Lostbelt No.8 「極東融合衆国 日本」 作:萃夢想天
実は前回の投稿後から、「ifオリオン」な感じの
別作品を投稿しておりまして……ええ。
それが投稿遅延の主な理由になります…。
すみません。まさかあんなに人気が出るとは
思いませんでして……心から反省しております。
さて、この作品も佳境に差し掛かり、
未だ謎が残されてはおりますが、
ここから一気にクライマックスへ向かいます!
どうか皆様、最後までお付き合いください!
それでは、どうぞ!
「カリギュラ…!」
私たちのピンチに颯爽と現れたのは、
黄金の鎧と真紅のマントに身を包む狂える暴君。
バーサーカーとして狂気に身を浸しながら、
何故か理性を取り戻した稀有なサーヴァント。
「おお、マスター! よくぞご無事でいらっしゃいました!」
「ジル・ド・レェまで…ありがとう!」
「いえ。貴女様の御傍に侍らせていただく身であれば、当然の働きでありますれば」
粘性の高い黒々とした液体がこびりついた腕を見つめるカリギュラの登場に驚いていると、私の背後からカリギュラの拘束に尽力していたはずのジル・ド・レェ元帥が歩み寄ってきた。
彼は私に恭しく一礼。宝具にして海魔を無限に召喚する魔本を霊体化すると、私の近くに展開させていた海魔たちの姿を消し去った。一瞬の戦闘でも私に被害が及ばないように配慮してくれていたようだ。私はジル・ド・レェにも感謝を伝え、改めて正面に向き直る。
「い、いったい何だったのだ今のは……」
「……消滅前の口ぶりから察するに、ゼベル・アレイスターの契約したフォーリナーによる口封じの可能性が高いでしょう。彼、山岡鉄舟もフォーリナーの生産する怪物を魔力タンクとして現界していたようですので。その繋がりを逆手に取られたのかと」
「そんなおっそろしいことが出来るのか、あのサーヴァントは…」
血飛沫の代わりにノーチラスデッキ内に飛散した黒い液体。その中心点には、セイバークラスのサーヴァントである山岡鉄舟の姿は無い。不意を突いたカリギュラの一撃で霊核もろとも霊基を砕かれたのだろうか。
しっかりとお礼を言うこともできなかった。
彼はこの異聞帯に星の断末魔によって召喚され、戦ってくれていたのに。私たちが到着するまで、逆転の切り札を残しておいてくれていたのに。
それに、聞きたいことはまだたくさんあった。
彼は言った。ゼベルさんの目的は「人理抹消」であると。
いったいどんな事を起こすつもりだったのか、私には分からない。それでも、少し話した程度でもゼベルさんの優しさは感じられた。
だからこそ、分からない。
あんなに優しい人がなぜ、「人理抹消」なんて恐ろしい計画を立てたのか。
「…………分からないよ」
「先輩? どうかされましたか?」
「…ううん。なんでもない」
加えて、もう一つ。山岡鉄舟はなぜ、ゼベルさんを殺そうとしたのか。
裏切るというのは分かる。もともと彼は汎人類史側のサーヴァントだ。異聞帯の側についた他のサーヴァントの方が正しく裏切者であるとも。
でも、それがゼベルさんを殺そうとすることと、どう繋がるのか。私たちの助けになってくれていたことは明白で、感謝もしている。けれど、生涯不殺を貫いたはずの山岡鉄舟がゼベルさんを殺す為にわざわざ刀を使って切り殺そうとする意図がさっぱり読めないままだ。
「マスター、如何なされた?」
「大丈夫だよ、薛仁貴。ありがとう」
黒い怪生物が目の前で誕生しようとしていた際、私に討伐の許可を求めていた薛仁貴もマシュと同じように私の事を気にかけてくれる。
そうだ。私がしっかりしなきゃ。もっとちゃんとしてなきゃダメだ。
私は人類最後のマスターで、四つの異聞帯を滅ぼした汎人類史の旗印。
マシュの方が私よりもずっと長く深く、ゼベルさんと関わりがあるんだ。私よりも心配なはずだ。刀で体を貫かれて、そのまま別れたっきりで。おまけに「人理抹消」なんて企みがあったことを聞かされて。
中国異聞帯でも、ゼベルさんを信頼するあまり攻撃に気付かなかったほど。それぐらいにマシュは彼を信じている。兄のような存在と自身も言っていた。
だから、私が弱気になってどうするの。
立たなきゃ。私は、人類最後の、マスターなんだから。
「………ふむ」
両膝に手をついて起き上がる私をホームズが見ているとも気付かず、オルテナウス装備を一部解除したマシュと目を合わせ、頷く。
私が立ち上がるのを待っていたかのように、ゴルドルフ新所長が声を上げる。
「と、とにかく! 先のセイバーからの証言で今後の我々の取る方針が定まった! まずはクリプター、いや、脱退したとか言っていたような気もするが…。それはいい! アレイスターめの野望を阻止する! まずその第一歩だ!」
「その為に、彼の配下であるランサーを倒す。それが最優先目標でしょう」
ホームズの提案に、場の誰もが首肯する。私もマシュもそれに倣う。
これからの動き方が決まったことで、動き出す我らカルデア一同。
しかし、その前に私たちが此処に戻ってきた理由への対処を考えねば。
『決まりだね! けどその前に、接近してくる神霊の方を……あれ?』
ダヴィンチちゃんから報告を受け、この日本異聞帯を覆う『嵐の壁』を突破してきた神霊級サーヴァントの撃退の為にノーチラスへ帰艦した。
高速で迫ってきている相手にゼベルさんは心当たりがあったみたいで、自分の邪魔をしに来ているのだと半ば確信している様子でもあった。そんなサーヴァントを現状の戦力でどうにか撃退しなきゃいけないんだけど。
「ん? どうしたんだ、ダ・ヴィンチ?」
ノーチラスと接続状態にあるダヴィンチちゃんがスピーカー越しに首を傾げているのが声の調子から分かる。彼女の変化に気付いたホームズが問いかけると、艦内放送で返事が返ってきた。
『神霊の反応、停止して…いや!? 引き返していく!』
「お、おお? それはホントかね技術顧問!」
『うん! でも、急にどうして…?』
「…考えても分からないことに時間を割く余裕はない。今は何をおいても、ゼベル・アレイスターの目論む『人理抹消』の阻止の為に彼の指揮下にあるランサーの撃破を最優先しなくては」
ダヴィンチちゃんの言葉を信じるなら、接近していた神霊サーヴァントは撤退していくようだ。理由の不透明さが不気味だけど、正直心もとない戦力差で戦う必要がなくなったと考えるなら安心できる部分もある。ホームズの言う通り、考えても仕方ないことはひとまずおいておこう。
「では、藤丸立香! ここからが日本異聞帯を攻略する分水嶺だ! 敵が撤退した今こそが好機、このノーチラスで4時間ほど休息を取った後にサーヴァントを伴い壁の内側に残ったノートン一世と合流。全戦力を結集させてからアレイスターのサーヴァントと決戦だ!」
「……はい!」
ゴルドルフ新所長の号令を聞き、気持ちを一新させる。この異聞帯にきてまだ三日目だというのに、もう最後の戦いになるのかと思うと身体が疲れを思い出したように重くなっていく。今までの異聞帯では少なくても一週間近くは滞在してたから良くも悪くも異聞帯を理解できた。
でも、今回は違う。神が人に使役される世界で、人々が自分の力で歩むことを忘れた世界。私が自身の眼で見られた世界は、今までよりも遥かに狭く短い。理解すればするほど最後が辛くなるって前に新所長が言ってくれたけど、それでも私は知っておかなきゃいけないから。
自分たちのいた世界を守るという傲慢を貫く。そう決めて、歩んで、既に他の世界を四つも滅ぼしたんだから。
「……私は」
ノーチラスに組み込まれたシャドウ・ボーダー内にあるマスター専用のマイルーム。ノウム・カルデアにあるマイルームより少々手狭な空間で独り呟く。いけない、誰もいないと心が弱る。
白い天井を無心で眺めていると、マイルームの扉が軽やかに二度叩かれた。
「マスター・立香。私だ。少々よろしいかな?」
「ホームズ? どうぞ、入ってきて」
「失礼するよ」
ノックの正体は名探偵だったようだ。マシュはダヴィンチちゃんと最後の調整をしに行っており、ノーチラスに一緒に戻ってきた薛仁貴もジル・ド・レェやカリギュラと連携について話し合っているからここにはいない。けど、ホームズがわざわざ来るなんて何かあったのかな。
薄っすらと笑みを湛えたクールな表情でやってきた彼は、パイプ片手にベッドで横になっている私の顔を覗き込んでくる。
「な、なに?」
「…いや、気分が優れないのかと思っていたのだが。それは違ったようでなによりだ」
「えと、何か用事があったから来たんじゃないの?」
「ふむ。流石はマスター。では、単刀直入に。質問に答えてもらいたい」
余計な心配は必要ない、と判断したのだろうか。眉根が少し下がっていた彼は瞳を閉じ、再び開かれた時にはもう私立探偵としての顔に変わっていた。群青の双眸が、私を真っ直ぐ見つめる。
「最初から裏切る算段だったとはいえ、一度はゼベル・アレイスターの指揮下に加わった山岡鉄舟…あのセイバーに対し、君は『信じたい』と言っていたね。
「……え?」
真剣な表情で尋ねられた質問。私にはその意味が理解できなかった。
「どういうこと?」
「……無自覚、というわけでもないようだ。ではその辺りから聞くことにしようか」
マイルームの機械的デザインの椅子に腰かけ、ホームズが「前置きとして」と語りだす。
「ゼベル・アレイスターとの会談。私としてはこの異聞帯、ひいてはクリプターや【異星の神】に関する情報を得る場として期待していたが、君はそうした打算とは異なる部分に期待を見出していた。違うかな?」
「……何が言いたいの?」
「
「………」
「重要なのは、彼の言葉。そう、我々カルデアと敵対する理由がない。これに尽きる。我々にとって異聞帯の除去及び空想樹の切除は決定事項だ。成し遂げなくてはならない要素。仮にゼベル・アレイスターをカドック・ゼムルプスと同様に捕虜にできたとして、君は彼に共闘を提案しないと言い切れるのだろうか?」
「そ、れは…」
ホームズの語り口に、言葉が詰まる。それが答えだった。
「君は提案するだろう。共に人理を救う仲間として、手を差し出すだろう。彼がそうしたように。マスター・立香、君が傷つくことを承知で問う。何故、彼を信じられる?」
「っ…!」
反射的に起き上がり、この半年近くで体に馴染んでしまった黒い制服のような魔術礼装のスカート裾をぎゅっと握りしめる。ホームズの言葉に、私の全てを否定されたような気がして。
無論、そんなことはない。心配して、敢えて詰問する形で忠告してくれているのだと、長い付き合いで分かる。それでも、信じたいと思うことまで捨てさせられるというのは、耐えられなくて。
「私はっ!」
「インド異聞帯ではスカンジナビア・ペペロンチーノと一時的に共闘した。それはあくまで互いに共闘するメリットがあったから。共闘せねば倒せない、共通の敵がいたから成立した関係だ」
「………」
「しかし、今回は違う。異聞帯の王も空想樹も所在が掴めず、彼はそれを秘している。さらには『人理抹消』という聞き捨てならない野望を果たそうとすらしている。我々の立場上、彼の行いは決して黙認できない。我々は必ず、彼を打倒しなければならないんだよ」
「……分かってる、分かってるよ」
ホームズの射貫くような視線に耐え切れず、俯く。いつの間にか握りしめていたはずの手から力は抜けていた。
本当は分かってたんだ。ただの妄想だって。
こうなったらいいな、程度の話だって。
でもさ。信じたくなっちゃったんだよ。
「分かってるけど……私たちのしてきたことを初めて認めてくれた人を、頑張ったなって褒めてくれた人を、信じたいって思っちゃいけないの!? 私たちの旅を、ゼベルさんは…!」
「……ああ。そうだね。彼は心から、君とマシュを労っていた。生存したカルデア職員に懺悔していた。彼の言動、態度。そのどちらにも、嘘偽りはなかったとも」
目の端から滴が零れ落ちる。喉が熱く震える。声が上擦る。視界がぼやけて、歪んでいく。
ありがとう、って言ってくれたんだ。
頑張ったな、って褒めてくれたんだ。
辛かったな、って慰めてくれたんだ。
今まで背負い続けてきた重荷。知らずに背負うことに慣れていた責任。
ゼベルさんだけがそれらを「背負わせてゴメンな」って、謝ってくれたんだ。
「どうしても戦わなきゃいけないって、分かってるんだよ! でも、でも…!」
「信じることが君にとっての戦い、か。想像以上に君の奥底に焼き付いてしまっていたようだ。すまない、マスター・立香。戦わなければならない君は、
涙を拭うこともしない。俯いたまま、手にポタポタと落ちる滴を睨みつける。
「ゼベル・アレイスターと戦う。その為に、彼を裏切ってこちらの味方になると言ったセイバーを信じなければならない、と。全て、君の戦うという決意に基づいた言動だったわけだ」
「……矛盾してるよね」
「矛盾しているし、破綻している。信じたいと願った相手を殺害しかけた裏切者を、損得勘定を加味したとしてもすぐさま信じると判断した。改めて言おう。それは、歪みだと」
「歪み……」
世界を救った責任がある。世界を滅ぼした責任がある。
だから私は、戦わなくちゃいけない。
もう止まれないから。引き返せないから。
私にできることをすること。それが私の戦い。
「……すまない、ムネーモシュネー。君の危惧は正しかった」
「ホームズ?」
「いや……そうだね。君が背負うものを私は否定しない。君が戦うと決意した思いを私は否定できない。ただ、これだけは伝えておきたい。マスター・立香」
「なに?」
天井の光源から放たれる光が視界の歪みをさらに酷いものにしていく。ぐにゃぐにゃに輝いている視線で、どんな表情をしているか窺えないホームズが静かに、確かに口にする。
「ゼベル・アレイスターの言ったとおりだ。君一人で背負うべきものではない」
「………でも」
ゼベルさんも言ってた。私が背負ったもの、今なお背負い続けているものは、本来48人総出で背負い立ち向かうべきものだったと。そんな重荷を私だけに預けて申し訳なかったと。
だとしても、私しかいないんだから。私が一度背負ってしまったのだから。投げ出せない。逃げ出せない。諦められない。私がこの重荷を降ろしてしまえば、そしたら…。
「
――瞬間、身体から熱が消え去った。
頬を伝う滴をそのままに、歪んだ顔つきになった探偵が続けて告げる。
「今までだって、これからだって。世界を救うのは君だけではない。世界を救ったのは君一人ではない。我々は、カルデア。最初から最後まで、世界を救う為に在る組織のはずだ」
「っ!」
「我々は、君と共に世界を救った。これからも、君と共に世界を救う。世界を救った責任も、救うために滅ぼした責任も、共に背負っている。背負い続ける。その為だけに我々は在る」
「ホームズ…! わたし、わたし…!」
「初歩的なことだ、友よ。独りで世界は救えないし、独りでは救われないのだから」
いつもと同じ、平淡な口調。だというのに、どこか優しい温もりがあって。
ホームズが目の前にいるというのに。そんなこと気にする余裕も無くて。
いつぶりだろう。人前で泣いたの。弱音を吐き出しちゃったの。
もう、覚えていない。
「ハァ!? 戻ってこいだぁ!? なんの冗談だキリシュタリア‼」
日本異聞帯の海上。褐色肌の上に灰白の軽鎧をまとう神霊カイニスは吠える。
カイニスが犬歯を剥き出しに怒鳴った相手は、蒼白いホログラムに映った魔術師。
『この状況で冗談を言うタイプだと思っていたのかい? なんというか、意外だ』
「んなワケあるかドアホ‼ 言葉の綾ってもんがあるだろうが‼」
『ああ、そうか。済まない。君の私への人物評が大幅に変更されたのかと』
「だーー! テメェのそういうところがホンット腹立つんだよ‼」
厳か装飾に満ちた礼服を着飾る金髪の魔術師、キリシュタリア・ヴォーダイム。
クリプターを束ねるリーダーにして、神霊カイニスを従えるマスターでもある。
そんな彼が、今まさに日本異聞帯に突入してきたカイニスに帰還しろと命じたのだ。先程のやり取りだけでも仕える主君に忠実な性格とは思えないカイニスは、通信礼装越しに舌打つ。
「チッ! で、戻ってこいって命令はマジなのか?」
『無論、
「済まないと思ってる奴のツラかよ。ったく……けど、いいのか?」
『なにがだい?』
海神の寵愛を受けた逸話を有する神霊カイニスは、海上を行くのみならず海に近ければ近いほど効果が上昇する加護がスキルとして存在する。そんなカイニスはさざ波を足蹴に尋ねた。
「日本異聞帯の空想樹切って、潰すって話だったろ」
『その点は問題ない。対処は講じてある』
「ほーん。んじゃ、あの雑魚の処分はどーすんだ?」
『……処分?』
カイニスはマスターであるキリシュタリアの命により、日本異聞帯の何処かにある空想樹の切除を目的として海を渡って来ていた。異聞帯の往来は面倒ではあるものの苦ではない為、戻れと言われて反抗する理由はない。
だが、それと並行して果たす予定だった日本異聞帯の管理運営担当者、クリプターを脱退した男の口封じも自分がやらずに帰ってもよいのかと暗に尋ねたカイニス。
しかし、当のマスターは目尻を細めて問い返してきた。
「……そっちも対処は講じてあるってのか?」
『いや、済まないカイニス。処分とはどういう意味かな?』
「はぁ?」
キリシュタリアが首を傾げながら、カイニスに問いを投げ返す。これに驚いたのはカイニスだ。
「いや、どういう意味も何も、空想樹切って異聞帯潰したら、カルデアに情報引っこ抜かれねぇようにゼベルって野郎を始末しろって話だったろ?」
『……口封じの為に彼を殺すつもりだったのかい?』
「あ? そう言ったのはお前だろ?」
おかしい。話が噛み合わない。ホログラム越しにマスターとサーヴァントは同時に首を傾げる。
顎に手袋越しの細い指を当て、ふむと考え込むキリシュタリア。そして彼は目を見開く。
『まさか、カイニス。君はゼベルを殺せと私が命じたと思っているのかな』
「思うも何も、そう言って……あん?」
『言っていないよ、カイニス。私は日本異聞帯の空想樹を切除してくれと頼みはしたが、ゼベルの処遇については明言していない。あの場にはコヤンスカヤもいたからね』
「……ハァ!? じゃ、じゃあなにか? あの雑魚を始末するって話は…!?」
『君の勘違いだよ』
ちゃぷん、と。
カイニスの足元を日本海の波が通過する。
「――ざっけんなテメェ‼ 言えよ! そういう大事なとこは‼」
途端に怒号が逆巻く渦を生み出し、カイニスを中心として小規模な嵐が海を荒らす。
逆上する神霊の怒りをホログラム越しに眺めるマスターは、沈痛そうな面持ちで答える。
『…済まない。君と私の仲だから、以心伝心でも大丈夫だろうと思って……』
「んなっ!? て、テメェはバカか!? 念話してもねぇのに伝わるかボケ‼」
『そうか、伝わらないか。まだまだマスターとして君に信頼されていない証拠だね…』
「がぁぁぁぁぁ‼ 落ち込むな! 拗ねんな! いじけんな!」
『いじけてなんていないとも。ちゃんと言葉にしなかった私のミスだ』
「不満そうなツラして言えたセリフか! あぁもう! 俺が悪かったよ!」
怒りながら自分の非を認めるという、えらく器用なことをしながらカイニスは鼻を鳴らす。
「とにかくだ! 空想樹切除も、ゼベルの処遇も、そっちに任せていいんだな!?」
『ああ、そうだ。いや、彼女がとても意欲的でね……熱意に根負けしてしまったよ』
「…? まぁお前がいいならいいや。そんで、オレは戻ったら何すりゃいい?」
自分の気分で波模様を一変させていることも意に介さず、カイニスはマスターに指示を乞う。
キリシュタリアは「その前にひとついいかい?」と前置き、尋ねる。
『カイニス。君の所感でいい。その異聞帯、何か感じるかな?』
「あァ? なんだそりゃ」
『ふむ……いや、君にも話しておくべきか』
自分の話をさておかれたカイニスは機嫌を損ねるが、マスターの顔つきが真面目なものに変化したことを察すると、しっかりと聞き入れるべく佇まいを正した。
自らのサーヴァントが真剣になったことを確認したキリシュタリアは語る。
『君が日本異聞帯へ旅立ってから少し後、言峰…いや、ラスプーチンと呼んだ方がいいかな?
とにかく、ラスプーチンとリンボが話しているのを偶然耳にしてしまったんだ』
「……偶然、ねぇ」
『偶然だとも。そこで二人の会話内容で私が気になった部分があってね』
「どんなんだ?」
『リンボが日本異聞帯に、
リンボ。マスターが口にしたその名を、カイニスも知っている。
キャスター・リンボを自称する【異星の神】に仕えし三騎のアルターエゴの一騎。
この世の一切を嘲弄せんと言わんばかりにあらゆる命を弄び、他の異聞帯に直接間接問わず介入して好き放題に引っ掻き回す、真性の外道。根本から腐りきった最低最悪の屑。
そう認識していたカイニスは、キリシュタリアの言葉を聞き、考えを口にする。
「アイツ、インドにご執心だったらしいじゃねぇか。それで手を出し損ねたとかだろ」
『式神で自分をある程度増やしておける彼に、時と場所はさほど重要ではないんだ』
「……そこにあのエセ神父野郎との話が関わってくるわけか」
『そうだ』
カイニスの仮説をやんわりと否定したキリシュタリアは、要所を掻い摘んで伝える。
『ラスプーチンとの会話の中で分かったことがある』
「なんだ?」
『インド異聞帯がリンボの関心を強く惹いたのとは反対に、日本異聞帯は彼の興味を掻き立てる要素が無いのだろう。私は当初、そのように予想した。しかし、どうやら違ったらしい』
「って言うと?」
『ラスプーチン曰く、「手を出す理由がないのではなく、手を出せない理由がある」ようだ』
「……あの野郎が手出しできねぇ理由?」
目を細め、思考を高速回転させるカイニス。
サーヴァントが考える合間すら待つことなく、キリシュタリアは結論を語った。
『加えて、異聞帯を視察しに行かせたコヤンスカヤをして警戒させる存在があるという。
分かるかい、カイニス。どうやらその日本異聞帯、何か良くないモノがあるみたいだよ』
「……リンボの野郎はともかく、女狐が警戒するほどのモンが此処に?」
『信じられないかい?』
「……いや。わざわざ俺に言ったってことは、そういうことだろ」
『おお、今度は伝わったようで安心したよ。では、気を付けて戻ってきてくれ』
「うっせバーカ」
通信を強引に切断したカイニスは、似つかわしくないほど柔和に微笑んでいたホログラム越しのマスターに罵倒の言葉を漏らしつつ、踵を返して元来た海路を引き返していく。
海を裂くように移動するカイニスは、ちらりと有り得ざる歴史を辿った日本を振り返る。
「……胸糞悪ぃ。神が人の為にあるだと? 莫迦にすんのも大概にしろ」
悪態を吐き捨て、灰白の軽鎧をまとう褐色肌の神霊は、嵐の壁を突き破っていった。
「これで満足かい、オフェリア?」
「ええ。私が必ず、彼を連れ戻してみせるから」
「そうか。では、任せるよ」