「モンドグロッソの後、俺は刀奈がIS学園に居ると知って、IS学園に入学する事にした」
「そっか、一夏君がISを動かした事で起きた男性操縦者の全国検査」
「実は俺は直ぐにやったんだ。一夏と一緒に愛越学園を受ける予定でその場に居た。当日一夏をIS学園の試験会場に誘導したのは俺だからな。じゃないと受験先の試験会場なんて間違えないだろ」
多分、恐らく、きっと。でも一夏ならやりかねないかもしれない、と楯無は苦笑いしながら答えた。
そもそもは束からの指令だった。そして、束からの最後の指令でもあった。
入学が決まった後、楯無は自らの目的の為に束の許から去る事になる。
「試験会場のISには“黒雷”を通じてお願いしたんだ。快く協力してくれて感謝してる」
「……それから、篠ノ之博士には会ってなかったの?」
簪に抱かれたまま言葉にせず頷いて、楯無は懐古を終えた。語り終える頃には日は沈み、世界は夜へと移り変わっていた。
楯無と“黒雷”の出会いは、束によって齎されたものだった。
刀奈と簪が本当の笑顔で笑っていられる場所へ飛んでいく為の翼。楯無が少年期と引き換えに手に入れたもの。
それを授けてくれた束には、たとえ繋がりが浅くなってしまったとしても、恩を返さなければならない。
「福音は箒と“紅椿”が打倒する。死人は出ない筈だ。……出ない、筈なんだ」
脳裏に蘇るのは、一夏と鈴のクラス対抗戦の際に乱入してきた無人機、“ゴーレム”。
途中までは完璧だった。織斑一夏の“零落白夜”が“ゴーレム”の右腕を切り落とした時、異変が起こり、絶対防御を貫通しないように出力調整していたそれまでが嘘の様な殺人兵器へと変貌した。
負傷した一夏を抱えて箒が撤退する事が出来たように、福音の思考ルーチンには好戦的でない相手には積極的攻撃をしないようにブロックが組まれている。
恐らく現状では、まだ出来事は束の掌の上にある。近い内に福音とは再び戦闘になる。
だが、もし。何か致命的なタイミングでそのルーチンが変わってしまったら。
軍用のISがその火力を以て――――本来想定された使い方で牙を向く。
「束姉が対策を講じていない筈はない。何かあってもカウンターを用意している可能性が高い。……だから、心配ないよ」
最悪の事態に対して自らを納得させるように束の能力を保証する。
何時だって束は不測の事態にも対応していた。
コアの製造を終了した後の各国からの逃亡生活の中で、足取りを掴まれそうになった事も一度や二度ではない。
その度に随所で仕込まれていたカウンターが、各国の防犯カメラやアクセス記録に偽の目撃情報を流す。
小学生の楯無がISの訓練中に非正規の武装勢力――俗にいうテロリストに襲われた際も、命の危機に瀕する前に助けに現れてくれた。
だから今回も大丈夫。きっと何とかなる。自分の出番は無い。
そう自分に言い聞かせ、抑え込む。そんな彼は、彼女にとって嘘だった。
「楯無は、行きたいんじゃないの?」
「行きたいとか、行きたくないとか。そんな簡単な話じゃないんだ」
「ううん……楯無がどうしたいのか、それだけの話。……だって。楯無が翼が欲しかったから、篠ノ之博士はISをくれたんじゃないの?」
簪は楯無を抱きしめていた手を放し、今度は楯無の手をそっと取る。
嘗て“打鉄弐式”の開発に難航して落ち込んでいた自分を励ましてくれたように、今度は自分が彼を励ませるように。
「楯無が篠ノ之博士と初めて会った時の気持ちのままなら。楯無がやりたい事は、篠ノ之博士にとって間違いじゃないと思う」
だから、信じて。
あなたが一番最初に抱いた願いは、間違いなんかじゃない。
間違いじゃないのなら、躊躇う理由なんてないんだから。
「ヒーローだって、迷う時もある。でも……迷っても、必ず、答えを見つける」
まるでアニメみたいな話だと、楯無は内心苦笑した。
それでも、何故だろう。簪に言われてしまえば、決して綺麗事だと切り捨てる気になんてなれない。
雪月楯無は、更識簪のヒーローでありたかった。
「……そうだな。簪は俺をヒーローだって言ってくれた。じゃあ、束姉に伝えに行こう。今も昔も変わらない、俺の答えを」
ISは翼であり、力ではない。軍事作戦を目的としたISは看過出来ない。
立場も関係も変わってしまったが、その気持ちだけは今も束と共有が出来ている筈だから。
顔を上げた楯無に、簪は頷く。好きな顔だ。再会した時からずっと見てきた、空に希望を馳せる表情。
そしてタイミングを計っていたように襖の向こうから声を掛けられた。
「楯無。居るか」
声の主は楯無に待機を命じた人物だった。
「居るけど。待機を命じたのはそっちだろ」
「入るぞ」
言葉と共に襖が開けられ、織斑千冬とその手に首根っこを掴まれた篠ノ之束が室内に入ってきた。
視線に気付いた千冬はぐい、と束を宙に浮かせて前に出す。
「部屋の前でうろついてた不審者だ。面倒なので連れてきた」
「は、はろ~……って、ちーちゃん。今はそれどころじゃないんじゃない」
「そうだったな」
ごほん、と咳払いと共に束を地べたに降ろし、千冬は告げる。
「……先程、織斑と更識以外の専用機持ちが無断で出撃をし、既に福音との交戦を開始している」
「福音へのリベンジマッチか。……それで?」
「連れ戻すのは難しいだろう。しかし彼女達だけでは危険だ。楯無、お前にはこれを追い掛けてもらいたい……出来るか」
千冬が楯無を名前で呼ぶという事は、教師と生徒という間柄での命令ではなかった。
嘗て世界大会で鎬を削り合った一人のIS乗りとして、実力を信頼しての頼み。
一度作戦を辞退した相手に対してこう言うのだ。余程切羽詰まった事態なのだろう。
しかし、それは千冬――学園側にとっての都合だ。束の視点からすれば、それさえきっと想定通りで、何れ一夏が復活を果たし戦線に合流。そのまま仲間達と協力して、福音を討ち果たす事だろう。
それには“紅椿”の活躍が大きく影響し、篠ノ之箒の専用機持ちとしてのデビューは華々しく果たされる。
「なーちゃん……」
だがそれには、雪月楯無の存在は邪魔だった。
彼の戦闘能力は“VTシステム”さえ正面から一人で抑え込む。
『白』の隣に並び立つのは『紅』であるように、『紅』の隣に並び立つのもまた『白』。
『黒』はどちらとも相容れず、唯孤独の象徴としてそこにある。
だからこそ。楯無は自らを抑え込んだ。
「――――ISは、翼だ」
だけれども。楯無はもう背中を押されたのだ。
「束姉の邪魔になったらごめん。でも、俺は福音の存在を看過出来ない。ISは兵器じゃない。これが、昔から変わらない俺の答えなんだ」
「……うん。知ってるよ」
「もう俺には興味がないのかも知れないけれど、俺は束姉と出会った時の心のままで戦うよ」
束は座り込んだまま、自らが与えた翼が宿る首元を撫でて告げる楯無を見つめた。
告げるべき言葉は分かっていた。自らの許を去る時には言えなかった言葉を、きちんと言葉にするべきだと思った。
「行ってらっしゃい。帰ってきたら、沢山話そうね」
その言葉だけを聞いて、目に焔を灯した楯無を見て。
それだけで楯無の迷いなんて消えていくのだと、もっと前に気付けていたなら。
火の着いた目で戦場へ向かう楯無を見送りながら、天災はこれまでの人生の中で数える程もした事のない後悔をした。
「あぁ、千冬さん。俺の意思とそっちの都合は別の話だからな。今回の件は一個貸しにしておくぜ」
「ま、待って楯無……!」
ちゃっかりと世界最強に貸しを作って退室した楯無を追って、簪も退出する。
残されたのは、千冬と束。共にISが世に知られた事件の始まりに居る二人だった。
「……まったく。お前に引き取られた時点で期待していなかったが、人付き合いの仕方ぐらいちゃんと教えておけ」
「それが一番無理な相談だよちーちゃん、だって天才束さんだよ? 凡人との付き合い方なんて教えられるわけないじゃん!」
「お前がその凡人を拾ったのは、気紛れではないんだろう?」
千冬の言う通り、楯無も束にとっては凡人だった。
IS乗りとしての才能はあったのかもしれない。それでも束にとっては凡人の域を出なかった。
天才と肩を並べられるような相手は、世界最強と称される友人唯一人。
そんな凡人でありながら、束は楯無の在り方に惹かれた。
「……なーちゃんは、世界の誰も解ってくれなかったISの在り方を唯一解ってくれた子だったから」
「……成程。確かに『白騎士事件』の後、世界はISを兵器としてでしか認識しなくなった」
千冬は腕を組み、当時の事を思い出す。
“白騎士”の搭乗者として、数多のミサイルと迎撃に出た戦闘機や空母を切り刻み、撃ち落とした。
だからこそ世間の目は理解出来る。あの時、あの瞬間。“白騎士”は紛れもなく兵器だった。
だが、純粋な兎は認められなかった。世間への説明をする度に。新たなISを発表する度に。嘗ての様に少しずつ世界へ絶望をしていった。
「ISがどんな願いを籠めて作られたのかも知らないくせに、凡人共は勝手な事ばかり言った」
「無理もないだろう。人が空を自由に飛べるようになんて御伽噺、信じる方がどうかしている」
「御伽噺でも、この世界最高の天才が本気になる夢だったんだよ。凡人共には天才の言う事は理解出来ないんだ」
その中で、楯無だけは違った。凡人でしかなかったけれど、その一点だけは他とは違った。
権威ある博士への世辞ではなく。兵器を有する脅威へのへつらいでもなく。心の底から、彼は翼を望んでいた。
だから初めて、天才は凡人へ手を差し伸べた。
あの少年が空を飛べるように。大切な少女達が笑っていられる空へ飛んでいけるように。
「なーちゃん……友達、出来たのかな」
「それは後で本人から聞け。本人もよく分かってないだろうがな」
「着るものとか、荷物とか……困ってないかな」
「それも後で本人から聞け。あいつにIS以外必要な物があるとも思えないが」
「あはは。ちーちゃん、さっきから本人に聞けばっかりじゃん。それでも担任の先生? 生徒の事分かってないんじゃない?」
「それに関してはあいつが学生としての自覚が無さすぎる……」
眉間を揉みながらうんざりとした千冬の様子から、本当にそうなんだろうな、と束は思う。
変装をして包村兎として楯無の三者面談を受けた際も、中学の担任は『学業は優秀なのだが外ばかり見ている』と評していた。
「でも、そうだね。ちゃんと本人から、話を聞かないとね」
「……私は作戦室に戻る。お前は……まぁ、言っても聞かないだろうから好きにしろ。全く、楯無も面倒な所ばかりお前に似ている」
「そりゃ似るよ。束さん、戸籍上はなーちゃんのお母さんだから」
至極嫌そうな顔で「最悪の親子だ」と苦言を呈して部屋から出ていった千冬を見送り、束もゆっくりと立ち上がる。
「なーちゃんなら、あの戦場でも福音相手に負ける事は無い。元々、通常形態のままなら結果的にはいっくんと箒ちゃんだけで勝てるんだから」
束はエプロンドレスを叩きながら続ける。
「問題は、福音が福音のままであるかどうか。もし福音を超えた存在に変わった時は……やっぱり、なーちゃんだけが頼りだ」
◇
旅館を飛び出し砂浜まで移動した楯無と簪は、月光に照らされる海のとある方角を眺めていた。
「“黒雷”がコアネットワークの中で探したら、シャルの“ラファール=リヴァイブカスタムⅡ”の位置情報はここから三十キロ程度離れた海上にあった。そこで福音と戦闘中ってわけだ」
「コアネットワーク上の福音の座標とは重なってないの?」
「福音はコアネットワークからは切り離されているみたいだ。まあ、束姉が切断してるんだろうから復旧は無理だろうな」
“黒雷”を纏ってモニターを展開し、機体のパラメーターを表示する。
各種パラメーターに異常はない。増援として表れて、機体アクシデントで役立たずという格好の付かない展開はないだろう。
「簪は待っていてくれ。改造してても、専用機じゃない“打鉄”じゃ福音の相手は厳しい筈だ」
「悔しいけど……その通りだと思う。それに、火器のダミー弾頭からの切り替えも済んでないから……ここで待ってる」
「ここで?」と楯無が問うと、簪は強く頷いた。
「楯無が皆と帰ってくるのを、ここで一番に迎える……。だから、ここで待ってる」
「分かった、必ず帰ってくる。……じゃあ、行ってくる」
それが、戦いに行けない簪に出来る唯一の事だった。
しかしたったそれだけの事が、楯無にとってどれだけ大きな事だろう。
迷いは晴れ、やるべき事は決まり、帰るべき場所もある。
躊躇う理由は何もない。何事も、彼の翼を縛れない。
モニターを消すとふわりと楯無は浮遊して、数メートル上で一度ぴたりと止まる。
「簪」
自らを見上げる愛しい少女を見つめて、名を呼んだ。
「ありがとう。俺の空を思い出させてくれて。……話してよかった」
まるで普通の少年の様に笑い、次の瞬間には鋭い目で戦場の方角を見つめた。
スラスターに火を入れ、彼は黒い雷となる。
――――どうか、皆が無事に帰ってきますように。
夜空に溶けていく流れ星を眺めて、両手を組んで簪は祈った。
正直福音戦までに五十話掛かると思ってませんでした