“ほら、しっかり身体を拭かないまま寝るから熱が出るんだよ”
“……ごめんね。お兄ちゃん”
“そんなの良いから早く元気になれよな。ほら、お前の好きなうどんだ。今回はタマゴ入りだ”
“母さんが作ってくれたの?”
“母さんにはナイショでキッチン使って俺が作った!”
“ええ!?そんなことしたら怒られちゃうよ……?”
“風邪を治すためだから大丈夫だって!それとそれ食べたらこのすっごく効く薬置いとくからな”
“うん。……お兄ちゃんはこれからどこか行くの?”
“ああ。よっちゃんとかその辺りと遊ぶんだ。急がないと置いて行かれるからもう行くな?”
“時間無いのに……僕のために、ごめんなさい”
“何言ってんだよ”
“え……?”
“俺とお前は兄弟だろ?世界で唯一の存在なんだから、気にすんな!”
頭の中では、小学校低学年くらいの子供が熱で寝込んでいるところを同じような背格好の子供が看病している映像が壊れかけのオルゴールの音とともにノイズ付きで再生されていた。
どうやら俺が捨て去った過去の思い出が急にフラッシュバックしたらしい。
どうして青葉家の玄関前でこんな事を思い出したのだろう。
頭を軽く左右に振るってから、インターホンをぶっきらぼうに押した。
ピンポーン、という軽そうな音が響いてすぐにドアが開いた。
「はい……あら、佐東君?どうしたの?」
「ちょっとお邪魔させていただいても良いですか」
「もちろん。どうぞ入って」
京華さんが開けてくれたドアから青葉家の家に足を踏み入れる。
そのまま京華さんはリビングに案内してくれた。彼女にとりあえず座って、と言われているように感じたから椅子に座ることにした。
俺の目の前にあったかいお茶が置かれた。
「どうしてそんなに不機嫌そうな顔をしてるの?」
「そりゃあ、無給で働かされたら不機嫌になりますって」
「本当にそれが理由?ま、良いけどたまには素直になりなさい」
京華さんは小さくため息をついてから、俺の向かいに座わりながら頬杖を突いてこっちを見ている。
もちろんそんな視線や愚痴は出してもらったお茶できれいにのどからお腹まで流し込んだ。胸のあたりがポカポカしているような気がする。
それは温かいお茶を飲んだせい?
それとも他の理由があるのか?
「……京華さん、キッチン借りますよ」
「あら、その言い方……私に拒否権はなさそう」
「理解が早くて助かります」
お茶を飲み干してから、左手に持っていたレジ袋からうどんとタマゴを取り出した。
片手鍋に水を注いでからガス台に火をつける。
最近は料理もしていなかったが、慣れた手つきでうどんのスープを醤油やかつおだしを用いて作っていく。
京華さんは頬杖を突いたままふーん、となにやら声を出した。
そして彼女は立ち上がってリビングから出ていくらしい。ただ俺はタマゴを細かく溶いているので振り向くことはしなかった。
「佐東君、モカの事よろしくね。モカは二階で寝ているはずよ」
「はいはい」
「それと月曜日、私のデスクを勝手に
「はぁ!?」
京華さんのまさかの発言に思わず後ろに振り向いてしまった。
彼女はしてやったりみたいな顔をしていて、ちょっとだけ舌を出していた。どうやらブラフに引っかかってしまったらしい。
いや、もしかしたら俺をはめるためのハッタリなんかではなく、監視カメラが仕掛けられていたかもしれない。普通ならそんなバカな、となるが京華さんだったら本当に仕掛けていそうで乾いた笑いしか出ない。
少し硬めにうどんをゆで終わってから溶きタマゴと水溶き片栗粉、冷蔵庫に入っていたショウガとネギを少量入れてすぐに火を止める。
……さて、そばに行ってやるか。
左手に片手鍋、右手にはスポーツドリンクと冷えピタが入ったレジ袋を持って青葉家の二階へと足を踏み入れた。
階段を踏みしめてもギシギシと言う音が全く鳴らなくて、むず痒い気持ちになった。実家でも、仕事場でも階段を上るたびにギシギシと音が鳴るのに。
階段を上り終えてまっすぐ進むとドアが3つあった。
なるほど、的中確立は1/3か……。めんどくせぇな。
見なくても分かるようなムスッとした顔で手前からドアを開けていくことにした。
普通はノックしてから入るのは常識だが、モカにはそんな常識はいらないって思った。
「!?……そっくん?」
「邪魔するぞ」
一つ目のドアを開けると、そこには布団の中で包まっているモカがいた。
彼女の頬を若干赤らんでいて、目はいつもよりもトロンとしている。
俺は彼女の部屋に置いてる机に持ってきたものを一旦置いてから、彼女のいるベッドに腰かけた。
「……女の子の部屋を確認ナシに入っちゃだめだよ?そっくん」
「知るかそんな事。お前もノックせずに入ってくるだろうが」
「あたしが着替えていたら、どうしてた?」
「女の下着を見るだけで興奮するようなガキじゃねぇよ、俺は」
モカはいつもみたいにフワフワとしているかと思っていたけど、本当にしんどいらしい。
さっき買ってきたばかりの冷えピタをモカのデコに貼り付ける。冷蔵庫に入れていなかったから冷えてはいないけど。
案の定、モカは「ぬる~い」とか言いやがったから冷えピタの上からデコピンをお見舞いしてやった。
「うう……そっくんがいじめてくる~」
「んな事はどうでもいい。青葉、うどん食べれるか?」
「うどん~?でもあたしはパンの方が食べたいなぁ」
「……黙ってうどん食っとけ」
モカの要求を考える間もなく却下して、サッと作ったタマゴとじうどんを小皿に移して彼女に手渡す。
モカはふー、ふーとうどんに息を吹きかけてからはふはふとうどんを口の中に入れていく。
俺はそんなモカの姿を見ていると、昔の思い出が遡ってきた。
まるで砂時計のように少しずつ積もっていく思い出たちを振り払う。気持ちをひっくり返すことで思い出を閉じ込めた。
「青葉、それ食べたらこのすっごく効く薬置いとくからな。飲んどけ」
「ちょっと聞きたいことがあるけど、いい?」
俺はそろそろ帰ろうとしたところでモカに呼び止められた。いや、呼び止められたというよりモカの呼びかけに応じたという方が正しいだろう。
今の俺だったらモカの要求を無視して帰ることだってできるのだから。でもそれをすることは無かった。いや、出来なかった。
「そっくんは、どうして自分を偽っているの?」
「はぁ?何言ってんだお前」
「そっくんは、誰よりも他人想いで優しいのに……どうして?」
「熱でうなされてんのか?さっさと薬飲んで寝ろ」
「あたし、こう見えても真剣に聞いてるんだけどなぁ~」
誰よりも他人想いで優しい……?俺のイメージを持っていてどうしてそんな事を言えるのだろう。
確かに小さい頃は周りにチヤホヤされた時もあった。偉いね、とかお勉強も出来るのにお手伝いなんて立派ね、とか。
だけど俺はそんな周りの大人たちが嫌いだった。俺からすれば当たり前の行動ばかりとっているだけで褒めてくる大人なんて見る目が無い。
「じゃあ、俺は帰るぞ」
「え~……もうちょっとお話しようよ」
俺の帰りを妨げようとするモカ。病人なんだからさっさと寝て体調を万全にまで持って行くことの方が大事だと思うけど。
いつの間にか俺の作ったタマゴとじうどんをすべて平らげた彼女はベッドに腰かけて、隣の空いたスペースに手でパンパンと叩いて催促してくる。
俺は2回分のため息をはぁ、と吐いてから壁に寄りかかって腕を組む。
「……で?何をしゃべりたいんだ?ないんだったら帰るぞ」
「そっくんの作ってくれたうどん、美味しかったよ?」
「あっそ。口に合って良かったな」
「味もおいしかったんだけどね~」
モカは顎を親指と人差し指でちょびっとつまみながら考えるしぐさをしていた。
彼女の口からはうーん、なんて言えば良いのかなぁ……だなんて聞こえてくる。
確かに言葉にするのが難しいことだってある。
そんな時は思ったことを一度伝えりゃ良い。もしかしたら分かってくれるかもしれないし、分かってくれなくても相手には何か伝わる。
そんな心情を読みとったのかは分からない。
でもモカは確かに口にした。
「うどんを食べたら~……感情がドーン、と来たような感じ?」
俺の頭の中で、モカが言った言葉がこだまする。
もしかしたら口をぱっくりと開けてしまったかもしれない。
もしかしたら大きく見開いた目でモカをまじまじと見ていたかもしれない。
もしかしたら壁にもたれていなかったら体勢を崩していたかもしれない。
……昔を思い出させるんじゃねぇよ、くそったれ。
「……もう寝ろ、悪化しても知らねぇからな」
「うん……ねぇ、そっくん」
「なんだ?もう話には付き合わねぇぞ」
彼女の、モカの晴れ晴れとした表情が俺の砂時計を強引にひっくり返させた。
つまり、過去の思い出がサラサラと確実に思い浮かんできた。
“どうだ?早く治っただろ?”
“うん!お兄ちゃんのうどんを食べたらね?そしたらね!?たくさんの気持ちがドーン、ときたんだ!”
“当たり前だろ?俺だからなっ!”
“うん、僕の自慢の、世界一のお兄ちゃんだよっ!”
そしてモカの顔と、小学生低学年の男の子が同じような顔をして、同じ言葉を言ってきたんだ。
「「ありがとっ!」」
@kamogikonana
次話は8月30日(金)の22:00に公開します。
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この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
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~次回予告~
「おはようございます」
一階の事務所のドアを開けてあいさつ。
いつも京華さんは事務所にいるからそれなりにはあいさつをする。
俺の出した声に反応してくれる一人の声に、ひそかに嬉しさを感じる。
でも今日は違った。
「あ、おはよう。佐東君」
「そっくん。おっは~」
俺は一瞬、顔をしかめた。そして少しだけ頭を抱える。
いつもどうしてモカに出会ってしまうのだろうか……。
彼女と会うことに嫌悪感なんてものは一握りもないけれど、学校も生活も全く違うのにこうも毎日出会ってしまうと変な気分になる。
こう、心がモヤッとするような感じ。
「そうね……モカ、佐東君に手伝ってもらったら?」
嫌な予感がする……。
~感謝と御礼~
今作品「change」の評価バーがすべて赤色で埋めることが出来ました。
これでデビュー作から5作連続で評価バーをすべて赤色で埋めることが出来ました。
読者のみなさん、ありがとうございます。
そしてこれからの小麦こなの活躍を期待してくださると嬉しいです!
では、次話までまったり待ってあげてください。