仕事終わりに特に意味もなく街を歩いている俺は、知らない間に冬が深まってきていてもうすぐ新しい年を迎えるらしい事実を感じていた。
つい最近だと思っていたモカとの紅葉デートがもうすぐ1ヵ月前になるという事実に真冬の湖に飛び込んだ人間のような唖然とした青白い表情を作ってしまう。
ロングコートのポケットに手を突っ込みながら歩いているとサンタの格好をした女性がいて、何かのチラシを街行く人たちに配っていた。
見た時にかわいいなとか頑張ってるなとか寒そうだな、だとかそんな感情よりも真っ先に違う感想が飛び出した。
「そこのお兄さん!クリスマスケーキはいかがですか?」
サンタのお姉さんがはにかみながらチラシを目の前まで持ってきた。
お姉さんから受け取ったチラシを見ながら、やはり同じ感想を胸に抱き、心の中で響き渡りながらも共鳴する。
1年前は、目の前で貰ったチラシを丸めてゴミ箱に捨ててたんだよな。
しかも配ってくれた人間の目の前で。
そしてそんな事をした数日後に、モカと出会ったんだ。
「お姉さん的におすすめのケーキってどれ?」
「そうですねー。やっぱりこれが人気ですよ!」
受け取ったチラシに掲載されている中で大きく占めているショートケーキをお姉さんは指さしていた。
デザインの会社に勤めているから、結構チラシの事に関しても仕事に来るからぱっと見でこのチラシにどんな思惑が隠されているかとかは分かる。
分かるけど、わざと引っかかってあげることも大事だって思う。
「じゃあ、そのおすすめのケーキの4号、買うわ」
「ありがとうございます!こちらの店内でお買い求めください!」
お姉さんが示した店の中に入って、予定にもなかったクリスマスケーキを買う。
クリスマスは気持ち的にはまだ先だけど、細かい事は気にしない方の人間だからさりげなく彼女の家にクリスマスプレゼントだと宣言して渡そう。
ケーキを片手に、光り輝く商店街を歩く。
大小さまざまな大きさのクリスマスツリーはたしかに存在感を放っているし、上を見ればたくさんの光が行く人たちの心に高揚感を沸き上がらせる。
そのまま商店街を抜けて、辺りは街灯がうっすら照らすだけのもの寂しい道路を一人でスタスタと足を動かす。
時間を確認することでもうすぐ20時になるらしい事を知った俺は、チラッとだけ寄っておきたい場所があるので立ち寄ることにした。
そこには、案外すぐ到着することが出来る。
神社。
その場所が俺の行きたかったところ。
住宅街の片隅にちょこんとした敷地の中に設けられている神社の名前は知らないし、もしかしたら近くに住んでいる人間でも存在に気付いていない奴もいるかもしれない。
「夜にこんなとこにいて誰かに不審者がいるって通報されたら困るけど」
そんな冗談を一人で呟きながら神社の敷地内に入る。
ひっそりとして影の薄く、いまにも消えてしまいそうなこの神社に何故か親近感が湧くのは運命だけが知っているような気がする。
1年に数回ぐらいしか入れられないであろう、古びた賽銭箱に500円玉を入れてパンパンと手を鳴らしてお願いする。
そして願い事もシンプルだ。俺は回りくどい言い方は大っ嫌いだから。
青葉モカを、守ってください。
願いを念じてお願いは終了する。
最後に心の奥底で別に深い意味は無いから勘違いすんなよ、って目に見えない神様とやらに付け加えた。
再びケーキを手に持って神社を後にしようと振り返ると、そこには男が突っ立っていて心臓に悪い響きを与えた。
「あ、びっくりさせちゃったね。自分はこの神社の管理者みたいな者でして」
「懐中電灯くらい手に持って来たらどうだよ」
自分も懐中電灯を持たずにクリスマスケーキを片手に持っているから人には言えないけど、と呟いてからおっさんを見る。
この神社にも管理人が……いてもおかしくはないけどやけにぼんやりとしてやがる。
神社も、管理人に似るのかもしれないなって鼻で笑う。
「君を入れて、今年は自分が知っている限り17人目の参拝客だよ」
「もうすぐ今年が終わるぞ?」
「ですから、君が最後のお客さんかもしれないね」
そのままおっさんを素通りしてモカの家に向かう事にした。
以前から、モヤモヤッとした渦が身体の中に立ち込めていてむず痒くなっているように感じたから神頼みしたのに。
「俺を入れて17人目の客、ねぇ」
より一層不安を煽るんじゃねぇよって毒づいたため息は、目に見えるように上に上がっていってどこかに消えていった。
「あら、佐東君いらっしゃい」
「お邪魔します」
「案外久しぶりなんじゃない?」
「仕事でほぼ毎日会ってるでしょう」
そうだった?と言いながら手を口に当ててクスクスと笑う京華さんの発言がちょっと引っかかる。
久しぶりと言ったのは俺に向けてではないって事だったらしっくりくるからそういうのは辞めてもらいたい。
「佐東君は珈琲と紅茶、どっちがいい?」
「そうですね、今日は紅茶で」
「あ、それとも私の方が欲しい?」
「その年で言うのはキツイので辞めといたほうがいいですよ」
うちの娘にはデレデレのくせに、と聞こえるように毒を吐いてからキッチンに向かっていく京華さんは、やっぱりモカの母親なんだなと思わせる。
京華さんは実年齢よりもかなり若く見えてその上美しいのは否定できないという要素が逆に癇に障るというか、憎めない。
京華さんと同じくらい上品なテーカップにおっとりとした色の紅茶が運ばれてきた。
いただきます、と声を上げてからゆっくりと口の中に少しだけ紅茶を飲む。
「ちなみに佐東君が持ってきたケーキは何?クリスマスかな?」
「少し早いですけど、クリスマスケーキです」
「ありがとう、三等分で良いかな?」
さっき座ったばかりなのにまた立ち上がってキッチンに向かう京華さんの足取りは少し軽やかに見えるのは、俺が久しぶりにこの家にやってきたからだろうか。
自然と運ばれてきた紅茶に少しの砂糖を加えた。
「京華さんの旦那さんは、まだ帰ってこないのですか?」
「らしいよ。年末ギリギリになるって言ってた」
「メールでやりとりしているんです?」
「ううん、電話よ。貴方たちと同じで結局、旦那の事好きだからなのかも」
たまに声を聞かないと元気でないの、と言いながらケーキを綺麗に分けている京華さんはいくら年をとってもやはり女性なんだ。
そういえばモカも電話を掛けてくることが多いっけ。
紅茶を口に入れて喉に入れると、胸焼けするような鬱陶しさではない、華やかな甘みが口の中でフワッと広がった。
後味もとてもすっきりしていていくらでも飲めてしまいそうだ。
モカの家はいつも目に見えないし肌に感じない。だけどどこか温かく感じる、この口で現わすことが難しい雰囲気が好きだ。
小学生の時に友達の家に上がった時のような、そんなポカポカな雰囲気が青葉家の良いところだって勝手に解釈している。
「せっかく来たんだし、今日くらいはモカとゆっくりしなさい」
「……京華さん、何食べてるんですか。ボリボリ言わせて」
「ん?サンタさん」
そういえば見せてもらったチラシの写真にも砂糖菓子のサンタが乗っていたような気がする。
京華さんの言葉で分かるのは、今日もモカの帰りが遅くなるらしい事だ。
後1週間後に迫った年末ライブに向けて彼女たちのバンドは最後の仕上げに向かってみんなで邁進しているらしい。
なので最近はモカとは電話でしか話していない。
最初は何も気にならなかったけど、段々時が過ぎていくごとにモカの顔を見たいという衝動や彼女の髪のにおいが嗅げない寂しさが増えていった。
だから今日も早めのクリスマスケーキを買って彼女の家にお邪魔している訳だ。
「ケーキはうちの娘と一緒に食べる?」
「そうします」
「じゃあ、おつまみでも食べなさい」
にこやかな表情で京華さんは小さめの皿を片手に、俺と向かい合う形で座る。
そして小皿に乗せられている物を見て思わず二度見してしまった。
「京華さんって、もしかしてヤバい人だったりします?」
「あら?失礼ね。前科持ちって知りながら雇った人間がまともに見える?」
小皿に乗せられていたのはケーキに乗せられていたサンタだったもの。
なにせ首より下がなくなっていて小皿を少しでも揺らすとコロコロと転がる。恐らく京華さんの刃物によって切断されたのだろう。
そんなかわいそうな目に合っているにも関わらず、サンタは子供にプレゼントを無事届けたようなニッコリとした顔を浮かべている。
「それより、最近なにか思いつめたような顔をしているけど何かあった?」
「隠しても仕方無いですよね。ちょっと胸騒ぎがして」
「だったらあまり危ないことはしないで、笑顔でいなさい。貴方なら私が言ってることの真意、分かるよね?」
「分かります。一番良いのはこの胸騒ぎが単なる杞憂に終わること、ですよ」
砂糖菓子のサンタを見ながら、声のトーンを落として淡々と話した。
笑顔でいなさい、という言葉を伝えるためにこのサンタは首を残されたのだろう。やはりいつまでたっても彼の顔はニッコリとしたままなのだから。
俺は迷った挙句、サンタを食べることにした。
硬い砂糖菓子を奥歯でしっかりと噛み砕きジョリジョリと音を立てながら咀嚼するが、時たま砂糖菓子のかけらが歯の溝にはまってしまい気持ち悪く感じる。
やっぱり、違和感は残るらしい。
「あの、京華さん」
「ん?何?」
俺が口から言葉を発したと同時に、家の玄関が開く音がした。
そしてフワフワとしたただいま、という声が響いて。
俺の声は綺麗に消えていった。
でも、京華さんにはしっかり聞こえたらしい事が彼女の顔の表情を見ただけですぐに分かった。
「こういうのは、貴方がするべきよ。佐東君」
@komugikonana
次話は2月7日(金)の22:00に公開します。
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~次回予告~
モカは冗談か揶揄ったかは分からないけど、俺はしっかりと彼女の問いかけに肯定する。
なぜなら本当の事だし、この気持ちを隠したところでお互い利益が無い事くらい分かっているから。
途中で言葉を不自然にどもったのは、その方が面白いものが見えるという安易な動機だった。
モカの顔が俺の期待通りになって思わず口元を緩めてしまう。
そんな表情を見て、モカはより一層顔を赤くする。もうすぐ彼女の顔はケーキに乗っているイチゴよりも赤くなり、甘くなるんじゃないかと思った。
では、次話までまったり待ってあげてください。