どうやら見たことのない映画の世界らしい。
気がついたら、見たことのない場所にいた。
少なくとも日本じゃないとわかったのは街並と、その道をたまたま通りかかった乗り物が馬車であった事、それに乗った人たちの顔が、どう見ても外人顔だった事からだ。
そこまで確認したところで、アタシが身につけているのが昨日の晩、寝る前に着たパフスリーブの麻のネグリジェ一枚と下着のみで、間違っても人前に出られる格好じゃないと気付いて、一瞬自分の体をぎゅっと抱きしめたが、ふと周囲を見渡せば、歩いている女性たちが身につけているものが、アタシほど薄着ではないにせよ、デザイン的に大差ない事にも気がついた。
もっとも、裸足なのは如何ともし難い。
というか風呂上がりにこれを着て、明日も早いからさあ寝ようと思った記憶はあるが、そういえばベッドに入った記憶はない。
ミネラルウォーターのペットボトルを呷って、部屋に湿気がこもっていたので窓を開け、そこから見える月がやけに大きく見えて……気がついたらここにいたのだ。
「お嬢ちゃん。
こんなところに一人で、何してるんだい?」
と、通り過ぎようとしていた馬車が止まり、御者をしていた男が声をかけてくる。
それはどう聞いても日本語ではない言葉だったが、何故か普通に理解できた。
つか、40もとうに過ぎたオバチャンに向かってお嬢ちゃんってなんだ。
「こんなところと言われましても…ここはどこですか?」
そして、そう答えたアタシが発した言葉もまた日本語ではない事に、一拍遅れて気がついた。
気のせいか、聞こえた自分の声にもどこか張りがあるような気がする。
「どこって、アクイラの街道だけど…お嬢ちゃん、迷子なのかい?」
アクイラ…そう言われてもピンと来ないが街の名前だろうか。
ともあれ、迷子なのかという問いには曖昧に頷く。
この年齢で迷子扱いされた事はどうなのと思うが、実際ここがどこなのか、どこへ行けば家に帰れるのか、そもそも何故ここにいるのかわからないのだから、意味的には間違いじゃない。
そのアタシの反応を肯定と判断したようで、男は一旦御者席を降りると、アタシに歩み寄った。
「そうかい。それなら、おじさんが街まで乗せてってや……えっ!!?」
男の言葉が途中で止まったのは、彼が差し出してきた手に、唐突に飛んできた大きな鳥が留まったからだ。
あまり詳しくないのでよくわからないが猛禽…恐らくは鷹というやつではないかと思う。
「あだだっ!!な、なんだコイツ!」
そしてその鷹は、何故か留まった男の手の甲に、鋭い嘴で噛みついた。
痛みと驚きで振り払う男の手から逃れ、何事もなかったようにサッと飛び立つ。
同時にアタシの身体が、後ろから伸びてきた腕に捕らえられ、脚が地面から浮き上がった。
えっ!?
「すまんが、これは迷子ではなく俺の娘だ。
どこの国から来た奴隷商人かは知らぬが、攫って売り飛ばす気なら他をあたるのだな」
そして、抱えられたアタシの頭の上から、渋くて素敵な声が、まるでわざと周囲に聞かせるようにして張り上げられる。
あー、この声、アタシの好きなハリウッド俳優の吹き替えやってる日本の俳優の声に似てるわー。
確かツカヤマ…?何たらって人。
てゆーか、えっ?
一瞬声に聞き惚れて聞き流しそうになってたけど、今なにか物騒な事言ってなかった!?
「と、とんでもない!」
声をかけてきていた馬車の男が、飛び退くようにしてアタシから離れる。
ものすごい速さで御者席に戻り、逃げるようにして去っていく馬車を、アタシは呆然と見送った。
それが残した砂ぼこりが晴れたあたりで、ようやく浮いていた脚が地面に降ろされる。
振り返ると、黒い鎧を身につけた、くすんだ金髪の白人男性が、頭ひとつ半以上高い位置からアタシを見下ろしていた。
その後方に荷物を乗せられ鞍を置かれた大きな黒い馬が、足元の地面を掻いているが、これはどうやら彼の連れらしい。
…あれ。この人、昔見た近未来SF映画の敵役の俳優にソックリだ。名前忘れたけど。
年の頃は40代はじめ〜半ばくらいの、多分アタシとほぼ同世代。
顔だけ見れば、さっきの『奴隷商人』よりも、彼の方がよほど悪人顔に見える。
ふと、左腕が軽く上げられ、その腕に先ほどの鷹が飛んできて、留まった。
そうしてから再び、その青い瞳がアタシに向けられる。
唇が、先ほどと同様の美声で言葉を紡いだ。
「危ないところだったな。
あの馬車の荷台に、同じくらいの年齢のボロを着た子供が、何人もいたのが見えなかったか?
恐らくは借金を抱えた親から買い取ったり、迷ってるところを攫ったりして集めてきた『商品』だ。
もっとも、奴隷取引自体はこの国では違法ではないから、彼女が助けようとしたのでなければ、俺も手出しはしなかったが」
男はそう言って腕に留まる鷹の、首筋を指先で撫でる。
彼女、と言ったところを見るとこの鷹は雌であるようだ。
「そもそも、こんな場所に子供がひとりで歩いているなど、攫ってくれと言っているようなものだ。
親はどこにいるんだ?」
「いや、なんですか子供、子供って。
アタシが親に守られてるような年齢じゃないことくらい、見てわかるでしょうが。
確かに子供がいたのは見えましたが、だからってすぐに奴隷商人って発想は出てきませんし、ましてやいい大人が、注意してなきゃ拐われるとか、思いもよりませんから!」
いくら美声だからって失礼な物言いが誤魔化せると思うか。
割と背は低い方だと自覚してはいるが、体格で若く見える年代はとうに過ぎ去っている。
なんで同世代の男に、子供扱いされねばならないのだ。
ちょっとムッとして、どうやら助けてもらった直後であるにもかかわらず、アタシは黒鎧の男を睨みつけた。
だが、睨まれた男は、アタシが何故機嫌を損ねたか判らないとでも言うように、キョトンとした表情を浮かべる。
「……子供だろう。
どう見ても、12、3歳ほどにしか見えん」
「なワケあるかい!!」
思い切りつっこんでから、ハッとする。
いや、実はさっきから気にはなっていた。
頭を動かすたびに、顔の両脇で揺れる黒い毛束が。
その毛束に恐る恐る指を触れ、握って引けば、頭皮が引っ張られる痛みを確かに感じた。
自慢じゃないがアタシの四十余年の人生で髪が視界の端に映るほど長かった時期など、唯一色気付いていた高校の3年間の時を於いて他にない。
高校1年の時に同じクラスの男子に遅い初恋をし、なんでも話せる親友ポジションを勝ち取って、彼が長い髪の女の子が好きだと聞いてから伸ばし始め、卒業式の日に告白して『お前には男の友達と同じ感情しか持てない』という言葉で振られたその日に切って以来、月に一度のメンテナンスを欠かさず常にスッキリと短いままだ。
ふと、何かから反射した光が一瞬、目をかすめた。
反射的にその方向に目をやれば、男が腰から提げた剣の、銀色の鞘が目に入った。
無駄にピカピカしたそれに細長く、長い黒髪の女の子が映る。
その姿は、多少歪んで映ってはいたが、確かに一番髪を長くしていた頃、17、8歳の頃のアタシの顔だった。
待て、誰が12、3歳の子供だ。
結局失礼な事には変わりねえじゃねえか。
「ブブー!どっちも不正解っ!!
スーパーひ○し君、没収〜!!」
混乱したアタシは、そう叫んでぶっ倒れた。
…意識を完全に失う直前、男の手から飛んだ鷹が、倒れたアタシの胸の上に降り立って、心配するように鳴き声を上げた事だけ覚えてる。
☆☆☆
……目が覚めた時には、既に夜だった。
どうやらガッツリ野宿させられているらしく、それでもしっかりと毛布に包まれたアタシは、森の木々の枝の間から異様に大きく見える月の明かりに、容赦なく照らされて目を覚ました。
少し前まで、傍に火が焚かれていた痕跡があったが、それも今は消えて、木枝の燃えかすのみが残っている。
…寝て起きたら元に戻っているかと思ったが、そう甘くはなかったようだ。
「これから、どうしよう」
ここにくる前に見た月と同じくらい大きなそれを見上げてそう呟く。
どうやらアタシは、ラノベとかゲームとかによくある、異世界転移をしてしまったらしい。
転生…ではないと思う。死んだ覚えはない。
あの月に見入って窓から落っこちたとかなら別だが、多分そんな間抜けな事はしていないと思いたい。大人として。
大人…で思い出して、自分の身体を見下ろす。
30代後半から、それまでつかなかった部分に脂肪がつき始めて、気をつけていても若干怪しかったお腹周りが、今はスッキリしているのがわかる。
まあ元々凹凸に乏しい体型ではあったけど…ってやかましいわ。
確かに今のアタシは、何が原因かは知らないが若返っており、これはアタシの17、8歳頃の身体なんだろう。
背の低いのと幼児体形って事で、あの男に思春期前の少女と思われていたのは仕方ないのかもしれない。
あの奴隷商人からアタシを庇ってくれた時、自分の娘とか言ってて、奴隷商人もそれを信じてあっさり手を引いたし。
…そういえば、アタシをここに寝かせたのは多分あの男なのだろうが、彼は一体どこにいるのだろうか。
周囲を見渡しても、彼の姿はない。
あの黒い大きな馬は、少し離れた場所に立っていたが、どうやらその状態で眠っているようだ。
迷惑をかけたであろう事は間違いないので、せめてお礼くらいは言わねばならない。
と、少し離れた場所の木立が動き、音を立てたのが耳に届いて、反射的にそちらを振り返った。
暗がりの中に、輝く二つの点…それが、がさりと下生えを踏む音とともに近づいてきて、すぐにそれの正体が知れた。
──大きな、黒い狼。
二つの光点は、その目だった。
「………っ!!」
突然の遭遇に、アタシはあげかけた悲鳴を危うく呑み込む。
大声はこの獣を刺激する結果になりかねない。
狼と遭遇した時ってどうするんだっけ。
熊だったら死んだふり…は無駄だと聞いたような。
とりあえず目を合わせないようにしつつ、ゆっくり後退して…とか思いつつも、暗闇で光るその双眸から、なぜか目が離せない。
そんな事を考えながら、アタシは無意識に足を、後ろへ進めていたらしい。
裸足の踵が、どうやらとんがった石か何かを踏んで、思わず足を浮かせた途端、バランスの崩れた体が、大きく傾いで尻餅をつく。
「あだっ!」
考える間もなくあげてしまった声か、それとも転んだことによる急激な動きか、どちらが刺激となったのか判らないが、瞬間、狼の脚が地面を蹴ったのがわかった。
「駄目よ」
だが、次に響いてきた柔らかな声音が、アタシに今にも飛びかからんとしていた狼の動きを止める。
顔を上げて声のした方を窺うと、森の中には不似合いな、白いドレスを着た女性が、月明かりの中に立っていた。
「目を覚ましたのね、良かった。
……驚かせてしまってごめんなさいね。
私は昼間の状態でも割と意識は明確なのだけど、彼はこの姿の時には、獣の本能が上回る時があるらしいの」
…ちょっと何言ってるかわかんないです。
けど、狼は彼女の傍に歩み寄ると、その手に甘えるように頬を擦りつける。
狼の頭の横、一番ふかふかした部分を撫でるその女性は、年の頃は30そこそこといったところか、艶やかな金髪は勿体無いことに肩より短かったけれど、それ以外はいかにも貴婦人といった気品を、全身から漂わせていた。
そして…その完璧な美貌は、確か昔見た某○ットマンの映画で、キャッ○ウーマンを演じていた有名女優にソックリだった。
確かミシェル・ファ……いや、これ以上は利用規約に引っかかってしまう。止そう。
そうか、恐らくここは、彼女たちが出演する映画の世界なのだ。
せめてアタシの見たことのある映画であってくれれば、この後どうなるか予想くらいはできようものを、知らない映画では対処のしようもない。くそう。
「あら……?」
そんな事を考えていたら、少し驚いたような彼女の声が、アタシの意識を現実に引き戻した。
見れば、先程彼女の手に充分に撫でられて満足したらしい狼が、何故か側まで寄ってきており、アタシの手の匂いを訝しげに嗅いでいる。
こういう場合、犬ならば好きに嗅がせておいて、この時点で攻撃の意志がない犬であれば、そのまま顎から触れれば撫でさせてくれるんだが…この時、人間はつい頭を撫でにいきそうになるが、これはNG。
上から来る手に彼らは警戒心を抱いてしまうので、初対面の犬相手には必ずこの手順を踏みましょう。
という事で、その鼻の前にゆっくり掌を広げて、反応を窺う。
どうやら大丈夫のようなので、反対側の手で黒狼の顎に触れ……た、瞬間に、その変化は起きた。
「ひっ!!?」
アタシが触れた狼の姿が、黒鎧の男に変化する。
驚いて引っ込めようとした手首を、大きな手が掴んで引き戻した。
「ナバール!!」
驚いて叫ぶ美女の声に、男が立ち上がりながらそちらを振り返る。
「……見たか?
どうやら、こいつに触れている間は、俺は人間の姿でいられるらしい。
………イザボー、会いたかった…!」
「ああ……ナバール!!」
一目で愛し合う恋人たちとわかる男女は、月明かりの下、目に涙を溜めて互いの身体を抱きあった。
……アタシの手首を掴んだまま。
・・・
もう状況は説明しなくても判ったと思うが、美女イザボーさんは昼間の鷹だった。
そして黒鎧の騎士ナバールさんは、夜になると狼になる…比喩ではなく物理的に。
このアクイラ(国名なのか街の名なのか今ひとつはっきりしないが)を支配する大司教なる人物は、悪魔との取引によりその力を得ており、2人はそれに立ち向かう為に旅を続けていた。
大司教はかつてイザボーに心惹かれており、彼の求愛を受け入れなかったイザボーとその恋人であるナバールに、彼は呪いをかけたのだという。
それこそが、2人の夜と昼の変身であり、彼らはその呪いを受けてから今日まで、互いの姿を見られるのは、日没と日の出の一瞬の間だけという生活を続けていたのだった。
2人の話を聞いた後、アタシも自身の境遇を訊ねられた。
念の為この世界が創作の可能性があるという部分は伏せたが、自分が違う場所からいつのまにかここにきた事、どうしたら戻れるかも判らない事は、2人に話して聞かせた。
「そうか…ところで、まだ名を聞いていなかったな。お前の名前は?」
「
男か女かわからないようなこの名前を、自分自身は気に入っていなかったが、ほかにどう名乗るべきかもわからなかったのでそのまま告げる。
姓に関しては意味がない気がしたので省略したが。
「そうか、イオリ。心配する事はない。
こうなったからには、お前のことも俺が守ってやろう。
今日からお前は俺たちの娘だ」
「そうね!イオリは私たちの恩人だもの!
イオリがいれば、私たちは普通の夫婦として暮らしていけるわ!」
「いや待てや」
恐らくは数年ぶりに逢瀬を果たした事で浮かれきっているこのバカップルは、今の状況が根本的な解決にはならない事をわかっていない。
先程試した限りでは、アタシに触れていなければ呪いの無効化は発動せず、つまり2人が愛の言葉を交わし合う間、ずっとそばでそれを見続けていなければならない、アタシの地獄を理解してほしい。
アタシが元の世界に帰ることができるかは判らないが、アタシが居なくなる事も考えて、やはり呪いを解く方法を見つける事が必須であると、最後には半泣きで訴えている間に、夜明けがやってきた。
「イザボー、彼女の手を掴め」
「ええ…」
だが、掴もうとしたその細い指が、鷹の羽根に変わる。
慌ててその体に触れてみたが、昇る朝日の中、イザボーさんが鷹の姿から戻る事はなかった。
「…ごめんなさい。
どうやらアタシの力が及ぶのは夜だけのようですね」
「…いや、お前のせいではあるまい。
だが確かに、これは呪いを解く方法を見つけないわけにはいかないな。
……よく考えてみれば、夫婦として睦事を交わす際にもお前の手を握っていなければならないのは、些か不都合ではあるし」
「それ、考えるまでもなく最初にアタシ気がついてましたけどね!!」
ナバールさんは割と天然らしい。
・・・
…この後、アクイラの牢から逃げ出してきたというフィリップという若者との出会いが、呪いを解く手がかりに繋がる事になるのだが、この時のアタシ達はそれを知らない。
ルトガー・ハウアー様が亡くなられたと聞き、昔みた夢を思い出して書いてみました。
まったく夢の通りに書いたわけではなく、若干の小説らしさも加えましたが、概ねこの通りでした。
謹んで御冥福をお祈りいたします。