Lostbelt No.8 「極東融合衆国 日本」 作:萃夢想天
PCのマウスホイール部分がマウス内にめり込んで使い物にならなくなるという
トンデモない珍事をやらかしてしまったもので……。替えのマウスを捜し歩いていたら
こんなに時間を空けてしまっていたのです。よく物落っことすんだよなぁ昔から。
さて、前回はオフェリアとゼベルの出会いと彼女の心境に軽く触れたあたりでしたね。
今回は少々展開を端折ることになります。すみません、書きたい話を詰め込んでいたら
四万字を超えかねない勢いだったので、添削に添削を重ねた結果なんです……。
はたしてオフェリアの恋心の行方はいかに⁉
それでは、どうぞ!
それからしばらくの間、私はゼベルを挟んでマシュと映画の感想や講評をしていた。
ゼベルが突然言い放った質問に対して、マシュは主観を伴った意見を言い切ってみせたのだけど、それが未だに信じられないでいる。彼女にとって我を通すという行為は、不可能ではないのだ。
この身に常から掛けられている期待や責任、それらを重荷に感じてしまうのはいけない事であると分かってはいても、それを私は否定しきれない。どうしようもなく弱い。そんな自分が嫌い。
普段から最低限の応答しかこなさないマシュの姿をみて、それを「抑圧されている」ものだと感じてしまい、情けないことにそんな彼女を見る事で安心している自分がいた。同じ境遇の人が自分の他にも居るのだと信じて疑わなかったわ。ええ、思い上がりも甚だしいと痛感させられた。
あれほどマシュとの会話を楽しみにしていたはずなのに、私の心には依然不快感が募るばかり。
「あっ……」
「ん? どうしたー、マシュ」
「すみません。予定の繰り上げで、検診の時間が早まったと通達がきまして」
自分の心境に折り合いをつけられずにいると、どうやらマシュに急な予定が入ってしまったようで、映画鑑賞会はおひらきとなるようだ。前日までの私なら彼女と一緒に居られる時間が減る事態を嘆いたのでしょうけど、今となってはむしろありがたく感じる。そんな卑屈さも嫌になる。
「そっか。ならしょうがねぇな。また次に時間が取れそうな時があったら教えてくれよ」
「了解しました。それでは、失礼します」
礼儀正しくも機械的な反応を見せる彼女は、そのままゼベルの私室から立ち去ってしまった。
なんとなく気まずさが先立ってマシュと一緒に退室できなかった私は、取り残されることとなる。しかしここで私は、意識を向ける対象が消えた事で、急激な孤独感を感じ始めてしまう。
押し寄せる不安。誰かに見られているような焦燥。見えない重荷を背負わされる苦痛。
自分がたった一人、世界に置き去りにされたような、現実離れした虚無感に苛まれる。
ああ、そうか。
今日は、
「おーい、オフェリアー。なんか顔色悪そうだが、大丈夫か?」
「ひっ______________痛っ!」
不意に。意識の合間を縫うように語りかけられ、思わず声と反対方向へ飛び退いてしまった。
その結果、何かにぶつかってしまい、それが頭に落下してきて意図せず小さく悲鳴を漏らす。
けれど痛みのおかげで正気に戻った私は、自分が何にぶつかったのかをハッキリと目にする。
「これ全部、魔術に関する書物? それも古い物をこんなに、たくさん…………」
「おい気ぃつけろよオフェリア。下手に動くと冗談抜きで本に埋もれて溺死するぞ」
それは、本だった。それもかなり高度な魔術理論が記載されたものが、山のように
視界が晴れたように室内を見渡せば、まるで部屋の壁紙が本棚模様であると錯覚しかねないほどに積み上げられた本の数々が見える。しかも一冊が女性の腕よりも二回りほど分厚いようだ。
さっきまでは映画を観るために部屋を暗くしていたから、ここが本の山だということにまったく気付かなかった。茫然自失としていた間に使っていたティーカップも片付けられているようだし、部屋の照明もその時に付けたのでしょう。でもこれほどの書物が、何故彼の部屋にあるのかしら。
「ね、ねぇ。この本の数は、いったい何なの?」
「ん? あぁコレ? あー、自分から言うのは恥ずかしいが………まぁ、研究だな」
「研究って、どの分野での研究を?」
「分野も何も、全部だよ全部。魔術関係のものは片っ端から頭に叩き込んでる最中さ」
驚愕し、そしてすぐに呆気に取られた。少し照れくさそうに頬を掻きながらそう答えた彼に対し、私の中に浮かび上がったのはソレらだった。彼は自分が何を言っているのか分かっているのか。
「片っ端って貴方、魔術がどれだけ歴史を重ねてきたのか知っているでしょう! 有史四千年から数えてもその発展と進歩は多岐に渡る! だから時計塔でも学科が分かれているのに!」
「ソレだよソレ」
「それ?」
「そう、時計塔だよ。俺さ、昔に時計塔へカチコミにいって返り討ちにあってんの。そこからはもう俺みたいな三流でも入れる道を探す日々でさ。んで、どの道も偉大なる先駆者がいたわけ」
「突然、何の話?」
「だーから、俺は時計塔に入るために魔術のあらゆる分野を勉強してるってんだよ」
彼の話を聞いた時は、馬鹿げた冗談だと思った。いや、正直今でも少し疑っているけれど。
つまり彼は、一つの道に絞っても敵わないから、全ての道を網羅することを選んだ、という事か。ここまでくると笑い話であっても笑えない。歪んでいるとしか思えない。子供の夢物語のようだ。
しかし現実はどうか。天井まで届くほど積まれた本の山があり、床には魔術理論への考察や解読方法を書き殴った紙が散らばっている。そのどれもが、一朝一夕の物でないと証明している。
本気なのだ、彼は。本気で夢を叶えようとしている。誰一人として信じないような夢想を。
「自分の事だ、自分が一番よく分かってる。俺は今後の人生全てを一つの道に捧げ尽くしても、きっと一流には届かない。よくて二流か、あるいは三流止まりか。そんなところだろうよ」
「だったら何故…?」
「一つの道を究めるには凄まじい執念が必要だが、
だからそれぞれの分野には窮極を体現する奴がいる。その時点で俺なんかに勝ち目は無い」
「……………」
「だったら俺は、その勝ち目を引っ繰り返す。誰にも出来ない事をやってみせる、ってな。
意固地な子供みたいだろ? 俺もそう思う。でもさ、誰にも出来ない事なんてこの世にはないとも思うんだよ。今の俺を笑う奴らを、最後の最後で笑い飛ばせるほど強くなった俺になりたい」
「…………貴方の事、誤解していたわ」
私はもう、彼の顔を正面から見る事は出来なくなっていた。あまりに矮小で情けない自分が、ほんの少しでも彼よりも優っていると思い上がっていたのだから。彼は私よりも下なのだと決めつけて蔑んでいたのだから。日曜日は、私を私が徹底的に嫌いになる日なのだと思い知らされる。
なんて強いのだろう、この人は。生まれ持った才能が無いという残酷な現実を認め、受け止めて、それでも諦めずに夢を目指している。おそらく才能に恵まれた人ですら抱かないほどに、巨大で崇高な理想を抱いて。そんな彼を笑う資格なんて、きっとこの世界の誰にもありはしない。
等身大の自分を受け入れきっている彼の姿は、天井の照明の逆光よりも眩しくて、俯いてしまう。
「どした? さっき本が落ちた頭が痛むんか?」
「…………違います」
他人に気を配る余裕なんて彼にはないはずなのに。あってはいけないはずなのに。どうして。
普段の飄々とした態度の裏で、彼は努力を積み重ねていたというのに。私は彼を馬鹿にしていた。何度も「努力が足りない」と口走っていたのを思い出し、罪悪感に押し潰されそうになる。
俯いたまま顔を上げられずに沈黙が続く。すると、おもむろにゼベルが近付いてきた。
「やっぱりどっか痛むんだろ。さっきから苦しそうだぞ」
「違う……違いますから……」
「自慢じゃないが、俺はこれまでの人生で女性に苦痛を与えた事は一度も無い。だから見してみ」
「何の関係が…………こ、こないで!」
言ってしまってから私はまたも自分の過ちに嫌悪感を募らせる。どうして拒絶したのか。
もっと他に言い方はあるのに、これで完全に彼を怒らせてしまったでしょう。心配してくれていたのに、あんな言い方をされて気分を害さない人はいない。マシュを道具ではなく人間として見てくれるような良い人なのに。この時の私は、誰よりも自分を呪ってしまいたかった。
「………そ、そこまで嫌か。そりゃ普段から怒られてばっかりだもんなぁ」
案の定、彼は歩みを止めてしまう。けれど彼の口から発された言葉には、私ではなく自分への責があるのだという意志が込められていた。確かに私は、彼の事を何も知らない昨日までの私は、彼の遅刻癖や訓練でのだらしなさを指摘していたけれど、もうそんな偉そうなことは出来ない。
心配してくれた彼の思いを無下にすることだけは避けようと、俯いたまま彼の呟きを否定する。
「違います。そうではなくて………わ、私には魔眼があります、から……」
口を吐いて出た言葉は、無意識に私を苦しめるものであり、正しい意味で私から人を遠ざける要因となる存在を示唆するものだった。私の顔にかかる黒い片目用の眼帯、覆い隠された右目に宿った人の埒外に位置する超常の力。未来を限定的に目視する、『
『遷延の魔眼』は、魔術界隈において指定されているランクで表せば、上から二番目の〝宝石〟
であり、分類で言えば未来視の一種。端的に説明すると、あらゆる可能性を目視可能になる能力。生物・非生物問わず、私の魔眼は対象が起こしうる未来の可能性を目視できる。
そしてこの力は観るだけでなく、干渉することもできる。と言っても、選出した可能性を私の魔眼が目視をしないことによって、その可能性の到達を限りなく遅滞させるだけなのだけれど。
この遅滞というのが、私以外の人間にとっては「時間の巻き戻り」のように感じるらしい。
そんな力を持つ事がどれだけ怖いか。そんな力を持った人間に見られる事がどれほど不気味か。
誰もが私を遠ざけ、遠巻きに見つめる。私が視線を向ければ、蜘蛛の子を散らすように立ち去る。眼帯をしていても魔眼という異能を持たない人にとっては、そこにあるというだけで恐怖の対象。
私は魔術師なのだから、魔術の研鑽に人生を費やす。それ以外の感情も感傷も不要なのだと両親に教えられてきた。魔術師とはそういうものだと。なのに私は、避けられる度に悲嘆に暮れた。
魔術師に不要な感情を抱く時点で、私は純然たる魔術師ではないのだと思う事も悲しいのだけど、それ以上に誰も私を見つめ返してくれない事の方が、とても辛く、とても悲しかった。
「…………………魔眼に近付いても、碌な事はないって知っているでしょう」
右目を意識する度に、過去の辛い経験を思い起こしてしまい、心に暗雲が広がっていく。
他人に避けられることには慣れないし、悲しいと分かっているのに。胸が張り裂けそうだ。
蹲っていても何も変わらない。そもそも此処は彼の部屋なのだから、私が出て行かなきゃいけないでしょうに。頭ではそう分かっているのに、体が思考に着いてきてくれない。どうしようもない。
もうどうしたらいいのか分からなくなっていた私に、彼は懲りずに歩み寄って話しかけてきた。
「魔眼だかマシンガンだか知らんが、人と話すのに目ぇ見てビビるようじゃダメだろ」
そう言いながら彼は私の頭を両手で、壊れ物を扱うかのように優しく掴んだ。
「ふぇ⁉ な、なに? いきなり何を」
「動くなって。たんこぶとか出来てたらシャレにならんだろ。シャンプーする時痛むぞ」
「こ、子供じゃないんだからそんな事心配されなくても」
「ん、良し。特に傷にもなってない」
「話を聞いてっ!」
「聞いてるよ。で、お前の眼がなんだって?」
髪をそっと撫で上げながら時折軽く触って頭部を確かめる彼に、私は俯いたまま赤面してしまう。異性に触れられることなんてほとんど無いのに。妙に繊細な手つきで髪を触られているこの状況に理解が追い付かず、されるがままになっていると、怪我の確認を終えた彼に顔を上げさせられた。
「…………ぁっ」
「左目は綺麗な青色じゃん。右目の方は眼帯だっけ。んじゃこっちが魔眼か?」
「えっ、あ、あのっ」
「目を見ただけで流石に死んだりはしないだろ…………しないよね?」
「し、しない! そんな事はないわ!」
「なら見てもいいか? ここまでくると気になってしょーがねぇからさ」
この時に初めて、私はゼベル・アレイスターを真正面から見つめてしまった。
整えられていないボサボサの乱れ髪は、黒というより焦げ茶色に近い色合いをしている。
顔立ちは至って普通。けれど大陸の人間のような彫りの深い顔ではなく、どちらかと言えばアジア系に近い感じだろうか。確かアレイスター家はフィンランドに本家を構えていたはずだけれど。
あとは、目。彼の目だ。こちらも欧州にはない黒系の瞳の色をしている。なのに、澄んでいる。
黒と言えば闇を連想するものなのに、何故か私は彼の瞳に星が一つも無い夜空を想起させた。
ああ、何故だろう。鼓動が早鐘のようだ。頭を押さえられ、顔を近付けられているのに。
「……………はい」
不思議と拒めない。あれほど近付かれたくなかったはずなのに、見られたくないはずなのに。
知らず知らずのうちに手をギュッと握りしめ、体は縮こまっている。無意識化での警戒を肉体はしていたのだろうか。けれど今度は彼の手を拒絶することなく、ただ成すがままに受け入れる。
そうして眼帯は少しズラされて、眩しさに軽く閉じてから、ゆっくりと瞼を開き彼を視た。
「おー。これが魔眼なのか、初めて見た。なんだよ、めっちゃ綺麗じゃんか」
「っ!!」
「これ隠してんの勿体無いな。あ、でも魔眼だから、見せびらかすのはヤバいのか」
まるで雨の上がった空に虹がかかるのを見つけた子供のような、そんな純粋で陽気な声。
聞こえてきた言葉の意味を理解してから彼を恐る恐る見つめ、彼と目が合った事に驚く。
怖がらないのか、と思った。魔眼の力が向けられる恐れがあるのに、怖くないのか。
羨まないのか、とも思った。魔眼の力は強大で、その為に多額の金が動く事もあるのに。
でも、そんなありきたりでネガティブな思考よりも早く、到来した感情は。
(――――――――――――――嬉しい)
無上の、歓喜だった。
思えば私の内に爛々と燃え盛り続けるこの想いの発端は、あの日だったのだろう。
あの後すぐに私は彼に食って掛かった。「魔眼が怖くないのか」と、思い切って尋ねてみた。
すると彼は何食わぬ顔で言ってみせた。「たかが目だろ、怖かねぇよ」と。
恐れられたことはあった。避けられたこともあった。羨まれたことも、不気味がられたことも。
しかし彼はそれらをおくびにも出すことなく、あっけらかんと言い放ってくれたのだ。
「いくらとんでもない力が宿ってても、所詮は目。つまりは人間の臓器の一部なんだし、独立した意志をもって襲い掛かってくるわけじゃないだろ。道具と同じで、使い手がどう使うかって話。
それに魔眼ってのは目視されたらマズイんだろ? なら対処法は幾らでもあるだろうさ」
私が生まれた時から背負っていた重荷が、彼の言葉を聞いて軽くなったように感じた。
ゼベルにはお見通しだったんでしょうね。誰より魔眼を恐れていたのは、私自身だったことが。
魔眼のせいで人は遠ざかる。魔眼があるから。そんな理由を盾に、私は人と関わる事をいつの日か忘れてしまっていたんだわ。いえ、忘れていたというより、諦めていたんだと思う。
彼はそんな私の弱さを言葉ではなく、自分で気付くように教え諭してくれていたのよ。
それが彼なりの優しさであり、心遣い。誰よりも人を重んずることの出来る、最優の人格者。
それこそがゼベル・アレイスター。私が初めて抱いた、恋心の向かう先。目を合わせられる人。
その日から私は、頻繁に彼と言葉を交わすようになった。他愛の無い雑談も、楽しかった。
彼と会話する事で私は人と接する能力を養って行けたの。おかげで前よりスムーズに他人と接することができるようになっていたし、あの日以来話しかけられなかったマシュをお茶会に誘えた。
二人でぺぺのところへ行った時はとても喜ばれて、それがどうしてか嬉しくてたまらなかったな。
それから二か月もする頃には、自分の心境の変化に気付くようになっていた。
気が付けば私は彼の姿を眼帯越しの右目でも追うようになっていたし、空き時間があればふと彼を探しにカルデア内を散策している。流石にこんな生活をしていれば、鈍感でも想いを自覚する。
…………周囲からはとっくに悟られていたと気付くのは、かなり後の話なんだけれどね。
とにかく私はゼベルを追い求めていた。もう彼が仲介をしてくれなくてもマシュや他の人ともお話出来るようにはなっていたけど、それでも私は彼と話す事が一番楽しいと思えていたの。
魔術について話し合って知慧を深め合うのもいい。映画について語り合って意見交換するのもいい。お菓子について調べ合って、厨房のスペースを借りて一緒に挑戦してお茶会を開くのもいい。
そんな事を考えながら彼の姿を探してしばらく。曲がり角を曲がってくる彼の姿を捉える。
用事が無ければ断ったりしない事はこれまでの付き合いで分かってきたし、今日の彼に用事が無いことはとっくに調査済み。だから今日も二人で過ごせそうだと、独りで舞い上がっていた。
近付いてくる足音に耳を澄ませ、ばったり出会ったように装いながら彼の予定を(知っているけど)伺おうとした私は、次の瞬間に表情を凍らせる。左目が彼と、彼の横に居る女性を捉えたからだ。
「―――――――――――――― ヒナコ?」
もはや何も目に入らなかった。目に入れたくなかった。ソコに誰かが居る現実を視たくなかった。彼の笑顔は私の心の闇を払ってくれるはずだったのに、どうしてか今だけはその顔を視たくない。
せっかく忘れられるはずだったのに。さっきまで忘れていたのに。ああ、なんということか。
今日は…………今日も、
それから私は、ゼベルとヒナコを見つめるだけの女になってしまった。二人の仲を引き裂くなんて出来るはずもないし、それ以前に二人の関係を確かめる勇気も無い。情けない前の私に戻った。
多分、人生で一番涙を流したのはこの時だったと思ってる。泣いて、泣いて、泣き腫らして。
次の日に充血した左の青い目を彼に見られて「何かあったか」って言われたのが一番辛かった。
こうした話は、ぺぺにしか出来なかったから相談した。ぺぺは真剣な表情で幾度も頷いてから、
優しい声色で「悲しかったら泣くの。乙女の涙は安売りしちゃダメ、でも非売品じゃないわ」なんて言い聞かせてくれた。何度も相談しては、その度に私とゼベルとの仲を取り持ってくれた。
そうして時は流れ、ついに発見された特異点の修復にAチーム8名がレイシフトで向かう当日。
レイシフト先は数年前の日本の冬木という都市部。何が起こるか分からない以上、最悪の場合は命を落とす事も有り得る。前日は決行日の作戦内容の確認と設備の点検で終わってしまった。
だから、彼と話すならレイシフト前の今しかない。私はぺぺに視線で合図を送る。
「………ねぇみんな、忘れ物は無い? ちゃぁーんと持つ物は持ったかしら?」
重大な作戦を前に緊張が奔る中、普段通りの垢抜けた口調で話をしだすぺぺに、全員の注目が集まっている。言葉は出さずとも、準備は完了していると表情から読み取ったぺぺはさらに続ける。
「それじゃあ、出すモノは出した? レイシフトの前しか、行くタイミングは無いわよ?」
「おいおいペペロンチーノ、いったい何を言い出すんだ」
「べリル、言わせないでほしいわ。女の子はこういうコト、言い出せないんだから」
「あー! そっかそっか、いや悪ィ悪ィ。余計な口を挟んじまったな」
「ゼベル、アナタちょっと顔色悪いんじゃない? 行ってきた方がいいわよ、今の内にね」
「お、おぅ………そうさせてもらぅぅぅ腹がぁぁ」
「一人だけ置いていくのはカワイソウだから、オフェリア! 彼を待っててあげて!」
「わ、分かりました」
場の空気を完全に操ってみせるぺぺの手腕に驚きながらも感謝する。レイシフトに使用するコフィンの設置されている中央管制室へ先に他のメンバーと向かいつつ、振り返り様にウィンク一つ。
(今の内に言っちゃいなさい! こっちの事は、アタシに任せて!)
本当に感謝してもしきれない。この特異点修復から帰った暁には、恩返しをしなくては。
って、いけない。集中集中。彼が用を足して帰ってきた時、そこで私は過去の私とは決別する。
もう日曜日に囚われたりしない。彼が、私に自由を教えてくれたから。自由であることを許してくれたから。籠の中の鳥は嫌。青空の中を飛び回る優雅な鳥でいたい。独りではなく、彼と二人で。
いつかこのカルデアを出たら、晴れた青空をともに見たい。束縛された人形ではない私と彼で。
数分後、憑き物が落ちたような爽やかな笑顔でゼベルが戻ってきた。腹痛は収まったようだ。
「待たしてゴメンな、オフェリア」
「いいえ、大丈夫。けど……」
「けど?」
言葉を途切れさせたことに首を傾げる彼。大丈夫、何度もぺぺを相手に練習してきたんだし。
浅くなる呼吸をどうにか押し殺し、緊張で汗ばむ手をギュッと握り、真っ直ぐ彼を見つめる。
魔眼を持つ私を、何の警戒も無く見つめ返してくれる彼にやはり安心を覚え、僅かに揺らいだ。
「だ、大事な話があるの!」
「おう。大事な話か」
「そう、そうだけど……」
「だけど?」
本当に、どうして私はいつもいつも弱いのか。弱いままなのか。泣きたいくらい情けない。
私は今日この日、
「…………特異点の修復から帰ったら、話します。予定を空けておいてくれますか?」
「別にいいけど。なんかそう言われると気になるな」
「き、気にしなくていいですから!」
「大事な話なのに?」
「大事ですけど! 今は特異点修復に集中してください!」
この時の選択を、私は一生後悔し続けるだろう。いや、今でも後悔は続いている。
一度死んだ今でも、どうしてこの時に想いを打ち明けなかったんだって、後悔して止まない。
こうして私たちAチームは特異点の修復に乗り出し――――――――――――命を落とした。
どこまでも広がる闇の中で、私の右眼に宿る魔眼は、強烈な光を捉えた。
それは隣のコフィンにいたはずのキリシュタリアにむかって、近付いていくようだ。
白く、強い光。黒闇の中では、誘蛾灯のように思える光源。何も考えずあの光に委ねようか。
一瞬そんな事を考えた私は、一度右眼を閉ざし、自身の思考をもう一度巡らせて答えを出す。
―――――――――――
強過ぎる光は視る者の眼を焼く事もある。臆病で卑屈な私は、神聖さすら感じさせる光でも。
目を背ける事を選んでしまった。
しかし。
深く、深く、底の見えない暗闇の深淵。そこへゆっくりと落ちていく、彼の姿を。
そして。
そんな彼の頭上に、
私は魔眼の力で彼の未来に干渉し、少し先に起こりうる可能性へと、無意識に手を伸ばす。
何とかしてあそこから、あそこにいるナニカから助け出そうと、がむしゃらに足掻く。
でも、届かなかった。初めから届くはずもなかったのに。分かっていたはずなのに。
足掻いて、足掻いて、足掻いて、足掻いて、足掻いて、足掻いて、足掻いて、足掻いて。
助けたくて。助けられなくて。助けようとして。助けられるはずもなくて。助けて。
結局、人というものは変わらないのだ。変わろうとしなかったから、そのままになった。
どうしようもなく惨め。どうしようもなく情けない。どうしようもなく弱い。
また、何も果たせずに終わってしまう。
――――――――――――――俺を視たのは、お前か?
私は、『炎』を視た。
私は、『深淵』を垣間見た。
私は、『運命』に背いた。
私は、『彼』に伝えたかった。