change   作:小麦 こな

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4日後に送るプレゼント②

こんなにも目覚めの悪い朝は初めてかもしれない。

いつの通りの時間帯に起きたというのに身体がすこぶる良くない。きっと夜中に3回くらい目を覚ましていたからそのせいだろう。

 

こういう時はたばこに当たるのが俺の悪い癖かもしれない。

ベランダに行って、いつもは一本で終えるたばこを今日は2本吸った。2本目のたばこを吸っている最中にポケットの中の携帯がブルブルと震え始めた。

 

手に取ってみると、モカからの着信だった。

 

普通なら、いや大抵の人間ならば電話に出るだろう。

だけど俺は、電話に出ることはしなかった。

 

理由はと問われればなんとなく、と答えたいがそうは問屋は下ろさないのがこの世界の仕組みだから敢えて言葉にするのなら。

 

 

今、モカの声を聞いたら色々とおかしくなってしまいそうだからと答える。

 

 

この世界は面倒くさい。人間が「言葉」と言うものを発明してしまったから、想っていることも口にしなければ伝わらないし大きな声でないと聞いてくれない。

その言葉に「感情」まで込められるんだからやってられない。

 

モカの着信は見ていなかったことにして、携帯をポケットの中にしまう。

かなり短くなった吸殻を灰皿にこすりつける。もう短いのにさらに力を入れて火を潰しているから、たばこの吸い殻は草臥(くたび)れてへにゃんとしている。

 

そんな無様な吸殻を、無気力な目で見つめていた。

 

 

 

 

いつもと同じ時間に一階に降りて自分のデスクに座る。

すでに井川という男は来ていて、俺の顔を見るなりいやらしい笑みを浮かびあげていた。

 

座りながら荷物の整理を行って、それが終われば京華さんの座っているデスクに赴き挨拶をする。

それがいつもの日常であり、半ば習慣化してきた行動。

 

だけど今日は少し違う。

井川という男の要求をここで呑まなければならない。震える左手を隠して京華さんの下へ行く。

 

「おはようございます。京華さん」

「おはよう佐東君。……なにか悩み事でもある?」

「俺に悩み事なんてありませんよ。仕事に関する相談はあるんですけど」

「あら、私はそんな相談より貴方の悩みの方が気になるわね」

 

モカとそっくりな笑顔を向ける京華さんが、俺の心をくすぐる。

そして無気力な俺の目がかすかに揺らぐのを感じた。

 

この人は俺が犯罪者だと分かった時、どんな顔になってどんな感情を載せて言葉を発するのだろう。

 

俺を蝕むこの悩みなんて、今どころかこれからもずっと人には話せない気がする。

 

俺は震える口で、自分の情けなさを隠しながら井川という男の要求を京華さんに交渉する。

その要求と言うのは。

 

「現在の俺の持っている営業エリアを半分に減らしてほしいです。井川に引き継がさせますので」

「……」

 

俺の営業エリアを半分井川という男に引き継がせるという事。営業エリアが少なくなるという事は俺が持ってこれる仕事が減るという事。

裏を返せば井川という男の売り上げが上がるという事。安易な考えだ。

 

京華さんは両手を前で組んで、その手の上に顎を載せながら俺の方をジッと見つめる。

京華さんの顔は綺麗で整っているし、目も綺麗だ。

 

だがその分、代表者であり事務所の経営者としての鋭い視線が恐怖を煽る。

経営者は時に残酷であるという事は、俺でも知っている。

 

 

「……」

「最近ミスも多いですし、京華さんの期待に応えられない自分が情けないですが……お願いします」

「いつ、井川君に引き継ぐの?」

「出来れば明日には」

「だめ。最低でも4日後にしなさい。私もそれに応じて準備しないといけないから。それとね……」

 

 

貴方のミスなんて、私が全部責任取るから気にしなくても良いの。

 

 

どうして、この人は。

ほとんど嘘で構成された俺の言葉の中で、本当に想っている言葉だけを抽出してフォローしてしまうのだろう。

 

ほんと、この人には適わない。

 

 

自分のデスクに座ると、井川という男が小さく舌打ちをした。きっとこのデブの計画が多少なりとも誤差が生じたからだろう。

俺はそんな男を見ている場合では無いからパソコンを立ち上げる。やりたくもないが引き継ぎの準備書類を作らなければならない。

 

……ちょっと待て。このまま行ったらまずい事になるぞ!

 

俺が計画していたことに最悪のビジョンを連想させる穴が見つかってしまい、冷や汗をかいている時に俺の背中がちょんちょん、と指に触れた。

 

振り向くと、そこにはいつものフワフワとした笑顔を見せながら前かがみになっているモカがいた。

そして彼女は俺の耳のそばでこう呟いた。

 

「ちょっとだけお話、しよ?」

 

 

 

 

モカに手を引かれて事務所の外に出る。

朝なのに無駄に暑いこの季節は出来ればすぐに何処かへ行ってほしいが、こういう季節ほど長く居座るものだ。

 

本当ならばカフェとかで話したいが、生憎俺は仕事中だしモカのその点は留意しているだろう。

 

「まず最初に聞きたいことがあるんだけど~」

「なんだ?さっさと言え」

「昨日の電話の事。貴博君から掛けてきてくれる事って珍しいから」

 

確かにその通りで、俺からモカに電話を掛けることは今までの中で無かったのではないか。

彼女は興味があるのだろう、上目遣いで俺の顔をチラチラと覗き込んでくる。

 

「青葉には悪いけど、特に用事があって電話したわけじゃない」

「ふーん。じゃあなんで電話してきたの?」

「そうだな……お前の声が聴きたかった、という事かな」

「急に、どしたー?」

「忘れろ。悪いけど今日は忙しいから戻る。あとでな」

 

モカは言葉ではおどけているけど、頬はほんのりと赤く染まっていた。

そうか、モカがいるのか……。最悪のビジョンは免れるけどベターな選択肢ではない。

彼女には負担を掛けてしまう。しかも最悪の場合は大学も……。

だけど、今はこれしか思いつかねぇ。

 

やっぱり、俺は人に不幸をもたらす人間らしい。

 

「た、貴博君っ!」

「……なんだ?」

 

モカが珍しく声を上げて俺を呼び留める。

さすがの俺も、事務所に入ろうとしていた足を止めた。そして事務所側に向けていた身体をモカのいる方向に持って行く。

 

「4日後、多分なんだけどね?あたしから、貴博君にプレゼントをあげるよ」

「はぁ?プレゼント?」

「うん。喜んでくれると嬉しいけど、あたしの勝手な判断だから~、その……」

「青葉からの勝手なプレゼント?それは手放しでは喜べないな」

「ひどい~」

 

俺は少し口角を上げて、冗談を交えて笑顔を作った。

モカからプレゼントねぇ……パンの無料券とか、ガキがつくるようなお手伝い券か?

それに多分ってなんだよ。

 

それにしても4日後が色々な事があって面倒くさそうだ。

何が一番面倒かって言われたら、4日後は木曜日でまだ一日平日が続いてしまうということだ。

 

顔が真っ赤のモカに別れを告げて事務所に入る。

事務所に入ると、冷房が効いていてかなり涼しく感じた。それほど外と中では温度差がかけ離れているという事だろう。

事務所の代表である京華さんは席を外していた。いつ、あの人は出て行ったのだろう。

 

すぐにデスクに座って、引き継ぎ作業の続きを行う。

井川という男に渡す書類は、悪いけど意図的に虚偽の情報も入れている。

あんたにも、堕ちてもらうからな?

 

もちろん、もう一種類の書類は今までのノウハウを詰め込んでおく。

書類を2種類も作成しなくちゃいけないのは面倒だけど、仕方がないよな。

 

 

「おい、クソガキ」

「……今、あんたのための作業で忙しいんだけど、なに?」

「お前を見ていると胸糞悪いから地獄を見せてやろうか」

 

悪いけど、こっちも胸糞わるいからお互い様だろ。

それに井川という男は自尊心だけは人一倍持っているので、自分がチヤホヤされたくて仕方がないのだろう。

 

そんなお前の口から出る「地獄」なんて、生ぬるく聞こえる。

お前の考える「地獄」は世間に犯罪者として見られることを指しているんだろ?甘い、甘すぎるんだよなぁ。

 

 

「代表の娘と今すぐ別れて縁を切れ」

「……断るって言ったら、どうするんだ?」

「それなら、今すぐにでも代表にお前の事を言うぞ?良いのか?」

「だったら、丁度いいな」

「は?」

 

 

井川という男の間抜けな声が事務所中に響き渡る。

京華さんが俺に前科があることを知るのは既に時間の問題だろう。この男がこうやって脅しているのはビビっている俺を見たいだけ。

 

いつ京華さんに言っても良いわけなのだから。

 

俺はそんなリスクを負っている。

このリスクはどうやっても回避することが出来ない。

 

だったらどうする?

 

 

簡単だ。

この状況の中でベストなリターンを得られる行動をとることだ。

 

京華さんが俺を犯罪者と知ったら、母親としてモカが近づけないようにするに決まっている。我が子を心配しない親なんて、どこかにいるクソ親以外いないだろう。

でもモカはそんな忠告を聞くとは思えない。美竹からあれほどの口調で言われても何食わぬ顔で接してくるんだから。

 

京華さんとモカ。

このお世話になった二人を、この親子を守ることが大事だ。

 

「あんたが気に食わないんだったら」

 

これからが、俺にとっての地獄の始まり。

俺を信頼してくれている人を自ら手放すんだ。一人は好きでも、孤独が好きな人間なんてこの世の中にいるわけがないんだ。

そしてそれが一番心にダメージを深く刻む。

 

まぁ、モカが俺の事を信頼しているかどうかだなんて知らないけど。

悪いな、モカ。俺は勝手に思い込んでる。お前が、俺の唯一の友人だってことを。

 

 

 

 

「お前のその要求、呑んでやるよ。実行は4日後だ」

 

左手の指を四本立てながら、口角をグニッと上げてやった。

井川という男は、驚きよりも恐怖を感じていそうな顔をしている。そりゃあ、怖く感じるだろ。でも、犯罪者なんて大体そんな人間の集まりだ。

 

甘く見ていたんだったら、お前の負けだな。

 

 

 

心が嫌な音を立てる。

ズキズキと、痛みが増えていった。

 

 

心の叫びは、聞かなかったことにした。

 

 




@komugikonana

次話は11月29日(金)の22:00に公開します。
新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます。
Twitterもやっています。良かったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!

~次回予告~
井川という男との2つ目の、最後の要求を聞いた日から3日が経った夜。

明日は流石に俺も堪えるかもしれない。
そんな弱気な自分を奮い立たせるようにベランダに行ってたばこを吸っていた。

たばこは短くなってしまった、新しいたばこを取り出して火を付ける。
これで今日16本目。いつもの4倍以上も吸っている。

いつもより多い本数を吸っているのが原因なのか。他が原因なのか分からないけど頭がズキズキと痛む。
ああ、きっとニコチンの取りすぎだろう。きっとそうだ。



携帯の電源を付ける。
そしてあいつの電話を掛ける。

彼女は、ワンコール目で電話に出た。

「いきなりで悪いけど、今日会えねぇか?」



では、次話までまったり待ってあげてください。

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