ずっと涼んでいたかったが、いつまでも部屋を独占する訳にもいかないのでお礼を言って神田明神をあとにする。
「──と、メッセージだ。誰からだろ」
不意に穂乃果のケータイが震え、誰かからメッセージを受信した。
液晶をタップしてメッセージを開いた穂乃果は、
「!」
そのままケータイを握りしめたまま突然駆け出した。
──ピンポーン、と。間伸びした電子音が鳴り真姫はドアを開ける。
「随分早かったわね。もしかして意外と近くにいたのかし──」
「真姫ちゃん!」
そこに立っていた穂乃果の姿を見て、真姫は絶句する。
外の気温は、ずっと冷房の効いた部屋にいた真姫にとっては触れるだけで顔をしかめるほど。そんな中、穂乃果は一切影の無い日なたで、肩で息をしていた。顔中に玉のような汗をかき、絶えず滴り落ちていた。着ている半袖のシャツも、汗が染み込んで色が変わっている。
「……え、もしかして、走ってきたの……?」
「だって、真姫ちゃんから『ピアノを聴いて欲しいからうちに来て』なんて言われたら、居ても立っても居られなくて……!」
「な、何よそれ……。ちょっとした気分転換に付き合ってもらいたかっただけなんだからね」
分かり易すぎる嘘を口にした真姫は、
「ああもう、そんな汗だくで……。もういい大人なんだから……。今タオル取ってくるから、待ってなさい」
呆れ顔で一度家の中へと姿を消した。
そしてほんの十数秒で戻ってくると、真っ白なハンドタオルを穂乃果に投げる。
「えへへ、ありがとう真姫ちゃん」
「そのまま汗が引いたら風邪引くわよ。軽くでいいから、シャワー浴びてきなさいよ」
玄関に立つ穂乃果を押すように、半ば強引に浴室へ連行する真姫。
「脱いだ服はそっちのカゴに入れておいて。後で洗濯しておくから。着替えは……私のを適当に選んでおくわ」
「ありがとう! ね、真姫ちゃんも一緒に入らない?」
「入らないわよ!」
バン! と勢いよく浴室のドアを閉められ、
「……恥ずかしがり屋さんだなぁ」
穂乃果は肩をすくめた。
「おまたせ〜」
用意された服を着た穂乃果は、真姫の自室へ。
「真姫ちゃんちのお風呂、やっぱり広いねぇ! うちの二倍くらいあったよ! 今度みんなでお泊まり会やろうよ!」
「やらないわよ」
スパッと即答した真姫。
「え〜……。やっぱり病院って忙しいの?」
「まあ、そうね。それなりに。覚える事も多いし」
「……今日は大丈夫なの?」
「今日は休み取ったから平気よ」
「休みってあるの?」
「……当たり前じゃない。毎日毎日働く訳ないわよ」
「そ、それもそっか……」
「だって、今日は穂乃果の──何でもないわ」
「穂乃果の……何?」
「だから何でもないって言ってるでしょ。しつこいとピアノ聴かせてあげないわよ?」
「わ、それはダメダメ! 聴かせて真姫ちゃん!」
「暑苦しいから離れてよ!」
勿論冗談のつもりだったが、全力で抱きついてきた穂乃果をこちらも全力で引き剥がす。
「……ああもう、穂乃果といると、昔から疲れるのよ……」
真姫は大きく息を吐くと、置いてある椅子を指差す。ピアノまでは一メートルほど距離がある。
「穂乃果はそこに座って。行儀よくしてないとすぐにやめるわよ」
「分かった!」
ピシッ、と。見た事もないほど姿勢よく座った穂乃果を見て、真姫は苦笑い。果たしてその緊張感が何分持続するのだろうか。
何度目か分からない呆れ顔をすると、真姫はピアノに向き直る。
「──うーん、やっぱり真姫ちゃんのピアノ好きだなぁ……」
背筋を伸ばして、ではなくなっていたが、その場から動く事はなくピアノを聴いていた穂乃果。
「でも、これってμ'sの曲のアレンジだよね?」
「そうよ」
「新曲はないの?」
「…………」
期待とは違う、何かを見透かしたかのような質問。
「…………」
本当に、変な所で鋭いんだからと真姫は観念する。
「……新曲を作るとね、──踊りたくなっちゃうのよ」
「へ?」
「ここはこんな振り付けになりそうだな、とか、こんなフォーメーションが合いそう、とか、そういう事を考えちゃうのよ。スクールアイドルだったのはもう何年も前なのに、不思議よね」
「真姫ちゃん……」
穂乃果は唐突に立ち上がると、
「じゃあ、またやろうよ!」
「は?」
「またみんなで集まってライブ! スクールアイドルじゃなくなっても、歌って踊る事はできるでしょ?」
呆気に取られた真姫の目の前で、
「うーん、真姫ちゃんのピアノ聴いてたらなんだか懐かしくなってきちゃった! 楽しみだねっ!」
穂乃果は勝手に話を進める。
「…………まったくもう。──気が向いたらね」