─矛盾─   作:恋音

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4-11.気狂いの幻

 

 彼女の亡骸を抱きしめた時に、肺から出てくる空気のせいで微かに声が聞こえた。それが幻聴だと、もう何度も思い知っているはずなのに。

 俺は未だに彼女が生きていると錯覚し続けている。

 

 

 

 

 アニメーガスを覚えていて良かった。

 

 もし習得していなかったら、俺はアズカバンでとうに壊れていただろう。

 元々は、リーマスがひとりぼっちで満月の夜を過ごさなくて済むように、というただそれだけの理由で覚えた魔法だった。

 

 あの頃の俺たちは必死で愚かだった。

 

「なぁ、スネイプのやつにもリーマスのこと教えるべきだよな?」

 

 俺の提案は考えが足りなくて、なんだかんだ優秀なあいつに『俺は友達のことを知ってるんだぜ』ってマウントを取りたいだけの子供だった。

 

「──ポッター!」

 

 ジェームズを庇ったスネイプが、リーマスの爪で切り裂かれて倒れたとき、俺は頭が真っ白になった。

 

「スネイプ!」

「セブルス!」

 

 ジェームズが倒れたスネイプを担ぎ上げ、俺は動揺して立ち尽くすコワルスキーに怒鳴った。

 喉が焼けるほど叫んで、必死で現実に引き戻そうとした。

 

「危ねぇッ、コワルスキー、しっかりしろ! テメェがここ一番の要だろうが!」

 

 ……何が、コワルスキーだ。

 困ったときだけ名前を呼んで、尻拭いをさせる俺は、友達として最低だったと思う。

 頼るのが最適解だったとしても、自尊心は最悪の形に折れ曲がっていた。

 それでも、あの瞬間はどうしても必要だった。

 誰もこれ以上傷つけないためには、プライドなんて踏みにじるしかなかった。

 

 あの満月の夜から、俺たちは些細でしょうもなくて大きな喧嘩をした。

 雨降って地面が固まるなんて言葉はあるけれど、バカみたいで愚かな俺たちはコワルスキーが居たから仲直り出来たんだ。

 

 ジェームズも、俺も、リーマスも、元々馬が合わなかったスネイプとはどこかで諦めて、決別して、それきりだったかもしれない。

 

 俺たちを繋ぎ止めていたのは、間違いなくコワルスキーだったって断言出来た。

 コワルスキーのおかげで、俺たちは友情を手にすることが出来たんだ。

 

 

 

 

 

 アニメーガスで犬に変われば、そんな懐かしく苦い思い出が蘇ってくる。

 

 俺は冷静じゃない。

 だからこそ枷なんて関係なくアズカバンを抜け出した。

 

 コワルスキー、どこにいるんだ。

 会いたい……会いたい……。

 

 イギリスのアズカバンに閉じ込められた俺が、海を越えてアメリカに行くにはあまりに時間がかかる。

 脱獄犯として狙われるのはわかっていたし、何よりコワルスキーがホグワーツに戻ってくる可能性があるなら、イギリスで耐え忍ぐべきだと結論を出した。

 

 大丈夫だ。

 

 15年以上、コワルスキーの面影を探してずっと待っていたんだ。なら、ほんのひと月くらいあっという間だ。

 

 そして俺は決めた。

 

 ──ハリーに会いに行こう。

 

 アズカバンでは、時間の感覚などとうに壊れていた。

 昼も夜もなく、薄汚れた壁と闇ばかりの牢屋の中では、何日が過ぎ、何年が過ぎたのかも分からなくなる。

 それでも、ハリーは確かそろそろ十二か十三歳になるはずだと、曖昧な記憶を必死に手繰り寄せた。

 

 空腹に倒れかけながら、泥水を啜りながら、それでもプリベット通りに辿り着いたとき、真夏の太陽が黒い毛皮に容赦なく降り注いでいた。

 あまりの暑さに、幻でも見ているようだった。

 

 キャッキャと子供の声が響く。

 

「……っ」

 

 その幻にはジェームズとコワルスキーが共に過ごしていた。

 

 あぁ、ジェー、コワルスキー。

 生きていたのか……。生きて、いて、くれて。

 

「ワ゛ンッ……!」

 

 名前を呼ぼうとしたら、涸れた喉から絞り出されたのは犬の悲鳴。

 

「犬だね」

「犬だな」

 

 子供たちが俺に気付き、俺は戸惑った。

 幻じゃない。

 

「ちょっと魔法生物っぽいかも。ミセス・ノリスと似てるわ、どこかで魔法生物が交わっていそう」

「そうなの?」

「そうよハリー。魔法生物と通常の生き物って、生態系にそこまで違いは無いの」

 

 コワルスキーの声。

 

 その声で、俺は渋々正気を取り戻す。

 

 そうだ、これはハリーだ。ジェームズでもコワルスキーでもない。

 わかっている、わかっていた。

 

 ……わからないふりをしていれば良かったのに。

 

「触ってもいいかな?」

 

 ハリーはおっかなびっくり俺を触る。その触り方はジェームズとは似てないのに、涙が出そうなほどジェームズと似ていた。

 あぁ、ジェー、ジェームズ。俺の友よ。

 

 

 ……なんでコワルスキーがアメリカじゃなくてイギリスにいるのかだけ聞いてもいいか?

 誰も答えてはくれなかった。

 

「ちょっとまっててね」

 

 俺は動物もどきで、今は犬の姿である。コワルスキー……いやそっくりなその子は、辛抱たまらなかったのか、いつも使っている洗浄液を取り出して俺にぶちまけた。

 

「丸洗いしましょう」

 

 何度でも言うが今の俺は犬だ。

 犬の鼻は優れている。

 

 人は、声から忘れて、最後に記憶に残るのは匂いなのだという。

 

「(コワルスキーの、匂いだ……)」

 

 どこか魔法生物の体臭が混ざった、香水もつけてないひだまりのような匂い。

 身に纏う匂いも、今俺が洗われている薬剤の匂いも。

 

『シリウス、ワンプ洗うの手伝ってよ』

『しゃーねーな。いいぜ』

『ありがとう!』

『……ところでお前って香水とかつけねーの?服とか割といいもん着てるのに、香水だけは見ねぇよな』

『あぁ、魔法生物には匂いが苦手な子もいるからね。発情期の子達相手にフェロモンをつける時はあるけど、授業前とかは消臭するようにしてる』

『へぇ?』

『ケトルバーン先生の初授業でサンダーバードを警戒させちゃったし、匂いは消すように気をつけてるの』

『それで、なんか変に匂いがしないのか』

『……変態臭いよ、シリウス』

 

 なんでこんなに、エミリー・コワルスキーに似ているんだ。

 でなければ、俺はこの子のことをコワルスキーだと勘違いしてしまうだろ。俺の耄碌した頭は、この子供のことを俺の友だと誤認してしまう。

 

 やめてくれ、これ以上、似ないでくれ。

 これじゃまるで俺がコワルスキーの事を狂うほど好きみたいじゃ無いか。

 

「ミリ、手馴れてるな」

「ワン!?」

 

 マグルの少年が名前を呼ぶ。

 コワルスキーの名前に、これまたそっくりで。

 

 俺はスネイプが現れるその瞬間まで、勘違いと夢の真ん中でふわふわと浮かんでいる気分だった。

 

 

 スネイプは相変わらず性格が悪く、俺だということに気付いて嫌味を口に出していた。

 俺はまだ捕まる訳にはいかない。この子達を守るんだ。

 

 

 

 ==========

 

 

 

 ハロウィンは、俺にとって一年で一番息苦しい日だ。

 浮かれる子供たちの笑い声も、ハロウィン仕様のカボチャも、全部が俺の神経を逆なでする。

 ヴォルデモートを呪いたくて、呪いたくて、狂いそうになる。

 

 やつはもう消滅したと言われている。

 ──だが、消滅なんてして欲しくない。

 

 必ず、俺の手で殺す。

 ジェームズの、リリーの、そしてコワルスキーの仇を討つ。

 

 ハロウィンではコワルスキーに正体を見抜かれ、クィディッチの試合ではディメンターが現れた。

 

 可哀想なハリー。あいつはまだ子供なのに、俺の過去の罪と恐怖まで背負わされている。

 

 だから、せめてもの贈り物として、最新式のファイアボルトを送った。

 なぜか送り先がマルフォイ邸になっていたが、何かの手違いだろう……多分。

 

 時々人の姿に戻っては食料と最低限の物資を調達し、再び犬になって影の中で息をひそめる。

 それが俺の日常になっていた。

 

 ──ハリー、俺が守る。

 コワルスキー、もう二度と死なせやしない。

 

 全部、全部、ヴォルデモートのせいだ。

 憎悪は減るどころか、むしろ濃く、重く、黒く煮詰まっていった。

 

「(だってもう、ジェーもリリーも、コワルスキーも居ないんだから……)」

 

 ハリーを見ればジェームズとリリーの面影を思い出し、ミリを見れば、コワルスキーをそのまま見ているような錯覚に陥る。

 

 わかっている。

 ジェームズも、リリーも、コワルスキーも、もうどこにもいない。

 

 俺が壊れるまであともう少しだと、遠い視点からもう1人の俺が囁きかけていた。

 

 

 犬として彷徨っても、俺は本当の意味でそばにはいられない。

 ジェームズの隣にも、コワルスキーの隣にも。

 

 ──あぁ、本当にどうにかなってしまいそうだ。

 

 眠気と飢えと、薄っぺらい理性。

 ディメンターを避け、追っ手から逃げ続ける日々。

 二度とアズカバンには戻らないという執念だけが、俺を生かしていた。

 

「(こうして、影で二人を見守っていれば──)」

 

 表舞台に出るべきじゃない。

 そう言い聞かせていた矢先、場末のパブで耳に飛び込んできた言葉に、俺の決意はあっけなく踏み砕かれた。

 

「へぇ、こりゃいい。どうやらあの生き残った男の子が後見人を変えたとさ」

「ほう?誰だってんだい」

「レギュラス・ブラック様だ。あの方も、まぁ闇の手下っちゃ手下だが、シリウス・ブラックよかマシだろう」

「違ぇねぇ。だがそれでもブラックか」

 

「(は……?)」

 

 ガツン、と頭を殴られたみたいだった。

 

 野良犬のふりをして扉の影で耳を澄ませる俺に、聞きたくもない情報が次々と流れ込んでくる。

 

「ホグワーツに通ってる親戚が言ってたけど、ハリー・ポッターとレギュラス・ブラックはうまくやってるらしいぜ」

「やっぱり何か企んでるんじゃないか?ほら、例のあの人だとか、ポッター家を傀儡にするためとかさ」

「でもシリウスよりゃ百倍マシだろ。あの男、脱獄犯だしな」

 

 ……俺に残された唯一の立場が、ハリーの後見人だった。

 それを、よりにもよってレギュラスが取った?

 

 スネイプだったら、まだ我慢できた。

 よりにもよってレギュラスに?

 

「(レギュラスに後見人を変えるなら俺のままでもいいだろう!?)」

 

 

 そうして俺は、のこのこハリーに会いに向かった。

 

 

 

 満月の夜。

 リーマスのことを思い出しながら警備が甘いグリフィンドール寮に潜り込む。

 

『クルックシャンクス、ハリーは、ハリーはどこだ?』

『やだ、また来たの?』

 

 ハリーの友人のペットだという猫は賢く、なんとなくだが言っていることを伝えてくる。

 

 俺は開心術を使ってクルックシャンクスとやり取りをしていた。

 

『あの絵画を使わないとここには入れないんじゃなくて?』

『抜け道があるんだ。それでハリーは!』

『ハリーなら、こっちよ』

 

 慌てる様子の俺を気にせず、クルックシャンクスはマイペースにしっぽを立てて扉へ案内した。

 

『この中』

『あぁ、ハリー……』

 

 俺はこの時ばかりは頭が働いていなかったのだと、後になって気付いた。

 ハリーの元へと案内されたはずなのに、そこは男子禁制の女子寮だったのだ。

 

 そんな事にも気付かず、犬の体では開けられない扉を人に戻って開ける。

 

「……っ、コワルスキー」

 

 眠っているコワルスキーがそこにいた。

 

 

 心臓が一気に冷えきって激痛が走った。

 血の気が全部抜ける。

 喉の奥で何かが切れる音がした。

 

 あの日だ。

 あの、ホグワーツで、地面に横たわって、二度と目を開けなかったあの日だ。

 吐きそうだ。息ができない。

 

「は、っ、はっ、はっ」

 

 あ、嫌だ、しな、死なないでくれ、頼む、頼むから……。

 

「……ッ!」

 

 縋るようにベットに横たわるコワルスキーを強く強く抱きしめる。

 

 腕に力が入る。

 

 壊れるほど抱き締めないと、この姿はもう二度と俺の腕の中に戻らない気がして。

 

 その時、コワルスキーの喉の奥から空気が漏れた。

 

「う……」

 

 それはコワルスキーが死んだ時と一緒で。

 死後発声と同じようなうめき声で。

 

 世界がぐらりと回る。

 俺は恐怖に突き飛ばされたみたいに腕を離した。

 震える指先が、息をするたびにかすかにかすかに震える。

 

「(嫌だ、嫌だ、コワルスキー、死なないでくれ)」

 

 こんなにもお前の死に怯えるなんて、静かに眠るお前の姿なんて。知りたくなかった、見たくなかった。

 

 耳の奥が熱い。視界が歪む。

 

 死ぬな、死ぬな、死ぬな死ぬな死ぬな──!

 

 自分の声が頭蓋の内側で反響する。

 呼吸が荒い。胸がつぶれそうだ。

 血の味がする。

 

 早く目を覚ませ。目を覚ませ目を覚ませ目を覚ませ!

 

「だ、れ……」

 

 俺の記憶のコワルスキーは、生きてるはずなのにずっと眠ったままの現実だった。

 

「あぁ、コワルスキー……。コワルスキー、コワルスキー」

 

 名前を何度も呼ぶ。舌がもつれる。喉が裂ける。

 声が涙で濡れて、言葉のかたちにならない。

 

 俺の幻は勝利した。 

 死んだコワルスキーが目を覚ました!

 

 ──これで一緒に卒業出来る!

 

 なぁコワルスキー、卒業したらよ、皆で卒業旅行とか行かないか。

 

 ジェームズとリリーの新婚旅行をこっそりついて行くっての、絶対面白いだろ?

 お前のことだからずっとカメラ構えてるだろうし、不貞腐れたスネイプを俺らで慰めながら。

 

 どこの国がいいと思う?

 日本は行き飽きたし、アメリカにもよく行くから違う国がいいよな。

 でもリゾートは捨てがたいから、定番だけどハワイとかどうだ?アメリカ人なら行ったことあるだろ?

 

 それかいっそ南極と北極の違いとか現地で調べにいくとか絶対面白くないか?

 

 お前らセンスないからなぁ。俺がホテルを選んでやるよ。

 ジェーとリリーは一緒の部屋にして、後残りのヤツらの割り振り……。

 

 お前問題児だからさ、一人部屋でも文句言うだろうし天使と一緒にさせたらやかましいだろ?残りの5人で一緒の部屋を取るのが無難か?

 

 俺たちはずっと、永遠に友達で、7人揃って大人になっても騒ぎまくるんだろうな。

 

 

 ……。

 ──あぁ、違う。

 

 

 

 今しがたまで笑いかけていた光景が、ぐしゃぐしゃに崩れた。

 冷たい現実がのしかかる。

 

 これはコワルスキーじゃない。

 わかってる。わかってる。

 

 認めたくない。

 

 涙が頬を伝い、ミリの髪を濡らす。

 

「ずっと、ずっと、会いたかった」

「あぁ、ミリ。本当にコワルスキーにそっくりだ」

 

 違う人物だと口でそう言いながら、頭の奥では完全に同一視している。

 区別はない。線は溶けて、ぐちゃぐちゃになった。

 

「ハリーはジェーによく似てるし、ミリはコワルスキーによく似てる。まるで2人が蘇ったみたいだ」

 

 コワルスキー、コワルスキー。

 蘇ってくれて嬉しいよ。なぁ、早く俺の名前を読んでくれ。

 

「スキャバーズ……」

 

 だと言うのに、コワルスキーは俺でも友の名前でもない名前を呼んだ!

 

 俺はろくな食事を取れてなかったから、なにかの衝撃でふらつく。

 

 俺は、その姿に釘付けになった。

 

「ワームテール……?」

 

 それを認識した、瞬間。俺は怒りと失望と後悔でいっぱいになった。

 

「ワームテール!なぜ!なぜお前がここにいる!?ハリーを狙いに来たのか!?それともミリか!?ジェームズのみならず!」

 

 俺は半年以上もハリーとミリを見守っていたのに、今の今までピーターの存在に気付かなかった。

 

 一体どこに隠れていた。

 闇の手下に成り下がったお前がジェームズを売ったんじゃないか!お前が!守り人だったのに!

 

「あぁそうか、お前がコワルスキーをあのハゲに売ったんだな!?」

 

 あの時、コワルスキーが死んだのも、お前のせいだったんだろう!?

 

 殺す、殺してやる。今すぐ、俺の前におめおめと現れた愚かなお前を、殺してやる。握りつぶして、踏み潰して、生まれたことを後悔するほど残酷な目に合わせてやる。

 

 手を伸ばしかけた次の瞬間。

 

 

 

「──シリウス、貴方なんて素敵なの?結婚しましょ?顔がどちゃくそに好みだわ……!」

 

 ……は?

 

 耳を疑った。

 息をするのも忘れた。

 

「コワルスキーはこんなこと言わない!!!!」

 

 

 怒りも悲しみも全部吹き飛んだ。

 さっきまで蘇ったと思っていた俺の幻はアデュオスといいながら消えていった。

 

 お前誰だ俺のコワルスキーを返せ!!

 




オチがどうしてもこれなんだもんここで区切るしか無くなるって……
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