ロンからみて、シリウス・ブラックはかっこいい大人だった。
脱獄したての時は情けなくて、恐ろしくて、それでいて頭の狂った異常者だった。
しかし、裁判が再び執り行われ、気が付けば父のアーサーからキラキラと目を向けられる程冷静でかっこいい大人に変貌していた。
きっとこれが『いつも通り』で、脱獄したての時は『異常な時』だったのだと思う。
夏休み、ロンはシリウスと個人的に何度か会うことがあった。
「ワームテールが居なくなったから、君もペットが必要だろう?」
ハリーの後見人(ではないけれど、自称)で、ミリの保護者代理だなんて言ってるシリウスを独り占めできた夏のちょっとした思い出だ。
ちなみにその時は『あの魔法生物オタクがアズカバンから出てこようとしなくて困ってる』という悩みを吐露していた。
4年生に上がり、シリウスもDADAの教師になった。ミリとシリウスはいつも喧嘩をしている。生徒と教師の間柄のはずなのに、いつも対等……と、言うには激しすぎるが。
渋々ミリの出場を認めたものの、冷戦中とも言うべきか。
「──私は闇の魔術に対する防衛術で、最も必要なものは『闇の魔術』への理解だと思っている」
「ルーモスの反対呪文はノックス、エンゴージオの反対呪文はレデュシオ」
「闇の魔術にももちろん反対呪文が存在する。……一部を除いて、な」
「私はスリザリンの家系に生まれたが、グリフィンドール生だった。」
シリウスの授業はいつもの騒がしさとは打って変わって静かな授業だ。
ミリの方を欠片も見ないで行われる授業。見なさすぎて逆に意識しているのがモロバレだ。
「どことなくMr.オリオンの教え方に似てる気がするのよね」
とはミリの言葉。
「闇の魔術は危険だ。非常に残酷で、君たちの未来を一気に奪い去っていく。人は闇に惹かれやすい。だから君たちはは闇の魔術を知り、その恐ろしさと残酷さを知り、闇を振り払って欲しい」
授業が終わればハリーがミリに疑問を零した。
「そういえばミリ、ハグリッドに呼ばれてたけど……行かないの?」
「行かないわハリー」
「行かないんだ?」
「ハグリッドが来いって言った時間、マダム・マクシームとの逢い引きのタイミングみたいなの。マダムから相談受けて知っちゃった。邪魔しちゃだめでしょ?」
「はは、そりゃダメだ」
授業終わり、いつものようにお話しながら歩いていた。
ふと、周りを見渡してみればバッジを着けている人が多いことに気付いた。
『セドリック・ディゴリーを応援しよう』
八割くらいの生徒が付けているバッジ、ミリは何も知らないのか、それとも興味が無いのか。
「あっ、パンジー!今日も可愛いね、バッジ付けてても愛おしさが爆誕!」
「……こっちに来なさい」
「ん?」
パンジーがバッジにちょちょいと何かすると、黄色いバッジはぐるりと一変し写真と文字が変わった。
『汚いぞコワルスキー!』
「あのね、これ貴女への侮辱なの。分かった?狡したのか何したのか巻き込まれただけなのか分からないけど、少しはへこんで……」
「──私の苗字を肌身離さず身につけてくれるなんて……最早結婚……っ!?」
「ほんっっとコワルスキー!!!」
パンジーの怒鳴り声をBGMに、ロンは一歩引いたところからその様子を見ていた。
頬をだらしなく緩ませ、パンジーの悲鳴を喜びの声に脳内変換してデレデレ喜んでいるミリ。
その変態的な姿に、思わず深いため息が漏れる。
ロンは、一足先に課題の内容を知っていた。
なぜなら己の兄が課題を運んできたことを知っていたからだ。……でも、ロンにそれを教えるつもりは無い。
ゴブレットからミリ──ではなく、エミリーの名前が出た時から、彼の胸には複雑な感情が渦巻いていた。
ロンは年頃の男の子だ。
優秀な兄弟と、優秀な友人に囲まれて育ったせいで、心のどこかにいつもちっさな劣等感を抱えていた。
ネビルは、そんなロンにとって似た立場のはずだった。
同じ純血の家に生まれ、ミリの好みから外れていて、成績もそこそこ。仲間のように思えた。
けれどネビルは、ロングボトム家の唯一の跡継ぎ。
対して自分は、優秀な兄の後ろを追いかけるだけの六男坊。
対等になりたかった。
ハリー・ポッターの金魚の糞などではなく、気のおける友人と対等の名声が欲しかった。
できるなら自分が代表に選ばれて、活躍して、そして。……もしもの話だ。仮定で、幻で、存在しない。
17歳以上でなければ出れず、フレッドとジョージも教師からの羊皮紙を貰う段階で躓いた。
なら自分が出られないのも仕方ないと、諦めかけていたのに──
『エミリー・コワルスキー』
イレギュラーな4人目の名前は、ミリの死んだ叔母の名前だった。
親戚で名前がほぼ同じだからと代表選手に選ばれた同級生。
本人は必死に否定するのではなく、まるで仕方ないとばかりに平然と選手席に座っている。
ロンには、そこが羨ましくて羨ましくてたまらなかった。
魔法生物に詳しく、美人で、教師やゴーストにまで可愛がられて、魔法はそこそこ苦手でも誰からも好かれる。
そんな同級生が、自分の欲しかったグリフィンドールの英雄という立場まで掴んでしまった。
ミリがいいんだったら、僕だって選ばれてもいいじゃないか!
「死んだ叔母さんの名前使って代表選手に選ばれるようにするなんて、やるじゃん」
吐いた言葉は、完全に嫌味だった。
けれど、返ってきた答えは拍子抜けするほど淡々としていた。
「分かるわ。この方法があったか、って感じよね。卒業してないから在籍扱いなのかな……?」
本気で他人の事を褒めるような口ぶり。
まるで『いい推理をありがとう』とでも言うみたいな反応。
途端に、自分がとても子供っぽくムキになったちっぽけな存在に思えて恥ずかしくなった。
押し殺した『なんでそんなに興味ないんだよ』という言葉。
ロンが心から欲しかった立場を、当の本人は無頓着に肩から下げている。
「……はぁ」
ロンは静かにいつもの彼らから離れ、とぼとぼ歩いていた。
平凡な自分にはどうせ届かない。逆立ちしたって敵わない。
そんな卑屈な声が、自分の中で嫌になるくらい大きく響く。
「ロン」
不意に名前を呼ばれて、顔を上げる。
そこに立っていたのは──シリウスだった。
「シリウス……?」
「用があるわけじゃないんだ、ただ、落ち込んでる感じがしてな。私で良ければ話をしないか……?」
そう話しかけてくれたが、シリウスは少し悩んで言葉を変える。
「いや、嘘だ。本当は私の相談に乗って欲しいんだ。友と喧嘩なんぞ、あまりしたことなくてな、どうしたらいいのかわからん。助けて欲しい」
呆気にとられた。
堂々としたヘルプ。むしろドヤ顔までしているような気持ちだ。ロンはプッと笑って頷いたのだった。
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「あー、なんかお菓子あったかな。お、カエルチョコあるぞ、食べるか?」
「お菓子はいいや」
「いいのか?ロンくらいの年頃だと菓子を食っても食い足りないくらい腹減るだろう」
「えーっと、最近ミリの定期的なお茶会のせいでミリ以外のお菓子あんま食べなくなっちゃって……」
言いながら、少し恥ずかしいような、でも誇らしいような顔になるロン。
ミリのお茶会は賑やかで、豪勢で、どこか特別な時間だ。とんでもなく上手い焼き菓子やパン。それに慣れてしまうと、ただのカエルチョコでは物足りない。
シリウスはそれを聞いて「めっちゃ分かる」と大きく頷く。彼自身、かつては友と囲んで食べたご馳走の時間が忘れられないのだ。
それなら仕方ない、と納得して冷えたバタービールを取り出した。
「飲酒したい所だが、仕事中だからな」
「確かに」
ノンアルコールの甘いビールで2人は乾杯する。
「どうだろうか、私の授業は。ハリーには教えるのが上手だと褒めて貰えるが、ハリーは優しい子だから遠慮してないか不安でな」
「シリウスの授業、すっごく上手いと思う。ルーピン先生の授業より座学寄りだけど、言い方が上手いのかな、1年や2年の時とは比べ物にならないよ」
「そうか、リーマスが……」
シリウスは懐かしそうに目を細めた。
「シリウスは、ルーピン先生とハリーのお父さんと、あとスキャバ……ピーターさんと悪戯仕掛け人だったんだよね?」
「あぁ!そういやロンとこの双子が悪戯仕掛け人だったな」
「うん……」
シリウスはほんの少し昔を思い出した様子だとロンの目に映る。
「ピーターはな」
予想外の人物の名前が最初に飛び出てきた。
「私の腰巾着だと言われてたんだ」
「え……」
胸に突き刺さる言葉に、ロンは思わず唾を飲み込む。それは、彼自身が散々言われてきたことだったからだ。
ハリーポッターの金魚の糞。英雄のおまけ。
目を見開いたロンに、シリウスは笑いかける。
「ピーターはすごいやつだ。私たちはそれをだれもが知っていた。あいつは度胸もあるし、頑張り屋だし、研究熱心で、友達思いだ。……でも、私もジェームズも、コワルスキーも、スネイプも。目立ってしまうから」
「…………分かるなぁ」
「ちなみに私だってポッターの犬、だなんて言われていたんだ。目立つ者のそばに居るのは、とても誇らしい反面……妬ましい」
シリウスは『私も思ったことがないわけではないが』と足して、真顔で言った。
「──そうピーターに言われたことがある」
「えっ」
「なんならリーマスにも『距離感考えずに踏み込んで来るからウザイ』とも言われたことがある」
まぁ蛇足だけど、とシリウスは継ぎ足した。
「私たち悪戯仕掛け人は、たったひとつのコンパートメントから始まった。私は、あの日が本当に愛おしい……」
目を細めた。
「でもな。腰巾着ってのは、悪いことばかりじゃない」
シリウスは瓶を軽く掲げて、泡の弾ける音に耳を傾ける。
「一番近くにいるからこそ、相手の一番人間らしい部分を知れる。成功も失敗も、勝利も後悔も、全部。……目立つ奴の横に立つのは楽じゃない。妬みも浴びるし、影に追いやられる。けど、同じ景色を一番間近で見られるのは、その腰巾着の特権なんだ」
その声は不思議と温かく、ロンの胸の奥に重たく響いた。
「それにな」
シリウスは瓶を軽く揺らし、泡の弾ける感覚を今度は楽しみながら言った。
シリウスは腰巾着側でもありながら、目立つものだ。両方の気持ちを理解しやすい。
「派手に動く奴はしょっちゅう転ぶ。ジェームズは恋愛関係、私は友人関係か……。仲間が必要なんだ。転んだときに、笑いながら手を差し伸べてやれるのは……腰巾着の役目だ」
ロンの指先が、知らず膝の上でぎゅっと握られていた。
自分がずっとおまけと呼ばれ、影のように扱われてきたことが、今だけ別の意味を帯びる。
「でもやっぱ、腰巾着は褒め言葉じゃないや」
ロンは困ったように、でも少しスッキリした顔で笑う。
「はは、そりゃそうだ」
「僕もさ……『ハリーの金魚の糞』だなんて呼ばれて、すっごく嫌だったけど」
言いかけて、彼は一度呼吸を整える。胸の奥に言葉がひっかかる感覚があった。
「でも……『ポッターの親友』って呼ばれるようになりたい。シリウスみたいに、さ」
暴走癖持ちのミリに、なんだかんだ爆速するハリー。行動力のある秀才のハーマイオニー。ドラコとネビルは良識を持っているけど、いい子すぎてブレーキになれやしない。
「僕は、友達が心に決めたことを後押ししたり、時に止めたり、相談できるような人になりたい」
シリウスはロンの顔をじっと見つめ、ふっと目を細めると、大きな手で肩をぽんと叩いた。
「あぁ、ロンなら出来るさ。……こんなおじさんの昔話を、真面目に聞いてくれるくらいには、いい子だからな」
その言葉に、ロンの耳は少し赤くなった。
だが胸の奥は、不思議と軽かった。
「それより、シリウスの悩みっていうのは?」
「あぁ」
シリウスは手を組んで真剣な顔をした。
その真剣さにつられて、ロンも真顔になる。
「──コワルスキーをどうしたら閉じ込めておけるかを考えている」
「スネイプ先生!」
「スネイプだけはやめてくれ!」
先生、犯罪です。
「……違うんだよ。ほら、あいつは死にかねないだろ」
「気持ちは分からなくは無いけど、監禁は違うと思う」
ロンは頷いた。
「僕の勝手な印象だけど。シリウスはミリのこと手足封じたり切り落としたりして逃げ出さないようにして、丹精込めて世話し始めそうだし、そのための資金を持ってるし地位もあるからダメ」
子供からのヤンデレ認定にシリウスは胸を抑える。
あながち間違ってないから困るのだ。
「……死んで欲しくないんだよ。出来るだけ危険から遠ざけてぇんだが、互いに意地張ってまともな会話が出来てないんだ。頼られずに死にに行く姿を、もう、見たく……」
「それ、エミリーのこと?」
「っ!」
ロンはやっぱり、と呆れた目でシリウスを見下ろした。
「ミリとエミリー・コワルスキーは別人だよ。一緒にしちゃいけない。確かにミリはいつも危険をかえりみないというか、危険だとすら思ってないけど」
「……、そう、だけど」
「シリウスは、ミリのことどう思ってるの?」
「大事な友だ」
たじろいでいた姿とは打って変わって、即座に放たれた回答に今度はロンが少し怯む。
「私は、ハリーもスネイプもリーマスも、もちろんロンだって大事だ。でも、コワルスキーは違うんだ。あいつは、私にとっての友で、初めて『シリウス』を見たんだ。シリウス・ブラックではなく、私を」
「シリウスを?」
「私は、コワルスキーのことを……」
シリウスは確信して言った。
「──殺したいほど恨んでいる」
「ヒュエッ」
「あ、もちろん比喩だ。……むしろコワルスキーのことを恨んでいるのは私よりスネイプだと思うが」
「両方教師……」
「コワルスキーは、何も言わないんだ。何も。私に何も言ってくれない。私はあいつの言う『天使』じゃないから、尚更な」
「……!」
「言って欲しい、頼って欲しい、そばにいて欲しい、閉じ込めてしまいたい、危険な所になんて行くな、危険な目に遭うな、危険なやつに近寄るな。死ぬな。傷付くな。怪我をするな。……私のささやかな、無事を願う祈りを。奇跡みたいに簡単に乗り越えてしまう」
シリウスは笑った。
ただ、その笑顔は泣いているようにロンの目に写り込んだ。
「──いっそ、死んだままなら、ここまで苦しくないのに。会えたことが泣きたくなるほど嬉しいんだ」
大きな大きな、抱えきれない思いに。ロンは背筋が凍るほど、ゾッとした。