辺りは既に暗くなっている。
「……やっぱりブラック鎮守府だったのであります…」
と、畳の上にあきつ丸が脱力して臥せっていた。この南洋での一日に、彼女の全身の関節や筋肉は悲鳴を上げていた。明石があきつ丸の制服を脱がして、背中に湿布を貼ってやっている。流石に運動不足じゃない? と明石は呆れてみせる。
「こんなハードワーク、呉でもしなかった…」
海上哨戒中に人身売買の現場に遭遇し事件を解決した泊地の艦隊だったが、その後すぐについ数カ月前に起こった震災の復興支援の仕事が待っていた。というのもこの頃のリンガ泊地での業務は、支援活動が主となっている。震災のために、泊地の活動は非常事態モードに切り替わっていた。
そのため艦隊は、午前中は通常業務としての軽い海上哨戒、午後は近隣の村に赴いて、艦娘としてできる限りの支援を行う。その支援内容は多種多様で、艦娘の人並み外れた体力を利用しての、倒壊した建物の瓦礫の処理や修復、物資や食料の海上輸送、仮設住宅の建設などの力仕事から、ベビーシッターや被災地住民の喧嘩の仲裁、少年犯罪の取り締まりまで、とにかく何でも東奔西走。正直に言って、人手が全く足りていない。あきつ丸は、とんでもないところに送り込まれてしまったとすぐに気付いた。
「これが毎日続くのでありますかあ…」
口から簡単に愚痴がこぼれてしまうのは、この泊地の雰囲気がやけにアットホームだからだろうか。「リンガ泊地」と達筆で書かれた立て看板と共に村の外れに居を構えるボロ屋が、艦娘たちの根拠地となる家だった。玄関からはそのまま土間に繋がっており、土間には調理場や数人が同時に使える広めのシャワー室へ繋がる通路がある。シャワー室の裏手には温泉が張ってあって、使用するには一度家の外を回らなければならない。シャワー室の中から窓を通してシャワーを引っ張ってくる妙な作りになっているのはご愛嬌である。
土間の奥は三和土になっていて、その先には十一畳程度の畳の間が広がる。そこは皆が集まる食事場所として利用されている。その右と奥にまた襖を隔てて十一畳の部屋。右方を提督の執務室、奥を艦娘が寝泊まりする場所としている。これが、この泊地の全てである。
「嫌になった?」
げんなりしているあきつ丸に明石が聞く。
「まだちょっと、この泊地に馴染めてないみたいであります」
「平気平気。慣れって恐いよ? 数週間暮らしたら元気に仕事してるから、頑張って!」
明石がばちっと湿布を貼る。ほんとかなあ、と首を傾げるあきつ丸。
明石が救急箱を片付けていると、執務室の戸を開けて、中からパジャマ姿の夕立が現われる。
「あれー? あきつちゃん元気ないっぽいー?」
夕立はあきつ丸に近寄って、その太腿を指で突く。
「痛あ! ちょ、やめるであります!」
ビクッと反応して身じろぐのに、夕立は喜ぶ。
「面白い動きー! えいえいえい」
「痛い痛い!」
おもちゃを見つけてしまった、と夕立の眼の色が変わる。両指をわきわきと動かし、口端がたまらず上がってゆく。
「おっ、おかしい、耐拷問訓練は20時間は積んできたのに! このくらい! ああああああ!」
「耐拷問って…、あきつちゃんどこ出身?」
二人のじゃれつきをみて呆れる明石。そのときがらっと勢いよく音を立て、玄関の戸が開いた。
「たらいまー。ったく、おっさんたちの話は長くて困るねえ。あっちぃ風呂を浴びて酔いを覚ましてえや」
赤ら顔の涼風の帰還である。彼女が語るには、先ほどまで地元の漁師の手伝いをしていたらしい。気風のよさがえらく先方に気に入られ、酒を勧められてなかなか帰れなかったとか。
「おっ、あきっつぁん、昨日の今日なのにもううちの雰囲気に馴染んじまったのかい、感心感心。最近の若い奴は神経質なのが多くていけねえや」
涼風は年季の入った江戸っ子節を回す。それからとりあえずシャワー室へ消えた。その後に伊58と呂500が帰ってくる。瀬戸提督の娘である雨見も一緒にいる。三人とも髪が濡れている。二人の潜水艦はここから少し距離のある小学校まで雨見を迎えに行って、その帰りに海で少し遊んで来たらしい。
「二人がいたら海に行けるから、嬉しい」
と、雨見がぼそりと言う。深海棲艦のために、大抵の海岸は遊泳禁止になっている。
「今日は特別だからね、雨見。一人で行ったらダメでち」
「みんなばっかり海で泳げてズルいよ。ろーちゃんだったらまた連れて行ってくれる?」
「うん。一緒に泳ぐんですって!」
二つ返事で呂500は答える。伊58は彼女を訝しげに見た。
「……Uボート一人じゃ不安でち! 雨見、その時はちゃんとゴーヤを呼んでね?」
「でっち、ろーちゃんそんなに信用無いって? それにUボートじゃなくて今はろーちゃんですってー」
そんな会話を交わしながら、三人ともシャワー室へ。伊58を上の姉とする三姉妹のようだ。
「みなさーん、ご飯が出来ましたよー」
土間の方から五月雨の声がする。彼女が料理を運んで現れた。
「今日はロールキャベツです! 昨日は食後にあきつ丸さんが体調を崩されていたので、今日は日本的なものにしてみたらどうかと提督に言われまして、優しい家庭の味にしてみました!」
「いや…ほんと申し訳ない」
若草色の大玉キャベツの上にトマトソースがたっぷり染みている。座っているだけで唾液が溢れてきた。
ただひとつ、提督の気遣いというのが意外だ。
「飯か。腹が減ったな」
執務室の襖を開けて姿を見せたのは瀬戸提督。先程まで物音すら聞こえなかったためにあきつ丸は面食らった。
「居たのでありますか」
「そりゃ居るだろ。執務室だぞ」
釈然としないあきつ丸。
「ほお、夕立と遊んでいるのか」
「あきつちゃんが面白いっぽいー」
夕立はまだあきつ丸の背に跨っていた。
「遊んでいるというか遊ばれているというか…」
ひょっとしてこれは新人いびりかもしれない、そうあきつ丸が思い始めていた頃、花柄のパジャマを着た雨見がシャワー室から出てくる。
「ただいま帰りました、お父さん」
「おう、お帰り。皆で飯にしようか」
「うん!」
時間差で他の艦娘も揃う。ちゃぶ台の上に料理が置かれて、全員で囲む。ロールキャベツに白米にお味噌汁。近くで獲れた魚の煮付け。漬物。異国が少し混じったようなところがまったく日本食らしい。
この泊地のルールはたった一つ。食事は全員揃って食べること。それを守るために、艦隊は何がなんでもこの場所に帰ってこなければならない。危険な仕事を全員欠けることなく生き抜くこと。そこにはそのような意味が込められているようで、良いルールだなとあきつ丸は思う。
箸でロールキャベツを割ると、中からハンバーグの肉汁が溢れだす。口に運ぶと、味がよく染みている。五月雨の料理の腕は確かなようだ。彼女はエプロン姿で、姿勢よく正座し、静かに食事をとっている。座っているだけで華になる、良く出来た若い奥さんのようだ。
「昔は、ドジばかりだったけどなー」
あきつ丸がそのことを話題にすると、涼風が茶化した。以前はそそっかしく、食器をよく割っていたし、他の家事も禄にできなかったという。
「特訓の成果ですっ。別に、前もそんなに割ってなかったですし…」
明石が魚の煮付けに手を伸ばしながら言う。
「五月雨、エプロンの表裏ひっくり返ってるよ」
「ええっ、うそー!」
ぽん、と五月雨の頭に手が置かれた。
「うそうそ。よくやってるよ五月雨は」
「もおー、からかわないでください明石さん!」
ああ可愛いなあ嫁にしたい、などと明石は宣う。
その会話に皆が笑って、提督も口端に笑みを浮かべていた。
提督の隣で雨見も笑っている。
あきつ丸はつい思案していた。当然のことだが、彼女は、提督と五月雨との間に出来た子では無いだろう。五月雨自身が言っていたが、家事の技術はここ数年のうちに訓練して身に付けたのだという。それは、そうする必要があったから。それは雨見に関係していることだろうか。どうして艦娘ではない雨見がこの泊地にいるのだろう。五月雨が公私共に提督を支えているのは何故か。
一つの問がごく自然に弾き出された。
提督の夫人は今どこで何をしているのだろう。
とはいえそんなことを疑問に思っても、あきつ丸は聞かない。それがこの場の雰囲気を壊す発言であることはあきつ丸でもよく分かる。呉で散々空気が読めない艦だと評されてきた自分も、成長したものだと思う。人間には色々な事情があるものだ。他人を悲しませるような詮索はしない。それが、あきつ丸が自分の人生から学んだ一つの教訓だった。
そうしてそろそろ自分も会話に混じってやろうと、あきつ丸は冗談を一つ飛ばす。
「これはケッコンカッコカリをするなら五月雨殿でありますなー、提督殿!」
全席が凍り付く。会話が途切れ、雨見の顔色が曇り、瀬戸の手が止まった。それは不味いと、艦娘六組の目が訴えていた。
「やっべえ、地雷踏んだ」
流石のあきつ丸も語尾が素になった。