Lostbelt No.8 「極東融合衆国 日本」   作:萃夢想天

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———列挙する言葉は空虚。


———溶解する世界は崩壊を迎える。


———ヒトも神々も、此処に在るあまねくすべて、不要。


———創造の前に破壊は来る。されど破壊より生じる創造は無く。


———ヒトよ、欲せ。


———内に燻ぶる幼くも猛き火種を以て、悉くを灼く劫火と成せ。


———されど乙女の心に届いた声は、荒ぶる王の歓喜ではなく。


———人よ、願え。お前たちに不可能はない。


———ただ、誰かの願いを叶える者として立つ、快なる皇帝の告白だった。






恋を愛する乙女よ、遥か彼方で待つ君へ

 

 

 

私は—————虹を見た。

 

 

虹の放つ極彩色の光を視た。

 

 

今にも砕け折れそうになる私の心を貫く勢いで打ち込まれた、人の可能性を示す光輝を。

 

 

『はは。どうだい、花火みたいだったろう! 楽しんでもらえたかな、お嬢さん(マドモアゼル)?』

 

 

そして、その光に目を奪われた一瞬、罅割れかけた心の隙間を埋めるように、声が響いた。

 

 

悪竜現象(ファブニール)の呪い、ってヤツか。だいぶ心を喰われたな。それじゃ、少し急ぐとするか』

 

 

聞き覚えのある声。これは、あの粗野で豪快な弓——砲兵、英霊ナポレオンだったか。

彼がカルデアに加勢する以前から面識はあったが、その時より数段落ち着きのある声色で、慈しむ様に語りかけてくる。

 

 

『オマエさん、進むのを止めちまったんだな。皆が皆、前を見て進んでいるのにって負い目をそのままにしちまって、諦めた。だから苦しいんだろう。でもな、誰もがひたすら前だけを見て進み続けられるわけじゃない』

 

 

炎の巨人王スルトが伝説の邪竜ファブニールへと変貌を遂げる過程で得た、様々な権能。神々の黄昏を終えてなお生き永らえた結果、かの王は伝説以上の強さを持ってしまっていた。私の精神を呪いで縛り、判断力や抵抗力を鈍らせることも容易だっただろう。してやられたという他ない。

 

 

『だからこそ、オレはこの北欧の地に呼ばれたのさ』

 

(………だから、こそ…?)

 

 

契約を結んだ以上、いくら規格外と言えどスルトは私のサーヴァント。つまり彼にとって私はマスターである。既に令呪を使い切っているとはいえ、契約の要である私が死ねば、スルトも存在を保てなくなり無へと還る。だからこそ彼は私を呪いで操り人形へ作り替え、側に置こうとした。

 

弱点であるマスターを手中に収め、異聞帯の維持に不可欠な『空想樹』すらも飲み込んだ今のスルトに、敵はいない。そんな彼をカルデアは、そしてこの異聞帯の王は敵と認識し、抗戦する。

 

すべての命を焼き滅ぼすスルトの宝具【太陽を超えて耀け、炎の剣(ロプトル・レーギャルン)】をカルデアたちは見事に防ぎ切り、カウンターとしてナポレオンもまた彼自身の霊基を砲弾へと変換し撃ち放った光の束、宝具【凱旋を高らかに(アルク・ドゥ・トリオンフ)告げる虹弓(・ドゥ・エトワール)】を発動。この虹色の砲撃は、巨人王に深く大きな傷を与えた。

 

命と引き換えも同然の一撃を見舞ったはずのナポレオンの声が、巨人の肩に呆然と座り込む私に届くわけがないのに。うまく回らない頭でぼんやりと考える暇もなく、快男児が笑う。

 

 

()()()()()、と。そう願ったろうオフェリア? オマエさんの声が、オレに届いたのさ』

 

 

オーララ、と高らかに豪笑する男の言葉に、私の思考を曇らせていた闇が取り払われた。

 

 

『オレは、このオレは! 誰かが求め、誰かが願った男の偶像! 願いを叶える理想像だ!』

 

 

姿は見えないが、私の記憶の中に残っている大男の姿が思い起こされる。

豪放磊落を体現するようなあの生き様は、今まさに彼が語ったとおりのものだった。

 

今更ながらに、私は自分という女の愚かしさを再三に渡って直視させられている。

彼は、かのフランス皇帝ナポレオンは、自分自身すら気づきもしない無自覚な願いを聞き届けて、この北欧へとやってきてくれたというのに。そんな彼を邪険に扱い、挙句死なせてしまって。

 

申し訳ない気持ちで胸が詰まる。謝りたい感情が心を苦しめる。いつも、いつもそうだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(………………ねぇ。教えてよ。教えて、ゼベル………)

 

 

私の生きる世界が白銀に包まれるより以前。まだカルデアのAチームとしての私であった頃、一人の男との出会いがあった。彼の名はゼベル。ゼベル・アレイスターという平凡極まる男だ。

 

彼は私を暗がりから引き上げてくれた。両親の期待を背負い成長し、周囲の人々から羨望や忌避を集め続け、やがて()()()()()()()が私と知らぬ間に入れ替わっていて。気付いた時にはもう、自分がどうしたいのかも分からないまま、自分が作った殻に閉じ込められ人知れず泣いていた。

 

マシュという無垢な少女に自己投影したこともあったけれど、その残酷な勘違いもゼベルが気付かせてくれた。そして、優秀だと言われ続けた私ですら諦めるような苦難の道を歩もうと、努力を惜しまぬ平凡な彼の姿を見て、私は間違いなく、恋に落ちたのでしょう。

 

ゼベル・アレイスターだけは私を、殻に閉じ込められて声も上げずに泣いていた私を見つけて、日の当たる世界に踏み出す勇気をくれた。人と関わることを恐れていた私に、恐れず歩み寄ってくれたのだ。カルデアでの日々を思い起こせば、彼を思い出さない日は無かったと断言できる。

 

 

胸の奥がくすぐったく感じてしまうような、そんな優しい運命と出会ったのです。

 

貴方に出会えた事が、私を、オフェリア・ファムルソローネを変えてくれたのです。

 

人類史の未来が奪われたあの日、伝えられなかったこの想いを、決して忘れることはない。

 

彼の優しさに甘え、彼を本当に信じ切ることが出来なかった後悔もまた、紛れもない私の感情。

 

 

(………そう、そうよ。籠の中の鳥はもういない、私は彼のいる自由な空へ羽ばたく!)

 

 

決意が、満ちる。この胸の奥に幽かな残り火となって燻っていた私の想いが、勢いを取り戻す。煌々と燃え上がる「熱」が、呪いによる鈍痛で緩んだ思考回路を奮い立たせる。

 

 

『ハッハッハ! なんだ、オレの慰めなんざ不要か。ああそうさ、胸を張れオフェリア!』

 

 

再び、ナポレオンの言葉が心に響く。彼の一言で全身に温もりが駆け巡っていくようだ。

大きく。大きく、息を吸う。肺に溜まった空気を、一息で吐き出す。爽快感だけが残る。

 

 

『オマエは、ただ、あるがままで美しい』

 

(………知ってるわ。前にも一度、そう言われたことがあるの)

 

 

スルトの肩にいるせいか、凄まじい熱気と硫黄のような刺激臭が鼻腔を痛める。でも私の心は満たされているもの、気にならないわ。ナポレオンの本心からの称賛も、この心を満たす想いの一つ。

 

私からの返答に快男児は、口説き文句をへし折られたことを悔やむどころか、豪快に笑った。

 

 

『おっと、そりゃ失敬。弓兵のオレよりよほど良い目をしたヤツがいたらしい』

 

(ええ、本当に。()()()()()()()が貴方とは違うんです)

 

『………完敗だな。オマエさんがそこまで惚れ込むとは、オレに次ぐイイ男に違いない!』

 

(平凡だけど努力家で。自分に厳しく他人に優しい人。きっと貴方とも仲良くなれるわ)

 

『ハハ! そうかい。だったら、そのとびっきりの笑顔を、愛しい人に見せてやんな!』

 

 

奥底へ沈んだ私の願いを汲み取って、救い出してくれた英霊ナポレオン。

貴方は正しく英雄であり、英雄であるが故に私の願いを聞き入れ、助けてくれたのでしょう。

もちろん嬉しいのだけれど。それは嬉しいことだけど。彼は、あの人は英雄ではないのです。

英雄として名を馳せることなど一度もない凡才の彼だからこそ、私の心は惹かれてしまいました。

 

 

(だって、私の生涯でただ一人—————この眼を見て「綺麗」だと言ってくれた人だもの)

 

 

愛を囁かれたわけではなく、甘言を語ったわけでもなければ。彼は誰もが恐れた私の魔眼を、正面から見つめて恐れるどころか感嘆を口にした。「隠しておくのは勿体ない」と言ってくれた。

言葉だけで心奪われたわけじゃない。この想いを抱くようになったのは、彼と触れ合う中で少しずつ育まれていった優しさの蓄積だもの。あぁ、それでも。間違いなく『きっかけ』ではあった。

 

私は、見てみたい。見ていたい。

 

彼の成す行いを。彼の放つ輝きを。

 

そして、彼とともに歩む未来の可能性を。

 

だから、立ち上がろう。眠りから覚め、起き上がり、立って、歩き出す時だ。

 

 

(………本当に、ありがとう)

 

 

もう念話が通じなくなっていることには気付いていたけれど、言わずにはいられなかった。

開口一番に求婚を告げてきた、度し難いほどに真っ直ぐな英雄に一言、感謝を告げる。

 

これまでの私は、あらゆる可能性を自ら閉ざしてきた。魔眼の『遷延』の事だけではない。

手を伸ばせば届くかもしれなかった未来を、失うことが、傷つくのが怖いからと諦めていた。

 

けれど、私はもう迷わない。自分が幸せを掴むことを、その過程で傷つくことを恐れない。

 

 

さぁ、今こそ。

 

 

虹の光を超え、耀ける可能性を視る刻だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この場で、サーヴァント契約を断ち切ります」

 

 

その選択に、後悔はなかった。

 

スルトの呪縛から解き放たれた私は、カルデアと異聞帯の王スカサハ=スカディの守る小さな集落へと降り立った。無敵と思われるスルト唯一の弱点と成り得る私が支配下から逃れた事で巨人の王は逆上し、再び宝具である摂氏400万度の炎の剣を振り上げようとしている最中に。

 

集落を守った白雪の番人は既に消え、神霊であるスカディの有する『原初のルーン』での防御も気休めにしかならない。つまり、もうこちら側にスルトの宝具を受け止めきる戦力は残っていない。もう一度発動させてしまえば、今度こそ私の瞳は星の終わりを見つめることとなる。

 

それを許さないために、私は契約の強制解除を提案した。

 

 

「巨人王は膨大な魔力を有していますが、それは英霊も同じ。マスターからの魔力供給を失えば、その存在維持は困難となる。第二撃までの時間も充分に稼げるはずです」

 

 

世界を滅ぼす災厄であろうと、召喚された以上は英霊と原理は同じ。霊的存在である英霊が現界を果たせるのは、召喚者たるマスターが要となって現実世界に留めているからこそ成り立っている。逆説的に、マスターを失ったサーヴァントは、その存在を世界に固定できなくなるのだ。

 

そんな私の言い分に、唯一暗い表情を浮かべた異聞帯の王スカディが、口を挟んできた。

 

 

「……オフェリア、いいのか?」

 

「スカディさん……?」

 

 

迫りくる破滅への有効な打開策を提示したことで喜んでいたカルデアの面々も、スカディの場違いな陰鬱さに気付き、その言葉の真意を知ろうと押し黙る。

 

 

「憎きスルトめの潜む痕跡を見抜けなんだ私だが、そうと分かった今ならば、おまえの状態も分かるぞ。オフェリア、我が愛しい子よ。おまえは本当に、それでよいのか?」

 

「え、なに? どういうことなの?」

 

「北欧の竜殺しならばともかく、巨人王の召喚なぞヒトが行うことはできぬ。虚ろなるモノを現世に強く留めておくための要石の役割は、ヒトの身では到底足りぬからな」

 

『つまり、彼女がスルトを現界せしめているのは、サーヴァント契約より強固な何かだと?』

 

「うむ。英霊ならば不要であろうが巨人王ならば————その瞳だな、オフェリア?」

 

 

異聞帯の王スカディの言葉に、人類最後のマスター藤丸立香が首を傾げ、カルデアの心臓部であるシャドウ・ボーダーからの通信でシャーロック・ホームズが分かりやすいように説明をまとめる。流石に3000年以上もこの異聞の北欧で人類を庇護し続けただけはある。王の目敏さに感服する。

 

 

「その魔の瞳を存在の要石とされたか」

 

「それ、は……つまり」

 

「な、なに? マシュ、どういうこと?」

 

『マスター・立香。つまり、契約の完全破棄の為には、彼女の魔眼を破壊する必要がある』

 

 

人類最後のマスターたる彼女は、元々はマスター候補生の予備扱い。魔術の世界を知らされていない一般枠からの招集でカルデアに来たのだったかしら。それなら、魔術知識が少なくて当然ね。

それを分かっているのか、ホームズは敢えて濁すように結論を述べた。きっと貴女はそうやって、誰かと支えあって此処まで来たのね。私には出来なかった生き方を、貴女はこれからも……。

 

 

「オフェリアさん! それは、つまり……」

 

「ありがとう、マシュ。心配してくれて。でもいいの、これでいいのよ」

 

 

カルデアにいた頃、あれだけ話すのに四苦八苦していたのが懐かしいくらい、今のマシュは人間味に溢れていて。ゼベルと関わって接点が増えた後も、私は毎度緊張していたというのに。

 

そんな目で見ないで、マシュ。貴女には笑顔でいてほしい。私も、彼も。そう望んでいるから。

 

 

「私は希望をもってこうするの。こうするべきだと、誰より私がそう思うから」

 

「オフェリアさん……」

 

「だって、せめて、私はあの人の優しさに応えたいから!」

 

 

ここでスルトを倒せなければ、マシュの笑顔は消えてしまう。人理焼却の旅路で人間らしさを獲得したマシュの全てが、彼女の愛する人々が無に還る。私と彼が望んだマシュが、死んでしまう。

断じて見過ごせない。そんな可能性は視たくない。この子たちの人生は、これから始まるのに。

 

 

「自分の失敗に対する始末はつける。それが、私を一人の人間として見つめてくれた———」

 

 

カルデアの制止を振り切り、空に聳える炎へ向け、私は右目に宿る魔眼を解き放つ。

 

 

「—————()()()()()()()()()、ゼベルへの………唯一の……!」

 

 

私の魔眼、その真価は。

 

可能性を見通す未来視でも、その派生としての事象阻害でもない。

 

神霊にも等しい巨人王すら現世に留めておくだけの、霊的な要石としての役割が。

 

 

「この瞳を破壊して、スルトとの契約を……切り離す!」

 

「ダメです! 魔眼は脳と強く結びつくもの! 精緻な処置なく行えば、脳が壊れます!」

 

 

右手で魔眼を限界まで見開かせている間に、マシュの叫びを聞いたカルデアが驚愕する。

 

 

「覚悟の上である、と。そうだな、オフェリア」

 

「スカディさん⁉」

 

「えぇ、そうよ………私は、私は………!」

 

 

眼球から迸る激痛が、喉をせりあがって溢れだす。不気味な温もりが右目から零れ出たかと思えば、どうやら神経や血管が破裂して血液が流れ出ているらしい。それすら気にも留めない。

 

激痛。激痛。苦痛。苦痛。ごうごうと唸りを上げる魔力の奔流が、肉体への負荷をかける。

 

それでも、負けない。負けてたまるものか。痛みに臆する私は、もうやめたのだから。

 

 

「魔眼と、魔術回路の接続……解除!」

 

「もう、もうそれ以上は!」

 

「まだよ! 真なる大英雄、北欧のシグルド! お願い、力を貸して!」

 

 

強引な魔術回路とのパス切断に、魔眼が悲鳴を上げる。それでもまだ、スルトを打倒するには足りない。魔眼の機能は停止しても、巨人王は健在。再び私を手に入れようとしてくるだろう。

 

アレを止められる者は、ただ一人。私が憧れ、スルトが潜んだ霊基の本体———英雄シグルド。

 

スルトの殻にされていた彼は、治療を受けてカルデアに力を貸していたらしい。彼が生存していたことは僥倖に他ならない。今のスルトは悪竜現象により、伝説の邪竜の化身となっているのだ。

ならば、かの英雄譚で邪竜を斃した竜殺しならば。きっと、きっとあの炎の巨人王を。

 

 

「アレを……! (スルト)を! 切り裂いて!」

 

「了解した、()()()()()()

 

 

英雄は、祈りに応えてくれた。身長と同程度の長大さを誇る『魔剣グラム』を起動させ、叡知の結晶の奥の瞳が鋭く光る。全身全霊の乾坤一擲。狙い澄ませる彼の一撃が放たれるまで数秒。

 

ここしかない、と。

 

私は、最後の心残りを、マシュたちに託す事を決めた。

 

 

「……ねぇ、マシュ。それとカルデアの皆さん。どうか、私の最後の願いを聞いて…」

 

「オフェリアさん! そんな、最後だなんて……」

 

「実は私、好きな人がいるの」

 

 

緊迫したこの状況に不釣り合いなほど軽やかに弾んだ私の声に、誰もが言葉を失う。

 

 

「想い続けて、それでも言葉に出来なくて、そのまま今日まで忘れようとしていて」

 

「…………………」

 

「でも、ダメだった。止められないの、この気持ちを。忘れたくないの、この想いを」

 

『…………オフェリア・ファムルソローネ。君の願いとは』

 

 

さっきまで右目から感じていた痛みは消え、胸の奥から生じた熱が鼓動に合わせ駆け巡る。

 

熱い。熱い。熱い。あぁ、胸が苦しい。張り裂けそう。なのに、何故かしら。

 

こんなにも、泣きたくなるほど、嬉しいの。

 

 

「いずれあの人に、ゼベル・アレイスターに出会ったら、伝えて」

 

 

きっと、今の私はひどい顔になっているでしょう。

 

右目から血が溢れ、痛みで涙も零れ、ぐちゃぐちゃになって。

 

それでもきっと。私が今なお想い焦がれる彼ならば。

 

いつかのあの日のように、綺麗だと言ってくれると信じている。

 

 

「—————()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

ああ、言った。言ってしまった。ようやく言えた。

 

空には炎が聳え立ち、世界が溶解する瀬戸際だというのに。

 

私の心は、かつてないほど清々しい青空のように晴れ渡っている。

 

 

「魔剣完了。絶技用意。覚悟精錬。いつでも投擲でき(うて)るぞ、マスター」

 

「………分かった。お願い、セイバー」

 

「了解。貴殿の尊き願いに、当方はこの一撃を以て応えよう」

 

 

青白い閃光を奔らせ、魔剣グラムに魔力が満ちる。これから放たれるのは、シグルドが持つ最大威力の対城宝具【壊劫の天輪(ベルヴェルク・グラム)】である。太陽の魔剣という異名を持つグラムを全力投擲することで、破壊を巻き起こす災いの嵐。間違いなくスルトに大きなダメージを与えることができる。

 

彼の準備が完了した以上、躊躇っている暇などない。それにもう、最後の心残りは託したのだ。

 

私自身の口から彼に伝えることが叶わなくても、マシュに、カルデアに想いを引き継いでもらうことができたのだからそれでいい。少しだけ悲しいけど、これは私の負債を清算する行いだから。

ここで逃げたら、今度こそ彼に合わせる顔がなくなる。彼に想いを告げる資格を失うだろう。

 

死にたくはない。けれど、ここで私が逃げたら、みんな死んでしまうから。

 

 

「輝け、輝け、輝け! 私の———!」

 

 

こうして誰かを守るために、誰かの為に自身の全霊を賭すことが、こんなにも誇らしい。

マシュともまた会えた。大切な後輩とも少しだけ話せた。それだけで、私には充分なのよ。

ただ、それでも。後悔はなくても未練はある。どうしようもなく騒めき立つ心が叫ぶ。

 

 

(もう一度だけ彼に会って、『頑張ったな』って褒めてもらいたかったな……)

 

 

後には退けない。世界溶解まであと数分。もう覚悟は決めた。

 

さぁ、決着をつけよう。

 

さようなら、昨日までの私。

 

たった今から私は、恋しい人のいる世界に、羽ばたいていきます。

 

 

「此処に輝け、私の—————」

 

 

命と引き換えに奇跡を起こす、クリプターに与えられた特権。其の名を【大令呪(シリウスライト)】と呼ぶ。

 

それを発動させることでスルトを止められる。これまでの私の失態に決着をつけられる。

 

だが、まさにこれもまた運命の悪戯か。決死の覚悟で道を切り開こうとしたその瞬間。

 

 

「ストップ、ストッププリーズ! そこの恋愛暴走機関車乙女さん、お待ちになって~!」

 

 

いつの間にか姿を消していたコヤンスカヤが、大令呪を使う寸前に割り込んできた。

 

 

「はぁ~。いやマジに危ないところでした。依頼者(クライアント)の希望に沿うべくちょ~っとのんびりしてたらこの急展開。一番大事な商品をダメにしてしまうところで。うっかり美人秘書をお許しください」

 

『き、貴様は! コヤンスカヤ君、あいや、コヤンスカヤではないか!』

 

「あら、これはこれはゴルドルフ閣下。すっかりカルデア勢力に馴染んでおられるご様子で」

 

 

カルデアの新所長を名乗る小太りの男と会話に興じる彼女は、はたしてこの状況を理解できているのだろうかと不安になる。一秒の遅れが世界の終末を決定づけるかもしれないというのに。

 

当のコヤンスカヤはカルデアとの小競り合いもそこそこに、私の方へと向き直る。

 

 

「それにしても。男子三日合わざればなんちゃらとは言いますが、恋する乙女は三日どころの騒ぎじゃありませんねぇ。オフェリアちゃん、あなた随分吹っ切れたようですね」

 

「今更何しに来たの⁉ 邪魔をするならあなたも敵と見做すわよ!」

 

「おお怖い怖い。覚悟キマってますねこれは。敵と断じられぬうちに要件をお伝えしますわ」

 

 

いつものようにふざけた口調と態度で人を煽る。いっそ話を聞くことなくスルトと同様に倒してしまうのが良いのではないかと考え出した時、見計らったかのようなタイミングで口を開いた。

 

 

「オフェリアさん。あなた、()()()()()()()()()()()()()?」

 

「ッ…!」

 

『……彼からの伝言?』

 

 

コヤンスカヤの言葉に、心臓を鷲掴みにされたような悪寒が胸を覆う。

 

 

彼からの伝言。それは、コヤンスカヤがゼベル・アレイスターから伝えるよう命じられた言葉。

 

まだこの異聞帯で汎人類史のブリュンヒルデの封印が解かれる前、私が悪竜の呪いによって精神を蝕まれ始めていた頃に、先程同様コヤンスカヤの口から聞かされた伝言だった。

 

あの時も、今のように唐突に伝えられたものだから、気が動転してしまったのよ。

おまけに呪いでうまく思考がまとまらない状態だったのが災いして。でも、今なら分かる。

彼が、ゼベルが私に伝えてくれたあの言葉の、本当の意味が。

 

 

—————何かあったら、誰かを頼っていいんだぞ。オフェリア。

 

—————お前さんは他の誰よりも、自分に期待し過ぎてんだからダメなんだ。

 

—————他人の期待と一緒に、「期待されている私なら」なんて背負い込む性分だし。

 

—————情けなくても頼れ。お前さんに出来ないことを俺がやれる保証もないが。

 

—————それでも、周りが思ってるほどお前さんが完璧じゃないと、俺はよく知ってる。

 

—————俺はお前に期待なんかしないぞ、オフェリア。

 

—————誰かの期待がお前を押し潰すってんなら、俺は絶対お前に期待しないからな。

 

—————だから、まぁ。俺なんかでよければ、いつでも頼っていいからさ。

 

—————もう、自分に嘘ついて自分を苦しめたりするなよ。

 

 

最初はものの見事にこの伝言を誤解したものだ。いや、スルトの呪いが誤解するように思考を促していたのだと今になって思う。それにしても、もう少し言い方を考えてほしいものよ。

 

伝言を伝えたコヤンスカヤも「なんてデリカシーのない男でしょう」と呆れ顔で呟いていたけど。それについては同意させてもらう。でも、それでこそ彼なのよね。らしい、というべきか。

 

あぁ、もう。思い出さないようにしてたのに。彼への想いが、彼との思い出が溢れ出て。

やめてよ。今更どうにもならないんだって、分かっている。分かっているのに。

頭では理解出来ていても、心が幼子の癇癪のように泣き喚きだす。それにつられて心が揺れる。

 

 

「………なんて事してくれたの、コヤンスカヤ」

 

「あら。私がなにか?」

 

 

こんな残酷な仕打ちは初めてだわ。もう決めたのに、今度こそやり遂げるんだって。

決死の覚悟を固めて。あんなに痛いのも耐えて耐えて耐え抜いて。頑張っていたのに。

ダメ、ダメよ。視界が歪んじゃう。立っていられなくなる。力が抜ける。やだ、おねがい。

このままじゃ嫌われちゃう。失望される。見捨てられるかもと想像する。でも、でも!

 

 

「………………いよ……」

 

「んん? 今なにか仰いました?」

 

 

もう、限界。耐えられない。この想いを押し留めておくことなんて、私には出来ない。

 

 

「………逢いたいよぉ…! ゼベルに、また、逢いたい………!」

 

 

自分に嘘をつくことも、それで自分を苦しめることを、彼が望まないと知ったから。

 

 

「あの堅物真面目なオフェリアちゃんが赤子のように泣きじゃくるなんて、可愛らしい」

 

「我が愛しい子を弄ぶか。ならば貴様に我が寵愛は不要だな」

 

「お黙りなさいな。死に損なっただけの神霊が、この娘の感情の何を理解できると?」

 

「………それ、は」

 

「あなたのように、一方的に与えるものを人は愛と呼びません。愛とは即ち人が育む情ですから。ただ数千年程度生きた神如きが口にしていいような、軽いものではないと知りなさい」

 

「……………」

 

「さて、それはそれとして」

 

 

潰れた右の魔眼からも、涙が溢れて止まらない。まだズキズキと痛んで辛いのに、その痛みがあるうちは彼を想えるのだと思うと、苦痛すらも愛おしい。こんな複雑な感情、知りたくなかった。

 

なにやら異聞帯の王と語り合っていたコヤンスカヤは、膝を折って泣き続ける私に問いかける。

 

 

「今の御言葉、『生きたい』というご要望と解釈してもよろしいでしょうか?」

 

『っ……コヤンスカヤ、君はいったい何を企んでいる⁉』

 

「お静かに。ただいま商談の真っ最中ですので」

 

 

小さくなったダ・ヴィンチが通信越しにコヤンスカヤを糾弾するも、当の彼女はそれを能面のような無表情と凍てつく氷を思わせる鋭い口調で黙らせる。誰も、彼女と私の間に入れない。

 

彼女は言っている。『生きたいのか』と。

 

死にたくないのか、ではない。コヤンスカヤは性格こそ最悪ではあるが、こと取引であれば正当性を約束してくれる人物である。ならば、彼女の言葉には、未来がある。生存からの先がある。

商談とも言っていた。つまりこの問いは確認ね。私と取引を交わしたという言質を取るための。

 

此処で私を生かす方法と、そのうえでスルトをどうにかする方法がある。暗にそう言っている。

 

それなら、無様でも情けなくても、私は生きる方を選びたい!

 

 

「………ええ、そう。生きたい! 生きて、また、彼に……」

 

「はぁ~い。ご要望、承りました~! ご注文は『生きて出逢う』こと。報酬はご注文の完遂が成された後に請求させていただきますので、忘れずにお願い致しますね」

 

『何なんだ、コヤンスカヤ。君は。何が目的なんだ…』

 

 

この場に集った誰もが、突如現れたコヤンスカヤの動向から目が離せずにいた。

そして注目を浴びている当人は、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべる。

 

 

「では、オフェリアちゃんにはしばらく眠っていてもらいましょう。先生、お願いしまーす!」

 

「え、な—————」

 

 

何の脈絡もなく、コヤンスカヤは楽しそうに不穏な言葉を漏らす。

私はそれを問い質す暇もなく、気付けば彼女の隣に立つ和装の男の抜き放った剣に。

 

 

「………………御免」

 

 

意識を、刈り取られた。

 

 

 

 







———話したいことが、たくさんあるの。


———聞きたいことが、山ほどあるのよ。


———それでも、なによりも。


———伝えたいことが、あるんです。


———私は、貴方を———

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