今の時期は世間的に夕方と分類されるような時間帯でさえ、太陽は姿を消し明るい色を消し去ってしまう。
そんな時間に俺は一人で商店街の近くを歩いている。近くの時計は6時を示していた。
約束の時間まで1時間はあるが、じっと時を待っていても身体がソワソワするだけだから一足早く集合場所に行こうって魂胆だ。
すると、俺の横に見たことのある男と目が合った。
確かあいつは1年前働いていた場所の従業員だ。その男は俺と目が合った瞬間に目を逸らして足早で俺から離れていった。
俺に前科があることを知る以前は普通に仲が良かったが、今となってはあんな対応。
いつかモカにも、そんな対応をされる日が来るのだろうか。
もし来るなら、いつ来るのだろうか。
はっきりしないことが嫌いな俺ならではの考え方か、そう思いながら美竹が指定してきた珈琲店の前に着く。
やまぶきベーカリーの近くに位置しているこの店は見たことはあるけど入店したことが無かった。
店の戸を力を込めて開く。
「いらっしゃいま……せ……」
「空いてる席で良いのか?」
「は、はい!」
羽沢珈琲店に入ると、同い年くらいの女の子が対応してくれる。
最初は元気いっぱいだった声がだんだん尻すぼみになっていくのを見て、この女も事情を知っているんじゃないかって安易に予想できた。
じっと席に座って待つのも退屈だからメニューで目に入ったブレンドコーヒーを一杯頼む。
店員の女がコーヒーを俺の目の前まで持ってきて、そっと机に置いた。
彼女の手はわずかにだが、震えていた。
運ばれてきたコーヒーを片手に右手で頬杖をつきながら、もう暗くなってしまった、人工的な光で溢れる商店街を見ていた。
クリスマスも近づいているからなのか、表情が明るい人間が多く歩いている。
もちろん中にはムスッとした顔をしている人間や疲れ切った顔をしている人間だっている。
今の俺は、どんな顔をしているんだろうな。
「……もう来てるんだね。正直来ないって思ってた」
「お前が呼んだんだろ。それと俺は人を待たせるのが嫌いなんだ」
美竹はぶっきらぼうな言い方で、俺と向かい合う形で座ってきた。
俺だってお前となんか話したくもない。こういう時間は有効に使いたいんだよ、俺は。
……まぁ、ここのコーヒーの美味しさを知れただけでも良かった。
「単刀直入に言う。モカから離れて」
「悪いけど俺は青葉の母親の事務所で働いてる。それに青葉から近づいてくるんだ」
「だったら今すぐ仕事を辞めて」
「おいおい……めちゃくちゃだな」
俺は美竹の要望をコーヒーと一緒に流し込む。
確かに俺がモカのそばにいたらモカが辛い思いをするのは認めるし、美竹の要望も間違っちゃいない。
だけどさぁ、お前らは間違っていると俺は思うぞ?
「あたしは正論だと思うけど」
「お前ら幼馴染のためなら俺は不幸になっても良いってことか、それは」
「……そうだね。あんたはそういう人間だから」
「随分な嫌われようで笑いが出るよ」
それほど美竹からすれば巴を傷つけたことが許せないらしい。
俺もやり過ぎたとは思う。
けどさ、俺があのような行動をとったからこそあの二人は
もし弟が、過去を隠したまま巴と仲良くしていたらどうなっていたと思う?
答えなんてすぐに出るぞ?
俺は、弟の幸せを願う事も許されないのか?
なぁ、教えてくれよ。誰でもいいからさ。
「じゃあさ、美竹」
「……なに?」
「どうして青葉の母親に俺の事を言わないんだ?」
一瞬だけ、美竹の表情が変わった。
今まで高圧的な態度で鋭くとがった視線を俺に降り注いでいたのに、目を大きくさせて、しかもその目からは少しの迷いが見て取れた。
京華さんに「佐東は前科がある」と言ってしまえばもちろんクビになるだろう。
美竹からすれば良い事尽くしだ。それに俺とこんな話をしなくても良い。
「俺が犯罪者だって京華さんに言えば、お前の悩みはすぐに解決だぞ?」
「……それをしたらモカの家族に迷惑がかかるでしょ」
「その分、リターンが高いと俺は思うけどな」
もちろん犯罪者を雇っていたという風評が広がるリスクもある。
でもそんな事は「本人から聞いていなかったから」と言ってしまえば、その風評はすべて俺の方に向けることが出来る。
むしろノーリスクハイリターンな方法だと思うけどな。
……あぁ、そういう事か。
もう少しだけ、待ってくれよ。俺にだって
「……くだらねぇ時間を過ごした。俺は帰るぞ……あぁ、そうだ美竹」
「……言いたいことがあるなら言って」
目の前のブレンドコーヒーをススッと飲み終えて席を立つ。
そして美竹の目をしっかりと見て、わざと大きく口をにやけさせながら言いつける。
それはまるで、悪人が悪い事を行う予兆のような微笑み。
美竹の顔が引きつる。きっと背中には冷たい汗が噴き出しているんじゃないかな?
それくらいしないと美竹は動かないだろう。
良いぞ、美竹。お前の案に乗ってやるよ。
「俺は青葉に何をするか分からねぇぞ?手遅れにならないようにしっかりと青葉を守れよ?」
「あんた……っ!」
「じゃあな。それと飲み物代だ。奢ってやるよ」
机に千円札を置いて俺は羽沢珈琲店から出ていった。
外に出ると、冷たい風が俺の身体全体を噛みついて離さない。そういえば今日の夜は一段と冷えるとか言っていたような気がする。
両手をズボンのポケットの中に突っ込んで白い息を吐きながら、昨日から住むことになった事務所まで足を運ぶ。
……正社員雇用だからそれなりには給料が出るだろう。格安携帯でも買っておこうか。
そんなことをぼんやりと考えていたら、「そっくん」という声が聞こえた。
視線を下から前に上げていくと、そこにはモカがいた。
今日の彼女はいつも持っているやまぶきベーカリーの袋は無く、手ぶらでこんな寒い夜を歩いていたらしい。
「……なんでお前がここにいるんだ?」
「そっくんのいる部屋に行ったら真っ暗で~。家出したのかなって心配して探しに来たんだよ~」
「家出した先が商店街って良く分かったな」
「ふふ~ん。モカちゃんの名推理さくれつ~」
そんな事をフワフワとした表情で言うモカと並んで一緒の方向に帰ることになった。
こんな場面を美竹に見られていたらめんどくさい事になりそうだなって思うと、自然にため息が出てきた。
冬はため息が形になって表れるから感傷的になるのは俺だけだろうか。
恐らくモカは俺が商店街にいるって確信を持っていたと思うけど、ここは言わないでおこう。
俺にだってちょっとした気遣いぐらいなら出来る。
二人でゆっくりと歩いていると、コンビニを見つけた。
もちろん寒いし、早く帰りたいって気持ちもあるが俺の晩御飯を買わなくてはいけない。
「青葉、悪いけどちょっとコンビニに寄る」
「いーよー。いってらっしゃ~い」
俺は一人でコンビニの中に入っていく。外は寒いからモカも中に入ってくるのかと思ったが彼女は外で待つことを選択したらしい。
それならばと俺は目に入った弁当を手に持ってレジに持って行った。普段なら弁当を吟味するが外に待たせて風邪でもひかれたら困る。
ギャルっぽい見た目の店員に弁当を渡す。
温めるかと聞かれたが、持って帰る時間だけで中途半端な温さになるから断っておく。
その時に、どうしてか知らないが俺の目はコーヒーに目が入った。
……はぁ、しょうがないな。
「ホットコーヒーのS追加で」
「はーい、かしこまりました!百円です」
コンビニから出ると、モカが冷たく赤くなってしまった指先を息でフーフーと温めていた。
いつもはフワフワとしているくせに、意外と女の子らしい部分もある彼女に黙ってホットコーヒーを渡す。
「……ほらよ」
「あたしにくれるの?そっくんは神様だ~」
「そんなので神様なら世の中神様だらけだよ」
でも日本のいたるところに神社があるからあながち間違って無いかもしれない。
そんなしょうもない事を考えていても仕方がないので事務所の方に歩き出す。
モカはコーヒーを両手で持ちながらトコトコと付いてくる。
時々コーヒーをちょびっと飲んでいる姿を見ると、なぜか心が安らかになるのを感じた。
商店街を抜けると明かりが少なくなり、人通りも少なくなるから今までより一層寒く感じた。モカもそんな風に感じるのか、少しだけ身体を震わせた。
でも俺は、いつもよりは寒く感じなかった。
いや、むしろ温かく感じた。
今までは一人でどんな季節も歩いてきた。
でも今日は偶々だけど、モカが隣を歩いてくれている。
人の温かさってこんな風にも感じれることを知った。
でも、いつまで俺はこのぬくもりを感じることが出来るのだろうか。
「そっくん」
「……」
「むー」
「……」
「えいっ!」
「いたっ!なんで足を踏むんだよ!」
考え事をしていたら思いっきりモカに足を踏まれた。
もしモカがヒールとか履いていたら俺の足にきれいな穴が開いていたに違いない。
モカの方を見ると、ほっぺたを膨らませながら俺の方を見ていた。
そんな表情をして胸がキュンとなるような男じゃないぞ、俺は。
「そっくん、って呼んでるのに無視するからー」
「あぁ?まったく聞こえんかった。もう一回言ってくれ」
「……そっくんも寒いでしょ?コーヒー、飲んでも良いよ?」
モカがホットコーヒーを俺の方に近づけてくる。
別にこの年だから間接キスなんて気にもしないし、気にする方が格好悪い。
その割には逆の言動をするんだけど。
モカの好意には悪いが、向けられたコーヒーを受け取ることはしなかった。
「別にいらない。さっきもコーヒー飲んだから」
「つぐの家でコーヒー飲んだの?」
「誰だよ、つぐって」
「つぐはつぐだよ~」
だから誰だよって言いたくなったけど、モカが楽しそうな顔をしていたからもういい。
今日は美竹の件で色々あったし、美竹に発破をかけたつもりだ。
「ねぇ、そっくん」
「……なんだよ」
モカは楽しそうな顔を継続させながら俺の近くまで寄ってくる。
もうすぐ手と手が触れてしまいそうな距離にまで近づいてきて、俺はちょっと距離を置こうとしたけどモカが「むー」と言うから大人しくしておいた。
そしてモカは俺の顔をジッと見て、そして暗闇でも見えるような輝いた笑顔で言葉を放った。
俺は思わず動かしていた足を停めてしまった。
「ありがとう、そっくん!」
俺の心が、かすかに揺らいだ。
@komugikonana
次話は8月23日(金)の22:00に投稿します。
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~次回予告~
仕事にもある程度慣れてきた1月。
数週間前に始めたにも関わらず、あまり疲れや不満が溜まっていないのはもしかしたら仕事と合っているのかもしれない。
そんな事を言っても休日は休日でゆっくりと休む。
そんな休日の男の部屋に京華さんがやってきて……。
「うちの娘に変わって、アルバイト行ってくれない?」
「はい?京華さんの娘さんはバイトをサボって遊びに行く子なんですかね」
「あの娘、珍しくしんどいって言うのよ。代わりもいないらしくて困っていたらしいけど、身近にいたわね」
風邪でもひいたか?
では、次話までまったり待ってあげてください。