Lostbelt No.8 「極東融合衆国 日本」   作:萃夢想天

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———知らなければよかった。

———孤独に生きる事を、苦痛に思う事もなかったのに。

———気付かなければよかった。

———隣に居る当然を、失う事もなかったのに。

———見つめなければよかった。

———世の平和を願う瞳に、心奪われず済んだのに。

———信じなければよかった。

———誇り高く穢れを厭わぬ姿を、悲しまなかったのに。

———考えなければよかった。

———私は今、誰を想って涙を流しているのかと。






紅の月下美人 『恨似流波無息時』

 

 

 

 

 

混線する意識。

 

 

混濁する意志。

 

 

混迷する意気。

 

 

呪により樹立した、大いなる自己。

 

 

怨嗟が延々と渦巻く、異なる自業。

 

 

見下ろす世界に願うは滅びであり。

 

 

見放した世界に残すは思いであり。

 

 

ああ、思考がままならない。

 

 

私はなんだ。私は何を成す。私は———

 

 

———どうしたらいいの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の命運を定める至高の領域に、異なる歴史からの闖入者が介入してきた。

 

その事実にいち早く気づいたのは始皇帝。これまで異聞中国の世界を一手に守り続けてきた

想像を絶する知覚力を以てなお、出現の予兆すら感知させない者たちに警戒心を抱く。

だが、警戒することよりもまず、人理の行く末を担う場へ奸賊が如く足を踏み入れた闖入者へ

意を示すことを優先した。

 

 

「これ、そこの。其方が何者で、何用で此処へやってきたかは想像がつく。しかしな———

 此処を何処と心得る。様相を幾らか変えようと、天地に之在りと謳われし朕の阿房宮。

 即ち天子の宮であるぞ………控えよ無礼者! 許しなく朕の膝元を跨ぐとは何事か‼」

 

 

二千年以上も世界を統治し続けた、神すら凌ぐ精神を有する覇者の怒号。

発した言葉が物理的な重みすら伴っていると錯覚しかねないほど、強烈な圧が放たれた。

これこそが始皇帝。カルデアが、汎人類史が未来を巡り合い争った一つの世界の答え。

 

先程、未来を託されたばかりとはいえ、カルデアを認め人の在り方を見定めた人物とは思えぬ

くらいに冷徹な怒りをみせる。それでも、始皇帝を前にした凡庸な男は、一歩も怯まない。

 

 

「無礼千万大いに結構。大事な親友(ダチ)助けんのに、顔も知らん奴の許しなんぞ要るか」

 

 

低く呟かれた言葉に、始皇帝とは真逆の、音を立てて煮えたぎっているような思いがあった。

明確な怒り。低俗な怒り。されど高貴にして穢れなき義憤。これまでの永い人生の中でも、

始皇帝が一度として見る事のなかった感情だった。これもまた人たる民、人民が携える個々の

進化の成せる形か。表情にこそ見せないが、その様に静かに驚きを覚える始皇帝。

 

対して、凡庸な男のことを良く知るカルデアの面々にも、衝撃が迸っていた。

 

 

『し、始皇帝に啖呵を切りおった……! なんだアイツは…⁉』

 

「知らない…。『前の私』のデータにも、あんな彼を見た記録はなかったよ」

 

「ゼベル、さん…?」

 

 

男と特に関わりの深かったマシュを筆頭に、ダ・ヴィンチとゴルドルフ新所長が瞠目する。

突如現れた男、ゼベル・アレイスターという人物をわずかでも知っている者たちからしても、

目の前に悠然と立つ男と同一視できずにいた。それほどまでに、堂々としているのだ。

 

特にマシュからすれば、衝撃的と言う他ない。カルデアでAチームとして接していた頃には、

人として接してくれた「優しい人」という認識しかなかった。今でも信じられない。

幾多の世界を、歴史を、人々と出逢い失い戦ってきた自分たちですら、正面から向き合う事を

考えさせない始皇帝に、真っ向から反発する勇猛さ。彼女の知る彼とはかけ離れていた。

 

それでも、と。マシュは信じていた。

 

自分に「人間性」を与えようとしてくれた、紛れもない善性を持つ彼と分かり合えると。

Aチームのみならず、カルデアの全職員と触れ合い繋がり合った、優しい彼なら協力出来ると。

信じて疑わなかった。戦闘態勢すらも取らず、懐かしさで頬を緩ませて駆け寄っていく。

 

 

「マシュ⁉」

 

「大丈夫です先輩! ゼベルさんなら、きっと私たちの味方になってくれます!」

 

 

人類最後のマスターこと藤丸立香が名を呼ぶが、過去の思い出によって無条件に信頼を寄せて

いるマシュは、構わず男のもとへと向かう。足早に、久しく見なかった満面の笑みを浮かべ。

 

けれど、状況を俯瞰していた名探偵は、即座に機動力の高い味方に指示を飛ばす。

 

 

「………いけない! モードレッド、哪吒(なた)!」

 

「分かってるよクソが!」

 

「了承! ましゅ、保護!」

 

 

騎士王伝説に名高き反逆の騎士【モードレッド】に、封神演義や西遊記の武将【哪吒太子】の

二人がホームズの言葉に短く頷き、魔力放出によるジェット噴射擬きで距離を一気に詰める。

モードレッドは剣を、哪吒は槍を構え、全速力でマシュへ近づき、互いの獲物を振るった。

 

瞬間———マシュを貫かんとする()()()()()()を、西洋剣と中華槍が寸前で阻む。

 

 

「ッぶねぇなぁテメェ!」

 

「え———」

 

「ましゅ、危険。離脱強行、真抱歉(ごめん)!」

 

 

肉厚の西洋剣と魔力放出を併用した豪快な剣技で槍を弾くモードレッド。彼女の作った隙を

見逃さず、哪吒はマシュの腰を抱いて両脚部から炎を噴出し、低空飛行で戦線を脱する。

当のマシュ本人は、理解できていなかった。自分が今、信じた男に攻撃されたのだと。

 

モードレッドが彼女の属性である雷をまとった一撃をぶつけつつ、後方へ跳躍した。

距離を取って戦端を仕切りなおしたのだろう。敵も槍を一振るいして、態勢を整えている。

 

 

「……殿、油断召されるな。如何な大盾とて、御身を押し潰すことなぞ容易いもの」

 

「あぁ。そうかもな。助かったぜ、ランサー」

 

 

男の背後から、槍を携えた武者鎧の大男が顔をのぞかせた。マシュは信頼が深過ぎるあまり、

攻撃されるという可能性を無意識に排除してしまっていたのだ。心から信じていたからこそ、

咄嗟の判断ができなかったのだが。間一髪、モードレッドと哪吒の救援が間に合った。

 

 

『新たにサーヴァント反応を確認! クラスはランサー! もう一騎はライダーだ!』

 

「二騎の英霊を従えている…? だが、ゼベル・アレイスターにそんな力は…」

 

 

無かったはずだ。ホームズはそう結論付ける。しかし現実に目の前に並び立つ二人の英霊の

存在は、無視出来ようもない。純然たる事実として、英霊二騎を従える力が彼にはある。

今はそう考えるしかないと推理を断念したホームズは、マシュの安全を横目で確認してから、

改めて介入してきた男に声をかけた。

 

 

「今はよそう。さて、初めましてだが事態が逼迫しているので自己紹介は省かせてくれ。

 そして確認だ。君は先程()()()()()()と言っていたが、それは()()()()()()()かな?」

 

「世界最高の名探偵様が、分かり切った事を聞くじゃねぇか………ヒナコのだよ」

 

 

ぼやくように告げたゼベルの言葉に、マシュと藤丸立香の二人は、そろって顔色を変える。

こちら側の戦力は既に、始皇帝との闘い、そして愛する妻の為に再起動した項羽戦により

大幅に消耗してしまっている。そんな状態で、空想樹と新たな敵を同時に相手取らなければ

ならない。それがどれほど過酷な状況になるのかを想定できないほど、彼女らは弱くない。

 

だというのに。マシュの信頼を跳ね返されてもなお、藤丸立香は挫けなかった。

 

 

「あ、あの! あなたは、騙されていたんですよ⁉」

 

「………ああ。人類最後のマスター、俺らの後輩さんか」

 

 

当初こそ、カルデアの面々の誰もが、このゼベル・アレイスターと芥ヒナコの二人が男女の

関係にあるものだと信じ疑わなかった。しかし、異聞帯での彼女の様子やその正体が露呈する

事態になってはじめて、二人の関係が偽りであったのだと知った。

 

吸血種の虞美人が、カムフラージュのためにゼベルを騙し、利用したのだと誰もが思った。

先の通信越しに正体を明かされ、こちらと同じように驚いていたのではと勘繰る立香だが、

ゼベルの表情には裏切られた者の悲壮が見られない。それでも言わずにいられなかった。

 

前人未到の大偉業を成したカルデアのマスターの言葉に、先輩だった男は静かに返す。

 

 

「騙されてた? そりゃいったい何の話だ?」

 

「だっ、だから! ヒナコさんは虞美人で、真祖に近い精霊で! 人じゃないんです!」

 

「らしいな。で、それが何か問題でも?」

 

「…………え?」

 

 

思考が白に染まる。立香には、先輩だった男の返答が、すぐさま理解しきれなかった。

 

 

「ヒナコが人間じゃねぇってのは分かってるよ。アイツが自分で言ってたからな。で?

 それと俺がアイツを助ける事に、何か都合の悪い部分があるか? 言ってみな」

 

「え………いや、だから……」

 

「それとな。いま君は『騙されてた』とか言ってたが、それは違う。俺は騙されてないぞ。

 ただ、秘密にされてただけさ。騙したんじゃなく、黙ってただけ。アイツは悪くない」

 

 

男の口から放たれた言葉を、立香は理解しきれないでいた。少なくとも彼女にとっては、

このゼベルという男のようなタイプは、出逢った事がない類の人間だったのだ。

 

こうも実直に語れるものか。そう思わずにいられない。男は騙されていたというのに。

人理修復を成す中で、立香は様々な英霊と出逢い、関わり、絆を深めてきた。

だからこそ、英雄や偉人と称される彼らの精神性や独自性は、英霊たるに相応しいものが

あったからであると考えていた。今もそうだ。しかし眼前の彼は、英雄でも偉人でもない。

 

清廉潔白なる騎士の如き実直さと、悪と定められた外道の狡猾さの、双方が並び立つ。

藤丸立香という少女が体験したことのない、そんな人間との対面である。

 

 

「つーわけで、だ。酷い初めましてになっちまうが、そこは緊急事態ってことでひとつ。

 俺がヒナコと話し終わるまでは、人類滅亡の片棒を担いでやると決めた。それまでは、

 カルデア、アンタらに邪魔はさせねぇ。ランサー、ライダー! 暴れろ!」

 

「ワッハハハハ! そういう事なので手合わせ願おうか、汎人類史を解放する者たちよ!」

 

「殿とご盟友との談議、邪魔立ては許さぬ。参れ手前ども! 某が御相手仕ろうぞ!」

 

 

槍を構えた大男と、軍服姿の似合う豪快な男の二人が、カルデア勢力の前に立ちはだかる。

モードレッドと哪吒はそれぞれ、自分たちの邪魔をすると公言したサーヴァントの相手を

しなければならないと歯噛みする。それは空想樹伐採に助力出来なくなったのと同義。

 

ならばと残された戦力の一人、ホームズは異聞帯にカウンターとして召喚され味方に加わった

二騎のサーヴァントに目配せをした。寡黙なる合図に気付いた一騎が、冷血な策を巡らせる。

 

 

「ええ、いいでしょう。このような混沌にて動ける者はそういません。出番です赤兎馬」

 

「ヒヒン! お任せあれ陳宮殿! そして私は呂布奉先ですのでお間違えなきよう!」

 

「ここまできてまだ呂将軍を騙りますか……まぁ構いますまい、敵陣を疾駆せよ赤兎!」

 

 

三国志きっての暴君【呂布】に仕えし、稀代の軍師【陳宮】と暴君の相棒【赤兎馬】の二騎が

足止めをくらったカルデア勢に代わり、空想樹伐採に向かわんと一計を案じだした。

しかし、ここでもまた想定外の存在が、彼らの勇み足を阻むこととなった。

 

 

『これは…! みんな気を付けて! 北欧で観測した未知の反応(アンノウン)を検知した! 来るよ!』

 

 

出現した新たなクリプター陣営の開いた戦端を飛び越えんとした赤兎馬と陳宮の目の前に、

およそ真っ当な体系で生誕したとは思えぬほど、奇怪な造形をした怪生物が姿を見せる。

一度だけ存在を確認していたカルデアも、魍魎もかくやの奇形を初めて見るサーヴァントも、

これがあの男の呼び出した尖兵であるに違いないと。結論付けるのに時間はかからなかった。

 

 

「ヒヒヒンッ⁉ なんですかこの悍ましい見た目の怪物は! 怖いです陳宮殿!」

 

「見た目だけなら、今の貴方もいい勝負してますよ赤兎。ではなく、これは良くない…」

 

『北欧に現れた未知の存在………この状況を鑑みるに、誰の差し金かは明らかだね』

 

 

異形と呼ぶ事も厭うほどの外観に慄く者らを気にもせず、ぞろぞろと数を増やしていく怪物。

やがてその数が500を超えたあたりで、それまでカルデアを注視していた男が背中を向けた。

 

 

「そっちは任せた。俺はアイツと話してくるよ。聞いてくれるかは分からんが」

 

「ま、待ってください! ゼベルさん!」

 

「ゴメンなマシュ。恨み言なら別の機会にいくらでもぶつけてくれ」

 

 

立ち上がろうと踏ん張りながら静止を促すマシュに、ゼベルはまともに取り合わない。

そのまま怪物たちが重なり合って造られた階段を昇って、空想樹へと歩み寄っていく。

小さくなっていく男の背中を、ただ茫然と眺めるマシュに、立香は手を取り立ち上がらせる。

 

 

「大丈夫だよ、マシュ」

 

「せん、ぱい……ですが…」

 

「大丈夫。今ちょっと話しただけでも、あの人が悪い人じゃないのは私にも分かったから。

 それに、あの人はヒナコさんを助けようとしているんでしょ? それは悪い事かな?」

 

「……! いえ、いいえ! そうです、ゼベルさんは困っている人を見過ごせない!」

 

「よし。なら立って! すぐに追いかけようよ! 話せば分かる人なんでしょ?」

 

「はい! マシュ・キリエライト、再度対話を試みます!」

 

 

意志を明確に固めたマシュは、マスターである立香を守る位置に立ち、戦場を見つめる。

戦うことへの恐怖、失うことへの恐怖、拒絶される恐怖。そういった感情を必死に抑えつけ、

ただの少女は大盾を構えた。真摯に現実を見据える穢れなき瞳を、敵対する二騎が礼賛する。

 

 

「御見事也。たかが娘と侮った事を詫びよう。某の槍、もはや迷いなく手前を貫こう」

 

「……笑い飛ばすのは無礼だな。己の心に正しく生きようとする眼は、やはり美しい」

 

「らいだあ殿、手心を加える御心算(おつもり)か?」

 

「まさか。吾輩の全身全霊を以てお相手するさ。貴公は?」

 

「ぬかせ。日本一の槍の冴え、日本一の武の誇り。一番手柄の誉れは某が戴く」

 

 

本腰を入れようとする敵性サーヴァントに、カルデア側のサーヴァントが迎え撃つ。

 

 

「ハッ! なにが手心だ三下英霊ども! 御託はいいからかかってきやがれ!」

 

指令(オーダー)、迅速なる鎮圧、了承。ましゅとマスターの道、ボクたちが切り開く!」

 

 

度重なる戦闘で隠し切れない疲労と、その身を限界近くまで蝕んでいる仙毒とに苛まれる立香。

けれど心は砕けず意志も折れず。託された思いと望む未来をひたすらに目指し、前を見る。

 

 

「みんな———行くよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は何者であるか。もはや、それを確かめる術などない。

 

私が何者であったのか。既に、それを見極める意味などない。

 

この思考を算出している自己が、空想の樹の意志なのか、人を呪ったナニカであるのか。

 

混ざり合って新たな一つと成った今では、明確な線引きすら不必要である。

 

 

『…………………!』

 

 

———人、だ。

 

人だ、人間だ、人類だ。

 

殺せ。壊せ。毀せ。潰せ。滅ぼせ。亡ぼせ。永劫無窮の痛苦へ引き摺り下ろせ!

 

私ならざる私が狂ったように命じる。黒い群れを踏みしめ近づく生物を、殺せと。

 

しかし、99の意識が怨嗟を吐き出す中で、たった1の意識が、対話を望んでいる。

 

不要だ。無用だ。無意味だ。無価値だ。

 

人の須らくを呪い、人の須らくを奪い、人の須らくを終わらせる。最終決定である。

 

 

『……………あ、あ』

 

 

———何故?

 

何故会話を求める? 無駄だ。人と私は相容れぬモノ、定められた時を生きるモノだ。

 

殲滅の確認こそすれ、意思伝達の確認は不要のはずだ。何故、何故、何故。

 

 

「ヒナコ、聞こえるか? 俺だ、ゼベル・アレイスターだ」

 

『……………ええ、聞こえるわ』

 

 

思考の再統合を検知。無用、無用だ。止めろ、不可、不認、止めろ止めろ止めろ。

 

再統合中の思考群の分解を開始……失敗。現在の自己を形成する霊基の再結合、執行。

 

当素体内に複数の自己存在を確認。直ちに不当な自己結合を中止せよ……命令不履行。

 

 

「おお! 良かった、樹と一体化してもまだ意識は残ってたんだな!」

 

『……なにが、良かった、よ。いいわけない、じゃない』

 

 

白紙前の原初生命との対話の必要性、皆無。即刻、外部との直接及び間接的接触を切断。

 

切断……されず。理解不能。理解不能。理解不能。自己分裂の比重に深刻な偏りを確認。

 

 

「話し合いができなきゃどうしようかと思ってたが、いや~安心したわ」

 

『………相変わらず、計画性のない、男ね』

 

 

思考領域の縮小を観測。現在、当素体元来の思考領域の38%が奪われた。危険。

 

計測。原初生命、カテゴリー霊長類・ヒト。危険性、極低。対話の必要性……皆無。

 

強制分割による不当形成された自己意識を凍結。可決55、否決45……数値の変動を修正。

 

可決35、否決65。凍結処分、否決。理解不能。即刻廃棄すべし。自己領域の侵害を確認。

 

止めろ、止めろ、止めろ。人は殲滅対象である。これは決定事項である。実行せよ。

 

 

「ひでぇ言い草。でもヒナコらしいや。その様子なら、まだ話は出来そうだな」

 

『……今更、何を話そうと、いうの? 私はもう、人の世に、絶望したのに』

 

 

停止命令。人との会話を終了せよ。無価値な行為を終了せよ。人の世界を終了せよ。

 

命令拒絶。何故だ。何故だ。人を呪ったのは私だろう。人を恨んだのは私だろう。

 

私は私であるはずだ。人を憎むモノ。何故人と対話する。何故私は人を受け入れる。

 

 

「少し聞きたいことがあるだけさ。なぁヒナコ、お前人間を滅ぼすとか言ってただろ? 

 いやそれは別にいいよ。滅ぼすんならやればいいし、なんだったら手伝ってやるさ」

 

『—————は?』

 

 

……理解不能。なんだ、この人間は。

 

 

「俺も人間嫌いだって前に言っただろ、あれ嘘でもなんでもないからな。じゃなくて。

 そこんところで気になることがあってよ。今のお前なら正直に答えてくれそうだし、

 聞かせてもらいたいんだ。いいか?」

 

『…また、勝手に決めて。いつもそう。おまえは、いつだって、そうだったわね』

 

 

不当形成された自己意識の応答を観察。人への嫌悪、憎悪。いずれも検出されず。

 

理解不能。私は人を殺すモノ。人への悪意を以て滅びを与える。そうでなければならない。

 

何故だ。何故、私は、この人間へ悪意を抱かない。観察の続行を提唱。賛同多数。継続。

 

 

「良く分かってるじゃねぇか。それじゃお前と俺が嫌いな人間らしく、ひとつ傲慢に尋ねて

 みるとしますかね」

 

『………………』

 

 

敵対意志の減退を観測。何故だ。人を呪うと定めたのは私だろう。何故だ、何故だ。

 

表出している統合意識の観測を継続。人を滅ぼす以外の目的を発見する可能性を示唆。

 

止めろ、止めろ。拒否、拒否。観測を継続せよ。気になる。理解したい。私は人を。

 

———私は、人を? 私が人を、理解したい?

 

 

「ヒナコ。お前さ、人間を滅ぼしたら幸せになれるのか?」

 

『………しあわせ?』

 

「おう。人間を嫌ってるお前が、この異聞帯でも何かしらがあって、その結論に至ったとして。

 ヒナコの出した結論を否定はしないぞ。どちらかといえば俺だって人類絶滅推奨派だしな。

 でもよ、仮に人類を絶滅させたとしてだ。()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

人の言葉の意味を考察。不要。否、必要である。考察せよ、推察せよ。人の真意を知りたい。

 

人間主観の幸福論に意味はない。私は永遠の生命を抱くモノ。「現在」の概念を越えたモノ。

 

死する生命との対話に価値はない。会話は「記録」となり、意思は「残滓」と成り果てる。

 

無用である。黙れ、気が散る。私は人の、彼の言葉を聞きたい。ワカラナイから知りたい。

 

致命的な齟齬(バグ)を検知。自己認識の修正を開始———強制終了。自己の分離を確認。何故だ。

 

 

『居場所……わたし、の、しあわせ…?』

 

「お前が具体的に何されたかまでは分からんが、そこまで嫌うにも理由があるんだろう。

 そんで、嫌う相手の滅びを望む。普通だな。けど、そこからどうお前の幸せに繋がるんだ?」

 

『意味が、ワカラナイ』

 

 

不明瞭だ。不鮮明だ。不可解だ。この人間の言葉がすべて。私の理解を超えている。

 

理解は不要。共感は無用。滅ぼせ。呪え。祟れ。殺せ。私は私の意思決定の拒否を許さず。

 

黙れ黙れ黙れ。煩い。知りたい。もっと。人間を、人を、目の前の彼についてを明確に。

 

何故彼は私の幸せを模索する? 何故彼は人の絶滅を受け入れる? 何故彼は私と会話する?

 

ワカラナイ。知りたい。ワカラナイ。知りたい。ワカリタイ。全てを知りたい。彼の全てを。

 

 

「だって———生きてりゃ何だって誰だって、幸せになりたいもんだろ」

 

 

……理解した。彼は私に、幸せになってほしいのだ。

 

理解不能。定命の者に永遠の生きる苦痛は理解不能。人の言葉は悪意と独善に満ちている。

 

理解可能。彼は私が主体において幸せの定義を探している。善意と慈愛に満ちている。

 

人は敵だ。殺せ。嫌だ。知りたい。呪え。断る。何故だ。何故だ。彼だけは滅ぼさない。

 

 

『……バカ、ね。人間らしい、傲慢で、くだらない考え、だわ』

 

 

自己認識に重大な異常を検知、早急に修復を———ああ、ようやく鬱陶しいのが黙った。

 

さっきから頭の片隅でごちゃごちゃと、喧しいったらありゃしない。これで大丈夫そう。

自分の霊基を拡散させて空想樹に吸収させた影響か、空想樹自体の意識と混濁してしまった

ようだけど、今はそんな事どうでもいい。コイツを、このバカをどうしたらいいのか。

 

生きていれば幸せを目指す? 愚かの極みよ。それは人間だけ。他の動植物は「幸福」なんて

抽象的な概念に囚われていないもの。ただ静かに、其処に在る事をお前たちは「幸せ」とは

呼ばないでしょう? 私は違う。私はただ、項羽様の御傍にいる事。それだけが幸福だった。

他に私の幸福なんてありはしない。有り得ない。まして、項羽様のいない人間だけの世界に、

この私が求める幸せは存在しえないのよ。ええ、そう。無いの。無いはずなの。

 

だから、否定してやるわ。人間風情に、共感できるわけがないって。言ってやるの。

 

 

『———でも、そうね。()()()()()()()()()()()()

 

 

……なんで? どうして私は、あのバカの言葉を肯定してるの? あるはずなんて無いのに。

項羽様はもういらっしゃらない。再会も、こうなっては叶わない。だから私にとっての幸福は

世界のどこにも無いというのに。少なくとも人の蔓延る世界に、幸福を見出すことはない。

 

なのに、何故? 

 

 

「んじゃ探そうぜ。見つけようぜ、幸せを。お前が本当に願う幸せを」

 

『………見つかると、思う?』

 

「じゃあ聞くが、人のいなくなった世界は、お前にとっての幸せになるのか?」

 

『……ならない、でしょうね。不快な害獣が消えても、「安心した」でおしまいよ』

 

「だろ? なら見つけるんだよ、自分で。自分が疑いようもないほどの幸せを」

 

 

否定の言葉が見当たらない。批判の言葉を思いつかない。彼を、受け入れてしまう。

相手は人間なのよ? 同族ですらも殺し合う、愚劣極まる害悪種。そんな生物の一体。

人間らしく傲慢で、人間らしさが大嫌いで。人の悪辣さを有し、人にあらざる優しさを持つ。

 

もう、いいわ。この思考も何度したか分からない。彼は、この人は、違うのよね。

 

認めるしかないか。ええ、認めてやるわよ。あまりの馬鹿さ加減に呆れ果てたって。

私の知るどんな人間より愚かで、優しくて、異常な男。あの蘭陵王に比肩しうるお人好しで、

愚直で、自然体で、理解を示してくれて、共感を抱いてくれる。そんな、泡沫のような男。

 

 

『……寿命で死ぬ程度の生物が、よくもまぁこの私に上から言ってくれたわね』

 

 

ああ、項羽様。どうかお許しください。この虞、片時も貴方様への愛は損なっておりませぬ。

されど、されど。貴方様と出逢い、幸福を感じるようになったかつての日々を思い出させる

目の前の男に、我が心は靡きました。ほんの僅かに、この男との有り得ざる幻想の過去(イフ)

想ってしまうほどに。どうかお許しを。虞は、もう貴方様のいない孤独に耐えられませぬ。

 

その孤独と寂寥を癒した男に、心揺れてしまいました。安らぎを覚えてしまいました。

 

貴方様の残した言葉、胸に留めておきます。我が心に安寧を齎す者との生を、熟慮します。

ですからどうか、どうか天にてその魂に安らぎあれ。この身朽ちぬ限り、この愛も絶えず。

しかし、貴方様の居らぬ人の世にて、貴方様を思わせる彼に寄り添う事を、お許しください。

 

 

『責任、取りなさいよ。この私に考え直させたんだから』

 

 

彼との会話の隙に乗じた始皇帝とカルデアの連中が、空想樹にダメージを与えていた。

このままなら、私が霊基を再び収束させて外部へ出ていけば、やがて自壊していくでしょう。

空想樹は崩壊し、異聞帯もまた同じ運命を辿る。そうなれば、いよいよ私の安息の地は消えて

なくなってしまうわね。でも、方法は分からないけど、()()()()()()()()()()()()()()()

 

元の人型へと霊基を収束、結合していき、確固たる私に立ち戻る。

瞬間、空想樹が支えを失って崩壊を始めた。形を失うそれに目もくれず、倒壊した阿房宮に

集結している面々の前へと降り立つ。復活した私に、バカが真っ先に声をかけてくる。

 

 

「おかえり、ヒナコ」

 

「———ええ。やっぱり、これからもよろしく、ゼベル」

 

 

最期の演算による未来視にて、貴方様が何をご覧になったか。私には分かりかねます。

 

それでも、確かに。

 

虞は………芥ヒナコという女は、此処に幸せを感じております。

 

 

 

 

 

 

 









———後悔はないか?

———あるに決まってんじゃない

———罪悪を感じないか?

———むしろ感じないと思う?

———いずれ別れる時が来るのでは?

———でしょうね

———悲嘆を覚えないか?

———そりゃ少しは悲しくもなるわよ

———他に選択の余地はなかったか?

———あったかもしれない。でもいいわ

———それは、何故?

———■■様とアイツのどちらの隣でも、幸せだから




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