崖っぷちアイドルの誕生日は、スウィーティでも、ちょっぴり苦い。
※当作品は、佐藤心の誕生日にPixivにて公開したものと同内容です。
はぁとの7月22日は、降ったり晴れたりしていた。
こちらへ越してきたのは、何年前のことだったっけ。地元との違いなんてそれこそ山ほどあるけど、東京を最初に実感したのは、冗談みたいにそこかしこに建ったビル群でも、通勤ラッシュのすし詰め電車でもなく、雨上がりのアスファルトから立ち込める、卵の腐ったような臭いだったと思う。キラキラの憧れに浮かされたまま上京したわたしが、この街のリアルを感じた瞬間だった――なんて、柄にもなく物思いに耽っちゃうのは、その日と今日が似てたから。
7月22日、月曜日。雨ときどき晴れ。随分遅れてきた梅雨も、今日で明けるみたいだ。
深夜帯放送のクイズ番組を収録し終わったのが、午後八時ごろ。それからスタジオビルの出口に突っ立って、人待ちをしている。
(この臭いにも、慣れちゃったなぁ)
馴染めて嬉しいやら、新鮮な気持ちで居られなくなっているのが、なんだか寂しいやら。行き交う人々はわたしになんか目もくれず、昨日今日と主役であり続けたわたしにとって、それがなんだか優しかった。
しばらくボーっと立ちつくしていると、目の前に白のインプレッサが停まった。暗くて車内は見えづらいけど、左バンパーが擦れているのを確認、よし。
「女の子を待ちぼうけさせるなんて、とんだ色男だな? プロデューサー☆」
助手席のドアを開けながら、運転席の彼に冗談めかした口調で文句を垂れた。
「待て待て、何べんも言わせるな。お前は後ろだ」
にべもなく言うプロデューサーは今日も平常運転で、「やっぱりなぁ」と内心ひとりごちた。
「や~ん! はぁと、今日はどーしてもこっちがいいなぁ♪」
「今日はも令和もあるか。真正面から事故ったらどーすんだ」
「天の国まで、ランデヴー?」
「いいから、ほら、後ろ」
抵抗空しく、ドアはぴしゃりと閉められた。ここまでが、月何度かあるお約束の会話。仕方なしに後部座席へ収まってみたものの、いくらか覚悟していたとはいえ、やっぱりちょっとだけ悲しかったりする。
この、ノリはいいけどどこか一線を引いてくるプロデューサーからの「おめでとう」が、どうしても聞きたかった。
☆
佐藤心26歳のお誕生日会は、25歳最後の日、休日だった昨日に執り行われた。
催されたでも、開催されたでもなく、レッツパーティーでもなく。字面として執行が正しいのだと思う。なんとなく重々しくて、26歳の気分を表すには丁度いい。
昼間は事務所の談話室で、ちびっこや未成年組も交えて健全に。夜は仕事上がりのオトナ組にちひろちゃんも混ざっての宴会となった。
昼夜と一日にふたつもケーキを食べてしまったわけだけど、
「いちごの端境期にお誕生日とはかわいそうですね、かく言う私も7月生まれですが。でも安心してください、いちご界隈で以前話題になったいちごバタージャムがちょうど昨日から再販しました。バターなどという香りの強いものと合わせながらも、しっかりといちごの味がします。今日のケーキのスポンジにたっぷりと塗ってありますので、ほぼいちごケーキです。表面を飾るのが桃とメロンなのがなんとも悔しいですが、はい、どうぞ」
と目を輝かせて切り分けてくれたそれも、
「心さぁぁぁん! どぉして、どぉして心さんは私より先に歳を取っちゃうんですかぁぁぁぁ……。わたしは、わぁしはですね、心さんのぉ、心さんにぃ、憧れてるんですよぉ……置いてかないでくださいよぉ……」
「……美優ちゃん、心ちゃんはあっちよ」
「片桐にかく語りき……ふふ、イマイチ」
なんて寸劇を横目に、甘めの発泡日本酒と一緒に食べたそれも、どちらもおいしかった。
そのどちらにも顔を見せなかったプロデューサーは、どうやら公休日だったそうだ。
☆
「疲れたって顔してんな」
車を走らせながら、バックミラー越しに表情が見えたのか、プロデューサーがそんなことを言ってきた。
「ああ、わかった。夏風邪だ」
「バカって言いたいのか、オイ☆」
カーステレオの軽快なチューンに乗る、いつも通りの軽口。それも、今日に限ってはなんだか虚しい。
疲れている、といえばそうかもしれない。祝われ疲れなんて言っちゃうと贅沢だけど、まさにそんな感じで、昨日は宴会だったし、今日は今日で共演者やスタッフさんから口々に祝いの言葉を貰った。プレゼントなんかもちょくちょくあって、鞄が普段より少し膨らんでいる。
アイドルなんて非日常が日常みたいな仕事だけど、それでもやっぱり特別な日というのは、楽しい分ちょっとだけ気を張ってしまう。だからこうして緊張が解けて、ようやく疲れを感じているところなんだろうなと思う。楽しさの、反動だ。
――それに、自身の年齢や、一番祝われたい奴の存在が、どうしてもチラついてしまった。祝福は当然嬉しかったけど、おめでとうのひとつひとつが、何となく胸に刺さっていく。
「ま、疲れてそうな事には違いないし、家着くまで寝とけな」
今もやっぱり、チクチクして痛い。
窓を開けたまま走り続けた車内は、雨上がりの空気を吸い込んで、どんよりと重たい。プロデューサーの言う通り寝てしまおうとも思ったけど、目をつむっているうちに無性に息苦しくなってきてしまい、解放感を求めて窓の外を眺めていた。街中と郊外の境目はまだギラギラと眩しくて、落ち着かなかった。
そんな折、
「あ……っと」
プロデューサーがこう呟いた。
「わりぃ、忘れ物したわ。事務所に寄る」
「そっか。時間かかりそう?」
「んにゃ、秒だ」
「おっけー。はぁと、車で待ってるね」
「ん」
短いやり取りの後、事務所の駐車場へ到着するのにそう時間はかからなかった。ついさっきまで明るかった街並みは、ほんの数分のドライブで、ひっそりと静まり返った。
「エアコン、付けとくな。鍵、勝手に開けんなよ。知らない人が来ても知らんぷりだぞ、アメならダッシュボードに入ってる」
「夏休み前の子どもじゃねっつーの☆」
ドアを閉めたプロデューサーはこちらを向いて一度だけ左手を挙げ、それからせかせかと社員通用口へ向かっていった。それから社員証を認証機にかざし、ドアノブを捻り、戸を開け、屋内へ入り、背中の大きな後ろ姿は、戸が閉まって見えなくなった。
とたんに、ひとりになった。
ひとりは、久しぶりなように思う。昨日からほとんどの時間を誰かと過ごしたし、そうでなくとも、例えばさっきスタジオ前でプロデューサーを待っている間も、名前も知らない誰かが常にわたしの目の前を横切っていた。
この場にあるのは、無機質なエアコンと、カーステレオの音だけ。情熱的で官能的な女性ヴォーカルは、この車内で聴き慣れたものだった。
「――切り取ってよ、一瞬の光を
写真機は要らないわ、五感を持ってお出で
私は今しか知らない、貴方の今に閃きたい――」
さびを口ずさんで、後悔した――また、歳を取っちゃった。
夢を追って上京したのは、何年前のことだっけ。他のアイドルの卵よりも遅いスタートだったのだけは確かで、だからその頃から、加齢には敏感だった。年齢をひた隠しにした時期もあったし、今みたいにおどけて誤魔化しながら、持ちネタのように扱われることも方々で有った。
今になってようやくデビューできて、すごく楽しくて、人生で一番ってくらいにしあわせだ。憧れのアイドルになれた、あとは突き進むだけ。今のはぁとに、怖いものはない! ――なんて言いながらも、時々こうして、不安に押しつぶされちゃいそうになる。隠してもおどけても、この節目だけはどうしても誤魔化せない。
タイムリミット。その時計の針が、今日をもって確かにひとつ進んだのだ。苦労して苦労して、やっとの思いで掴んだものを失うのは、誰だって怖い……と思う。
それでもやっぱり、こんなことを考えちゃいけないのだ。なんたってわたしは、アイドルだから。
はぁとは今、輝けてる? はぁとの今を、切り取っちゃって大丈夫?
アイドル、出来てるかな。このまま、続けててもいいのかな。この先をどうしても考えてしまう自分の臆病な部分が、恨めしくて仕方ない。
「……ついていけば、よかったな」
プロデューサーと軽口を叩きあってでも居さえすれば、こんなことを考えることもなかったかもしれない。言われた通り眠ってさえいれば、疲れと一緒にこのネガティブも飛んで行ったかもしれない。
――プロデューサー。
そういえば、そもそもわたしをアイドルにしたあいつも、このモヤモヤの原因だった。
わたしは何でプロデューサーに祝われたいんだろうかと、ここ二日間ずっと考えていた。それはまあ、こうしてウジウジとネガってみたら単純なことで、わたしが彼にスカウトされたからだ。
ずっと以前、
『どうしてはぁとをスカウトしてくれたの?』
と聞いたことがあった。興味本位での質問に、プロデューサーは、
『とにかくツラが良かった。あとはスタイルと、喋らせてみりゃ声も良かったな。ハッキリしてんのに甘くて耳に残るから、アイドル向いてんなーって』
なんてことを真顔で言うもんだから、結構本気で照れてしまって笑われたことがある。
当時25歳のわたしをスカウトして、これだけのことを言ってくれるあなたは、やっぱり年齢なんて気にしないんだろう。そんなあなたと出会って初めての誕生日を、いつもの調子で雑に祝われたなら、わたしのコンプレックスも消えてなくなってしまうんじゃなかろうか。なんてことを思ってしまったのだった。
「……忘れてんだろうなぁ、誕生日」
せっつくのもなんだか違う気がして、ひとりため息をついた。カーステレオの曲は、とっくに違うものに変わっていた。
☆
それから間もなく、プロデューサーはいくつかの封筒を抱えて、
「ん、お待たせ」
なんて言いながらドアを開け、運転席にドカッと座った。
「おせーよぉ!」
「わりぃ、コピー取ってて手間取った――ほら、これ。佐藤の」
と、こちらをろくに見ずに封筒を差し出してきた。真ん中には大きく《さとう》とある。
「コラコラ~、佐藤じゃなくてはぁとだろ☆ ……んでんで、これ、なぁに?」
「はいはい。とりあえず中、見てみ」
「なんかヤらしいな」
「いいから」
何故かしたり顔のプロデューサーに促されるまま、ひとまとめにクリップされた紙束を取り出した。見慣れた形式の企画資料で、今このタイミングで渡されたということは、次の仕事の内容が書いてあるのだろう。
表紙には大きな太字で『Mプロアイドル・ネット配信・ひな壇トーク(仮)』とある。それからすぐ下――『メイン司会:佐藤心』の文字に、しつこいほどに蛍光マーカーが引かれてあった。
「――これ……っ!」
「ん、一時間番組の司会だ」
などと事も無げに言うプロデューサーはしかし、いたずらっ子のような意地の悪い笑みを浮かべていた。
「待ちに待ったレギュラー番組だ。ネット配信とはいえウチの事務所主体だからな、下手すりゃ地上波なんか目じゃないくらい濃いのに見られることになる」
プロデューサーの言葉を飲み込めたのは、多分半分くらい。自分の心臓の音のほうが、きっと大きい。
「他にも司会向きのアイドルは居たけど、推せるだけ推しといた。上手く回らなかった時はすぐに代打が出るだろうが、ひとまずはお前にしか出来ない番組回しが見たくなった、だそうだ。ここでデカい客を掴んどきたい――疲れてる場合じゃねーぞ、26歳」
ここまで聞いて、耳がカーっと熱くなった。やっぱ、知ってたんだ。
「んだよ、もう……」
「はは、泣くほど嬉しいか」
ほんと、うるさいなぁ。
先を見据えた大きな仕事は、わたしはまだまだ、アイドルで居てもいいんだって思わせてくれる――こんなプレゼント、反則じゃないか。
涙もろくなってるのを知って泣かせにきたに違いないのが、途方もなく気に入らなかったけど、
「泣いてねーよぉ」
と、涙声で言い返すことしか出来なかった。そんなわたしを、やっぱりプロデューサーは雑に笑い飛ばすのだった。
タイムリミットまで、あと少し。これからどれだけ輝けるかわからないけど、あなたと歩くアイドル生活は、きっとずっと、キラキラしてる――今のはぁとに、怖いものはない!
佐藤心さんのこれからが、より輝きますように。お誕生日おめでとうございました。
Twitter:@SSugarly
Pixiv:https://www.pixiv.net/member.php?id=9464544