子供の失踪は依然続いている。失踪届のほとんど出ないのは、消えているのが身寄りのない子供ばかりであるからで、難民ビジネスが関与しているのは明らかだった。アジア諸各国はそれを緊急の事案だとして、泊地に問題解決の協力を依頼している。深海棲艦の影響下で海上を監視できるのは、艦娘において他はなかった。
ところが泊地の人員不足は知れている。瀬戸はこの案件は数年単位では解決しないだろうと考えていた。救える命は救いたいが、近隣の村の復興支援も疎かにはできない。これからのことに頭を悩ませながらふと窓の外を見ると、雨脚が強くなっていた。
瀬戸が仕事をしているすぐ背後では、雨見が布団の上で息苦しそうに眠っている。五月雨がその隣で、雨見の額の手ぬぐいを新しいものに取り替えていた。雨見は高熱を出していた。五月雨は彼女の看病を付きっきりでしていた。
雨見は数日前から体調を崩している。医者は栄養失調だと診断し、ビタミン剤を処方し十分な休養を取るように言ったが、雨見は日を追うごとに衰弱していた。遂には熱を出し、床に臥せってしまった。瀬戸は雨見の喘ぐ呼吸の音を聞いていた。
「雨見ちゃん?」五月雨が気付く。
「お父さん」
雨見は薄く眼を開いていて、うわ言のように呟いた。瀬戸は座卓の電灯を消し、どうした、と雨見に穏やかに語りかける。
「真っ暗な穴からね、声がするの」
雨見は息苦しく喘いでいた。喘ぎながら、自分を追いかけてくるものから逃げるように、言葉を継いだ。
「浜辺で遊んでいたらね、岩の後ろにね、真っ暗な穴があったの。その奥から誰かが雨見を呼んでるの。優しい女の人の声で、おいで、おいで、って。でも物凄く怖いの。真っ暗で。ひゅうひゅうって洞窟から音がして。海の音が凄く大きくて耳に響いて」
そこまで言うと、雨見はわあわあと泣き出した。飛び起きて、瀬戸の腕の中に抱きつく。五月雨は驚いていたが、雨見は怯え震えて、瀬戸を強く掴んでいる。
「怖い夢を見たんだよ」
瀬戸は雨見の背を擦っている。
「お父さん、私死ぬの?」
「死ぬもんか」
雨がトタン屋根を打つ。雨見はしゃくりあげながらも、段々落ち着いてきたようだ。
「おかゆ、食べられそうか?」
「うん」
泊地の離れは、工廠として利用されている。外観は母屋とあまり変わらないが、中のほとんどは工作艦明石の私物と化しており、旋盤や加工機などの工作機が所狭しと並ぶ町工場のような部屋と、各種薬品が揃えられ、常時皮膚の培養や遺伝子実験が行われている通称「保健室」に分かれていた。何故そう呼ばれているかというと、薬品棚や実験装置を部屋の真ん中を仕切るカーテンで隠してしまえば、まるで日本の学校の保健室みたいな内装だからである。明石が白衣を着てそこにいる時なら、艦娘の悩み相談も受け付けているという。
「で、今日は何の用かな」
明石が落ち着いた様子でコーヒーを一杯口に含んで尋ねた。パイプベッドの上にはあきつ丸と涼風が腰掛けている。
「あー話というほどでも無いのですが、日誌のバックナンバーを読みたいなあと。提督殿は忙しそうなのでこっちに来たのであります」
「あたいはただの付き添いー」
涼風が元気よく手を上げた。
なるほど、と明石は頷く。
「あきつちゃんは真面目だねー。とりあえず、コーヒーでもどうぞ」
「ありがとうであります」
あきつ丸は両手でマグを持って一息つく。
「ところで明石殿は何者なのでありますか。修理工? 遺伝子工学者? 確か海上では、救急箱を持っていたような」
「元はアイテム屋さんだったりして」
「うーむ不思議だ…」
はぐらかされたような気分でいると、「日誌のことだけどね」と明石が言う。
「五年前のより後ろのは無いんだ。ごめんね」
「……ゴーヤ殿が当時の惨状を少しだけ口にしていたのでありますが、そのことと関係が?」
「うん」
くつろいでいた涼風も、話に参加する。
「五年前っていやああたいが着艦した頃かい。ああ、確かにあれは酷かった。あたいが来たのは作戦の後だったから、何て声を掛けたらいいかも分かんなかったしさ。でもその頃も、提督は日誌を付けていただろ?」
「うーん、当時の記録は夕立が全部破いちゃったんだよね。データは全部本国に送ってあるから見れないことは無いんだけど、詳細は日誌の方だから」
「あーそういやそうだったか…」
言ってから、涼風は深く頭を下げていた。
「あの時は、何も出来なくてごめんなさい」
「もう……、いいんだってば。本当に、涼風が来てくれて私たちは救われてたんだよ? 泊地を立て直せたのも、涼風がいなかったら無理だった」
明石は笑いかける。顔を上げた涼風の眼は赤く滲んでいた。
「だって、あたいは、何も出来なかったんだ……だから、ただ自分の仕事をするしかなくて……あたいの、いつも通りにするしかなくって……」
「それにどれだけ助けられてたか。皆涼風を見て、自分たちもいつもみたいに、仕事をすればいいんだって分かったんだ。謝るのは、私たちの方だと思う。ずっと苦労を背負わせちゃって、ごめんなさい涼風」
明石が涼風の手を握る。涼風の頬を大粒の涙が伝っていた。
「あたいはっ……皆が好きだから、苦労なんかじゃなくって……、うっ、うわあああ――」
明石は涼風の隣に座り、彼女の肩の震えが収まるまで抱きしめていた。
「あきつちゃんは、この泊地の五年前のことを知りたいんだよね。あの作戦のことは、泊地の皆、普通は口にしないわ。それは、皆の心に刻み込まれた消せない傷だから。それでも、あの作戦があったからこそ、この泊地の今がある。私たちはあの敗北の上に、今の平和を必死で積み上げてきたわ。もしあなたが私たちの歴史を受け入れる覚悟があるなら、教えてあげる。五年前のことを」
あきつ丸は頷く。
「是非、教えてほしい。自分を、この泊地の本当の仲間にしてほしいであります」
明石はあきつ丸の覚悟を見て取り、ゆっくりと語りだした。
「あの戦いを越えてこの泊地で今も生き残っているのは、五月雨と夕立、伊58と私だけ。作戦の指令を本国から受けたとき、私たちも修羅場になると思っていたわ。覚悟もしていた。でも、あれは本当の地獄だった――」