り詰めた肩の力が少しだけ弛緩したのが分かった。そして腕の隙間から、後ろのボートの様子が目に入る。
「み、皆どうしたの! 怪我してるよ!」
雨見は瀬戸の腕の中をもがいて抜けだすと、ボートの方へ駆け寄った。涼風の負傷が最も酷く見え、腹部からの出血が止まっていない。しかし微かだが全員に呼吸があり、脈拍もある。あの惨劇から、瀬戸は三人の艦娘を生還させていた。
「戦いがあったんだ。だが、きっと助かる、泊地に運び入れれば……」
瀬戸は雨見を諭すように言う。彼女はこの場に一人が足りないことに気付いていた。
「……ゴーヤお姉ちゃんは……?」
雨見の問に、瀬戸は黙して首を振った。あの海から瀬戸が連れ戻せたのは、三人だけだった。伊58の姿は、見つからなかった。
瀬戸は、雨見が手に持っている機械に気付く。
「雨見、それはどうしたんだ?」
その手には、あきつ丸の走馬灯が握られていた。問われて思い出したように、雨見はそれを瀬戸に差し出す。
「あきつお姉ちゃんが、お父さんに渡してほしいって。この戦いに決着をつけるんだって言ってた。雨見、何のことだか分かんないけど……」
走馬灯が瀬戸の手に渡った。機械が起動して、光を放っている。岩陰に映すと、ある映像が見えた。それはあきつ丸の観測機が映している、海岸に立つ明石の姿だった。
寸刻前。
地下の洞窟で泊地棲姫の心臓に短刀を突き立てたあきつ丸は、夕立と雨見の意識を取り戻させた。もともと二人に掛かっていた洗脳自体は走馬灯の力で解除されており、気のついた二人は洞窟内という異様な場所に不思議そうな顔を浮かべていた。
「あれ? 私、何でこんなところにいるっぽい?」
しかし、明石の姿だけ、どこにも見られない。あきつ丸が泊地棲姫に向き合っていた間に、明石は自分の力で意識を覚醒させ、洞窟を抜けだしたのだ。それに気付いたあきつ丸は、夕立と共に、明石を後を追っていった。雨見に、走馬灯を託して。
そして現在、波濤の前に明石は一人で立っている。彼女は誰にも見つからず、密会場所にまで辿りつけたと思っている。その海岸沿いの岩場の陰を、観測機が遠方から監視している。明石は相手を待っている。
間もなく沖から現れた者の姿に、明石は動揺の表情を浮かべた。
「驚いたわ……随分酷くやられたみたいね」
レ級は、全身に亀裂を入れ、顔の一部が砕け、かつての余裕ある姿を失っていた。しかしその分、人間を模した表層から機械の部分が覗いているような、非生物じみた不気味さが増している。対面する明石は額に汗を浮かべた。
「約束通り……深海棲艦の技術を渡してもらうわ」
明石は生唾を飲み込みそう言う。レ級の真っ赤になった片目が明石を向いた。
「ヤクソク……? ヒメハ、シン……ダ……。コウショウハ……ケツレツシタ……」
明石は単装砲の照準を、レ級に向ける。
「ええ。でも、技術自体は持ってきている筈よ。そうでないと元々交渉にならないからね。ここであなたからそれを奪って、私は逃げさせてもらう」
「アハハ……ソノオモチャデ……? ジブンガ何ヲ言ッテイルノカ……ワカッテイルカ……?」
「満身創痍のあなたになら、今の私でも勝てそうよ……!」
明石は震えそうになる自分の手を押さえながら、レ級の眉間に照準を合わせていた。彼女はもはや、全ての退路を絶たれ追い込まれている。泊地棲姫のロストを知っているレ級が何故この場所に来たのか、その理由を考えることもできない。
「ワカッタ……クレテヤロウ……ワタシタチノチカラ……ギジュツノスイヲ……」
レ級の肯定的な返答に、明石が一瞬気を取られた。その隙に、レ級の蛇尾が、滑るように明石の体に巻き付く。
「な、何……何のつもり……」
「ワレワレノギジュツハ……スベテワレワレノナカニ……」
レ級の頬が耳元まで裂ける。人間の頭程度優に食いちぎりそうな獰猛な牙が剥く。
「オマエハ……ハジメカラ……ワタシニ喰ワレルウンメイダッタトイウコトダ……」
明石は漸く悟る。レ級が負傷した体を治す為に明石を喰らいに来たことを。初めから自分に逃げ場など無かったことを。
「オマエハ……ワレワレトヒトツニナル……ソレガオマエノ望ンダコトダロウ?」
――違う。
その一言は、死の恐怖に呑まれて、昏い水底に沈んでいった。
「違うよ」
頭上から、声がした。かつての友だちの声がした。
「私たちが望んだのは、こんな結末じゃない」
崖の上に、夕立が立っている。その手には、泊地の工廠から持ってきたのだろう、人の胴体ほどはある大型のレシプロソー。その奥に、ここまでそれを運んで走ってきたらしい、息せき切ったあきつ丸がいた。見上げて目が合うと、彼女が笑った。
「私たちが願ったのは、あなたを倒した先にある、本当の平和なんだ! さぁ、明石を返してもらうわ、レ級!」
そして、夕立が駆動する鋼の鋸を抱えて跳んだ。その姿が、太陽と重なる。見上げたレ級が、何事かを呟いた。
「行け夕立殿! この六年間に決着を付けるんだ――」
あきつ丸が叫ぶ。
「断ち切れええええええええええええええええええ!」
咆哮を上げて落下する夕立の、全重量を受けるレ級の両腕に、青白い火花が、そしてその光が、明石の目の前に激しく散った。
「ガガッ……」
「終わりだああああああああああああああああ!」夕立が、その手に力を込めた。
明石は見た。六年前から自分を縛っていた鎖が、音を立てて切断されていくのを。救いのないこの世界が、真っ二つに断ち切られるのを。明石の目には、自分を絶対に見捨ててはくれないこの友だちの姿が焼き付いていた。どうして今まで気付かなかったのだろう。夕立は、友だちが地獄に落ちるなら、一緒に地獄の底にまで付いてきてしまうような少女だったのだ。
夕立に救われていたのは、私の方だ――明石はそう思う。
二つに裂かれたレ級が、水底へと沈んでいった。岩場は真っ赤に染まり、返り血塗れの夕立が、明石に振り返って無邪気に笑いかけた。
「おかえり、明石」
その声を聞いた明石は、その場で崩折れてしまった。声を上げて、夕立の膝で泣いた。
あきつ丸が崖の上から岩場へと滑り降りてくる。
「いやあ……凄まじい光景でありますな……。この場面だけを見たら、誰でもとりあえず通報するでしょうな、うん」
そうして彼女は埃塗れになった制服のスカートを手で払った。
「……あきつちゃん……私は、罪を重ねすぎたね」
明石が涙声で言う。あきつ丸は、血に濡れた地面の滑りやすさを恐る恐る確かめていた。
「……あなたはこんなことになる前に逃げるべきだったんだ、明石殿」
少し、苛立ったように言っていた。そして、わざと観測機が拾える声量で話していた。
「あなただけじゃない。この泊地の者たちは、全員大馬鹿者であります。六年前に敗北した時点で、逃げたら良かった。艦娘なんて、辞めてしまえば良かったんだ」
「あきつちゃん、もう全部終わったんだからよくないっぽい?」
夕立が明石の頭を撫でながら言う。
「いや、終わってないよ……」
明石は言う。
「私は罪を償わなきゃ」
明石はあきつ丸によって勾留され、軍事裁判に掛けられることが決まっている。その運命は変えることはできない。
しかし、あきつ丸は言う。
「明石殿は、泊地棲姫に操られていたのでありますよ」
明石は顔を上げた。
「嘘」
「否。艦娘がいくら姫級の精神攻撃に耐性があるとはいえ、六年間も近づき続ければ、マインドコントロールが掛かってしまうであります。明石殿は知らず知らずのうちに、動けない姫級の為に働くようになっていた」
「嘘、嘘よ……」
否定する明石に、あきつ丸は言う。
「明石殿。あなたは、深海棲艦と無線通信をした時の会話の内容を、自分で覚えているでありますか?」
明石は、ぞっとしたような顔を浮かべた。
「覚えて……ない――」
「ええ。なぜならあなたは、深海棲艦と無線通信なんてしていないから。あのカセットテープは、自分が村の電気屋で買ってきた空のテープであります」
明石は呈示された事実を受け止めきれず、地面に手を突いた。
「つまり姫級とレ級は、あなたを介さずに何らかの別の手段で連絡を取り合っており、引き渡しの際のみに、あなたを利用した。なぜなら泊地棲姫は四肢をもがれており、移動には内部協力者が必要だったから。そして決行の日取りの情報漏洩を極力防ぎたかったから。そのため、あなたの頭に入っているのは、引き渡し現場であるこの場所の情報のみであるはずだ」
明石の無言が、あきつ丸の推測を肯定していた。
「どこまでが明石殿の意志で、どこまでが明石殿の恐怖につけ込んだ泊地棲姫の意志だったのか、詳しくは精神鑑定を受けてみるまで分からないでありますが、裁判では、自分が証人に立つであります。明石殿の罪はかなり減刑されるだろう」
あきつ丸の見立てでは、多くても数年の拘留である。当初の罪状では処刑は不可避であったから、随分と軽くなった。つまり、戦いはこれからだということだ。
「はは……なんだか、頭がおかしくなりそう。ずっと、私が私じゃなかったなんて……。それに、あなたにも酷いことされたしね」
「あれは、悪かったでありますよ。ああするしかなかったし」
走馬灯の無意識を制御する機能について言及していた。その点では姫級のマインドコントロールと同じことをあきつ丸は明石にしていた。
「あれ? 私も巻き添えを受けたっぽい?」夕立が呟く。
「はは、気のせいでありますよ」
あきつ丸は嘘をついた。
それから、近寄ってきた観測機に向かって言う。
「こっちは、全部終ったであります提督殿。すぐに、明石殿と夕立殿と共に、そちらに向かいましょう。治療を手伝うであります」
水平線に太陽が沈んでゆこうとしていた。空も海も全てが燃えている。燃え尽きる瞬間に、世界が、生きよと言っているようだった。ならばもう少し、頑張ってみよう。あきつ丸は柄にもなく、そう思った。
泊地。走馬灯からあきつ丸の伝令を受け取った瀬戸は、艦娘たちの応急手当に手を動かしていた。
「了解した」
そう一人呟いた。