「なぁ、こんな時間に何してんの?」
特に声色を落とすことも無く、本当に疑問に思っているような声でそこにいる少女に声を掛ける。
イタズラっぽく怒ったような声で話しかけても良かったけど、真面目で大人しい女の子にはジョークは通じないってなんとなく、分かっていた。
彼女は小さくヒッ、という声をだして即座に懐中電灯で自分を照らす俺たちの方を振り向く。
肩と声の震えから考察するに、自分でもやましい事をしているという自覚はありそうだ。
「あ……佐東君と、えっと……?」
「こいつはよっちゃんで良いよ。こんな時間に何やってんのかなーって」
「な、なにも……!そ、忘れ物したから取りに……」
「誤魔化さなくっていいじゃん」
俺は一方的に彼女、瀬川に言及していく。ちょっときつめに問い詰めているのは、こういう大人しい子はその後すぐに自分の心の中にある感情を吐き出す。
そしてその感情を、ちゃんと受け止めてやらないといけない。
どうしてそこまでするのか分からない。
だけど、どこかこの女の子が弟とダブるんだ。まるで写真の人物と思い出の中にいる人物が完全に合致するかのように。
「やっぱり、私の事、先生に言うんでしょ?」
ほら、来た。
「君たちは、佐東君は、私の事なんてなんにも知らないじゃん!」
「うん、知らねーよ」
「だったら……!」
「だから、教えてくれよ」
「えっ?」
お前の事を。お前の抱え込んじまってる悩みを。
急に図書室内がシーン、という音すら鳴らすのをためらうような静寂が俺たちの周りを包み込んだ。
よっちゃんが無口なのは、きっとくだらない事で集中しているんだろう。
瀬川は何が起きているのか分からないのだろう、目が色々な方向に動き回っている。
でも口はかわいらしく開いたまま。
「……そういえば来週の月曜日の一時間目、クラス全員がこの図書室にいる時間があったよな?それは偶然か?」
「……全部、知ってるじゃん」
「俺が分かるのはそこまで。そこからは俺の知らない、君だけの物語があるんだろ?」
せっかく図書室にいるのだから、少しは安っぽい青春小説のような言葉で返事をしてみる。
訳の分からないこの返しはバカらしいけど、笑えない。
だってお前、暗闇に囲まれているこの時間でさえ、苦しい顔をしてるから。
「……君たちは、クラスの中心だから、一人でいる寂しさと、陰湿な圧力の辛さを知らないよね?」
「ああ」
「同じクラスの
「いたな、そんな奴」
休み時間もずっと机に座って、自分の頭脳レベルにまったく合ってない参考書を毎日解いているおかっぱメガネの奴だろう。
自分は勉強が出来るって自負してるらしいことから、厄介な性格の持ち主なのは大体分かる。
そしてたまに、俺に向けて妬ましい視線を送ってくることもあるっけ。
「その人から、嫌がらせを受けてるの」
特に何も口にせず、ずっと苦しい思いを必死に吐露する彼女の顔をジッと見ていた。
吐くのも苦しいその言葉たちを、眉間にしわを寄せることなく聞いた。
本を読んでいる時、ページのめくる音がうるさいと言われた。
何も理由がないのに、机を蹴られた。
帰るときはゴミはこの世界に要らない、と言われ石を投げられた。
「私も、悔しいから、お金が無いのにお母さんに無理を言って……塾に通わせて貰ったの」
「それで?」
「でも、私はバカだから、いくら頑張ったって学力は上がらない」
それでね、と自分を蔑んだ声色で次の一言を必死に紡いだ。
「私も耐え切れなくなって、中嘉島君に仕返しをしようと思った。月曜日、彼が座る椅子のボルトを緩めたの。彼はいつも勢いよく座るから椅子は壊れて、最悪彼のお尻の骨とか折れちゃうかもって……」
追い込まれた人間の、最後の手段ってところまで来ているらしい。
今日この場所で瀬川に会えたのはラッキーなのかもしれないって胸の内で呟く。
「はぁ、しょうがないバカがいるもんだな」
「そうだね、私は結局バカだから」
「じゃあ、俺がその椅子に思いっきり座ってやるよ。実験ってやつだな」
「……えっ」
中嘉島の出席番号を逆算すれば、この椅子にあいつが座るんだろ?
それならこの椅子だな、と標的を定めてズシズシと歩き始める。
お尻の骨、とか可愛らしく言っているけど瀬川が言っているのは尾てい骨の事だろう。
この骨が折れるとシャレにならなくて座ることで痛みが出ることはもちろんの事、歩くときや仰向けで眠るときでさえ痛みが走り、何気ない行動すべてに激痛が走るらしい。
あと一ヶ月で俺たちは卒業するけど、骨折は一ヶ月では完治しないだろう。
尾てい骨を骨折したら中嘉島は卒業まで学校に来れない。学校生活は座るのがほとんどだもんな。特に卒業式は。
そこまで逆算しているんだろ?
俺は瀬川が立っている近くに位置するその椅子に腰かけようとした。
「やめてっ!」
その女の子に身体を真横に押された。
ガラガラ、という大きな物音が図書室内に響き渡ると同時によっちゃんが「だ、大丈夫?」と慌てたような声を出していた。
勢いよく横に押されたから俺は床に倒れてしまった。
その時に俺の脚がその椅子に引っかかったらしい、椅子も横になっていた。
そしてその椅子は、ボルトのゆるみによって壊れていた。
「やっぱり、瀬川はバカじゃない。俺を助けたんだろ?荒っぽいけどな」
「こんな方法でしか止めれない私は、どうしようもないよ……」
「お前はバカじゃない。アホだ」
「なにそれ」
瀬川はきょとん、とした顔をしているけどよっちゃんはニヤニヤとしながら笑いをこらえていた。
よっちゃんには、俺の言葉の真意を知っているからだろう。
バカとアホは、紙一重なんかじゃない。そして同じ土俵でもないって事。
「アホは漢字で書くと『阿呆』だ。努力すれば呆けは治るさ。でも『馬鹿』はもう人間ですらない。畜生なんだ」
「分かるようで、分かんないな」
「簡単に言えばバカは死ななきゃ治らないけど、アホは何とかなるんだってこと」
そう言って、瀬川の頭を優しくなでる。
同時に思わず自分が止めてしまうような卑劣な事を他人に押し付けるんじゃねぇよ、という一言をお菓子についてくるおまけのようにそっと添えた。
瀬川は涙目になっていたから十分反省しているのだろう。
ここまで反省出来るんだったらこれから先の未来はお前が思っているほど悲観的なものじゃないよ。
「さて、教師に出頭しに行くか。椅子も壊れたし」
「あ、う、うん……」
「なんだ?怒られるのが嫌なのか?」
「そりゃあそうでしょ!」
「安心しろ。俺達も謝るから。な?よっちゃん」
瀬川のかわいらしい目がくるくると丸みを帯びてえっ、という声を漏らした。
よっちゃんは苦笑いでしょうがないよねとは言っている。
夜中の学校に侵入している俺達も立派な悪い人間だ。
怒られるという機会に直面したら、進むべき道は二つに分岐されている。
正直に自分の非を認めて謝罪しに行く道。
逃げや言い訳でのらりくらりと避けていく道。
変な事を言っているかもしれないけど、俺は怒られる機会があるんだったら怒られても良いんじゃないかと思う。
そう思う理由は瀬川がすべてを示してくれると勝手に期待してる。
俺達は、まだ電気のついている職員室に向かった。
「うーん、やっぱり怒られたからちょっぴりへこんじゃうな……」
「俺は言いたいことを言えたから満足だ」
職員室でのしょーもない謝罪タイムを終えた俺たち三人は校門の前まで歩いている。
言いたいことって言うのは瀬川が受けていた嫌がらせの件の事。
「……佐東君はどうして、私の事、あんなに言ったの?」
「ああ?そりゃあ、夜の学校に侵入した理由を教師どもに知ってもらうためだ。理由もなしに『はいそうです』なんて納得しないだろ?勉強も、人間関係も、全部つながってるんだよ。世の中って皮肉だから」
例えば野球でバットのスイングをコーチに理由も言われずにこう改善しろ、なんて言われても納得しないのと一緒だ。
理由を説明されたら納得する部分もあるだろうけど、無かったら文字通り皆無だ。
「やっぱり佐東君って天才なんだね。話し方が具体的で、その……説明できないよ~」
「天才ねぇ……。誰がそんな言葉を生み出したんだろうな。どうせくだらない人間が考えたんだろうな」
「ははは……。それにしてもよっちゃん、だっけ?どうして落ち込んでるの?」
「あぁ、それは一年も同じクラスにいて瀬川から名前を覚えられていないというショックから来てる」
だろ?ってよっちゃんに問いかけたら、何か別の事を考えながらもうんと頷いていた。
これは重症だなってとどめの一撃を吐いてやった。
瀬川に関してはうわー、ごめんよ~なんて大きな声で言うもんだから思わず耳を塞いでしまった。
でも、瀬川って大人しいイメージだったけど……。
こんなにも、色々な表情の出せる普通の女の子なんだなって。
いや、もしかしたら抱え込んでいた黒色のモヤモヤがこの女の子の表情を隠していたのかもしれない。
「あら、貴博君じゃない!うちの子と何して遊んでたのー?」
一瞬、動きが止まってさっきまでほころびていた口元が一気に凍り付いた。
それはよっちゃんも同じのようでピタッと動きを止めていた。
この女の人の声は、昔からよく聞いていた。
いつもは優しくて俺の事も実の子のように接してくれる美人な腐れ縁のお母さんなんだが、こういう声のトーンの時はかなり面倒くさい時だ。
瀬川は頭にクエスチョンマークを浮かべながら俺たち二人の様子を伺っている。
よっちゃんと目と目でアイコンタクトを取って、お互い頷く。
「「すみませんでしたー!」」
声だけ反省して、脚を全速力で動かしてよっちゃんの母親から逃げ去る。
俺は怒られる機会があるんだったら怒られても良いんじゃないかと思う、なんて思うのは時と場合によることを心に刻みながら逃げる。
校舎の曲がり角をインコースで曲がるとき、後ろから違う女の子の声が聞こえた。
「よっちゃん、貴博君……!またねっ!」
「みたいな感じ」
「ふ~ん、貴博君は小学生の時から女の子をもてあそんでたんだ~」
「意味わかんねぇこと言ってんな」
昔話を話していただけなのに、つい感情が入ってしまって詳しく話してしまった。
俺が過去に行って当時の俺たちを第三者として見守っているかのような感覚に陥っていた。
モカはむすーっとした顔で俺の肩に指でちょんちょんとする。
「それで、その女の子はあの後大丈夫だったの?」
「ああ、麻衣はあれから変わったからな」
「うわー、下の名前で呼んじゃってる!浮気だぁ……」
「アホか」
麻衣というのは瀬川を指す。彼女の本名は
麻衣子って呼ぶのは舌が噛みそうだったと言う理由であの時は言ったけど、本当は別の理由もある。
それからの麻衣は、他のクラスの子たちと絡むようになってとても明るい子になった。
本も相変わらず読むけど、家でしか読まないらしい。
その理由を聞いた時もちょっと驚いた覚えがある。
本はいつでも読めるけど学校のみんなはこの時間しか会えないから、だったっけ。
それで卒業式の日は中学がバラバラになることを麻衣が知って、涙をこぼしながら何回もバイバイじゃなくて、またねだからね!とか言ってたな。
結局、あれから会えていないのだけどいつか会えるような気がする。
「うーん、それにしてもねぇ」
「そんな麻衣に嫉妬心抱いても意味ないからやめとけ」
「それは分かってるよ~」
俺はさりげなく好きな女の子はモカだけだ、って伝えたつもり。
それに対してモカも分かってるらしい。
でもモカはうーん、とちょっとうなりながら俺たちのクラス写真を眺めていた。
「……なんだ?誰か見覚えのある奴がいんのか?」
同じ地区だし、中学や高校、または大学とかで出会っている可能性もあるから不思議な事じゃないだろう。
俺はモカの横に座って彼女と同じような視線でクラス写真に再び目を落とす。
モカがこの人、と言って指を指した人物に思わず眉間にしわが寄る。
そしてどうしてこのページに付箋が貼ってあるのかが何となく理解した。
いや、何となくなんかじゃない。
「この人、見たことある気がするんだよね~」
頭の中で不気味な鈴の音が、鳴り響いた。
@komugikonana
次話は1月10日(金)の22:00に公開します。
新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます。
Twitterもやっています。良かったら覗いてあげてくださいね。作者ページからもサクッと飛べますよ!
~次回予告~
11月も後半になるにつれて、そろそろ薄めのコートやアウターが必要になってきたこの頃。
寒さが俺たちにもうすぐやってくる冬という季節を教えているようなこの時期は木の葉が綺麗に色づく季節でもあったりする。
俺は一人、車に乗っている。
車と言っても自家用車ではなくレンタカーで、一人でと言っても行く先は俺の彼女の家。
決して一人で紅葉を観に行くわけでは無い。
「おはよ、モカ。家の前にいるからサッサと降りて来い」
では、次話までまったり待ってあげてください。