柱合会議を無事終えて、何とか処分を免れた炭治郎は、禰豆子とともに治療のため蝶屋敷へと運ばれていた。
そこには、鬼の屋敷で共に戦った善逸と伊之助も入院しており、三人は再会を果たすことになった。
「本当にごめんな、二人とも」
炭治郎の謝罪には理由がある。
炭治郎が斃した響凱という鬼は、十二鬼月という十二の最強の鬼に数えられており、末席と言えど下弦の陸を倒した実績は、場合によっては柱となる条件の一つとも言える。
だが、炭治郎は鬼を連れていたことで、その功績を剥奪され、善逸は知っていたのに黙っていたこと、伊之助は指令違反を起こしたせいで、炭治郎と同様に大きな功績を逃したことになる。
伊之助は自業自得なところはあるが、善逸に至っては完全に巻き込まれただけである。
だからこそ、炭治郎はそのことを気にしているのだが、当の二人はそんなことを気にしてもいなかった。
「……俺って弱いのかな」
普段は猪突猛進な性格で、向う見ずな伊之助だが、鬼の討伐後に現れた義勇にボコボコにされたことが尾を引いているみたいである。
突然、斬りかかった伊之助に非はあるが、伊之助の肋骨を折った義勇もどうかと思う。
義勇曰く、綺麗に折ったからすぐに治る、と言っていたが、そういうことではないと、弟弟子ながら炭治郎は思う。
「まあ、禰豆子ちゃんが無事でよかったじゃん。 ってそれより炭治郎も見た?!」
妹の無事を喜ぶ善逸だが、彼にはそれ以上に喜ばしいことがある。
「ここの家主の胡蝶カナエさん!! あの柔らかい笑顔に!! 絹のような肌!! 白魚のような指!! あーーーー!! まじであの人天使だわ!! いや女神だわ!!」
この蝶屋敷の主であるカナエの姿を見てから、この様子である。
当初は傷の治療で喚き散らしたにも関わらず、カナエが出張から戻って治療に参加し始めると、まさに人生の絶頂であると言わんばかりに、善逸は入院生活を満喫している。
「確かに妹さんのしのぶさんも可愛いよ!! 屋敷で助けてくれたとき、本当に天使かと思ったもん!! 絶対顔だけで飯食っていけるもん!! でも、ちょっと怖くてさ、いや柱なんだから当たり前なんだけどさ!! カナエさんは怖くなくて、可愛くて、俺なんかにも優しくて!! 本当に女神っているんだな!!」
凄い気持ちが悪い笑みを浮かべる善逸を尻目に、炭治郎はカナエの姿を思い出す。
善逸は女神と例えたが、炭治郎のイメージでは母親という感じが強い。
他の女の子達から慕われているその姿は姉であり、母そのものである。
炭治郎も、ここについて、カナエが優しく頭を撫でてくれたとき、思わず涙が零れそうになった。
誰でもこんな風に癒してくれるカナエは、善逸の言う通り女神のような存在なのかもしれない。
「あ、でもカナエさんも、元々柱だったらしいぞ。 義勇さんと同期だったらしい」
「へぇー、そうなんだ。 確かに足音とか聞くと只者ではない感じがしたけど」
足音とか凄い静かだから近寄られてもわからないんだよね、という善逸の言う通り、炭治郎の鼻にもあの時出会った柱達と同様の強者の匂いを感じ取れた。
唯一違っていたのは、禰豆子を見た時に特に敵意を発していなかったことが炭治郎は気になっていたが。
「確か、肺を痛めて、闘えなくなったらしい」
肺を痛めるということは、呼吸をするのすらままならなくなる。
日常生活を過ごすくらいには回復しているようだが、隊士としての絶対条件である『呼吸』が使えなくなったことから隊士としてはもう生きていくことができなくなった、と義勇から聞かされていた。
「そっか……でも、生きててよかったよな!! やっぱり生きててほしいもん!! 俺の師匠も足を怪我して、柱から降りたらしいんだけど……そのことをじいちゃんは不甲斐ないって言ってるけどさ、俺はじいちゃんが生きてて嬉しいんだよ」
「善逸……」
だからこそ、善逸の言う通りなのかもしれない。
確かに戦うことはできなくなったかもしれない、そのことを不甲斐ないと思うこともあるかもしれない。
それでも生きていてくれたことが、誰かにとっての救いになるのだと思う。
「だからさ、禰豆子ちゃんも炭治郎も無事でよかった」
「ありがとう、善逸。 俺も善逸と伊之助が無事でよかった」
そう言ってくれる善逸の匂いは、優しい感じがした。
善逸は否定したけど、炭治郎は知っている。
我妻善逸という男は、優しくて強い男ということを。
炭治郎にそう言われて、照れくさそうに、そして嬉しそうに笑った善逸は、恥ずかしそうに話を変えるために話題を変えた。
「ところで、どうやって危機を逃れたんだ? 聞いた話だと、柱の殆どはブチ切れてたらしいじゃん」
「ああ、でも義勇さんと俺の師匠と兄弟子、あと宗次郎さんって人が庇ってくれて、どうにか無事だったんだよ」
炭治郎は、そのことを聞かれて嬉しさと不甲斐なさを感じていた。
自分と禰豆子のために四人が文字通り命を懸けて守ってくれたことが嬉しくないはずがないが、同時に四人に多大な迷惑をかけたことは消えてなくならない。
そんな炭治郎の話を聞いて、先程まで笑っていた善逸が動きを止めた。
そして、恐る恐る動き出した善逸の表情は驚きに満ちていた。
「宗次郎……ってまさか!! あの愛染宗次郎さんなのか!?」
「え、善逸、宗次郎さん知ってるの?」
「知ってるも何も鬼殺隊なら全員知ってるだろ!! 天才の宗次郎、虹の愛染の異名を持つ鬼殺隊最強の人だぞ!!」
顔を真っ赤にさせて怒鳴るように説明し始めた善逸曰く、炭治郎が想像していた数倍以上、宗次郎は凄い人間だったらしい。
柱ということと、義勇や錆兎がべた褒めしていたことから、強いことはわかっていたが、まさか鬼殺隊最強とは思っていなかった。
しかも、剣の腕もさることながら、部隊指揮、組織運営、など他の分野にも優れており、鬼殺隊の頭脳とまで言っている者もいるようだ。
「虹? 天才はわかるけど、虹って?」
「愛染さんは基本の五つの呼吸、全ての技を極めているんだよ。 だから虹、虹の呼吸の愛染って言われてたらしいけど、本人が愛の呼吸って名乗ったから、今は愛柱って言われてるけど」
「五つの呼吸って、水とか雷の呼吸も!? それは凄いな!!」
話を聞けば聞くほど、逸話に聞いてしまう宗次郎の話に、炭治郎も驚くしかない。
そもそも呼吸とは一人一人に合ったものがあるため、その一つを極め抜くのが通例である。
実際、柱の中でも複数の呼吸を使いこなす人間は、宗次郎以外はいない。
「どこで知り合ったんだよ。 まあ、愛染さんってかなり親切らしいから、俺らみたいな新入りでも目にかけてくれるらしいよ。 だから殆どの隊士はあったことがあるらしいから、そういう意味でも知名度は高いのかもね」
同時に人格者としても有名で、訓練の志願者も後を絶たずに、全ての呼吸を使えることから隊士一人一人に対して的確なアドバイスを送ることも可能である。
まさに超人、完璧人間である。
今度、稽古をつけてもらおうかな、と考えていた炭治郎の隣で、先程まで寝込んでいた伊之助が徐にベッドから起き出して立ち上がった。
「おい」
「あ、伊之助、戻ったのか?」
元気になった同僚に笑顔を返す炭治郎だが、伊之助はそのことには全く意に介さずに再び話し始める。
「その宗次郎って奴が最強なのか?」
「え、お前、話聞いてたの?」
どうやら寝ていたと思われる伊之助は、しっかりと炭治郎と善逸の話を聞いていたようである。
宗次郎の話がどうやら伊之助の何かを刺激したらしい。
「なら、そいつをぶっ飛ばしたら、俺が最強だ!!」
そしてベットから跳躍し、走り出そうとした伊之助を、炭治郎と善逸は慌てて抱き着くようにして行く手を止める。
「お、おま、馬鹿だろっ!!」
「落ち着け、伊之助!!」
そのまま伊之助と共に病室の床で転がり込む二人の手が緩むことはない。
怪我人の伊之助をここから出すわけにもいかず、何より柱に喧嘩を売りに行こうとする人間を止めないはずがない。
二人に掴まれて、本調子でもない伊之助は、炭治郎達の拘束から逃れることができずに、床の上で暴れまわっている。
「くそ!! 門逸、権八郎、離しやがれ!!」
「この前、良い様にやられたお前が敵うわけないだろ!!」
「そうだぞ!! 宗次郎さんは、あの義勇さんの肋骨を折るほどの人だぞ!!」
「え、宗次郎さんも、そんなに人の骨折っちゃうの?」
暴れまわる三人は、病室の前に立つ二人の男女の存在に気づかない。
「あらあら、騒がしいわね」
「ふむ、元気そうで何よりだよ」
この蝶屋敷の主にして、元花柱の胡蝶カナエと、先程から話題になっていた愛染宗次郎が、三人の前に現れたのである。
この宗次郎と炭治郎達三人の出会いが、鬼殺隊の運命を大きく変えることになるとは誰も知らない。
・ ・ ・ ・ ・
「おい、愛染。 何を企んでやがる?」
紛糾の裁判を終えて、柱合会議が始まるや否や、こう実弥が話を切り出した。
「どういうことかな、実弥」
「恍けるなよ愛染。 お前が冨岡と違ってこんなことを何も考えずにするはずがない」
「まあ、確かにそうだわな。 お前のことだ、派手な理由があるんだろうよ」
実弥に同調するように、小芭内と天元も宗次郎に視線を向ける。
先程は確かに炭治郎を含めた宗次郎達には処分らしいものは受けてはいなかったが、それでも宗次郎と義勇は他の柱達に隠し事をしていたことになる。
「答えろ、愛染」
奥で佇む行冥にも言われ、宗次郎は上座に座る耀哉と視線を合わせる。
耀哉も、その視線を受けて小さく頷いた。
「宗次郎、話してごらん?」
御館様である耀哉に言われて、宗次郎は一度大きく息を吐いて話を切り出した。
「……ここからは私の憶測になるが、それでもいいかい?」
その言葉に、柱の全員が頷いたのを見て、宗次郎の話が始まった。
「まず、私と義勇が炭治郎の住む山に行った際、上弦の肆と遭遇した。 そして私が辿り着いたときは、炭治郎の家族は殺され、妹の禰豆子は鬼にされていた。 このことからその場に無惨がいたことが考えられる」
この報告は、その後、柱全員に聞かされることになるが、しのぶや無一郎、蜜璃といった柱になっていなかったものにとっては初耳だったため、他の者よりも表情に緊張感が走る。
そんな三人も、特に口を挟むことなく宗次郎の話を聞き洩らさない様に真剣な眼差しで話を聞き入る。
「そうなると、疑問に残ることがある。 用心深い無惨が上弦の肆を護衛に連れてまで、何故その場にいたのかということだ」
その疑問に答える者はいない。
確かに不可解なことだが、答えを出すほどの情報を誰も持ち合わせていない。
「そして、殺された炭治郎の家族の遺体からして、炭治郎の家族はただ殺されただけだ。 つまり、無惨の目的は炭治郎の家族を殺すことだったということが推測できる」
炭治郎の家族を殺すことが目的。
それだけでは、まだまだ多くの疑問が残ることとなる。
そして、さらに宗次郎の話は続く。
「現場は血が飛び散り凄惨なところだったが、特に荒らされた形跡はなかった。 つまり、無惨が欲してたもの、もしくは消したかったものは物ではない、伝承だ」
「伝承、だと?」
「ああ、現場に戻った時炭治郎に確認したが、竈門家は代々炭売りで、特に無惨が気にするものではない。 ただ、不思議なことに炭治郎の家では神職でもないのにも関わらず舞踊、神楽の舞を代々受け継いでいるらしい。 ヒノカミ神楽という遥か昔、戦国の時代からの贈り物だ」
その言葉に誰もが息を呑んで、宗次郎の話の続きを待つ。
この話こそ、鬼殺隊が追い求めていた答えに繋がるかもしれない。
そう思わせる何かを宗次郎の話から感じられたからだ。
そして、宗次郎は前のめりになりながらも話を聞いていた杏寿郎に話しかける。
「杏寿郎、以前君の屋敷に行った際、書物を見せてほしいといったことを覚えているかい?」
「うむ、確かその時、父上と揉めてしまったのだったな」
「そう、その時に炎の呼吸は、何故火の呼吸と呼んではいけないのか理由を伝えたはずだ」
「あ、ああ確かにそうだな!! 確か、アレは始まりの呼吸が、日の呼吸というもので火の呼吸と……まさか!?」
一番、最初に気が付いたのは話をしていた杏寿郎、そしてその後、耀哉や行冥も何かに気が付いた。
「そうだ。 ヒノカミ神楽とは、日の呼吸を遥か遠くの時代まで受け継ぐための舞だ」
その言葉に、この場にいた全員が大きく眼を見開いた。
日の呼吸、それは始まりの呼吸と言われ、今は存在しない幻の呼吸。
無惨を追い詰めたと言われる始まりの剣士の御業である。
「馬鹿なっ!! そんな世迷言を信じたのか?!」
「だから最初に言っただろう? これはあくまで推測だ、とね。 それにこう考えれば無惨が動く理由にもなる。 それ程までにヒノカミ神楽、日の呼吸は無惨にとって消えてほしいものということだね」
これはあくまで推測だよ、そう答える宗次郎に、誰もがその理由に確信した。
宗次郎はこの事実を知ったからこそ、炭治郎を庇い、生かそうとしたのだ。
そして、宗次郎は既に日の呼吸を受け継ぐつもりだと気づいた。
虹の呼吸と言われた全ての呼吸を使いこなす天才ならば、始まりの呼吸も受け継ぐことは可能だということを。
「つまり、それが宗次郎が炭治郎を庇った理由ということだね」
「いいえ、それはあくまでも理由の一つです」
だが、それはあまりに的外れの解答だった。
宗次郎は確かにそのために炭治郎を守ろうとしたことに違いはないが、それは理由の一つである。
愛染宗次郎が竈門炭治郎を守ろうとした理由は他にあった。
「私が炭治郎を守ろうとした理由、それはあの場にいたものなら全員知っているはずだよ」
先程までの真剣な表情と打って変わって、とても嬉しそうに笑う宗次郎の言葉に、その場にいたものは困惑するしかない。
「え、私達も知っているんですか?」
「意味が解らない」
蜜璃、小芭内の言う通り、誰もが気づかない。
その姿を、楽しそうに見ていた宗次郎は、口を開く。
『俺と禰豆子は鬼舞辻無惨を倒します! 俺と禰豆子が必ず、悲しみの連鎖を断ち切る刃を振るう!!』
それは、炭治郎が耀哉に、その場に向けて言った意思表明である。
あまりに無謀な目標に誰もが笑い、誰もが信じなかった。
だが、ただ一人その言葉を信じる者がいた。
「これが私が炭治郎達を守ろうとした理由だよ。 彼らはきっと無惨を討ってくれる。 そんな気がしたんだ」
そう、愛染宗次郎は期待しているのだ。
竈門炭治郎という、一人の隊士の想いの強さを。
あの雪の日に出会ったあの少年の強さを、宗次郎は誰よりも信じていた。