Lostbelt No.8 「極東融合衆国 日本」   作:萃夢想天

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どうも皆様、萃夢想天です。

時間が許す限り、この作品の投稿を決意いたしました。
まぁ新しい職場で働きだしても、全く書けなくなるというわけではないと思いますが…
それも確証があるわけではないので、持てる時間の全てを費やします。

それでは、どうぞ!







第五章序節 その「眼」に映るのは

 

 

 

 

 

 

「っつーことで、ヒナコを連れて帰ってきちまった」

 

「「は?」」

 

 

淑女にあるまじき声を出してしまった。それも彼の目の前で。ああ、恥ずかしい。

 

私、オフェリア・ファムルソローネの心は生誕以来最大級の心拍数を記録している。

何故ですって? その原因は私の視線の先に居る、一組の男女にあるからよ。

 

 

少しだけ状況を整理しましょう。そのために、時間を遡らせてもらうわね。

 

まず私は、ゼベルに自分の想いを直接伝えるべく、クリプターを脱退した彼の後を追うように

して彼の管理する日本異聞帯へ転がり込んだ。コヤンスカヤの力を借りて。そこまではいい。

そこから彼に、カルデアに居た頃から伝えられずに秘めていた想いを告げようとしたのだけど、

彼の契約していたサーヴァント、クラス【フォーリナー】に邪魔されてしまったの。

 

あの時、彼が私の護衛としてつけておいてくれたセイバーがいなければ危なかった。

結局それから異聞帯内で起きた反乱の鎮圧に、忙しなく動く彼に時間を割いてもらう事を遠慮

していたために、機会が作れず、刻一刻と時間ばかりが失われていったのよ。

 

問題は今朝。今日こそは彼に話をする時間を設けてもらおうと、カルデアに在籍していた時の

思い出を語らいだしたら、急に「そういやヒナコはどうしてんだろうな」って言いだして。

そのまま通信礼装を起動して彼女と連絡を取ったと思ったら、いきなり戦力を整えて一瞬で

目の前からいなくなるし。かと思えば、身なりの随分変わった芥ヒナコを連れ帰ってくるし。

 

私らしからぬ怒気の籠った低い声が出てしまっても、仕方ないというものよ。

 

 

「ヒェッ……」

 

 

無意識のうちに親指の爪を噛みそうになっていた自分を諫めるべく指を下げると、やたらと

怯えた表情をした彼、ゼベル・アレイスターの顔が、視界に映り込む。いやに腹立たしい。

彼のことを嫌いなはずがないのに、無性に苛立ちが募っている自分に気づく。何故かしら。

……いえ、それは嘘。本当は自分でも気付いているんでしょう。気付きたくないだけで。

 

 

「……我が主人(マスター)、一つお聞かせ願えますかしら?」

 

「ん、お、おう。なんだ?」

 

「その女は、貴方の何なのですか?」

 

 

ソファに腰を下ろし優雅に寛いでいたフォーリナーも、瞼を僅かに痙攣させながら彼に

詰め寄っていた。このサーヴァントも、私が彼へ好意を抱いていると知った途端に攻撃性を

露わにしたほど、分かりやすい性格をしているのだし。その問いに込められた意図も読める。

 

ただ、フォーリナーは知らなくても、私は知っている。

カルデアに居た頃は、彼の隣をいつのまにか独占していた女性、芥ヒナコという存在を。

 

私にとって芥ヒナコは、チームメイトであり、同性。顔見知り程度の関わりしかない。

だというのに彼女は、私が求めてやまない彼の隣に知らず知らずのうちに収まっていたのだ。

彼女には何か、秘密があるのではないか。薄々そんな予感はしていたけれど、まさかこんな

形でそれを明らかにされるだなんて。フォーリナーの問いかけにゼベルが答える。

 

 

「何なの、って言われても……なぁ?」

 

「こっちを見ても答えにならないわよ」

 

「仰る通りで。んーと、改めて言われるとどう答えていいもんか……」

 

 

問いかけへの返答に、迷いがあるように見える。それに対し、彼の肩に頭を置くぐらいの

距離感にいるヒナコは、前と変わらぬ不愛想な態度で切り離した。でも、本当になんで?

 

かつての話。私は気が付けばゼベルの隣にいたヒナコに、少なからず良くない感情を抱く

ようなことも確かにあったわ。彼の姿を目で追うしかない私と、彼と言葉を交わす彼女との

違いについて、考え続けては悩み伏せる毎日を過ごした。けれど、答えなんて出なかった。

 

いつしか私は、諦めが先んじるようになってしまって。だから自分の想いにも分厚い氷の

封印を施していたというのに。冬は過ぎて春を迎えた私の心は、とっくに融けていた。

彼への想いを誤魔化す必要がなくなった私からみても、ヒナコはよく分からないの。

 

私はゼベルの隣にいたい。でも彼女にとって、彼の隣に居ることは重要ではあっても、

必要であるとは思えなくて。近過ぎず離れ過ぎず。そんな微妙な均衡を保っていたはずだ。

でも今は違う。物理的な距離も、心の距離も、どちらも存在しないかのような近さである。

 

 

「うーん、下手に誤魔化すよりも正直に話した方がいい気がするんだよなぁ」

 

「ならそうしたら?」

 

「じゃあヒナコ、お前の事について包み隠さず言わなきゃならんが、いいか?」

 

「別に。今更誰にこの身が知られようとも、関係ないわ。ええ、大丈夫」

 

「………そんなら。オフェリア、悪いけど少し長い話に付き合ってくれないか」

 

 

またあの頃と同じように、心胆が底冷えするほどの取り残された感覚を覚える。

いや、いや。おいていかないで。まって。私を一人になんかしないで。お願い。

 

情けないと我ながら思う。でも、私を救い出してくれたゼベルにずっとついていきたい。

手を引いていてほしい。手をつないでいてほしい。同じ足並みで、同じ道を、いつまでも。

幼い迷子になったような、心細さ。彼の隣を独占されている事実は、寂寥感で心を満たす。

 

いえ、いいえ。もう私は逃げない。自分の力で立って歩くと、そう決めたのです。

 

あの北欧の地で、自らの命を顧みることなく、私の守りたいものを守ろうとしたあの時に。

思い出すの、燃え盛る炎を。思い出すの、凍てつく氷を。二つを内包した、矛盾する感情を。

 

 

「……分かったわ。聞かせて、ゼベル」

 

 

置き去りにされる恐怖に、私は今度こそ立ち向かうと決めた。

 

 

そこからはヒナコについての話になった。時々ゼベルの言葉を交えながら、大まかな道筋を

辿って二人の関係性にまつわる部分を聞いていた。彼と彼女の関係や、彼女の正体までを。

 

正直、理解が追い付かない箇所も多々あったけれど、彼の真剣な眼差しを何より信じた。

それにしても……まさかヒナコが人間ではなく、真祖と呼ばれる吸血種に近しい存在だった

なんて。カルデアという閉鎖空間で共に生活していたのに、全く気付かなかったわ。

彼女曰く、マリスビリー前所長やゼベルの協力があったから、正体を露見させずに済んでいた

らしい。だから必然的に彼女のそばにいる機会が多かったのね。思わず安堵の息が漏れる。

 

喜んでいいものではないはずなのに、それでも私の心は穏やかさを取り戻していた。

 

 

「………事情は分かりましたし納得も出来ました。事実を事実として受け入れます」

 

「やっぱりオフェリアは分かってくれたか! な、言った通りだろヒナコ?」

 

「騒ぎ立てたり排斥しようとしてこなければ、なんでもいいわ」

 

「オフェリアはそんな事する理由なんてないから問題ねぇ」

 

 

ヒナコ———いえ、虞美人の存在と、彼女が正体を隠し続けた理由は納得がいった。

人間以外の種族だと今更言われてもピンとこないし、そもそも害意があるならカルデアに

なんて来るはずもない。人に迫害され、人に弄ばれた人外種ならばなおのことでしょう。

 

そこはいい。その部分は概ね理解できた。でも、肝心な部分がハッキリしていない。

 

 

「ええ、その点は安心してほしい。けれど、ええと、虞美人さん?」

 

「知らぬ仲でもないし、ヒナコでもいいわよ」

 

「そ、それじゃあヒナコ。あなた、どうしてゼベルと一緒に居るの?」

 

 

彼女はクリプター会議でも再三に渡り、「あの場にいたいだけ」と告げていた。

意味するところは、彼女の管理していた中国異聞帯のことで間違いないと思われる。

中国異聞帯に固執していた彼女が、そこから何故ゼベルと共にこの日本異聞帯へ来たのか。

それが私の最大の疑問点。この胸をざわつかせる最たる要因でもあった。

 

私の問いかけに、ヒナコは普段と変わらない関心の薄そうな顔のまま答える。

 

 

「どうしてもなにも、私のいた中国異聞帯はカルデアに敗北したんだもの。

 あの場所に留まっていたら、流石の私でも生きてはいられない。死の概念ではなくても、

 生きていられない以上は死と同義。存在の消滅と生命としての死は、ほぼ同じでしょ」

 

「そうだけど、そうじゃなくて…」

 

「だったら………ああ、そういうこと。単に居場所がコイツの隣しか残っていないからよ」

 

 

彼女はそう言いつつ、頬杖代わりに彼の肩へ頭を預ける。なにその距離感。近過ぎでは⁉

それに、居場所が彼の隣にしかないという言葉も気になる。追及しようと口を開く寸前、

遮るように声を張り上げたフォーリナーにかき消された。

 

 

「なっ…⁉ 主人の隣は(わらわ)のものです! 何処の馬の骨とも知れぬ輩が…!」

 

「アンタ、コイツのサーヴァント? へえ、こんな高慢ちきな女が趣味なの?」

 

「高慢ッ………マ、主人! この泥棒猫を処します! いいですわねッ⁉」

 

「いいわけねぇだろ、落ち着けフォーリナー。あとヒナコ、それブーメランな」

 

「私のは高貴さと言うの。勉強になったわね、人間」

 

「へいへい」

 

 

怒髪天を衝く勢いで怒り狂うフォーリナーを、意にも介さないヒナコに驚きを隠せない。

いつも本を読んでばかりいたあのヒナコが、こうも高圧的な舌鋒を持っていたなんて。

ゼベルもゼベルよ。なんなの、その「慣れっこです」みたいな対応……ず、ズルい。

 

じゃなくて!

 

 

「答えてヒナコ。彼の隣しか居場所がない、とはどういう意味なの?」

 

「言葉通りよ。中国異聞帯で私は、自身の生き甲斐を、心の拠り所を再び失ってしまった。

 立ち直る事も億劫に感じていた私を、コイツが引っ張り出した。そこで思い出したの。

 カルデアに居た頃から、世界でただ唯一、私が私である事を許される場所があったのを」

 

「それが、ゼベルの隣ということ?」

 

「ええ。私はコイツに何も隠す必要がないし、コイツも私に何も要求しない。ただ在る。

 人間の視座、人類の尺度では測る事の出来ない『人ならざるモノの幸せ』を見出せる場所。

 私にとってのそれがゼベル・アレイスター。本当にただそれだけのことなのよ」

 

 

投げやりだった口調は打って変わって凪のような穏やかなものへと変わっていた。

本気で言っている。人との関わりに疎い私にも、彼女の言葉が一言一句本気であることは

伝わってきた。それほどまでに彼女は彼を、心から信じているというのね。

 

ヒナコの想いを聞いて、私の心中に迷いが鎌首をもたげる。

 

詳しい経緯も聞いた今、彼女にとってゼベルは生きる理由そのものになっていると確信した。

軽々しく踏み入れる場所ではなくなっている。気安く立ち入ってはいけない領域なのだと、

彼女の言動や態度から察することが出来る。彼女にとっての唯一無二。それが彼の存在。

 

なら私は? オフェリア・ファムルソローネにとって、ゼベル・アレイスターは唯一なの?

 

そうだ、と言い切ってしまいたい。ヒナコの事を聞くまでは、そう信じて疑っていなかった。

しかし、今はどうか。人外の彼女を懐深く受け入れたのは、ゼベル一人だけ。彼女の言う通り

ゼベルだけが、彼女の安息足りえるのでしょう。それを踏まえたうえで、私はどうなのか?

 

私を心の殻から救い出してくれたのは、ゼベル・アレイスターに他ならない。

でも彼以外でも私の心を救えたのではないか。悔しいが、否定しきれない自分がいる。

 

ヒナコにとっての唯一無二であっても、私にとっての唯一無二とは成りえないのでは?

 

 

「…………………」

 

 

一度負の思考に囚われてしまうと、ズルズルと引き込まれてしまう。下へ下へと沈んでいく。

考えたくないことばかりが頭に浮かぶ。そんな事はないという可能性の排除が、楽観視へと

変わってしまう。ありえない、大丈夫だ。けれど、もしかしたら。嫌な想像が脳裏を廻る。

 

陰鬱さに精神が染まり切ろうとするなか、会議室の扉がノックもなしに開かれた。

 

 

「どうも~。興味本位で羽を、もとい尻尾を伸ばしてはや三日。敏腕秘書コヤンスカヤちゃん

 ただいま戻りましった~! ああ、お土産は期待しないでくださ———おやおや?」

 

「うげ」

 

「ああ、やはり此方にいらしていたんですねぇ。如何です? 嫌悪すべき人に囲まれて」

 

「……おかげさまで最悪な気分よ。二度と私には近付かないで」

 

 

満面の嘲笑を張り付けて会議室に入ってきたのは、姿を消していたコヤンスカヤだった。

入室するや否や、彼女の視線はヒナコを捉える。やはり、ということは、彼女もヒナコが

この異聞帯へ来ることを知っていたのかしら。あれ、でも彼女は日本異聞帯の何処かを観光

していたのではなかった? だとしたら彼女はどうやってヒナコの事を知ったというの?

 

 

「あれ、コヤンスカヤじゃん。ずっとこっちに居たのか? よく無事だったな」

 

「ご心配どうもゼベルさん。ですがお気になさらず、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ほーん…? ま、いいや。戻ってきたってことは、何かあるんだろ?」

 

「相変わらず話が早くて助かります」

 

 

違和感を掘り下げるよりも先に、ゼベルが話を進めてしまう。でも彼女がこうして私たちの

前に意味なく姿を見せることはしないはず。彼の言う通り、何か話があるのだと推察する。

ゼベルの言葉に満足そうな笑みを見せたコヤンスカヤは、何故か私の方へ視線を移す。

 

 

「実はですね。そろそろオフェリアちゃんを回収して戻らなければならないのです」

 

「えっ⁉ ま、待ってコヤンスカヤ! 私、まだ!」

 

 

艶やかな唇から放たれた言葉に、思考するより早く否定の言葉が漏れ出ていった。

嘘でしょ。いくらなんでも早すぎる。まだ三日しか経っていないというのに。

 

 

「そう言われましても。今回の件で貴女をこの異聞帯へ送る事すら、割と分の悪い賭け

 みたいなものだったんですよ? これ以上はキリシュタリアもお赦しにならないかと」

 

「そ、そんな……」

 

「クリプターを脱退した男の後を追うようにして姿を消した。傍から見たらその行動が

 どれほど怪しく映るものか、分からないはずないでしょう? 聡明なオフェリアちゃん」

 

「うっ………」

 

「あの場で私との個人契約の都合と告げた為、幾日かの猶予は稼げました。ですがこれ以上

 滞在するとなると、本格的な離反行為と見做されかねない。彼らを敵に回す事になる。

 それは本位じゃありませんよね? ここでギリシャへ戻るのが賢明な判断というものです」

 

 

彼女の言い分に耳を傾け、そのすべてに正当性がある事を理解してしまう。彼女は正しい。

このままゼベルのそばに身を置き続けることで、残った彼らにどんな印象を与える事になるか

想像できないほど馬鹿じゃない。けれど、正しい選択が今の私には何より選び難いもので。

 

 

「……そうだ、連絡! 彼らに事情を話して滞在の延長を取り次げれば!」

 

「半分黒みたいな状態のオフェリアちゃんの言葉を素直に信じる方、いらっしゃいます?」

 

 

思いついた苦し紛れの打開案も、コヤンスカヤの反論に潰される。分かってはいたけど。

諦めたくない。まだ彼にこの想いを打ち明けてすらいないのに。このままじゃ嫌だ。

どれだけ願おうとも、現実は変わらない。どうすれば、どうしたらいいの?

 

咄嗟にゼベルへ視線を向ける。言葉にできない「助けて」を込めた視線を。

 

 

「ごめんなオフェリア。俺が短絡的な事したせいで……」

 

「あっ……ち、違うわ。貴方は間違ってなんか……ごめんなさい」

 

 

安易に縋ってしまったことで、かえって彼に頭を下げさせる結果になった。

違うの。そんなこと言わせるつもりはなかったのに。嫌だ。嫌われたくない。

 

ぐるぐると思考が廻る中、無関心を貫いていたヒナコが唐突に口を挟む。

 

 

「ああ、もう! じれったいったら! オフェリア、ちょっと来なさい!」

 

「え、え———?」

 

 

憤慨と共に立ち上がったヒナコに腕を掴まれ、そのまま会議室を後にする。

なんか一昨日も同じような事があったような。デジャブを感じつつ、ズカズカと歩いていく

ヒナコに何が目的かを尋ねる。

 

 

「ちょ、ちょっとヒナコ! いったいどういうつもりなの!」

 

 

会議室から充分離れた廊下の角。ここなら多少大きな声で話しても、室内にいる彼らに声を

聞かれる心配は少ない。掴む腕を振り払い、乱れた服を整えながらヒナコに問いかけた。

対する彼女はというと、先程までの怒りの感情はどこへやら。腕を組み呆れたように呟く。

 

 

「どうもこうもないわ。さっきから見てればうじうじと、本当にオフェリアなの?」

 

「失礼な! わ、私はうじうじなんてしてないわよ!」

 

「自分も客観視できないのかしら? 人間って不便ね。それで? どうするの?」

 

 

溜息交じりに話を戻された。あなた本当に変わったわね。いえ、今まで猫被ってたのが

なくなって素に戻ったと考えるべきか。それは今はいい。彼女の言わんとする意味は流石に

分かる。彼への想いも見抜かれているみたいだし、それを告げるかを問われているのよね。

 

 

「どうすると言われても……だって…」

 

「離れ離れになるくらいなら黙っていても、なんて考えてるんじゃないでしょうね」

 

「っ………だって、だって!」

 

 

ヒナコの言葉が胸に刺さる。少しだけ、考えてしまった。言わずに秘しておくことを。

どうせ離れなければならないというのに、わざわざ想いを告げて何になるというのか。

告げたところで、仮に彼と想い合う仲になれたとして。すぐに引き裂かれてしまうのだ。

 

そして考えたくもないが、彼に私の想いを拒まれたら。最悪の想像に呼吸が乱れる。

 

有り得ない話ではない。私がどれだけ彼を想おうと、彼がそれに応えてくれる確証はない。

それに万が一。私が彼を想うように、彼もまた私以外の誰かを想っているのだとすれば。

私の告白は、彼にとって邪魔にしかならない。ならいっそ、黙っていてもよいのでは。

 

 

「馬鹿じゃないの? 今生の別れになるかもしれないなら、告げなきゃ後悔するわよ」

 

「それは……でも」

 

「はぁ……呆れた。オフェリア、アンタなにか勘違いしてない?」

 

 

瞳を閉じて眉根を寄せる彼女は、口にした通り呆れ果てているようだ。

そんな彼女の態度に腹が立たないでもないが、それ以上に彼女の言葉が気にかかる。

 

 

「勘違い?」

 

「そ。勘違い」

 

「私が何を勘違いしていると?」

 

 

若干の苛立ちを込めたためか、僅かに語調が荒くなるが、気にせずヒナコが言葉を返す。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「———な」

 

 

本当に何でもない事のように答える彼女。信じられないという目で見つめる私。

その言葉の意味を理解するのに数秒を要するほど、彼女の言葉は確信を突いていた。

 

 

「私は虞美人(わたし)として、項羽様をお慕いしているわ。今も変わらずに。けれど一度だって私は

 この想いに応えてもらいたいと思った事はないし、報いてほしいとも思わない」

 

「それは、何故?」

 

「愚問ね。私にとって項羽様がいらっしゃる事、そしてその傍らに侍る事。それこそが

 何物にも代え難い幸福であったというだけ。私個人の想いで相手を縛るなんて傲慢よ」

 

「傲、慢……」

 

 

考えたこともなかった。人は思いを言葉に乗せて、相手へ届ける。その応酬こそが会話であり

意思の疎通であり、愛であるはず。なのに彼女はそれを傲慢と言い切り、ただ其処に在る事を

望むと口にした。同じ女性として、その願いが如何に慎まやかで細やかなものか理解できる。

 

 

「いま私の願いを、慎まやかだとでも感じたのでしょう。それが愚かだというのよ」

 

「えっ? ど、どうして?」

 

 

ところが彼女は、私の抱いた所感を見抜いたばかりか、愚かしいと告げてきた。

考えを見抜かれたことにも驚いたけれど、それ以上に彼女の表現の辛辣さに驚きを隠せない。

もう何度目かになる「何故」を問う。またも呆れたような目で私を見つめつつ彼女は答えた。

 

 

「慎まやかであるはずがないわ。ただ一人の傍らに在る、これを強欲と呼ばず何と呼ぶ?」

 

「強欲…?」

 

「そう、強欲。あれもこれもと欲するばかりが強欲ではないわ。これも強欲の形の一つ。

 じゃあ聞くけれど、『それさえあれば何も要らない』とは、慎まやかだと言えるの?」

 

 

ヒナコからの問いかけを私なりに考える。なるほど、ただ一つを求めることも強欲なのね。

彼女が言いたいのは、「一つのもの以外要らない」という取捨ではなく、「その一つだけは

何があっても手に入れる」という執着。他の一切を捨ててでも手にするという執念にある。

 

 

「それは……いえ。確かに強欲と言えるかもしれないわ」

 

「言えるのよ。唯一を求めることは強欲で、無二を示すことは傲慢。これぞ人間そのもの。

 常に他者へ望み、他者から望まれる事を求める欲望の権化。醜いったらありゃしない」

 

「…………………」

 

「ただ同じ時を共にする。言葉が通じずとも、こちらの想いが通じずとも。在るだけでいい。

 多くを望まず、ただ一つを欲する。オフェリア、あなたはどんな強欲さで在りたいの?」

 

 

言葉が出ない。ヒナコの言葉には、人間では到達しえない領域の主観が垣間見えたから。

寿命に縛られる生物には理解し難い、変化のない自己を尊重する考え方。存在する事を尊ぶ。

私には分からない。知ってほしいし、知りたい。そう思う事が傲慢だと、何故言い切れる?

当たり前のことではないの? 当たり前ではあるのよね。人間としての当たり前。

 

人とは違う視点での幸福を語られても、実感が湧くかと言われると肯定できない。

でも、彼ならば。ゼベルならばヒナコの視点でも、自分の答えを出す事が出来るのかな。

 

 

「私は虞美人であって、芥ヒナコではないわ。けれど、()()()()()()()()()()()()()()

 

「矛盾してる」

 

「してないわよ。項羽様の傍らに侍る虞美人と、ゼベルの隣に在る芥ヒナコは別人だもの。

 両者は同一人物ではあっても、同一存在ではない。私は私。虞美人(わたし)芥ヒナコ(わたし)は違う」

 

「…………」

 

「互いにとって心の寄る辺に寄り添うことが幸せとして。私はどちらも選べる。

 虞美人にとって項羽様がそうであり、芥ヒナコにとってゼベルがそうであるように」

 

 

いつも本に遮られていた彼女の表情は、今度こそ穏やかで柔和なものに変わっていて。

それが彼を想ってのものであると気付くと、途端に私にとって不吉なものへと変じる。

とにかく。彼女が言いたいことは理解した。それを伝えてくれた意図も、ある程度読めた。

 

あとの問題は、私自身がどうするか。

 

 

「私は私の為に幸福を探す。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「———‼」

 

 

淡々と物事を語る彼女らしからぬ、まるで誰かの受け売りのような言葉に、心が震える。

 

そうよ。そうだわ。一度投げ打とうとしたこの命、不幸を嘆くために拾ったわけじゃない。

私が思い描く『幸せ』のために、希望に縋りついて得た。無駄にするなんて有り得ないわ。

 

本当の意味で目が覚めた気分。この期に及んで日和っていたら、それこそ後悔していた。

もう大丈夫。もう迷わない。一番大事なことさえ自分が分かっていたなら、それでいいの。

彼に想いを伝える事。その先を考えても意味はない。離れ離れになるからこそ繋ぎ止める。

 

受け入れられなかったとしても。拒まれたとしても。

 

それでも———私は確実に、前へ進めるようになるのだから。

 

 

「ありがとう、ヒナコ」

 

「……礼を言われる筋合いなんか」

 

 

乱れていた心に落ち着きを取り戻し、なんだかんだで私を立ち直らせてくれた目の前の

彼女に礼をする。本人はぶっきらぼうに返事をしたつもりらしいけど、照れ顔をうまく

隠せていないのが丸分かりで。そんな仕草がどうにも、意中の彼を想起させる。

 

ヒナコの後押しを受け、決意を固めた。

今度こそ逃げたりしない。先がどうなろうと、私は誰より私に正直になるのだから。

 

 

「———いってくるわ」

 

「———いってらっしゃい」

 

 

短く言葉を交わし、彼女に背を向けて駆け出す。たかが十数歩の距離も今はもどかしい。

ものの五秒とかからず彼の居る会議室へ戻り、走った勢いに任せて扉を開け放つ。

 

突然大きな音を立てて開いた扉に驚いたのか、目を丸くしているゼベルが左目に映る。

 

胸が高鳴る。鼓動が早まる。顔が熱くなる。これ以上の自覚症状はないだろう。

何度でも確信する。私は彼が、ゼベル・アレイスターが一人の女として好きなのだと。

右の『魔眼』が無い今では、未来の可能性を視ることもできない。けど、それでいい。

 

 

「ゼベル———大事な話があるの」

 

 

この高揚を、この興奮を、私は忘れないでいたいから。

 

 

 

 

 

 

 










いかがだったでしょうか?

先輩ったら恋愛相談においても先輩ぶりを発揮するだなんて……。
前々回から株爆上がりしすぎて止まりそうにないんですが?
君用のヒロインの座は無いの。だからって正ヒロインの座を奪わないで!


それでは次回、いよいよオフェリア告白の時!


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