俺たちは初日の捜索を終えて、潘光琳邸へ戻ってきた。
社本人とも、操縦者とも接触したが、結局は今日の収穫はないに等しい。
潘の部下たちも手がかりを全力で探してくれているが、そちらもまだ進展はないとのことだ。
だが俺は少なくとも三日で決着をつけるつもりだ。
またすぐに襲撃されることはないと思うが、IS学園の方も気になるしな。
そういう意味では楯無がついてきたのは予想外だったから、なおさら早く戻らなければならないだろう。
俺は今、浴室に来ていた。
潘の家の風呂は臨海学校で行った旅館の風呂にもひけをとらない広さだ。
さすがに露天風呂まではついていないが。
「くそ…いてえな」
体を洗うのに手の傷がしみる。
久々だった。手応えのある相手とやりあったのも、傷をおったのも。
それでもどこかそれが気持ちいいんだから、それはもう強い相手と戦いたい拳法家の性なのかもしれない。
「桜介くん、入るわよ」
痛みを無視して体を洗っていると浴室に楯無が入ってきた。
楯無はバスタオルを体に巻いているが、他には何もつけていないようだ。
今までシャワールームに乱入されたことはあるが、たまにある男子の入浴の時間は決められているので、浴室となるとこれが初めてだろうか。
「…なんで入ってくるんだよ」
「うふふ。いいから、いいから♪体洗ってあげる」
「自分で洗える」
「手、しみるでしょ?」
「……すまないね」
更識楯無はいつだって俺に優しい。今思えば最初からずっとそうだった。
楯無はボディーソープを泡立てると、後ろから背中を手で直接擦り始めた。
「よくみると傷だらけね…あなたの体」
「昔から喧嘩は日常茶飯事だったからな」
「それはだいたい想像がつくけど…」
「ふっ…想像通りだよ」
「自慢げに言うことじゃないわよ。もしかして男ってみんなバカなのかしら。…特にあなた」
呆れたように笑う楯無。
だけどその声色は少し心配そうだった。
「ねえ、桜介くん。やっぱり無理矢理ここまでついて来ちゃって、その…迷惑だった?」
楯無は擦る手を止めて背中に手を当てたまま、急に不安げな様子でそんなことを聞いてきた。
今さらそんなことを心配する必要なんてないのに。
「本当言うと……嬉しかった。お前が一緒にいてくれて」
「そう、それなら…いいんだけど」
「だからそんなことを心配する必要はないんだ」
「ごめんね、急に不安になったの。あの日、あなたに拒絶されて…本当はすごく落ち込んだわ。それにたくさん泣いた。自分の中で少しは期待してたのね、きっと」
「それは…お前が悪いんじゃない」
悪いのは俺だ。期待させるようなことをしておきながら、気持ちを受け止めることが出来なかった俺が悪い。怖かったんだ、俺のせいでお前を失うことが。
今まで怖いものなどなにもなかったのに、お前と出会って初めてなにかを怖いと思った。
「じゃあ…なにが悪いのかな。悪いところがあれば教えて、直すから。私ね、あれが初めての告白だったの。だから…どうしたらいいか…わからなくて…っ」
「お前はそのままでいい。傷つけちまって…すまなかった。守るって言ったのにな…」
背中に当てられている手が微かに震えている。
そうだ、こいつは見かけによらず繊細なんだ。
自分のことに夢中で気づいてやれなかった。
とっくに知っていたはずなのに、お前の態度や言葉を真に受けてしまっていた。
そして俺はまた、こんなことを言わせるのか。
「……実はね、美玉さんから聞いた。玉玲さんのこと」
「……あの頃の俺は何も考えていない、ただ自分の拳を追い求める血に飢えた狼だった」
あの頃は本当になにも考えていなかった。
だからあんなことになったんだろう。
あれはいくら悔いても悔やみきれない過去だ。
「じゃあ…今は?」
「あれから日本に帰って伝承者になって、それを背負って一人で生きていくつもりだった。昼間も見ただろう?俺の血塗られた宿命を…。一緒にいるだけで、お前まで狙われることもあるかもしれない」
「それはお互いさまでしょ。それに、それは一緒にいられない理由にはならない。言ったでしょう?私はどこまでもついていくって…」
気づけば後ろから強く抱きしめられていた。
その温もりが背中からバスタオル越しに伝わってくる。
お互いさまか。確かにそれはその通りかもしれないが、だとしたら俺も怖い女に狙われたもんだ。
そう考えたら真剣な話をしているというのに、場違いにも笑ってしまいそうになった。
「強いな……お前は」
「あら、知らなかったの?私、強いのよ」
さっきまで震えていたのに、今はもう楯無らしい自信満々の口調だ。
知っている、そんなお前だから俺は惚れたんだ。
「私はあなたが好き。大好きだよ…桜介くん」
楯無は優しい声で確かにはっきりとそう言った。
今度はそれを遮ることもできず、不意打ちの告白に驚いて思わず振り向いてしまっていた。
「え…?うそ…?桜介くん…泣いてるの?」
「そうか、涙が……」
「もう……。泣くことないじゃない」
俺は自分でも気づかないうちに涙を流していた。
涙を流すのは本当に久しぶりのことだった。
「それはきっと、お前の気持ちが嬉しいからだろう」
俺にはもう哀しみのために流す涙は、残っていないと思っていた。
だが喜びのために流す涙は、まだ枯れてはいなかったようだ。
「それなら……私も嬉しいな」
恥ずかしそうに頬を染めて、はにかんだように笑う刀奈。
たったそれだけのことであたたかい気持ちになるんだから、やはりお前には敵わないのかもしれない。
「刀奈、俺は誰よりもお前を大切に想っている」
「―――っ」
息をのむ音が聞こえた。
俺を抱きしめる腕も、密着している体も、ぶるぶると震えていた。
本当はすぐに抱きしめ返してやりたいが、まだやることが残っている。
全てはそれをきっちりと片付けてからだ。
だから今はその髪を撫でるだけで我慢しよう。
「お前まで泣くことないのに」
「あ、あれ、ご、ごめんねっ。嫌われてないんだって、安心したら……勝手に…」
「俺がお前を嫌うはずがないだろ。だからさ、帰ったらもう一度向き合おうか」
日本に帰ったら、その時はきちんとしよう。もう多分大丈夫だと思うから。
「そうね…。まずはお友だちを助けないとね」
「悪いな…。付き合わせてしまって」
「いいわ。自分から言い出したことだもの。それになんだかみんないい人たちみたいだし……マフィアだけど」
「おいおい、なにいってんだ。マフィアにいい人なんているわけねぇだろ」
そんな話をして、二人で泣いた俺たちは今度は一緒に笑った。